甘い、匂い。
 違う、もっと、香りのような。
 淡くて、仄かで、微かで、でも強く。

「きっとまた、逢えるわ。」

 濃い桃色が遠退く後ろに、青白い光がまたたいたのを見た。
 それも又微弱な光源だが、見つめている自分ごとをやがて飲み込んで。

「だから、だからその時まで、アーク……」

 向こうの方で、誰がか、何がかはわからないけれど。
 微笑んでいた、気がした。



 
あくまでも一つの”Parallel World”



 そんな幻想を彷徨った次は、騒音と痛みがお出迎え。
「い゜っ、てぇ。」
 見えている面が天井ではなく床だと気付いて、見事にベッドから転げ落ちた事実を悟ると、自らの寝相その凄まじさに悪態を吐きながら強打した肘をさすりつ、ぼんやり朝の陽光を薄く通すカーテンを見つめた。
「なんだっけ、今、夢を見ていた気がするんだけど……」
 寝ていたのだから当たり前、セルフツッコミを入れつつ、肝心な事はそこではない。

 どんな?
 一体、どんな夢だった?

 全容どころか色も形も匂いだって思い出せない。それも又、夢であるが故ではあるのだろうが。盛者必衰の理に倣い、秒ごと掻き消えていく鮮明。
 身を浸していた幸福感と、別れに伴う寂寞感。
 入り乱れて訳のわからない、感傷に浸っていたようで、けれど矢張り幸せに
――――包まれていたような。
 思い出せない自体がひどく切なくて、焦がすように、たゆたうように、心奥にこびり付いている。

 寝覚めの曖昧さが晴れてくると何分間も床にへたり込んで尻尾も掴めない偶像を暴こうとしている間抜けさに思い至り、流石起き抜け膂力を欠いて立ち上がるのにさえ四苦八苦しながらもリフレッシュを図るべく、勢い任せにカーテンを開く。
 外には、青空。と、電柱に電線に向かいの家。決まり切った絵面なのはだから決まり切っていたのだが、違和感を禁じえない。

 何故?
 それも又、夢に惑わされていると?

「んー、なんつーか、こう、長閑さ? が足りないっていうか、」

 もっと、もっとこう、

 きらきら、きらきら。


 何かが光っていたような。


 寝惚け眼の空想に続いて奇妙な既視感と立て続けに味わい釈然としないまま、頭を掻き振り切るように身支度を整えてから自室を出ると、リビングには当然の体で用意された朝食にありつくメイリンが、満杯に頬張った愉快な表情でお出迎え。
「ってなんでお前がいんだよ!」
 早朝第一出したツッコミを意に介さずメイリンが陽気に朝の挨拶を繰り出した。流されてそのまま挨拶を返してから、いや問題解決してないじゃん、追窮はタイミングをのがし矢張りしっくりいかないままメイリンと向かい合って腰掛ける。
「元気なのは善い事だがな、アーク。もそっと言い方ってものがあるじゃろう。大体儂への挨拶は?」
「へんっ、じーさんは若い子に朝から付き合って貰って楽しいかもしれないけどな、オレにしてみれば貴重にして平穏なブレッドタイムを失った訳だから。」
 朝食を啄む隣の”じーさん”によるお叱りが出来(しゅったい)しようとても応じず暴言を吐いていると、すかさずメイリンから強烈な足蹴りが机の下で見舞われた。
「ちょっ、んっとにお前は乱暴だな!」
 舌を出し頬と目の間を引っ張りあっかんべーするメイリンを見ないふりして”じーさん”はアークを小突く。
「これ、アーク。メイリンのように奥床しい子に向かって怒鳴り付けるではない。大体さっきっからお前は」
「どーこーが奥床しいって? っけ、耄碌してるじーさんには凶暴性がわかってないんだ。」
 今度は頭上へチョップが高らかに振り下ろされた。
「ほれ見てみろ! これの何処がオクユカシーってんだ!」
「御老人は大切にしなくちゃ駄目だろアーク!! うちのじいちゃんの教えが守れないってんなら……」
「わーかった、分かったって、全く。」
 袖を捲くりちっとも逞しくない二の腕を顕に力瘤を作ろうとするが上手くいかない。それはさて措き睨め付ける眼光の険しさに危険を察知してか渋々アークが、心中では大人の対応とでも優越感を持ちながら、引き下がる。
「全くもう。じーさま、大丈夫? アークったら乱暴な事ばかり言って。」
「よい、よい。メイリンが代わりに優しくしてくれるからのぅ。」
 朝からお小言言われ放題攻撃加えられ放題おまけに自分をほったらかして、世界名作劇場並の感動シーンを繰り広げられるものだからアークが一際小声で「勝手にやってろ。」なんて毒突いても、メイリンが再び睨みを飛ばす程度で流し。
「本当に出来た子じゃ。取り替えたいのう。」
 結局、対比され相手が褒められているという状況に拗ねているだけだと理解している”じーさん”はこれ見よがしにメイリンを愛でた。

