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2007年8月

200781日 桑田佳佑

 

サザンの桑田佳佑。天才で変人?

メロディメーカーとして抜群の才能を持つだけでなく、その歌詞を読んでも、グッと来ることが多い。

珠玉のようなバラードがある一方で、力強いメッセージもある。

切ない思いを美しいメロディに載せて訴えることがあるかと思えば、

歯切れの良いリズムとともに勇気や元気をもらうこともある。

 

ところが、たまに、いや、結構頻繁に、「なにこれ!」みたいな曲もある。

 

内心ではそう思っていても「フツー、それ、言わないでしょ」みたいな露骨な表現や、

あるいは、「それってもしかして放送禁止用語?」とか。

 

桑田サンのファンには恐らく二種類いて、

「ああいうヤンチャも含めて好き」という人と、

「できればアレはやめてほしい」と感じている人。

 

様々な方角で先輩格にあたるジョン・レノンは、この方角でも桑田サンの師にあたるが、私の意見では、この方角での世界一は桑田佳佑。

桑田サンの歌詞のねらいを外人に英語で説明すると、コレ、むずかしいけど、爆笑されちゃう。

 

人間って、一筋縄ではいかないモノですよね。

とりあえず、「人間とはカオス(混沌)だ」とか言っておきましょう。

 

さて、

日々のこの文章を、桑田サンの音楽と比較してみようという、大それた試みに挑戦したいと思います。

どちらも、ちょっと恐縮ですが、「珠玉のような作品」と「力強いメッセージ」という共通項がある。そうかと思えば、「なにこれ!」も共通点。

 

私の試みは、桑田佳佑も佐藤治夫も、どちらも男性・昭和30年代生まれ・子持ち・ジョンレノンが好き、みたいな人物比較ではありません。

 

第一の論点は、「なにこれ!」が許される度合いについての考察。

 

桑田サンには許される「なにこれ!」が、この文章には許されない。

(注)「許されないわりには、やってるよなー」のツッコミ、アリガトゴザマス。

 

その理由は、彼の作品にとっての顧客、訴えかける対象の層、スコープが「オープン」である一方で、

この作品にとっての顧客、訴えかける対象の層、スコープが「クローズド」なのです。

 

サザンの歌が嫌いな人は、聞かなければいいのです。

サザンとは無縁に生きていくという選択肢を取ればよいだけ。無関心でいれば、それで済む。

 

ところがこの文章は、SSG従業員のみなさんを読者層としている。

関心がなければ読まなければよいだけ、というものの、「閉じた空間の中で読む・読まないの自由はある」ということと、「開いた空間で自由がある」のでは、全然違う。

たとえば、ある会議とかで「昨日のブログにも書いてあったけど、なんだかんだ」と誰かエライ人が言ったとすると、なんとなく「読まなければいけない空気」が漂う。

開いた空間では、空気は流れるので、いくらサザンが流行しても、ジャニーズ系が流行しても、「知らなければいけない空気」や「それを好きでなければいけない空気」を人はいくらでも回避できる。そんな場に居合わせたら、とっとと別な場所へ移動すればよい。

ところが、そもそも閉じた空間を対象としているこの文章では、ここから逃げたいと思っても、退避する場所がない。

 

このことから得られる教訓。

閉じた空間では、権力者が自分の価値観を押し付けてはいけない。むしろ、様々な価値観を受け入れる度量を示す必要がある。

自分で書きながら、「勉強になる!」ってカンジです。っていうか、「反省しろオマエ!」。

 

組織は閉じた空間です。

ここで「文化」と呼ぶべき、ある種の価値観を構成員全員で共有する必要があることが多い。

たとえば業務部門は「サービス部門に転身する」と宣言しましたので、「自分たちはサービス部門である」という価値観を持つ必要がある。この価値観が持てないならば、この閉じた空間に居場所はない。

同じように、営業部門が「戦う集団」ならば、戦うことに反旗を翻す人に居場所はない。

 

これらのことは、組織が組織であるための必要条件でもあるので、閉じた空間での価値観の共有はむしろ必要である。

しかし、たとえば、自分の部署20名の部隊という空間の中に、自分が持つ価値観だけを押し付けるのはどうだろうか。

リーダーたる自分が「信じる価値観」で、みんなを引っ張るなら、それはよい。

しかし、逃げ場のないような状況を作ってしまって、それを押し付けるのはどうだろうか。

「引っ張る」と「押し付ける」は、言動としては似ているかもしれないが、微妙に違う。いや、全然違う。

 

