彼女は、恋をしていた。
 彼も、恋をしようとしていた。

 隣とピエロ


 目の前の少女は、いつものおとなしく落ち着き払った様子を一変させ、心の赴くままはしゃいでいた。
 破顔は見慣れず、歳相応の笑い声さえいつもの彼女を知るからこそ、なんだかやけに幼く見えて。
「颯。」
 振り返りざま、激しい風に煽られて何処かへ旅立ちそうな麦藁帽子を押さえる腕は華奢で、そんな乱暴な悪戯さえ優しく孕みたゆたう黒髪と相俟って、余計に白さが際立つ肌が、奇妙に痛々しい。

 そんな風に感じるのは、罪悪感に駆られる心の所為だろうか。

 颯は目を眇め、少し離れた位置から貴子を眺めた。太陽が眩しいからだと勘違いしてくれればいい、込めた思いが通るや通らざるや、返事の無い様子にきょとんと、貴子は軽快な足音で颯に近寄る。
「どうしたの? 大丈夫? 具合でも悪い?」
 怒涛の疑問符に、ようやく颯がなんとか洩らした笑みは苦渋の塊だったが、そもそもから笑い慣れていないという点を踏まえて貴子はそんな状態でも納得したようだった。
 心の凪を繁栄したかのよう漣が支配する海は時期外れの為冷たく、それでも構わないと貴子はハイヒールを片手に集めてぱしゃぱしゃ、小さな音楽会を開く。
 あまりに無邪気な姿勢は、夕日が赤を投影する風景にミスマッチして、保護者のよう見守る事に徹する颯もまた、景色に溶け込んで。

 彼女はプリーティアである。
 俺はリーフェナイトとしてプリーティアを守る者。
 だから何を引き換えてでも、彼女を守らなければならない。

 三段論法を活用してまで、何を弁護したいと?
 浅はかな自分の体たらくに零れるのは嘆きの息。波音に掻き消されて貴子に届いていない事を知ると、今度は安堵のため息が洩れる。
 臆病で、自己表現が苦手な事は、初めの段階で理解出来た。いつも俯き加減で、何かあると直ぐに顔を朱に染めて、自信が無いのか発言は常に小声。
 正味な話、なんて相性の悪さだろうと呻く節もあった。しかし個々人の性格差に振り回されていては到底、プリーティアとリーフェナイツにあるべき信頼関係など築いてはゆけないと、苛立ちを隠し怒声を殺して努めて優しく接して来たつもりだった。
 功を奏したと言えるのだろう。消極的な貴子が始めて、自らアクションを起こしたのは、告白だった。





「颯……私、あなたの、あなたの事が……」
 リーフェに満ちた空気が、緩やかに全域を満たして、立派な大樹の前で、少しおめかしした貴子は。
 標準以上に下を見つめながら、真っ赤な顔でだけれど、鈴のような声は震えながらも凛としていて、色々な意味で呆然とさせる。

 すきなの、だって。

 恋愛感情に発展する程に好感をいだかれていた事への素直な驚き、あの貴子が振り絞った勇気への賛美、しかしながら、全くと言っていい程そんな対象として彼女を見て来なかったこれまでを振り返れば、この展開はまさに青天の霹靂。

 どうしよう?
 いやそんな風に考えている時点で駄目だろう。
 大体二人の関係は謂わば主従のようなもので、
 だけどここで拒否を持ち出したら彼女は傷つき、自分から離れ、

 プリーティアをやめてしまうのではないだろうか?

 辿り着いてはいけない境地に達して青褪める颯を窺う余力も貴子には無く、耐えるのに精一杯と二の句を待っている。
 焦って周囲を見渡してみても、こんな時に限って誰一人としていない。確かついさっきまで一緒にいた筈の細は今はもう何処にも姿無く、助言が欲しいのに、誰かに助けて欲しいのに。
 しかしどれだけ待ってみてもやはり、仲間達の気配すら現れはしない。
「颯……?」
 酷く不安そうに見遣る貴子の涙腺は崩壊間近に差し迫り、胸中は察せるもののだからと言って、じゃあどうしたらいいのか?

 必死に希っている。
 別に悪い子じゃあ、無いんだ。
 そうだ俺は護る者として、出来得る限り望みを叶えていかなくちゃいけない。
 プリーティアとして恙無く戦いに専念出来るよう、不安も迷いも、拭い去って、やらなければ。
 いい子なんだ。素直で、優しい。

 すきに、

 なるかも、

 知れない。


――――颯。」


 嗚呼、どうして俺なんだ。
 俺なんかじゃなければ、
 もっと明るい豪ならば、
 もっと慣れている蛍ならば、
 もっと優しい、細ならば。

 どう考えたって幸せな未来が広がるのに、どうして、俺なんだろう。

 責任転嫁から必死に、そんな己が求められた理由を探そうと、足掻いた末に搾り出したのは。
 無言と、抱擁。
 言葉にしなければ、誤魔化せると思っている、誤魔化しようの無いぬくもりで。
 きらいじゃない。いい奴だ。でも、恋じゃない。
 知っているのに、言葉は生まれ、変更を許さない、少女は涙を流し喜んでいたから。

