ただ、笑っているだけだった。ただ、愛されているだけだった。
 それだけでこの世に絶望があるなど、信じられない程に幸福だった日。
 例えばたった二人でも、あなたの顔の翳りにさえ、気がつかなければ永遠だったから。


 U−2 アンチ、センチメンタル・ジャーニー。


「嗚呼、あいつなら、もういねぇよ。」
 ハンプを模した出来損ないの小丘の上から快闊に指示を出している親方は、事も無げにそう言った。
 ろくに塗装の一つもなされていない鉄の塊元い貨物列車が、整備その他を終えツェンバーの前を通り過ぎ、続いて臙脂色の、先と比べるべくもなくグレードのアップしている列車が迫り出して、甲高い停車音が耳障りだと顔を顰めると、列車場を取り仕切る者としては子守唄にも近いのであろう慣れきった親方は面白そうに笑った。
「ワンチアだぞ? この間、一緒にいただろ。」
 逞しい体格は人並み以下のツェンバーを引き合いに出せば三倍を越え、むさ苦しい豪腕には相応しい剛毛が茂っており、同様の質の髪や髭の奥で、親方は呆れたようにため息を吐く。
「ワンチアだから、だよ。(くび)にしたんだ。」
 それ以上でも以下でもない。話を切り上げるよう、荷物の詰め込みを始める手下へ備品はあっちだ、それは壊れものだから鄭重に扱えと、ずんぐりむっくりながら中々に細やかな司令塔に徹し始める姿に、以降は押し問答にも値しないだろうとツェンバーも渋々了解を示す。
「確かになんっか、その一言に集約されてる気がするけどな。嗚呼、いいよ。また後で聞きに来る。」
 投げ遣りな後姿にオレンジ色が棚引いて、横目で退場を把握した親方はばいばいの形で手を振った。
 それでも案外近場でうろついているやも知れないと、ワンチアが列車の魅力その虜になり始めたと雄弁していた数日前に思いを馳せて、橋の上を走る線路沿いに歩を進める。



「は?」
「だーかーらー、友達以上恋人未満になりましたって!」
 シャードのように、そう称してしまうのは見慣れてしまった証拠なのか、だとすれば遺憾と呼ぶ外ないが、しかしずばり当てはまる形容詞はと言えばやはり、シャードのようににたにたして気に食わなく思えてしまう微笑みのワンチアは、お花を飛ばして爛々と輝く瞳のエレナと揃ってそんな事をのたもうた。
「それは報告するような事なのか? いやそもそもなんでアタシにんな事」
「えー、だってやっぱり、女王様だし、ねぇ?」
「うんうん、なんかこう、自然な流れ?」
 成る程初々しさは伝えられた間柄の通りだが、問題点はそこではない。
「メッカになった覚えはないんだが。」
「まぁまいいじゃない細かい事は。私がなんとなく、知っておいて欲しいなってそう、思ったんだから。」
「ふん……それでなんでそんな中途半端なんだ。」
「嗚呼それは偏に人柄ってやつで」
「嗚呼つまりワンチアが最低って事だな。」
 全く疑問を差し挟まずうんうん頷くツェンバーの姿はそれが冗句なのか本気なのか計りかねる。だが言葉を遮られ虐げられた当人すら異議を挙げないところを見るとただの真実のようでもあって。
「今はねぇ、どっちかというと女体より車体に興味があってね。」
「どうやら最低の上変態らしいが?」
「んー、まぁ、人と争うよりは楽かなと。」
 エレナの言葉はちくりと刺すような、それは彼女自身が痛みを伴いながら発しているからで、果たしてツェンバーは虫刺されでも出来たかしらと言った体でそれを見逃すものだから馴れ合いは流れの中に。
「特に最近乗り入れしてきた新型の車両が、つってもそりゃ市街地からのお下がりだけどね? なんかねー、きな臭くていいんだよね。」
「おいなんだその胡散臭い理由は。」
「ワンチアさんって存在自体が胡散臭いしね。」
「それは言えてる。」
「ねぇエレナ本当に付き合いたいって思ってるの?」
 乙女の仕打ちにさしものワンチアも待ったをかけてはみてもそれこそ今更というやつで。
