「マルカー。」
 それに気がついたのは、大も小も事件なんてない、ただの日常の中で。
 唐突だと思ったけれど、考えてみれば案外以前から兆候はあったようにも取れ、結局は如何に己が鈍感であったのかという話。
「ん、どしたの?」
 弾んだ声と共に駆け寄って来て、勢い込んで腕に飛びついた少女は、悔しい事に我が双丘の数倍はふくよかな膨らみを、悪気は無いのだろうが比べて滅入りたくなるくらいには押しつけて、それよりは柔らかくない、あれでも胸と二の腕って似てるんだっけ。兎に角その体温にごろごろ喉を鳴らしながら、もう一度親友である私の名前を呼ぶ。
「マルカ。」
「だから何って。」
「なんでもなーい。」
「なんなんだ。そんなんじゃ、本当に用があった時に構って貰えないんだからね。わかってるの、シン?」
 屈託の無い頬には、少しだけ紅が差し込んでいる。それに寄り添うカーブを画きながら先で少しだけ撥ねている毛が服越しにも擽ったくて、振りほどく程では無い力で腕をずらすと、無邪気に懐いてくるその少女の鼓動が高速で心臓を打ちつけている事と、若干の震えを教えてきた。花冷えする季節だからといって寒さからではない、怯えの。
「大丈夫、マルカはきっとどんな時でも呆れてでも、私に構ってるって信じてるもん。」
 どうやらこの少女、取り得も特徴も思い当たらないこのワタシに恋をしているらしい。


 未発達、一瞬。


「ねー。絶対あれはもう、恋してる乙女ってやつだよねー。」
 クラスメイトの女子が、チャイムの音と共に三つ向こうにある自身のクラスへと帰っていったシンを確認してから忍び寄って来て、これっぽっちも隠す気の無い耳打ちで妙に興奮気味に伝えてくる。それに合わせておそらく彼女が所属しているグループ繋がりであろう、女子がわらわらと群がってきて、おかしいなシンが帰ったのは授業を伝える始業ベルが鳴ったからなのに準備とかしなくていいのかな。きっとそんな事を伝えたら真面目ちゃんーとか、茶化す系統か派閥の少女達は、教室の中に自分達で枠を作り私を囲って出来た園に不粋な花を広げていく。
「普通、休み時間ごとにいちいちクラスから飛んで来る? んでベタベタする? 幾ら親友だからってさー。」
「そういう付き合い方も、あるんじゃないの?」
 事も無げに言ったのは紛れも無く本心であり、大体始めの頃からシンという少女はあんな体だったから、気にした事自体が無かった。
「っや、あれは異常の範疇でしょう。」
「そんなもんかなぁ。」
「レズビアンって、まじにいるんだ。こんな身近なんて、ちょっと気持ち悪。」
 嗜める者は誰もいない。悪口なのは確実なのに、けらけら笑い合うきっかけのようで、腹立たしくは無かったけれど、居心地は大変に悪い。
 二回目のチャイムと共に入場してきた教師の姿に蜘蛛の子よりも早く広くとっ散らばって、あたふた準備に追われる姿は、自業自得がお似合いの。
 反りが合わないとばっさり斬り捨てる程薄情にはなれず、趣味の一つも通わない彼女達との適当な会話も、全てが空虚な訳ではない。
 ただ人懐っこいだけだと、それ以上に考えもしなかったシンの態度が、よくよく見なくとも恋情から来るものだと、一番の親友が気がついたのは一応、始めに駆け寄ってきた少女のお蔭なのだからして。
「……ふーん。そっか、そうなんだ。」
 合点と納得に一人ごちる言葉を訝って、隣の席の男子が視線を送る。教師の始めた授業内容では、今のところは相槌を打つべき場面でもなかったから。



 待ち合わせをして帰り道を同伴するのはいつから決まったのやら忘れかけた当たり前。縛られる感触がたまに面倒だったり億劫だったりもするけれど、概ねは楽しく愉快な帰路。
 水曜日はいつも、シンの委員会が終わるのを待つ為暫し校舎入口に立ちんぼするのが定番で、大抵は今週何処のグループのCDが出たっけかなとか、今度隣駅のデパートでセールが始まるんだよなとか、日常の些細を考える時間に費やして、今日もまた、日常を考えるという点では大差無い。
「そうかー……シン、私の事すきだったんだなぁ。」
 何度口に出しても、頷く他無い。現実感が無い訳ではなく、寧ろ思い当たる事項が多過ぎる。一体どれだけニブチンだったのかと項垂れそうにこそなるが、その後ろで気がつこうとしなければただの友達の域を出ない接し方に密やかな愛を込めていたシンはどのような心情であったのか、そして感知しないという無自覚な残酷で流される事に関してどのように捉えていたのか、そんな事ばかりが気になる。

 自分の性癖を言えば、間違いなくドノーマルである。パンを加えて角でぶつかるだの本屋で物色中に手が触れ合うだの使い古されたシチュエーションにはこれっぽちも惹かれないが、キスもハグもその続きも、体験はしたいし興味はある。
 そしてそういった対象としてシンを捉えた事が無ければ、今日一日仮定してみたものの全くと言っていい程トキメキはない。
 まぁ、だからノーマルだって、そしてアブノーマルだって呼ぶんだろうけど。
 だが、同窓の女子のように振舞いたいかと問われると断固ノーだ。誰が誰をすきになったってそんなもの自由だし、いっその事本人にすらその権限は無かったりして、たまたまシンがすきになった相手(じぶん)が女性だったから揶揄されるなら、じゃあ女に生まれてしまった私にも問題があるんじゃないだろうか。そういう類いの冗句にしか聞こえない。

