過去のブログから 本文へジャンプ
2007年3月

200731日 「中田英寿(ヒデ)と中村俊輔(シュンスケ)」

 

サッカーに詳しくない人でも、この二人の名前は聞いたことがあるものと思います。

Jリーグで活躍し、若い頃から日本代表に選出され、サッカーの本場である欧州で活躍した、あるいは活躍しているという共通点を持っています。

私は、プレイヤーとして、そして少年サッカーの指導者として40年近く日本サッカーに関わってきましたので、私にとってこの二人はある意味でヒーローです。

 

ヒデとシュンスケの二人は、共通点が多々あるものの、実は個性の点で大いに異なり、彼らの、特に欧州での活躍のありようが、結果としてだいぶ違う展開となりました。

 

ヒデは高校生の頃に、既にイタリアでサッカーをすることを目標とし、独学でイタリア語の勉強を始めました。サッカー選手が、何歳でどのような付加価値を出せるかを考え、何歳でイタリアに向かうべきかさえも計画していたと思われます。

彼はイタリア1年目にペルージャというあまり有名でないチームに所属しましたが、結果としては最初のこの1年間が、彼にとってもっとも華やかなものとなりました。日本のプロ野球で言えば近鉄バッファローズみたいなチームであり、日本人を含めた外国人からは「そんなチームあったっけ?」というようなものです。ここで中心選手として活躍したヒデは、日本最高の選手が「世界で通用した」と思わせてくれたものです。1年目の活躍が認められたヒデは、翌年、阪神タイガースのように有名なローマというチームに移籍します。しかし、残念ながらレギュラー・ポジションを取ることができず、試合に出ることが次第にむずかしくなっていきました。

彼はプレーヤーとしての自分の長短をよく理解しており、自分を使うならば「こう使うべきだ」という考えも持っていました。そして、それを監督へも遠慮なく主張したこともあり、その後のイタリアでもイングランドでも、出番は決して多くありませんでした。

ヒデは渡欧以前に既に「自分はある程度完成している」と考えていたのかもしれません。その自分を採用するかどうかは監督が決める仕事であると考え、「自分は未熟なのでまだまだ変わらねばならない」という考えは弱かったのではないかというのが、私の分析です。

 

シュンスケは大変に高い技術を持つが一方で、身体能力ではプロ選手の平均以下という欠点を持っていました。つまり、スピードがなく、競り合いなどでは弱さを露呈する。

このような選手は、サッカーでは世界最高峰のイングランド、イタリア、ドイツなどでは通用しません。アスリートとしてのハイレベルな能力があった上で、さらにいかに技術があるか、あるいはセンスがあるかが問われるからです。

シュンスケはスコットランドを選びました。日本よりははるかにサッカーが普及し、また、実力のある国ではありますが、ワールドカップに出場するための欧州予選を突破することが、できたりできなかったりするぐらいのレベルです。スコットランドのセルティック・グラスゴーというチームに入り、技術を披露しながら、同時に、競り合いで吹っ飛ばされ、「日本人は肉を食わないらしい」と言われたりしました。しかしそのシュンスケは、筋力トレーニングで体力をつけ、今ではこのチームの主力選手の一人となっています。そして、このチームはスコットランドでトップを走るだけでなく、欧州全体のチャンピオンを決める大会で、ベスト16に残る活躍をしています。

 

ヒデは早成で、シュンスケは晩成と言えるかもしれません。「大器晩成」という言葉がありますが、ヒデの早成は悪いことでは決してなく、彼の個性を生かしたものだったと思います。

私はこの二人の比較から、「自分の育て方」あるいは「自分の子供や部下の育て方」にヒントがあるものと考えています。

 

私自身は、個性として、ヒデに似ていると思っています。

22才で新卒入社した前の会社で、若い頃に既に自分の人生設計を立て、自分の長短を自分で分析し、会社に対して「佐藤治夫をこのように使いなさい」と言わんばかりの態度でした。

一方、私事で恐縮ですが、私の息子は、遺伝でヒデ的要素を持つものの、性格的にシュンスケが入っています。中学3年のときに「高校は留学する」と言った彼に、私が勧めたのはアイルランドへの高校留学でした。「英語・サッカー・大学進学」を考えれば、イングランドが最適であったかもしれませんが、「ちょっと敷居が高いのではないか」と考えた私は、そのことを息子と話し合い、大英帝国の一員ではあったもののイングランド嫌いというヒネリが入っているアイルランドを選んだのです。シュンスケがスコットランドを選んだように。

 

これからの会社における自分の人生、あるいは部下などの人生をちょっと考えてみてください。

ヒデのような人なら、早いうちに大きなチャンスと責任を与え、勝負させてみるのがよいかもしれません。一方、シュンスケのような人なら、強すぎるプレッシャーからはちょっと開放してあげて、地力をつけてから上のステージに行くべきかも知れません。

 

 

 

200732日 「白黒写真方式によるセルフチェック」

 

洋服のコーディネートの話から始めて、自分自身に対する評価分析、さらには、当社の自己分析を試みます。

 

洋服のコーディネートを考える際、すなわち、上と下、外と中、あるいはネクタイやスカーフなどの装飾品、さらには靴や鞄などの組み合わせを考える際、それぞれのアイテムの「形」「大きさ」「素材感」「柄」などの要素で見比べますが、最大の要素は「色」ではないでしょうか。つまり、色の組み合わせでチェックすることを最重視する。

特に男性の場合は、スーツとシャツとタイの組み合わせしかないので、色で組み合わせを考えることが多いと思います。ちなみに私の場合だけはそこに、サスペンダーとポケットチーフが加わります。

 

私は、スーツとシャツとタイを選んで組み合わせたら、頭の中で、それを白黒写真で撮影してみます。つまり、そこから色を排除する。そうすると、柄などの組み合わせがイマイチだったりすることに気づくのです。

例えば、スーツがストライプで、その幅が小さく「ウルサイ」感じだった場合、ネクタイの色がたとえマッチしていても、柄がウルサければダメでしょう。同様に、スーツもシャツもタイも無地の場合は、白黒写真にして濃淡に面白さがなければ、サエないオジサンになってしまいます。

 

このように、最も重要な色の組み合わせを排除して考えてみると、その他の観点での組み合わせがイケているのかどうかに考えが及ぶのです。色を重視するあまり、色以外の要素の「イマイチ」を発見できない危険を回避するというわけです。

 

さて、洋服の話はここまでで、次に個人の魅力について、白黒写真方式を適用してみようと思います。

 

若い女性の魅力の最大のものは、その「若さ」にあります。それでは、自分自身を白黒写真に撮影して、その若さを排除してみてください。「もし若くなかったら」と考えてみてください。それでも自分には魅力があるだろうかとセルフチェックしてみるのです。

こういうチェックをしないで若い時代を過ごした女性は、もはや若くなくなったとき、「若い頃は自分だってイケていた」「若い娘はモテていいよなー」とか「社長ったら、若い娘ばかり可愛がって!プンプン!」(事実とは異なります)というように、スネたオバサンに変身することになります。

私は死んだおじいちゃんの遺言で「女は30からだ」という格言を守って生きていますので(って、どういう生き方?)、そのためにも(どのタメだよ!)、ぜひ白黒写真方式でのセルフチェックをしてみてほしいと思います(主旨がズレてない?)。

 

一方、男性。

男性の方は、自分が「なぜモテているのか」を分析し(ま、「モテません!」とか言わずにやってみて)、その最大の要素を白黒写真方式で排除してみて、その他の要素をチェックしてみてください。「背が高い」「金がある」「女性にやさしい」「ケチでない」「マッチョである」「金払いがいい」「顔がいい」「プレゼントをくれる」「金がたくさんある」など様々な魅力要素があると思いますが、その中で最大だと思えるものを排除して考えることによって、その他の観点での自分の魅力を分析することが容易になります。

 

さて、最後に、当社を白黒写真で撮影してみたいと思います。

白黒写真で撮影した当社には、「スピード」が写りません。我々の最大の強みである、スピードが、もしなかったら、あるいは、それを排除した上でも我々は魅力的なのかどうか。求人に対する早い人選、求職者に対する早いお仕事紹介、問合せに対してもトラブルに対しても、常に我々はスピードを最優先にしてきました。このスピードは、お客様企業にとってもスタッフさんにとっても魅力であることに間違いはありません。

それでは、スピード以外の要素はどうでしょうか。親切ですか?ていねいですか?相手の気持ちや立場をおもんぱかっていますか?あるいは、やりかたがスマートですか?合理的ですか?進歩していますか?

 

白黒写真方式は人生においても、組織運営においても、効果のあるものだと思います。

ちなみに、私は、この方式を、プロ・カメラマンが撮影した素晴らしい白黒写真を見ていて、「最も印象的となるはずの色を排除することによって、色以外の要素が放つメッセージを表現している」と感じたときに思いつきました。

 

 

 

200735日 souvenir

 

私事で恐縮ですが、本日の私のコーディネートは、39才のときに初めて外国に行ったときのいでたちです。すなわち今から10.4年前に単身で、「自分が世界に通用するかどうかを見極めてくる!」とかワケのわからんことを言いながらロンドンへ行ったときの服装です。

なお、「本日」と言っても、この原稿を書くのと載るのには1週間ぐらいのタイムラグがあります。

 

今日のコーディネートは、15年ほど以前に日本橋三越で購入した、濃紺のダブルのブレザーと、黒っぽい茶色のズボンです。いずれもバーバリー。

 

この格好でロンドンに赴いた私は、買い物の目的でバーバリー本店を訪ねました。

本店で、ブレザーかジャケットを買いたかったのですが、三越で買ったお気に入りとダブらないように、着ていくことで比較できると考えたのでした。

本店最上階の紳士・スーツ、ジャケット売り場を訪れた私を迎えてくれたのは、推定75才のおじいちゃん店員でした。背が高く、姿勢が良く、ラグビー選手(フォワード)のような体格のその紳士は、私を見るなり「キミに似合う服がある」といって、奥から出してきたのが、濃紺のダブルのブレザーでした。「え!」と思った私は、その服と鏡に映る自分の格好を見比べ、「そっくりじゃん!」と主張しましたが、彼は落ち着いて、「いいから、着てみなさい」と。

