過去からの愛娘( ラブレター)


「フェイのキム!」
 嗚呼又例の病気が始まった、そう抱えた頭を重く上げれば、実に純粋な瞳で少女は此方をひたと見据え。
「フェイのキム! 今日はどっか出掛けないのか!」
 繰り返される音色は可愛らしく、特徴的なエメラルドの髪が、恐らくエメラダと言う彼女の名の由来であろうそれはもう見事なエメラルドの髪が、最近疎ましくてたまらない。
 重いだとか、うざいだとか、面倒だとか、煩わしいだとか、そこまで酷くはならないものの、何を思って自分をキムと呼び、そして改めて名を教えた後でも連呼されるのか、フェイには全く思い当たりがなかった。
「特に急ぐ用事も無いし、取り敢えず待機だよ。」
「わかった! エメラダちゃんと待ってるからフェイのキム!」
 元気いっぱいの忠実っぷり、行動の意味さえ掴めなくて、何を求めてかただひたすらに真直ぐなエメラダを見ていると、何故だろう、居た堪れなくて仕方が無い。
「……なぁ、やっぱりなんとかならないのか、それ?」
「それってなんだ? フェイのキム。」
「いや、だからそれだよ、それ。おかしいだろ、俺の名前はフェイなんだから。」
「キムはキムで、フェイはフェイだから、フェイのキムだ! 何がおかしい?」
 確かに会話をしている筈なのに一方でどうにも噛み合わない。初めてエメラダがフェイの姿を見つけた時から、彼女にとってはキムに他ならない。故に別箇の何であると、捉える素振りさえ見えはしない。
 だが、ユグドラシルに来るもっと前の、村で過ごしていた段階から記憶の無いフェイにとって、自分というのはあまりにも不安定なもの。
 成り行き任せに当て所無く旅が続いて、仲間がいる、それは確かだけれど、都度の目的は、其々の皆にとってであり、協力を望み望まれても、フェイ自身の道行きは未だ暗いものである。
 更には時折記憶までぷつっと消えてブラックアウトなんていうものだから、拠り所を欲して日々を過ごしている感も否めないフェイにしてみれば、新たな呼び名で別の誰かを重ね思い馳せるエメラダという存在は、色々な意味で、危険な。
「お前にとって、キムってなんなんだ?」
「キムはエメラダを楽しみに待ってて、エメラダもキムをずっと待ってた!」
 耀く瞳は、疑う事を知らない。
「……だったら今も何処かで、お前を待ってるんじゃないのか?」
 苦しんでいる、理由もわからない。
「キムは目の前にいる。今エメラダと一緒にいる!」
 待ち望んでいた、真実だって。

「だから違うって云ってるだろ!」

 知らず声を荒げた事実に自ら驚きを隠せないフェイはしかし、目の前の少女が涙ぐみ、文字通り全身を膨らませて今にもはちきれんとする姿を気遣う。
「や、ごめん、俺」
「キムの馬鹿! キムはキムでしかないのに、ずっとエメラダを待ってるって云ったのに、キムはずっとエメラダを忘れて一人にさせて、待ってるって云ったのに!!」
 ぼろぼろ、大粒の雫が生まれては、床を濡らしても直ぐに蒸発してエメラダの中へと帰っていく。ナノマシンの集合体でも、涙を流すのか、不謹慎な考えが過ぎるフェイを知らずエメラダは激情のまま捲くし立て。
「なんで、なんでそんな事、言う。エメラダの事、もう要らないのか。逢える日を楽しみにしてるって云ってたのに、エメラダなんていなくても、キムはもういいのか。ずっと、待ってたのに
――――
 言葉に詰まって、真っ赤な頬が俯いて、止まらない流出にエメラダ自身も途惑ったまま、小さな躯を強張らせていく。

「キムの嘘吐き!!」

 たまらず駆け出した速度に自動ドアが反応し切れず破壊という形で通過した後姿に、やるせない、蟠り。
 フェイも又立ち尽くし、呆然と、何も出来ずただ、エメラダを深く深く傷つけたのだという事だけは刻まれた。
「いけませんねぇ、フェイさん。女性の扱いというものがなっていません。」
「メイソン郷! いたのか!」
 気配すら存ぜぬ人物に心臓が飛び出す勢いで撥ねるフェイの後ろで飄々と佇み、メイソンはちっちと指を振る。
「初めからいましたとも。このメイソン、いつでも皆さんがほっと一息つけるよう、此処で過ごしている事が誇りです。」
 銀食器を丁寧に拭いては、側らに置き、又別の銀食器を取り出して、一連の流れがあまりに美し過ぎて自然な風景のように馴染んだそれを胸張るメイソンの天晴な忠心に少しだけ和らいで、
「取り敢えず、動揺した心を落ち着けるには特製のハーブティーが打って付けで御座います。」
「それじゃ……それじゃ、一杯貰える?」
「喜んで。」
 それこそが彼の望む本分であると。フェイには無い、確固たる信念が眩しく見えた。



