「その時は…………莫迦な女だと、笑ってやって下さい。」

 微笑みながらそう云った彼女は、あまりにも美しかった。


 そして、今。


「どうぞ、約束通り――――

 痛々しくて、それにも勝る程に艶やかに。

「莫迦な女だと、笑って、やって下さい……」

 彼女は微笑んで、そして――――





莫迦と賭け







「ねぇ、賭けをしませんか?」

 思わず頭痛が走るような、でたらめな天気の日だった。
 昼間は茹だる様な暑さで、鉄さえ溶かすのではと思える陽気。
 しかし夕刻が近づくにつれ、今度は吐息で氷柱を作れそうな程凍てつく寒さが風と共に襲ってくる。
 砂漠でもあるまいにその開き過ぎた温度差が、体調不良を引き起こしてしまうのはある意味当然で。
 それに元々、最近は調子が悪かったようにも見受けられる。だからどうしようと、思った事は無いけれど。
 いつも張り切って自分の前を進む少女は、ばたりと倒れてしまった。
 丁度頃合、近場にこじんまりとした村と、それに見合った小さな宿が天の助けとばかりに現れた。
 古びて立てつけの悪い扉に、少し身動ぎするだけで軋む寝台、これ以上無いと叫びたい襤褸宿でも、雨風は防げた。

 白い肌を焼くように額に頬に朱が差して、呻いてるのは風邪の症状。
 彼女が目を覚まし大分楽だと告げられた瞬間の、ため息の感覚は今でもリアルに覚えている。
 安堵というのとは多少違う。もっと大事になれば、今後に支障が出るのではと。きっと冷たいため息だった。
 持ってきた食糧も薬剤も滞りなく彼女の腹に納まって、大事を取ってあと一日休んだら、彼女に告げる事を告げようと。
 そして自分は旅に出発しようと決意していた、多分丁度その時だった。

 彼女は前振り無しに、そう俺に呼びかけた。


「賭け……だと?」
 それまで静穏が流れていた空気は、ゼルガディスの表情と同調したかのように訝しげに色を変え始める。
 眉を顰めて、見るものも無い村を眺めていた窓から、ゆったりとした足取りで寝台へと近づいた。
 一歩一歩にも悲鳴を上げる板切れは、正直部屋に入った初め、自身の重みで抜けるのではないかとゼルガディスは危惧していた。
 そんな呑気な想定も、今は(なり)を潜めている。
「お前…熱でおかしくなったか?」
 枕元に手を置き被さるように動いたゼルガディスの上体によって、身を横たえていたアメリアの上に影が現れた。
 瞳を覗き見れば、熱の為かひどく潤んでいて。しかし冗談を言っているような目つきでは、到底無く。
 ゼルガディスが窺う反応が楽しいのか、口元を緩ませて穏やかな表情を作ると、彼女は変わらない声音で続けた。
「失礼ですね、私は至って正常です。 で、賭けをしませんか?」
 繰り返されてため息をつくと、更に楽しそうに彼女は笑った。
 呆れつつその横にそっと腰かけると、やはり大袈裟にベッドは軋む音を立てて、深く沈んだ。
「……一体、何の。」
「ゼルガディスさん、私に帰れっていう気だったでしょう。」
 言葉に驚嘆して彼が即座に振り返れば、変わらぬ笑みを携えていて。
 アメリアは一つ大きな深呼吸を落として、上半身だけ引き上げて座った。
 読まれた行動に未だ言葉を発せない彼を他所に、やはり彼女は愉快そうで。

「私は、旅を続けたいです。もっと世界が見たい。自分で感じたい。」
 それは何度も紡がれた言葉。
「でも、今回もそうですが、私は……足手纏いになって、います。」
 それは何度も呟かれた台辞。
「それはいやです。とても厭なんです。」
 それは何度も囁かれた台詞。

「誰かの足手纏いになるなんて、私の美学が許しません。……ですが、だからといって旅を途中で辞めるというのは、負けた気がしてそれもいやで。」
 いつになく勝気な、晴れやかな顔で、彼女は空虚を見つめている。
 いつになく呆けた、徐々に複雑さを増す顔で、彼も空虚を見つめている。
 視線を絡めるのが怖いとでもいうように。
「だから、賭けをしましょう。」
 その瞬間、アメリアのいう賭けは未定ではなく、決定となった。










