あなたの知らない遠いところで
「全くもう、いつまで寝ているの。」
呆れ返った声と共に、布が軽やかに引かれていく音色。遮断されていた陽の光が部屋中を照らし、熱いくらいに、満たす。
此処は、何処だっけ?
猫が一匹鳴いた。釣られて二匹三匹と次々大合唱が沸き起こり、堪らず重たい目をこすると前掛けのポケットからキャットフードを取り出した母、ジナが上手く操り出した。
朝。猫。母。夢?
「ほぅれ、朝御飯だよ。寝坊するあんたに付き合わされて、こんなにまでお腹を空かせて、嗚呼なんて不憫な子達。」
だったら先に飯をくれてやればいいじゃないか。
口にしなかったのは、寝起きの不機嫌に付き合わせるのは理不尽だと、更に言えばその次に返されるであろう厭味に対応出来るか不安だったところもある。
素足に床が冷たい。布団の中の微睡みが恋しい。だけど汗ばんだ躯は鬱陶しがって。妙にゆったりとした時間の流れ。
「わかった、もう起きるよ。それで母さん、俺の朝飯は?」
「馬鹿ねぇ。もうお昼御飯よ。」
「嗚呼、そう。」
他愛無いやり取りに、何故だろう、置いてきぼりを食らう感じ。自分が、途惑っているのだと。
けらけら笑いながら階段を下りてゆくジナの足音をBGMに着替えを済ませて、不意に思い至る。
「そっか、こっちに帰って来てたんだっけ。」
冒険の日々が幕を開けてから、体内の時間軸が狂っている。過去や未来への滞在日数がぴたりイコールし反映される訳では無い現代、一週間くらい命を賭けた戦いをしたと思っても懐かしき大地を踏むしめると、一日どころか一時間すら経過していない事も間々あって。
孤独では決して無かったけれど、気の遠くなる程離れた地に気の遠くなる程離れた時間を経て立ってみれば、ホームシックに駆られるのか時折実家の夢を見てしまう。
母はどう過ごしているだろう。
無意識の心配が映し出されるのか、霧深く渦巻く中世にいても、厳寒と荒廃の支配する未来にいても、錯覚する安堵。
故に逆説として寝慣れたベッドに身を横たえても、母に付いてゆかず自らの足元に纏わりじゃれつく猫の体温を感じて、現実味がようやっとやってくるのだ。
「何日振り、ですらないんだもんなぁ……」
ゲートホルダーにより制御された空間の歪、そのプロセスを把握しているのは幼馴染のルッカだけであり、訳の判らない数式を取り出だされども入らぬ説明より、理解者がいれば充分だと放ってしまえば、過ぎない日時の経過も不思議という感覚で飲み込めてしまうのだから壮大な冒険譚も中々に大雑把である。
身形を整えた自らを写す姿見に、左腕を横断するかのよう走る大きな傷を見つけた。
さすると、新しい皮膚が盛り上がって、補い合っていても別のものだと知らしめる。
「なんだっけな、これ。――――嗚呼、恐竜人との時、か?」
思い返そうと努力しても、壮絶な戦いさえ押し退けて蘇るはただただ強烈なエイラの個性のみ。否、命を取り合う必死の戦いだからこそ、記憶に留めていられる余裕すらなかったのだろう。
「痛みは無いけど……目立つかなぁ、ちょっと。」
マールの癒しによって痛みさえうっかり忘れてしまう程にはなってみても、生々しい痕は、神経に刻まれた瞬間を呼び起こしそうに。
麗かな日にそぐわないと不自然を知りながらも長袖を羽織り、少し蒸し暑い気分。
勇敢な勲章と讃えるつもりも無いが、母を無闇に驚かせてしまうくらいなら多少の我慢を受け入れようと、今度こそ階下へ向かった。
これまで、巡った時代の数々。そのどれもが壮大な歴史であり、これから歴史と呼ばれるものでもあり、唯一つでしかない躯を持って何処にでも現れている自分達というイレギュラー。
目の前に立つ壁を取り払おうと必死で、知恵と力を合わせ戦ってみれども、向こうには更に大きな壁が立ち塞がっていると、途方も無い連鎖。
どんどんと激化してゆく環境にもまた、取り残されそうに、ほんの一時、ついていけない事もある。
目的を、見失いそうになる。
「ラヴォス。……倒せるのかな。」
「新しいゲームか何か? さっさと伝説の武器なりなんなり手に入れて倒しちゃって、他にやるべき事へ目を向けなさいよ。現実的にね。」
