東照宮のおこり            

 今から約350年前、徳川家康の遺言によって、2代将軍秀忠が家康をまつる神社としてつくったもので、3台将軍家光の時に大改造をして、現在のように美しい建物になった。これをつくるのにかかった費用は、当時の金で56万8千両、銀100貫、米1000石(現在の価格で160億円)、工事に働いた人は延べ454万人、そして1年5ヶ月かかって完成した。


陽明門 

 あまりの美しさに感心して眺めていると日が暮れてしまうと言うので、「日暮らしの門」とも呼ばれている。柱はケヤキに渦巻きの彫刻をして、撮り、動物、花が彫ってあり、右側2番目のものは他の柱と違って渦巻きの彫刻がさかさになっていて、「魔除けの逆柱」と呼ばれている。天井に八方にらみの昇竜、四方にらみの降竜、天人舞楽の絵がある。これは、当時の有名な画家、狩野探幽が描いたものである。




 五重塔

 酒井忠勝が慶安3年(1650年)に建てたものが落雷で焼けたので、酒井忠進が文政元年(1818年)に再建した。高さ31.8mで、うるしぬりの美しい色どりでつくられている。石の鳥居(神社)のそばに五重塔(仏閣)があるところがおもしろい。

ねむりねこ 

 家康の墓のある奥院に通ずる坂下門のそばにある。左甚五郎の作と伝えられる。飛騨の国には昔から彫刻師が多く、甚五郎も東照宮造営の仕事をした。
 飛騨の甚五郎がいつのまにか、「ひだり甚五郎」になってしまったという。


鳴竜(なきりゅう)

 薬師堂の天井に竜の絵が描いてあるが、この下で手を打つと金鈴のような音を響かせるので、この名がある。昭和36年3月の火事で焼けたが、43年5月に復元完成された。


 三猿(さんえん)

 神厩舎(しんきゅうしゃ)の欄間(らんま)に、馬を病気から守るという猿が彫ってある。目を押さえているもの、口を押さえているもの、耳にふたをしているものの3匹で「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿という。


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