第一の論点は、佐藤治夫だけに許された、この文章を書くということを乱用して、閉じた空間であるにもかかわらず、自分の価値観をいい気になって押し付けてはいけないという教訓なのであった。お疲れ様っす。

 

第二の論点は、「終わり方」です。

 

桑田サンは、もう、いつ辞めても生きていけるだけの資産をお持ちでしょう。

この文章も、いつ止めてもいいはずです。この文章を書かなくとも、私にはやるべき仕事がたくさんあります。

 

桑田サンが「辞める」と言ったとき、ファンはおそらく「辞めないで」と叫ぶでしょう。あるいは「お疲れ様」とねぎらうかもしれない。

しかし、辞める辞めないは、全く彼の自由であり、余人がこれを決めることはできない。

 

それでは、この文章はどうでしょうか。

私が「止める」と言ったとき、桑田ファンのように「止めないで」と「お疲れ様」だけでいいのでしょうか。

 

違います。

閉じた空間の住人であるみなさんは、この文章を「止めるべき」あるいは「続けるべき」あるいは「こうあるべき」と考える必要があるのです。

この文章は会社のために書いています。

ですから、構成員であるみなさんはただ単に「ファンだ」とか「アレが好き」とか言ってるだけじゃダメなのです。

オープンな空間であれば、好き嫌いの感情だけで、読む自由・読まない自由を行使するだけでよい。

しかしながら、クローズドな空間で、組織のために存在すべきこの文章に対しては、好き嫌いとは次元の異なる「意見」を持つべきなのです。

それが、読者であり構成員であるみなさんの義務です。

そして、それを聞くことが、私の義務であるのです。

 

余談ですが、夏ドライヴには、サングラスとサザンをお忘れなく。

 

 

 

200782日 無限の広がり

 

7月25日「テレコミュニケーション・センター」の中の一文、

つまり、テレコミュの方に書いていただいた「作文」の中の一節、

「サービスとは、追求していけば、無限に広がるものだと感じた。これでいいという線を引いてしまうことは簡単である。ただ、それでは自分自身は向上しないし、相手に対する気配りもおろそかになりかねない。相手があってのサービスである」

この文章に反響がありました。

 

ビジネスサポートの方からメールを頂戴しています。

それをそのまま紹介します。

 

私たち透析者は、日頃、医療スタッフにお世話いただいているわけですが、医師や看護師さんなどの仕事もサービス業です。

看護師さんの中には、若くても大変気配りの出来る人もいれば、年配でもそうでない方もいます。看護師さんの仕事の中には、患者さんの横で話を聞くというものもあります。患者が痛みを訴えるとき、炎症反応があって抗生剤や湿布を使う場合、痛み止めを使う場合もありますが、精神的な不安から痛みを訴える場合は、痛いところをさすったり、横にいて話を聞くだけで、というよりむしろその方が、痛みが和らぐ場合があります。

こういうサービスは、本当にどこで線を引くか難しいところだと思いますが、「サービスとは、追求していけば、無限に広がるものだ」という言葉は、至極、名言に感じました。

 

サービスは無限に広がるものだ。

そのとおりですね。サービスには「必ずこうせねばならない」とか「これをしてはならない」というオキテはありません。

いわゆるサービス業に多い、「マニュアルどおりの対応」に憤りを感じたり、ガッカリすることがあります。

 

私は毎朝、決まった時刻に決まった店で休憩してから会社に向かっていますが、

「いらっしゃいませ&笑顔」「お持ち帰りですか?」「ご注文は?」「お支払いは?」というマニュアル対応が「有効でない顧客」の一人です。

第一に、ウォークマンで音楽を聴きながら、踊ってるようなヘンなおじさんですので、何を言っても聞こえていません。店員が何を言おうが、私は順番がくれば「店内・Mサイズ・グレープフルーツジュース」と言いながら、電子マネーEdyカードを見せます。慣れた店員なら、オーダーを聞くまでもなく、列に並んでいる私を発見するだけでジュースを用意し、カウンターのいつもの席が空いていれば、そこに置いてくれちゃいます。

そして、これが私にとっては最高のサービスです。

 

