きっと似合うと、思ったのよ。
 いつかあなたがそう云ってくれた言葉を、今も宝石のようにとっておいているけれど。
 今ではちっとも似合わない事、知られた時の為に忘れてしまえばよかったとも思っている。


 U−1 心変わりを、とらまえて。


 降り注ぐ暗闇は、濃密に世界を包む。丁寧に端から端までを埋め尽くし、朧げなランプも極彩色のネオンも届かない場所へせめて恩恵を与えようと、隅々までに広がって。
 その為余計に浮き出る明るいオレンジ色は、他の衣服が如何に溶け込める純黒の仕様であろうと、これでもか存在を主張して、だが頭髪の持ち主は今更そんな事を気に留める素振りも無い。
 しじまを割らない配慮は息を殺す程の慎重さではなく、壁に躯を這わせ隠れ蓑にしながら、その曲がった角の向こうで広げられる誰か達の怪しげな会話を聞き届けようと、余計な雑音が入り込まないように。
 呼吸が風と同化して、見張られていると知らない談笑者達は、危険性は警戒はしていながらも実際には大丈夫だろうと暢気に続ける。
「次はもっと大量に必要なんだ。嗚呼、この間実験した際の結果は中々良かったからな。真剣に取り入れようと上も画策してくれてる。」
 既に納品を終えようとしている両者はその為気が緩み弾まない話を広げていたが、最後の一つと一枚の紙を其々両手に受け取ると男は上々、より注意を怠る。注意とは何も周囲への警戒のみならず、目の前の人物に対しての遠慮も含むものだ。
「願ったり叶ったりだがね。こっちに火の粉を飛ばさないで貰いたいのが第一だ。いいか、私は規約を破ってまで肩入れしてやっているのだから……」
「わぁかってるって。全く小心者だな。まぁ、日陰者のヘブライの一味なんだ、それくらいがお似合いか?」
 蔑視に老人はたまらず顔を顰めた。尤もその老人の背後から窺っているツェンバーにはそこまでの詳細は伝わらなかったが、空気が剣呑として来たくらいは悟れる。
「小心者といえば、先日妙な小童があんたの紹介だというから売買してやったが、まるでこっちを信じちゃいない。信仰の無い者に、可愛い商品(こどもたち)を渡すこっちの身にもなってくれ。」
「そりゃあすまなかった。何、どうしても復讐したいんだというものだから。そういう執着というのは使いようだろう?」
「そうだとも。そもそも我々が寄り集まるのも正味な話、宗教的に惹かれ合ったのではなく補い合う為だ。ヘブライなんかはありゃあ、ちょっと行き過ぎているが、熱に浮かされている奴の台詞程人を惹きつける。」
「だからあんたは今こうして、その地盤を造り上げてくれた会長様を無視してこそこそ取引が出来るって訳だ。全く以て、使いようだよ。」
 厭味のオンパレードに老人は更に更に敵愾心を育てる。そろそろ潮時かと、取引相手らしい男は手渡されたものを、子供達と呼んだ目の前という事もあってかこれでもか、懐へ鄭重にしまってみせ、やおら周囲を気にしながら立ち去ろうとする。
 世を染める深い黒が隠しているのではなく、これといった特徴が無いものだから、ツェンバーにはこの男が誰か判らなかったし、中肉中背のS気質なんて表現では、エファルの人口半分にさえ絞れない。
 どころか、街随一のツェンバー愛好者イオリナとのデート改め列車市を満喫した際気になった、故にわざわざツェンバーが盗聴まで試みている、路地裏の露天商の老人さえ誰なのか検討がついていなかった。夜をふらりと徘徊していて偶然発見した序でに尾行というのも杜撰というのか、なんともはや、な計画であるが。
 少しは人の顔と名前を一致させる努力も必要かも知れないな……