「おばさん。」
 全く以て甚だ失礼な呼び名に慣れず、思わず険悪な目付きになるエリィは背後に、恐れ知らずにそう呼ぶたった一人の少女を見止めた。
「あ、の、ね。何度も言うけど、私はエリィ。まだおばさん、なんて歳じゃないんだから。」
「いいからおばさん。ちょっと来て。」
「嗚呼、フェイの気持ちがわかるわ。」
 改める気のこれっぽちも無い様子に思わず吐いた愚痴、ぐいぐい服の端を引っ張りいずこかへ連れ立とうとしていた背中は過敏に反応して振り返り、エメラダの俊敏さに驚きながらその怒りの形相、凄まじいまでの剣幕にたじろぎエリィは一歩下がる。
「キムはフェイだからフェイのキムなの!」
 だが逃げるを良しとせず一歩分を又詰め寄って、ずりずりずりずり追い詰められ壁に背中が付いた瞬間にエリィは降参した。
「わかった、悪かったわ。ごめんなさい。」
 決着に納得したのか、エメラダは鼻を鳴らして再び向きを変え、付いて来てと言った進路を進む。一瞬躊躇いもしたが、思い悩んだようなエメラダの横顔にエリィは渋々腹を決めた。
「それで? 何処に連れて行きたいの?」
「黙って付いて来ればいいの!」
「ねぇ、なんで怒ってるのよ? 私が怒らせる前からなんだかこわかったわよ。」
「黙って付いて来ればいいの!!」
 前で揺れるエメラルドの美しさとは裏腹につんけんした態度で、大人の余裕とやらを欠きつつあるエリィも声に如実にその色を見せ始めながら、それでもと近付くのは歩み寄り。
「話ぐらいしてくれたっていいじゃない。」
 早歩きして回り込んだ先の表情は、既に声程の怒りは見えなかったが、落ち込んだよう、憮然としている。
「私の事、きらいでもいいから、私はあなたの事、知りたいって思う。」
 腰を屈め、肩に手を置き、目線を同じに。真摯な態度のエリィを間近に、エメラダは顔色を変える事無く無言を差し出す。
「……いいわ。今直ぐじゃ、なくたっていいから、少しずつ、仲良くしなくてもいいから、あなたの事、教えて? 何がいやだったり、何をして欲しくないとか、そんな事からで、いいから。」
「おばさん、きらい。」
「それは知ってるわ。」
 頑ななまでに嫌悪を以てしか答えてくれないエメラダに、挫けたよう、ため息と共に諦めを提示していても、隠せない翳は、傷ついた証。思わずエメラダは口を開いたが、しかし何も発する事無く、再び閉じる。
 だが確かに垣間見た、揺れるビー玉に痛みが伴って、感じる事が出来る、気が付いていく事が出来るのだと。
 それなら、例えゆっくりでも、全然進まないように思えても、きっと僅かの変化は期待出来ると、エリィは引き下がった。
「おばさん、きらい。」
「そうね。ちょっとつらいけど。」
「フェイのキムも、きらい。」
 聞き慣れた筈の二つのフレーズが有り得ない接触を果たした事にエリィは眉を顰め、表さないよう努めて穏やかに会話を続ける。
「……。あんなに、なついていたのに?」
「キムはキムじゃなくてフェイだって言う。でもキムはキムでしかないから、フェイでもキムだもん。」
「え、と。ちょっと待ってね?」
 発言者にしてみれば整理されているのだろうがエメラダの言葉は、兎角このキムという単語が絡む話はなんとも思考回路を焼き尽くす。
「でもエメラダがキムって言う度、キムは苦しそう。笑ってるのに、つらそう。キムはキムなのに、キムである事がいやなら、エメラダに出来る事なんて何もない。」
 相変わらず理解には手を焼いたが、少なくともフェイのキムと呼び続ける事に思い詰めているらしい。
「あなたにとっては、キムなんでしょう? 大事な人。」
「キムにとっては、エメラダはそうじゃない。もう、要らないんだきっと。だったら、エメラダのキムじゃない、エメラダも、キムなんかいらない。」
 小さくなるトーンは、言う度にエメラダを傷つけて、けれど認めなくてはならないと躍起になっているようにも思えて。
「一目見た時から、あなたはずっとフェイに
――――キムにくっ付いて、一緒にいたじゃない。いやだったら、要らなかったら、そんな事もさせない人だと思う、彼は。」
 エメラダはそれきり黙りこくって、ただ先導する為だけに勤しんだ。