事例をもう一つ。

私の母が、まだ症状が軽く、毎日、デイケアセンターに通所で通っていた頃の話。

気丈な母は、「面倒をみてもらう」という立場が我慢できない。どこに連れて行っても、面倒を見てもらう年寄りがいるばかりで、自分がそこに通って「年寄り扱い」されるのがイヤだったのでしょう。

私は、ある施設に事前に頼み込んで、母を「ボランティアの方のように、面倒を見る立場のように扱ってもらえないか(演出だけですが)」と頼みました。

その施設は理解してくれて、あるときは「手本を示す優等生」みたいに扱ったり、あるときはエプロンをつけて「面倒を見る立場の人」に仕立て上げたりしてくれました。

認知症の母は、その施設で「働いている」と考えることができたのです。

当初、通うことを嫌がっていた母ですが、喜んでそこに通うことになりました。日曜日はその施設が休みでしたが、母は散歩と称して施設まで一人で歩いていき、守衛のおじさんに「今日は休みですよ」と言われ、トボトボと帰宅するのが毎週の恒例行事のようになっていたものです。

 

マニュアルや、介護に関する規則や注意事項からもかけ離れたこのサービスは、母にとって、私にとって、最高のサービスだったのです。

 

サービスは無限の広がりを持つものです。

あなたには、どんな発想、工夫がありますか?

そのお客様は、どんなサービスを期待していらっしゃるでしょうか?

 

 

 

200783日 中国、日本、英国

 

今回のテーマは「いつか来た道」。

「あのときの○○の状況が、今の我々の参考になる」という「時空置換方式」による教訓を導き出そうと思います。

 

いま、中国産の農産物が「危険である」ということから、米国や日本などの市場から排除されるかのような勢いです。

いまや、中国は「世界の工場」であるとともに、「世界の農場」でもあります。

しかしながら、先進国ほどに品質にこだわらない発展途上の中国では、農産物なら農薬使用による問題、工業製品なら品質や模倣品の問題などを抱えています。

 

いまの中国が、昔の日本にダブって見えるのは、私だけではないものと想像します。

 

現在50歳である私が子供の頃、日本の工業製品は「安かろう、悪かろう」と言われていました。

当時の日本の産業が、輸出できるほどに競争力を持つ分野は少なく、繊維分野(=イトヘンと呼ばれた)を除けば、オモチャなどが数少ない主要輸出品目であったものと記憶しています。

ブリキで作られた日本製のオモチャなどは、米国で「安物」「粗悪品」の位置付けであり、米国製に比較して、相当な安値で売られていたものと思います。

あたかも、今の日本のスーパー食品売り場でのニンニク、青森産が1コ100円、中国産は8コで100円みたいなカンジだったものと想像します。

 

当時の日本の産業は、今や世界最高品質を誇るクルマの分野においても、全然ダメでした。

当時の米国人の観点での日本車は、今の日本人の観点での中国車みたいなものではなかったでしょうか。

日本から米国に輸出した工業製品で、その品質で米国人が最初に驚いたものは、おそらくソニー製品か、あるいはホンダ製のバイクだったかもしれません。

米国人の多くが、当時、SONYは米国企業だと誤解していたようなこともありました。

 

その後、日本の産業は、徹底的に品質にこだわり、また、静岡県富士市(紙パルプ)や、熊本県水俣(化学)あるいは東京湾・大阪湾・多くの河川における公害問題に直面し、それを乗り越えることで、低公害での生産方法についても世界最先端を走る結果となったのです。

日本の農業が経験した、低農薬・無農薬への挑戦についても、同時期だったと思います。

 

中国はいま、当時の日本が挑戦し、乗り越えた課題を解決せねばなりません。

中国の指導者層は、当時の日本を参考にし、「時空置換方式」で、現在の中国での施策のヒントを得るべく、頭を悩ませていることでしょう。

 

さて、それでは今の日本・今後の日本は、「いつのどこ」から学ぶべきなのでしょうか。

 

いろいろと意見があるかと思いますが、私の考えでは、現在の英国から学ぶべきことが多いのではないでしょうか。

多くの産業が成熟し、少子化、高齢化が進み、国民の多くが豊かになっているという状況。

外国からの投資を呼び込むフェーズが過ぎ、外国への投資を、国民ひとりひとりまでもが考え始めた状況。つまり、投資してもらって産業を振興させることよりも、投資先を海外に求める状況。

これが今後の日本であり、ここ30年ほどの英国の状況だと思います。

 