 会話の流れもその場の空気も、やたら鮮明に覚えている自分の記憶力に、少しだけゼルガディスは口元を歪めた。
 そんな出来事があったのは、まだそれ程遠くは無いいつか。
 すっかり精気を取り戻した彼女は、倒れた日の様に彼の前を悠然と歩いている。
 時折見つける物珍しくも無い事柄に、視線を落としては楽しそうに歓声を上げていた。
 樹海に響く音は蕭々たるもので、心寂しさに拍車をかける。気圧された訳でも無しに、何気なくゼルガディスは口元の布をきつくした。
 生茂る葉が邪魔をして、陽光が欠片も降り注がないようなそこは、如何にもな何かを温存していそうな、おどろおどろしい体相をしている。
 信頼性の面はあまり期待していない情報で此処へと赴いたがあながちデマでもないのかも知れない。
 旅の目的を果たす為に歩を進める、通過点のつもりでいたゼルガディスは、愈々気を引き締めて森林深く潜ろうとした。
 しかしお決まりにも、どう視点を変えて考えてみても味方では無い奴が姿を現した。
「此処から先は行かせる訳にはいかない。」
 濁声で厳めしく言うのは、凡そ人ではないもの。
 大方魔族の下っ端であろうが、雑多の者とはいえ油断は出来ない。
 ゼルガディスが構えて腕を剣に伸ばそうとした時、上方から高らかな、そう言えばいないなと思っていた人物の声が降り注ぐ。
 怪しい存在が現れれば必ず聞こえてくる、これまたお決まりの口上に、敵味方呆れ返りつつ。
 パターン通りに飛来してくるのを一先ず待ちながら、ゼルガディスの脳裏は戦闘以外へ意識が飛んでいた。
 こういった類に出くわす度、それが頭を離れる事は無い最近。
 彼と彼女は、アメリアの持ちかけた”賭け”をしている最中であった。

 そんな注意散漫の状態で戦っていた所為なのだろう、変化した状況へ瞬時に対応出来なかった。
 二人が対峙していたのは奴、ではなく、奴ら、だった。
 ”賭け”が頭から飛んでいっても、新たに影から出現した敵には一歩届かず。
 名も知らぬ敵から、大きな攻撃を受けてしまった。
 腹と背を貫いた、爪の猛攻を、彼女が。

 光景ののちすぐさま剣を振り被り、一体を切り落としたのと同時に放った魔法でもう一体も撃墜した。
 とどめに、切り捨てた方にも精神系をぶつけて、予想通りの雑多魔族は跡形も無く消滅した。
 アメリアの傷という、確かな痕跡を残して。
「アメリア!」
 瞬殺劇の場から駆け寄り、力を無くした身体に跪いて叫んだ。
 そっと背中に手を這わせて持ち上げれば、止まる事無く赤い液体が地面に流れ吸収されてゆく。
 今し方添えた手も、頓に赤く濡れて染まって。
「アメリアッ!!」
 再度呼ばれた名前に、彼女はそっと瞼を開いた。
 柔く全身を震わせながらも、その顔には”賭け”を持ちかけた時と同じ、明るい笑顔を張りつかせていた。
 その表情が、戦闘中にも彼の大方の意識を支配していた、”賭け”の内容を酷にも鮮明に思い出させる。










