の代


 こじんまりとしたチャペルが、木の葉の向こうに見える。
 その木蔭のベンチに座って、いつも彼女は泣いていた。
 時に責めるよう、時に悔やむよう、時に激しく、今日は、すんすんとすすり泣いて。

 そうして拭い切れぬ涙を人知れず掃おうと、貴子は小さな肩を震わせながら顔を覆う掌から溢れ返る涙を滴らせ、相当近くに寄っても尚接近する気配に気が付く事が無かった。
 白磁の指を取り、美しい珠を吸い取るハンカチーフを差し出した、逆光でも隠せぬ穏やかな微笑みを以て細は佇み、有無を言わさず隣に腰掛ける。
 楽に二人並べる筈のスペースに敢て躯が触れ合うくらい密着して細が着席した事に、いやそれ以前に細自体の登場に、貴子は仰天の面持ちのまま固まっていたがやがて、渡されたものを思い出し濡れた顔を力任せに拭いた。
「さ、細。どうしたの、こんなところに。」
「ここは、綺麗な場所だね。街中なのに、夕日が沈んでいくのが殆ど最後まで見える。その時白い教会が真っ赤に染まって、本当に、きれいだ。」
 唐突に風景を語り出す横顔に倣い俯いていた為見る筈の無かったその名残を視界に留めると、貴子はゆっくり、ぐしゃぐしゃなままだが表情を和らげ、笑おうとしていた。
「……そう、そうなの。私、それがすきで、たまに来るのよ。」
 二人並んで見る、沈みゆく夕焼けが投影する真赤い景色。暫く黙ってそうしたまま、その内に忍び寄っていた夜は突然に辺りを支配し始めて、公園の持つ体質なのか彼方此方に独自の世界を作り上げるアベックが姿を見せ始め、空気が読めないのが自分達だと把握すると、どちらともなく立ち上がり貴子も細も何も言わずとも、目指したのは先まで眺めていた小さな小さな、今は黒いチャペル。

