ウイスキーの瓶が並んでいる。一本は既に殻で、もう一本も今まさにコップへ全てをありったけ、注いだ。
「若。もう二本目を空にしたのだから充分でしょう? そろそろ自重を。」
眼帯に覆われ見えない右側の瞳をも揺らし、シグルドが声を掛ける頃には、すっかり出来上がっている、というやつで。
「ジチョーねはいはい、いつだってしてますよーこれでも。」
「寝言を言いたいなら早く布団へ入りましょう。」
慇懃無礼なシグルドの様子にもめげず、というより到底気が行かないのだろう、自船ユグドラシルが砂漠を渡る揺れに心地好く身を任せながらバーカウンターからいつまでも離れないでいると、向こうで早々に明日分の開店準備を執り行っていたメイソンも磨いていた銀食器を置き不安そうな顔付きで見つめてくる。
「もうこれ以上は出しませんからね。若の酒癖の悪さと言ったら……」
声にこそ厳しさが混じっているが、二人共気遣いの方が強く出ている。心配される自体が煩わしく、何故って心配されるような事じゃない。
酒に溺れようとする姿さえ、みっともなくて、叱るべきだろうに。
酔いの只中で、臣下にでも八つ当たりしなければやっていけない自分が又情けなくて、金色の頭を垂らし眠りに就こうとする駄々っ子。
バルトロメイ・ファティマ。
彼は砂漠の海賊にして一国の王。親無き今、王そのものと呼ぶべき存在なのは確かだが、あくまでシンボルとして留まるに過ぎないのが実情ではある。
尤も統治力やカリスマ性に欠けるという訳では無く、遺言と己の意思により執った行動だったが、祖国を追われた彼が祖国を取り戻す為奮戦したのだとしても、突然の解放に人民が混乱を来たすのは当然であり、指導者不在は例え王族最期の総意であっても、丸投げで放り捨てて善いと解釈がなる筈も無く。
結果王様にはならないけれど位置付けは王様だよね、と言った形で進んでいるこの曖昧さ。
嗚呼、それも情けないんだよな。
眠りに入りそうなところで何度も何度も引き戻し、うとうとしていると後方からシタンの声が聞こえてきた気もするが、微睡みの位置に近くあったバルトには、言葉だけが耳を通り過ぎるのみだった。
「これは明日も二日酔いですかね?」
「ここのところ連日なのだから、そろそろ七日酔いと言ったところだ。」
含んだ笑いで朗らかに言えば返って来たのは苦笑さえ見せないシグルドの仏頂面で、シタンは机に突っ伏していたバルトの躯を椅子に座り直させてやや現実側に引き戻す。
「ほら、若君。またぐちぐちシグルドに言われながら運ばれるより自力で部屋まで戻りましょう?」
「ヒュウガ……」
旧い呼び名で、じと目を送りつつ意見としては合っているのだからと口篭るシグルドの顔をぼんやりと見ながら、バルトはまだ夢見心地で、そしてすぐさま突き付けられたのは。
「君がこんな調子になる事、フェイの本意ではないと思いますよ。」
フェイ。
その名を聞いて、冷水を浴びたよう一気に世界が回る事をやめる。
フェイ。
始めて出来た親友と呼べる存在。
フェイ。
今はもう此処にいない。
俺達が、追い出したから。
力強く立ち上がり、そのまま思惑通りバルトが部屋へと誘導されれば、残った三人組は、主にシタンを囲んでやや不穏な空気になりつつあった。
「ヒュウガ……」