「次に私が怪我をしたり病に伏した時、即ちそれが私の負け。もう、私の事など置いてさっさと進んで下さい。その代わり、それまでは断固として附いていかせて頂きます。」
 いきなり言い渡すと、彼女の予想通り彼は面食らったように間の抜けた顔をした。
「お前……何を言ってるのか、わかってるのか。」
 あまりの突拍子の無さに、やや声を荒らげて聞き直す。
「えぇ、まぁ。」
 緊迫していくゼルガディスの表情に臆する事も無く、アメリアはあっさりと首肯する。
 その飄々さに毒気を抜かれて、反転し乗り出していた身を正してから、今度はいつもの調子で問い質す。
「……これから乗り込む予定の森には、噂ではあるが強豪な魔族もいるという。」
 一旦の間が置かれる。
「賭けというのは、勝算があるからやるもんだ。……お前には、あると云うのか。」
 冷たく尖った眼光はひたと彼女を見据えていて。
 曇り一つ無い穏やかな蒼は、同じように彼を見据えていた。
「えぇ勿論。自慢の拳で敵なんてばったばったと薙ぎ倒してやりますしっ、一度病気になれば暫くはならないもんです!」
 通りのよく分からない理屈は兎も角、彼女は嘯いている訳でもなく、本気で云っている。
 受けた答えを飲み込んで、一層低い声でゼルガディスは最終確認をする。
「…………その怪我とやらが、死に至るものだったらどうする気だ。言う通り、病のお前を俺が見捨てたらどうする気だ。」
 やりかねない未来に賭けの撤退を暗示して、彼は答えを待った。
 確かに面倒臭い事この上なくて、共にいる理由も勝手について来ているだけ。けれど寝覚めが悪くなるのも考えもので。
 その言葉を聞いて何度か目をしばたいた彼女は、殊更穏やかな笑みで。

「その時は…………莫迦な女だと、笑ってやって下さい。」

 微笑みながらそう云った彼女は、あまりにも美しかった。


 そして、今。


「あはは……案外、早く、やられちゃい、ましたねぇ。」
 呼吸をするのも困難なのか訥々に、だが依然として明るく彼女は笑う。
「いいから黙ってろ!」
 元々青い顔を一層青くして、悲痛に叫ぶ声は彼も自覚していた。
「不注意だった……っ、すまない。」
 トーンを落とした声色は、自責を強く含んでいる。
 項垂れながらも体制を整え、患部に治癒と共に添えようとした彼の右手を、彼女はゆっくりと、だが強く制止した。
「………アメリア。」
 ゼルガディスが苛立ちながら名を呼ぶと、少しだけ目を細めて笑顔を歪ませ。
「ゼルガディス、さん、私達の賭け……覚えて、ます……?」
 諭す様に、優しく彼女は言葉を紡いだ。
「私が怪我、したり、病気になった、ら……ゼル、ガディスさんは、どうするん、でしたっけ……」
「今はそんな事言ってる場合じゃないだろう!!」
 悪戯っぽく飛ばされたウインクが、状況を把握していない彼女に対して嘆きを荒げさせる。
 されど彼女の眼差しは怯む事無く、彼を見つめる。
「どう………する、んでしたっけ……?」
 荒い吐息は苦しさを窺わせるのに、そんな様子はおくびにも出さない。
 そんなアメリアに観念したかのように、支える腕に力を込めながらゼルガディスは喘ぐ様に言葉を吐いた。
「…………お前を置いて……気にせず見捨てていく………」
 風に消え入るか細い声だが、その答えを聞いて彼女は更に笑みを深めた。
「その通り―――正解、です。あなたは、私と賭けを、しました。それはつまり、私自身、が、自分の身に、気をつける、という事です。」
 一際大きく息をついて更に言葉を続けようとする彼女の胸は、時が過ぎる毎に激しく上下する。
「結果がこれ、な訳ですから……私は、あなたの旅に、これ以上附いては………いきません。です、から、早く……とっとと、行っちゃって、下さい――――
 弱々しくもはっきりと言い渡され、その瞳はどうしたら良いのか分からない子供のように狼狽えていた。
 しかし事態は一刻の猶予も許さず、強い咳き込みと共に彼女の口からは鮮血が飛び出し、飛沫は増えてゆく一方で。
 溢れ返る紅に、彼女の意志とは関係無しに治癒強行に踏み切ろうとゼルガディスは右腕を動かすが、未だ牽制されているそれはどんなに足掻いても行動を起こさせて貰えない。
「アメリア……!」
 全身の動きが停止しようとしているのを感じながらも彼の右手を掴んだまま、彼女は自分の左腕で血を拭う。
 口内に広がる、錆びた鉄を捻じ込んだかのように乱暴な味を堪能しながら、アメリアは残り少ない力を振り絞ってあくまで話し続ける事を選択した。
「……アメ――――
「だから……」
 言葉途中で遮って、彼には有無を云わせない。

