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2007年2月

200721日 「見たいものしか見ない」

 

ユリウス・カエサルの言葉「人は、見たいものしか見ない」について。

 

カエサルは私の大好きな歴史上の人物で、今後もたびたび登場すると思うので簡単に紹介します。

英語読みではジュリアス・シーザー。紀元前に、ローマが共和政から帝政に変わるとき、その構想を持ち、実行力をも持っていた人物。最後は、志なかばで暗殺されてしまいます。

カエサルは、構想力、実行力を持つだけでなく、最初は軍事能力によって脚光を浴び、演説の話や、文章作成能力などでも卓越した才能を持っていました。また、兵士、外国人、女性からも人気があった人物でもあります。ま、私の人生の目標です。

 

カエサルの「見たいものしか見ない」と同じような意味を持つ格言は、古今東西、多数あります。意味としては、人は自分の都合のよいように解釈するものだとか、厳しい現実からは目をそむけるものだといったようなことになります。

 

当社で業務を担当されている方が、ミスはないかとセルフ・チェックをしますよね。自分のミスはなかなか自分で発見することはできないものです。ここにも、「人は、見たいものしか見ない」傾向があるものと想像します。

あるいは、他人であるAさんとBさんを冷静に比較することはできても、自分とAさんを比較することはなかなかできないものです。自分ができている部分だけを見て「私だってAさんと同じようにできる」と考えたとすれば、見たいものしか見ていないことになるでしょう。

 

見たくないものをも見る力がある人は、進歩を継続できる人ではないでしょうか。

 

 

 

200722日 「スキのある人、スキを作れる人」

 

あなたはマネージャーだとします。

誰よりも早く出社し、誰よりも遅くまで業務に没頭している。そのスピードは群を抜いており、ミスもなく、問題への決断も狂いが無い。獅子奮迅の活躍で、動きにもムダがなく、文句のつけようがない。

 

こんなマネージャに、私だったら、一つだけ、文句をつけちゃいます。

「スキを作ってください」と。

 

マネージャに相談しようか迷っているメンバーは、なかなか声をかけることができません。バカみたいな質問だったら、怖い顔をされちゃうかもしれません。「そんなことも知らないの!」なんてリアクションが返ってきそう。こういうセリフは、言った本人は即座に忘れてしまうものですが、言われた方は、下手をすると一生覚えていたりするものです。

このマネージャが、勤務時間の10%だけでもスキを作ってくれたら、もしかすると、メンバー5名の能率が3%ずつ向上し、2%ずつ成長するかもしれません。もしそうなら、スキはマイナスではなく大きなプラスです。

 

実力がある人ほど、スキを作ってください。

立場が上の人ほど、スキを作ってください。

さいわい、当社には、スキだらけになってしまうような恐れのあるひとはいません。私を除いて。

最後は冗談ですから、ね。

 

 

 

200725日 「オシャレも仕事のうち」

 

健康管理は、仕事のウチです。間違いなく。

オシャレすらも仕事のウチである、というのが今回の主旨です。

 

社員のみなさんの立場に立って想像してみると、「社長は臭い」とかだったらイヤだろうなと、思います。「社長!この件ですが…(臭い!)」なんて、困りますよね。

「社長はシャツの第一ボタンが苦しくて締められない」もイヤですよね。

「社長はボリボリとわき腹を掻いている」とか、

「社長のワイシャツの袖口が汚れている」とか、

「社長のネクタイにはラーメンのおつゆのシミがついている」とか、

「社長の靴下には穴があいている」とかも、イヤですよね。

 

こういった事例でおわかりだと思いますが、オシャレと言っても、篠原涼子やエビちゃんのマネをしろと言っているのではありません。押切もえの方がいいというわけでもありません(篠原涼子の方がいいし)。

相手や周囲に不快感を与えるのではなく、できれば、爽快感を与えることを目標として欲しいということです。

爽快感ですから、逆に、行き過ぎたオシャレはマイナスです。ここ、ムズカシイところ。

「あ、いいな」という印象を与えるのがベストであり、

「お!スゲェ!」とか「キャー!殺してー!」だと行き過ぎです。

 

少し主旨からハズれるかもしれません。私の個人的見解ですが、若い方が超高級腕時計や超高級バッグを身に付けているのは、実は、あまり感心しません。ロレックスやブルガリ、ルイヴィトンなど。

日本では、一点豪華主義みたいなカンジで、「服は安物・時計は金ぴか」といった組み合わせをよく見かけますが、もし、そのままのファッションで海外に行くと、恐らく、時計は偽物だろうと思われてしまいます。「エスタブリッシュされた人物には到底見えない」から、です。つまり、組み合わせが異常なのです。ジャージ姿にシルクハットを被っているようなものでしょう。

オシャレに投資していただくなら、日本のみに普及?している一点豪華主義ではなく、バランスを考え、自分にふさわしいコーディネートをして欲しいと思います。それこそが、爽快感を生むものではないでしょうか。

 

 

200727日 「シャネル」

 

私は、フランスの高級ブランド、シャネルのことは全然知りません。

婦人物は買いませんし、シャネルの数少ない紳士用品であるネクタイについては、「根性がない」という理由で採用していません(ネクタイを締めた後、戻りが悪いことを根性がないと言います=私だけ?)。

 

シャネルは知りませんが、シャネルを創業したココ・シャネルについては、少し知っています。20世紀初頭から半ばにかけて活躍した天才的な女性です。

 

19世紀まで、西洋の女性は、「男性に守ってもらうこと」と「男性にチヤホヤされること」が女性の価値を決めるといった文化があったようです。強い男、地位の高い男に守ってもらうことがステータスであり、多くの男にチヤホヤされることが自慢であったものと想像します。