こんな状況の日本ですが、実は、まだまだ各種スキームは、発展途上国型。いまの中国により近いものがあります。

たとえば、税金。間接税が中心の英国ではVATと呼ばれる消費税が20%に近い率です。

日本ではまだまだ直接税が中心です。

直接税は「収入が多い人や企業から税収を得る」というコンセプトですが、

間接税は「資産が多い人や企業から税収を得る」というコンセプトであり、

発展途上なら直接税中心、豊かな社会なら間接税中心であるべきでしょう。

シカシ、日本では、「消費税上げ」には拒否反応が強く、どの政党もまっとうな説明を回避したいと思っている。

いまだに「税金は金持ちから搾り取れ!」という論調がありますが、日本人の多くはすでに「小金持ち」になっており、また同時に、「金持ちになりたい・なれる」と思っています。

「今は税金払うのはヤダし、金持ちになりたいし、金持ちになってもヤッパリ税金払うのはヤダ」というのが、多くの日本人の気持ちでしょう。

ま、ワタクシも、決して税金払うのが好きなワケではありません。

 

また、「官」が大きな存在である今の日本は、サッチャー後の英国を見習うべきですが、現在のところ、まだまだ中国に近い状況でしょう。

発展途上だった日本では、

「みんな外国のこととか知らないと思うから、ボクたち官僚が教えてあげるよん」

「ボクたち官僚は、東大・法学部卒だから日本で一番賢いんだよん」

「ボクたち官僚は、個々の企業のためじゃなく日本全体のために考えるんだよん」

「ボクたち官僚は、こんなに賢いのに、公務員の安月給で奉仕してあげるんだよん」

「ボクたち官僚は、だから接待されちゃってもアタリマエなんだよん(一部改善済み)」

「ボクたち官僚は、だから天下りして高い報酬もらうのがアタリマエなんだよん」

「ボクたちよりちょっと落ちるヤツらでも、銀行で高い給料もらってるんだもん」

「ボクたち東大・法学部で文系最高峰だけど、理系最高峰の東大・医学部の連中にもちゃんと敬意を払って、医者の都合のよいように日本の社会を作ってあげちゃうよん」

「政治家って早稲田アタリで、もちろんボクたちの方が賢いわけだから、ちょっとおだてたりしとけば、いいんだよん」

「で、ボクたちの中には、途中で政治家に転向するヒトがいるけど、それも楽勝なんだよん。だって、自民党とかいってもタダの大声オヤジだったりするんだもん」

 

スミマセン。この方角に脱線すると、ワタクシ、止まらないのです。

で、閑話休題。

 

と、このように、「直接税中心」と「官僚主導型」は、発展途上国の主要なスキーム。

 

さて、我がSSGは、中国、日本、英国の「時空置換方式」から、何を学ぶべきか。

 

営業支店のレベルで言えば、「今の東京・中野坂上エリアは、かつての品川港南エリアから学ぶことがあるんじゃないか」とか、「今の茨城は、かつての埼玉に」といった時空置換を行えれば、それでいいかと思います。

 

しかし、営業本部あるいは営業組織全般をスコープとした場合は、もっと深い教訓が得られるかもしれません。

 

「直接税中心」から「間接税中心」への転換は、大変に大きな意味を持ちます。

当社で言えば「積上げ中心」から別な見方への転換に相当するでしょう。

もちろんかつての当社が「売上中心」から「積上げ中心」に転換したときと同じぐらいのインパクトがあるはずです。

私は、いま、それをやれと言っているのではありません。

しかし、急成長だった日本が安定成長フェーズに入り、税制など政治の根幹を変えるべき日がきているように、当社にも必ず、積上げ一本からの転換を進めるべき日が来るのです。

 

あるいは日本の「官僚主導型」に相当するのが、当社の「CTC主導型」でしょう。

日本の多くの産業が成熟し、日本人が賢くなったいま、かつてのような官僚主導型ではメリットよりもデメリットの方が大きくなっているのが現在の日本です。

当社にも、いつかその日がやってきます。

 

その日は、突然やってくるわけではありません。

必ず徴候があるはずです。また、ジワジワと変化・進化が進む可能性もあるでしょう。

いま何をすべきか、いつ何をすべきか。これこそがポイントなのです。

 

日本の改革よりも、当社の改革の方がスマートになるよう頑張りましょう。

 

 

 

200786日 社会を良くするチャンス

 