 今後もその努力とやらを全くする気が無い体で心中呟きながら、やがて苦々しい顔つきで皺くちゃの老人が此方へ歩いてきた為ツェンバーも移動しなければならなかった。どちらを追うべきか迷いあぐね、少なくともヘブライというキーワードが判明している老人よりも情報ゼロの男を追う事に決め足音一つ立てずに、あの若造め、宗教をなんだと思っているのか、そりゃ信仰よりも今生きてる我が身の方が可愛いに決まってるがそれをあんなずけずけと、等々ひたすらぶつくさ言い募る寂しい背中を見送ってから翻し、真っ暗闇が濃く滞る道先へ急いだ。

 気忙しそうでも後ろめたそうでも無くのんびり歩いている男の背後は直ぐに取れた。後は、もう少し間を詰めてから一定の距離を保ち尾行するだけでいい……たった今決定した段取りは、右横から唐突に羽交い絞めを、せんと飛びかかる気配を察知し臨戦態勢をとった瞬間にがらがらと脆く崩れ落ちる。
 顔の確認より右肘が、左ストレートが、二段構えで迎え撃ち、両方をしっかと叩きつけられ大地に潰れた後頭部には、結ぶに小さ過ぎるちょんぼりがぴょこぴょこ、可愛らしく揺れていた。
「ひっどーい。ツェンバーちゃん、そろそろ僕らも第二次成長期に入るべきじゃないかね?」
「てっめぇは……」
 悪態を吐く酸素が勿体無いと暴言を控えたツェンバーの前には、遠慮無しの二連打を受けておきながらあっさり立ち上がる不死身のシャードが、相も変わらず草臥れた白衣に土埃をまぶして相も変わらない夷顔を携え。
「んぁ? 女王様方、こんなところで逢引きかね。」
 人一人を撲っ倒す物音に気がつかない程間抜けならば、ツェンバーが神経を尖らせる必要は無い。仍て尾行対象はあっさりと此方を振り返り、しっかりと二人が後ろにいる事を確認してしまった。
「ざっけんなよ? 今ここでお前生涯終えるか。」
「ご、御冗談を。」
 面白そうに笑い飛ばす男と向かい合う、ツェンバーの青筋はひくひくと疼いている。勿論言動に異議ありという意味合いもあり、嗚呼畜生シャードめどう殺してくれようかという意味合いでもあり。
 男は上機嫌に任せてからかってから、しまったゴロツキだらけの街を支配する実力者を手玉に取るのは命知らずの行為だったと青褪め始める。
「さぁさ、僕らがそーゆう関係だってのはもうエファルの常識なんだから、君は何も見なかったと思っておとなしくこの場から立ち去るのが良識ある振る舞いだとは思わないかね? 明日までに二人の噂が広まるよう諜報活動するのは大いに結構だけれどね?」
「なぁに一人でとんちきな事ぬかしてんだこのタコ!!!」
 誤解を見せつけんばかり身を這わせぴったりと寄り添ってきたタコことシャードを、鬱積した様々な怒りを集約させてぶん投げてみれば、思いの外飛距離は伸びてぐんぐんと伸びてそのまま、下卑た笑いと共にシャードの勧告に従ってすごすご引き下がろうとしていた男にダイレクトアタックするものだから、投擲者本人が信じられずまじまじ、己の手をじっと見てみる。
「うっひゃあ! も〜、ひっどいんだ女王様ったらぁ。」
 巻き添えを食って悲鳴を上げた男は、何が嬉しくて上に乗っけたシャードをえんやこら容赦無く払い落とし、これ以上のとばっちりは御免だと逃げ足は俊敏だった。
「ったくよぅ。お前の所為で台無しだ。アタシの今夜の労働を返せ。」
「まーまーそう言わずに。」
 何が一番度し難いかといえば、ツェンバーがあの男を見張りそして尾行せんとしていた事に、絶対気がついていてわざわざ邪魔しに参上したのだろうと、シャードというのはそういう奴である。
 その証拠にシャードは、男とたがわず俊足で、再びツェンバーの横を陣取り耳元に息を吹きかけ序でに御褒美を洩らした。
「あ
人ねぇ、列車会の方だよ。ワンチアのところの親方と一緒にいたの、見た事あるモン。」
 予想だにしなかった情報源にツェンバーが目を剥く遑も与えず、続いてシャードは一枚の書類と箱詰めされた掌大の何かを差し出し。
「で、これがおそらく渡された商品の一つか一部と、説明書。」
 紛れも無く、老人との別れ際に受け取ったものである事は、遠目にであれツェンバーも確認済みである。