この文化にアンチテーゼを投げかけた一人がココ・シャネルでした。

それまでの女性のファッションは、それまでの女性の生き方そのものを示すように、コルセットで思いっきり締め上げ、究極までに「寄せて上げる」目くらまし戦法。男がどう見るか、男にどう見せるかだけを考えたファッションで、歩くことすらまともにできない服装だったと思います。

ココ・シャネルは、働く女性、活動的な女性、個性を持った女性を、自分自身が、自分の作った服を着ることによって演じ、女性たちの意識に革命的な変化をもたらしました。

 

当社は女性の多い職場です。

女性が働くことは21世紀の今、世界の常識になりました。

しかしまだまだ、日本では、出産・育児をしながら働きつづけることが容易ではありません。また、親の介護をしながら働きつづけることも同様です。さらに、働きつづけることによって本人が成長し、知識と知恵を蓄えながら、社会へより大きな貢献をするとなれば、まだまだ課題は山積です。

しかしながら、時間はかかるとしても、私は少しずつでも、そのことに挑戦していきたいと思います。みなさんの力を借りながら。

 

 

 

200728日 「ピカソ」

 

スペインが生んだ天才画家ピカソの話。

ピカソは「へんてこな絵」で有名ですが、あれはキュビズムといって、多方面から見た三次元の対象を、キャンパスという二次元世界に描く画期的な手法として、世界の注目を集めたものです。ま、ヘンだけど。

ただ、デタラメをやっていたわけではなく、私は、ピカソ10才のときのデッサンを本で見たことがありますが、天才的です。また、「青の時代」と彼自身が呼ぶ20才前後の頃の、青を基調としたデッサン群には目を見張ります。

そして、彼は生涯に何万点にも及ぶ、膨大な作品群を残したことでも、他に例を見ない天才なのです。

 

ピカソのエネルギーは大変なものでした。

枯渇するということを知らない、次々に沸いて出てくるエネルギーを秘めていました。

クルマはガソリンがなくなれば走りません。電池は寿命が尽きれば、ただの有害ゴミです。ピカソは、人間のエネルギーというものが、使えば使うほど、沸いて出てくることを証明したとも言えるかもしれません。あるいは、どうすればエネルギーが長く持つか、どうすればやる気がなくなることを回避できるかを知っていたのかもしれません。

「自分はどういう状況でやる気が出るのか」「自分のやる気を継続させるにはどうしたらよいのか」、こういったことは個人個人で違うものと思います。もちろん、ときには休息も必要です。

 

ピカソは、45才のときに街で17才のテレーズという女性をナンパするぐらい元気でした(ん?元気っていうんだっけ?)。その恋のエネルギーでその後数年間、新たな芸術作品を生み出しつづけました。

みなさんには決してナンパせよと言っているのではありません。自分自身のエネルギーはどうやって維持・強化するかを考えて欲しいと思っています。

 

 

200729日 「封印する」

 

私はゴルフをやりません。

20歳代のとき、会社の先輩に誘われてゴルフコースに出たとき、「なんて面白いスポーツだろう!」と思いました(サッカーほどではないが)。「これはハマりそうだ」と感じたのですが、「ハマったらどうなるか」をも同時に考えました。

お金がかかることはもちろんですが、特に東京に住んでいる場合、往復に時間がかかります。練習場に通うことにもなるでしょうし、ゴルフ番組や雑誌にも時間を投入するでしょう。

そこで私は、コースに3回出た直後、ゴルフを封印しました。先輩からもらったクラブ一式を後輩に譲り、顰蹙(ひんしゅく)を買ったりしながら。「エスタブリッシュされ、同時に時間的余裕ができるまで封印する」と決めたのです。

もし、あのとき封印せずにゴルフを続けていれば、今日までの25年間、たとえば読破した書籍の数なら1千冊ほど少なかったかもしれません。それを考えると、封印して良かったと感じます。

 

私はマージャンを(滅多に)やりません。

数学と心理学を得意分野とする私は、ハッキリ言って、マージャンが強い。かなり強い。感情が表に出ることがなく、観察力と計算力に秀でた私は、マージャンのプロになる人生もあったかと思うほどです(冗談です)。

学生時代、雀荘で経験を積むのではなく、理論を研究し、社会人になってから、新宿の雀荘に一人で武者修行に出たときもありました。ものすごくエキサイティングでした。で、「これはハマる」と思い、封印しました。今では絶対やらないというわけではありませんが、自分からやろうとしないというルールを自分自身に課しています。つまり、無謀な挑戦なら受けて立つというスタンスです。

今から考えて、もし封印していなかったら、恐らくもっと老けていたと思いますし、腰痛に悩まされてもいたでしょう。

 

私はナイトクラブやキャバクラに(よほどのことが無い限り)行きません。

これも封印しました。行くとモテすぎて、後が大変なのです(冗談だってば)。

競馬も封印しました。

研究しながら勝負をかけるというのが、あまりにも私にむいていそうだったので。

 

自分の将来のために何かをやるというのは、自分に対する投資です。

投資といっても、お金をかけるだけではありません。時間やエネルギーも必要になります。

一方で、何かに投資するお金・時間・エネルギーを確保するためには、自分にとって「やりたいけど、やらないほうがよい」ことを封印することにも効果があります。

任天堂やプレステを封印してもよいでしょうし、パチンコを封印してもよいでしょう。テレビを封印するのも一つです。

 

私の経験ですが、人生が変わってきます。

 


drawn by Minori M



 

2007213日 「投資する」

 

 

私は英語が得意です。TOEICなら800点以上であり、ビジネスで使えるレベルにあります。また、海外事情にも詳しいほうで、ビジネス上での知人も多くいます。昔、出張といえばロンドン、NY、デリーなどでした。今は八戸、仙台、福岡、宮崎です(文句、言ってませんから)。