着てみてびっくりでしたが、サイズはもちろんのこと、私の容貌あるいは雰囲気にピッタリだったのです。

しかし、光沢の有無は違うけれど同じ濃紺だし、ボタンの数が違うけれど同じダブルです。ただ、着てみて、着心地というか何と言うか、これを見過ごすわけには行かないというブレザーでした。彼はおもむろに「チェスター・バリーが、バーバリーのために作った一品だ。モチロン手縫いである」とえばっています。私は半分、泣きそうでした。お気に入りのブレザーを着てロンドンまで着て、「それと違うものを買おう」と思っていたのに、まさにそっくりのものを勧められ、そしてそれが、私にとって最高の一着であったのです。

3分間悩んだ私は、「これをもらいます」と言ったら、じーさんは「そうだろう」とまだえばっています。

 

はじめての海外の、最大のsouvenirが、このブレザーでした。

 

Souvenirは英語でもフランス語でも同じスペルで、「お土産」と辞典には書いてあると思います。日本語の「お土産」は、その字が示すように、その土地の特産物などを買って帰る慣習あるいは文化に基づいていますが、一方で、フランス語のsouvenirという動詞は「忘れない」「おぼえている」「思い出す」という意味で(英語ならremember)、それが名詞になって「記念品」といった意味になり、さらに、ドーバー海峡を渡って英国でもそのままの意味で使われています。

つまり、日本のお土産は、留守番をしていてくれた人々に向けてのものであることに対して、西洋のsouvenirは、自分が忘れないためのものなのです。もし、誰かにお土産を買って帰るとすれば、それは英語ならgiftということになります。

 

 

私は、仕事でも、このsouvenir原則を実行しています。

 

「その旅行を忘れないものにするためのもの」がsouvenirですが、「その年の仕事を忘れないものにするため」に、年に1つ、何か画期的なことに挑戦しようと考えつづけてきました。もちろん失敗したものや、計画倒れになったものもありますが、そうなってもsouvenirであることには変わりません。

 

毎年、souvenirがあるような人は、決して、過去を振り返ってばかりいる人ではありません。過去を振り返ってばかりいて、「オレが若い頃はな!」とえばっている人は、人生にsouvenirが1つか2つしかない人ではないでしょうか。

 

 

 

200736日 「男性下着市場の変化から学ぶ」

 

男性下着市場に変化が起きています。

女性下着メーカーであるワコールやトリンプが市場に参入し、注目を集めているのです。参考までに、私はワコールのBROSや、トリンプのsloggi menを採用しています。

 

男性下着市場の既存プレイヤーは、グンゼ、レナウン、福助、BVDなどであり、女性下着市場とは異なる世界をつくってきました。

そもそも女性下着と、男性下着では求められる付加価値がまったく違います。

女性下着の場合、第一のポイントは「いかに実態とかけ離れた姿を想像させるか」であり、第二のポイントは「イザというときに勝負できる見栄えであるか」となります(断言)。第三以降のポイントである着心地、耐久性などの優先順位は極めて低く、第一と第二のポイントで高得点を獲得できれば、それだけで「天使の着心地」となります。

 

一方、男性下着のポイントは何でしょうか。

これは私の推測ですが(さっきのは断言で、こっちは推測)、「安さ」にあるものと思います。このことは購入シーンを思い浮かべてもらえるとわかります。

結婚している男性の場合、下着を購入するのは多くの場合、奥さんです。スーツやタイは自分で買っても、下着は奥さん任せという人は多いものと想像します。この奥さん、自分の下着を選ぶ場合と、ダンナの下着を選ぶ場合では、人格が豹変します。ダンナの下着の場合、「パンツ3枚980円」といった価格設定が最大の魅力として映るのです。

あるいは独身男性が自分で購入する場合でも、多数派は安さを優先するでしょう。ごく一部、歌舞伎町ホスト系や新宿二丁目系の方は全く異なる価値観でしょうけど。

 

ここに、ワコールやトリンプが、素材感、フィット感など、それまで男性下着ではあまり注目されてこなかった観点での強みを生かし、殴りこんできたわけです。

 

さて、ここから、いつものように教訓を引き出すわけです。

「それまで別々の市場だったものに、重なる部分が出てきた」といったところでしょうか。男性下着と女性下着が一緒になって、1つの下着市場を生み出したわけではありません。それぞれ別ではありますが、共通する付加価値が認識され始めたと言ってもよいかもしれません。

別な例を挙げれば、レストラン・チェーンなどの外食が、それまでライバルだと思っていなかったコンビニ弁当と競うようになったといったことがあります。

 

人材ビジネスで言えば、それぞれ全く異なる派遣と紹介=転職支援に、共通点が出てくるようなものでしょう。

 

市場は常に変化しています。

「仕事を選ぶ際の選択肢が広い」ことが付加価値である派遣の世界と、「よい仕事を紹介してくれる」ことが付加価値の紹介の世界に、共通点が生まれないとは限りません。

ですから、当社が進めている「総合化」は重要な課題でもあるのです。

 

 

今日の話は、業務部門の話というよりも、グループ全体の事業戦略の話です。

戦略だからごく一部の人間が理解していればよいという会社は、残念ながら、市場で勝ち抜いていく会社ではありません。

 

女性の方でも、是非、ときおり男性下着売り場をのぞいて、市場の変化を感じ取って欲しいと思います。

 

 

 

200738日 「英語の効用」

 

英語が「必要ですか?」と聞かれれば、その答えは “No, it isn’t.” です。

当社においても、人生においても、「必要」とは言えません。しかし、「必要ではない」という点では、ゴルフもパチンコもチョコレートもブーツもTVドラマも少年ジャンプもoggiも必要ではありません。日本国憲法がいう「最低限度の文化的生活」には、必要というほどのことはありません。

 

しかし、英語を使えるとなると、世界が変わってきます。日本を含む世界が、それまでとは違った見え方をしてくるのです。英語が使える人生と、そうでない人生では全く異なる様相を呈します。どちらの人生を選ぶかは、自分次第です。

 

なお、私の主張する「英語が使える人生」とは、英会話スクールが主張するそれとは、ちょっと違います。

日本人は「読み書きはできるけれど、話すことができない」とよく言われ、英会話スクールで度胸をつけた人は、海外旅行に行っても多少は会話することができるようになります。しかし、私のいう「英語が使える」は、この程度のことではありません。

 

そもそも考えて欲しいのですが、日本人が「しゃべれない」からといって学習する英会話のレベルは、アメリカ人ならどんなアホでもしゃべれる程度の内容です。

このことは日本語について考えてみれば即座に理解できます。

日本人なら、どんなアホでも日本語をしゃべります。しかし、動詞がすべて「やる」だったり、接続詞がすべて「てゆーか」だったり、仮定法の概念がなかったり。あるいは「お持ち帰りですか?」と聞かれて「お持ち帰りです」、「三名様ですか?」と聞かれて「三名様です」だったり。

パーは本を読みません。だから語彙(ごい)は増えないし、字が書けない。「私だったら他の選択肢を探す」と言うところを、「てゆーか、なんかほかにないの!(顔文字)」で、工夫は顔文字にしか現れません。

 

日本人が海外旅行をするために必要な英会話は、かなり限定されます。お金を持っている日本人が、お金を使いに海外に行く場合、こちらがどんなにコミュニケーション力がなくとも、相手が理解しようとしてくれるからです。こちらからコミュニケーションを取りたいと考えたら、お金を使うことを考えれば十分であるともいえるでしょう。残念ながら、多くの日本人は諸外国から「歩く財布」と思われているのです。

 

私が主張する「英語が使える人生」は、英会話能力だけを言っているのではありません。世界の人々が、「この人に伝えたい」「この人の意見を聞きたい」と思われるような人をめざすことを意味しています。

だからといって、仕事で接点を持たねばならないということはありません。旅行で海外にでかけても、あるいは日本で外国人と話す機会があったとしても、十分、深いコミュニケーションのチャンスはありますし、「また、話したい」とお互いに思うことは可能です。

 

私がインドにはじめて行った今から7年ほど前、仕事で行ったというよりも、日本で友人となったインド人=小さなソフトウェア会社の社長の家にホームステイに行ったようなものでしたが、彼の会社で若い人たちと過ごした時間が印象に残っています。

インドで英語が使える人は当時で国民の約2%でした。今でもせいぜい4%程度だと思います。公用語はヒンディ語であり、「自分が属するカーストを抜け出て、違う人生を歩もう」と考えない限り、多くのインド人は英語とは無縁です。

ソフトウェア会社の若き技術者たちの英語は、日本人の英会話レベルと大差ないものでした。しかし、彼らが私に伝えようとしたことは、英会話スクールの初歩で学ぶような内容とは全く異なります。また、私から聞こうとしたことも同じです。インド人技術者が世界からどのような期待を受けているか、あるいは受けたいと考えているかといった話であり、旅行や買い物で使う言い回しとは方角が全く違う。

 

もし、英語を学ぼうと考えてくださる方がいるなら、私は本を読むことを勧めます。英語で本を読むことです。

日本人と日本語で話すとき、「話して楽しい」のは本を読んでいる人です。本を読まない人の話は感嘆文の連続のようであり、さらに書いたものといったら小学生低学年レベルにとどまるでしょう。

英語でも同じです。本を読むこと、そして、英語で本を読むことが、英語が使える人生には必須であり早道でもあります。会話は、知識と教養がベースにあれば、即座に上達します。知識と教養の裏づけのない単なる度胸は、買い物ぐらいにしか使えません。

 

さて、英語で本を読むというと、あきらめる方も多いかと思い、読みやすく面白いものをご紹介しようと思います。

先日、高齢で亡くなりましたが、アメリカの小説家、シドニィ・シェルダンの小説は、中学校レベルの英語に辞書があれば、楽しく読むことができます。入門としては最適です。

また、話の内容もかなり面白い。ただし、日本語で読むほどの価値はありませんので、翻訳ではなく英語で読んで欲しいと思います。

シドニィ・シェルダンの小説は、多くの場合、主人公がスッゴイ美人です。様々な運命の女性が出てきますが、とにかく全員がとびきりの美人です。そして、必ずちょっとエッチな展開になります。映像化を意識しているのでしょうが、必要以上にシャワーを浴びますし、危険な展開や、あるいは積極的な展開が目白押しです。

 

本を読むといっても、論文などを読む必要はありません。小説にはセリフが多く、どのような状況でどういった表現を使うかがわかり、英会話能力も間違いなく向上します。

ぜひ、主人公になったつもり、あるいはその恋人になったつもりで読んでください。最初の1冊の読破には1年かかっても、2冊目は1ヶ月で読み終えることができるでしょう。

 