 いつの間に掏摸として働いていたかを判断するならば、接触は一度きり、空中浮遊からのダイビングとしか考えようが無い。始めからそのつもりで、ツェンバーに投げられる事は同意どころか算段の内、御自ら助力までして下さったのだろう。
 余剰な飛距離の解答が出たところで湧き上がるのは、一体いつから状況を把握していたのか、或いはシャードにしてみればツェンバーごと尾行の対象となっていたのか。
「……やるぅ。」
 鬱憤も疑心も一先ずは、呆気に取られる程の働きに免じて賞賛に隠し果せば、シャードは一際微笑を濃くして得られたお褒めの言葉を素直に受け取った。その後のお説教という名の折檻もきっちりばっちり受け取った。


 レトロで軽快な鼻歌交じり、厨房に立ちながら目当ての客がいない為にシェフとして働く事を怠っている店主イオリナは、作りかけの人形をその手で完成に近づける為勤しんでいた。
「ますたぁ〜。繁忙時くらい手伝って下さいよぅ。」
 泣きべそと共に上がった泣き声にちらりとだけ目配せをして、イオリナは直ぐにまた人形に視線を戻す。
「なぁに、もう弱音なの? 朝一くらい一人で乗り切れなくっちゃ、あたしの弟子なんてとーてい名乗れないわよ。おっとこのこでしょ。」
 楽しげな口調とは裏腹に突き放した態度は、本気で成長を案じてというよりは趣味の時間を邪魔されたくないという感情が丸見えだったが、それを言われちゃ手出しが出来ないと今日も今日とて哀れな店員ホリッシュは扱き使われるがまま腕を揮う。
 誰かに壊されてしまっていた扉が、復活序でに上部のベルも小奇麗な音色を響かせる素敵な装飾として新調されていて、その身を揺らして告げたのはしかし、来客ではなかった。
「おっはよーマスター! 今日も遅れちゃった!!」
「っもー。駄目でしょ、エレナ。ホリッシュがかわいそうだから、手伝ってあげてね。」
「了解でーすv」
 弾んだトーンの割に面持ちは不服そうで、寝起きの不機嫌というよりは折角来てみても手伝えるのがイオリナではなくホリッシュなんて、またしてもありあり表情に思いを乗せる強烈な女性陣に囲まれて、だがホリッシュは朗らかに、遅刻してきたエレナを咎めもせず受け入れる。
「あんたさぁ、そのへらへら、どうにかなんないの? たまには怒るとかしてみたらどうなのよ。」
「えー、でも怒ったらエレナに倍返しされるじゃん。」
「よぉっくわかってんじゃないの。」
 ヘッドロックがぎりぎり唸り、深鍋を掻き回していたお玉ごとホリッシュをある意味では安楽の園へ導こうとする。それでもホリッシュは、欠けている前歯を惜しげもなく披露して、暴行への文句ではなく調理に戻してくれと喘いだ。
「それにシャードさんだって、いつも笑ってるよ?」
「馬っ鹿ねぇ、あんたの諂いとシャードさんのはにかみを一緒くたにされちゃたまんないわ。」
 厨房から筒抜けの会話を聞いて居た堪れないお客は、たまんないのはホリッシュだと心の中だけでエールを送る。何故ならば揃いも揃ってこの悪戯な乙女に骨抜きの親仁達。
 そして全ての悪行が許される源、たっぷりとしたバストを強調するスパンコールが煌びやかなワインレッドのワンピースの上に、イオリナ手製のぴよちゃんエプロンを羽織って、颯爽注文を取りにかかった。
「じゃあ今日は小父様、ボルシチ食べてね。」
「えっ、遂にメニューの決定権まで剥奪?」
「後アスパラのサラダと、アスパラのスープと、アスパラの」
「怒涛のオンパレード!」
 取りつく島無く横暴さを発揮するエレナに思わずツッコミを入れる、人相がとびきり恵まれていない指名手配書顔の男の額をつんと突ついて、それ以上の文句をシャットアウト。
「だって昨日、私発注間違えちゃってアスパラガスがいーーっぱいいっぱい残ってるのよ。味は、あれでもホリッシュ腕はあるから、まぁマスターの弟子なら当然よね?」
「いやいやいや……じゃ、なんでボルシチ?」