「どうぞ、約束通り――――

 痛々しくて、それにも勝る程にあでやかに。

「莫迦な女だと、笑って、やって下さい……」

 彼女は微笑んで、そして――――




































 瞼を開くと、視界に広がるのは茶色だった。
 ぼやけた模様は少しずつだが次第に、輪郭を現し。
 天井の巨大な染み周りに広がる、小さな染みの数をなんとなし数えてみた。
 目覚めたばかりだからなのか頭がいまいちはっきりとはせず、今がどうなっているのか、此処が何処なのかも考える事さえなかった。
 少し固めの敷布団の上に寝そべっているのか、それとも身体が鈍っているのか。僅かに体制を変えるだけで軋む感覚がある。
 そんな事をぼんやりと思いながら、意識と共に蘇る痛みがある事に気づくのに、大して時間は必要ではない。
 鈍痛を感知してから少頃、最後に見た景色からは有り得ない筈の今にようやく思い至ると、飛び跳ねるように身を起こした。
 途端に腹部から駆け上がる激痛に、悲鳴を上げる事も出来ずアメリアは再び倒れ込んだ。
「何やってるんだ、お前は。」
 彼女が手に汗を掻きながら呻いていると、呆れた声が投げかけられる。
 現状と同様有り得ない、聞こえる筈の無い声に元々大きな瞳を更に大きくして、しかし学習したのかもう動く事はせずに、雨リアは顔だけそちらに向けた。
 つかつかと近寄ってきた人物は、やはり傍にいる筈の無いゼルガディスだった。
「どう――――して………」
 困惑を装い口をついて出た言葉は、そこで終わりにした。
 含みを混ぜた方が、また反応が面白いだろうと。
 状況的には不謹慎であるが、これもそう、ある予想の一つ。そして想定外の事実。

 彼女の記憶では、彼は”賭け”の通りに行ってしまった筈だった。
 よって、今のこの状況はまさしく、有り得ないもの。
 さぁ、ならば何故今こうなっている?

 切られた言葉に彼は表情を険しくし、寝台の傍らにあった椅子に腰かけた。
「お前こそ、どうして……」
 間近に見合う二つの双眸は、お互いに迷いを持っていた。
 話し出しながらも、言葉を探して彼は何度か口を開閉する。
「どうして――――置いていけると思うんだ。そこまで俺が冷たい奴だと。」
 語句は怒りこそ宿していないものの、途惑いが彩っていた。
 顔を俯けたゼルガディスの様子を興味深げに見つめながら、握りしめられた拳にそっと、アメリアは片方の手を重ねた。
「”賭け”は成立していた筈です。ゼルガディスさんが助ける必要なんて何処にもありません。」
「そんな事を云ってるんじゃない! ……そもそも、何だってこんな”賭け”なんか始めやがるんだ………。」
 彼女が眠っている間に、どれ程か思考を廻らせたのだろう。
 すっかり混濁した意識は、様子をそのまま彼の顔に表していた。
 あまりに沈痛な面持ちに、諦めの意思を持ったため息を吐き出して、アメリアは優しく重ねた拳を撫でた。
「……帰らなきゃいけない事は、明らか過ぎる事実です。」
 力を含める為か、強く奥歯を噛み締める。
「でも、すごすごと引き下がるなんて、それこそ負けたみたいで、悔しいじゃないですか。」
 撫でる手付きは、徐々に止まりつつあった。
「ジレンマ、って言うんですかね。どうしたらいいか、考えてみて。
 ……”賭け”をしたなら。自分に、約束がつけられると思ったんです。」
 掌は離れて、二つ目の拳を作り上げる。
「私が自分の身を守り続けられる以上はいい。
 私が自分の身を守れなかったら――――その時こそが、引き際だと。」
 強く強く、拳は硬くなる。
「自分勝手ですよね。知ってます。だけど……そうしたかったから。」
 消えゆく語尾と連れ立って、小さな拳もほどかれてゆく。
 やんわりと開いた掌から、赤みが逃げるように消えてゆく。
「自分の気持ちに、一時決着つけるにはいいと思ったんだけどなぁ。」
 悪戯のばれた子供の如く、ばつの悪そうな無邪気な笑い。
 下地の苦笑を時が暴いて滲み出させ。
 彼の目線の先にある掌の、肌の下の赤い色が。
 決断の時を過らせた。