 

 

200739日 Merkmal

 

ドイツ語で「メルクマール」といった発音の単語です。

ドイツ語の名詞は、固有名詞でなくとも大文字で始まります。また、多くの単語は、アクセントが先頭に来ますので、「メ」に力を入れて発音します。

この「メルクマール」は、日本語になっている外来語といってもよい言葉ですが、学術的な分野でしか使われることはないようです。

「指標」といった意味ですが、特に、「AとA以外を分ける」「AとBを分ける」際の「基準」や「判断のポイント」といったニュアンスで使われることがあります。

 

以下は例文ですが、ネット百科事典のwikipediaから拾いました。

「請負契約の特質は、請負人は仕事の完成を請け負うものであって、発注者は仕事の完成に関して対価を支払うものとされている点にある。この点が、労務に服することを約して労務に対して対価を支払う雇用関係との顕著な違いであり、裏返せば、雇用と請負を区別するメルクマールとなる。」

 

実は、私自身、業務部門である我々の業務改革が、「軌道に乗ったかどうか」あるいは「いいところまで来たかどうか」のメルクマールと考えていることがあります。

 

それは、電話です。

 

「電話にワンコールで出れるかどうか」や「電話がつながらないというクレームがあるかどうか」をメルクマールとして考えています。

 

電話にワンコールで出るかどうか、あるいは、待たせることなく出るかどうかは、「合成の誤謬」というテーマで書いたことがありますが、我々自身の意識の問題が大きくかかわっています。この意識は、我々が我々自身を「給与計算をする組織」と定義するか、「顧客サービスをする組織」と定義するかによって、だいぶ違って来るものと思います。

また、意識の問題ですから、たとえば私が「ワンコールで出よ!」と命令したとしても、その命令の賞味期限は恐らく2週間程度でしょう。あるいは、たとえワンコールで出たとしても、その後、待たせるようであれば意味がありません。

私は、我々自身に「ワンコールで出ることが常識である」という思考パターン、行動パターンが定着するかどうかを、メルクマールと考えているのです。

 

もう一つ、電話がつながらないということについて話をします。

 

電話がつながらない理由の1つに、電話をかける方の立場で考えると、かけるタイミングが集中するということがあると思います。月初や週初に、ある種の電話が集中するのは、みなさんも想像できると思います。

かける方の立場で考えてみて、そのとき電話する以外の方法はないのでしょうか?あるいは、そのとき電話をかけたいと思って電話してきているのでしょうか?つまり、電話しか方法がないのかどうか、あるいは、電話以上に便利な方法はないのかどうか?

単純に「電話がつながらない」という事実だけに着目すれば、電話回線を増やし、受ける人の人数を増やせば、つながらない状況を改善することはできると思います。しかし、受けた電話から始まるその後の対応の内容を考えれば、単純に回線や人数を増やせばよい問題でないことは、私以上にみなさんの方が理解しているものと思います。

 

逆のアプローチをしてみましょう。

「電話はいつもつながる」「電話にはすぐ出てもらえる」という状況を想像してみてください。

 

このとき、私たちはどういった状況にあるでしょうか。

第一に、電話の絶対本数は減少しているでしょう。現在の電話本数では、こんな状況を想像することができませんから。すなわち、電話以外の方法で連絡や手続きを進めることができたり、あるいは、我々が電話で説明しなくともよい条件が整備されていることを意味します。

第二に、私たちは、喜んで、あるいは「われ先に」電話を取るような空気になっているハズです。このとき、私たちは、与えられた業務をこなす以上の存在になっています。つまり、「給与計算をする組織」ではなく、「顧客サービスをする組織」になっているでしょう。

 

「電話」がメルクマールです。

私たちには、まだまだやることがたくさんありますよね。

 

 

 

2007312日 「マージン」

 

デパートで1万円の洋服を買うとします。この洋服のデパートにとっての仕入れ値は平均して6500円ぐらいですから、デパートが受け取るマージンは3500円=35%ということになります。詳しく言えばデパートとアパレル各社の取引関係は「買取」でなく「販売委託」だったり、「消化売り」だったりしますが、洋服の場合の平均的な納品率(アパレル専門用語)は約65%ですので、マージンは約35%です。

一方、コンビニでお菓子を買う場合、100円のお菓子ならば、コンビニの取り分は10円程度です。ですから、コンビニという業態、あるいはお菓子という商材は「薄利多売」である、あるいは「薄利多売であらねばならない」と言えるでしょう。

 

パチンコ屋の取るマージンはだいたい50%以上です。このマージンから、過剰な電力料金や、店員の給与や、黒幕経営者の遊興代金や、縄張り管轄暴力団への上納金を捻出しているのでしょう。

宝くじの胴元が取るマージンは75%です。驚きでしょ?

集まったお金のたった25%を、1等・2等という具合に再配分しているのです。ですから1億円や3億円の本数がどんなに多くなっても、私がだまされる?ようなことはありません。75%のお金が、売り場のおばちゃんの給与や、みずほ銀行の事務処理料金、そして自治体などの金庫に納まります。私自身は、宝くじは「寄付みたいなもの」と考えています。

ちなみに株式や外貨を購入・売却した場合のマージン=手数料は、売買の往復で2%程度です。株式などは、それ自体の値動きがありますから、リスクは大きいものの、マージン率は小さいと言えます。

 

マージンmarginという言葉は、書籍のページの「余白」という意味で使われることが多い英語ですが、もともとは「縁」とか「端っこ」といった意味の言葉です。

 

さて、我々、人材派遣のマージンはどのぐらいでしょうか。請求単価と支払単価の差ですから、みなさんの方がよくご存知かと思いますが、25%から35%程度です。ですから、デパートの洋服と同程度です。

このマージンを原資として、サービスを提供するのが我々の業態です。サービス、すなわち付加価値ということになります。そのマージンを払ってもよいと思えるだけの価値を、我々自身が生まねば、我々の存在意義が薄れるということを意味します。

 

デパートの付加価値を考えてみましょう。

まず、便利でシャレた場所にあるという付加価値。そうでなければ、買い物に行くのが楽しくありませんから、ね。もちろん、建物や内装、ショップなどもシャレていなければ付加価値は大きくありません。そして、我々が欲しいと思うものが見つかる、見つけることが楽しいという付加価値を持っていなければいけません。また、どうしようか迷ったときによいアドバイスをくれる店員がいなければ、付加価値は下がります。あるいは、売りたいがために、自分に全く似合わないものを押し付けられたりしたら、マイナスの付加価値ということになってしまうでしょう。

 

では、私たちの付加価値はどうでしょうか。25%から35%のマージンに見合ったものでしょうか。これについては、是非、みなさんで考えて欲しいと思います。

 

私たちは消費者としてマージンを支払う立場にあるとき、「なんで25%もアンタが取るのよ!」という精神状態によくなりますが、一方で、私たちがマージンを頂戴する立場にあるときは、「こんなんじゃやってらんないわよ」みたいな気分になったりします。

マージンという言葉自体は、たしかに、書籍の余白みたいな意味ではありますが、私たちにとっては、私たちが提供する付加価値の対価という意味なのです。対価に値しないものであれば、私たちの存在意義はありません。一方、対価に見合う付加価値であれば、私たちは社会的に意味のある存在であると言えるでしょう。

 

 

 

2007313日 「自分を鍛える」

 

私は週末、ボランティアで少年サッカーのコーチをしています。

先日、ある母親が「もー!コーチ!聞いてくださいよっ!!ウチの息子ったら、全然うまくならないんですよねー!向上心ってものがないんですよっ!」と来ました。そこで私は、ニコニコしながら「ところで、お母さんは向上心、ありましたっけ?」と。

小さい子供に「向上心」といった抽象的なものを理解させるのは困難ですから、親が手本を見せるのが一番いいんですよね。

 

さて、若いみなさんには、是非、自分を鍛えるという気持ちを持って欲しいものだと考えます。

鍛える観点は3つ、「頭脳」「身体」「精神」です。

 

頭脳を鍛えるには、「知る」「考える」「表現する」の3つをバランスよく行う必要があります。

自分が知らないことを知ろうとする努力は、それがいかなる分野のことであっても、頭脳を鍛える訓練になります。囲碁でも盆栽でも競馬の研究でも構いません。

一方、考えるという動作は、多くの人にとって、その必要に迫られない限りしないものです。つまり「考えねばならない問題がある場合」にのみ、考えるという体質になってしまう傾向があります。しかしこれでは、いざ、考えねばならない重大問題に直面したとき、考える観点がせまくなったり、その後の影響を考えなかったりと、考える力の未熟さを露呈することになりかねません。考える力も鍛える必要があると私は思います。私自身は、考えることがほとんど趣味みたいな体質であり、「この人はどうして電車の中でこんなにウザイのだろうか」「ここらへんの住民全員が同時にお風呂のお湯を流したら、下水道はどうなるだろうか」「カエサルが暗殺されなかったらローマはどうなっていただろうか」など、いつも何かを考えています。

次に、表現。表現力も鍛えねば劣化します。子供の教育の場面や、意中の人に告ったりして表現力を強化するとよいでしょう。これは冗談としても、手紙やメール、電話などでも表現力を鍛えることはできますし、友人とお茶しながらでも、自分のストーリーを面白く表現する努力は有効です。表現してみるとわかりますが、いかに自分が物事や言語を知らないか、あるいは考えていないかを思い知ることがあります。表現は、知識の広さと、思考の深さを表すものだと言い換えることもできるでしょう。

 

次に、身体。

身体は鍛えるものです。「わかっちゃいるけど、やってない」人が多数派でしょう。身体を鍛えることの意味や方法については、特に私が言うまでもないことなので割愛します。

 

最後に、精神。

精神を鍛えると言っても、滝にあたったり、座禅を組んだりするハナシではありません。私が鍛えて欲しいのは、感受性です。鍛えるという表現は合わないかもしれませんね、失って欲しくない、劣化させないでほしいと言ったほうがよいかもしれません。

感受性は加齢とともに劣化します。若い頃に感動したような話を聞いても、いまなら全く心が動かないといったことも不思議ではありません。

感受性が劣化すると、相手の立場に立ってものごとを考えることができなくなります。たとえばハンディキャップを背負った人の苦労などを想像する能力を失いますが、ひとたび自分が同じハンディキャップを持つと、「自分が世界で一番不幸だ!」となり、思考が停止する可能性すらあるでしょう。

