「薫さん、悪いんだけどお買い物頼める?」
洗濯日和の晴天に白い衣を気持ちよくはためかせ、沢山の衣服が泳ぐ日常の風景。自ら成した大業に天晴と胸を張っているところへお近が声をかけてきた。
紐で縛っていた裾を伸ばし伸ばし、居住まいを直すと要望の一覧をしたためた走り書きを手渡される。
「ちょっと場所が判りづらいお店もあるから、休憩がてら誰かと一緒に行くといいわ。」
「えぇ、それは構わないけど。」
忍びとしての裏家業の他、葵屋は表の面でも繁盛仕切り、繁忙期からは収まったものの見渡してみても、手の空いていそうな人間は誰一人としていない。
だからこそわざわざ土地勘の薄い薫にまでお鉢が回ってきたのだろうが、さてどうしてものか。
あぐねていると、物陰に潜み瞑想に耽る蒼紫の姿がそこにあった。
何もないようで、何かはある関係。
京都へ訪れるという事は葵屋へ遊びに行くという事と同義である。一週間は滞在しているが周囲の遠慮も聞かず勝手知ったる他人の家、宿賃代わりに家事手伝いをこなしており、剣心も忙しなげに使い走らされていた。つまりは、いつも通りの事。
すっかり馴染んでいながらにして、やはり東京とは一味違う町並みや活気に、普段なら操を引き連れうきうきしながらあちらこちらへふらついてしまうのだが。
あっさりと同行してくれたのはよいものの、終始無言の上仏頂面で隣を歩く蒼紫が放つ空気に、すっかりたじろぎ薫は萎縮してしまっていた。
そもそも何故蒼紫に案内など頼んでしまったか。判断の奇抜さに自らため息を吐き、どうしようもない失敗である事実は認めざるを得ない。確かにたまたま目についたというのか所謂、つい、であるのだが、それにしたってこれだけ居た堪れない相手はいないだろう。
心做し歩く姿も緊張を纏いしゃんとして、かちこちになりながら薫が横目でちらり見た蒼紫は瞼を閉じたまま、しかし何にぶつかる事も無く平然と歩いていた。実際そんな場面に出くわしたら和むどころかかける言葉も更に困窮する事になるのであろうが。
いまいち人物像を把握出来ず、それは付き合いの無さから仕方のない事でもある。取っつき難い人だと、それ以外に取り立てた印象も無い。
酷く気まずい思いの道中、掴み損ねた蒼紫という人間と、これまでどんな関わりがあっただろうかと振り返ってみる。
始めて認識したのは、人伝の噂。剣心や左之助の会話から、屈強な敵であったとだけ。
操から散々聞かされたものも主観のノロケを外してみれば、なんとまぁ突っ慳貪な性格らしい。
顔を合わせた日は既に、同志として剣心と共に激闘の末帰ってきた姿であったが、同時に世話になっていた翁を痛めつけもしたのだと思うと、恐ろしさは拭えなかった。
帰還後暫し寝込んだと思えば寺に籠り自身を見つめ直していると、そんな邪魔を出来る程野暮ではない。
思い出らしきものさえ思い返せないのも至極当然なすれ違いっぷりである。
ただ一つ、強く結びつくのは、縁との私闘。
これまた人伝なのが情けないが、偽装された自らの死を暴き事態を好転に向かわせた鍵こそ、蒼紫だった、らしい。
その後京都に帰るまでは共に道場で過ごした仲だが、一対一の場面が訪れる事も無く、何れにしても難しい関係には変わりが無い。
だが、少なくとも今は、悪い人ではないのだ。
自分や、剣心や、操を傷つけたり、脅かしたりする、敵ではないのだ。
確認を終えると、いつまでも気を張っていたって仕様が無い、肩を下ろし、遂に沈黙を破る。
「あの、蒼紫、さん?」
瞑っていた目を薄く開いて、竦み上がるような冷たい瞳が覗く。
「えと、あの、なんだ、その……」
切り出したはいいが、何を語ればよいものやら、もごもご、結局形にはならず尻すぼみに終わる。
嗚呼、何やってんのかしら。
わざわざ反応を示してくれたというのに、今出せるものといったらため息っきり。
沈黙が気まずいのなら、話せばいい。
何を話せばいいのか判らないなら、話したい事を話せばいい。
それにしたって、蒼紫と何を語らえばよいというのやら。
再び思い悩み始めてしまった薫を他所に、蒼紫は相も変わらず黙り込み。
そして薫も再び居た堪れず、場面はひたすら繰り返す。
えぇい、ままよ!
