円らな瞳は、ただ真正面だけを見据えていた。
 立ち止まりそうな僕らを叱るように、先をゆける僖びを説くように、力の限りを尽くし満足気な表情で。
 波の中たゆたう、大きな口の、大きな竜。
 それは短期間だったけど、大切な仲間。
 そして彼女にとって、一番のタカラモノ。
 波間に消えた筈の断末魔(こえ)が、未だに耳の奥で燻っている。


Syldra Requiescat in Pace



 この際塩味が強い事は致し方ないとして、否が応でも口腔内に忍び込んでくる、砂利はどうにかならないものだろうか。
 砂混じりの夕食を啄み、海独特の強風に煽られる事さえ出来ない不自然な自然界に眉を顰めて、それでもすぐに時化そうになる為目を離せないか弱い焚き火を二人で囲みながら、心中でひっそりと文句を立てていた。
「やっぱ、弱まってるんだよな。風も、火も、きっと何もかも。」
 ここに留まるのが厭という訳ではなく、それを提案した彼女の気持ちにも察するところはあるし、心情を慮ればそれくらいはどうという事も無い。

 どうする事も出来なかった。
 誰も。
 言葉をかける事さえ出来なかった。
 誰にも。

 結局は、不甲斐無い自分を責め立てたいだけなのだ。何も出来ずに今此処に到る、己を貶し蹴落とし貶めたいと。
 普段ならばそんな陰気な考えが巡ろう筈は無いものの、濃厚な夜に包まれた岸辺の雰囲気がそうさせるのか、未だに鮮烈に焼きつけられた、つい今し方が忘れ難いのか、今日の、否それから暫くの彼の、気分は彼女と同じよう絶不調下降線を辿る事だろうと一人静かに自認していた。
「夜というのは人の心も兎角弱くさせる。若いのぅ。しかし、良い事じゃ。」
 不安よりは不満の色に似たバッツの呟きに、目の前で顔を突き合わせ、撫でる潮風も無い事に時折は同じく顔を顰めながらも、楽しむ道理を知っているのは流石年の劫というべきか、都合のいい記憶喪失を名乗る老人がこれまた楽しげに呟いた。
 悩む事が決して悪い事だとも思わないが、それが足を鈍らせる時だってある。
「気軽に言うぜ。」
 しかしそんな人の心情どうこうで無く、要するに青春の葛藤とやらを間近にする事で自身もまた溌剌とするらしい。
 どんな時にあってもじめじめとした思考に陥らない、その為自らの境遇もそこまでは不憫と嘆かないだけマシな気もするが、ガラフによるその発言は不適切な気がした。
 捕まえた魚を丸焼きにする為に全身を貫いていた今や、お役御免の竹串を篝火の中に放り投げると、少しだけその勢いが増したような、そんな気もする。
 暖を取る事は例え出来ても、その照らせる範囲とはあまりにも狭く、その領域から脱している、女性陣二人はそういえばどうしたかと、背中の虚空を振り返ってみても人っ子一人も気配は見当たらなかった。



 目を凝らして注意をすれば遠く灯りが見えなくも無い、基本的には星空が埋め尽くす波の支配下の元削られた土壌。
 洞穴もそう遠くない位置に口を開く、砂上から突き出した岩肌の台座に、片膝を抱え込み片足を投げ出しながら、座り込む長髪の女性の。
 魂の抜け殻宜しくあまりにも無機質なその表情は、ただ茫洋を愛でるだけだった。
 生暖かい風が嘗ては吹き抜け、今はどれだけそれが希薄であろうとも、背後で蟹や海辺の生物が蠢こうとも、海を臨む足元には船と人の屍が数多浮いていようとも、どう思う事もひたすらに出来ない。

 最も大切であった筈を、見殺しにしてしまった、彼女には。

 行ったり来たりを繰り返す波音、その中に混じってやってくる人の足音に、気づいていてもアクションを取る気にはならず、ぶっきらぼうな言葉さえなかった。
「幾らあなたが海賊でも、無い風にあまり当たり過ぎるのは、身体によくは思えないわ。特に気落ちしている時なんかには。」
 直ぐ側にまで来て、穏やかな声で、それは子供を宥める母親の強さを持った言葉。
 隣に了承無く座り込んでは、同じように波を見送った。
「ここにも、いつまでもはいられない。そうでしょう?」
「先を急ぎたきゃ勝手に行けばいいだろ。放っといてくれ。」
「いけない。いけないわそんな風に投げ遣りで、自棄になる事をシルドラが望んでいる訳ないのに。」
 キーワードに弾かれ、険悪な目つきで見下ろすファリスの瞳には、海のようにしょっぱい雫が光っている。
「何が理解るって言うんだ!! あいつはっ、ずっと一緒に生きてきてっ、大事なっ……


