True Blue
きらきら、ちかちか。
侵入するまばゆさに思わず瞼をきつく閉じ、しかしどれだけ待ってみても通り過ぎる事無く滞る蒼いまたたきに、エルは覚悟を決めて、そっと焦点を合わせた。
「嗚呼、クリスタルブルー……」
形を認めてしまえば恐怖は遠ざかり、次第に懐かしさと安堵が起き上がるけれど、一方で拭い切れない、爪を掻き立て泣き声を上げるこの心の内はなんだろう?
時折舞い降りては村を彩る光の妖精。誰もが僖びと好奇心を擽られ微笑みで受け入れる中、エルは未だに馴染めずにいた。
気がついてみれば、甲高い鶏の歌が一秒ごとに奏者を変えバトンタッチを繰り返し途切れる気配の無い、この喧騒の中よくも眠っていられたものだとすっかり目覚めたエルはカーテンを引き窓を開ける。
胸に吸い込む空気いっぱいにクリスタルブルーが溶け込んでいる気がして、思えばこそなんだかちくちく、刺さる痛みを覚えエルは再び窓を閉じてしまう。
「きれいだと、思うんだけどなぁ。」
紛れも無い真実は、いつも隣で一緒に眺めていた存在を欠いた事でより反比例を画こうとして。
「アークといる時はそう、いつだってきれいに見えたのに。」
村一番の問題児という大層な肩書きの幼馴染が閉ざされた筈の村を出て、何処か全く別の処へ行って、完全に傍にはいないのだと、思う度込み上げる感情が。
クリスタルブルーを見つめた時に立ち昇る色と似ていて、余計に正体が掴めなくなる。
おそれにも似ている形が、何故遠く離れたアークを思い馳せる時と酷似する必要があるのか?
「……アーク、今、元気にしている?」
わからなくとも躯中を支配する、その感情に堪らず泣きそうになるのをなんとか堪えて、朝食の支度を整えている母には全開の笑顔を見せつけて。
「あらおはよう。さっきね、長老様が呼んでいたわよ。」
「嗚呼、頼まれていたものが昨日ようやく完成したの。」
機織の腕は村一番と、満場一致の評判もそうだが新作をそれ程までに心待ちにされていると思うと少しくらい自惚れたくもなる。エルははにかむが母親は首を否定に振った。
「それもあると思うんだけど、なんだか別に、話がある御様子だったわ。」
「……? そう。わかったわ、それじゃ後で伺います。」
見当がつかず二人共に疑問符を浮かべながら、笑い合って見せるその裏で、そこはかとない不安が腹の底にたまっていくのをエルは、必死に見ないフリをした。
喋るカボチャは、引き抜こうとする悪餓鬼がいなくて心の底からほっとしているような、それでいて退屈に飼い殺されそうな、複雑な声で今日も眠たげに口を開く。
「そりゃ悪戯には困ったもんだが、話し相手がいなくなるとこうも暇を持て余すとは思わなくてね。」
「アークは、あなたがとてもすきでしたから。」
愛情表現にしてはやや乱暴だと咎めながらも、カボチャも好意は感じていたようで、そんな風にアークの思い出を振り返ると始めは愚痴から始まるのに最後は決まって、心地よい無言が訪れる。
慕っていた弟妹分達は勿論、粉引き小屋の主人も、占い屋のおばあさんも、誰もが今はその場にいない、かの存在に目頭を熱くして。
「しかしもう、長い事おらなんだ奴の事を彼是言っても詮無いだろう。若い時なんて冒険してなんぼだ。嗚呼、どうせ何食わぬ顔でじきに帰ってくると、そう思えてならないんだ。」
「そうだといいなって、思ってます。実は、これから行く長老様のところで、アークの話が聞けないかなぁなんて、期待してるんです少し。」
衒いも無く希望観測を述べるエルに、知った顔のかぼちゃはにたにた、ハロウィンの形のまま変わらない表情で相槌を打って。
「だから前にも況して頻繁に、長老の家に足繁く通ってるのか。嗚呼、それも若さの特権だ。」
「やだっ……、茶化さないで下さいっ。」