 

こんな私ですが、生まれてはじめて海外に行ったのは39才のときです。

若い頃から英語は得意でしたし、仕事で使ったりもしていましたが、卒業旅行は熱海、新婚旅行は九州という時代に育った私は、遊びでも海外に行くチャンスがなく、また、就職してからは仕事に追われ、なかなか時間を作ることができませんでした。

 

40才を目の前にして、「こんな自分は世界に通用するのだろうか」と自問自答しました。

少し英語を勉強してTOEICを受けたら600点だったので、愕然としました。「ダメじゃん」です。英会話スクールのNOVAに通い、1年半で800点を超える実力が身につきました。ちなみにNOVAが良かったわけではありません。

 

39才の926日、前の会社ですが、大きな会議の事務局として休日返上して働いた後で、たった一人でロンドンに向かいました。ツアーではなく、何のアポイントもなく。そのときの社長に「世界で通用するかどうか試して来ますので、1週間休暇をもらいます」と宣言したおぼえがあります。社長は「なんでロンドン?NYではないのか」と言うので、「19世紀からスタートしないと」というワケのわからない回答をしたことも記憶しています。

 

この投資が、その後の私の人生を変えました。

その後、12回目の海外出張から帰った途端に受けた、スタッフサービスからの電話で、私の人生が再び変わることになるのですが(余韻を持った終わり方にて)。

 

 

 

2007215日 「邪魔者がいない状況」

 

今回の話は、GMあるいはGM補佐など、上級職の方を対象としています。

 

「邪魔者がいない状況」というのは、人間を堕落させます。

  1)怖れるべき上司がいない(恐い上司という意味ではありません)

  2)横槍を入れるような同僚がいない

  3)うるさい、あるいは生意気な部下がいない

  4)そして、これが一番大切ですが、顧客の存在がない

 

もし、このような条件が満足される場合、「恐いものナシ」の状況とも言えると思いますが、そのとき間違いなく人間は堕落します。

1)から4)まですべてが物理的に存在しないということは、ありえないことではありますが、たとえば「上司はチョロい」し、「みんな自分を恐がって何も言わない」ような状況のような場合、よほど自分で意識して顧客の満足を推進しないと、自分が「成長しない構造を自分自身で作っている」ことになってしまいます。

 

さて、今回の主題は、3)うるさい、あるいは生意気な部下がいない、について、です。

「たまたまそういうこともある」可能性もありますが、多くの場合、自分が周囲を「黙らせている」ことがあります。

「邪魔だから飛ばす」とか「生意気だから叩く」ということをしていると、周囲は「邪魔にならないように」「生意気にならないように」過度の緊張を強いられ、「組織にとって本当にやるべきこと」を誰も考えなくなり、「恐い上司に叱られないこと」が最優先となるでしょう。あるいは「その上司に気に入られるようなこと」かもしれません。

 

このことはなかなか自分では気が付かないものでもあります。

自問自答してみてください、「自分は何が、誰が、怖いのか」と。

 

 

 

2007216日 「幸福は自分が決める」

 

二月の三連休、最終日の夕方、NHKで放送していた地味な番組を見て、感動しました。

障がいを持つ方と、力士との友情についてのドキュメンタリーでした。

 

障がいを持つ男性は、身体障がい、知的障がいの両方を生まれつき持っていました。彼は力士のファンになって、手紙を送りつづけるのですが、その手紙は原稿用紙にひらがなで書かれたものです。その中の一節が印象深い。「ぼくがうまれるとき、かみさまはわすれものをした」。しかし彼は神を、あるいは運命をうらむことなく、ひたむきに生きていきます。

 

その彼がテレビの相撲中継を見てファンになった力士は、結局、40歳で現役を引退するまで幕内に上がることなく、幕下と十両を行ったり来たりしていたようです。それでも懸命に勝負に臨む姿が、ファンの心をとらえたのではないでしょうか。この力士は引退後、ヘルメットを被って工事現場で働くことになりますから、決して華やかな人生とは言えないものと思います。

 

この二人が、手紙でやりとりをし、お互いに励ましあうのです。

力士の引退式典である断髪式に呼ばれたり、心配な手紙の内容で力士が埼玉から広島まで飛んできたり、何回か、二人は直接会うことになります。

 

この二人が時折見せる笑顔が最高でした。

 

幸福とはなんだろうかと改めて考えさせられたのは、私だけではないと思いました。

自分の幸福が何であるか、幸福とは何かを決めるのは自分自身です。「金持ちになること」「セレブ婚」「子供の幸福」「ゴルフ上達」「おだやかな老後」などなど、人によって幸福は違うものでしょう。他人の幸福をうらやむよりも、自分にとっての幸福が何であるかを決めることのほうが大切ですよね。

 

さて、会社の幸福も、自分たちで決めるものです。

会社ですから、成長性と収益性の二つは、必須項目です。この二つに加えて、どういう会社になりたいか、どういう会社にしたいかを決めるのは私たち自身です。「生き生きしている」とか「みずみずしい」といった表現もさることながら、具体的に「こういうことがあったときに、ああいった反応をする会社」といったイメージを作っていきたいものだと思います。

 

 

 

2007219日 「サウジアラビアの人々」

 

サウジと言えば石油。世界有数の産油国が、サウジアラビア王国です。

石油がたくさん出ますから、この国は大変に豊かです。国民に所得税はありませんし、ガソリンは1リットル17円ぐらいだということです。

 

