「それじゃ、これをムウに渡してきてくれるかしら?」
 マリュー・ラミアス、無敵の箱舟にして不沈艦の異名を持つアークエンジェルの艦長は、柔らかな口調で指示を出した。
 あまりにも穏やかな物腰に、何処となく気圧されてアスランはこれ、と指された書類の束を手中に収め――――盗み見てみれば彼の負傷についての経緯彼是が書き留められている報告書のようで、そっとブリッジを出た。
 彼女の席から扉への短い距離、士官達はアスランを、気にしているようだが視線は合わせまいとぎこちない素振りで。

 そしてそれが正しいと。

 つい先日まで敵対していたザフトの、それも実際に攻防を繰り広げていた赤服を纏うアスラン・ザラが自由に艦内を徘徊している違和感は容易く拭えず、仲間として受け入れるにはまだ難く。
 遠く。



 人 々 の  心 (ほし) ま た た く  戦 場 (うちゅう)





 宇宙遊泳に則り移動する中、すれ違うクルーも歓迎ムードとは程遠い、奇妙な緊張感に包まれていた。
 どうこう言うつもりは無く、かといって当たり前の反応と割り切っていても、好めるかと問われればノー。
 疑っている、その段階も含まれてはいるが、やはりそこまで単純に人間出来てはいない。
 彼らもまた、葛藤の間に揺れ動いているのだろう。
「アスラン!」
 身を強張らせるような空気の中で、二人だけ元気よく呼びかける事の出来る存在、キラとカガリが並んで目の前に、笑顔を引っ提げているものだから思わず顔を緩めて応える。
 双子の疑惑が持ち上がっているコンビは成る程、言われてみれば似ているような、言われなければ分からないような、真偽は定かで無く半信半疑。
 確定していないのなら、頭を悩ませてみても無意味だと殊更明るく、努めて普通に、振舞おうとする行動は似通って、痛々しくて。
「トリィを見なかった? 目を離してる隙に見当たらなくなっちゃって……」
 戦場に於ける不安定なのか、親友からの貰いものを当人に尋ねるのが申し訳なかったのか、上目遣いで心細そうに口を開くキラは、第一声とは裏腹に落ち込んでいる。
「さぁ。ブリッジから今まで見かけてないな。」
「広いったって艦内の何処かにはいるんだから、そう悄気るなよな!」
 落とすその肩をばしばし、遠慮なく叩いて景気づけようとするカガリは相対的に空元気が目に見えていて、全く以て不器用な二人組である。
「見つけたら捕まえておくよ。なんなら今度、笛でも作ってやろうか? 直ぐ呼べるように。」
 嬉しそうに目を細めながらも、キラは首を横に振った。
「ううん、いいんだ。自由にしているのが好きだし。ただちょっと……」
 寂しげな視線、寂しげな声色は、言えない思いを直に伝え、それでも言葉を飲み込んだキラはやっぱり不安そうなまま微笑んで、益々下げた視線の先にアスランが手に持つものを見止めた。
「それ何?」
「嗚呼。いや、さっきラミアス艦長から渡されて、つまり今おつかい中なんだ。」
「そっか。じゃ、引き止めて悪かったね?」
 医務室とは別の進路を取る二人と別れ、手を振りながら背にすぐ見つかるさ、声をかけてやると少しだけキラの表情に生気が蘇ってゆく。

 大丈夫なんだろうか。

 疲れとも取れる翳り、その正体を知る事は出来ず、自身の悩みは誰に話そうとアドバイスを貰おうと結局は自身で解決する以外術は無い。
 このおつかいの到着点、フラガと共に、つい先日まではアスランにとって上司に当たる、ラウ・ル・クルーゼの手をのがれ研究所から帰還して以来あんな調子で、今やキーパーソンとして欠かす事の出来ないキラの様子に誰も彼もが酷く心配そうにしていたが、自ら話さないのであれば聞くべきでもないと。
 気遣いのようで、避けているようで。
 アークエンジェル内に於ける、友好関係の筈なのに己が現状と似たキラに対する居た堪れなさを思う度、アスランはより神妙そうに表情を硬くしては、知らず眉根を寄せていた。
 その先行きに、より気まずく、どうにかせねばならない相手がぽつねんと一人突っ立ち、窓から見える宇宙の星々に思いを馳せているのが見えると、皺をほどき困惑が瞳を歪ませる。