感受性を失わないためにはどうすればよいのでしょうか。私の考えですが、なにかの特訓を受けるといったことは必要ないと思います。常に、相手の立場を想像する訓練を自分に課せば、感受性が劣化することは避けられるのではないでしょうか。

 

自分を鍛えることの目的は、自分のためと言ってしまえばそれまでですが、私は、人生を楽しく生きるコツではないかと思っています。「自分はこのままでよい」と思ってしまえば進歩が止まるどころか、感受性にとどまらず、体力や体格・ボディライン、そして頭脳も劣化することになるものと思います。一方で、頭脳・身体・精神をバランスよく鍛えている人は、性別や年齢に関係なく魅力的であると思います。また、この文章の冒頭で「若い人は自分を鍛えて欲しい」と申し上げましたが、自分を鍛えている間は、何歳になっても「若い」と言えるのではないでしょうか。

 

 

 

2007314日 「LPとアルバム」

 

音楽を聴くならCD=Compact Discというのは今や常識ですが、CDが登場する以前は、レコード盤が常識でした。

 

レコード盤としてはじめて登場したのはSP盤と呼ばれるものでした。1分間に78回転するプラスチック製の円盤であり、溝に音楽信号が記録されており、ガラス針やダイヤモンド針で溝をなぞって音に変換する構造でした。

1分間に78回転というのはかなり速い回転です。1秒間に1回転以上の回転速度ですから。なぜ、こんなに早く回転させる必要があるかと言えば、記録密度を高くすることができなかったゆえであり、1分間だけ音楽を再生するためには溝78周分の記憶領域が必要だったと言うことができます。

 

 

レコード盤として売り出されたものはクラシックが中心でした。クラシック音楽には短くないものが多く、何枚ものレコード盤をセットにしたものが売り出されるようになりました。この形態が、写真のアルバムのようであったことから、SP盤が複数セットになったものをアルバムと呼ぶようになりました。ここまでが第一幕。

 

技術の進歩とポピュラーミュージックの普及で、レコード盤に革新が起きました。

ヒット曲を売り出す目的で作られたのが、シングル盤と呼ばれる小さいレコードで、1分間に45回転のものでした。エルヴィス・プレスリーのレコードなどが世界中で売れたのです。

同時に、1分間に33回転で、直径が30センチある大きなレコード盤が出てきました。記録密度の向上で、シングル盤の曲なら12曲ぐらい入るものでした。これをLP盤と呼びました。Long Play Discの日本語です。LP盤が生まれたことによって、レコードと言えば78回転だった常識が覆され、78回転をSP盤=Short Play Discと呼び換えたのです。

 

ポップスはシングル盤=Single Discを中心に普及しました。そして、プレスリーなどの人気歌手を対象に、LP盤も普及しだしたのです。

シングル盤2,3枚のヒットがあれば、裏表の6曲程度に、未発表のサエない曲=シングルでヒットしそうにない曲を何曲か追加し、それでも足りない分は他人の曲のアレンジやリメイクを併せて12曲程度として、LP盤を発売したのです。これがLP盤の常識だったのです。

人気歌手のLP盤を購入するようなファンは、すでにシングル盤を持っているのが普通でしたから、重複する6曲は余分です。しかし、売り手の都合で考えられたLP盤には、未発表の曲が入っていることもあり、ファンとしては買わざるを得ないものだったハズです。

 

このLP盤の常識を覆したのは、賢明な読者ならば既に推察いただけているものと思いますが、もちろん!、ビートルズです。

 

ビートルズも最初のLP盤5枚は、従来のLP盤の常識に半分程度従っていた傾向がありました。これを完全に覆したのは6枚目のLP盤、ラバー・ソウルRubber Soulです。「合言葉はWe Can Work it Out」でご紹介した、We Can Work it OutDay Tripperのシングル盤(2つの曲をA面と定義した画期的なもの)と同時に、1965年のクリスマス・プレゼント=年末商戦への投入でした。

Rubber Soulには、このシングル盤の2曲が入っていないことはもちろんですが、全14曲がすべて未発表であり、その中には、ミッシェルMichelle、ガールGirl、ドライヴ・マイ・カーDrive My Car、イン・マイ・ライフIn My Life、一人ぼっちのあいつNowhere Man、ノルウェーの森Norwegian Woodなど、シングル盤で出せばヒット間違いなしであった曲が目白押しでした。

 

ここで蛇足を2つ。

 

靴といえば皮であり、靴底さえも皮であるのが常識でした。靴底が擦り減るのを防ぐのと、石畳の上をすべるのを防ぐ目的で、靴底に画鋲を何本か打ったりしていたのです。それが、1965年当時、革靴でありながら、靴底soleにゴムrubberを使用したものが出始めました。安物というよりも、ブーツなどに利用されたのですが、自然の中を散策する目的で作られたものが、街中でも見られるようになりました。今の感覚で言えば、アディダスやエレッセを街中で着るカンジかな。この、ゴム底の靴、あるいは、靴のゴム底をrubber soleと呼んでいました。

しかし、ビートルズのアルバムはRubber Soulです。Soul=魂。これはシャレの一種です。もともとビートルズ=The Beatlesという名前ですら、カブトムシやクワガタなどのbeetleに、「その音楽、ビートがきいてるね!」のビートbeatを掛け合わせたシャレでしたから。ジョンのやりそうなことです。

 

蛇足2つめ。「ノルウェーの森」と言えば、村上春樹氏の小説が日本で有名ですね。Norwegian Woodをこのように翻訳して名前をつけたのですが、実は「森」Woodsではなく、「木材」woodがホントです。ただ、「ノルウェーの木材」では曲の題名にはなりませんからね。

英国では常識であったレンガ造りの家ではなく、ノルウェーから木材を取り寄せたような家があり、そこではイスに座る常識を覆して、絨毯を敷いた床にアグラをかいて座るという不思議な空間。その家の持ち主である女性を訪ね、ワインを飲みながら、しかし明日は仕事が早いのでという理由で、ボク=ジョンはバスタブで眠り、朝、目がさめたら彼女は鳥が飛び立つように既にいなかった、といった内容です。

 

閑話休題(かんわきゅうだい)=脱線した話をもとに戻すときに使います。

 

このRubber Soulを、最初にビートルズ自身が、そして次に世界中が、LP盤ではなくアルバムと呼ぶようになったのです。

SP盤何枚かをセットにしたのがアルバムの語源ですが、同じ言葉ではあっても、全く違うコンセプトの使い方です。ビートルズはこの後、すべて、アルバムを作りつづけ、発表しつづけました。レコード会社がシングル盤のヒット曲を寄せ集めたものや、ビートルズ自身は発表する気持ちをもっていなかったLet it Beなどをのぞいて、「すべての曲が未発表」で「ある種のコンセプトを持って編集されたもの」というニュアンスをこめた、アルバムの名作が何枚も、Rubber Soulの後に続きます。

 

 

さて、ここから仕事のハナシ。

 

私たちは「業務部門」です。「バックオフィス」「裏方」など様々な呼び方があるものと思います。

私は、ビートルズが「LP盤」から「アルバム」に、その価値を全く革新させたように、我々自身の役割を変えたいと夢見ています。決して容易なことではなく、また、我々自身が言うだけではダメで、世間が、顧客が、社会が、そう認めてくれねば意味がありません。

しかしながら、ビートルズ自身が、ある考えを持って、ねらってその名を使い、それが認められて普及したように、私たち自身が、まず、目標とする姿を夢見ることが第一歩であると確信しています。

 

長文、お疲れ様でした。ありがとう。

そして、これから、決して短くない道程を一緒に歩んで欲しいと思います。

 

 

 

2007315日 Ides of March

 

3月15日は、ユリウス・カエサル=英語ではジュリアス・シーザーの命日です。ホワイト・デイは無視しても、私が、この日をハズすわけにはいきません。

 

西洋史ではアレクサンドロス大王(英語ではAlexander the Great)と並んで、最高のキャラクターであり、後世の歴史家からは「ローマ史における唯一で最大の創造的天才」と呼ばれ、生前は元老院のオジさんたちから「ハゲの女たらし」と絶賛された、私にとっての最愛の歴史上人物です。

 

「サイは投げられた」「来たり、見たり、勝ちたり」といった有名なセリフでも知られていますし、「ルビコン川を渡る=重大な決意を行動として着手し、後戻りはできない」「コイントスの勝敗=カエサルの顔が出たら勝ち」「ダイヤのキング=カエサルがモデル」「7月Julyの語源」「帝王切開の語源」など、clover原稿10回分ぐらいのネタの持ち主です。

 

Ides of Marchとは、3月の真中という意味で、Idesはもともとラテン語です。いまでは使われない表現ですが、3月15日だけはIdes of Marchとして、英語が使える世界中の教養ある人々なら、誰もが知っているフレーズとなっています。

 

紀元前1世紀のカエサル暗殺の話を、もし、16世紀日本の織田信長が知っていれば、歴史から学ぶ信長のことですから、「本能寺」は避けられたのではないかと思ってもいます。

 

SSGスタッフサービス・グループがまだ小さかった頃、私の推測ですが、恐らく、創業者でもある岡野会長のもとでの「帝政」だったものと思います。つまり、すべての判断を会長自らが下していた。

しかし、バブルの頃、業容も拡大し、多方面で業績が上がるようになった段階で、多くの営業責任者が、それぞれのテリトリー内は自分で判断する「封建制」あるいは「群雄割拠」型のマネジメントであったものと想像します。

バブル崩壊で、当社の業績も落ち込んだとき、岡野会長が発明・採用した「新営業システム」でのもとでの事業推進スタイルは、「帝政」に戻したものと私は見ています。もちろん会長自らがすべてのイベントにかかわることは最早不可能だったと想像しますが、様々な数字を見ることによって帝政SSGが高度に機能し、急成長を実現してきました。

問題はこれからで、「一神教と多神教」で述べたように、強さと賢さの両方を備えた組織に変身しないと、長期繁栄は困難となります。

 