ようやく恥ずかしさが追いついて、立ち上がりざまスカートから土をはたく素振りが心做し乱雑に。
別れを告げて足早に辿り着いた門前で、しかし昂揚していた気分は一瞬にして萎縮していく。
勿論、カボチャに打ち明けた思いも指摘された図星も真実なのだが、それ以上に、緊張と強張りが支配して、浮かれた感情の一切が萎んで。
誰よりも頼りになる村の要にして、全てを任せられる存在だからこそ、長老の穏やかな微笑みが、裏の見えないその穏やかさが、本当に、そんな事に思い至るのは意地が悪いとしか思えないのだが……
おそろしくて、たまらない。
誰にも言った事の無い筈を既に悟っているかのよう、それでも長老は常に、エルにも変わらぬ微笑を以て接し。
それは、今日も変わらなかった。
「やぁ、よぅ来てくれた。お入り。」
「失礼します……」
上擦りそうなのをかんとか抑えつつ、入室した部屋の奥で長老は静かに座し、背景の窓には輝くクリスタルブルーが沢山、沢山漂っている。
「先日頼まれたものが出来上がりましたのでお持ちしました。此方です。」
軽く結わえていた包みをほどくと、一見しただけでも上質と取れる一枚布が、さらり、丁度村の中を無尽に駆ける川のよう流れる。
見事な模様を織り込まれ、且つ控えめな色合いが老人にもマッチし、えも言われぬ色気を醸すであろう、装着する前から想像に、長老はより綻んだ。
「嗚呼、上々じゃ。流石というのか、やはりエルに頼んでよかったのぅ。何、あの乱暴者が既に去った後じゃというのに出るわ出るわ無数の悪戯の痕跡に困り果てていてのう。」
手に取り質感を確かめると更に好ましそう皺を深く刻みながら、語り口調こそ慈愛が滲んでいたがふと、その瞳の奥は笑っていない事に幸か不幸かエルは気づいてしまう。
「倉にしまっていた壷やら何やらが半壊しているのを発見したのは何度目か、気に入っていたロッキングチェアーも愛用の煙管も見事に壊しおってからにアークめ。」
そして衣類にも及ぶ、悪戯と呼ぶには少々度が過ぎた破損は、膝掛けにもう二度と落ちる事の無い染みを模様と言わんばかり大々的に染め上げて、今日の新品納品に至る。
「全く、あんなペンキ臭い膝掛けをする趣味は無いと言うのに。のう?」
笑って欲しいポイントだったのか片目をじろり上げて窺ってくる、その底知れぬ光に取り敢えずエルは反応を返すが、石化しないこそすれ時を留められたよう、嘗てアークに解放されるまで氷のように冷たく固まった記憶が呼んでもいないのに蘇ってきては、指先から硬直を余儀無く強いて。
「――――さて。今日は別の案件もあってな、聞いているかね?」
「はい。母に今朝伝えられました。」
愈々本題に入ったと、長老から笑みは失せていなかったが若干朗らかさが消えて、より気を抜けないとエルはきゅっと身を強張らせる。
「他でも無い、そのアークの事じゃ。」
「戻ってきたのですか?」
横への首振りに、落としたのは嘆息かそれとも。
期待していた筈の話題そのものなのに、浮き立つ心は無く、ただただ長老との二人きりに息苦しさを感じて、エルは次の言葉を待つ。
「エルよお前は……アークに逢いたいと思うか?」
「叶うのならば、是非に。」
逸る気持ちも耀く瞳も真実に違いなく、それでもエルの表情は浮かない。それを不思議がる様子も無い、ひたと見据える長老の睨みが、ひたすらに、絡まって、他の何をも許してくれないから。
「ならば、機会を与えよう。今夜、アークがいる処に連れて行ってやる。」
「嬉しいです、とても。でも何故――――」
「お前にアークを、殺して欲しい。」
言葉は鋭く胸を抉る。
突き刺さった箇所は、音も無く血を流して。
「あいつの役目はもう終わったのだ。故に赤子となり時を待っている。」
「は……?」
「役目を終えた魂は、あるべき処へ帰らねばならぬ。その導き手としてエル、お前が引導を渡してやるのじゃ。お前が、アークを眠らせてやれ。」
