「ケフカ、どうしたの? なんだか、最近おかしいよ……」
幼子の向ける異端の眼差しに居た堪れず、名を呼ばれた当人は顔を背けた。
足下に散らばるのは、研究書類に重要文献の切り抜き、実験用の器具の破片やビーカーの残骸、色取り取りの液体は、極彩色でけばけばしい。
まるで荒れた今の彼の心、そのもののよう。
息を乱し、髪を掻き乱し、見るからに取り乱し、奇声を上げて、一頻り暴走を楽しんだケフカは、セリスのその、か細く、冷たい、拒絶さえ滲んだ恐怖の声色で、ようやく我を取り戻した。
ふっと、力無く笑って見せても、怯み竦み隅で縮み上がっている少女は、もう、笑い返してはくれなかった。
以前の、ようには。
君ノ笑顔ヲ思イ出セズニ。
何、あれ。
何、あの人。
何、何が、起こったの。
知らない。
あんな人、知らない。
私は、あんなヒト……知らない。
私設の研究室が与えられる程度には地位を会得していたケフカだったが、部下からの信頼は篤くなかった。
否、つい先日まではそれなりに高評価を得ていたのだが、このところの乱心具合と言ったら、同じ研究所の権威であるシド博士に大事に大事に守られていたセリスにも届く程の荒れっぷり。
信じる事が出来なかった。人の噂など中傷以外流行りはしない。何より共に過ごした時を、僅かであれ知るからこそ。
百聞は一見に如かずを体現するべく訪れた部屋は、とても温かく迎えてくれた。
以前と変わらず穏やかに微笑んで、茶の一杯も御馳走してくれ、他愛ない日常会話に心和ませ、何も契機など見当たらない。
しかし事実、何かを発端にして、一変してみせた。
雄叫びに程近い戦慄、
狂気を孕んだ歯茎剥き出しの笑顔、
美しかった金糸を数本引き抜いて、
纏った指は妖しく彩られ、
金色の血が流れてるみたい。
「出てってくれないか……もう、僕には構わない方がいい。」
冷徹な突き放しと感じもしなかった。身を以て体験した、全身の弥立った毛が、その通りだと必死の警告音。
どうしようもない本音が、本能が、逃走せよと掻き立てる。
小さな我が身を抱いてそれ以上の何をセリスに出来たと言うのであろうか。言われるがまま、己に従うまま、放り出されたセリスは鋼鉄の研究所を一人寂しく歩いていた。
本当は、立ち止まらなければいけなかったんじゃないだろうか。
なんとしてもあの人の傍にいて、何かしてあげるべきだったんじゃないだろうか。
何を?
してあげられるなんて大層な事、何が出来たと言うのだ、私に。
身近で変わり果てていく様に怯え、それにまたケフカが哀しそうに微笑む、そんな絵図しか思い起こせないのに。
自らの両肩を両の掌で握りしめ、必死で震えないよう、倒れないよう、内からの肯定を、ケフカの信頼が揺らいで当然だと下卑た顔で嫉むだけの輩と同類の罵倒の肯定を、どころか吐きそうになる事を、抑えつけるのに精一杯で、青褪めた顔のセリスを数人は心配げに見遣るが、掛けられる声さえ耳にはまともに入らない。
人気の無い辺りまで来て、とうとう張り詰めていた糸が切れ、眩んだように座り込む。
泣き出しはしなかった。
そんな余力さえありもしない。
凭れた薄壁の向こう、数歩先で開いたままのドアから洩れ聞こえる会話は、例のケフカを中傷する輩のものだと直ぐに悟れた。
「やっぱ、おかしいよなあいつ。」
「イカれちゃったんじゃないの? そうとしか見えない。」
「所詮は失敗作、か。」
今直ぐ割り入って中断させてやりたい。だが返す言葉も無いのに?