「これも昨日の残りがたっぷりとあって。ほら、当てにしていたツェンバーさんが来なかったから。」
 成る程、一同が納得しきるのを見届けると、じゃあもういっそ全員それでと更なる無茶振りが要求されて、当然のように困惑と動揺の声が彼方此方から上がる。だが高潮した頬と潤んだ瞳でワンポーズ、序でにウインクでもお見舞いしてやればころっとその全員が快諾するのだから、世渡り上手なのか渡る世がどうしようもないのか。
 斯くて総意のボルシチ&アスパラパーティーが決行されんとする中、もう一度ベルが鳴き喚く。
 エファル一の繁盛を誇る”シュリオン”なのだから来客が途切れる事の方が珍しいが、それでも店内の誰もが振り返ったのは、それが悪の巣窟と名高い此処にあって有力者として名を馳せる男達であるからこそ。

 ドアを新調せざるを得ない状況に追いやった首謀者であるヤハンは、今日までびた一文としてその代金を払わないまますっかり忘れているのだろう、罪の意識など欠片も無く若しかしたらその戸が新しいものであるなどという事実さえ頭から飛んでしまっているのかも知れない、そんな体で快闊な挨拶を飛ばした。
「よっすイオリナ! まだツェンバー来てないのか? あー、じゃー、あんま期待出来ないなぁ。」
 苦労人ホリッシュに浴びせかけるにはあんまりな台詞を小耳に挟んで、ではなく前述の滞納から、その色彩と型が薩摩芋そっくりの頭にヘッドロックを仕掛ける。そこそこの身長を誇るヤハンであってもイオリナの体格には縦も横も足りない。故に苦も無く遠慮無くその頭蓋骨は縮められようとして、エレナに直伝したのは誰あろうこのイオリナであり、流石に元祖の強烈さは亜流なんて足元にも及ばない。
「ヤ、ハ、ンく〜ん。人がいつまでもエインセルに掛け合わないからってさっぱり賠償金忘れられちゃ、困るのよぉ〜?」
 半音上がった語尾が、軽妙にして怒りの度合いを如実に表していて、このまま踏み倒せたのならばと心底願っていた事実を思い出し、次いで何故踏み倒したい代金が発生したのかを思い出し、ようやくヤハンは己に降りかかる災難の内容を理解した。
「やっ、ちょ、まっ!」
 激しい締めつけに選んだ言葉さえ紡げないとタップするヤハンの横で、共に入店してきた、ヤハンより背は高くとも同じくイオリナの前では霞んでしまうハリカラは、とても、それはとても楽しそうにその様を眺める。助け舟を出す気は毛頭無いようだ。
 だがその我関せずの対応も虚しく、イオリナの魔の手はぐるぐると、頭部全域に及ぶのではないか巻かれた布をぐいと引っ張る。
 目隠し鼻隠しその実態は素敵な顔貌に一花咲く珍妙を隠す為であるのだが、それにしては無用な部分の余りは腰元で先を揺らめかせ、衛生管理者としての観点からイオリナは見過ごす訳にはいかない。
「ハリカラもねぇ? そ、ろ、そ、ろ、アタシのお願い聞いてくれてもいんじゃないの?」
「う〜ん、お世話になっているイオリナ様のお願いだからなんでも聞いて差し上げたいのですけれど、こればっかりは。」
 優男風に似合いの弱々しい否定でありながら、中々どうして頑として要求を撥ねつけ、イオリナだからこその極太さを誇るにしても女性の指を一本一本緩やかに剥がしていく様は、妙に色気が漂う。
「仕方が無いわよね。人其々事情ってもんがあるんだし。」
 押し通すだけの根気は始めから持ち寄らずに、挨拶代わりの悶着を一通りこなすと二人を指定席でも無いのになんとなし定着しているテーブルへと案内した。争い事の火種になり易いこの一派が突然暴れ出しても被害が最小限で済むように、建物の構造上考え得る最適なスポットという理由で。
「なんだイオリナ、随分機嫌がいいな。ツェンバーもいないってのに。」
 ヤハンが悪戯っ子の笑みで茶化してみれば、思春期の少女のように赤く染ました頬に手をやり腰をくねらせてすっかりイオリナはモードシフトした。