 ミリアリア・ハウ。

 キラの学友であった全くの一般人、それでいて数々の危局をアークエンジェルと共にした立派なクルー。
 何より、アスランがその手で撃破したパイロットの、恋人。
 ぎゅっと唇を噛んで、どうアクションを起こすべきか逡巡した挙句、素通りを選択。

 逃げでもなんでもいい。ただ、傷口を広げる存在にしかなれない自分が、何を話す事があろうか。

「あら、アスラン。」
 足早に通り過ぎようとするアスランとは裏腹に、気がついたミリアリアは気軽に声をかけてきた。
 まるで普通の口調に拍子抜け、思わずアスランは間抜け顔を披露して挨拶。
「なぁにそのバケモノでも見たかの表情。やめてくれる?」
 呆気にとられたままの口を言われるがまま閉じ、喉を下って飲み込む唾の音が酷く耳に煩い。心做し早まる鼓動は、やはりどうアクションを起こしてよいのやら混乱を来たした頭と同じリズムで。
「あ、そうだ。この先に行くなら序でに医務室寄ってディアッカの馬鹿にこれ渡してくれない?」
 ずい、と差し出されたディアッカの私物と思しき櫛は丸みを帯びた少女趣味なもので、突き出す顔は呆れを満面に乗せていた。
「全くねー、あいつなんであんな馬鹿なの? 戦闘以外の傷で医務室行きなんて、ほんっと馬鹿みたい。」
「何かあったのか?」
「それがねー……やめた。口に出すのも馬鹿馬鹿しいわ。兎に角、落としもの。私のものだと思われたらたまらないもの。」
 宜しくね、そう添えて笑みのまま遠ざかっていくミリアリアを相変わらず呆然と見つめ、用事は増えてしまったものの手間は大差の無い任務を遂行すべくアスランも再び移動を始める。
 思ったより、普通そうだった。
 それとも彼女も同じように、振舞っているだけだろうか。
 キラやカガリのよう、