 静かに下ろしたつもりでも、土埃は舞い溢れる。
 口を閉ざし、依然と血を流し続ける彼女の顔はとても穏やかだ。

 気に食わない。

 苦労性と呼ばれる由縁か複雑怪奇が心中を駆け巡る思いの中で、それが一番強かった。
 激痛が今この時も猛威を振るっているのであろう。
 放っておけば本当に死んでしまうのに。
 放っておくと、”賭け”をしたのに。
 何故こんなにも、穏便でいられる?
 勝手に附いて来ただけのくせに。
 疑問も欺瞞も際限なく、脳から滝のように流れ出す。
 制止の声も聞かない心は、無性に苛立ちを起こさせた。
 背を向けて歩き出しても、一歩進む毎に後ろを振り返り。
 それでいいのかと心の中を、自問が延々繰返し。

 自分は”賭け”に勝ったのだ。
 彼女から持ち出した”賭け”に、誰に咎められる事も無く。
 自分は”賭け”に勝ったのだ。
 それでも振り返る事をやめないのは、笑顔が妙に引っかかるから。

 妙な時を過ごし合った、一応仲間である筈なのに。

 読めない奴であるのは事実で。興味はあるが拘りは無かった。
 そんなものに構っている程、暇は無いのだ。為すべき事はずっと決まっている。
 力を手に入れたくて。その代償を取り戻したくて。ずっと決まっている事なのだ。
 邪魔なものは排除を、他の事も極力干渉しない。余計な事をする余裕なんて無い。
 口論をしていてもどうにもならないなら、邪魔にならなければそれでいいと。
 受諾したのはお互いに。そういう、二人旅で、あった。ずっと。
 そして邪魔になるようだからと、己から突き放そうと思った。所詮はそんな関係。
 けれど妙な賭けを持ち出す、突拍子なさにまた興味が湧いて。面倒な事にはなると、予感していたのに。
 実現すべき賭けの本質を、掴めないまま苛立ちは募る。
 きっと珍しい繋がりだったから。

 妙な時を過ごし合った、一応仲間である筈なのに。

 結局まともに進む事も出来ないまま、ゼルガディスは森のど真ん中で立ち尽くしていた。
 立ち尽くしたまま、撒布した己の葛藤達を寄せ集め。
 前進でも後退でもいい。
 踏み出す為に考えろ。
 取り敢えず出した結論が、それだった。

 俺は、どうしたい。
 彼女をみすみす見殺す事に大した意味は無い。
 ただ面倒ごとは、降りかかりそうで。足枷に、なりそうで。
 だが、それは彼女が望んでいる事。
 そう、彼女が望んだ事だ。
 そこで打ち切れば、”賭け”は終了だったのであろう。
 そこで、打ち切ってしまえば。
 ――――それでも。
 彼自身の望みからか、思考は止まる事を選択しなかった。

 何故……何故、彼女はこんな事など望んだのだろう。
 何故、このような”賭け”など持ち出したのか。
 そこに伴う理由は何だ。
 彼女の真相は一体なんだ。
 考えても、わかりよう筈も無い事を。
 考え始めたのは、彼自身が望んでいたからなのかもしれない。
 ゼルガディスの脚は動き出した。
 それまでと進路を変え、真っ直ぐ伏した者に向かって歩く。
 持ち上げた身体を、そっと抱きかかえて。
 その片手は、患部に治癒を宛がっていた。

 これは、ルール違反なのかも知れない。
 訳の分からない物体に発言に物事にぐちゃぐちゃになった今の頭では、何を考えたって埒が明かないんだ。
 ならば、この先の行動は。
 思考などより、本能に頼る。
 そう、本心に。