「それで? お前まさか本当に只飯食らいに来た訳じゃないだろこんな朝っぱらから。」
 やや投げ遣りではあるが理由を質すと、メイリンは幼い顔付きを精一杯妖しげに変え、”じーさん”から離した身をアークに向けて乗り出し人差し指をずいと突き付けた。
「僕知ってるんだぞ。今日に限って早起きなんてなんでだか知らないけど、アークってばいっつも寝坊して遅刻ギリギリなんだって?」
「そうじゃのう。こりゃあ槍でも降るかなと思わず心配したくなるくらい、今日はほんに珍しく朝食のある時間に自発的に起きて来ている訳だが、つまりいつもは折角用意してあっても食べる間も無く遽しいばかりで、そもそも自分の飯を要求するのが筋違いだと言うのに況してメイリンに当たるだなんて全く全く」
「じーさんはくどくどしつけーなぁ! そんなんだから老人って言われんだ!!」
 茶々入れにさえぐうの音が出さないのは紛れも無い事実である証拠、それでも必死に反論を探して年配者への侮辱にしか行き当たらなかったのも、単なる裏付けにしかならない。
 決まり悪そうに背けたアークの顔を両手で挟んで真正面に戻し、殊更メイリンの満面の笑みは深くなる。少々無理をしているのか、頬を引き攣らせながら。
「生活指導のフィーダせんせが、『たるんどる! 毎回幼馴染に引き連れられるなど男子の風上にもおけん。若し明日もこの調子なら……』」
 似せた声色の語尾が消え失せるところが、又非常に模倣出来ており、お団子頭のメイリンとわかっていても流れ出る冷や汗、唸る喉。
「だってさ。怒り心頭、罰が下るのも無理は無いと思いつつ、かーいそうだからって仏心を出してわざわざ来てあげたんじゃないこのボクが。」
「恐怖の宣告に有難さなんて感じられるもんか。大体それなら昨日の内に言っときゃ良かっただろ。」
 膝まで机上に昇るかというところではしたないと思い至ったのやらそそくさ椅子に座り直し居住まいを整えるメイリンは、モノマネを終えた顔面に今度はあからさまに馬鹿にした表情を乗せた。
「はぁ? 何言ってんの、昨日はアークがロイドせんせに呼び出されて中々帰って来なかったのが悪いんじゃないか。ボクがどれだけ待たされたのかも知らないで、いい気なもんだよね。」
「結局伝えてなきゃ一緒だろーがそんなもん。」
「だってペルルが一緒に遊ぼうって誘ってくれたからさ、待ち惚けより楽しいと思って。それより今度は何したの? 器物破損? 万引き?」
「人聞きの悪い事言うなよっ!」
 返答してから、さぁっと青褪め思い出すのはそうだった、まだ厄介ごとが残っていた、変えられない事実。
「あーいつ、何かとオレに因縁叩き付けるんだ。」
「そりゃ担任として素行の悪い生徒は厳しく監督、見張らなくっちゃ。特にアークは目を付けられて当然だろうね。」
「お前はオレを一体どんな風に認識してるんだ?」
 呆れ声にメイリンが地顔で笑うと、あどけなさの残る可愛らしいものである事を、認めざるを得なくなり悔しくなってアークは今度こそそっぽを向いて、件の厄介ごとをぶちまけた。
「たぁだ雑巾掛けレースに賭けてただけだよ。四人ぐらいでやってたってのに
――――そりゃ人数いなくちゃ賭けとして成立しない、そうだろう? だのに、あいつオレだけとっ捕まえて罰として居残り補習の上余っ計な宿題押し付けてくれたんだ。」
 ボルテージが上がって来たのか今度はアークが身を乗り出す番で、聞いてくれよと納豆を掻き雑ぜる”じーさん”を横に押し退けてメイリンにぐぐっと近寄るが、急な接近に途惑い先程のアクティブさは何処へやらメイリンは少し後方へ躯を反らせたのだが、そんな事はお構い無し。
「しかもその内容がよ? 予習復習でもなければ別段オレが遅れてる範囲の強化ってんでもない。いやオレ別にそこまで成績悪い訳じゃないけどさ。自分が今度クラス全員に出す課題用の資料集めておけ、だってよ。監督どころか職権乱用だな、ありゃ。」
 途中口篭り音声を下げながらも言い切れて満足げに、”じーさん”の湯飲みからさも当然お茶を頂こうとした手をぴしゃりとはたかれてしまった。それも納豆の糸引く箸を持つ方だったので、おまけ付き。
「いいじゃない。そしたらアークにはその範囲がわかってるんだから、いい成績とれるじゃん?」
 事も無げに言い捨てられたものだからこの悔しさよ何故伝わらぬと抗議する気も失せアークは項垂れる。