「兎に角、なんだ、人の欲望渦巻くところってのがすきなのさ。その点ツェンバーさんの傍はいつも大変心地がよく。」 
「その発言はまずくはないか。」
 指摘の通り恋人に立候補しているエレナは若干顰め面、だが一頻り煩悶した後で自己解決出来たようで、陰謀狙いならそれも良しと肩を叩いて承諾のGOサイン。された方のツェンバーとしてはたまったものではないのだが。
「だからツェンバーさんも、何か起こす気なら是非列車関係に重点を置く事をお薦めするね。」
「そりゃ貴重な忠告どうも。なんてったって情報通のワンチア様が仰るんだ、間違いなかんべよ。」
「うんうん、それでこそ人でなしと罵られながらも築いた地位の甲斐があるってね。それから貨物列車として最もエファルに来る事の多い愛称尺取虫は」
「おい、そこの目隠しと藪医者。」
 奥深いワールドが始まる事を察してかさらさら聞く気の無いツェンバーは特徴と職業で以て二人を呼び寄せ、何事か問う声に答える間も無く己が退いた席に座らせる。
「ヲタク趣味ならお前らだ、な?」
 脅迫めいた口調ではあったが無理矢理固定されたハリカラとシャードの首の先で、話を聞いて貰えれば誰でもいいというワンチアの脳内でも利害が合致したらしい、再びその尺取虫だかなんだかの話をし始めて、いきなりそんな事を語り始められてドン引きかと思いきや流石は同じ穴の狢と言うのか、それとも人様のプライバシーを詳らかにする事を生業とするワンチアという男の持って生まれた弁舌の才か、数十秒ですっかり濃いートークショーと相成った。
「おいエレナ、やっぱり感心しないな。」
「んー、カルニナんにもそう言われたんだけど。」
 苦笑はだけど心底苦しそうではなくて照れと迷いが見え隠れ、修繕費がすったもんだと悶着を起こしているヤハンを嗜めるイオリナと目が合えば満開の笑顔が咲いて、
「そんな条件反射を変えていきたいのよ。」
 直ぐまた苦笑いに戻った。



「なんかもう思い出すだになんであんな奴にアタシが会いに行く努力をしなくちゃならないのかとむかっ腹が立ってくんな。」
 これまでの徒労ごと放棄してしまおうかしらと辟易が脳内を満たす中、やがて目当てとは全く違う人物に出遭ってしまい、更に不機嫌メーターをぐんと伸ばして盛大な舌打ちを見舞う。
 足場の悪い中ひーこら情けない声をあげては転げそうになるのを懸命に踏み留め、汗だくになりながら向こう側も気がついたようで、その頼りない主の前方を歩いていた女性が剣呑とした空気を醸し出し始めているツェンバーに声をかける。
「あら、ツェンバー。御機嫌麗しゅう?」
 にこにこと、清廉な微笑みを携えるエインセルの後ろで、怯えたようにきゃっと隠れた男一人。息を呑む音もその態度もまた腹立たしいのだと、二度目の舌打ちにも過敏に反応し竦み上がっている。よくもまぁそれで王などと名乗れるものだと、言うには多少酷な気さえしてくる天晴なびびりっぷりである。
「あまり脅さないで差し上げて。怯えているでしょう?」
「一生そうやって女の隠れ蓑着てりゃーいいんだ。」
「だ、だってお前がそうやっていじめるから!」
 へっぴり腰がようやく顔を出し、情けなさは台詞の通り、シクォーテルは額に冷や汗を垂らして窺うよう、あくまでもこっそりエインセルの背後から、相変わらず保つ必要もないだろう若さだけを取り繕った整形面が今にも泣きそうで。
「だったらこの街まで御足労なさらなければいい。」
「私はお前より古株なんだぞ。」
「っは! 王様が聞いて呆れる。」
 正論はどちらに分があるのやら、シクォーテルは益々惨めないじめられっ子の様相を呈してきて、これ以上煩わされると本気で殴りかかりかねない勢いのツェンバーを間に入ったエインセルがどうどう宥める。
「くだらない口論はそれぐらいにして、あなたがわざわざこんな場所にいるという事は何かしら御用事?」