さて、カエサルは紀元前1世紀、それまで共和政だったローマに限界を感じ取り、帝政という全く経験のない組織モデルへの変貌を起案し、推進するのです。

イタリア半島中央にある現在のローマ市から発生したローマは、カエサルの時代には既にイタリア半島全土を統一したばかりか、ギリシャを含む地中海の島々や沿岸部に版図を広げていました。かつて地中海最強だった北アフリカのカルタゴを破り、カエサル自身が現在のフランスやベルギーであるガリアを切り取った後の話となります。

このとき、様々な民族や文化の集合体であり、なおかつ広大な版図に広がるローマは、もはや共同指導体制である共和政ではなく、一人の最高権力者が行政を推進する帝政にすべきであるとカエサルは考えたのです。立法の役割は相変わらず議会である元老院に委ねる考えでしたし、皇帝の弾劾権を元老院に持たせる考えだったと思われますので、後の絶対君主制あるいは独裁者とは異なります。

 

歴史の流れを読み、自分の目で現実を見つめ、解決策を考え、それを自らが実行する。それが後に創造的天才と呼ばれたカエサルでした。

 

カエサルは同時に、大変な人気者でもありました。

征服した土地を凱旋将軍さながらに馬に乗って行進した際、もし、民衆から嫌われたり恐怖の対象となっていたならば、みんな隠れるようにしてのぞいたものと思いますが、派手なパレードを楽しむような状況であったと言われています。さらに、彼の兵隊たちが即興で作ったような歌があり、それを兵隊たちが楽しそうに歌いながら行進したといいます。その歌は、「いい女は身を隠せ!オイラの大将、手が早い!」といった意味だったそうなので、オドロキですよね。

 

カエサルが読めなかったのは、元老院のオジさんたちからの嫉妬だったのではないでしょうか。女性の嫉妬には敏感だったと思われる彼ですが、自分に向けられた男性からの嫉妬にはあまり気が付かなかったものかもしれません。

もともとは同じく元老院という議会の一員に過ぎなかった彼ですが、軍人として大きな成果をあげ、その際の出征記の文章が後世、ラテン語のお手本となるような名文であり、征服した地域からも人気を博し、兵隊たちからも慕われ、その上、女性にモテた。モテたどころか、元老院議員のおっさんたちの奥さんや娘までもが毒牙にかかったというか、メロメロになったといいます。

カエサルに嫉妬した人々は、彼が抱く構想や問題意識を共有することはなく、「カエサルは独裁者になろうとしている」として、暗殺という手段に出たのです。

 

しかし、カエサルの構想、信念は、彼が養子にした美男で秀才のオクタヴィアヌスが受け継ぐことになります。そして、オクタヴィアヌス改めアウグストゥスが、ローマ帝国の初代皇帝となるのです。

 

この件に関する私の唯一の悩みは、「はげの女たらし」を目標にすべきか、「美男で秀才の初代皇帝」を目標にすべきか、なのです。

 

 

 

2007316日 「結婚式にて」

 

久しぶりに結婚式に呼ばれて、列席してまいりました。

新婦の招待客としてでしたが、実は、新婦は、当社の元スタッフです。「過去稼働」と言ったほうが通じるかもしれませんね。

ただし、私は、スタッフの募集にも、営業にも、コーディにも直接携わることはありませんから、私が「派遣元であるから」という理由で招待されたのとは、ちょっと事情が異なります。

 

少し長くなりますが、私が結婚式に招待されるまでの経緯を述べたいと思います。

当社SSGの「新営業システム」、さらに、それに基づいて構築された情報システムである「NCS」や「NCP」は、実は、日本のビジネス界では、ある程度の注目を集めています。私は年に数回ぐらいの頻度で、この方角のテーマで講演を依頼されることがありますし、実は、今日これから、ある雑誌社の取材を受けます。写真も載るよん。

NTTグループのある会社の取締役が、当社の話、私の話に関心を持ち、その会社の社員に対して講演してくれないかと、私に依頼されました。その会社は、実は、そこを派遣先として、当社から1名秘書を派遣させていただいていたのですが、そのスタッフが大変に評判が良く、その役員の方は「そうか!裏ではこんな考え・システムでやっていたのか!」と感じたそうです。

 

講演の日、その会社を訪れた私は、役員の方から、その評判の良いスタッフを紹介されました。会ってから1分間で、評判の良い理由がわかってしまうような女性でした。日本版オードリー・ヘップバーンのようなとびきりの美女であり、笑顔を絶やさず、そして機転が利く。

彼女の立場で考えると、スタッフサービスから派遣されていますから、もちろん当社のことをある程度知っていますが、接点があるのは募集部・コーディ・営業だけ。新営業システムやNCSといった名称は聞いたことすらありません。普通だったら、派遣元の役員がやってきたわけですから、かなり緊張してもおかしくはありません。八戸に先月入社された方より緊張するカンジじゃないかな。しかし、彼女は緊張こそしても、やわらかい笑顔と気配り・機転で、この講演の裏方の仕事をもこなしてくれたのです。

 

これをキッカケに彼女と私が恋にでも落ちればTVドラマになりますが、そういうことでは全然なく、さきほどの役員の方と彼女と私の三名は、ま、年齢差のある友人関係みたいなものになったと言えると思います。「恋愛無縁三角関係」。

そして、彼女の結婚式。その役員の方と私などがご招待を受けたというわけです。

 

しかし、これは私の推測ですが、私が呼ばれた理由は他にもあったものと思うのです。

彼女は学校を出た後、大手自動車会社(日本を代表する会社)のプロモーションを担当する仕事、才色兼備でないとできない華やかな仕事に就きます。そこを退職した後で、最後は当社からNTT系の会社の秘書という派遣スタッフであった、ということになります。

一方、結婚式のもう一人の主役である花婿ですが、彼の勤務先は、誰もが知っている、これも日本を代表する会社の海外駐在員。著名大学出身なだけでなく、ボート部所属という将来性のある若者です。将来を嘱望されている彼の結婚式ですから、まず式場が最高ですし、彼のサイドの招待客のグレードも高い。同じテーブルで食事をともにするには、世界中の様々な話題についていかねばなりません。実際、明治時代の日本の社交界の話から、中東原油価格の話、ブロードウェイ、ソーホー、ムンバイと、話題が世界中を駆け巡りました。

 

こんな結婚式で、私は大変に楽しく嬉しい思いをさせていただきましたが、1つだけ、見たくない現実をも見ることになりました。

 

「派遣」という言葉が、あたかも避けられているような印象を受けました。

 

TVドラマ「ハケンの品格」ではかなり誇張されているとは思いますが、既に数百万名の方が派遣契約のもとで就業している事実がある一方で、「派遣」の社会的地位は高くありません。グレードの高い結婚式においては、出番のある言葉・概念ではないのです。

 

私は、この現実の、この問題点の「犯人は誰か」「なぜ、こうなっているのか」に言及しようとは思いません。

しかし、同時に、この現実を打開できるのは、我々、派遣元しかないと確信しています。多くのスタッフたちが「できれば派遣社員であることを隠したい」という現実から、「派遣社員という生き方、働き方を選んでいる」と胸を張っていっていただける社会に変えていく最大のエンジンを担わねばならないのは、我々自身だと思います。

「派遣先にも問題がある」とか「社会が悪い」と言っても、何も変わりません。そんな戯言(ざれごと)は評論家に任せておけばよい。むしろ、「派遣会社って、私たちのことモノのように扱っているわよね」といった言葉にこそ耳を傾け、感受性を働かせて欲しいと思います。

 

一緒に頑張りましょう、ね。

 

 

 

2007319日 「好き嫌い」

 

好き嫌いの激しい上司のもとで働くのは不幸ですよね。

今回の話は、そういう上司に向かって「好き嫌いをやめなさい」というよりも、そんな不幸な境遇で強く生きるコツを伝授しようというものです。

 

「上司のお気に入りは誰それ」とか「上司は私を嫌っている」といった好き嫌いは、対象を人物とした場合ですが、これと似ているのが、食べ物に対する好き嫌いです。

第一の論点として、好き嫌いを「見破られる」ような人は子供だ、ということを述べたいと思います。

人間、誰だって、多少の好き嫌いはあります。大人になっても「ニンジンが嫌い」「ピーマンが嫌い」「松坂牛が嫌い」といった食べ物の好き嫌いもあるでしょう。しかし会食の席や、あるいは、子供と一緒の家庭での食事の席で、好き嫌いを「見破られる」というのは、大人になりきっていない証拠といえます。

 

人物に対しても同様です。仕事ですから、嫌いな人、相性の悪い人が、部下だから、上司だから、同僚だからといって、その人を避けるわけにはいきません。もし営業マンが、お客様ご担当者を好き嫌いで選んでいたら、その会社は倒産してしまいますよね。ニンジンが嫌いなことを見破られたとしても、周囲から内心でバカにされる恐れはあっても、ニンジンから嫌われることはありません。しかし、対象が人物であれば、その人を嫌っていることを見破られたら、その人から嫌われることは当然の帰結です。

 

すなわち、第一の論点の結論は、好き嫌いを見破られるような子供の上司の場合、その上司の言動に振り回されるのはバカらしいということです。相手が子供じみた感情に支配されているタコ野郎やゲジゲジ女なわけですから、こちらは、思いっきり感情を抑えて、論理だけで相手をするようにしたほうが、精神衛生によいハズです。

 

第二の論点は、実は私が長年、採用してきたものです。「上司は自分を嫌っている前提」で、あらゆることを考える、あるいは、生きていくというものです。

 

私自身は、中学校や高校のときから、教師やサッカー部の先輩たちから、常に、嫌われてきたというか、煙たがれてきました。就職した後も、新入社員でありながらしょっちゅう上司や先輩とぶつかっていました。その最大の理由は恐らく、目上の人をうやまっていないという私の態度にあったものと思います。私の結婚式にさえ、上司あるいは先輩を一人も呼ばないという措置に出て、このことが新たな火種になったりしていました。はは。

 

しかし、「上司は自分を嫌っている前提」で働いていると痛快です。私は内心で常に、「上司といったって大したことはない」「長くやっているだけ」「私の能力を恐れているがゆえに私をイジメようとしている」「しかし、私がおとなしくイジメられているようなタマではないので、ストレスをためている」などと考え、心の中でケラケラ笑っていました。ま、イヤなヤツですね。

 

この発想は逆転の発想と言うべきものです。好き嫌いの激しい上司のもとに配属された自分は、神様が自分に対する罰や試練を与えたのではなく、その逆で、神様は上司に罰や試練を下したものだと考えるのです。上司の好き嫌いが原因で、自分が落ち込んでしまっては、上司に対する罰にはなりません。そんな上司を心からバカにして差し上げ、論理だけで立ち向かう自分を、その上司のもとに配属したことが、神様が上司に与えた罰なのです。