 なんでもない、
 なんてただのフリ。

 人の奥底に何が渦巻いているのか、推し量るのは烏滸がましい。兎角戦乱に於ける人心など、何があっても不思議ではない。
 であっても、恋人の死を乗り越えようと、その仇を受け入れようと、誰よりも一番必死な戦いを繰り広げているであろうミリアリアの、おくびにも出さない強さには敬服するばかりで、ぎこちなさに甘んじようとするアスランへの何よりの叱咤で。
 ふと渡された櫛を見ると、先端の丸みに血糊がべったりとまではいわないが附いている。
 本当に一体何があったのやら首を傾げながらもようやっと目的地に到着したアスランを、子供のようにはしゃいでいる目当ての二人が迎え入れた。
「よぉ、聞いたかよこいつの名誉の負傷!」
 開口一番、快闊に、腕を振り心做し目の端に涙を溜めてベッドを占領するフラガの横で、丸椅子に腰掛けて額に大きなガーゼを飾ったディアッカが猛然と抗議し始める。
「おいおっさん! やたらと広めようとすんなよな!」
「いーだろー? 男の傷は勲章、賜物、武勇伝なんだぜ?」
 けたけた馬鹿にした笑いを部屋中に満たして、包帯を目一杯巻かれた上半身を揺すっていれば負傷した腹が痛むのも必至、苦痛に悶えている姿にもそりゃそうだろうと呆れしか出て来なかった。ディアッカは当然の報いといった目つきでにやにやとあくどい微笑み。
「安静にしていなくちゃ駄目ですよ、フラガさん。これ、ラミアス艦長に渡すようにと。」
 取り敢えず用事を済ませてしまおうと紙束を渡した途端はまだ喜々としていたが、一枚、二枚とめくる度どんどんとその表情は曇ってゆく。
「あーあー、駄目出しばっかだこりゃ。見ろよこの赤線の多さ。こんだけペケが付いてると見応えもあるってか。」
「おっさん、おっさん。こりゃ駄目だろ。あんた報告書の一つも書けないのか?」
 いつの間にそこまでの親交を深めたのやら、すっかり仲睦まじい怪我人二人を少しだけ羨んでから、ディアッカには例の血塗れた櫛を土産と渡して。
「さっきミリアリアに渡されたんだ。結構怒ってたけど、お前何やらかしたんだ?」
 今度こそ譲渡の途端に苦々しそうな顔つきをディアッカがして見せ、折角わざわざ届けた報告書を医務室の事務机に投げたフラガはそこが本題と言わんばかり元気を取り戻した。
「そうそれ! 名誉の負傷の理由だよ! なんでも、この妙ちくりんな髪型をセットするのにまー時間食ってたら、」
「おいだからおっさん言うなって!」
「焦れたミリアリアに櫛取り上げられて振り返りざまそのままごーん! んー、額って薄いからな、怪我の割に出血量が凄いんだよなー。」
 制止の声もなんのその語り切って見せた、まさにミリアリア曰く口にするのも馬鹿馬鹿しい顛末にアスランがディアッカへ差し向けたのは予想通りの呆れ呆れ呆れ。
「あいつが乱暴過ぎんだよ! 普通人の櫛取り上げてその上投げてくるか!? おかげで髪は乱れたままだしよー。」
「変わりなく見えるがな。」
 辛辣なアスランのため息混じりな意見に落ち込む一人と、そうだろそうだろ賛同する一人。
 賑々しいムードに湧く医務室は笑いが絶えなかったが、瞬間、船内スピーカーを通して警報がけたたましく鳴り響き、緊急事態を知らしめる。
「嗚呼、出撃出来ないのが残念だ。」
「おっさんは引っ込んでろよ。戦い足りない分は俺が埋めてやるぜ。」
「そんなんじゃないさ。でも、俺は戦う為に此処にいる訳だから、今はな。」
「兎に角、直ぐに格納庫へ向かうぞディアッカ!」
 アナウンスされる事態、指示に従って部屋を飛び出す若造二人を見つめるフラガの視線は寂しそうに、ただただ、悔しそうに。

 流石に手慣れたもので着々スタンバイをこなす中、発進シークエンスを唱えるミリアリアの声がコックピットに溢れる。
 はきはきと、声に澱みを感じる事は無く。
 ただひたすら、己の成すべき事を成す。
 そうだ、今はそれしかない。
 俺もまたその為に此処にいるのだから。

 今は。

 フラガの言葉を反芻しながら、ジャスティスは虚空へと舞う。
 その背を預ける仲間達の、半分以上が信頼で繋がっていないとしても、今日が続く、明日の為に。

































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++以下言い訳

運命ではぎこちないながらも旧友の体で仲良くしていたアスランとミリアリアだが、種ではどうだったのか?
なんて特にカプリング性も無く突貫で書いてみました。気付いてしまったから、種で一番すきなのはキラフレだと気付いてしまったから、最早種でカプリングもの書いたって報われない宿業なのです。
苦心したのはアスランがアークエンジェルクルーをどう呼んでいるのやら不明だった点。適当にでっち上げているので間違っていても御愛嬌という事で。
別にディアッカがきらいな訳ではありませんがなんだか適当な理由をでっちあげた結果酷く安っぽい男になったのは彼の特性って事でファイナルアンサー?
この話で大事なのはアスランの居心地悪さであってディアミリではないのです(きぱ)。だからもうそんなバカップル話に辟易すればいいくらいのノリで、嗚呼やっぱりディアッカ大事です←