国があまりにも裕福なので、実は、国民のほとんどが働いていません。このことにはカラクリがあります。たとえば外国資本が、サウジへの進出を希望したとします。サウジ政府は、外国資本が富むだけでは面白くありませんから、国民へのサービスとして、外国資本に対して、進出する際には、「サウジ国民を社員として一定割合以上を雇用すること」を義務としました。そこで、たとえば、現地100名の企業を作ろうと思ったら、20名をサウジ国民とするといったことで対応しているのです。ところが、この20名が働きません。というか、会社に出てこないのです。働かないからといって、解雇して別なサウジ国民を雇用しても同じ結果になりますから、企業としてはメンドクサイので、出社しないサウジ国民にも給料を払いつづけています。給料を払わない=雇用していないということになり、サウジ政府との約束を守れなくなるからです。

サウジ国民はいい気になって、勝手に振り込まれる給料を使いながら、遊んで暮らしているというわけです。

 

石油は化石燃料です。地球46億年の歴史の中で、生物の歴史は40億年以上。植物や動物の「油」が蓄積されてできた、化石燃料なのです。40億年かけてできた原油を、恐らく数百年で使い切ってしまうペースで、今、採掘され、くみ上げられ、利用されているのです。

石油がなくなれば、サウジ国民の今の暮らしも終わります。そこまで待たなくとも、太陽エネルギーや風力エネルギー、あるいは、サトウキビから作られるエタノール燃料などの利用が進めば、それらの価格が相対的に安くなり、石油の値段が相対的に高くなります。そうなれば、石油を産するということの価値が漸減していくことは間違いありません。

 

今のサウジの人々は、おそらく「一生、遊んで暮らせる」でしょう。ところが、彼らの子孫はそうではありません。働かない大人を見ながら育った子供たちが、働くようになるでしょうか。働く喜び、働きながら自分が成長する喜びを、国民のほとんどが数百年も味わうことなく経過すれば、そのとき、全く魅力の無い国と国民が残されることになるものと想像します。

 

「人は見たいものしか見ない」事例が、サウジにもありました。

 

 

 

2007220日 We can work it out

 

1967年のアメリカ映画に「招かれざる客」という名画があります。

原題は “Guess who’s coming to dinner” というもので、「誰がディナーに来るのか当ててみて」みたいな意味です。

 

新聞社の社長をやっている父親、妻、娘の三人家族。その娘が今晩、婚約者をディナーに連れて来るという話で、「どんな人が来ると思う?」といったニュアンスでしょう。実は、婚約者は黒人だったという問題提起なのです。

父親が経営している新聞社はリベラル、すなわち保守の反対であり、人種差別撤廃を主張している新聞でもあります。アメリカの上流階級に位置付けられる典型的な、知的な父親といった役どころです。新聞では人種差別を反対しているものの、自分の娘の相手が黒人だとわかると絶句してしまいます。もちろん、当時の、いや現在ですら、白人の娘が有色人種と結婚すると言われてびっくりしない親はいないと思いますが。

婚約者の黒人は、世界的に著名な医師という設定であり、人種ということ以外は、文句のつけようがない。すなわち、「あなたは肌の色だけで人間を差別しますか」という問題提起をした映画です。

ま、クサイ設定というか脚本なんですけど、スペンサー・トレーシー、キャサリン・ヘップバーン、シドニー・ポワチエといった役者が上手いので、見ごたえがあります。

 

で、本題ですが、悩む父親に、彼の友人であるオッサンが、「いやぁ、若い彼らならやっていけるよ、ビートルズのヒット曲にもあるじゃないか、We can work it outって」という短い場面があります。ビートルズのファンの私は、大昔に見たこの映画のこの場面をよくおぼえています。

We can work it out” というフレーズ、実は、私が当社の社長になってから何回も何回も、自分自身に言い聞かせている合言葉です。「ボクたちにはできるさ!」というカンジで。

 

さて、ここからは蛇足。せっかくビートルズが登場したので、このままで終わるワタクシではなかった。

1965年のビートルズからのクリスマス・プレゼントとして発表されたのが “We Can Work it Out” “Day Tripper” のシングル盤。クリスマス・プレゼントというか、単なる年末商戦をねらって発表しただけですけど、ね。当時、CDがなかった時代、レコード盤として発売されたわけですが、オモテであるA面とウラであるB面に1曲ずつ。ビートルズはこのシングル盤を発売するにあたって、両面がA面であるとしたのです。当時でも今でもB面といえば大体ダサイ曲が多いのですが、このシングル盤は両面ともに大ヒットし、ヒットチャートでなんと、オモテとウラがトップを争ったのです。それも、英国ばかりでなく世界中で。今週はこちらがトップで翌週はその逆という現象が起きました。

 

もし、ビートルズを1枚だけ買うなら、私は迷うことなく、この1枚をお薦めします。

 

 

 

2007221日 「自分を説得する」

 

ちょっと訓練すると、他人を説得するよりも、自分自身を説得する方が簡単なことがわかります。なぜかといえば、自分の価値観はわかっていますから。以下に、私の2つの事例をご紹介します。

 

ゴルフを封印したときの話。

ちょっと始めてみて、これは面白い!これはハマる!と感じた私は、同時に、これにハマってしまえば、お金はかかるし、時間はかかるし、勉強はできなくなるわ、彼女は口説けないわということで、封印すると決めました。そのとき、自分を説得した理屈が以下。屁理屈と言ってもいいかもしれません。

ゴルフはそもそも自然の中でするものである。ところがどうだ、ゴルフ場の多くはキレイを通り越して、虫すらもいない。これは恐らく、どこぞの会社のオッサンが銀座のネエちゃんを連れてくるために、虫も出ないゴルフ場にしたのだろう。本来ならば、虫やカエル、野ネズミや蛇が出たっておかしくないのがゴルフ場だろうが、強烈な殺虫剤でも使っているのか、芝と特定の樹木以外に生物をほとんど見ることがない。そういえば、ゴルフ場を作ったことによって、周囲の環境を破壊し、地下水が使えなくなったという話も聞いたことがある。こんなゴルフ・ブームに私が乗るわけにはいかない。ゴルフは、そうだ、スコットランドに行ってゴルフができるようになるまで封印しよう!