 

第三の論点は、好き嫌いの激しい上司のもとで「お気に入り」になって調子コイてるヤツを、「気の毒なヤツだ」「哀しい人生だ」「バカだねー」と思うことによって、嫉妬するのではなく、全く逆に、さげすんでしまうというものです。

 

上司は「お気に入り」を使って、自分の存在基盤、権力基盤を固めようとしています。それに乗っかっている「お気に入り」は、相当なアホです。絶好調のような顔をしていたとしても、その人自身の存在基盤は大変に弱いものなのです。

 

第四、最後の論点は、好き嫌いが激しい上司には、いつか必ず、本当の罰が下ります。その罰を下すのは、神様か、あるいは会社のいずれかでしょう。

 

 

 

2007320日 「中らず(あたらず)と雖も(いえども)遠からず

 

「ねぇねぇ、社長って何歳だか知ってる?」

「うーん、38歳!」

「惜しい!当たらずとも遠からず、って、とこね!」

正確には「中らずと雖も遠からず」と書きますが、上の用法は、使い方が間違っています。ついでに、社長の年齢も全然違います。はは。

「あてずっぽうを言って、正解に近いものの場合」に使う表現ではありません。懸命な努力や、すぐれた能力の結果ながらも、目標に少しだけ届かなかった場合に使う表現なのです。

 

もともと中国の故事成語としてできた表現です。弓矢の名手が、遠くにある小さな的をねらって、集中して矢を放ったのですが、的の中心に中る(あたる)かと思ったが、ほんの少しだけズレてしまった。弓矢の名手は的をはずしたことを悔しがりましたが、殿様はその見事な腕前をほめ、中らずと雖も遠からずといったといいます。

 

たとえば、営業部門が積み上げ目標80を月中にクリアして、もしかすると100に届くかもしれないと考え、統括マネージャー以下の全員で、ひそかに自分たちの目標を100に設定し、頑張りに頑張って99本まで積み上げることができたとします。自分たちの目標は100本ですから、1本届きませんでした。悔やんでも悔やみきれない。それでは、もう少し頑張れば100本に届いたのでしょうか。その可能性はゼロではないでしょうが、そもそも、かなり背伸びをして、ようやく99本にまで到達したものですから、ちょっと頑張ればあと1本といった単純なことではないでしょう。

統括マネージャが「残り1本で大台を逃しました!残念です!」と言ったら、いや、それこそ「中らずと雖も遠からずだ」と私は思います。

 

たとえば、プロのサッカー選手を夢見て育った少年が、数多くの栄光と挫折の果てに、最後に夢をあきらめ、指導者の道を歩むことに決めたとしたら、少し意味が違うかもしれませんが、私は「中らずと雖も遠からず」とほめたたえたいと思います。

 

自分なりに目標を持って、それに向かってまい進し、しかしながら、もう一歩のところで届かなかったケースが、中らずと雖も遠からず、なのです。ですから、目標を持たない人や、大した努力もしないでダメだった場合に、この表現は本来、使いません。

 

私は、定年までのあと10年程度の間に、SSGをハーバード大学のビジネススクールの事例研究として取り上げられることを目標としています。

 

米国ハーバード大学は、世界最高峰の大学であり、その大学院・経営研究科であるビジネススクールは世界中から「the best and the brightest」と呼ばれる最も優秀な人たちが学ぶ場でもあります。ここで扱う事例研究は、世界中から優れた企業が選ばれますが、日本企業で選ばれた実績を持つのは、トヨタとセブンイレブン・ジャパンだけです。トヨタもセブンもさまざまな観点での強さを持ち、それが事例研究として、研究の対象となりました。

 

SSGの新営業システムと呼ぶ、営業戦略、競争戦略は大変に優れており、実は、早稲田大学・大学院では事例研究として注目されています。ですから、私の目標は決して夢のようなものではありません。

私自身、英国ウェールズ大学の大学院・通信教育の教材として、ビデオ教材に出演しています。営業戦略にのっとった情報システムの活用ということが注目されたものです。

 

しかしながら、ハーバード大学ビジネススクールは、世界最高の権威を誇り、そこで事例研究に選ばれるのは大変なことなのです。

 

あと10年程度。

決して長くはありません。それまでに、営業の強さだけでなく、情報システム活用や業務部門の強さが注目され、スタッフへの利便性でも群を抜いていないといけません。

 

私が在籍している間に、的に中てることができないかもしれません。もちろん全然あきらめているわけではなく、私の独自の目標として作戦を練っていますが、それでも私が定年になってしまったら、みなさんが、「続き」を担当して欲しいと思います。私にとっては、それこそが「中らずと雖も遠からず」となると思います。

 

 

 

2007322日 「ベンチマーク」

 

当社SSGの中で、SS事業については、その「ベンチマーク」として、P社やT社の業績等を参考としている、というふうに使います。同様に、エンジ事業は、M社を使って「ベンチマーキング」している、という使い方もできます。

 

英語benchmarkは、本来、測量の世界の言葉です。測量の際の基準点、水準点という意味だったものが、コンピュータなどの機械の性能を比較する目的で使われ、その後、ビジネスあるいは経営、マネジメントの用語として一般的に使われるようになりました。

 

たとえば最初の事例で、SS事業とP社を比較した場合、単に、事業規模や利益の額だけを比較しただけでは、「ベンチマーキングしている」というレベルにはなく、「ライバルとして見ている」程度の表現がむしろ適当でしょう。

一方、たとえば、成長性と収益性についてベンチマーキングするとは、次のようなことを意味します。成長性については、事業規模成長率の単純比較から始まって、新規開始の貢献度合い、終了率の比較、地域別傾向分析、募集力比較、受注力比較などを行い、当社は何が強くて何が弱いかを分析し、その理由を洞察するのがベンチマーキングです。

収益性については、請求単価比較、支払単価比較、さらに生産性については、営業一人あたりの受注数・開始数・終了数や、業務部門一人当たりの稼働者数といったように、どんどん掘り下げてゆきます。

自分たちの数字はわかっても、競合先であるP社やT社の数字は、全部がわかるわけではありません。しかしながら、入手できる情報をもとにして推測等をも行いながら、比較分析を行うことがベンチマーキングであり、その対象がベンチマークです。

 

私は中学生の頃から、ベンチマークといった言葉は知りませんでしたが、いま考えるとベンチマーキングしていたように思います。

実は、中学・高校・大学の前半まで、私の目標は「天才数学者」になることでした。単なる数学者ではなく、天才数学者。「天才数学者になれないならば、数学者ではなく数学の教育者になるべきだ」というのが私の考えでしたので、目標は大きく、天才数学者だったのです。

歴史に登場する天才数学者たちは、いずれも、若い頃からその天才振りを発揮していました。ガウスは10才のときに、こんなことをやった神童だったとか、パスカルは17才であれを証明したとか、ガロアは25才で亡くなる直前にあの理論をまとめていたとか。

それらをベンチマークにしながら、自分は15才でこのぐらい、17才でこれぐらいといったように比較していき、ついに20才になったときに、天才数学者にはなれない現実を認めることになりました。悲しかった。もちろん、それこそ「塞翁が馬」で、今日の自分があるわけですけど、ね。

 

就職して入った会社でも、あの人は入社7年目であの実力を持っているが、自分はあと5年でそれに追いつけるだろうかとか、あの人の3年前が現在の自分と同じ立場になるわけだけど、それに比較すると今の自分の実力・付加価値って、どうなんだろうとか。ベンチマーキングの連続でした。

 

みなさんにも、是非、この、ベンチマーキングを取り入れてもらいたいと思います。

 

テレビに出るようないわゆる「セレブ」とか言われていい気になっているパーな人たちと自分を比較して、ベンチマーキングしても意味がありません。ベンチマークは、自分が成長するためのもの、人生を楽しむためのものと考えてください。

会社の中でベンチマークを探してもいいし、自分の親をベンチマークにしてもいいでしょう。比較し、考え、自分の行動が変わる際の参考となるような対象を、ベンチマークとすべきだと思います。

 

 

 

2007323日 Lady Madonna

 

会社は、誰にとってもやりがいがあり、働きやすいものであることが理想です。

しかしながら、会社には男性もいれば女性もいる。新卒入社1年目がいれば、定年まで残り10年の人もいる。出世を第一に考える人もいれば、安定を最優先する人もいる。「誰にとってもやりがいがある」をねらうあまり、「誰にとってもやりがいが中途半端」になってしまってはいけません。

 

そこで私は、一種のベンチマークとして、当社事務部門を「バツイチ子持ちの女性」にとって、やりがいがあり、働きやすい職場にしたいと考えています。

「バツイチ子持ち」といった表現は、あまりよい表現ではなく、むしろ差別的な響きを持つものではありますが、ここではわかりやすさを優先しました。

 

今では、離婚自体は決して珍しいことではなくなりましたが、それでも子供がいる状況で離婚に踏み切るには大きな決断がいるものと想像します。まして、母親が子供を育てようということになれば、「父親役」と「母親役」の両方をこなす必要があります。この場合、彼女にとっての職場は極めて重要な意味を持ちます。

 

第一に、収入源としての会社・仕事に対する考え方であれば、バツイチ子持ちの女性は、男性と同様な意識ではないだろうかと思います。「イヤになっちゃった」程度で会社を辞めることはありえないでしょう。人間関係で悩んだりしても、そこから逃げ出す選択をとることは容易ではありません。むしろ、何とか解決したいと考えるのではないでしょうか。また、「若い間だけ働こう」ということでもありません。子供が大きくなって自立した後でも収入源は必要ですし、むしろ生きがいとして働きつづけることを優先するのではないでしょうか。

 

第二に、時間の感覚が違います。無駄な残業は許せない、なぜなら、早く帰って子供の顔を見たいから。この感覚は、男性には持ちにくいものです。また、若い独身女性に多い、自分の時間を持ちたいというものとも違います。迫力が全然違う。

第一の観点で、仕事に対する姿勢が違うと述べましたが、第二の観点で時間に対する姿勢も違う彼女たちは、仕事を効率よく、短時間で終えることに対して、とても敏感だと想像します。単に「仕事を減らしてもらって、早く帰りたい」ということとは全く違います。

