優しく押し寄せて、触れようとすれば遠ざかっていく、波の揺らめきを眺めながら、丸めて蹲るその背中。
夕暮れが忍んで来る遙か前の青空から、一日中そうしているものだからいい加減どうしたものやらラクスは砂浜に降り立つと、ささやかな足跡を残しながらその肩にそっと触れた。
「キラ? もう、風がだいぶ冷たくなっています。そろそろ……」
「うん、ごめん。」
このやり取りも、ラクスの言葉は変われどキラの返答は全くぶれずに繰り返されて、そして微動だにしないのも、そのまま。
だが最早すごすご引き下がるには本当に、躯に障るくらい潮風が厳しさを増している事もありラクスは食い下がる。
「昼食も取らずにずっとでは、堪えてしまいます。今は夕飯が用意出来ていますから、せめて一緒にお食事くらいはして下さらないと、私さみしくて参ってしまいますわ。」
悪戯っぽく微笑みながら、優雅で柔らかなフレアースカートが汚れる事に躊躇い無く腰を下ろすと、ひんやりした砂が僅かに沈んで、キラは横目でそれを確認すると再び何処を見るともなく明後日を見つめ続ける。
「砂浜にいるとね、思い出すんだ。砂漠に降りた頃を……」
それはラクスが宇宙でアークエンジェルに回収され、そして離れてから辿った彼の軌跡。
聞く事は出来ても介入は決して出来ない、彼の思い出。
nostalgie-ノスタルジー
昼間は威力を遺憾無く見せつけるよう照る太陽が、宵闇が忍ぶに連れ急激に隠れてはあたためられた空気も掻き消える。
砂漠の寒暖差は尋常では無く、幾ら精巧な機体に乗り込んでいたとしても背を昇る悪寒にたまらずキラは身震いした。
瞬間、モニター越しに微弱の砂嵐に合わせて華やかな髪が舞い踊り、拗ねた様子のフレイが何事か言いたげにしているのを見取って、籠の蓋を開き顔を合わせる。
「キラ? もう、風も冷たくなってきたわ。まだ終わらないの?」
「うん、ごめん。」
その返答を始めから理解していたかのように、フレイは自分がキラの元までいけるようストライクを動かせと合図する。差し出された大きな大きな機械の掌から乗り込み、きゅうきゅうコックピットに収まると、真っ赤な髪と共に侵入した砂が口内にまで及びそうで、だがすり寄ってくるフレイが苦しくないようにと体制をずらしながら、迎え入れる。
偶然持ち寄った毛布は、どう考えてもフレイは己の為に持ってきたのであろうが、なんて素敵なタイミングにキラが乞えば、悪戯っぽくどうしようかなーなんて迷う素振りを見せながら、二人に掛けるには少し小さな毛布はつんつるてんで。
クルーとして活躍する級友達にさえ置いてけぼりに、フレイはここのところ特に不満な様子だった。勿論、今や攻守の要と言って遜色無いキラが相手を出来るだけの余暇が与えられる筈も無く、こうして自主的にフレイが訪れる事でしか、キラは人のぬくもりすら忘れそうな程忙殺させられていた。
「まぁったく、調査だのなんだのって、結局敵が訪れるまで待機って事なんでしょう? だったらアークエンジェルの性能に頼るべきで、キラをこんな風に利用するべきじゃないわ。」
「それは、でも、しょうがないよ。」
「だってそれじゃ、いざっていう時戦えなくなるかも知れないじゃないの!」
躱そうとして失敗すればフレイは剣幕で詰め寄り、敵陣という事もあり常に命の危険に曝されている事を考えれば別段おかしな態度でもないのだが。
「今従わなくちゃ、それこそいざっていう時に戦わせて貰えなくなるよ。」
急拵えの軍人にしても一応は上官に従わなければならないキラとしては、彼女程不満を持ってはいないようだった。