「なんかみんな、オレに恨み持ってない?」

 甲から漂う納豆の糸を振り切ろうともがきながら、呟いたのは疑問のようで、本音のようで。
「アーク、御飯食べないの?」
「おい話題転換が唐突だな。最近の若者ってのは軒並みそうなのか。大体どの口が言ってんだ? お前がオレの分食べちまったんだろ!」
 あら、そうでした。てへっ。
 可愛い子ぶってとぼけるメイリンだったが、一年二年しか変わらない同年代の若者である癖に年寄り染みた事を言い出すのは隣にいる”じーさん”の影響か拗ねているのか、せめてとキッチンカウンターに鎮座していた桃を取り提案する。
「でも朝御飯は食べなくっちゃ、元気の源だもの。果物くらい?」
「あー……いや、いいや。なんっか、桃って自分で剥いて食べる気しない。」
「こぉんなに美味しそうなのに? 熟れてまさに今が食べ頃、って感じだよ?」
 言われても、まぁるいピンクの姿を見ただけで何故だか食欲が湧かない。
 否、芳しい果物の香り自体は大変そそるのだが、甘く豊潤な味わいも好みなのだが、

 何故だろう、何故だか。

「別にきらいって訳じゃないじゃんね。缶詰とか食べるっしょ?」
「そうなんだけど、味自体は好きなんだけど、んー。」
「ひょっとしてアーク、この触感がいやとか? いるよね、そういう人。じゃ、キウイも駄目? ジャガイモも触れない?」
 弱点と見るや眼前に突き付け気を引こうというのは小学生並の行動で、うりうり、頬にすり付けるようメイリンが桃でいじり倒すのを追い払って、結局アークが朝食を摂る事は無かった。
「もー、お前用が済んだならさっさと学校行けよ。わざわざ凶報届けに御足労下さってどーもでした。」
「なんだよっ、それ!」
「せーぜー遅刻しないように精進致しますって、伝えでもしてくれよ。じゃなくちゃ朝飯奪られた割に合わないぜ。」
 邪険に扱われ膨れる躯を見もせず愚痴り出すアークにもう一発蹴りをくれてやると、メイリンは微かに涙ぐみながら脇の椅子に放置していた鞄を乱暴に引っ掴んで、足音荒くリビングから飛び出す、前に振り返る。
「今日もペルルと遊ぶ約束してるから、アークになんか構ってあげないんだからね!」
 乙女心の裏腹さを表した捨て台詞に”じーさん”は微笑み、言われた当人は意図を計りかねて呆然と。
「なんなんだあいつは……」
「おなごの扱いに慣れていないというのは、難儀なものじゃて。」
 からかわれ不機嫌を加算しながら、早起きの序でに有難くも頂いたメイリン様からの御忠告なのだから素直に従おうと玄関を出た、ところで同じくたった今扉を開いた、隣に住んでいるエルと目が合う。
「あら、おはよう。早いのねアーク。これから起こしに行こうと思ってたんだけど。」