 愛の形が双方同じでなければ、通じ合わないものなのだろうか。
 とすると私が友達として思慕し、彼女は恋慕を持って接し、それでも続いたこの関係は歪と呼ぶ他無いのだろうか。
 だけど立場が違ったら、向ける愛の形なんてバラバラで。男と女の愛の形がぴったり一致する事なんて無いし、親子愛だって、一方は育て守ろうと、一方は無条件に絶対の世界。ほら、てんで違うもの。
 だったら友情と恋情だって、釣り合ってもいい筈というのは、強引?
 だってシンが私を好いてくれる事、いやじゃなかった。うれしかった。とても、純粋に。
 重ならない想いの延長線上、躯の欲求までを望まれたら残念ながら答えられないし、そうなれないのなら離れていくと言うのなら、それもまぁ仕方のない事なのかなとは思う。互い譲り合ってまで無理矢理保つのは拷問だ。
 かと言って、まだその段階に達していない現状を壊さなくちゃいけない理由なんて、

 無いよ。

 それともこれが傲慢なんだろうか。彼女が恋でもって接するのなら、それを判った上で同じ質のものにならないのなら、はぐらかしているとか遊んでいるとか取られてしまうんだろうか。
 大切な人だと思っている。力になりたい、傍にいたい、この思いは絶対に嘘なんかじゃない。
 でも、恋でもまた、無い。
 親友の域をややはみ出る程度のスキンシップは、シンにとっては甘んじている事なのだろうか。多感な周囲に私があなたが二人が疎外される事を、或いは私にあなたが拒絶される事を、おそれて懸命に何処までなら大丈夫と線引きをして、我慢に苦しんでの境界線なのだろうか。
 だとしたら、言ってあげなくちゃいけない。私は今のままでもいいけれど、あなたが今のままが本当にいいの?
 そうしたら、どうなるんだろう。それでもいいと嘘の笑顔を零すのか、それならいいと泣きながら去っていくのか。結局離別を伴うのは、毛色の違いのせいなのか。
 難しいね。
 きっと、友愛って言葉が世間様に浸透していないのが悪いんだ。
 だってそれ以外理由が無いじゃない。
 友としての愛の形だって、立派な愛の一つだと、今考えた私が思うのだから。



「ごめん、お待たせ!」
 息を切らせ肩を上下させ必死に、努めて早くやって来たのだろうシンはそれでも、泣きそうな顔。いつもいつもこの曜日はそう。
 待たせる事の痛みか、帰ってしまうのではないかという不安か、帰っていなかった事への安堵か。
「罰として買い食い付き合ってね。」
 何れにせよ、それはシンのプライバシーだ。
 割り切り、先週や先々週と同じように溌剌と笑みを向け早く帰ろうと水を向けると、シンは子供のように口を尖らせて拗ねたフリをしていた。
「今月もうピンチなんだよねぇ。安めにしといてね。」
「いやいやそれじゃ罰にならないじゃない。アイスにタイヤキに全部奢って貰うから。」
「鬼ぃっ!」
 そろそろ来る頃だ。
 他愛ない会話をしながら校門を抜けて、道が狭くなると自然シンは腕に絡んで引き摺られるよう歩き出して、正直ちょっと重たいのだけれど、甘い匂いとぬくさが帳消しにしてくれる。
 意識的になのか無意識的になのかわからないけれど、大体同じタイミング、今日が少しだけ違うのは、此方が先に腕を差し出した事。
「マルカ?」
「何、今日はやらないの。」
「……やるー!」
 がっちりホールドされた瞬間は力強さが痛みになって、少し過剰なすり寄りは、若しかしたら淡い期待であるとか勘違いさせてしまったのやも知れない。そうしたら弄んでいる事にならないだろうか。
 嗚呼、優しくするって難しい。優しくしたいのに、優しくし過ぎたら後で余計に苦しませてしまうのだろうから。

 だったらせめて、いつだってどんな瞬間(とき)だって、あなたに優しくありたい。

「マルカ、だぁいすき。」
「私ゃ甘えんぼさんの保母さんにちょっと疲れたけどね。」
「いじめっこ!」
 一段とはしゃぐシンに引っ張られ、じゃれ合う二人を行き交う人は時に微笑ましそう時に勘繰って、様々な視線を投げかける。
 親友との帰り道としか言いようの無い幸福を、楽しむ以外の形なんて思いつかないまま、人の波を縫って、二人はいつも通りの帰路に着いた。
























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++以下言い訳

しかしマルカがそうである以上、二人に別れが訪れる場合、シンが望み過ぎたから、という事になる。親友に甘んじれば永遠の友愛が待ち、恋人と欲すれば諦めるか我慢するかを問われる。
結局それが一番残酷な気がするのはひねくれているからだろうか。マルカが軽薄な噂大すき女子達のような態度であれば、あんな奴と蔑んだり、傷つけたときらう事も出来たのに。
そんな感じで名づけの理由。
マルカ=殆どインスピ。後付けとしては、四角張ってない考え方の出来る柔軟性、そうしたものに対して丸であれば凹もうがなんであろうが丸は丸である、という彼女の有り方。丸華。
シン=新しいよりは進むの字。自分の為に、自分が行きたい道を、怖気づいても行ける芯の強さも掛けて。そう出来る、というよりはそうなれば、という淡い期待。