 

 

次に、スキーを封印したときの話。

私はスキーをやったことがありません。ただの一度も。若い頃、面白そうだなと思いましたが、お金と時間についてはゴルフ同様、ハマってはいけないだろうと考えていました。あるとき、サッカー仲間が、「スキーはサッカーのドリブルに通じるものがある」「ドリブルが上手いヤツはスキーも上手くなる」と聞いて、やりたくてたまらなくなりましたが、そのときスキーを封印する目的で自分に言い聞かせたのが、以下の屁理屈。

スキーにはリフトがつきものである。リフトは電力で動いている。これがいけない。電気はどこから来るのだろうか。原子力発電に批判的な日本では、電力は火力か水力のどちらかであろう。水力発電なら、自然破壊の最たるものであるダムによってまかなわれている。火力発電なら、サウジの原油をタンカーで数万キロ運び、沿岸部で燃やしてタービンを回して電力を得て、その電力を、電圧を減衰させながら山の上のスキー場まで運んでいるのだ。なんというエネルギーの無駄遣いだろう。さらに、こうして得られたエネルギーでリフトを動かし、スキーヤーは位置エネルギーを得る(高校の物理を思い出せ!)。その位置エネルギーをスキーヤーの運動エネルギーに変える。これがスキーの正体だ。しかし結局は、スキーヤーは最後に停止するわけだから、運動エネルギーを熱エネルギーに変換して雪を溶かし、エントロピーを増大させているだけなのだ(大学の初等物理)。こうしたエネルギーの無駄遣いに私が加わるわけにはいかない。そうだ、北イタリアのアルプスに行くまではスキーを封印しよう!

 

こうして自分自身を説得したのです。

 

 

 

 

 

2007222日 「日本人とテレビ」

 

今や世界中にテレビはあります。しかし、他の諸国、特に他の先進諸国と比較して、日本人にとってテレビが特殊な位置付けになっていることを、ここで考えたいと思います。

 

その根源的な理由を、私は、日本が山だらけ、国土の80%が山間部であるという事実に根付いているという仮説を立てています。日本地図を見ると、平野を示す緑の部分が沿岸部だけに留まり、その他の部分が茶色になっていますよね?このことが根源的な理由となっているという仮説なのです。

 

もともと無線を使った放送としてテレビは発明されましたが、米国など先進諸国は、その後、有線、つまりケーブルテレビが普及しました。無線放送の場合は、専門的になりますが、周波数の帯域問題があって、実はなかなかチャンネルを増やすことができません。一方、有線だと、米国の事情を知っている方ならご存知のことですが、チャンネル数が半端ではありません。すごく多い。

この、チャンネル数の少なさが、日本人とテレビの関係を特殊なものにしているというのが、私の考えです。

 

もし、日本が米国のように、多くのチャネル数を実現できる有線方式を採用できれば、たとえば、囲碁専門チャネル、将棋、海釣り、川釣り、料理、乗馬、小学生を持つ親むけの教育相談専門チャネルなど、専門チャネル化が可能となります。英国では、人気サッカーチームは専門チャネルを持っており、24時間そのチームのことばかり放映しています。

 

日本では、山間部が多いため、有線で全国を網羅することは費用がかかりすぎるため、無線で網羅する方式を採用しました。たとえて言えば、山の上から巨大な噴水で水を撒き、各家庭がタライで受けるようなものが無線放送であり、各家庭に水道を引くのが有線放送と言えます。

 

数少ないチャネルしか持つことができないと、放送局は何を考えるか。「できるだけ多くの人に見てもらう」ことを考えます。囲碁チャネルなら、囲碁ファンだけに見てもらえればよく、全国数十万と思われる囲碁ファンに特化した番組を作り、囲碁用品などをCMで流せば大きな効果が得られると思われますが、これができない日本の放送局は、誰もが関心を持つだろう番組を作らざるを得ないという傾向になるのです。だから、大きなニュースがあると、全部の放送局が同じような内容ばかりを延々と流しつづけることになるのです。

 

誰もが関心を持つ番組って、作れるでしょうか。

例えば、この文章、私の原稿で考えてみても、特定の事業の話は、その事業・業務に関連した人には関心を持ってもらえても、その他の方に読んでもらえるのは容易ではないでしょう。固いハナシも同様です。できるだけ多くの人に読んでもらえるのは、恐らく、結果としてはオシャレの話とかかもしれません。あるいは、そういったちょっと面白い「番組」を用意しないと、このサイトを開いてくれないかもしれない、つまりテレビで言えば、チャンネルを合わせてもらえないかもしれない。

 

だから、日本のテレビ番組の多くは、バカらしいのです。パーでも楽しめる番組が圧倒的に多いのです。「誰でも関心を持てる」ことを実現しようとすると、5段階評価で言えば、2の人をターゲットにするのがマーケティングです。そして、2の人を3にあげようとは夢にも考えず、「そのままでよい」という姿勢をとってしまうものです。別な表現をとれば、「誰でも関心を持てる」内容は、実は「誰も関心を持たない」内容となっているとも言えるでしょう。

 

この文章は、5段階で言えば、3と4と5の人を対象にしています。読まない人をも巻き込むために、日本の放送局が犯したバカらしい戦略を私は採用しません。そしてさらに、読んでいただけるみなさんには、少しずつでもレベルアップをしていただこうと思っています。