先と同じ言葉だが怒りを毛色に表して、睨め付けるシグルドに微笑みで返すシタンはメイソンに一杯頼み、頼まれた方は小さくなるバルトの背を気にしていたがやがて赤ワインの入ったグラスを渡した。
「貴方もどうです?」
「嫌がらせは結構。」
体質として呑めないシグルドは友として鄭重に断るが、相席する器量は持ち合わせている。
「酷い言い方だなぁ。僕は若君に意地悪したつもりはないんですよ。」
「そんな事は判っている。若だって、ちゃんと事実を踏まえている。だが……」
「お兄ちゃんとしては心配、っと。」
再び険悪な視線を叩き付けて来たので、仕方無さそうにシタンは『部下として』に言い直した。
「無二の親友をおそれ放逐した咎を自ら許せず、現在は振るわない日々を送る。でも、いついつまでもは続けていられないでしょう?」
「…まぁ、夜な夜な俺達が制止と介助しなければならぬ程に泥酔しては、決まり文句が友への謝罪とあっては、な。此方も辛い。」
「若が不憫でなりません。きちんと、自身で判断し下した決断でしょう? 王としては、正しい筈です。」
熱っぽく拳を握り、涙ぐむのをこらえてメイソンは言うが、語尾には勿論フェイさんを知る者としては……と消え入るように続き。断ち切るように、シグルドは重い息と共に吐く。
「言うなメイソン。そこを弁えているからこそ、友としての自分を卑下しているのだから。」
お祝いには極上肉のステーキを
数日は似た様な事を繰り返し、先日も後日も進歩のないまま、バルトは果たして何日酔いなのやら悲鳴を上げる頭を抑え戦闘の真っ只中に居た。
長らく敵対していた筈のキスレブ国に自国アヴェ所縁のものがあるだけでも充分驚きなのに、それが愛機ユグドラシルとの連結機能を持ち合わせていると言うのだから、更に正確に言えばそれもまたユグドラシルと呼べるのだから、これ以上酔っ払いの脳内に複雑過ぎて面白い様相を呈さないで欲しい。
だが混乱にはまだ早く、これからが本番。
混戦模様に一石を投じたのは、見慣れた面影を残す見知らぬ機影。心強い手腕で道を易々広げ、ユグドラシルに辿り着いた少々厳つさを増したギアから、響いてきたのは何故だろう、もう何年も聞いていなかったかのような声。
「フェイっ!?」
湧くは、僖びと、期待していたのだと今認めたこころ。
ピンチの時にやってくる、ヒーローか何かと思い違いしている。
すぐさま好感情だけではない、それだけでは己を許せぬと自責が募り。
力任せ襲い来る敵を薙ぎ払っては、浮かぶ。非常事態に相応しくないと収めようとも留まらぬ人というちっぽけな生きものの心、共闘を幾度と無く繰り返した友への懺悔。
なんでだよ。
なんで来てんだよ。
なんで一緒に戦ってんだよ。
なんでなんでなんで。
なんで。
帰ってきたんだよ。
なんで。
それを僖べるんだ。
俺は。
俺が。
思い出される、空の国、カーボン漬けのフェイ、老人達の自分勝手な論議と、加わる自分の勝手な議論。
放逐されたのは、彼が彼足る理由でもあり、彼のせい、というだけでもない。
天空に座すシェバトの民を支配する恐怖、焼き付いた過ち、それはフェイの片鱗、イドと呼ばれる存在によって容易く蘇る。
見たくなかったのだ。
彼らは、再び世界が焼かれる日を。
其処に到るに不可欠な、己達の欲望を優先させた結果に起きた悲劇を。
結論としては、馬鹿馬鹿しいにも程がある、自己中心にも程がある、そして、悪魔を縛るにはそれ以上にない理由。
では、俺は?