「別に、大した事じゃない。」
 おそらくきっと絶対、シクォーテルの前で何をしているかなんて言いはしないだろう事を見越して、大した事か否かの判断は保留にしながら、エインセルは何か含みを持った笑みで辺りを見回し、そのままの表情でツェンバーに呟く。
「そう。私達も、きっと似たような案件で大した事じゃないものの為にここにいるのよ。そろそろその関連で集まりが催されると思うから、その時までこの人をいじめないでね。」
「莫迦にするな。アタシがそんな奴の為に無駄な労力割くもんか。」
「上々。」
 何が上々なもんか。
 何処をとっても見当たらないその上々を探す気など微塵も無く、眉間を最高潮険しくしたままツェンバーはエインセルと、その後ろのシクォーテル、二人を射殺そうと全身全霊。
「あ、気がついた? 今日ちょっと寝坊してしまって、髪型崩れてるの。」
「あー、心底どうでもいいわ。」
 熱視線を悪戯に弄ぶ、清々しいまでのエインセルのおちょくりにツェンバーは殊更青筋を立てぴくぴく唸らせる。
「どーせ後ろの飼い犬の躾に奔走してたんだろ。」
「えぇまぁ、そんなとこ。」
 全く否定しない度量には舌を巻くが、一方肯定されたお相手の駄犬は頬を紅潮させやだもう恥ずかしいなんてバックに文字が現れては、四の五の言わずに今直ぐ張っ倒してやりたいと願うのはツェンバーのみならず。
「でもね、そろそろこの髪型も飽きてきたから。シニョンか、ブルネットにでも纏めようかと思うのよ。」
 適当という割にはしっかり整えられ、後頭部にしこたまボリュームを乗せた黒髪を繋ぎ止めるバレッタには、流々な細工が施されていた。つまり厭味だろう。
 どうでもいいを再び用いようとして口を開いたツェンバーは、何かが猪突猛進の勢いで迫ってきている事に気がつき、中途半端に開口したまま止まる。地を蹴る足音にエインセルも勘づいたようでそっとシクォーテルを庇うように、あくまでもさり気無く移動する姿勢は、流石付き人歴十何年と言ったところか、果たして巨大な黒い鉄砲玉の正体は、息急き切らして汗の玉を獣が如く全身から振り払う、今だけはガテン系にも見えるブレノウェルズだった。
 相変わらず掘られたかのよう鼻はへっこんでいて、その跡地に零れる雫を拭いながら、地肌の濃さの為判りづらかったが運動の結果かやや顔に朱を走らせながらやぁ奇遇とばかり陽気に話しかけてきた。
「随分と健康的な御登場ですね。此方の御仁にも見習って頂きたいわ。何せ少し線路を歩いただけで音を上げているんですもの。」
「え、エインセルさんもお元気そうで、ね。よかったよかった。」
 御仁だなんて呼んだ割にはペットのような扱いにシクォーテルは拗ねてみせたが、幸いその表情をツェンバーが覗くにはブレノウェルズという壁が立ちはだかって、三度(みたび)の悶着は機会を失う。
「ほー、いい度胸だ、アタシには挨拶無しか。」
 言葉に対応して取って付けたようにへこへこ頭を下げるブレノウェルズの姿は、シクォーテルとどっこいどっこいの危なっかしさで、街の女王に対しての非礼でそこまで言われるのならば国の王に対して殆ど丸無視の状態はどうなのだろうか、果たしてその文句を言うべき当人が全く気にしていないのでお叱りは無さそうだった。
「い、いや、風の噂で女王様はお探しものがあるとかで、お役に立てると思ってブル走ってきたんだ、ね? そこんところ評価して欲しいな。」
「あら、それじゃお忙しいですね。折角だからちょっと御案内して頂きたいところがあったのですけれど……」
「え、え!? エインセルさんがブルに御用事! 勿論手伝わせて頂き」
「おい早々に前言撤回するのか。」
 乙女の板挟みに遭い一聴ではなんと幸福な悶絶だろうか、ブレノウェルズはあわあわし、出来る事なら是が非にでも前言撤回を行ないたそうに、あくどいにやにやをぶら下げるツェンバーになんと言い訳するか脳内に高速回転を命ずるが、時既に遅し。