「社会を良くするチャンスを奪うな」が主題です。

人々は、特に日本の人々は、少しずつ、社会を良くするチャンスを自ら消し去っているように思えてなりません。

 

たとえば、公園の「中学生以上のボール遊び禁止」。

 

あるとき、中学生が投げたボール・打ったボール・蹴ったボールが小さい子に当たって、ケガをした。大騒ぎをした親が公園管理事務所や市役所などに抗議して、こういう措置が決まる。

 

中学生や高校生は、どの公園に行っても、ボールを使えません。あちこちで「禁止」ですからね。

余談ですが、エネルギーのあり余った中学生たちには、駅前のゲーセンぐらいしか居場所がないのです。

 

エネルギーのあり余った中学生でも、公園など、老若男女が憩う場所にあっては、周囲に気を使い、小さな子供やお年寄りがいたら危険のないように自ら律せよ、と言いたいですよね。一方、小さな子供を持つ親の方も、自分の子供だって中学生になる日が来るのだから、「今、子供の遊び場を確保する」ために、「10年後、その子の遊び場を放棄する」ようなパーな考えは捨てなさい、と言いたいですよね。

 

つまり、乱暴な中学生であっても、あるいは、自分の子供のことしか考えていないような若い親であっても、公園という場によって、お互いがお互いを理解し、ともに賢くなり、社会を良くする場、良くするチャンスとすることができるのです。

 

しかし今の日本では、中学生に注意しても逆ギレされたりする怖れがあるからイヤだとか、一方、中学生の立場で考えると、大人たちはいつもボクたちを迷惑そうな目で見ているからイヤだとかいうことになり、問題が表面化する前に、「中学生のボール遊び禁止」という立て札で「いったん解決」にしてしまう。市役所としては何かあった場合でも、責任回避の理由の1つになるし、中学生に注意するとき「禁止してあるんだから」というパーな理由を用い、問題の本質への踏み込みを避けることができる。

 

社会や組織が「良くなる」には、立て札などによりルールが明示されるからではありません。

社会は「人」で構成されています。人々が相手のこと、周囲のことをわかりあおう、尊重しあおうということになって初めて、社会が良くなるエンジンが回り始めるのです。

 

今回のメッセージは「社会」を「会社」に置き換えてみてください。

もちろん会社には公園も立て札もありません。

しかし、「中学生以上のボール遊び禁止」みたいなことがないとは言えません。

 

一握りの賢い人たちが「オマエらはパーだからボール遊び禁止だ」と決めるのではなく、「ボール遊びがなぜいけないのか」「ダメなときとそうでないときがあるのではないか」「ダメなときとはどういうときであって」「どうすればデメリットを生まずにメリットを追求できるのか」などとみんなが考える方が、組織が成長する可能性は大きいと私は思います。

 

問題を「解決する」のではなく、問題を「回避する」という発想。

これは、人間が、社会が、良くなるチャンスを奪うものだと考えます。

 

 

 

200787日 女性専用車両

 

都心に向かう朝の通勤電車、JR中央線などいくつかの路線は、「女性専用車両」を設けています。残念ながらなかなか改善できない痴漢犯罪などを少しでも防ぐ目的です。

 

実は私は、この措置に対して当初、「反対」の意見を持ちました。

昨日の「社会を良くするチャンス」をまた1つ奪った措置である、あるいは、問題を解決するのではなく、回避する措置であると考えたからです。

 

しかしながら、総務部の女性二名が私の目を開かせてくれました。

「逃げ場のない女性被害者がいるのだ」と。

 

ちょっと余談になりますが、毎日のこの文章は、掲載する前に、総務部の女性にチェックしてもらっています。誤字・脱字のチェックという意味よりも、私がひとりよがりなことを書いていないか、特に男性かつ権力者の立場で価値観を押し付けていないかをチェックしてもらう目的で読んでもらっています。

そうは言っても若い女性ですから、なかなか私に対して「ダメでしょ、これ」みたいにピシッと言えることは多くなく、結果としてやや「なにこれ?」みたいな文章が出てしまうことはある。

ところが今回は違いました。

彼女たちは勇気を持って「これをこのまま掲載してはいけない」と私に進言してくれたのです。ありがとね。

その結果として、もとの原稿を修正したものが昨日の文章であり、ここで得られた教訓を、今回この文章で書きたいと思ったのです。

 