 

日本のテレビ文化、あるいは日本人とテレビとの関係は、50年もの時間をかけて構築されてきました。これからBSディジタル放送が始まり、チャネル数の問題や双方向性の導入などで改善される問題はありますが、それには、やはり数十年の時間が必要となるでしょう。

私も、この文章が即効薬として、みなさんの思考パターンや行動パターンに影響するとは考えていません。何年もかかるものだと思います。しかし、それだけの時間をかける価値があるものと思います。

 

 

 

2007223日 「表と裏の関係」

 

今回の話は少しむずかしいかもしれません。

強さと弱さ、あるいは長所と短所は、表と裏の関係ということが主題です。

 

当社、スタッフサービス・グループを客観的に分析してみましょう。その強さは、スピードにあります。「2時間人選」や「アライバル25」といった、他社ではマネのできないスピードを持っています。我々、業務部門をも含めて、「仕事はすぐやるもの」「片っ端から片付けていくもの」という行動様式が、組織の隅々にまで浸透しています。この強さは、他の会社ではなかなか見られません。

 

企業というものは、世界中のいかなる業種・業態であっても、求められるものは「成長性」と「収益性」です。その上で社会的責任とか、活気ある職場とかが議論されますが、成長性と収益性を持たない企業は存続できないので、この2つが最優先の必要条件となります。

当社は、中堅企業であったころに、「成長性を最大限に発揮するために、収益性については必要最低限のレベルを守るにとどめる」という経営判断をし、その後、文字通り、突っ走って来たのです。その結果が、「3年で事業規模を倍にする急成長」をもたらし、「後発でありながら短期間での首位獲得」を実現しました。

成長性を最優先する、つまり、「積上げ」を最重視するために、究極のスピードに挑戦しつづけてきました。その結果、様々な文化や行動様式を持つようになりました。

 

その1つに、「上司は絶対」という文化があります。

もちろん上司だって間違えることはあります。しかしながら、現場で様々な議論をしていると、結果としてスピードは出ないのです。ですから、上司がシロと言えば、違うんじゃないかなと思っても、とにかくハイスピードでシロの方角に疾駆する。スピードが早ければ、その方角が間違っていることに気づくのも早く、そうなれば、急旋回してクロの方角に走り出すことも早くなる。

 

「上司は絶対」という文化が、当社、スタッフサービス・グループの急成長を支えてきた1つの要因であることは間違いありません。

しかしながら、この文化は、収益性強化に対する大きな阻害要因であると同時に、様々な副作用をもたらしてしまってもいるのです。

 

つまり、この強さも、裏から見れば、弱さに他ならないということです。

それでは、この特長を、表も裏もひっくるめて捨ててしまってよいものでしょうか。弱さの部分に問題があるから、強さをも併せて捨ててしまう。この思考パターンは、日本人に多いものですが、こういう判断をすることによって、全く特長の無い組織があちこちでできあがっています。つまり、企業で言えば、成長性も収益性も、どちらも持ち合わせていない会社ということになります。

 

上司の迅速でかつ断固とした判断が組織に緊張感をもたらす(長所)と同時に、メンバーが認識している問題点を言いにくい空気ができあがってしまいます(短所)。

上司が要求する究極のスピードが組織に活気をもたらす(長所)と同時に、もしかすると大切な他の何かを置き忘れているかもしれません(短所)。

上司が手本を示す明白な取捨選択基準が目標にまい進する組織運営をもたらす(長所)と同時に、考えないメンバーを大量生産してしまう可能性があります(短所)。

 

このように、長所と短所、強さと弱さは表裏一体であることが多いのです。

私を含めて、当社の経営陣は、現在の当社の強さと弱さを正しく認識しています。

これからは、成長性と収益性の両方を同時に満たす、世界標準での優良企業に変身せねばならないと考えています。しかし同時に、だからといって、これまでの強さを捨ててしまってはいけないとも考えています。

 

「上司は絶対」ではありません。「決めたことが絶対」なのです。

全人格的に上司が部下より優位に立っているわけではありません。仕事を進める上での役割として優位に立っているに過ぎないのです。

このことを徹底していくのは、私にとっても容易であるとは思えません。今までの思考様式、行動様式を、人はそう簡単に改めることはできません。

「上司は絶対」を改めることは、その上司が考えを改めるだけでは実現できません。上司の言うことを素直に聞いてさえいればいいといった思考パターン、上司に気に入られることが最優先と考える行動パターン、そういったものも同時に改めていかねばならないのです。

 

決して容易ではありません。

しかし、私は、決してあきらめていませんし、できると思っています。

また、それこそが私の存在意義、私の付加価値であるとも考えています。

 

 

 

2007226日 「スーツ」

 

先日、5年次会食、すなわち入社満5年を祝した昼食会を持ちました。その際、「今日のためにはじめてスーツを購入しました!」という女性がいましたが、そのわりに大変にお似合いで印象に残った結果、この話をすることを思いついた次第です。

 

スーツは英語ならsuitといいます。1着ならa suit、複数ならsuitsで、複数suitsの発音が日本語になったものと思います。

もともとsuitという単語は、TPOに合致するという意味の動詞、あるいは、合致する服という名詞ですが、「身体にフィットする」というニュアンスをも持っています。ただし、いわゆるボディコン(ボディ・コンシャスbody conscious=ボディラインを意識した、あるいは見る人に意識させる)の意味はなく、もっと「ルースなフィット」ではありますが。ちなみにTPOとは、Time, Place and Occasionの頭文字を取ったもので、時と場所、そしてそのイベント・儀式・場合に合致したものというニュアンスでよく使われる表現です。

 