神経をすり減らす操縦に戦闘、一般人だと猛抗議してみせても実状として頼らざるを得ないのが自分であると自覚している分、なんとか持ち応えているのだろう。
砂漠上陸時は中々の暴言を吐いた事もあり、アークエンジェルの指揮官らはキラに不安そうな、ともすれば苦い顔をしている。だからこそ、今は静かに従わなければ。
納得したのかそれ以上癇癪を起こす事をやめて、フレイは身をこれでもかキラに密着させて共に面白くも無い、モニターに映し出される閑寂とした夜の砂漠を眺めた。
フレイにしてみれば、雑用にかまけさせるくらいなら口火を切ってド本丸突入くらいして貰えないのならば、こんな事で消耗させるなどとは考えられない愚策。
彼を酷使すべき場は、戦場でなくてはならない。敵を斬って討って滅して、そして倒れてくれなくては。
困るのだから。
「これでもね、暇っていう程じゃないのよ。満足な道具も無いのに砂漠でも美貌を保つには、大変なんだから。」
見てよ、と摘ままれた毛先は確かに健常な日々より色つやを失って、肌もなんだか荒れている。無論、戦渦の中保湿だのなんだの言っているのは場違いこの上無いのだが。
「大丈夫だよ、じきに厳しい局面は抜けるさ。僕がちゃんと、フレイを護るから。」
「……うれしい。」
妖しげな笑みと共に口づけを深く深く落として、交わす視線は至近距離、手狭なコックピット内にあってこれでもか二人は繋がろうと。
不安も、さみしさも、背徳感も、薙ぎ払おうと、必死になって。
指先は組んず解れつ、髪は混ざり合って、そこはもう、互いだけの世界。
計器類の音も光も届かない暗闇に、二人だけが飛んでいる。
光源が無いのにフレイの躯はきらきら目映く、汗の一つさえいとおしい。
窮屈さを微塵も感じずに、ただキラは今其処にある唯一の存在をのがすまいと、必死に掻きいだいては。
向けられる笑みは、どんな色合いで、どんな意味合いで。
それでも戦士としてではなく兵器としてではなくキラをキラとして受け入れてくれるたった一人だと思い込む事で、それは極上の花園に変わる。
躯が咥えた裸の体温に、フレイは満足げな表情だったが、やがて滴る汗の粒が涙に取って代わると、気づけば宇宙の虚空で、彼女は泣いていた。
「キラ……」
届かない光の偶像は、今度はフレイが必死に縋りつく番だと交代した役割。
乱れた衣服を整える間も無く肌を曝しながらキラは背を向け駆け出していた。
「間違っていたんだ、こんなの、こんな、僕らは……っ!」
何が、過ち?
友を傷つけ裏切ってまで、繋がった二人の精神?
結局誰よりも兵士としてキラを見、戦いに駆り立てたフレイの精神?
それを甘んじて受け入れるフリ、そっと瞼を瞑り見逃す事で保った、キラの精神?
何が、過ち?
「キラ……」
美麗な肉体が惜しげもなく脳裏に浮かぶ。
妖艶な指先が誘い、艶めかしく全身が揺れる。
「キラ……」
程良く憎しみに染まった狂気の顔が、己が命を落とす心配よりも他の命を落とせとねだる。
孕んだのは、煮え滾って、何かももう、わからないのに。
「キラ……」
始めてまともな会話を交わした時の高圧的な態度。戦場を何ら理解せず、すぐさま日常に帰れると勘違いしていた。
おままごとだった筈の戦争を彼女が実感した日に失った命に対して、フレイは崩れ落ち、喜劇が、始まる。
「キラ……」
平穏な世界で出逢った時は、きっと顔すら覚えられてはいなかった。
そのまま戦争を知らずにいて遠くのフレイに頬染めるだけの日々か、蝕むように浪費するのだとしても近くのフレイに触れ合える日々か、
選ぶ事すら儘ならないのに、
何が、過ち?