逃げ場のない女性被害者がいる。

ほとんどすべての男性乗客は痴漢などではなく、むしろそんな犯罪を発見したら助けてくれる、あるいは犯人逮捕に協力してくれるだろうと思います。

また、ほとんどすべての女性乗客は、逃げたり戦ったりすることができるでしょう。

 

しかしながら、一方で、どうしようもない犯罪者の存在があり、その結果として、逃げ場がない状況に追い込まれている女性乗客がいる。精神的に病んでしまったり、通勤・通学に恐怖を抱いてしまう方がいる。

たった一人であっても、もし、そういう被害者がいるならば、それを助ける仕組みを社会が用意することは望ましいことだ。

 

女性専用車両という発想が男性を侮辱しているとか、社会を良くするチャンスを奪うものだとか、問題を解決しないで回避しているだけだといった意見があるとしても、いま、逃げ場のない被害者を救うことの方が優先されるべきです。

 

救急車が一台通り抜けるとき、それによって渋滞が起こるとか、オレは急いでいるんだとか、どうせ酔っ払いが転んだぐらいじゃないかなどと思って、道を譲ることに消極的になる人が多いかもしれませんが、たった一人の患者や被害者であっても、いま、緊急で対応すべき方を救うことの方が優先されるべきなのです。

 

少数であっても、たった一人であっても、逃げ場のない人を救う、あるいは緊急対応すべき人を救う。それも、社会全体でそのことを理解し協力する。

こういう社会通念、あるいは人々の行動様式が定着すれば、そのことで精神的に救われる人も多く表れるのではないでしょうか。「何かあったときに救いの道がある」ということで。

 

当社に限らず、会社には、あるいは社会には、逃げ場のない思いをして苦しんでいる人がいます。

逃げ場がないほど追い込んではいけません。

避難所、シェルターを用意してあげなければいけません。

逃げ場なんて必要ないといった強い人であっても、避難所の存在を否定してはいけないし、そこで羽を休めている方に対して暖かい目で見守ってあげることが重要ではないでしょうか。

 

 

 

200788日 「べき」の効用

 

先の参議院議員選挙で、ご存知のように自民党の惨敗、民主党の圧勝により、衆参で「ねじれ」が起きています。つまり、衆議院は与党優勢である一方で参議院では野党優勢。

 

「これからどうなるのか」を考えることは、政治に限らず頭の訓練になりますが、今回のテーマはそれを一歩さらに進めて、「どうあるべきか」を考える、つまり「べき」で考えることによって、なお一層、頭脳にとっての刺激となるという話をしたいと思います。

 

選挙前にプレイバックしてみましょう。

既に「自民劣勢・民主優勢」という報道があったかと思いますが、この時点で、「自民党は惨敗するかどうか」ではなく「自民党は惨敗すべきだ」とか「いや、勝つべきだ」という思考方式を採用してみようということなのです。

もし、「惨敗するかな、どうかな」という思考方式だと、「惨敗するだろう」「なぜならば」という具合に考えていくと思いますが、その思考過程における必要な情報あるいは理由などを報道機関などに求めることが多いでしょう。

ところが「惨敗すべきである」という思考方式は、「なぜならば」の次に来るのは、「安倍政権は内閣改造をすべきだからだ」とか「惨敗によって首相退陣の風が吹き、麻生太郎氏が首相になるべきだ」とか「衆議院は即座に解散し、民意を問い、単に年金問題で怒っているだけなのか、政権交代を求めているのかを確認すべきだ」というように、「日本はどうすべきか」「政治はどうすべきか」という「意見」を持つことになるのです。

 

このあと「どうなるかな」という思考方式の方は、新聞やテレビから多くの情報を得て、「物知りオジサン」になりますが、

このあと「どうすべきか」という思考方式の方は、新聞やテレビなどに振り回されずに、「自分の意見を持つオジサマ」になれるのです。

 

「どうなるかな」の物知りオジサンは、このあと、衆参ねじれ現象によって、衆院で可決された法案が軒並み参院で否決されることを報道で知り、「てぇへんだ、てぇへんだ」という「てぇへんオジサン」あるいは「底辺オジサン」に変身してしまうかもしれません。