大英帝国において紳士服として生まれたスーツは、その後、世界中に広まるわけですが、スーツが生まれる以前の服装(特に正装)ってどうだったのでしょうか。それは恐らく、身分によって決まっていたものだと思います。もちろん身分は文化圏によって異なりますから、ギリシャ・ローマ文化に基礎を置く西欧文化圏と、オリエント文化にギリシャ文化の味付けが加わった東欧から西アジアの文化圏では違っていたものと想像します。

西欧で言えば、ローマ時代の正装であるトーガというものがありますが、これは白く長い布を、肩からかけたようなものです。ローマ時代の男性にとって、身体を鍛えることは必須でしたので、肩幅が広く胸板が厚い筋肉質の体型に似合う正装がこのトーガであり、肩から胸にかけてボディ・コンシャスになるものの、その下は重力に従ってストンと直線的に落ちるといったスタイルだったと思います。

 

ローマ帝国を模範と考えていた大英帝国の男性たちは、スーツをデザインするにあたって、このトーガを参考にしたのではないかというのが私の独自の見解です。

男性用のスーツは「胸で着る」とよく言いますが、肩幅を広く取り、胸板にそったゆるやかな曲線を描いて、その下はストンと直線的に落ちる。スーツが似合う男性は、背筋が伸びていて胸板が厚く、おなかが出ていないという条件を満足しているハズです。

ゆるやかな曲線と直線の組み合わせがスーツの「妙」ですので、横しわが入ったスーツは、それだけでもうダメです。男性の場合は、スーツは1シーズンで最低でも3着を着回す必要があります。つまり、1回着たら2日は吊るして皺を伸ばす必要があります。

 

一方、女性のスーツの起源は、これと違います。私は詳しくありませんが、恐らくココ・シャネルあたりが広めたものと想像します。

男性には「実用的」な服装が多数ありました。狩猟用の服装、乗馬用の服装、旅行用の服装など。一方、身分の高い女性はココ・シャネル以前は「実用的でない」こと、あるいは「飾りのようであること」あるいは「お人形さんのようであること」あるいは「男性の目を引くこと」に主眼が置かれていたので、女性のスーツは革命的だったものと思います。

 

女性のファッションは「辛口」か「甘口」か、あるいは「タイト」か「ルース」かというように分類されることが多く、「自分は甘口のルース」というように自分のファッション・スタイルを決めてしまっている女性が結構多いものと想像しますが、意外と違う方角に挑戦してみるのも面白いと思います。それこそTPOによって変えてみたりすると変化があってグッドです。

 

さて、男性のスーツに話を戻しますが、スーツは「英国派」と「イタリア系」に分類されます。フランス人は男性でも大変にオシャレですが、残念ですがフランス大統領のスーツは多くの場合英国派であり、ナンパ野郎のスーツはイタリア系のようです。

3つボタンのスーツの場合、英国派なら真中だけを留める、イタリア系なら上の2つを留めるといった違いもあります。でも、それ以上に、形が違いますよね。

イタリア系は、ローマ時代のトーガにより近く(そりゃそうでしょ)、肩と胸を強調するものの、それより下は鉛直方向にまっすぐ落ちる直線であり、そのために絞っていません。

バブルの頃、日本人男性にアルマーニのスーツが流行りましたが、多くの男性には全く似合っていませんでした。そりゃそうでしょ!背が高く、肩幅が広く、胸板が厚いという条件を満足しないと、アルマーニのスーツは似合いませんし、完璧をめざすならばその上、ちょこっと不良でないといけません。

 

参考までに、私は、スーツはすべて英国派です。ちょこっと不良だけど、ね。

(冗談です)

 

 

 

 

 

 

 

2007227日 「一神教と多神教」

 

私は特定の宗教を信奉しておりません。以下の話は、様々な宗教あるいは信教を分析して得られた洞察を、当社の特長に照らし合わせてみようという画期的な試みです。

 

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教が一神教の代表選手です。

一方で、ギリシャ神話にはゼウス、アポロ、メデューサなど多くの神々が登場するように、ギリシャ文化は多神教であり、また、多神教の最たるものが日本文化です。「八百万(やおよろず)の神」というように、800万?も神様がいるわけですから。

 

一神教は、「神様は一人だけ」という原点に立っています。ですからその神様は絶対的な存在です。「神様は一人だけで、それ以外はすべて神ではない」というのは、いずれの一神教にも共通していますから、キリスト教圏とイスラム教圏で「どちらが本当の神か」という争いが起こるのは、残念ながら構造的な問題となっています。

 

イタリアのローマ発で東西南北に版図を広げたローマ帝国は、征服した国々の宗教をそのままにしました。信教の自由を重んじたというよりも、特定の宗教を押し付けるとメンドクサイ問題が起こるのを知っていたからだと言われています。ですから、ローマ帝国も多神教の代表選手であり、ギリシャの神々の全部、そのローマ版(ゼウスのかわりにユピテルといった具合)の神々、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教もOK、ゲルマン民族が部族ごとに信奉する種々雑多な(失礼!)神々も全部OKであるばかりでなく、皇帝が亡くなった後は「神になる」あるいは「神にする」という習慣もあって、日本の八百万ほどではないにしても40万ぐらい神様がいたと言われています。ローマ帝国は最初、キリスト教徒を迫害したこともありますが(そもそもキリストを殺したのはローマ皇帝の命令による)、帝政の後半で、キリスト教一本に絞った結果、「明るく(いい加減だが)合理的なローマ帝国」が「ちょっといきすぎのマジメで暗いローマ帝国」になり、西洋の歴史の上で「暗黒の時代」と呼ばれる中世へと突入します。

 

