エヴァに乗る事だけが自分の価値なのだと思った。
だが、エヴァに乗ってする事といえばなんだろう?
使徒、殲滅。
エヴァに乗る事すら出来なくなった無価値な僕の手を引きながら、掛けられた言葉が蘇る。
走り続けた息は荒く、敵を銃で撃ちながら、鋼鉄の壁に力一杯叩きつける、視線は切羽詰まったかのよう。
「人は、第十八使徒リリンなのよ。」
エヴァに乗ってする事といえばなんだろう?
使徒、殲滅。
だがその使徒が人であるなら、結局のところ、僕は、
僕は、
或る少年の内面世界
白く硬質でいながらなめらかに光を反射する、歪な円、それとも涙型の仮面。
ぽっかり開けられた二つの黒い穴が宛ら瞳のようにじっと此方を穿るよう見つめ、スローモーションで自爆した。
閃光が数秒続き再び暗闇が支配権を取り戻そうとした時、目の前にいたのは第三使徒ではなく、この段階では顔も知らないトウジと、横に並んだ背の小さい女の子が――――何処となくトウジに雰囲気が似ている――――同時に口を開き、同じ言葉を口にした。
「「人殺し。」」
赤紫の奇妙な躯に自在にくねる触手をつけた、海洋生物のような存在。
こわかったのはそれではなく、それから護らなければならないものが出来た事。だから泣きながら、苦しみながら、記憶のある内では始めてこの手で、殺したと実感した日。
叫び疲れた喉がひりひりして、命令違反というタブーを犯しながらもすべき事は果たしたのだと、逃げずに立ち向かったのだと勇気を褒めて、躯を震わせまだ止まらぬ涙越しに振り返った向こうで、ケンスケは無表情に言い放つ。
「人殺し。」
景色を反射させる硝子のような綺麗な躯。正八面体の内奥から、生み出した光に貫かれた痛み。
もういやだ。痛いのも、こわいのも、もう、いやなんだ。弱音に綾波は呆れすらなく、ならば代わりに私がやるだけと、あくまで淡々としていた。
だって苦しいんだ。だって死んでしまうかも知れない。プラグスーツに着替えても尚の泣き言に、死にはしない、私が守るものと、優しくも無い否定。
それでも結局舞い戻ったのは、それしか僕にやれる事なんてないからだ。僕を守って倒れた綾波に駆け寄る背後に、僕を信じ奇跡を託してくれたミサトさんが朗らかに微笑みながら声をかけた。
「人殺し。」
始めてアスカと出逢った日。溌剌と魅力的で、そして尤も苦手な人種の一つだろうと、薄々感づき始める。
そんな彼女に振り回されペアルックで搭乗した始めての弐号機。その中から見た、大きな口を振り翳す使徒の中へ、ついさっきまで二人が乗っていたのと同じような船が突っ込んでいく。
なんとか任務を全うし戻った場所にいなかったその人は、アスカよりもずっと、傷つけないで接する方法を知っている大人の人。加持さんの走り書きがひらり宙に舞う。
「人殺し。」
思えば使徒殲滅の任務に関して呆れられたのはこれが初めてだったのではないだろうか。歩くだけで凄いと、原型を留められて偉いと、未来を創る希望だと、みんなが口々に言ってくれていた。
見事な惨敗っぷりを露呈したのは己の慢心からかアスカというイレギュラーを未だ把握しきれていないからか。それでも二手に分かれる使徒を倒さんが為手を組んだ。
互いやっかみ合いながら、相容れぬ存在とわかっていながら、己の理由を求めるにはそしてそれに答えが帰ってくるには、エヴァしかないのだと知っていたから。そんな執着にため息混じり、発令所の三人がやれやれと
頭(を振る。
「「「人殺し。」」」
灼熱のマグマに揺らいだ心、その湯煙の中で告げられたまるで、自分達なんてただの捨て駒扱いの冷たい現実。兵隊だと判っているけれど、人類の希望を託された子供達でもあって、慢心を見抜いたかのような掌返しの指示を出しているのは己がおそれ忌み嫌う、父だと改めて知った日。