「本当に大した事じゃないの。機嫌を損ねない内に、是非女王様を案内差し上げて下さいな。」
 大人な対応といえばそれまでだか、ひょっとしてエインセルは判っていてやっているのではなかろうか、疑問がツェンバーの中で持ち上がる。だとしたら大した腹黒さである。
 何せブレノウェルズの目線はがっちりエインセルにロックオンされているし、微妙に恰好をつけたポージングでエインセルの目の前を陣取っているし、その頬は、確かに黒々とした地肌で判別し難くとも息を整えつつある現在に至って未だ紅潮しているのだ、多少は誰を発見して駆け寄ってきたのか気がついてもよさそうなもの。それともそれはあくまでも、ブレノウェルズが誰に対し淡い想いを寄せているのか知っているからこその判断で、その気が無ければあまりに微細なのやも知れない。
 結局体よく前言を撤回し随行する建前が思いつかない内にエインセルはシクォーテルの介助宜しく手を取りいちゃいちゃを見せつけて歩いていってしまったものだから、ブレノウェルズは途端に悄気返り、その意気消沈具合といったら笑いを堪えるのが大変な、勿論ツェンバーはそんな努力をこれっぽちもせずに追い討ちをかける方を選択した。
「おら、テメーで言ったんだろうが。さっさと対象を索敵させろ。」
「う、女王がもう少し手伝ってくれたら、ね、ブルも一緒にいけたかも知れないのに。」
「ツーショットの場面に出くわしておきながらよう言えるな、んな事。」
「そりゃだって、エインセルさんは基本的に王様と一緒だからその辺は慣れたんだ、ね。」
 去った二人を視線で追えば、仲睦まじくデートしているとしか思えない様子で支え合う姿は愛人や況して恋人よりも、夫婦の称号がぴったりだった。
「嗚呼、駄目だ。ね、ブルもうやる気無くしたから。」
「なんだその出オチ。」
「っへん、どうせブルなんてその程度の役割でしかないですよーだ、ね。女王と違って華々しさなんかこれっぽちも身につかないんだ、ね。」
 こうした負のスパイラルに陥ってしまうと人間とはなんとも面倒なものである。取り分け懸想絡みはより面倒で、ツェンバーもそう判断し、メリットデメリット鑑みた上でこれ以上共にいるのは有益でないと至る。
「じゃあもうとっとと情報だけ吐いて消え失せろ。」
「なんたる仕打ちだろう! ね! 女王は傷ついた人の心なんてどうでもいいんだ! 失敗してめげてる人間に優しい言葉の一つもかけられやしない! ね、それで知らない内に恨みを買ってる事間違い無しだ。」
「そりゃどーも。そいで、探し人(ワンチア)は何処にいるんだよ?」
「あ、呼んだー?」
 うじうじとつんけんが渦巻く腐食の空気を全く読まずに暢気且つ朗らかな声が上がり、ツェンバーは勢い猛に振り返る。だが周囲にはブレノウェルズきりおらず、バカップルを除いて人影は見当たらない。
 そういえば出処が少し奇妙だったような、左右をやめ上下に視線を配ると、二人が立つ位置は丁度トンネル、その足下から出て来た人影が、妙に懐こい笑顔で手を振っている。
 数日前に拝んだ列車組合支給の制服では無く、なんとなく街でちらほら見かけるもののなんの職務であったかまでは思い出せない、別の制服を着たワンチアは今度は煤では無く塵を顔に張りつけて、くしゃみも欠伸も無く馳せ参じた。
「おっしじゃあブル、お前用無しだからさっさと去れ。」
「この期に及んでその仕打ち!!」
 言われなくたって、実家に帰らせて頂きます、そんな捨て台詞を背中に哀愁と共に乗せ、フェードアウトしていくのを見届けもせずにツェンバーは飛び降りると、軽やかに着地してみせ流石だのなんだの賞賛と共に拍手を送るワンチアを一先ず打ん殴った。
「っえー、いきなりそういう事されるの心外ー。シャードさんと間違えてませんか、だ。」