 友達でも仲間でも家族でも、なんでもない。なんでもいい。
 どれも正解で、どれも不足の、強固な絆。

「……一緒にっ――――生きて、きたんだ。」

 かけがえのない。

 ただそれだけは確かな。

 大切な、存在だったから。

「ごめんなさい……私が巻き込んだりしなければ、ファリスがこんなにも悲しむ事は無かったのに。」
 八つ当たる矛先に受け入れられると、途端にこねていた駄々が恥ずかしくなってくるもの。
 叱咤しにわざわざやってきた少女は俯き、傷つき、心底自らを責めるように、謝罪した。
 それを見て尚追及出来る程、ファリスも無神経ではない。海賊のお頭を張るぐらいなのだから、機微には敏感でなければ。
「既に今でさえ、バッツや、ガラフにも、迷惑をかけている。これからも誰かを巻き込まなければ答えは見つからないのかしら?」
 べたついてくる髪を頬から引き剥がし、耳にかける優雅な流れさえアンニュイに、王女レナもその眼から涙を流した。
 追悼の。
 贖罪の。
 信念の。
「それでもクリスタルを、……ううん、本当はそんな世界の命運とか、大それた事じゃない。お父様に逢いたいって、ただの、子供染みた、我儘。」

 ごめんなさい。

 何度も何度も、繰り返した。
 ただの少女として招いた結果に、ただの少女として心から、ただの少女として、力無く。
「逢いたいの。お父様に、逢いたい。」
 どれだけ違う環境に育ったのだろう。
 清らかな心で、信じるだけの身一つ、旅立ちを決めた彼女とは何処までも違う自分という存在。
 海賊である事を恥じたりはしていない。寧ろ誇りに思っている。自分が海賊に拾われる所以を考えれば事情を知らずとも親を憎む事さえ多かった。
 ただ、幼い日。
 波に揺られながら、星空を舞いながら、皆と肩を寄せ合いながらも、ほんの一欠片懐いていた、郷愁。
 違いなんて、ない。

 逢いたい。

 逢いたくて、たまらないんだ。

「放っといてくれ。」
 再度呟かれた拒絶に、項垂れ立ち上がるレナだったが、通り過ぎてゆく背中に、もう一声上乗せされた。
「明日には、頑張るから。」
 振り向きざま開きかけた口をゆっくりと閉じ、見えない頷きを残して、今度こそレナは仄かな焚き火へ吸い込まれてゆく。
 痩せ我慢も、正しい答えじゃない。
 それでも、明日が来るのなら。
 立ち向かわなければならない毎日がやってくるのなら。
 今夜だけ、小さな子供のように喚いていたい。
 朝が来たら、涙を拭いて。

 波のリズムと呼応する鼓動に、シルドラを感じながらファリスは一人で膝を抱えた。



「あ、いたいた。」
 口振りの割に座り込んだ跡の深い砂浜、目の前には酔いどれ絶頂の老体と、到底探していたようには見えないが心配そうな声に、レナは柔らかな笑みを零す。
 自然とバッツの隣に腰を下ろす、レナもまた寂しさと人恋しさを感じているのだろう。
 誰かの哀しみと、夜の孕む切なさを肌身に感じて。
「私も海賊になってみようかな。」
「あ゜?」
 王女の非行発言に動揺を隠さず、咥えていた最後の一匹その臓腑(はらわた)をそっと噛み千切るとこれあげるからおにーちゃんに事情話してみ? 相談員のように親身になってくるのだから笑えてくる。その上バッツの表情は困惑しきりだ。
「強く、なりたいの。私も。」
 目尻に僅か残っていた一滴を拭うと、殊更強がりの笑顔を向けて、少しだけ出逢いよりも強くなった少女の、バッツは乱暴に肩を叩く。
「なれるさ、きっとレナなら。」
 気づいていた破片を、見過ごす優しさ。
 それを目の前で、自ら取り払う勇気。
 明日には、孤独の気配をおくびにも出さず立ち上がるだろう女性に惹かれ始めている彼女なら。

 辺り一帯に木霊する、海鳴りは鎮魂歌。
 数々の、海に散った命達の歌声。
 頼りない火を灯し、使命に立ち向かう若者への、祈りを捧げる。



























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++以下言い訳

ちゃっちゃか行きましょう不定期ゲームキャンペーン第三段。マリオ、天地と来て抑えておきたい有名どころです。
そんな訳でシルドラ追悼話。正確にはシルドラ行方不明後。FFX題材にしてよくもまぁ暗い話に辿り着いたもんです。
イメージとしては船の墓場前後なんですが、中に砂場があるというならその辺ど真ん中ってのもいいですね。
あ、でも墓場越えた後だとガラフが明る過ぎるだろうか。クルルの幻影に惑わされての空元気もありやもですが。
ファリっちゃんは愛しの女性が一人です。いいよね海賊、いいよねお頭、いいよねシルドラ。そういう話。
問題はレナが王女である事はこの時点で判明したっけ? せめてそこまでやってから書けばよかったと後の祭りorz
所々の風が微妙な描写は、微弱になったとは言えどクリスタルが散って暫くは完全に消滅はしていないんじゃないかと。
想像の上の事なんですがだって風無くなったら(クリスタルの管轄は別にしても)火も立たないんじゃ無いですか? ん?
ちなみに涙を拭いてはSaGaの名曲ですが何か。