一神教の文化には大変な強さがあると同時に、他の価値観を受け付けないので、柔軟性に欠ける部分があります。一方、多神教の文化は、様々な価値観を受け入れる包容力があるものの、1つの目標に向かって団結する力は強くありません。

 

ユダヤ教徒は、数千年前から世界中で嫌われつづけていますが、どこでも固く団結し、金融をはじめとするビジネスの世界や、政治あるいはIT技術者の世界でも優秀な頭脳を輩出してきています。

英国からはじめてアメリカ大陸へ渡ったのは、清教徒あるいはピルグリム・ファーザーズと呼ばれる敬虔なクリスチャンたちでした。あるいは、チャールズ獅子心王に率いられた十字軍は聖地を奪還するために苦しい旅・戦争に出征して行ったのです。

イスラム教徒も例外ではなく、いやむしろ現代では最もインパクトが強いのは彼らだと思いますが、聖戦(ジハード)と称して、自らの死も省みずに米国などと戦っています。

 

このように、一神教の文化は、目標あるいは目的に向かって一直線にまい進するときに強い力を発揮します。同時に、変化せねばならないとき、多様な選択肢の中から最適解を見つけて方向転換する際に、短所を露呈することになるでしょう。

 

当社は一神教でここまで来ました。

また、「首位奪還」が最大の課題である今後数年間は、それこそ「聖地奪還」が最重要課題であった11世紀当時のキリスト教圏を見習うべきかもしれません。

しかしながら同時に、事業規模における首位というだけでは、これからの当社にとっては不十分なのです。収益性やブランド・イメージなど、事業規模と同時に強化せねばならない課題が数多くあるのです。

このとき、多神教の良さをも併せて持つ必要があると考えています。

 

「上司は絶対」という話を先日書きましたが、この文化は一神教です。

一神教の良さを守りながら、多神教のメリットを導入するというのは、大変にむずかしいことです。ローマ帝国はそれができずに滅んだといっても過言ではありません。

現在の米国は、「自由主義経済」あるいは「自由主義経済を大前提とする価値観」という言わば一神教です。宗教そのものは、多民族で成り立っている米国において、既に多神教文化を採用してはおりますが。この価値観に賛同できないイスラム原理主義を中心とする他の文化圏との間に、かつての宗教戦争のような対立があることはご存知でしょう。つまり、米国は「自由」と謳いつつも、米国民の定義する「自由」でないといけないという考え方のように受け止められます。

 

当社はかつてのような繁栄を取り戻したい、かつてのような栄光ある地位を奪還したいと考え、一神教の強さを再現せねばならないと同時に、多神教が許す柔軟で包容力のある組織運営を作り上げないといけないのです。

 

 

 

2007228日 「対等ということ」

 

この原稿を書いている私と、読んでいるみなさんとは、実は、対等ではありません。私はそう感じています。読んでいるみなさんがguestであり、書いている私はhost。あなたがお客様で、私が下僕です。

 

なぜでしょう?

私は原稿を書くとき、読むみなさんの立場にできるだけ立って、読みやすく、面白く、そして学んでいただけて、当社のことを理解できる内容にしようと考えています。

ま、たまに「なにコレ?」みたいなものがあるかもしれませんが。

ところが読者であるみなさんの、実に98%ぐらいの方は、これを書いている私の立場に立って考えてみようとは思っていないでしょう。

 

この原稿を書いている私の立場で考えてみてください。

この連載が、第一にみんなに読まれているかどうかを知りたいハズですよね。第二に、それが面白いのか、質問はないのか、といったことに関心があるハズだと思いませんか?

ところが質問はこれまでに3件。私が「クローバー読んでいる?」と聞けば答えてくれる方が多いものの、私から何も言わない状況で「読んでいます!」というセリフはこれまでに13名の方から聞いたに留まっています。

 

賢明な読者は既にお気づきかと思いますが、ま、私がスネているだけなんですけど、ね。

 

しかし、「対等」ということを考える上で、このことは大変に興味深い事例であるので、ちょっと活用したいと思いました。

 

対等ではない、すなわち片方が「お客様」でもう一方が「下僕」の関係。

読むも読まないもお客様の自由だし、感想を言おうが言うまいがそれも自由。

これと似ている関係が、政治家と有権者です。

小泉首相や安倍首相の公式発言内容、読むも読まないも自由だし、感想を言うというか、それによって行動を変えるも変えないも自由。つまり、日本が良くなるも悪くなるも下僕である政治家次第であり、お客様である有権者は見物しているだけ、あるいは見物さえもしていない。ただし、自分に不利益がある場合だけは、文句を言うことがある。すなわち「何とかしてくれ」と。

こういう国家は、実態として「主権在民」と言えません。そしてこういった国家が世界から尊敬を集めるわけがない、あるいは、国家として優れているハズもない。

 

この日本の状況が、実は、当社にも見られるのではないか、というのが私の問題意識です。

 

社長が何か「やっている」あるいは「やってくれている」。しかし、命令でないかぎり、それを無視するのは自由である。

それでは、私が「全員、読め!」とか「全員に読ませろ!」とか「感想文を書かせろ!」といったように命令すべきでしょうか。私は、そうは思いません。それでは結局、何の問題も解決できないというか、そもそも、「命令されなくても動く組織を作りたい」がゆえにこの原稿を書いているのですから、自己否定あるいは自己矛盾になってしまいます。

 

私は本音を言えば、日本国民全員を変えることができないように、当社全員を変えることはできないと思っています。

しかし、一部の人たちの思考様式・行動様式を変えることはできると考えており、その一部の人たちがさらに周囲に影響を与えることが可能であると考えています。

 

この会社を変えるのはみなさんです。もちろん、この会社の良さ・強さを伸ばすのもみなさんであるように。

 



drawn by Minori M