「黙れお前の為になんでアタシが苦労しなきゃならないんだ。」
「それこそ知ったこっちゃないって言うー。」
 殴打に飛ばされた帽子を拾い、絶対たんこぶが出来たと呻きながらさする頭部は、少々見ない間に劇的な変化を遂げていた。確か赤黒いポニーテールだった筈なのに、どういう訳なのか、ショッキングピンクの三つ編みに変化している。
「頭が爆発する薬でもヤったか。」
「のん、ちゃうちゃう。気分転換だよ。仕事変える度に一緒に変節を辿ってるんだけど?」
「あー……覚えにない。」
「ま、女王の他人に対する関心なんてそんなもんだよね。新聞社に入った時には蒲公英色に、司会業に就いた時はアフロヘアーに、他彼方此方行ったり来たり、ブルんところが軌道に乗り出して暫くは赤黒長髪に安定してたんだけど最近また傾いできたから列車組合に入った時は、実はそりこみを入れるというマイナーチェンジが!」
「っへー。」
 もう全く興味がない事丸出しの相槌に、挫けるというより折り込み済みであったかのようワンチアはそこで演説を終える。
「……ま。前の髪色は個人的に好かなかったから頭のおかしさ含めお似合いなんじゃねぇの?」
「テーマは恋されちゃって浮かれてる男児デス☆」
「で、今は何をしている訳か。」
 意外なお褒めの言葉に続き意外にも興味が続行していると知り、ワンチアは片手に提げていたがさがさと小煩い音を立てるビニール袋を持ち上げて見せた。透明な腹の中には美味しそうに見えないフルコースが詰まっている。
「いやぁ、街の隅々を合法的に徘徊出来るっていいね! 知っているかい? 世に聞く巷のストーカーさん達は対象物の情報を取得するのに直接尾行なんかもするけどもっと安全なゴミ収集を中々重点に置いているのさ!」
「嗚呼つまりまだ打ん殴られたいと。」
「合法的、だよ。愛煙家の皆々様には大変煙たがられておりますが、お、ちょっと今上手い事言っちゃったんじゃない?、街の美化に一役買っている清掃員様となれば、変人と呼ばれる事も無い訳で。」
「お前の場合はそもそもからして変人扱いだ、安心しろ。」
 ワンチアの後ろ、トンネル出入り口のデッドスペースに置かれたゴミ箱からずるり、それなりに重量のありそうな満杯が取り出され、先に持っていたより大きなゴミ袋へその中身を開けられ、テープや糊が生きていてくっついている芥も気にせず、液体入りのまま瓶や缶を捨てた為だろう生臭い匂いを発しながら汚れているのも気にせず再び袋を箱の中に戻すと、以上が業務の全てです、ワンチアは何をしているの問いに完璧に答えた。
「取り敢えず今後テッソを生臭と呼ぶ事にした。」
「いやん、これもエコの内なんだって。使えるものは使い続けましょー、今のところこうして掻き集める程度のレベルしか任されていないのさ。知ってる? どんなところにでも年功序列ってあるもんだ。」
 長時間ゴミを蓄える事のみならず袋の再使用率の高さからも、街角のゴミ箱が臭う理由を突き止めた事により、幾ら空箱と言えど一時的にそこに身を隠した過去のあるテッソ准尉はそのたった一度の過ちにより甚だ不本意な綽名が付けられるように取り決められてしまった。果たしてその不憫が降りかかった時責任がワンチアにもあると気がつけるのかは難いが、なんにせよ下準備は済んだとツェンバーは本題に入る。
「それで? お前はその合法的な変人の為に、あんなに賛美していた列車組合を飛び出したと?」
「んーにゃ、馘になっちまったのさ。」
 予想通り、不名誉な経歴を隠すつもりは無いらしい。何せ口癖が心の扉フルオープンだとかけったいな奴なのだ、自ら偽らざるべきで、尤も大方の演説者は語る理想と180度違う事を平気で横行しているし、大抵の人間が己に甘く他に厳しくなのはどうしようもなく事実なのだが、それらの懸念や疑心が馬鹿馬鹿しいと言わんばかり、この男は真実しか言わない。