「この街に来て一番最初に、気に入ったのがこのチャペルなの。それから、なんとなくいつもこの辺りで、この教会が見える場所を探しちゃうんだ。」
 鼻の赤らみが取れていない以外は平時と大差無いまでに落ち着いた貴子は、両手を伸ばし子供っぽく振る舞い、無邪気を装うそんな彼女を細は相変わらずの笑みで以て見つめている。
「ごめんね……今日も、随分な戦い方、したわよね。」
 街明かりが強く星のまたたきは人の目に止まらない。街灯の下では貴子の肌はより透き通って白さを増し、その儚さが際立っている。
「やっぱりそれで、落ち込んでたんだ?」
「見透かしてるのね、細は、なんでも。」
 息を抜いて笑ってみせても、本調子でない貴子のそれは、泣き顔の続きとしか受け取れない。ペンキを塗り直した街路灯の柱に凭れて、再び込み上げてくるものを必死で抑えようと空を仰ぐと、矢張り星の無い夜空が広がっていて、それが又虚しさを掻き立てるように、逆効果だったな、貴子がごちる前に涙は頬を伝った。
「失敗と反省を繰り返すのは、成長の証だよ。よりよい明日を求め、今日に満足していない証拠だから。とても尊い事だと僕は思うけど。」
「でも、そんな私の進歩の為に誰かを巻き添えにしたり傷つけたりするようでしか、いられないなんてやっぱり私愚図ね。」
 忘れかけたはにかみの形を取り戻そうと奮闘する努力を、夕方現れた時のよう音も無く近付いた細が薄くとも貴子のより大きな掌で以て覆い隠す。
 触れはしない、握り潰しもしない、だけど落ち込ませる虚空も、奇妙に歪んだ表情も、どちらもを両方から遠ざけて。
「なんでかなぁ。なんで、上手く出来ないんだろう? 私、プリーティアなんだよね。そうしてみんなと戦うよう、運命付けられていたんでしょう?」
「いきなり現れて唐突に戦ってくれとか言い出す集団を受け入れてくれるだけ充分だよ。やった事も無い戦闘に取り組もうという意欲、大事なのはそういう気概さ。」
 直接的でない、若干汲み取り辛い慰めが、彼女専用であると果たして気が付く事は可能だろうか。
 歯の浮く台詞で納得するなら用いるだろう。しかし判り易く投げ掛ければ、気遣いに又悔やむのだろうから。
 考えた末に遠回しでしかあれない自己に歯噛みしながらも、微笑変わらず細は貴子の傍にいる。
「だからと言って卑屈になったり自分を追い込む姿は懸命とは言えないな。
 ねぇ貴子、今よりももっとと望む向上心は褒めるべき伸ばすべきものだけれど、変わるには痛みが必要なんだよ。それは自他共にだ。」
「そんなの、自己弁護だわ。欺瞞で、都合のいい建前よ。」
 不貞腐れたよう吐き捨てる貴子にめげず、根気強く細は諭し続け。
「君がおそれる気持ちは理解る。だけどそれだけじゃ進めないんだ。貴子の心の痛みも、僕らの躯の痛みも、含めて一緒に併せ呑まなくちゃ。」
 腕を掴まれた事を伝える熱に、貴子は躯を浮かせた。強くはないが、しっかりと繋がれるぬくもりが、プリートする時のよう、一体化するイメージを持たせて、本当に入り込んでくるぐらい近くにいると、安堵を教えようと、懸命な温度は、なんだか細に似つかないと。
 冷たくは無くとも、低いように感じていた間違い。熱量が、血管を遡って胸に喉に頭に、躯中を駆け巡っていく。
「今日も両方が傷を負ったけど、その分又、君は知る事が出来たじゃないか。今度同じタイプの魔妖虫に出遭った時どう対処するのが適切か、どんな戦い方をすれば被害が最小限で済むのか、知れただろう? 始めてより、前進したんだ。そう、一度も戦わないままでいるより、新たな方法を手に入れたんだ。」
「細、先生に向いてるんじゃない?」
 茶化すよう、それでも言葉は軽く、貴子には少しずつ生来の笑顔が戻り始めて。
「そうとも。個性豊かな面子と、突然巻き込まれた姫君を繋ぐパイプとしては、努めて冷静でいなければね。但し蛍の場合は少々過ぎる気もするけど。」
 揶揄に仕方無さそう、とうとう貴子はくすくす声を上げて笑い、残滓の軌道が煌々と照るランプに奇妙に浮き上がる。
「細がそうやって優しいから、つい甘えちゃうんだな。悪いくせね、弱い人間の。」
「どんどん甘えてよ。出来るなら、貴子が全部僕に預けてくれるぐらいが好ましい。」
「っやだ。なんか、恥ずかしい……」
 正常を取り戻した思考が先程周囲に取り巻いていた環境を思い出して、雰囲気が色気を伴い出した事に居辛そう、貴子は身動ぎするが細はまだ掴んだ手首を離してはくれそうにない。
「僕はいつだって貴子の傍にいる。どんな時でも、他の誰よりも、音っていうのは正直だから。微弱な変化も僕の掌の中、貴子の全てを理解出来るようこれでも頑張ってるんだよ?」
「わ、わかった、わかったから細、離して……?」
「本当にわかってくれたのかなぁ。だって結局今日も貴子は笑ったまま僕らを置いて、一人で泣いていたんだろう? 何が不安で、何がいやで、何が悪かったか、そんなの一人で考えたってぐるぐるしちゃうだけじゃないか。パートナーとして頼って貰えないくらい、そんなに僕らは信じられないの?」
 耳元で、甘い音色が誘惑する。
 音自体が膨大な熱量を保持して、吹き掛ける息が耳を通り抜け掴んだままの腕から放たれる甘やかな熱と絡み合って、溶けてしまいそうなくらい、貴子は火照る自身を悟られまいと顔を背けてみても、撥ねる心音も当たり前に細は聞き届けているだろうし、繋がった部分から高まる熱さえ感知されそうで、貴子はただただじたばたと、心の内だけでもがいている。
「僕らだって完璧じゃないから、どんな点をどう変えていくべきか、プリーティアである君自身ときちんと話し合わなくちゃいけないのに、そうやって貴子が逃げてたら、いつまでも未熟なままで成長出来やしない。貴子は僕らの事、愚図のまんまにしたいんだ。」
「ご、ごめんなさい。謝るわ。ちゃんと、今度からはちゃんと、話し合う。」
「それだけじゃ駄目。足りない。何がいやだったとか、全部言う事。それから貴子がこうした方がいいんじゃないかって思った事は、その時々に言う事。それから」
「わかった、ってば。ち、近いよ細……」
 必死で身を捩り離れようとする貴子の顔は今や真っ赤に染め上げられて、たじたじ、別の意味合いでおそれが忍んでいると把握していて楽しんでいるのだから細も隅に置けない。
 それでもようやっと右手を離し解放すると、二、三歩下がって距離を取った貴子の息は、小刻みに、始めて呼吸を覚えたかのように、たどたどしい。
「僕らが傷つくのがいやなら、もっと戦いを重ねなくちゃいけない。し、体当たりに挑まなくっちゃ。考えてくれるのは嬉しいけど、その為に足踏みしてたんじゃより僕らは傷つくし、その度貴子がこうして逃げたんじゃ、僕らもどうしたものやら頭の中だけで考えなくちゃいけなくて、ほら、お互いに不利益だろう?」
「みんなが楯になってくれるからって、何も考えずに攻撃するなんて、そんなの……」
「いや、それぐらいの姿勢が大事だよ。そうして傷つくからこそ得ていくものがあると、そう言ったじゃないか。それから、少しずつ間合いとか、タイミングとか、計っていけばいい。」
 それ以上近付きはしなかったが、ぼんやり明かり溜まりの中に浮かび上がる細の姿は、幻想めいて、現実感に欠けていた。
 つい先程まで触れていた熱は、本当に彼のものだったのだろうか。一方的に自分が高まっていただけなのではないか、貴子も又、現実を見失いかける。
「私がもっとちゃんと戦えるように、延いてはみんなを守れるように、戦いを知る為に無鉄砲に戦うの。なんだかそれって、本末転倒ね。」
「何、物事なんて案外とそんなものばかりさ。」
 幾分か朗らかに微笑みを変えて、細が言い切る頃には夜気に冷まされ肌寒さに貴子は震えを思い出す。
 一歩、動いた細に何度目かびくつきながらも、羽織っていた上着を掛けてくれる、だなんて物語の中の紳士のみがやりそうな行ないを素で披露するものだから、ゆるやかに警戒心はほどけ貴子は再び、くすくす、小さな声を上げた。
「本当、細にはして欲しい事とか、筒抜けなのね。」
「そうそう、だから隠すだけ時間の無駄、ってやつだよ。」
 一枚足した服越しの、肩に回された細の手は、もうぬくもりを感じるには遠い。だが背を押す力は優しかったから、貴子はもう強張る事無く、細の隣を平然と歩いた。
「でも、いっそこれぐらい丸見えになっちゃってるなら、本当身構えるだけ無駄、って感じるわ。うん、もっと、みんなに(あまえら)れるよう、頑張る。」
「うん、待ってる。」
 おかしな問答だと、二人笑い合えば、しこりはよすがへ形を変えて、始まり始めた夜を縫い、闇に溶けながら闇より浮き立つチャペルを離れた。