朝食元い昼食を用意しながら暢気な聞き齧りに思わず苦笑いしてしまうも、痛いところを突かれ反応に困っているのだと解釈してくれたようで母は大して気にも留めない。
伝説の武器といったら差し詰めグランドリオンだろうか。だが、魔王に一矢報いたとはいえラヴォスにも同様に通用するとも限らないし、第一それを扱えるのは自分では無い。
他にやるべき事と言われても、崩壊の危機に瀕している世界を救う為走り回る以上に大切な事なんて思い当たらないし、かと言ってこの現代で未来という名の事実を知るのは偶然の事故により垣間見てしまったたった三人、極く僅かなのだ。
実体験したからこそ逃れようの無い真実と呼べるが、人伝に話を聞いたとても俄かには信じられないものだし、無理矢理ゲートを通らされてもなんの手品かと疑ってしまう可能性もある。
すべきは、知らしめる事ではない。
わかってくれと、懇願する事ではない。
来たるべき日が来ないよう、奔走し続けるだけ。
とはいえ理解が得られないというのも中々に苦しく、また少数の内での悩みだからこそ、本当にこの大役を任されるのが自身でいいのだろうか、疑ってしまう日も多い。
マールの城が抱える訓練された兵士や、もっと言えば中世の研鑽を積んだ人も欲しいところで、だが幾許かの可能性があって降りかかった偶然なら、己達の手で果たす事にも、意味があるのかもしれないと。
「それにしても何? この陽気にその長袖。」
「ちょっと風邪気味なんだ。」
やはりツッコまれた。予想され得る質問に、用意していた回答。
親子間でやるにしては緊迫しているが、通常から逸脱した生活を送る弊害、これも人知れぬ努力というもの。
「まぁ、あんたでも風邪引くのね。」
「なんだよその反応。病人には優しくするもんだろ?」
出任せに付き合って心配されてもそれはそれで心が痛むのだが。
「それだけ憎まれ口叩ければ充分元気よ。」
軽口とは裏腹に、隅の棚から薬瓶を差し出され、実は健康体であるのに飲んでいいのやら暫し悩む。
だがそれもまた、心遣い。
勢いに任せて水薬を飲み干し、やっぱり元気じゃないの、なんて付け加えられてしまう。
「でも、元気が一番、だろ?」
不意に飛び出したのは、希望を枯渇させた人心へマールが植えつけた、生命力の種。
含まれる重みを知る由も無い母は、常とは何処か違う息子の視線に同調して、親の意見を述べた。
「そうねぇ。どんな風になっても、人間、元気があればなんとかやっていけるもの。」
齎される微笑みが、いつも通りにあたたかい事が。
もどかしくて、くすぐったい。
本当は、顔を見る度今日も生きて帰って来れたと。
心の底から感謝している事を知らないだろう。
それでいいのだ。
当たり前の中に生きていてくれるからこそ、当たり前に帰って来た時の僖びを教えてくれるのだから。
非日常と日常を示す境界線。
おかえりと、包んでくれる。
ありがとう、母さん。
そして少年は、自らに訪れる或いは過去、或いは未来をまだ知らない。
「あら? ルッカちゃんがまた迎えに来てくれたみたいよ。」
「嗚呼。じゃ、ちょっと出掛けてくる。」
「風邪気味なんじゃなかったの?」
「……やらなくちゃならない事が、あるからさ。」
見知らぬ男性のよう。
一瞬漂わせた雰囲気にまばたきしながら、ジナは変わらず笑みを保って送り出した。
そして母親は、息子がどんな世界を見、どんな目に遭うのか、いつまでも知る事のないまま。
例えば遠い雪国で、満身創痍命を落とす可能性さえ。
それはまだ、起こり得ていない過去という名の未来のお話。
二次へ
廻廊へ
++以下言い訳
起こし方がいつか書いた天地創造を彷彿とさせますが(笑)。
概念の一つとして、回復魔法を使えどもパーペキに消える事は無いだろうと一つ考えているので、かと言ってみんな誰も彼も傷だらけって程治癒力が無いとも思いませんが、一つ二つはあって然るべきかと。つまりクロノの傷は別にイベントに関連づけての事ではないです。
まぁ、尤も原始時代から古代への流れで帰って来れたか疑問ですが。シルバード入手はこの辺りだったんじゃないかなーと。?。
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