 

第三に、社会人としての意識が違います。私見ですが、男性は、自分の子供がイジメや受験などの社会問題に直面する年齢になってはじめて、社会人としての意識が変わってくるものと思います。一方で、女性は自分の子供を持った瞬間に、それが変わる。「この子にとって、よい社会とは」という意識が芽生えるのです。

ただし、専業主婦などの場合は、「社会がよいか悪いか」は、自分の責任ではなく、政治家やエライさんたちの責任という問題設定がされ、自分と子供は単なる被害者のように考える人も多いかと思いますが、バツイチ子持ちの女性は、そこが違います。自分も社会の一員であることを、自らが働くことと子育ての両方を担当していることにより、意識するのです。

 

業務部門であるSSOMは、大半が女性の会社です。

しかし、数少ない男性にとっても働き甲斐があり、多くの女性にとっても働きやすい会社にするためには、私は、表現は悪いのですが、バツイチ子持ちの女性をベンチマークとして、彼女たちにとって、良い会社かどうかを、常に、自問自答することにしています。会社の制度は?マネジメントは?などなど。

 

 

今回のタイトルは、「バツイチ子持ち」ではなく、「Lady Madonna」です。

実は、これ、ビートルズのヒット曲の題名です。Lady Madonnaは、「バツイチ子沢山」といった女性で、乳飲み子や幼子を抱えた若き母親で、「いったいどうやって子供を養っていくのだろう」という歌詞です。

 

私は決して、離婚を奨励しているわけではありませんし、バツイチ子持ちをたくさん採用しようと言っているわけでもありません。

自分が、自分たちがやっていることを、受け止めるサイドにいる人たちがどう受け止めるのかを考える際に、具体的な人物像を描いて、その人の立場に立って考えてみると、よくわかる場合があるというのが、今回の主題なのです。

 

ですから、たとえば、SS事業でスタッフを募集する際、あるいは、稼働中のスタッフを支援する際、「いろんな人がいる」という一言で、相手の事情を推し量ることをあきらめるよりも、具体的な人物像を描いてみて、その人の立場だったらどうかを想像してみることには価値があると思うのです。

 

 

 

2007326日 「男は40歳から」

 

一般的に、男性は30歳代が、人生で一番モテる時期です。

無我夢中で働いた20歳代に比較すると、30歳代は余裕があります。ツボがわかってきますから、ドジを踏むことも少なく、力の入れどころと、手の抜きどころがわかってくるのでしょう。余裕と自信が生まれ、若い人たちからも頼りにされ、それがさらに自信を強化します。酒の飲み方も身につき、店を選ぶ目も養われる。ゴルフを始めるのもこの時期なら、クルマやスーツ、腕時計などへのこだわりも、この時期から始まります。

 

そして、多くの男性は、30歳代を人生のピークとして、その後、サエないオヤジになっていくのです。

 

30歳代の男性がモテる理由を、女性の観点からも考えてみましょう。

もし、遊ぶなら、亀梨クンたちより、SMAPの方が楽しいと思いませんか?

待ち合わせの場所は、渋谷のハチ公前よりも、ホテル・オークラのロビーの方がいいでしょうし、食事をする店は、女の子だけでも行ける店よりも、ちょっと格式があったほうがよいでしょう。話題はスノボよりもハワイ、お酒はビールよりもカクテル、クルマはカローラよりもBMW。自信たっぷりの語り口は、「なんか日本を動かしてる!」みたいなカンジで、酔っちゃいますよね。

 

こうしてモテた男性の多くが、その後の人生をサエないものにしてしまうのです。

 

男、30歳代、仕事をするのは当然です。

しかし、仕事以外がすべて遊びならば、その男には、深さも広さも身につきません。そんな男にだまされるのは、子供の女だけでしょう。

 

仕事と遊びだけで過ごした男性は、他の男性も「同じである」と思い込みます。

人間は、残念ながら、経験していない世界を想像する力を持ち合わせておりません、多くの場合。新聞や書籍を読むこともなく、自分と違う世界の人々と知り合う努力を怠った男性は、40歳を境にして、相対的な魅力を失っていくのです。

「ゴルフがうまい」ことを価値と感じる一方で、「英語ができる」ことの価値を無視し、「高級車に乗っている」ことをステータスと考える一方で、「社外や世界に友人がいる」ことの意味を理解しようとしない。

慣れた職場で辣腕を発揮できることが、自分の実力・魅力に対する評価の目を曇らせ、感受性を損ない、「威張ったオヤジ」を生成するのです。

 

 

私が40歳の誕生日を迎えたその日、英会話スクールで、友人となった講師のカナダ人男性と楽しい会話をしていたときのことです。

私が「今日で40歳になった」と言ったら、彼は「top of the hill」と言いました。

「丘の頂上」。

人生は40歳までが上り坂で、そこから先は下り坂。日本語だと違うニュアンスになってしまいますが、「40歳までは苦しいが、そこから先は坂を下るように楽になる」という意味だと言う説明を受けました。

そのとき、私は納得できませんでした。仕事は猛烈に忙しく、かつ、要求レベルは高く、独自に勉強せねば顧客からの尊敬は継続しない。自分としては「まだまだ」と思っていましたから、「下り坂だから楽だよ」と言われてもピンと来なかったのです。

 

ただし、50歳になった今、「top of the hill」を、別な意味として受け止めるようになりました。

40歳までに登った山の高さが、40歳以降の自分に加速装置をつけてくれるのです。

世界が広がり、専門外の分野でも付加価値を生み出せるようになる。自分や他人の置かれた状況を、それまでの経験と知識に照らし合わせて、客観的に観察することが可能となり、様々な仮説を立てることができるようになる。

 

若い女性からモテるという「魅力」は、人間の魅力のごく一部にすぎず、また、残念ながら長続きしません。せいぜい人生の長さの20%程度です。その「夏」を謳歌し、自分を鍛えることを怠った者は、「アリとキリギリス」のキリギリスと同じ「冬」を迎えることになるのです。

 

 

 

「女は30歳から」 (注)3月27日掲載だが、クレームにより掲載中止したもの。

 

20歳台の女性は、誰が何と言おうと魅力的です。

いや、たぶん、誰も何も言わないでしょう、けどね。

 

20歳台の男性、30歳台の男性、40歳台、50歳台、あるいは60歳台以上、そして未成年の男子にさえ、多くの場合、20歳台の女性は最も魅力的に映るものと思います。

しかし、これは単に、本能に基づいた性癖ベースの価値観であり、いわば、神様が定めた掟が成り立っているだけのハナシです。

 

モテまくった20歳台を120%楽しんだ女性は、30歳を迎えた時点から、坂道を転げ落ちるようにして、モテなくなります。容色の衰えに加えて、モテなくなった事実が精神的にダメージを与え、性格をゆがませ、全人格的にブスへの道をまい進する運命にあるのです。

クリスマスにもらったカルチェが邪魔だから質屋に売っていた自分が、質屋で安くなったカルチェを探す立場になるのです。ホワイトデイはマキシム・ド・パリで鴨を頂戴していた自分が、コンビニの義理返しキャンデーに直面するのです。

 

「アンチ・エイジング」=「過去の栄光よ再び」、あるいは、

「アンチ・エイジング」=「現実を忘れたい」、あるいは、

「アンチ・エイジング」=「男はだませるものだ」。

こういった新興宗教型のマーケティングに踊らされる女性は、転げ落ちる坂道の斜面がより急勾配になっているものと想像します。

 

女性にとっての「努力」とは、「食べ物を我慢する」「お化粧をちゃんとやる」「エステに行く」「ダサい服を着ない」だけではないはずです。

 

男性が自分を鍛えずに30歳台を過ごすと、「さえないオヤジ」に変身するように、女性も自分を鍛えずに20歳台を過ごすと、「ダレたオバさん」になります。

 

 

昔と違って、女性の幸福=結婚ではなくなりました。

何が自分にとっての幸福かは、自分が決めねばなりません。20歳台の「ちやほやされる状態」は「状態」であって、「ちやほやされる人生」ではありません。そんな人生はありません。

私は、仕事でも、家事でも、それを一生懸命にこなし、さらに、工夫を加えようと知恵をしぼる女性は、それだけでも魅力的だと感じます。学ぼうとする姿勢は、それだけで一種の輝きを放ちます。相手の事情をおもんぱかり、最善を尽くそうとする努力は、必ず自分をも成長させ、自分の魅力をまた一つ積み上げていくようなものではないでしょうか。

 

日本では、多くの女性が30歳を境に、精神的な病に陥っています。

それを防ぐには、20歳台の「ちやほやされた状態」に有頂天にならず、自分を「白黒写真方式」で撮影して若さを排除し、自分の本当の魅力を探して欲しいと思います。

 

女は30歳から、です。

アンチ・エイジングで薬や化粧品を試すエネルギーを、少しばかり、自分の内面に向けてみてはどうでしょうか。

さいわい、女性が活躍できる場、長く活躍できる場は、日本でも世界でも増えつつあります。進歩し、成長する人は、性別や年齢に関係なく、必ず必要とされる場が存在します。また、そういった人は、言うまでもありませんが、いつまでも魅力的であるのです。

 

 

 

2007328日 Land of la la

 

スティーヴィー・ワンダーの曲の題名です。「ランド・オヴ・ラ・ラ」。

米国第二の大都市、ロサンゼルス(Los Angeles)を題材にした曲です。

 

今回の話は英語がてんこもり。

 

日本人はロサンゼルスのことを「ロス」とか呼びますが、世界中でパーな日本人だけですので、やめましょうね。米国人をはじめ世界中からはL.A.(エル・エイ)と呼ばれています。だからこそ、スティヴィーの曲名も「Land of la la」なのです。

ついでに、サンフランシスコ(San Francisco)のことを「シスコ」と呼ぶのも、パーな日本人だけです。どうしても省略したかったらFriscoと呼んでください。シスコと言えば、世界最大の通信機器メーカーのことを言っていると思われます。

セレブったつもりのパーな日本人が「シスコからベガスへ飛んで、ロス経由で帰ってきた」とかを下手な英語で言うと、「通信機器を操作してラスベガスでイカサマをやろうとしたけど露見して、結局、有り金全部をスッて(loss)ほうほうのていで帰国した」という意味に解釈されます。

 