「全、然………話が掴めませんっ、どうして!」
唐突に殺人を依頼された動揺も収まらぬまま、その陰謀めいた暗躍の標的がアークだなんて、悪い冗談か笑えないジョーク。
真実には露程も思えないとエルはいつになく声を荒げ、豊かな髪を振り乱し。
「これ以上アークに何かをする事は出来ないのじゃよ。いや、寧ろそれは罪となる。あいつも疲れただろう、きっとエル、お前に逢いたがっているよ。」
「ですから何故! そんな、何か過ちを犯した訳では無いのでしょう、まだ?!」
「まだ、な。放置すれば、やがてこの村を、どころかアークが旅をしてきた地平さえ、脅かす事になる。そのような事、奴とて本望では無かろうよ。」
揺れる大粒の瞳の中まで総て見通しているかのような、人が死のうが死ぬまいが平然としている長老の静けさが、これまでにないくらい、不気味に際立っている。
「そ、んな、そんな……」
「今宵空が完全に暗闇を灯した時、もう一度屋敷の前に来なさい。意思があるならば。」
「待って下さい!!」
「いやならば、他の誰かが殺すだけだ。なればせめて最期に二人を逢わせてやりたいという仏心、
理解ってくれるな?」
わかる筈なんて無い。
疑問も不満も溢れ出して、どうにもならないのに身動きも取れない。
訊くべき事も云うべき事も山とあるのに、それら全て一切を阻むのは、小さな背を丸める、ただの老人。
それなのに、射竦められ、反撃の一つも叶わずに。
エルはクリスタルブルーがきらきら、乱反射する村に放り出された。
闇の気配を感じさせない空は直ぐにでも約束の時間を生み出すのだろう、はしゃぐ子供の声も水の爆ぜる音も風が逆巻く歌さえ聞こえずに、
エルはクリスタルブルーがきらきら、乱反射する村に放り出された。
殺すって、何?
アークが、死んでしまうという事。
殺すって、私が?
アークを、この手で死なせると。
果たすべき役目を終え、それ以上を望まれないのは、結局一個体なんて歯車に過ぎないから。でしゃばった結果に他が迷惑を蒙るのならば、ワンマンプレイなんて誰もが咎める。
アークが長老に何を頼まれ、そして何を行なってきたのかなんて、足繁く長老の元に訪れたとても、到底理解出来るものではなかった。
此処ではない何処か別の世界があって、その世界を復興する為に尽力するって、だってそんなの夢物語。
けれど何処かで、長老の口調がかアークという人柄がか、わからないけれどそんな夢も在り得た気がすると、納得する心は全てを悟っているとでも?
そして彼が託されたと同じよう、私にもまた、生まれてきたからには使命があって然るべき、という事なのか。
こわくて、たまらなかった。
村いっぱいに広がるクリスタルブルー。
その輝きの片鱗一つ見せない長老の目。
アークが、村を出て行く日。
こわくて、こわくてたまらなかった。
もう決して戻らない何かが始まったような、終わりが見え出した不安が、訳もわからず戦慄いて、莫迦みたいだって思っていたのに。
こわくて、
こわくて、
たまらないの、今も。
こんな時そばにいて欲しいあなたは、私のそばにはいない。
あなたのそばに行く為には、死という花束を携えなければ。
馬鹿馬鹿しい。
ばかばかしい。
だってなんで、そんな?
逡巡に呆けるエルの背景は冷酷無情に時を待たず、やがて約束の帳が下りる。
長老の問いかけも話の真意も己の心さえ何一つ掴めないまま、ただ、迫るのは、アークの死、たったそれだけ。
どうして、あの人が死ななければならないのだろう。
だって、必ず帰ってくると約束した。
もう一度この村で、賑やかな日が送れると信じて。
思い込めばこそ、クリスタルブルーを受け入れていられたのに。
アーク。
アーク。
あなた、死んでしまうの?