役割をアスカに振られた時驚いた心はやはり自惚れ? 窮地に陥った彼女を助けに走ったのは、少なくとも無我夢中。そんな僕を馬鹿だと笑いながらアスカは、
「人殺し。」
慣れきった利便性から突き放されて、闇の中を手探り、頼りになるのは己の身一つと未だ打ち解けぬ二人の仲間。嗚呼だけどそれは、エヴァに乗っていても変わらない事。
不便だろうがなんだろうが現れた使徒を殲滅しなければならない。手立てが無ければ創ればいい。額に汗して手ずからエヴァを召喚しようと奮闘する父さんの姿は、冷淡なイメージとも、冷酷な実像とも、似つかなかった。
しかしそれもパイロットが現れる事を信じている前提で無ければただの無意味。そしてその期待通り現れた三人に向かって、父さんはいつも通りの態度で視線を突き刺す。
「人殺し。」
8.7のヤシマ作戦が奇跡なら、この0.00001の作戦は奇跡以上の何かなのだろうか。降り注ぐ使徒の危難から回避せんと打ち立てられたパーセンテージ。
エヴァパイロットというだけで少年少女に重責を負わせる事が悔やまれるのか、それとも別の何か悔恨があるのか、らしくないミサトさんの景気づけに、無理矢理明るく乗ったフリ。
斯くて無事に奇跡を遂げた四人が御褒美のラーメン屋に並んで、始めて父さんに褒められた喜びを噛みしめる僕は、始めて己がエヴァに乗る理由を明確に認識し、そんな様子に隣でにんにくラーメンを啜る綾波が一瞥くれた。
「人殺し。」
それが侵入した事さえ事後報告だった。僕らに出来た事は、ただ互いの匂いを感じながら、静かに揺られるだけだった。
だがその現実が可能であるのならば、エヴァで無くとも倒せる形があるのならばより一層、自分達とはなんなのか、存在意義がわからなくなる。
折角父さんに認めて貰えたのに、また揺らいでしまうのか? キーボードを人知を越えたスピードで叩きつけるリツコが徐に顔を上げ、一服つこうとコーヒーを含みながらぽつりと洩らした。
「人殺し。」
夕焼けが差す電車の中、目の前には、何処か懐かしさの漂う幼子。いつものように差し込んだイヤホンであらゆる雑音掻き消して世界と自分を引き離したいのに、その幼児から目を逸らす事も、まばたきすら、出来ないまま。
僕は何をしているんだろう。使徒が現れたんだ。戦わなくちゃ、エヴァに乗って。エヴァに乗って、戦っていた、筈なのに。
些細で瑣末で取るに足らない、どうでもいい疑問にさえ何一つ答えが見つからない。自問自答が終わらない。自分の名前がわからない。今何処に立っているのかわからない。呼吸の仕方がわからない。
わからないわからないわからないわからない。煩悶を切り裂くように己を抱きしめない両腕から、強烈な匂いの鮮烈な赤が滴る。
純赤の中存在する筈も無いけれど確かに寧ろ全てが、途方も無い虚空のような闇の向こう岸。幼い頃の僕が笑いながら手を振って。
「人殺し。」
僕が見たのは、エヴァだった。僕が今搭乗しているのと大差など無い、同年代の誰かの駆る、あれは確かにエヴァだった。
だから、いやだと言ったんだ。僕はいやだと云ったんだ。
だけど父さんは僕の声など聞いてはくれない。届いている筈なのに、言葉を受け取ってはくれない。
少しずつ慣れ始めたエントリープラグという空間が、いきなり他人の部屋に挿げ替えられたかのように。エヴァからの痛みが遮断された代わりに、激昂も咆哮も掻き消されていく。
そして引き摺り出された、僕と何が違ったのかわからないパイロットは、ぐったりと最早嘗ての勢いも無く。その代わりと言わんばかり、帰りを明日を、待ち侘びていたヒカリが無感情で目の前に現れ、トウジや、その妹や、ケンスケと、同じように。
「人殺し。」
もういやだ。もう沢山だ。何度そう思ったか知れない。そしてもう、これが最後だと思った。
父さんに認めて欲しかったんだ。だけど父さんは、僕に友達を殺させたんだ。だからもう、僕は乗らない。
人を殺す事も出来るエヴァになんて、もう二度と乗りはしない。
