目の前には、神秘的な雰囲気を湛えた少年がいた。
 容姿からして常人離れしているが、蔦のよう艶めかしい金髪も、血の色を写し取った瞳も、そして鋭利に尖ったその耳も、奇妙に翳が支配して、アンニュイさを際立たせる。
 俯き加減の少年は、僕を見て笑った。
 純粋なまま微笑めばきっと見る者を和ませるのであろう笑みは、皮肉と哀愁にまみれ嘲笑とも取れぬ残酷なまでの。
 見惚れてしまいそうな誘惑を断ち切れば、持ち上がるのは懐疑心。

 どうしてだか、胸がざわつく。
 落ち着かなくて、硬直する躯。

 語り合いの先鞭をつけたのは、夢と現の狭間に生息するに見紛う妖精からだった。

「そんなだからあんたは裏切られるのさ、アシェリート。」
 そうして再び、悪逆という未来に触れる前の、愚かにも純朴そうな過去(せいねん)を前に言い知れぬ僖びに身を浸し、ケインツェルは笑った。
 僖びであると、知らぬままに。



 
主題、少年≒青年。副題、邂逅と対談。





 目の前には、一見なんの特徴も変哲もない青年がいた。
 だが、非凡なまでの才と、花開かせるまでの努力、研鑽、邁進した日々を知っているからこそ、より一層腹立たしくてならなかった。当たり前の事なのだが、自分を見ず知らずと振舞う事さえ気に食わない。
 訪れる現実も知らないで、不意に洩れるは憎悪と憐憫の笑い。
 妖精の美貌に酔い痴れるが人の性ならば、潜んだ悪意知らずとも微笑み一つで誰もがうっとりと夢見心地に平伏す。いつかの己も例外ではなく、怪訝そうにしてはいたが、危険要素は感じ取っていないようだ。

 きっとこれは、夢なのだ。
 と、自覚出来る夢程危ない夢も無い。夢は夢のまま夢と気付かず、相互事実の合わない不条理な行ないを、醒めて回転しない頭で考えて始めて夢なのだから。

 ぼんやりと、現状把握をし切れていない向こうの自分は、夢だと知らずいられる倖せ者。などと、ある筈の無い肉体を呼び覚ました己が投影にさえ心穏やかではいられない。

「あんたが望んだものは結局なんだった? 名誉? 栄光? 忠誠という名の盲目?
 それとも仲間
――――と言うのなら、畜生にも劣るな。」
 憂鬱。捻り出したそれに沈痛が混ざっているのが意外で、声に滲み出た感傷に自嘲せざるを得ない。

 裏切りがあると、知らぬままに。
 生きてゆけると、信じ切っている。
 生温いまでの、過去(いつか)の自分。

 空間は黒が支配していた。これ以上失う事は出来ない程光を無くし閉ざされた其処に、予め御丁寧にも用意されていた机を取り囲む二脚の椅子。
 肘を突き身を乗り出せばたじろいでアシェリートは背を反らし、距離を保とうとする。
 少しは警戒心と言うものが出て来たようだ。そうでなくば、刃匠の名が泣く。
「前二者だと言うのであれば、見せてやろう。」
 場の支配者足り得るか、ケインツェルの言葉を皮切りに暗闇の背景は曲がりくねり、其処彼処に渦を作って掻き消え、代わりにと現れたのは七英雄を崇め奉る民衆の映像。
「これは……?」
 ようやっとアシェリートの開口一番、足元さえ変容する様には驚きを懐かないようで、流石は夢、観点がずれているとも取れる。
 中空に浮くかのような形で二人が見下ろす、メッカに祈り捧げる群衆は口々に、今後一切アシェリートが得る事は無い未来への賛辞を述べた。
闇の異邦(ヴィシュテヒ)に脅かされる事無くようやく我ら、か弱き者にも平穏が訪れるというもの。」
「七英雄様がいて下さったからこそ、今日の己があると自覚しなければ。嗚呼誇り高き戦士達よ……」
 夢の場にいるこのアシェリートがどの時点でのアシェリートなのかは知らない。
 だが原形を留めているという事イコール、エルグナッハを失ってはいない事が窺える。
 つまり、やっぱり何も知らないままの。
「七英雄……? わからないけれど、闇の異邦の脅威が去り、安寧が拡大するならよい事だ。」
 期待と希望に満ちつつも慢心する事無いそのアシェリートは、事もあろうに最高のジョークをのたまう。あんまりおかしいので腹を抱えて転がり出してやりたかったが、謀られる民衆は、致し方の無い事なのだろう。
 責める事ではない、英雄とはそういうものなのだから。
 そして偉業を成しておらず況してその功績を奪われていない過去の己も、所詮は民の一人に過ぎない。汚名の意味すら知らず、故に雪ぐべき対象を知らない。
 歪んだケインツェルの得心に合わせて世界の模様は再度蠢く。グラデーションから出でしは更なる恥の上塗り、汚辱にまみれた我が名を語るチンピラ共の跋扈していた人々の関心の外、辺境。
「偽りであっても、辺境は荒れていても、心を安らかにする名前、七英雄。」
 妙に無機な質感が、震えるケインツェルの声帯を焼き払うよう。