 だが間違っても、嘘を述べないのではなく、全てを伝えないという腹芸は持ち合わせているのだが。
「興味深いね。」
「何、仕事を与えられたら懸命に勤しむけれども、食い扶持の為の職務より本能から来る行ないは優先させてしまうものだろう? 食欲なり睡眠なりさ。」
「お前は寝食を忘れゴシップ追求に情熱を燃やしているイメージだな。」
「ピンポン、さ。親方が教えてくれる機械の扱い方も楽しいんだけどね、こっちとしてはその親方周りをうろちょろしている人々なんかが気になって仕方が無くってね。」
 再び職を失う訳にはいかないのか、道すがらトングでゴミ回収に努めるワンチアの後ろに附いて歩きながら、ようやく肝心に辿り着いたとツェンバーが口角を上げそうになった途端、突然立ち止まられた為思いきり鼻からぶつかり、例えブレノウェルズには勝ろうと平均的には低い鼻でもしたたかぶつかれば顰めっ面にもなる、その上勢いよく振り返るものだから天辺をすり気味にやや後ろへ撓らざるを得ず、合図の一つや二つ出せないものかと口内で唸る。
「だってさー、列車市だよ! 隔離閉鎖されがちなこの街に於いて一番華々しく外交出来る手段であり、それは外界からしても閉ざされたこの界隈へ大手を振って入り込めるんだ、単純な行商と思っている人が一体どれだけもいる事やら!」
 唐突に熱を持った雄弁に、たじろぐというかツェンバーはやや引き気味だ。なんだろう、この手の忌々しさ覚えている、例えばほんの数日前酷似した状況下に於いて二人程スケープゴートを置いて逃れたようなデジャヴ。
 勿論そんな観衆の反応を気にしているのであれば入口からして間違わないだろう、ワンチアは停止ボタンを見せないままアクセル全開振り切っている。
「列車組合の中でもほら、派閥ってありがちなのがある訳じゃん。労働者側のまぁ、親方とかは必死で取り入って活性化と状況改善を要求しつつ、王宮側からの私服肥やし隊はどうにかして搾取しようとあの手この手で言いくるめ、そんでもって他国の方からは如何にして介入しエファルという園が曲がりなりにも秩序を保っているのやら暴いてやりたい訳で、それに純粋に商売の場としても未開拓な上顧客は個性が強いから、何が売れるかまるでわからないんだ何処かでは烙印押された大量の売れ残りを捌くのにも持って来いな
――――
「ワンチア、ワンチア。」
 十回程度連呼される名前をようやく本人が聞いた頃には、なんだかツェンバーはやたらと優しげな微笑みをしていたから、個体の気性を考えなくとも女性の、妙に穏やかな微笑とは何かありと見做すべきであり、トリップから戻ってきたワンチアは不安を感じながら精一杯明るく、やっとの事でなーに? の返事を捻り出した。
「あれだよな。誰しも仕事熱心って訳じゃないし、頭数だけでも欲しい時はあるけどさ。」
「うんうん、その口で急遽募集していたからすんなり雇って貰えたってのはあるよ。」
「手を動かさず口ばっかりべちゃくちゃ働いてるんじゃ馘になって当然だろうがこ
ボケッッ!!」
 有無を言わさず聞き手にされたのがそこまで不満だったのか、思い返してみれば今日の事を除いても、本人の強く熱い思いだけで語られる独り善がりのトークはどうやら、ツェンバーにとって苦手分野らしく、それも理解出来ないという可愛らしいものではなくて生理的に無理な度合い。
 逃亡を許さず首根っこを引っ掴んだ腕は細さに似合わずがっちりとホールドして、これでもかこれでもかしこたま殴る蹴るの暴行を働きかける事に忙しく、それとも願う情報を聞き出す為の徒労の代償のつもりか、それとも諦めたが故の鬱憤晴らしか兎も角、結局目的であった筈の『ヘブライのところの密売人』に関連する話に及ぶ前にツェンバーはワンチアを再起不能にしてしまった。



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