 嗚呼、反吐が出る。

 気づいて欲しいと、本当に自分をすきだというのならば嘘である事に気がついて欲しいと、身勝手な願いが本当に、腹立たしくて。





「颯、やっぱり変。」
 現実から逃げるよう追想に勤しんでいた意識を引き戻した声は、目の前の可愛らしい少女から発せられていて、近過ぎる距離に狼狽えて思わず一歩下がった様子に、貴子は顔を顰めた。
「ねぇ、何かあるなら、教えて? 言ってくれなくちゃ、わからないもの。」
 今の彼女は、少し強くなった。
 想いを受け入れられたという根拠が、人に愛されているという思い込みが、成長を促し飛躍的な進歩と呼べる、強さを生み出したのなら。

 それならば、真実を受け入れる事も出来る?

 事実、彼女は歴代のプリーティアの中でも有数な戦士として語り継がれるまでに、力をつけて。
「貴子、俺、本当は……」 
 語ってくれるあなたの欠片は何?、と。
 あどけない笑顔のまま、待ち望む貴子がかわいそうで。
 言葉を紡げない口は開閉に留まり、空気が筒抜けていく。
「俺は、俺はずっと……」
 お前を騙していたんだよ、と。
 達成すべき目的の為に想いを利用して嘘を吐きました、と。
 本当は愛してなどいなくて、あの日も今も思いは変わらない、と。

 どうしてそんな事、云えるのだろう。

 今更だって巫山戯るなって、罵られたって足らない。
 偽りの愛情で触れて接して、希望を誤魔化した。
 そんな自分を許す術さえ見つけられないのに、どうして君が赦してくれると。

「……ちょっと、体調を崩してて。風邪気味なのかな。」
「それじゃ、海風はよくないわ。もうっ、そういう事は早く言ってよね。」
 結局、一度吐いた嘘を繕う為に何重にも増やして来た嘘の上にまた一つ、積まれていく。
 逃げる事しか出来ないなんて、まやかす事しか出来ないなんて。

 一体これはなんていうおままごと。

 濡れたままの足に構わずハイヒールを宛がって、埋まる砂の罠をものともせずに手を引いてぐんぐんと進んでいく貴子にされるがままの、颯は、自分が、泣いている事になんて気がつかない。
 二人共、一つの雫が夕焼けに浚われた事を、知らないまま。
「私ね、どんな些細な事でも教えて欲しい。何が食べたいとか、どんな夢を見たとか、全部、だって」

 大切な人だから。

 陸に上がって振り向く貴子の毅然とした表情とは対照的に、ぼんやり薄ら笑いが苦み走って、颯には返す何も無くて。
「手からでも判るわ、凄く熱い。早く帰って、休みましょう?」
 伝わる熱が、羞恥心と悔恨から紡がれている訳ではないと、用意された逃げ口に落ち着いて納得する貴子は再び颯を引いて前を進む。

 本当に彼女は、強くなった。

 少女の変わりゆく様を間近で拝めるという好機に接していながら、どうして想いは変わらないまま。
 はじめて自分なんかを、すきだと云ってくれた人なのに、精一杯愛されようと、真直ぐな心を持っているのに。
 こんなにも愛情深く応えてくれようとする、貴子を愛せないんだろう。

 嘲笑さえ、潮風が浚う。

























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++以下言い訳

『P』販促活動その一でした。大体これで何故Pというタイトルなのかが半分くらい御理解頂けたかと思います。
『P』はこの「隣○ピエロ」と「英字タイトル」の各三話ずつで成り立っていますが、そもそもの事の起こりは此方の話でした。
より詳しく掘り下げると、この海デートという同じ情景を元にした貴子と颯の其々の考え方の違いを=ピエロっぷりとしていたのですが、なんとなくざらっと大まかなあらすじだけ書いて両方共放置しつつ、いつか手直しする機会があれば前後編みたいな感じて、と捉えていたのですが。
ここでビッグウェーブ、即ちやらないか……のお誘いがあった訳です。すいません嘘ですいかがわしくないですってネタ判る人と判らない人いるから! わからない方がきよらかでよいですよ←
えぇとそれでなんだ、よっしゃそれなら既に二編の元があるピエロを使おう、と至ったのはよいのですが彼是生むと間引き、調整が必要になってきます。
その結果、ピエロシリーズに時間の流れが発生した為、同じ状況のちぐはぐな二人、という話はちょっとリズムが狂うなという事で大元である此方を下げ、別途颯の心情を綴った別のピエロを書いた訳です。
そういう意味では多少この話は重複しているといいますか、謂わばこれはパイロット版というのが近しいでしょうか。
何れにせよ、自分はこんな痛い感じでおつきあいしている二人がだいすきですので隙あらばこういう颯貴増やしたいと思ってます☆
やな奴……お前生粋のやな奴だよ……