 七英雄。
 七英雄。
 七英雄。

 巫山戯た勲章も、守りたかった誰達の安定を考えれば、より復讐の無意味さは駆り立てられて。
 名前が欲しかった訳じゃない。加わりたい訳でも無い。
 削除された是非がただただ燻り心を支配しては。

「だが君も、数多の妖精の命を貪り生きているのだろう?」
 不意の発言に金糸を乱して振り向けば、アシェリートの顔は見えない。
 色濃い靄がそこにだけ立ち込めて、表情を隠すか、或いは取り除いてしまったかのよう、不気味なのっぺらぼうのスイッチで荒野を駆ける馬は忽ち森に生える木の一本一本へと変化を辿る。
 月の映える夜、霧深い陰森、屠殺されかけた衝撃に無我夢中、息も絶え絶えに醜く食らう、何処までも浅ましく手当たり次第に妖精をもぎ取り悲鳴も無視して傍若無人な、それも又過日の己の姿。
 そう、ケインツェル(いま)とて又、呪うようにする仲間と大差ない。罪無き生命に怒号を浴びせ必死なまでに生きようという現状は?
 矛盾。
 嫌悪。
 羞恥心。
「何故ならば、僕には遣り遂げなければいけない事があるからだ。」
「復讐? 他を屠り生き延びてまでやる事が、復讐?」
 リビングデッドのリビングデッドへの冷ややかさ、既にアシェリートと言うよりは半分以上ケインツェルの混ざる自己に、動揺を隠しつつも額に汗を滲ませ見つめる先、まだ面影の残るブラットマイスターは奇怪に口の両端を上げては半月形に微笑みを象り。

「嘘を吐くなよ。」

 顔が遠い。妖精の瞳と同じ、血溜まり色の口腔を剥き出しに、のっぺらぼうは遙か遠方に思えた。
 だが諸手は動かした瞬間からゴムやテープのように撓みつつも高速で飛び出し、遠近法がおかしな事に気付いても、身に覚えの無い特殊技能を揶揄する間も無くアシェリートの掌は既にケインツェルの首をむんずと引っ掴んで、締め上げんばかり怪力を発する。
「お前になんの仇を討てると言う。むざむざ屠られた無様を忘れたか? 仕返しなど、笑わせるな。」
「裏切りの槍だなどと、厚顔無恥にも辱められた仲間を捨て置けと? 果断なる友を謀った奴らを、腰の引けた臆病者達のおためごかしに騙され好きなように、実績だけ利用された己を呪うなと?」
 捕らわれた首根っこから持ち上げられ、息も切れ切れに台詞を紡いでも地の無い地に付けていた足が浮かぶと直下に現れたのは、かの心残り、未練そのもの。
 疲労困憊の自分達を受け入れた、薄汚い血刃の広場。

 シュテムヴェレヒが何かを言っているが、聞き取れない。言語は混濁し、叫びの塊だけが宛ら妖精のうわ言のように木霊する。
 グレンが、斬りつけた。
 僕を、斬りつけた。
 僕を。
 僕を。

 僕を。

「違う、あれは僕だ。お前じゃない。」
 歪んだ口元を残すだけのアシェリートらしきものが、不快そうに言い捨てる。
「いいか? 内心を突き止める事も出来ず、悪戯に他を虐げては死に追いやり、且つ民心に不安だけを与える辺境の英雄(おまえ)なんかじゃない。」
 人の形を捨て、暴言を生み出す為の唇と、握殺する為だけの双手。
 それだけしか留める事の出来ないあそこにいるのは、なんだ?
 刃匠(ブラットマイスター)、そう呼ばれた杵柄、残り香。

「お前なんかじゃ、ないんだ。」

 嗚呼、なんだ。
 ()いて、いるのか。

 気付くのは難く、気付けば容易く、尋常ならざる力に蝕まれながらも弱々しく差し出した、白磁のように透明度高く、薄く細い少年の腕は、もう一人の指に絡む事無くとも、包むかのように。
「だからこそ、ここで立ち止まり、悩みやめてしまうのは、それは傲慢だ。そもそも、復讐自体、非生産的な傲慢の主題なのだから。」