 僕は、君が何を求めているのか知っている。
 どんな、人が。
 どんな、事を。
 どんな、風に。
 僕は、君が僕に何を求めているのか知っている。

 だから心なんて、直隠せる。
 だから欲なんて、押し殺せる。

 慕う思いも、触れるぬくもりも、抱きしめたい衝動も、何もかもを飲み込んで。
 幾らだって道化を望める。

「嗚呼でもちょっと、抑え切れて無かったかな。」
「え?」
「ううん、なんでも。」

 時に首をもたげ覗かせる本心なんて、君の望みに比べたら。
 想うが故に虐げる、己を飼い慣らせると信じて、細は相変わらず柔和に微笑みながら、今も静かに貴子の傍を並んで歩くだけ。
 ただ歩くだけにさえ、精一杯心を砕きながら。その時点で既にだいぶの負荷が掛かっていると、知らずにいられるからピエロ。

























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++以下言い訳

公然のラブラブっぷりを発揮出来ない二人がすきです。故に闇カポー愛というのもありますが、こうやって人間としての距離を縮めながらも男女としてはいけないのだと葛藤する細んがラヴいんです。
だからといってちょっと萌えを与え過ぎたでしょうか。いやでもなぁ、男慣れしてそうじゃないんだ、貴子。それを踏まえると茹蛸っても仕方が無いんじゃなかろうか。まぁ、報われない彼への同情の提供だと思ってお許し下されば。

いつなんの二次をしていてもそうなんですが果たして口調とか動作とかあってるんだろうか、と。
そりゃそれなりに愛するからこそ自分の中で捏造して動かしている訳ですから多少はあっているだろうし多分に間違っているんでしょうが。
だからぴったり整合性が取れているなんて事を求めてはいないし味と見做せばいいんですが、そこまで大幅に反れまくるのも、前置きが必要になりますからね。要研究。むぅ。