「だって昨日来なかったって事は、今日来るって事だもん。ツェンバーちゃん、二日と開けた事は無いんだからvv」
 視覚化されたハートの乱舞におぇっと嘔吐の真似事を披露する悪餓鬼を、息災を願ってハリカラがチョップで見舞い、没頭するあまり目に入らなかったと見えるイオリナはそのまま仕事をほっぽり出すつもりなのやら二人に合わせて着席し、嗚呼これから始まるのは愚痴の次に危険視すべきであるお惚気最前線。
「それでね、一日姿見せなかった時はごめんなって、ちょっと苦笑いしながら言うのねっ! それがもう最っ高に可愛くてね、きっと世界中であれを拝めるのはあたしだけだと思うの!」
「へーへー。」
「素敵な事じゃない。」
 二者二様の応対など問題ではなく、気の向くまま語れれば本望、恋する乙女とは得てしてそんなものである。
 これに無言の不服を唱えたのがボルシチ強要の現行犯であるエレナで、むすっとした表情をしつつもしっかりとイオリナの隣をキープすると、店を回す気がある人間は最早ホリッシュ一人きりとなり、悲痛な悲鳴が何処からか上がった気もするが人情味のある客以外は気にかけてもくれない。但しこの時点で食器の片づけなどがセルフサービスに移行するのは、”シュリオン”を愛する客だからこその定番であり。
「ボルシチも一日くらい寝かせた方が丁度美味しいものね!」
「そうよね、ツェンバーさんはこのお店の事もマスターの事もちゃぁんと把握していらっしゃるから。」
 妙に刺々しい言葉である事は、イオリナ以外の誰もが想像の段階で理解していたが、当人が思い至るのは一秒後の現実で、愛らしい瞳の上の眉根が寄っているのを確認すると途端弾けたハートは蚊帳の外へ、イオリナは申し訳なさそうにもじもじし始めた。
「や、でもツェンバーちゃんだけが生き甲斐って訳じゃないし、お店の事は寧ろエレナの方がよっくわかってるでしょ?」
「っそりゃあ、勿論よ! それっくらいの自負が無くっちゃあ、マスターの為のエレナなんて恥ずかしくって言えないわ!」
 そもマスターの為の、の条が大変恥ずかしいものであるという認識は無いらしい、関心を持たれた事で気をよくしたのかすっかり勢いを巻き返すエレナの様子にイオリナは目を細めたが、それを見守る衆人環視こそがイオリナに同じ視線を向けていた。
 はたから見ていて実に歪な女だらけの三角関係、それもどん詰まりの一方通行泥沼の連鎖、イオリナが悟った事で気を配れるようになり多少の穏やかさを見せ始めた体、エレナの幾ら持て囃されているとはいえ横暴な態度も、イオリナのぞんざいな、ツェンバーに比べれば蔑ろにされていた扱いに対する不満の表れなら、これからこそアイドル街道まっしぐら、光明が生じてきたと。
「うん、そうよ、私に恥じない為にも、ちゃんとお手伝いするからね! ほらホリッシュ、何ぐずぐずしてんのよ! 三番テーブルのお方さっきから待ち惚け食らってるのよ!」
 一体誰達の所為で待たされているのかを理解する欠片は毛程もなく、やっぱりお嬢様か女王様気質は彼女の生まれもってでしかないのやも知れない。
 哀れホリッシュと、今日だけで何度、今週だけで何度、今月だけで何度、祈ってやればいいのであろう。そろそろホリッシュ慰労会が発足されそうな穏やかな日々。

「ところでマスター、それ何創ってるの?」
 テーブルにも持参していた作りかけの人形は、まだ人型をようやっと手に入れたところで答えを得るには少し足りない。しかしエレナは見つめる内に、つい最近お気に入りのアイテムとして着用を始めた同じモデルの、オレンジ色の髪が眩しかった人形を思い出し、薮蛇だったかと再び機嫌を損ねたかのよう、しかし己が誘発した事態だと表面化は避けた。
「うん、ブードゥー人形っていうのを、この間列車市で買ってね。流石ツェンバーちゃんモデルだけあって売り上げトップ、オレンジのトレードマークが光ってて、あ、ヤハンとかハリカラのとかもあったけど、ちょっとひょろ長く作られただけで微妙だったわぁ、あれは。」