……そう思ったのに、また帰ってきてしまったのは、結局僕には其処しかないからだろうか。ソレしかないからだろうか。
剥き出しの腕で使徒を貪るエヴァを、何処か遠くで見ているような、限り無く一体になっているような、捉え難い感覚。
捕食される使徒の向こうで、切り落とされた弐号機頭部の六つの視線が怪しくまたたき、不気味に伝える。
「人殺し。」
遠く見えない光が、アスカを責め苛んでいた。高く聞こえない音が、アスカに降り注いでいた。
それなのに僕は何も出来ない。父さんが何もさせてはくれない。エヴァに乗っているのに、何も出来ない。
泣いている。いやがっている。苦しんでいる。蹲っている。
早く、使徒を倒さなくちゃ。早く、使徒を殺さなくちゃ。早く速くはやく
「壊されたのは、私。」
それが使徒なのかすら掴めず困惑する光の螺旋。綾波を貫き零号機と交わる。
綾波を、助けたいのにそれは綾波の顔を持って僕の覚悟を躊躇させる。
使徒だ、ってわかっているのに。綾波だ、ってわかってしまうから。
そうして決断を下せず途惑うばかりの僕を守る為、綾波は光塵に埋もれた。
「殺されたのは、私。」
彼は、優しかった。彼は、美しかった。
彼は、僕を認めてくれた。彼は、僕をすきだと云った。
綾波もこわくて、ミサトさんもこわくて、アスカは僕を見てはくれない。
彼は僕の掌に包まれ、彼は僕に選択を迫り、彼は僕へ遺言を託す。
「ひとごろし。」
「ちがうっ!!」
シンジが大声を張り上げても、誰が聞いてくれる訳でもない。
ただ一本線が引かれただけの真っ白な世界で、
それとも生温かい生命のスープで漂いながら、
若しくは夕暮れ時の斜光が眩しい電車の中で、
たった一人じゃ、ただのピエロ。
俯き、瞼を閉じても孤独ならば変わりは無い。
哀れんで、ケンスケが現れる。
「何が違うのさ?」
「違う、違うんだ……!」
その背後から、トウジが睨めつけていた。
「ワイを殺したのはお前やろ。」
「……。」
ミサトは素を制服に隠した厳しい表情で上司として振舞う。
「私の、みんなの命を、守る為だから、仕方が無いわよね?」
「…………。」
あのスイカ畑で、水をやっていたのが加持の最期の姿。
「始めは誰かの意思で、途中からは君の意思で、だ。」
「そうかも知れない、……けど。」
いつもモニター越しに戦いを見つめる伊吹マヤ、日向マコト、青葉シゲルは今日も背を向ける。
「「「碇シンジは、エヴァンゲリオン初号機のパイロット。」」」
「それだけじゃないっ、それだけが僕じゃ!!」
三つの背中が重なり、振り向くとゲンドウが冷たく見下ろしていた。
「だがそれがお前の価値だ。」
「父さんにとってはそうかも知れない、でも……!」
その横で虚ろな瞳をしながら佇んでいるリツコも、見下している。
「あなたがチルドレンでなければ、誰も相手をしない。」
「僕がそういう風に生きてきたんだ。誰とも深くは関わらないように。」
思い出せるのは満面の笑みかぐしゃぐしゃな泣き顔両極端の過去が、今は笑いながら。
「だから使徒でも人でも何を考えていても何が待っていても関係ないんだよね?」
「……違う、今は、違うんだ。」
水玉の風呂敷に包んだお弁当を抱えてヒカリは、遠巻きに。
「じゃあどうして鈴原を殺したの?」
「僕は殺したくなんて、なかったんだ。」
ケージに収められ装甲の剥げた初号機、塗装の変わった零号機、
「でも止められなかったのも、僕だ。」
そして、弐号機は首も両腕も無く。
シンジが顔を上げ見開いた瞳には、量産機に屠られたアスカの残骸。
「なんにもしない、私を助けてくれない、抱きしめてもくれないくせにっ!!」
「ごめん、護れなかったのは、僕だ。」
大きく淡い綾波が、果てしない世界の中でシンジへと近づいていく。
「もう……一度、触れてもいい?」
「ごめん、叶えられなかったのは、僕だ。」