 離れる事を不安がって、少しでも多くの時間を共にして、理解って貰いたい、知って貰いたい、自分という存在を。
 小さな躯はいつもそう訴えていた。根負けした感もあるが、健気さと、一途さと、真直ぐさに絆されて、フェイはエメラダを確かに可愛がって見える。

 埋め尽くす程のキムのワードは、ひょっとしたらまだ、自分達にも把握し切れていないエメラダの中だけの、寂しさであるとか、空白であるとか、満たす為の魔法のようなものなのだろうか。
 おばさん、だなんて失礼極まりない呼び名に大人気無くもなるけれど、それだけ、それ程、彼女にとってキムという揺るぎない指針が大切であるなら、間に割り入って、自分とキムを引き離してしまいそうな不安要素は、邪魔でたまらないのも極く自然な。
 嫉妬のようなものなのだろうか。
 彼女が彼を独占する度、エリィの胸に昇るものと同じ。

 それなら、理解し合える日も遠くは無い筈だと。

「え、何これ。」
 目の前にぶち壊された壁が披露されれば、自然と台詞は決まってくるもので。
 騒がしくない事から乱闘やら闖入の類いではないと見切ると果たして動揺というより呆れた体で、エリィは口をあんぐり開けている。
「そちらのお嬢様が盛大に壊されていきまして。」
 相槌を引き受けたのはメイソンだった。次いで、その前に座し一服していたフェイが帰って来たエメラダと予期していなかったエリィのツーショットに目をしばたかせ。
「じゃ。」
 到着するなりエメラダはひらり身を翻し、出ていこうとする。
「え、ちょ、ちょっと待って! 一体なんなの!?」
 慌てふためくエリィを捨て置きエメラダはさっさとドックの方へ足早に消えてしまった。じゃ、という台詞からして、ここが目指していた目的地には違いないのだろうが、一体全体何がしたかったのだろうか、見当が付かず立ち尽くすエリィに、同じく状況を把握出来ていないフェイののんびりとした声が掛かる。
「どうしたんだエリィ?」
「寧ろこっちの台詞なんだけど。」
「?」
「まぁまぁ。エリィさんも如何ですか、メイソン特製のハーブティーは。」
 朗らかなお誘いに、持て余したエリィは取り敢えず着席し、エメラダに設けられた茶会を素直に楽しむ事にした。



「あんたしゃん、おかちな事しゅるでしゅね。」
 愛機クレスケンスの前で整備士の邪魔になっていようとも頑として動かず岩のようなエメラダに、一際暢気な話し相手がやって来て、ド派手なピンク色の毛並みに発作的にしがみ付き、もふもふを楽しむエメラダは自身の馬鹿力を自覚しているのかまさか縊るなんて事は無かったが、チュチュを抱きしめたまま離れようとはしなかった。
「フェイしゃんがちゅきなんでちょう? だったらなんでエリィしゃんをちゅれてきて、しょのまま二人っきりに?」
 適度な力加減なのか、それとも持ち前のタフさか、チュチュは擽ったそうにしながらよしよし、背中を撫でてやる。マルーがぬいぐるみだと思い込んでいた時分そうされて、心地好かった思い出から抜粋したのだが、果たしてエメラダもやおら力を抜き始め、チュチュの鼓動に聞き入る。
「フェイのキムは、エメラダといるの、いやなんだ。」
「しょぉんな事ありましぇん。フェイしゃんはみんなに優しいでちゅ!」
 小さな拳をぐっと握って、力強さよりは可愛らしさが全面に押し出されていたが、チュチュの慰めも、再び涙に濡れ始めたエメラダの睫を止める事は出来ずに。
「でも、フェイのキムって呼ぶと、哀しそうになる。エメラダはやっとフェイのキムの傍にいる事が出来るようになったのに、フェイのキムの傍にいる事しか出来ないのに、呼ぶ事が苦しいなら、エメラダは一緒にいられない。」
「だからってぇ、恋敵に花を持たしぇるなんて恰好良しゅぎまちゅよ。」
 零れ始めた一滴一滴が、あたたかいチュチュの体毛に落ちて、直ぐにでも蒸発してエメラダの中に帰っていく。先の床の冷たさとは違い、ぬくさを引き連れた帰還は、外から内からエメラダをあたたかく包んでくれる。
「……キムは、エメラダに逢う為に、一生懸命になってた。いつも、中々上手くはいかなくて、落ち込んだり、苦しんだりしてて、そんな時はいつも、あの人と一緒にいた。エメラダが一緒にいられなくても、あの人といれば倖せそうだった。エメラダがいなくても、エメラダに出来ない事を、あの人がやるからいいんだ。」
「んー、わかりましぇんけど、それでもフェイのキムしゃんはエメラダしゃんに逢いたくて、大変でも頑張ったって事でちゅよね。それでエメラダしゃんもキムしゃんに逢いたくてずっと想ってて、それは、エメラダしゃんにしか出来ない事じゃないんでちゅか?」
「でも、もう、今は違うんだきっと。一人で、暗くて寂しいところで、エメラダは待ってたけど、フェイのキムはあったかい場所で昔より沢山の人と笑顔に囲まれてて、きっともう、エメラダなんて要らないんだ。一緒にいてもあの時の事全然思い出してくれないなら、一緒にいたらあの時の寂しさを思い出すんなら、エメラダは、やっぱりいらない。」
 はらはら、はらはら。
 留まる事を覚えず止め処無く降る艦内の雨に、チュチュは円らな瞳をエメラダに向け続け、ひたすらにその様を映し出し。
「エメラダが落ち込ませても、あの人といればフェイのキムはまた笑ってくれる。だから、エメラダはおばさんなんてきらいだけど、キムの傍にいて欲しい。」
「儚くもうちゅくしい乙女心、ってやちゅでしゅかねぇ。」
 よしよし。
 もう一度、背中を、頭を撫で回し、チュチュはエメラダを宥め、それに甘んじてエメラダも少しずつ、呼吸を整え穏やかさを取り戻してゆく。
「でもしょれじゃ、エメラダしゃんがしゃみしいままでちゅよ? じゅっと待ってたのに、逢いたかったのに、しょれでいいんでちゅか?」