得意の鞭を振り翳すその懐に入り込まれてしまった敵機にあわや、というところでフェイの拳が入り間一髪、ノーダメージ。
機体同士の目配せで礼も謙遜も全て済む。まるで空白の期間が無かったかのよう、互いに背を預け戦いに暮れ。
戦闘にのみ意識をのめり込まそうとすればする程、自問がよぎり邪魔をして。
ならば俺は、何を見たくなかったと。何をおそれ、フェイを。
見捨てたんだ。
フェイという援軍によってか、キスレブ首都とそれまでされてきたものの驚くべき真相によってか、勝利で飾った戦の終わり。
ブリガンディアから降りたバルト同様、ヴェルトールなのか訝しまれるそれから降りたフェイと、生身での久々の顔合わせ。
感極まって、あろう事か、バルトはいきなり殴りかかった。
「ちょっ、何してるんですか!?」
「理解に苦しむな。」
同じく戦線に立っていたビリーとリコを後ろに、唐突な再会挨拶に思わずもんどり打ったフェイだが、しばたいた瞳に映ったバルトの双眸からはらはら、雫が落ちてゆくのを見つけると口をあんぐり開けて呆けるしかなかった。
「……っんで、なんで戻ってきてんだよお前!!?」
あまりにもな第一声に、周囲には喧嘩勃発かとはらはらする民心が溢れるが、当のフェイは立ち直し土埃を払い落としつつの、気軽な口調だった。
「なんでって、そりゃ危ないって聞いたからさ。ギアも直して貰ったし、これな? 飛んできたんだ。」
聳えるヴェルトールセカンドを指差して、誰が方法を聞いたのかと詰問は続く。
「お、っ前なぁ! 俺達が何したか、わかってんのか!」
「その前に俺がした事もあるし。……と言っても、イドだけど。」
後半の翳りに、沈黙が訪れた。
理不尽な暴力は、決着の付かぬ葛藤の意。
始めて逢った日から、時に成り行き任せ、時に巻き込まれ、同じ時間を過ごし、共に協力し合い、戦ってきた。
のに。
僅かであろうと一緒に生きてきたのに、おそれから、フェイを簡単に見捨てた自分達を、どうして助けられると言うのだろう。
側にいたのだから知っている、聖人君子には程遠く、己の迷いすら確定出来ず、後ろ向きに卑屈に閉じ篭っては、なんやかや局面を突破してきたに過ぎない。
勝手におそれ、勝手に見限り、勝手に、勝手に、
勝手に。
我慢ならない駒使いを、許せる道理があると言うのならば今すぐ余さず述べてみろと、言い募りそうになって歯軋りする口元から、血の匂いが薫る。
「こわいんだよ。」
なんとか振り絞って出て来た単語に、フェイの顔貌が寂しげに歪む。
違う。
そんな事を云いたいんじゃ無いんだ。
違う。
それこそ紛れも無い本心だ。
バルトにしたって、例外ではないのだ。シェバトの老人達が身の危険を感じずにはいられない程の、憎しみの固まり、フェイの一つ、自我でも超自我でもない、確かな存在。
その揺るがない脅威を掃うは、民を束ねる国王として正しいと言うのであれば、何れ降りかかる自国への火の粉を防いだだけと言うのであれば、大声で建前だと否定してやる。
イドという”彼”に出逢ったのは、始めて視線を交わらせたのは、困窮の場面。
突然の来訪者は救いの手とならず、とどめとばかり疲弊したバルトを蹂躙し、救わんとするユグドラシルT世を破壊した、他ならぬ。
二度目に出逢った時、屈辱は忘れないと言わんばかり粋がる向こうで、自身の奥の方に感じた、躯中に刻まれた恐怖。敗北者の刻印。
圧倒的な、服従せざるを得ないような、威圧感と、実力。
そして、三度目。
フェイからイドへの変異をまざまざと見せ付けられて、蘇ったのはなんだ?
こわかった。
ただ、ひたすらに。
再び尽くせるばかりの破壊を行なわれるのかと、今度こそ骨身砕け跡形も残らない無様な姿へ変えられるのではないかと。
こわかった。
ただ、ひたすらに。
「こわくて、たまらないんだ。」
振り絞った声に、外野も静まる。ビリーは沈痛な面持ちで見つめ、リコは固くフェイから目を離さない。
他の誰にも、フェイとの思い出があり、フェイへの思い入れがあり、フェイに、おそれがある。一つの街をつい最近、破壊の限り焼いた、その人。
「……ただ、逢いたかったんだ。みんなが危ないって言われて、助けなくちゃって必死だった。
……ただ、それだけだったんだけど。ごめん。」
莫迦みたいな、素直だとか純朴を通り越して、莫迦みたいな、台詞。
俯いて下がるその腕には、フェイが此処に来れた腕輪(がある。
戦闘中伝えられた、イドの存在を推し留める力。それが故、人々はフェイへの助力を仰いだ。
第一印象は、じゃあ助けてくれだとか、そんな御都合主義じゃない。
そんなもん、糞食らえ。
制御出来るから、なんだ?