隣り合わせ、表裏一体、またたきの間にソレはカヲルへと変化した。
「君達には、未来が必要だ。」
「ごめん、遺された言葉を、変えてしまう弱い、僕で。」
葛城ミサトは人もまた使徒なのだと云った。
それでは、トウジを殺そうとした僕は、許されるのだろうか。
それでは、カヲル君を殺してしまった僕は。
人が使徒であるのならば、トウジを殺した事実が許される気がした。
だけど種として同義とするのであれば、
敵だと裏切ったのだと、
カヲル君を、
殺した
僕は。
血まみれで、初めて逢った頃の綾波のよう、包帯をぐるぐるに巻いたアスカは、
吐き捨てる、呪いの言葉を。
「 き も ち わ る い 」
それは、
始まりの終わり。
終わりの始まり。
本当は、誰も僕の事を人殺しなんて言っていないよ。知ってる。
でも言わないだけで、思っているかも知れないじゃないか。
そう思う度に、しょうがなかったんだって、ヒトだってシトだって、敵だったんだからって。
だけど僕は、
アスカを壊し、
綾波を殺した、
エヴァが取り込んだ使徒以降の使徒、人の心に触れてみようとする使徒の中で、
君に出逢えた事が、
生まれてきた理由とはいえないけれど、逢えて、嬉しかったよ。
思えば思う程、使徒が人だとは考えないようにする。
だけどトウジを殺した免罪符だから、手放せないまま。
だいすきなぬいぐるみなのに、叩き壊したくなるような、矛盾。
それを一番知る人は、綾波が果たせなかった代わりに僕の頬に触れながら、
「 き も ち わ る い 」
これは、碇シンジ補完計画の一端。
二次へ
廻廊へ
++以下言い訳
収拾がつかず風呂敷を畳まないで逃走したパターンですねわかります。エヴァにはそれが似合うじゃないか←
考えていた事を全部詰め込んでいたら結局答えなんか出せないんじゃないか、大体本編でも出なかった答えを定義していいのか、それもこれから新作がどんな答えを提示するかわからないのに、
といった葛藤の末であって決して放置プレイではありません。決して放置プレイではありません。大事な事なので二回言いました。
本当は罵り役を全員違う人にしたかったのだけれど、ペンペンなら未だしもケンスケよりモブなクラスメイトやら艦長やら出すのは難問過ぎたという事で、冬月は、偶々であっていじめではありません。発令所三人組に負けたんだ……サハクィエルがレイなのはにんにくラーメンから来ています。
アスカとレイは別格というか、回答の差異という風に発想を転換すれば全部違うと言い張れない事も無いという事で一つ。シンジが退治したのではないものの問題もあった事ですし。
特にガギエルは、艦隊二つを費やせば死んだ点から結構弱いんじゃないかと。マトリエルに次ぐ?
なんにも〜のアスカの台詞は某ゆちゅぶで発見したものから(『エヴァ特典映像(中文版)』で検索すれば出て来ます)、もう〜のレイの台詞は漫画版から。そうしたごちゃ混ぜ具合の中でトウジは死んだ設定で。いやほらそうしないとそもそもこの話が成り立たな以下略
全使徒分を書き上げる自信が無く放置して数ヶ月、でも途中までやったのに勿体無いよなという貧乏根性により中途半端なまま某みくちにさらしていたんですが、終わらないと思ったからそうしたのに人様にお披露目したらば完成させたくなるという持病の天邪鬼が発症致しまして、二ヶ月三ヶ月経ちながら形にしました。たまには日曜十七時枠の死者バレ以外にも役立つもんです(みくちにある日記のキーワードランキングは大体その回で死んだ人の名前がランクインしている)。
因みに背景画像はもう一つのエヴァ二次、『Boy Meets Boy』のサンセットに地味に合わせていて勝手に一人でにまにましています。きもちわるい。
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