多分みなさんも馬券の当たり外れに関係無く
純粋な気持ちで、応援している馬の勝利を喜んだり、
負けて悔しい思いをしたり、怪我を心配する気持ちがあると思います。
そして、自分の気持ちや境遇を重ね合わせて
祈るような気持ちになることもあるかもしれません。
そんな時、馬の存在はただの競走馬ではなく
みなさんと等身大の存在になっているはずです。
本当に些細なことでしたが、以前とても嬉しかったことがあります。
私はシェリルウーマンのデビュー戦を偶然競馬場で観戦して、
その走りに魅せられて、彼女を特別好きになり
その後もずっと応援していくようになりました。
そうしているうちに、彼女と自分を重ね合わせて見るようになり
もし私が馬だったら絶対にシェリルウーマンだなぁ、なんて思い込んで
彼女のレースの結果や動向に一喜一憂していました。
オークスへの切符も手に入れて、この先も楽しみでしたが
オークス出走後はまったく姿を見せなくなりました。
長い休養に入ってしまいました。
復帰したのは約1年半後、私は彼女を撮るために一眼レフを買い、
引退するまで追いかけて、その姿を撮り続けました。
ある日、彼女のレースの後に、私の近くにいたおじさんたちの
彼女のことを話している声が偶然耳に入ってきました。
シェリルウーマンはデビュー戦の時すごい足を使って勝ったんだ、
強かったんだよ。だから今日も勝てると思ったんだけど…
きっとジョッキーがさっきのレースを引きずってて負けたんじゃないのか?
と話していました。
私はそれを聞いた瞬間、涙が溢れてきました。
覚えててくれたんだ…
私はそんなに目立つ存在じゃないのに
私なんかのデビュー戦を今でも覚えててくれたんだ…
そのおじさんに一言ありがとうって言いたかったけど
黙ってその場で流れた涙を拭きました。
どうして自分のことじゃないのにこんなに感動するんだろう。
どうして私はシェリルウーマンじゃないのに、
彼女のことを「私」って思ってしまうんだろう。
結局彼女は復帰後は1勝もできませんでした。
そして昨年5月に静かに引退していきました。
引退式なんかなかったので、さよならも言えずにお別れでした。
死んでしまったわけでもないし、繁殖牝馬になるのだから
いつか彼女の子供を見れるかもしれない。
それでも、もう二度と彼女に会うことができないと思うと淋しくて
しばらくの間は彼女の写真を抱き締めて泣いていました。
彼女との出会いがきっかけで、他の馬にも自分を重ね合わせて
色々な馬の立場や気持ちを察し、深く考えて、
泣いたり笑ったりする日々が続いています。
実際に私は馬じゃないのだから、本当の馬の気持ちはわからないし
すべて憶測にすぎないけれども、いつも馬の気持ちです。
予想をする時、パドックを見る時、レースを見る時なども
いつも自分が馬になったような気持ちで見ています。
ゲートの中の緊張感、走っている時の苦しさ、
ゴールの後の達成感や喜びや悔しさ…
私はただ見ているだけなのに、一緒になって走っているようです。
馬券を買っていないどんなレースでも、
こんな風に競馬を楽しめるようになったのは
きっと彼女の存在のおかげでもあります。
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