何故あなたは笑っていたのでしょう。アタシに向かってただ何度でも。
何故あなたは泣いていたのでしょう。アタシは見ないふりをしたのに。
何故あなたは見つめていたの、ずっと。
U−4 遍在する世界で偏在の君、一人。
嘗て痛んだ右腕は、今ではその痛みがどのようなものだったのか感覚さえ忘れるまでに、完全復活を遂げていた。
けれど顔を合わせる度もたげる胃の重たさや、ぐるぐると気持ち悪さが渦巻く躯の内部事情は、恐怖を忘れ得ない証。
何一つ気にしていない素振りを心掛けていても身体というのは正直なものだ、一路ツェンバーの元へ向かう我が身の変調をテッソは持て余していた。首筋に冷や汗が滝を作り、口の中は見事にからからで、傷跡も無い怪我のあった部分が、なんだか疼いている気までしてくる。
「しかし連絡員たるもの全員への迅速な取次ぎが第一の任務であり……」
はたと、気がついた衝撃に上体をややつんのめりながら歩みは止まり、これまで寧ろ何故思い至らなかったのか不思議でならない、ようやくあって然るべき、かの存在。
足早に、答えを求めるという探究心は震える名残をひと時、掻き消す。
「何故あなた方は携帯連絡端末を持たないんですか!?」
よくよく考えなくとも、通信機能自体はエルレイン国でも十二分に発達している。先刻の出撃時の艦内放送然り、エファル以外の市街地では富裕層に限られているとはいえ個々人に普及しているのだから、最新鋭とまでは行かずとも、無線などが当然常備されているものではないだろうか。
見知らぬ女性の肩を抱いてしけこもうとしていたヤハンの空気を全く読まずに詰め寄れば、不機嫌と驚きを混ぜ事も無げにこう答えた。
「だって俺、直ぐ失くしちゃうんだもん☆ 質屋とか質屋とか質屋とかで。」
いつも屯しているのだからたまには貢献しろとでも手伝わされているのやら、ホリッシュと共に買出しに出ていたハリカラは申し訳なさげにこう答えた。
「いやぁ、おれ実はなんていうのかな、そういう小物つけるとアレルギー出ちゃうんだよね。これまでも彼是素材試したんだけど全滅。」
そのハリカラの帰りを待っていた、正確にはその荷物が腹を満たすものへと変わる事を待っているツェンバーは、横からモーションをかけてくるシャードを薙ぎ倒しながらこう答えた。
「なんっかあれな、見てると壊したくなるんだよ。監視されてるような気分になるんだな、それで二十個くらい叩き割ってやったらもう来なくなった。」
「どいつもこいつも!」
衝動的に叫び出したテッソをどうどう、慰めるのは望みもしない背後のストーカーは勿論だが、土産を料理に変え貢ぎ終えたイオリナもまた加わり、そして追い討ちをかける。
「前はね、いつも集まっているんだからってこの店に連絡の拠点を置こうって話もあったんだけどツェンバーちゃんが、あ、あ、あたしの店を穢すなって怒ってくれてね!」
照れと萌えの情動に燃え上がっているイオリナは以後はあまり人間の言語では話さなくなったが、削れない人件費は連絡員としての確かな存在価値を渋々認めざるを得ず、街中を駆けずり回り振り回される事こそがまさに連絡員の本懐であるのだと、テッソは惨敗を受け入れた。
聞き回る序でに伝えたエインセルの指令通り、テッソの甲斐甲斐しい努力の末一堂に会してみれば何処の誰と同じ空気を吸いたくないのやらツェンバーは忽ち不愉快を露骨に示すが、最早それは日常茶飯事として誰もの気に留まる事は無い。否、少なくとも対象は若干傷ついているようだったが、果たしてそれがツェンバーのみの所為なのか、テッソとの不自然な別れ方にしこりを感じていたからなのか。
「近頃王宮内のある一派と輸送列車に不穏な動きが生じています。同時期より発生している市街地での凶悪事件数の増加、及び銃火器の不正輸入の多発がおそらく繋がっているのではと見込んでいるのですが……」
「それがどうしたよ。アタシ達がやる事は、外のバケモノ倒すだけだろう?」
「確かにちょっと、お門違いな任務内容かーもね☆」