「よくない、よな。」

 高みから降る声に、衝動のまま引き上げたエメラルドの頭頂部と白い毛でもふもふした顎が見事にクリーンヒット、お互いに仰け反り蹲り悶えていたが、其々にフェイとエリィが付き介抱してやると、傍らに座り込むお迎えの存在が信じられずにエメラダが瞳を丸くする。
「フェイのキム?」
 言ってからしまった、口籠もるエメラダにフェイは微笑みで返し、チュチュがそうしていたように、そっと頭を撫でた。手当ての意味も込められているのかもしれない。
「いいんだよ。俺がお前にとってキムなら、それで。」
 首を左右に力任せ振り乱し、縋るようフェイの胸元を掴んで必死にエメラダは訴える。言葉の一つ一つが、自分を傷つけても。
「でも、フェイのキムは、エメラダの事、いらない!」
「知らないだけだよ。いらないなんて、そんなの自分で云うなよ、寂しいだろ?」
「フェイのキムは、フェイで、キムじゃない!」
「お前は俺がキムだと云ったじゃないか。それが本当でも間違っていても、わかるまでは、俺はフェイのキムだと思ってるつもりだったんだけどな。」
 胸の詰まる思いで、一語一語を紡ぐ幼い少女を抱きしめて、フェイはチュチュの言う通り、優しかった。
「俺自身ブラックボックスが多過ぎるからなぁ。若しかしたら本当に、エメラダのキムなんじゃないかって、最近は感じ始めてるんだ。」
「ほん、と……?」
「だから、本当はどうかは、俺よりエメラダの方がわかってるんだろ?」
 三度目の落涙も、ただただ哀しみの色だけではなくて。
「キム、キムキムキムキムキムキム! キムキムキムキムキムキムキムキムキムキムキムキムキムキムキム、キム!!」
「わかった、わかったから連呼はやめてくれ。」
 やっぱり流れる端から消えていくけれど、帰って来る涙は、最初の痛みより、あたたかくて、二度目のぬくもりより、強かった。
「キムキムキムキムキム、キムキムキムキムキムキムキムキムキムキムキム!!!」
 苦笑いでも、痛そうじゃないなら、信じ続けていたいと、ひたすらに、逢いたかった人の名を呼ぶ。
 遙か遠い、文明(ゼボイム)からの産声を届けんと、必死に。

 待っていてくれた、あなたに。

























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++以下言い訳

あんまりキムキム乱発し過ぎて打っている自分が参ってしまいそうな連呼でした。
序でにチュチュの言葉遣いにも脳髄がやられそうです。それでも慣れている自分は自動変換出来ますが、果たしてチュチュに慣れていない人はどれだけ頭がこんがらがるのでしょうか。一つの見物ですね☆(最低だ)
エメラダは成長イベントをこなしてしまうタイプですが、技は幼い内に覚えさせて両方の全技の絵面を見るタイプでもあります。
成長の観点から言えばさっさと大人にしてしまった方がいいらしいですが。そんなゲームのシステム上の事なんか知るか!
ゼノギファン全員が思うであろう、一番見たいエメラダイベントはDISC2であっさり流されたエリィとの共同作業です!
これ絶対だね!(いーや言い過ぎだ) 如何にして溝を埋めていくのか、ぎこちない二人がどう協力し合うのか。
あーもー本当に、イベントをやらせてくれるだけの改造でいい、新たなゼノギを希望します偉い人。