今直ぐこの場を立ち去りたい。それが無理なら耳を塞ぎたい。
しかし華奢な両腕はうつ伏せにならないよう、現状維持で手一杯だった。
「まだまだ人間様には魔導なんて理解出来ないんだろうな。」
「それを逸って手柄を一人占めしようなんて考えるから馬鹿を見る。」
「やはり研究は地道に一歩ずつ、だな。生き証人がいてよかったじゃないか。」
下品な嘲笑。人はこんなにも醜くなれる。
こいつらよりも、あの人の方が、おそろしいなんてどうかしている。
どうかしている、のに。
止まらない震えはそう唱えている。異常者、異端者、気が違ったのだと。
掌を返すって簡単な事ね。共にいた時間が、酷く遠くに感じる。
昨日までは、手許にあったような気もしたのに。
大人だらけで世界に染まるのは、簡単で。
誰も彼もがケフカを愚者とそやし、反論が出来ない状態になっては、自己をどう統制すべきか。
セリスの出した結論は、否定から心配へ、
やがて、
「そう言えば最近ケフカに会っとらんのう。配備が変わったと聞いたが、研究研究又研究の間に折角出来た暇じゃ。会いにでも行ってみるか?」
シドは用意された作文を昨晩練習したような、それでいて甲斐の全く見えない棒読みで提案してみた。没頭してしまう研究者の悪いくせか、例にもれず自身の生活範囲の整理整頓さえままならない部屋を、甲斐甲斐しくせっせと片づけていたセリスの手が止まる。
「会ってどうするの? まともな会話も成り立たないんじゃないかしら。」
「冷たい事を言うんだな。前はあんなに慕っていたじゃないか。」
「人って変わるものよ。それはとても身に染みていると思うけれど。」
ぐうの音も出ない。
ばっさりと切り捨てられ、計画していた予定を潰されたシドは手持ち無沙汰に手近な書類に目を通す。ふりではあるが、気まずい空気から少しでも逸らせるのであればという、逃げ。
「別におじいちゃんの所為だ、なんて思ってないわよ。現に私は私のままだし。多分ね、」
それは、誰に言い聞かせる為の魔法の呪文か。
「あの人が弱かっただけなのよ。単純に。」
それは、誰を責める為の用意された言い訳か。
「セリス、お前も変わったよ。充分に。魔力が備わってからのお前は、心做しか、冷たく見える。」
「それはどちらかと言えば研究所詰めだなんて環境の問題じゃないかしら。注入実験がきっかけだったとは、私は思ってない。」
「儂もそうは思っとらん。どちらかと言えば、……いや、やめよう。」
セリスの口語を持ち出して、語ろうとした真意。
引っ込めたのは傷つけないようか、悟るだろうと見越してか。
「取り敢えず、おじいちゃん痛風の気があるんだからこの辺の間食は全部没収ね。」
「おおっ、なんて酷い! やはり冷徹じゃ! サイボーグじゃ!」
「はい、はい。それで結構です。」
流れに掻き消した、二人分のキモチ。
「それじゃあ定例の実験があるから、行くわね。」
逃げ出した視線をシドが部屋に戻す頃には、すっかりビフォーが思い描けない整然さが広がる。
老人としての悪癖で、つい好いお嫁さんになる、なんて言いたくもなったが、代わりに立ち上がり、出かける支度。
「そうじゃな、儂もそろそろ行かねばならん。」
「今日は暇だったんじゃないの?」
「少しばかり思惑とは外れたが、予定した通りに動くさ。」
疲れた表情なのは、今し方の会話にだろうか、それともこれから会う人物に気が重たくなっているのか、どちらにしろ、セリスは顔つきを険しくし、突っ慳貪にあしらう。
「嗚呼そう。」
突き放され、立ち去るセリスを神妙な面持ちで、見つめたままシドは硬直した。
その場に立ち尽くし、ただ、立ち尽くし。
「お前は知らなんだ。今は毛嫌うようになったケフカが半ば、我が身を犠牲にした功績の上で、お前が今の状態に甘んじて落ち着けているのだと、知らなんだ。」
誰が言えよう。知る由も無い、残酷な真実。
誰が伝えよう。知る必要の、無いとは言えない。
「お前が好いたケフカだったからこそ、お前がきらってしまうというのなら、あまりに、それは、あんまりじゃ、ないのか。」
皺が刻まれ出した皮膚の上を、老人の涙はぎざぎざに進む。
剃り忘れた毛に滲んで、乾いて剥けた唇に染みる、味は、塩。
「儂だけはせめて、あいつの真実を覚えていてやらにゃ、嘗てを信じていてやらにゃ、あまりに、報われん。」
だが、止まる足。
行きたく、ない。
誰もが変わり映えに落胆する、孫のように愛するセリスと同等、孫のように気に掛けた、青年を。
「それだけが、……償いにもなりはしないが、それだけが、出来る事じゃ。」
重たい躯。
いやがる心。
引き摺って、無理矢理。
幻滅して、痛んで。
無意味な、意義ある事だと。
信じてやらにゃ。
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++以下言い訳
相変わらず病みっぱです。そんなケフセリがすきなんです。そしてその、研究所時代に必須なシドおじいちゃんも。
しかし狂乱の貴公子ケフカ様の普通ver.というものがいまいちイメージ出来ないのも事実だったりします。
だってふぉぁっふぉぁっふぉぁですよ!? どのように変人じゃなかったというんだ。お前蝶失礼。
個人的にはもう少し、セリス幼少時代の関係性を抜き出してみたいところですが、以上の理由から困難を極めております。
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