「大体、ある一派というのが非常に不明瞭な言い方だ。特定する為の任務なんですか? それとも、特定されているのを消す為の?」
もう一人意見を述べるべき担当者は、手持ち無沙汰の解消に疲労感たっぷりのテッソをいびり、そしてその報復に守護神ジョイバヤから猛攻を受けているというコントを繰り広げていた為、全会一致で無視が決め込まれた。
「まぁ、当然の疑問でしょうね。証拠は無いけれどほぼ確定している、という曖昧でよければ一応は判明しているけれど、念の為の確認が先ずは。」
「と、現行犯での処罰を希望しています、ってか。」
悉く棘つきの台詞でなければ気が済まないとばかり攻撃姿勢を緩めないツェンバーはしかし咎められる事も無く、それ即ちこの程度の謀反日常範囲内であり特段の怒りでもないと、既に見定められている限界。
「推測に乗っ取った限りでは、私服肥やしという付属品もつけながら所謂政権転覆の為の布石として市街を騒がせていると思われ、その最終的な狙いは扇動に足るだけの私兵づくり。そういう意味で王政反対派の」
「身内の不始末くらい手前らで勝手にやれ!!」
憤りから話し半ばで退出してしまうという実に短気なツェンバーのその背はかっかと怒りの蒸気が噴き出して、触れるもの全てを焼き尽くしかねない。王宮の中でもこの集団が集まる為だけに設えられたこの部屋の扉のみは、そうした誰かが力任せに破壊破壊又破壊を繰り返すものだから、今ではすっかり安物が取りつけられている。
「まぁ、端的に言えば同意見ですけどね。」
「おりゃー儲かるならなんでもいいぞ。この間の”シュリオン”の修繕費が、思いの外、嗚呼思いの外……」
反比例する男二人に対し、シャードは沈黙を保つ。いつもならばツェンバーを追ってほいほい何処かへ行ってしまいそうなものだが、未だ立ち去らぬ意味は彼が話し合いを必要とし、であって尚口を開かないのは都合の悪い誰かがいるからであり、話し相手がハリカラやヤハンであるのならばこの場でなくとも機会はある。
以上を総合してエインセルは職務と誘導を同時に行なう。
「其々の能力を考えた上で、列車にはツェンバーとシャードさんに潜入して頂きます。」
「え、じゃ俺達解任!? お仕事プリーズ!」
「いつもなら休養欲しい、なんていってるくせに。」
「確か三人は常に一緒に行動するものだと、以前仰られていたような……」
疑問が口をつきテッソは恐々エインセルを窺う。それを待っていたと、都合のいい相槌にエインセルは用意された原稿通りに続けた。
「シャードさんが加わって四人と分割し易くなりましたし、今回のよう潜入なども取り扱っていくのならば、団体行動以外も考えなければなりません。」
「ふーん? まぁ、決定事項ってんならいいさ。街でお仕事探してくるもん。」
表面で納得したのか意図を探っているのか、ヤハンは早々に二手という珍しいパターンを受け入れ、その後ろに続くハリカラは、これから考えるというよりは既に承服済みの、余裕を持った表情で退室した。
そして望まれた通りの、三人が除かれた空間。
「まだ削減の必要がありますか?」
「いいえぇ、准尉は其方側なんでしょう? 構いませんよ。」
名指しされたテッソは困惑気味にエインセルを仰ぎ見て、その場にいてツェンバーを不快にさせる以外に存在感のなかったシクォーテルは、寧ろこの件を予想して気を揉んでいたらしく、腹を押さえて息を殺していた。
「僕もね、おかしいなと思っていたんですよ。ねぇ准尉、三人で行動するメリットってなんだと思います?」
「え、と。管理のし易さ、が一つ。後は、謀反などの不穏な動きには一網打尽に出来るように、とかなんとか……」
自信なさげに後半の弱まる声は、語りながら幾つもの矛盾点を孕んだ幼稚な建前だと気がついたが故。エファルの人間、ストレンジャーという怪異、目の前の奔流に泡を食って多くの些細を見逃してきたけれど、例えば連絡の仕方であるだとか、そこかしこに不備が目白押し、誰かが丸投げしたものを改良もせずそのままであるような、使い勝手の悪さ。