 やがて人影はその場から消え、残るは幾つかの戦いの後と、血の川程度。
 空に舞うは、霧散した幾数多の考慮。
 捨て切れぬのは、一つの真実。

 そんな事出来る訳が無いと知っていて、こんな”賭け”を持ち込んだこの女は、なんと残酷な事だろう。

 声は誰かに届いたのか。




































 顔を上げないゼルガディスに、アメリアはまた違う思考を持って視線を送った。
 こうまでも想定通りに動きながら、予想外の反応を見せる。嗚呼なんて、面白い人。
 小さく静かに笑みを漏らすと、共に漏れた小さな声にようやく彼は顔を上げ。
 潤み揺らめく紺瞳を、ただひたすらに見据えていた。
「ゼルガディスさん、莫迦ですね。」
 様々な想いを声色に乗せて、皮肉を言えば彼も釣られて。
「云うのは俺じゃなかったのか。」
 慣れない駆け引きから生み出されたぎこちない雰囲気は、少しずつ絆されてゆく。
 その根底はシンプルな筈なのに、考えればこそそれは難解な色へと変貌を遂げて。
 結局は興味対象を失って退屈には戻りたくないのだと、二人は知っているから。
 気にも留めない言葉を交わせば、そこには常の時間が穏やかに流れてゆく。
 遠回りをして、合わない事をして、辿り着く今に其々の思惟を混ぜながらも、ただ二人は笑い合っていた。
 それが今為すべき事だと信じて。

「嗚呼でも、ゼルガディスさんが勝利を放棄したという事は、私が賭けに勝ったって事で、いいんですね?」
「はっ?」
 唐突な言葉に上げる彼の驚きが、一オクターブ高い事に笑いながら、胸の前にぐっと握り拳を作る。
「つまりは、私はこのまま旅を続けてもいいという事です!」
 朗らかに、高らかに宣言される思いは、奇しくもあの時と同じく、ウインクで締め括られる。
「…………莫迦か。」
 そう言った彼の顔に浮かぶのは、苦さを持った微笑みだった。

 それに対する彼女の顔もまた、緩やかに綻んでいた。
 そうしてまた、莫迦な二人の旅は続く。


 賭けはそう、彼女の勝ち。

























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++以下言い訳

かわいそうなのは振り回されている生命体その一。出オチの魔族よりひどい言い方だ。
それから勿論重傷負わされているアメリアもそうなんでしょうが、それはほら、ある意味自業自得?(え)
彼女が言う通り、自らの事には自ら対処すべきであり、尻拭いなんて真っ平だ。
戦闘中に意識散漫なゼルガディスも悪ければ、そんな彼がフォローに回らないとなんて状況に陥る方も方なんです。
例え話の進行上だとしても(爆)。嗚呼つまり一番最低なのは普通に流血させているオレサマですかと。イエスアイドゥー!(威勢のみ)

きっかけが無くちゃ、動けない時なんてごまんとある。
しかしただ待って待って待ってそれ自体が理由のように縋るのは、弱いみたいだ。
現実を見据えて気持ちを備えて、己の力量に彼女は賭けた。そして負けた。
この場合は、そんな賭けをした方が悪いのか、そんな賭けに気を取られていた誰かが悪いのか、
それとも下っ端の癖にちょっと強かったのが悪いのか(笑)。
そして賭けを放棄して、自らの勝利を棒に振ったのが、悪いのか。

ところでアメリアが賭けを気にしていたのかと言うと、別にそれ程でも。ちょっとした遊び半分、そうなったらしょうがない引き下がろう、みたいな。
やっぱりきっかけなんですよ。ただの。彼女のきっかけ作り。彼のきっかけ作りはといえば即ち駄目っぷりなんですが(こら)
自ら考えて出した賭けより、それに振り回されていただけの分まだ答えは出ていなくて、心もまともに纏まっていないのにそんな時だけ真面目に、といってもまぁ賭けてる時点で真面目なのかどうなのかなんですが真面目に対応出来ないような。
そういう微妙な生命体だと自分は思っております。甘ちゃんでもいい(いじめない)。

…ところで、賭けに買った際の景品ってなんでしょう?(こら)
彼は静かな一人旅。彼女の場合は、一回こっきりとかで無く倒れるまで、なんて永続ですから旅を続けられる事、でもそれって賭けを知らなければ結局何違うのだろう?
だから所詮は、心持一つなんです。