 ないて、いるんだ。

 僕も。
 僕が。
 どちらともの、僕。

「愛して、いるのに?」
 空虚の滞在する眼窩から、きらきら、流す涙。
「憎んで、いるからね。」
 ルビーの埋まる端から、きらきら、零れる涙。
「愛して、いたのに?」
 包まれた指の、ほどけゆく先は、力無い問いかけのように。
――――愛して、いたからさ。」
 握るもの無く広げた掌、届かない爪先に、認めたくない、認められない、認める訳にはいかない、愛情。

 共に生きる仲間。
 戦友にたがわぬ信頼。
 背を預け命任せ剣を振るった、ひたすらの日々。

 愛していた。
 愛さない訳が無い。
 愛しているから、尚。

 許し難い、信じたくない、傷つけられた代償を求め、拠り所を憎しみと呼ぶ。

「辛いんだ。そんな仲間への復讐を誓いながら、生きていく事が。」

 たった一つ残された繋がりが、親愛ではなく憎悪にしかなれない夢が。
 たった一つ出来ると確信した、培った努力を賭しての破壊と殺戮にしかなれない現が。

「愛して、いるから?」

 弱音を示したケインツェルに、嘗てアシェリートだったものが差し出せるのは、溶け切ってしまった腕ではなく、掻き消えそうな亡霊の呼び声。
 現在進行形の問い掛けに、ケインツェルは笑った。
 最初の、悪辣さは無い。
 けれどいつかの無邪気さももう、無い。

 泡沫の残骸が、自らぼろぼろ落とした雫達の中に、伴って力を無くした死の手が消え崩れ落ちるケインツェルの膝下を濡らす水たまりに、同化しながら波紋という名の歌を投げ掛ける。
「終えたら、どうするんだ? 既に苛まれている芯が、意味を成さなくなった時は?」
 考えた事も無かった。
 故に浮かばなかった解答を聞く間もなく、いつの間にか家具ごと飲み込む元の暗黒に落ち着いた壁へ床へアシェリートだったものは染み渡り、その場には、ケインツェルただ一人。
 照らす月光もなく、靡く風もなく、金髪が棚引く。
「その後は……その後は、どうなってもいい。其処に到る自体が、重要なのだから。」

 だったら、それまでは?

 絶対に、どうにかなる訳にはいかないのに。
 折れそうな本音を重荷に。迫り来る敵と見做す、時に善良者を薙ぎ倒し、英雄を誇り目指す者達を、先のアシェリートよりも克明に過去を思い出させる若者達を、倒すだけの理窟も潰れそうになって。
 遂に自問してしまった瞬間、ぐるり全てが回転し、百八十度を越えるところでケインツェルという意識は失われる。
 夢の世界から。
 現の世界へと。



 ぼやける天井。目頭が熱い。此処が何処だかわからない。
 重い身を引き摺り鏡台に向かえば、情けない、皺くちゃの、草臥れた、表情が覗き込んでいた。
 木賃宿の安扉を叩き、返事を待たずピーピが遠慮無し入室しては、状態に不安そうな声を掛ける。
「どうしたの? 調子悪そう……」
「嗚呼、ん、多分夢見が悪いんだ。」
 尖った耳がぴこぴこ微動し、相槌を打つ。
「夢? ケインツェルも見るんだ。」
「なんだその感想。」
「どんな夢?」
 蛇口一杯捻り出した冷水を顔面から浴びせ、幾分か普段を取り戻した筋肉をはたいて、気だるそうな現実への感想。

「さぁ、多分
――――益体も無いつまらないものさ。」

 追求しても始まらないと諦め、飯だ飯だと騒ぐピーピを追い払ってから、もう一度顔を洗う。
 左目の傷跡(スティグマ)に凍みる水滴。
 拭き取っても目尻から何か拭えない、残滓を感じながらも深追いする事無く、ケインツェルも後を追った。

 夢が夢である証拠に、記憶には残せない悔恨と憂鬱を置き去りにして。

























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++以下言い訳

という訳でユーベルブラット。
復讐譚に相応しく暗い話になりましたが何言ってんだ書くものいつでもそうだというセルフツッコミを入れておきます。
テーマ自体がケインツェルの眠って見る夢の中での有り得ない対談なので情景がちょっとワケワカメでしょうか。
寧ろ狙ってそうしたところなのですが、判り難さの演出とごっちゃは別かなと、ちと反省。
いっそもっと混濁させるかすればいいんじゃないかなと。これ以上ややこしくしてどうすんの!!
多分出出しがアシェリート視点なのも要因でしょうが、ケインツェルとしての意識は両共にあり、愛憎の塊として溶けゆくも又彼、それに詰問され苦しめられるのも又、彼です。
尤もあくまで二次創作という事ですから実際の企業団体とは関係ありませんフィクションですが、いやきっとあるに違いない。

情が。