 覚醒から今まで引き摺っていた色々な、弄ばれた擽ったさやら思春期だか反抗期だかへの対応疲れやら、漠然とした、もやもややら、一気に何処かへ吹き飛んでしまった。

「んー、ま、たまにはそんな日もあるって事で。」
 そんな単純さと言うか正直さに照れを禁じえないのだが、かと言って視線を逸らしたくは無い。
 上手くは言えないのだけれど、束の間であっても、彼女が近くにいるその時その瞬間を、蔑ろにしたくない、不思議な気持ち。
「願わくば毎日がそうであるといいのだけれど。そうしたら、私の手間が減るでしょう?」
 幼馴染に引き連れられ、とフィーダ役のメイリンが口にした言葉を思い出してなんとなし苦笑いが浮かぶ。皮肉に対し返されたものだと思いエルも柔らかな微笑みで以て応え、極く自然にアークが跨る自転車の荷台に腰掛けた。
「取り敢えず今日は急がなくてもよさそうなのが、三文の得の内ね。」
 背中越しにぬくもりを感じながら走り始める二人乗り、季節は春で桜が咲いて花びらが舞って一面桃色の世界。
 家々の玄関口には住人の意匠を凝らした花壇や、そこまでは呼べなくともルートを彩る花飾り、盆栽、育った果物の木。その繁りのピークを迎えた葉を箒で掻き集める御婦人。
 工事中の看板に、町内会の掲示板、曲がり角の奥には公園。
 いつも妙に不穏な発言をする通称魔女ババがいる駄菓子屋に、妙な雑貨ばかりを集めるマニア向けショップの気さくなおじさん。
 どれも、いつも見ている景色。どれも、いつも見ている人達。

 の、筈なのに、何故かいつもどきりとする。

 みんなに、エルに逢う度に、それこそ毎日の事なのに、
 新しくて、
 懐かしく、
 泣き出しそうに、なってしまう。
 恥ずかしくて誰にも言えないけれど、あんまり悪くないと思っている慟哭。

 顔を見れた僖びに胸が打ち震えるんだ。

 何にそんなに一生懸命、躯の何処から哭いているのかわからない、
 それでも、あんまり、悪くは無いんだ。

「嗚呼、久しぶりね。こんな風にゆっくりのんびり、登校出来るのは。」
「悪かったですね〜、寝坊魔遅刻魔で。」
 見なくとも判る口を尖らせ拗ねたアークに、エルは殊更穏やかさを増して笑み、車輪が僅かな段差を乗り降りする度小さく音を立てる鈴のアクセサリーを指で弄った。
 それはまん丸の、どピンクで、小さく瞳が書かれ小さく耳やら翅やら生やし、一体何がモチーフになっているのやら。
「なぁ、エル。お前それ、本当に可愛いと思ってんの?」
「え、だいすきよ?」
「ふーん、あっそ……」
 キーホルダーと同じ色合いの花弁が柔らかい風と同化してひらひら流れる中、いつも通りの他愛無い光景。
 だけど何にも変え難いいとおしい瞬間の。

 何か物足りない、だけど満ち足りている。そんな毎日。

























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++以下言い訳

色々なもので、現代版ってあるんですが、何故敢て現代でやるのかと、不思議に思う事もあったりして。
勿論原作の世界では表現出来ない、今自分達が生きる世界だからこそ思い付いたネタを実現したいという点など理解出来るところもあるのですが。結局は完全に、思い至る事は無かった訳です。
しかし、こと天地においては、その法則は当てはまらず。いつかの未来で出逢えると言うのなら、現代で出逢うのも又然りなんじゃないかと。
二人を、出逢わせてあげたいって。そこから来たお話です。
尤もネタ自体はガイア幻想紀で沸いたもので、始めはそのガイアのティム達と絡めようかと考えたもののガイアの方が主役になってしまったので保留。シリーズ展開する気は無いのだけれどその分が或いは出すやも知れません。

メイリンは二つか三つ年下に思えるのでアーク達が中三、メイリンが新入生と考えているけど先述のティム達が校舎跨いで(都合良くエスカレーター式で構想して)の話だったから高校生と中学生でもありかななんて。
流石に、ちょっと小学生とは違うかなと。微妙な感じです。難しい年頃です。っていう発言はきらいですが。
ただどうでもいいんですがメイリンはセーラーでエルがブレザーという勝手なイメージがありまして、あれそしたら同じ学校じゃないじゃんね。
……まぁ、そこまで深刻な悩みでないので構いませんが。三人の学生服を記述出来ないくらいです。結構な問題だ!

ちょっぴりアークがメイリンに対し冷たいかな、なんて。
彼にしてみれば遠慮無し兄妹のつもりでずばずば言うけれど彼女にしてみればそこに乙女心が絡む訳ですから複雑と言いますか温度差が生まれて来るんでしょうな。何を冷静に分析しているんだ。そのメイリンがやけにペルルと絡みが多いのは全く他意無しですが。
そんな感じで甘酸っぱい現代版、それなりにみんながみんならしく、生きていればいいのにと願いを込めて。
……ヨミももっと混ざれたら尚良しなんだけどなぁ。