それが一番、許せない。
契機とばかり、掌返して救援を求める奴らも、その補助の手を待ち焦がれていた、自分も。
本当は、あの日を後悔した。
出てゆくしかないフェイを、見送るしか出来ない自分。
共にゆくと云えたエリーに、足踏みするしかない自分。
どうして、大丈夫だとか、守ってやるとか、そんな偽善さえ何一つ。
友に掛けてやれなかったのだろうと、悔やんでいたんだ。
だって、友達、なのに。
俺だって、逢いたかったんだ。
だって、友達、だから。
「バルト……?」
無言のまま歩み寄るバルトへ疑念の声が届く。覆い被さるように抱きしめると、フェイは息を呑み、驚きのまま固まった。
利用する為に逢いたかったんじゃない。
利用したくないから逢いたくなかったんじゃない。
「莫迦野郎……!」
裏切られても帰ってきた。
だったら、今度こそ信じなくちゃ、嘘ってもんだろう?
おそれがあるなら、一緒に乗り越える。
そうじゃなくちゃ、親友の名が泣く。
そうだ、目の前にいるフェイなら。
こんなにも簡単に抱きしめられるのだから。
「莫迦野郎………!!」
「ごめん……ただいま。」
おかえり、親友。
「祝いだチクショー! カミナリダイコンだろうがツチノコだろうがなんでも持って来い!」
拳を振り上げバルトの叫び一つ、ユグドラシルは一体となり歓喜に満ちた。葛藤を終えた二人の様子に安堵が洩れ、見守っていた二人も笑みを飾る。
「勿論、極上肉?」
笑いを乗せた口端、フェイの要求を更に豪快な笑顔で答えて。
「甘い、それもステーキだ!」
それが砂の海の男の心意気!
ポーズまでばっちり決めるとツッコミ宜しく、融けた氷はもう忘れたと言わんばかりに。
肩を組み、足並み揃え、意気揚々二人は帰還した。
おかえり、親友。
二次へ
廻廊へ
++以下言い訳
忘れがちなのですがバルトは左目に眼帯で、シグは右。いや別に本作記述中にも至って問題は無かった訳ですが。覚書。
ちなみにユグドラシルはシェバト後なのでVですが、合体したらWですが、いいじゃないか砂の海の男達は空を飛べても砂を走るさ!
他機体名等相変わらず知っている人でなければ置いてけぼり状態ぽかーんですが、まぁ気にしない気にしない。
二次創作なんて知らない人はあまり見ないさ。いやでも見てくれた人がいたら大暴言だそれ。
特にカプリング要素を含まないつもりでしたが軽くバルト×フェイなんでしょうか。
それもいいですが多分自身が書くものは前文が無ければ基本的にはカプリング嗜好はないのではないかと。
問題は寧ろ共闘メンバーがビリーとリコな点でしょうか。正直覚えてません。すきに組めたんじゃないかなと思いますが。
しーたんがいないのは、なるたけメンバーの多くを出したかったからで他意はありません。チュチュは話が混乱しそうなので避けましたが。酷し。
ゼノギはもそっと色々書いてみたい気もします。が、あれこれ取り零しが多い本編ですから他方で優れたお話を沢山目にしますので、それで満足してしまうのも実情。
あー、誰かイドたんを愛でてはくれないだろうか。自分でやるには設定が面倒臭そうなので(わ)他人様が愛でるイドたんに逢いたいです。
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