私の手で。
他の誰かの手で。
もうそれ以外に、一目逢う事も叶わずに。
アーク。
あなた、死んでしまうのね。
葛藤を繰り返す中、帰結する答えはいつも同じ。
辿り着く度、おぞましい冷気が背中から這い上がって全身を震えさせる。
もう、どうしようもない事だと。
何一つわからなくたって、それだけは決して覆せないのだと。
もう二度と、この村で、彼のはちゃめちゃな行動に叱咤する己の姿など、夢以外では思い描けないのだと。
もう二度と、この村で、アークと二人、在る事は出来ないのだと。
だって、アークは、死んでしまう。
「エルや。答えは、出たかね?」
勿体ぶっても粘着質でもない。ただ淡々と、何もかもを見透かしたような、温度を感じない長老の声色は、それまで瞳の奥に隠されちらついていると感じ取っていた本質そのものが前面に出て来たような。
アークの死を伝える言葉は痛ましかったのに、その声音には、少しも感傷が潜んでいなかった。
今の長老もそう、まるで気遣って見える後ろに、決断を迫る必要も無く、道行きは決まっていると、押しつけにすらならない見通し。
「……アークに、逢えるんですね?」
首一つ、動かない。
「どうしたってアークは、死んでしまうんですね?」
眉一つ、動かない。
「それなら私は………最期だっていい、あの人に逢いたい。その為なら、」
風一つ、動かない。
「その為に、あの人をこの手で、殺します――――殺します。」
建前と言い訳で塗り潰した決心を聞き届け、ようやく長老は微動して、静かに先導すると森の木立が予め指示されていたかのようにわさわさ、揺れ動いては掻き分け道を生み出す。
広がる荒涼の風景は、長閑を満喫していた村からは到底想像出来ないような慈悲無き大地。
あなたは、この景色を見て何を思いましたか。
あなたが、今いる場所も同じようなところですか。
あなたの、成した事はきっと、それを変える事。
アーク、あなたがやるべき事を果たしたように、きっと私にも、やるべき事が始めから、あったの。
道無き道のただただ荒地、無言のエルを気にかける気配も無く長老は髭を風に絡ませながら歩き続けて、やがてぽっかり黒い口を開ける、底知れない奥を見せつける穴の淵まで来るとようやく長老は振り返った。
「さぁ、ゆくがよい。幼馴染のお前が、アークの最期を看取ってやるのだ。」
これもきっと、始めから想定されていた台詞。
綺麗事に混ぜた、長老の計画の一つ?
そんな大それた事なんて、何一つ判らないままただの手駒として、
あなたを殺しに行く、私を、
許して欲しくも、責め立てて欲しくも無い。
一人見知らぬ時を旅するあなたに、二度と約束を果たせないあなたに、
せめても報いる為にこの手が命を殺す事が、餞なんて少しも思わない。
どうかエゴだと、知っていて下さい。
アーク、ただ、逢いたい。
私が、ただ、アークに逢いたい。
たったそれだけの、愚かしい事だと、どうか笑って欲しい。
だいすきな、あなたに。
クリスタルブルーが掻き立てる、さみしさに、気づいた時には。
傍にいてもくれないあなたの事を考えていたの。
どんな方法でもいい、あなたのそばにいたいと泣いた。
クリスタルブルーが掻き立てる、さみしさに、気づいた時には。
祈るだけ、どうか私を忘れないでと。
一緒に生きたかったと、やっと自分の気持ちを知るの。
クリスタルブルーが掻き立てる、さみしさに、気づいた時には。
あなたも、私に逢いたかったと、信じていたい。
クリスタルブルーが掻き立てる、さみしさに、気づいた時には。
二次へ
廻廊へ
++以下言い訳
ここで重大なミスを犯している事を発表しなければなりません。書き上げたのちの事ではありますが、ニコでプレイ動画を拝見したところ、エルはアークを殺すという事は認識していなかったという……
つまりこの話は大前提から間違っている訳ですね判ります。なんとか軌道修正を図ろうとしたのも虚しく、ちんぷんかんぷん元気よく、になったので諦めて脱線したままいきます。
いっそこの話の流れの続きとかまで考えているので今更根本の意識改革なんて無理! 現実の設定より脳内捏造を遵守する、それが正しき同人のあり方です(きぱ)。
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