「普通さ、実力者を、それも亜人が理由で捕らえているにしても犯罪者として冷遇しているならさ、寧ろ共謀されちゃまずいって、隔離すべきじゃない?」
鎖に繋ぎ、檻に閉じ込める、当たり前の概念から外れているエファルという牢獄を街として知ろうとしたが為に見過ごした当たり前に、テッソは今更ながら面食らう。これ以上危険な野放しなど、ないと。
「それでも混ぜてるって事は、羊飼いには協力してくれる犬がいるって事になる。」
反逆の徒、ツェンバーが猛犬に見せかけ飼い慣らされているのか。
強欲の獣、ヤハンが快楽と引き換えに実は手懐けられているのか。
慇懃の男、ハリカラが柔和な微笑みの裏で命令を受けているのか。
「そして今回のツーマンセル導入は、つまり僕を内通者その二に仕立て上げたいのだと、そういう申し込みに聞こえましたが?」
何れにせよ、己の立ち位置を弁えたシャードの問いに、エインセルは上々だと口角を上げる。
「そうなって頂けたら、大変良好かと。」
「だとすると、ツェンバーちゃんはないかな。先輩として僕に何かを教える気まっさら無さそうだし。」
顎に手を当て如何にも熟考のポージングは、例えば古臭い名探偵を気取って推理ショーを始めたがるよう、所詮この会話さえ面白がっているだけだと真剣みを削ぐ。象牙色の尻尾がぴょこぴょこ撥ねて、より一層賑やかし。
「詮索などなさらずとも、了承下されば仲間として直ぐにでもお教えします。」
「寧ろOKを折り込み済みで、僕をツェンバーちゃんと一緒にしたんでしょう? ヤハンもハリカラもどちらも素質はあると思うけど、下手な組み合わせじゃ直ぐに監視員が僕にばれて、そのままツェンバーちゃんに漏洩でもしたら困ると。或いは、もうどっちもなのかな?」
話し合いで弱点を突かれているというよりは、既にあらかた検討済みなのだろうと、それでもエインセルは気を抜かず、あくまで優位性を確保しようと対峙し続け、困惑気味にテッソは、話の一つ一つを飲み下す。
「それはつまり、王宮はエファルの民と取引関係にあって、そして少なくともツェンバーさんを、騙していると……」
「だよね。そこなんだよ問題は。だって僕、ツェンバーちゃんすきだしね。」
臆面も無く、恥ずかしげも無く、あっさり告げられた台詞はいつも通り過ぎて、だからこそ浅はかか罠だとしか思われない、悲しい現実。
「ならば尚の事。守って差し上げれば好感度もあがりますよ?」
「それじゃ二人で一緒に列車から外界へランデブーっていうのがポイント稼げると思わない?」
乙女心を女性から進言されれば、曲解して己を窮地に立たせようとするのはシャードが真性のマゾだからなのか、はたまたここまでが予定調和なのか。
「企ては構いませんよ。彼女は別格、自ら望みエファルに足を踏み入れたのです、今更逃げ出したりはしないでしょう?」
「監視者ではなくとも、信頼はしていると。奇妙だねぇ……いや、あなたも監視者として見つめていたからこそ、彼女を知ったその結果ですかね。」
穏やかに細められている目を、睫が覆い隠す線を、僅かに動かし覗いた視線が、銃弾のように鋭く射抜き、エインセルの喉を鳴らす。
「……いいですよ。ツェンバーちゃんをより知る術になるのなら、僕は何も厭わない。まさに愛の権化だね!」
「私達としても、期待しているんですよ。短期間にあなたが収集したツェンバーの情報は、医者としてだけではない手腕を感じたのですから。」
組まれた協定は、所謂薄氷なんかよりもっと虚ろで陰湿な。組み込まれた新たなギミックを、ツェンバーが知ろうと知らずと、やはりストーカーとはここまでおそろしいものだと、テッソは背筋を凍らせた。
そこに愛があるのか、否かが、こんなにも大きく、尤も愛があるからといって、己にとってのストーカーも厄介である事に変わりはないのだけれど。
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