女は度胸!
「剣心ったらね、京都に来るまで、殆どあなたの話ばかりだったんですよ。操ちゃんや葵屋のみんなの話になっても、すぐあなたに繋がっちゃうんです。やっぱり数少ない、背中を預けられる、頼りになる人だからかなぁ。」
二人の共通といったら、剣心か操しかない。極く自然な回路で無理に話し出した声は少々上擦っていたが、蒼紫は特に何も指摘しては来なかった。
「前は、うん、自分の昔を知る人がいる街という意味でも、昔そのものへの禍根もあって、中々京都には来づらかったみたいだけど、最近は結構、自分から誘うんです。たまの遠出といったら全部京都(。勿論私も好きだし、嬉しいし、楽しいんですけどね?」
やがて火がつき始めたか、滑りも順調薫はすっかり明るい面持ちで蒼紫に語っていた。
「操ちゃんともね、言ってたんですけど剣心って妙なところで随分と、抜けてるっていうのかな、変なところがあるよねって。拘りとか、習慣とか、ちょっと世間とずれてて、なんかそこがかわいいよねぇって。」
盛り上がっている時に現実に気がつくと、急激に羞恥心が押し寄せるもので。変わらない蒼紫の態度に引き戻されて、薫は頬を赤く染めて慌てふためき出した。
「あ、あ、別にのろけてるとかじゃなくって、勿論操ちゃんは剣心がどうのこうのじゃなくって、その、お互いにそういうところが気になるんだよねって、あああだからつまり、蒼紫さんの事なんですけど!」
逃げ出す筈がより深い泥沼に、飛び火の操へは胸中で謝りながら、やはり蒼紫は顔色一つ変えず静かに並んで歩くだけ。
失敗を悟り薫が再び口を噤めば、賑わう街を他所に二人は再三の沈黙の闇へ。
きらいだとか苦手だとか、多分それ以前の問題。
空回る一方に押し黙る一方では、努力に反比例して事態を危うくしかしない。
話す事さえ気まずいのなら、余計な事を口走る前に黙ればいい。
だけどぎこちないまま、ありたくはないと。
何故? そう、思ったのか。
「……ありがとう、御座いました。」
過去形の謝恩に、蒼紫は涼やかな眼差しで薫を捉える。急き焦り先走っていた口調とは打って変わって穏やかな、表情をゆったりと微笑みに変えて薫は蒼紫に向かい合った。
「東京で、助けて、くれたでしょう? 剣心を、私達を。」
剣心の仲間だから。
操の大切な人だから。
それより何より、近づきたいと思ったのは。
「きっと、あなたがいてくれなかったら、もっとずっとみんなが苦しんだんだろうし、事態も全然変わってたのかも知れない。なんて、そこにいなかった私が言うのもおかしな話なんですけど。」
直接的だって間接的だって関係ない。
救けて、くれた。
希望の灯を点し、向かうべき道を示してくれた。それがどれだけの救いだったかなんて、だからやっぱり、わからないけれど。
「いてくれて、よかったって、思うから。ありがとう。」
照れたようにはにかむ薫の言葉を受け取って、勿論の事蒼紫は特に何も言いはしなかったけれど。
僅か、口角が、緩んだ、ような。
思い込みだって、思い違いだっていい。ささやかな変化が己の心情にのみ来たしたのだとしても、何かが変わったのなら、自ずと全てが変わり始める。
「そんな無口で不愛想だと、いつか操ちゃんにも呆れられちゃいますよ。」
余計なお世話は、根っから冷たい訳ではないとわかっているから、或いはそう信じたいと願う心から。
本質を理解し始めるにはまだ遠く、それでも少しだけ気まずさを解消して、薫の明るい少女そのものの笑顔は、蒼紫の仏頂面と共に、帰宅するまで暫く続く。
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++以下言い訳
途中のものを発掘したので手直ししてみました。故になんだかぎこちないです。あ、いつもの事か☆
何を思ってか蒼紫と薫。なんでるろ剣で敢てそのチョイス。
大体思う事は書き散らしたのですが、薫視点だと子供っぽくしてしまうのは自分がそう捉えてしまっているからでしょうか。
しかし二人で頻繁(かどうかは微妙ですが)(あくまで自分の想像の話である点も含め)に京都に来るのならもうめおとなんじゃないでしょうか二人。しかし展開を見るにまだまだうぶっぽい。
……まぁほら、未来は確定している訳ですし! 星霜編はちょっとパラレルの気持ちですが。
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