「へぇ。そりゃ凄いな。」
「微妙ってななんだよ、微妙ってのは。」
「あれでも著作権とか肖像権とかどうなるのかしら? ううん、そんな事はいいのよ。一人だけじゃ、さみしいでしょう? だから、友達をね、現実と同じように作ってあげなくちゃって。」
 それはどうかな。
 極めて密やかな、且つ挑戦的か或いは否定的なエレナの発言を拾ったのは、感度の良過ぎる五感を持つが故己にソフトSMを強い、それでも尚研ぎ澄まされたハリカラのみ。黒い布で覆われた視線がこっそりと見張れば、先のようにむっとしている方がまだ可愛げのある、表情というものが凡そ無い能面がエレナの感情をそっくり表していた。
「始めてやってるものだから中々上手くはいかないけれど、もの作りってのはそう簡単じゃないからいいの。歪な中に愛が籠ってればいいの。」
 慈しむような言葉と手つきが、仕方がないのかな、ほぐしほどけてゆく心の一端、エレナの顔が徐々に常のものに戻っていくのを見取ってから、ハリカラは再び、少し不恰好なブードゥー人形に目を戻した。
「だからちょっといやかも知れないけど、これ、エレナなんだ。勝手に始めちゃって、怒ってる?」
 予想だにしなかった正体に面食らったエレナの顔はすっかりあどけないいつも通りで、最後が質問だったのを思い出し急いで回り出しそうな勢いに首を振り振り、様子にイオリナの安堵が息と共に吐き出される。
「えへへ、ならよかった。ヤハンとかハリカラはさっきも言った通りもうあるし、一番初めにあたしじゃあ、人形のツェンバーちゃんも荷が重いかなって。」
「そんな事無い無い無い!」
 そのツーショットを拝んだのならば誰よりも落胆しそうなエレナが、そんな自身の事よりもイオリナの後ろ向きが許せないと必死に否定してくるものだから、イオリナはゆったり大きな大きな腕を伸ばして、エレナを抱きしめてやる。
「ありがとう。エレナが上手くいったら、じゃあ次は自分のを創るわね。そうしたら今がこんなに賑やかなんだもの、人形のツェンバーちゃんもさみしくないわね。」
 ツェンバーが望んで孤独である事を、さみしさには僖びで示すだろう事を、言う義理も義務も度量も無く、エレナは腕の中ひたすらに頷いて、せめてイオリナの小さなお遊びの範囲内でくらい、友好を保っていたいと望む、それもまた尊い愛情の内。
「勿論、その理由以外にも、あたしがツェンバーちゃんの次にだいすきなのはエレナだから、一番に創りたかったの。だから友達っていうのは、後付けっぽかったかも。」
 愚かにも言葉を選べない素直さは、こんなにも触れ合っていながらエレナを深く抉ったけれど、ただただ、次点だって構わない、愛情があるというのなら。
 それよりも望むのは、ひたすらに愛する人の、微笑み。
「頑張ってみるわ。私も、私以外にツェンバーさんの友達になってくれそうな人なんて思い当たらないもの。」

「そりゃ随分なもの言いじゃないか。」

 気配無くぬっと現れた、見過ごしていたのはかなりの不覚でもある目映いオレンジの髪に、びくつく事も息を呑む事も無くエレナは満面の笑みで迎え入れた。
 それ故に、ツェンバーの姿を見た瞬間飛び上がり抱きついた当たり前の動作をイオリナが、エレナを全く気にかけていないという罪として、覚える必要も無く。
「だって、そうでしょ? シャードさんは恋人なんだし。」
「そうその通っぽぎょ」
 強引な割り込みは上顎と下顎をずらす刹那の衝撃。その勢いのままサンドバック元いシャードを引っ掴みあげたツェンバーの瞳はいつにも況して険悪に吊り上がり、エレナを射殺そうとしている。
「今直ぐ訂正しろ四の五の言わずに間違いを認めろさもなくばこいつの顎へし砕く!」