「キラ……」
結局、置いてけぼりにしたのだ。
立場を思い出したのか、正気を取り戻したのか、なんにせよ、そう決めつける事で甘い睦言を断ち切れば。
誰かを傷つけ結局自分が一番傷つく日々から脱却出来ると、説明も弁解も前置きも無く、彼女を漂う闇に放り捨てた。
だから今フレイは泣いているのだろうか。
まるで初めて出逢った頃のよう、毎日拝んでいた狂いを忘れただの少女として、フレイが、
フレイが、
フレイが、そこにいる。
顔が。
声が。
姿が。
見える。聞こえる。今、其処にあると。
求めて手を伸ばしたのに、だからこそ霧散する集合体が儚さを思い知らせて。
とっくに無い命を惜しむのが、馬鹿馬鹿しいと今更を伝える。
自分が傷つけたとか、詭弁だな。
お互いそうなるとわかっていて、それでももうお互いしかないと、きつく抱き合ったのに。
夢から醒めたと考えれば、逃げ出せると、
生贄に、
身代わりに、
人身御供に、
広い宇宙へフレイを捧げた。
「始まりは、熱くて寒い砂漠だった、んだと思う。」
熱に浮かされたと、言い訳を忍ばせて。
「僕は、それでもあの時が無くちゃ耐えられなかった、生き延びるなんて、とても。」
疲弊し、すり切れた先に、磨耗する命は、彼女が請け負ったと。
「僕が、もっとちゃんと、しっかり……?」
たどたどしい言葉を吐き、砂を掴みながらも微弱に震える指先をラクスは包もうとした。
それを、迷いながらも振り払う。優しく拒絶され、ラクスは途惑いながら、手を引っ込める。
「いつだって、後悔しかしてないんだ、僕は。本当、駄目だな。」
傷に似た痛みは、だからこそ癒そうとすれば出来る。
決然と拒否しなければ、新しい瘡蓋さえやがて剥がれて忘れてしまって。
また、縋りたくなってしまうから。
「宇宙でも、そうだった。」
一先ずの幕が降りた、親友の愛機の爆音が、耳にこびりついて、迸る光の螺旋が、目に焼きついて、
離れない。
離れられないものは数多あれど、離れたくなかったモノはもう此処には無いのに。
「どうして僕は、僕達は……」
もう一度、波打ち際に触れようとする。
瞬時に引き下がる線は、本当は触れようとすれば簡単に届く筈なのに。
濡れる事をきらって? 実現しなければ夢だと信じられる心を誤魔化す為?
「でも、今。生きていますわ、この世界に。それは、どうしようもなく、答えなのでしょう。」
過去は須く未来への選択でしかなく、未来は須く過去への答えでしかない。
今というのは見せかけの、存在しない夢幻。
必死に想いだけでも生かそうとする、キラの中のフレイのように。
「……だったら僕は、今に至る総てを出来得る限り沢山、ちゃんと、受け止めていたいんだ。逃げ出した痛みを、知っているんだから、ちゃんと。」
キラの中にしかいないフレイ。
キラの中に確かにあるフレイ。
生かす為に生きるのが償いだと云うなら、それも勿論詭弁の内に。
「それならばきちんと、栄養を摂取しなければいけませんわね。」
再びの悪戯っぽい声に、仕方無さそうキラは笑って、ようやく重い腰を上げると、地べたにはくっきり体重の跡が残る。
どうせ明日という未来には消え去っているであろう痕跡は、それよりも早く滑り込んだ波に飲み込まれて、
嗚呼、もう少し待っていれば、ふれあう事が出来たのに。
それは、誰に対しての、
過ちだったのか。
二次へ
廻廊へ
++以下言い訳
なんか夢せiげほごほ夢想のような感じになりましたが。語り出すのにさえ躊躇って回想に耽る沈黙のキラをこの愚図男がとラクスは思っているに違いありません。酷いなおい。
例えラクスと養生するのだとしても、それならば尚更、フレイを過去として名前を与えて欲しくない。
砂浜に、黒い夜空に、ふとした熱い陽光に、それを照り返す誰かの白い肌に、芳しいフレグランスに、フレイを感じていて欲しい。罪悪感でもなんでも、いいから。
未来に明るく羽撃く時にさえ、吹っ切れたという呼び方は相応しくなく、引き摺るとは言わなくてもいいから、それもまたキラの一部であるのだと。思っていたい。
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