さて、「Land of la la」の歌詞の中に、

Remember only the strong can survive」という一説があります。

「強いものだけが生き残れるということを忘れるな」という意味です。

今回の話は、この一説が主題です。ただし、「強さとは何か」という観点で述べたいと思います。

 

本題に入る前に、最初に英語の解説。

動詞rememberは「忘れない」とか「思い出す」という意味。

形容詞strongの前にtheをつけることによって、people who are strong、つまり、強い人たち、強者たち、といった意味になります。The smartなら賢い人たち、the sexyならセクシーな人たち。

動詞surviveは「生き残る」という意味。この名詞形がsurvival(サバイバル)で、日本語にもなっていますね。

 

次に、曲の意味を概説します。

米国は最初、欧州に近い東部から発展したことはご存知でしょう。ニューヨークもシカゴも東側にあります。カリフォルニア州で金鉱が発見された19世紀、黄金を求めて人々は西へ、西へ。これが西部劇。金鉱が掘り尽くされた後の西部は、穏やかでした。私が子供の頃「夢のカリフォルニア」なんて曲が流行しましたが、「木々も空も美しい」とかいった内容でした。

日本やアジア諸国との貿易、あるいはオセアニアなど太平洋を横断した貿易が盛んになるに連れ、西側沿岸部の人口が増えていき、ハリウッドに近いビバリーヒルズやロサンゼルスに映画スターが住むようになってから、シカゴを抜いて、L.A.は米国第二の都市に発展しました。

アメリカン・ドリームと呼ばれるサクセス・ストーリー(成功物語)は、分野が金融、法律、コンサルタントなどであれば東側が舞台になりますが、ダンス、スポーツ、音楽などの分野ならば西側、特に、ロサンゼルスが舞台になります。映画で、田舎から若者が汚い格好で出てきて、上映開始1時間半後に大成功して大都会で活躍していれば、そこがL.A.です。

スティヴィー・ワンダーは、そうやって夢見てL.A.に出てくる若者に対して、「ここは強者でないと生きてはいけない街なのだ」という歌を作ったわけです。

 

さて、「強者でなければ生けていけない」のは当社でも同じです。

どの会社でも、あるいは、組織、団体、スポーツクラブ、劇団、いかなる世界でも、それぞれである種の強さが要求されるものと思います。

問題は、当社が要求する強さが一種類しかないのでは困る、ということです。

人は様々な個性を持ち、価値観を持っています。営業には固有の強さが要求されるでしょうが、業務部門にはまた別な強さが要求されます。管理部門、企画部門など、それぞれの組織の性格によって、求められるものが異なり、要求される強さも違ってくるはずです。

また、同じ業務部門であっても、同じチームであっても、全員が同種の強さを持っているということは必ずしも理想的とは言えません。何かトラブルが起きたとき、業務量が急激に増えたとき、それぞれ異なる個人の強さと組織の強さが求められることがあると思います。

自分と同じ強さを全員に求めることはやめてください。違う強さもあるのです。違う強さをたくさん積上げたとき、組織の強さは磐石となるのです。

 

 

 

2007329日 「ある少年の卒団式」

 

私は、週末、ボランティアで、少年サッカーのコーチをしています。

先日、小学校6年生たちが、この少年サッカー団を卒業ならぬ、卒団していきました。その中にいた、一人の少年のことを述べたいと思います。

 

その少年が所属する学年を、私は、2年生から4年生までの3年間、担当コーチとして指導をしていました。彼は選手候補というような子供ではありませんでしたが、利発な子で、私の話をよく聞いていたという印象を持っています。

その子の脳には、腫瘍がありました。ヘディングの練習をしているときに、「ぼく、ヘディングしちゃいけないんだ」と聞いたときに、初めて知りました。

身体の成長とともに、腫瘍が大きくなる怖れがあり、どこかのタイミングで手術をすべきであるというのが、医者の見立てだったようです。しかし同時に、手術そのものにもリスクがあり、下手をすれば、一生、スポーツができなくなる、あるいは人格が変わってしまう可能性さえあるということでした。

 

4年生の夏休みに、彼は手術を受けました。

仲間たちで千羽鶴を折りました。

秋になって、はじめて彼を見た私は、最初、同一人物であることに気づきませんでした。体型も顔つきも変わってしまって別人のようでした。それだけでなく、走ることも、ボールを扱うことも、会話することさえも、以前のように行うことは、もはや不可能でした。

サッカークラブはそれでも彼を在席させ、見学や手伝い、あるいは基礎練習の繰り返しではありましたが、彼にとって意味のある活動と、チームにとって意味のある活動を追及したのです。

 

卒団式の日、親子がそろってコーチたちに御礼を言うスピーチがありました。彼の母親が、彼がくじけずに頑張ったことをほめた途端、彼は号泣してしまいました。仲間や、コーチ、親たちの目にも涙があふれました。

 

中学校に入ったら、彼には、サッカー部でサッカーを続けることはできないでしょう。その種の強さを彼は失ってしまいました。しかし、彼は、別な強さを身につけたのです。

サッカー部には入れない、しかしながら、中学校ではやっていけると私は確信しています。それでは、彼のその後、高校や社会ではどうでしょうか。彼の強さを生かしてくれる高校や社会を、日本は提供できるでしょうか。

 

強さは一種類ではありません。全員に同じ方角の同じ強さを要求する社会は、とても住みにくいものだと思います。社会とスポーツクラブは違うのですから。

 

前日のこのページで、「only the strong can survive」の話をしました。

当社においても、強さがなければ生きてはいけません。しかしながら、その強さは決して一種類ではありませんよね、ということが主題でした。

私はふと、その少年が成年して、当社に入ってきたらどうだろうかと考えてみました。彼は、当社で生きぬくだけの強さがあるだろうか、同時に、当社は彼の強さを生かすだけの幅と奥行きのある組織なのだろうか、と。

 

 

 

2007330日 「仙台駅S-PAL地下にて」

 

仙台出張で、夜、仙台に入り、一人でしたが、どこかで食事をしようとしたときの話です。

私は一人で食事をすることが多いのですが、その際、もっぱらサラダ&パスタであり、イタリアンのカジュアル・レストラン(トラットリア)を選ぶことが多いのです。

仙台でも、駅に隣接するS-PALという商業施設の地下でレストランを発見できました。

 

食事の好みが「女みたい」なものですから、だいたい、まわりは女性ばかりとなります。そして、なぜか特に多いのが派遣スタッフ。この日、ペペロンチーニのソースが「ちょっと濃すぎるな」と感じた瞬間、私の耳に飛び込んできた、隣のテーブルの会話をご紹介します。二人の若い女性でした。

 

「でさぁ、あの派遣会社!」「オージンジでしょ?!」「横のつながりとか、皆無じゃない?」「どしたの?」「聞いてよ!3月末で今の仕事が終わるから、4月からの仕事を探してもらってるんだけど、電話するたびに、違う人が出てくるのね。ま、それはいいんだけど。そうしたら、全員、3月末で契約終了ですね、ばっかりで、新しい仕事に関することは何回もアタシが事情を説明しなきゃならないのよ!どーゆーこと!」

 

結局、彼女は、競合先である別な派遣会社にも登録し、仕事を探してもらっているそうで、そちらで開始する可能性が高いようでした。

 

たまたま仙台で出くわした件ですが、おそらく全国どこでも同じ光景が繰り返されているものと想像します。そして、今だけでなく、昔からずっと。

かつて我々は、「そんなことは気にするな」「終了が一人出たら、新規開始を二人出せばよい」「むしろ、うるさいスタッフの横振りに時間かけるな」といったことでやってきたように思います。

 

果たしてそれでよいのか、が、今回の主題です。

 

例えば、「リピート率」という指標があります。

契約満了を迎えたスタッフが、別な仕事で、再開始する率を計算しています。

このリピート率、当社が急成長していた90年代後半と、今とで、同じレベルにあると仮定してみましょう。つまり、良くなってもいないが、劣化もしていない。

これをもし「よし」とするなら、私だったら、ちょっと待てよ、と言いたくなります。

 

たとえば、トヨタだったらどうでしょうか。

クルマを買い換える際に、トヨタ車オーナーが再びトヨタ車を購入する率をリピート率と呼んだ場合、昔と今とで同程度のリピート率だったら、トヨタだったら大きな問題だと考えるはずです。

なぜなら、昔と比べて、車種の展開が幅広くなり、顧客の様々なニーズに応えることができる可能性が、年々高まってきているはずだからです。カローラかコロナしかなかった頃と、リッターカーからミニバン、高級車まで幅広い展開をしている今、リピート率は高まらねばならないと、トヨタなら考えます。

 

当社も同じではないでしょうか。

約定終了者が、次の仕事を選ぶ際、当社が大きくなった分だけ、昔より、多くの仕事を母集団としてもっているはずではないでしょうか。受注の本数、受注内容の幅が広がってはいませんか。

 

私たちは今や、トップ企業なのです。

私たちの存在の大きさが、昔とは違うのです。そうであれば、「昔と同レベルでよい指標」と「昔よりも改善していなければいけない指標」があるハズです。リピート率は、私の考えですが、我々自身の大きさに従って、改善すべき指標であると思います。

 

もう一つ、「離反率」というものを考えてみたいと思います。

契約満了にともなって、当社での再開始ではなく、競合他社での開始など、スタッフが「オージンジは、もうイヤだ」ともし考えたとすれば、この人たちは当社から離反していくことになります。たまたま、他社が提示した仕事が良かったり、正社員をめざすということであれば少し違ってきますが、「当社を嫌って当社を去る」率を、離反率として、もし計算できたと仮定します。

この離反率、下げねばならないと思います。つまり、昔と同じではいけない、と。

 

離反率が同じであっても、事業規模が大きくなった我々にとっては、離反者数は格段に増えることになります。そして、時間の経過とともに、離反者が社会に占める割合が高まってきます。

離反者たちはおとなしくありません。街のレストランで、口コミで、当社の悪評を広めています。昔だったら無視できる数であった離反者も、今の我々のサイズでは無視できません。そして、過去からの累計が一定の数になると、口コミは突然、大きな影響力を持つのです。これは社会心理学といった学問分野の話ですが、真理です。

 

「指標が劣化していないのに、業績が上がらない」という現状がもしあるばあい、その指標が横ばいであること自体に問題があるのではないかと、考えてみることが重要なのです。特に、自分自身の規模によって、指標の意味や重要性が変わってくるのです。