 なんだか色々混ざってしまった結果大変穏やかではないだろう事だけは窺える残忍な、これ以上惨めにさせるには憚られる顎の辿る末路を回避せんとエレナは甲高く笑い飛ばして、白魚の指でゆっくり、シャードの顎を破砕にかかるツェンバーの、美しくは無いが逞しい掌を取り、小悪魔として対応してみせる。
「全くもう、素直じゃないんだから。私の事もそうやって友達とは認めて下さらないのね?」
「暴言吐かれた記憶はあるが友達になった覚えはないな。」
「ちょっ、そういうのは言わないお約束ってもんじゃない!?」
 慌ては赤面が助長して、勝ちを得たりと今度はツェンバーが不敵に面構える番だった。
「あんね、友達なんていうのは、宣言してなるもんじゃないんだったら。まぁったく、カルニナんみたいな人達ばっかりねこの街は。」
「それは随分なもの言いじゃないでしょうか。」
 デジャヴはか弱い女の子として現れた。知らぬ間に話題に祀り上げられ一体他にどんな吹聴をされたのやらと、恥ずかしそうに不満そうにカルニナはエレナを睨めつける。
「あらそれじゃ、カルニナんより駄目な人ばっかり、でどうかしら? だってもう、わかってるもんね?」
「はてさてどうでしょうね。どんぐりの背比べにも悖りますから。」
 辛辣な返しに舌を吐くエレナに、勢いのままカルニナが飛びついたのはその二秒後。どうしてこの面子でいないと思い込めたのやら、天敵宜しく病原菌が如く姿を発見した瞬間に引き付けを起こしそうになり、必死になって視界から追い出そうとエプロン越し、豊満な胸元に顔を押しつけて、カルニナは呼吸困難の方がいっその事マシなようで。
 その疫病神こと出逢い頭から軽いいじめに遭ったハリカラはくすんくすんしょんぼりマークを天井からぶら提げて、相方ヤハンに宥められていた。なんとまぁ情けない絵面である。
「けっ。気っ色悪いの。」
「その発言は甚だ遺憾である!」
 めそめそハリカラとよしよしヤハンに向けたツェンバーの罵倒を拾ったのは、これまた神出鬼没、ツェンバーの後から入店してきていたらしい王室付きのお偉方、ジョイバヤであり、とすれば探さなくとも辟易面で首輪を付けられた愛弟のテッソも、大変遺憾そうにくっついていた。
「愛の形は千差万別、同性愛だっていいじゃない!」
「近親姦は法律で罰せられていますが?」
「だいじょうーぶ、表沙汰にならなきゃいいのだ!」
「僕はその危機に陥った瞬間に即刻告訴しますからね!!」
「登場早々くだらない劇場繰り広げんなよ気色悪ぃ。」
 大賑わいの顔が勢揃いしたところで、はっと目覚めたようにイオリナは立ち上がった。
「ツェンバーちゃんも来た事だし、取り巻きも大勢いる事だし、」
「え、何その呼称。」
「ハリカラさん、全く同感です。」
「こりゃ腕を揮わなくっちゃね!」
「飯が食えりゃーなんでもいい、なんでも。」
「俺はヤハンに同感だな。」
「はい兄弟決裂ー。僕はツェンバーちゃんと熱烈ー!」
「がぁんっ!」
 いつだったか馬鹿っぽい擬音として話題に昇ったそれを、支給の清廉潔白な制服に身を包んだ王宮人括弧兄括弧閉じるが言うものだから、カルニナは努力の末ハリカラのみを視界から除外する事に見事成功し、その暁に鼻で笑い飛ばしてみせた。
 因みに何処ぞの藪医者の後半ののたまいは無言であった閃きが、即座の鉄槌で応対している。
「なんでもいいの、大勢で食べる御飯はそれだけで楽しくて美味しいんだから!」
「マスターの言う事はなんでも正論よ!」
 斯くて”シュリオン”シスターズがようやっと本業に立ち戻り、お蔭様でボルシチとアスパラが攻め立ててくる悪夢を見ずに済みそうだと、やり取りを演劇として受け取る聴衆は喜んで、その結果に先までの強制的に決まった注文が全て取り消され尚且つこの御一行を最優先するという事は暫く呑まず食わずでいろとのお達しだと、まだまだ気づけない愚か者。
 だってこの街は、そんな人達の居場所(まち)



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