テレビのアナウンサーが、参院で否決されたことを報道する際に、おそらくマジメな顔を作って「てぇへんでござるよ」みたいな表情をしながらニュース原稿に感情移入しようと試みると思いますが、このアナウンサーの表情が物知りオジサンに伝染するのでござるよ。アナウンサーが視聴者に投げかけたこの「てぇへんでごじゃるよ表情」が、今度は、視聴者だったオジサンに乗り移り、オジサンが同じ表情をしながらおかみさんに「てぇへんなこった」と言いながら発泡酒を飲むのです。オバサンは「あれまぁ」と言いながらテレビのアナウンサーの表情だけを瞬時に読み取り、どういう表情をすべきかを即座に学習する。そして、それが翌日の井戸端会議かあるいはスーパーの野菜売り場か、あるいは職場に持ち込まれ、こうして日本中が「てぇへんでごじゃるよ表情」で満たされる。

ホントにてぇへんなこって、親分!

 

一方、「どうすべきか」「どうなるべきか」のご意見オジサマを始点にした場合、日本中が「てぇへんでごじゃるよ」になることはない。

ご意見オジサマには二通りあって、自分の意見を「言わずにおれない型」と「口数少ない素敵なオジサマ型」。後者なら日本中に「てぇへんだ」が伝染することはありえないが、前者であっても先ほどのような「日本全国てぇへん流行」にはならない。

さきほどの物知りオジサン始発だと「おまぇ、知っとおや?(博多弁)」で世間に広まりますが、「オレに言わせるならば」で始まる「意見」は、意見を聞く人に対してのみ伝わっていくのです。

 

ちょっと高尚な表現をすれば、知識は広まるだけですが、意見は共鳴された場合のみに広まるし、共鳴されるとしても、反対意見にぶつかったりしながら、より洗練されてはじめて広まるものなのです。

だからこそあなたには、単なる知識の伝播者ではなく、意見を持った一人の人間になって欲しい。それには「べき」で考える思考方式を採用して欲しい。

 

そして、会社に対しても「べき」で考える思考方式を適用して欲しい。

 

人事部門は「どうなっているのか」「どうなっちゃうのか」ではなく、「どうあるべきか」。

システム部門は「何をしてくれるのか」「何をやっているのか」ではなく、「何をすべきか」。

経理の数字は「いつ見れるのか」「誰が見れるのか」ではなく、「誰がいつ見るべきなのか」。

二時間人選は「いつまでできるのか」ではなく、「いつまでやるべきなのか」。

行動量は「どこまでできるのか」ではなく、「どこまでやるべきなのか」。

 

そして、それらの問いに対しては常に「なぜならば」を続ける。

 

ドイツの文豪ゲーテが、「若きウェルテルの悩み」でウェルテルに言わせた言葉、

「僕の知識は誰もが持つことができる。しかし、僕の魂は僕だけのものだ」。

「魂」という言葉には宗教的な響き、意味合いがありそうですが、「どう考えるか」「どう感じるか」の源に魂があるとすれば、「べき」で考える思考方式は、頭脳を鍛えるだけでなく、人格を形成する一助ともなりそうです。

 

余談ですが、私はウェルテルを高校一年のときに読み、その後、読み直したりしていませんので、前述の引用は正確ではないかもしれませんが、主旨は間違っていないと思います。

 

 

 

200789日 言語表現能力

 

8月7日の全国営業責任者会議。

会議の「締め」となる岡野会長からの総括で、次のような話がありました。

 

以前は「受注はアイスクリームだ」と言っていた。数分で解けてなくなるからだ。モタモタしていれば、他社に先を越されるか、あるいは、お客様企業が社内の体制調整で欠員等を補充してしまうかもしれない。

また、「クレームは説明のチャンスだ」とも言っていた。例えば、当社営業の訪問頻度が高く、お客様企業から「もう来るな!」というクレームを頂戴したとすれば、統括マネージャーがその日のうちに飛んでいって、なぜ当社の営業頻度が高いかの理由と、それが実はお客様のご都合を最大限に汲み取ろうとする姿勢であることを説明できるチャンスに他ならない。毎回のご訪問は、お邪魔して貴重なお時間を長く頂戴する必要はなく、欠員・増員の有無だけをお知らせ願えれば、我々は最大限の付加価値を最速でご提供できる。このことをご説明する最大のチャンスである。

 

「受注はアイスクリームだ」「クレームは説明のチャンスだ」。

当社の営業部門には、こういった表現が他にも多数あります。

また、こういった秀逸な表現は、強い企業・強い組織が必ず持っているものです。

 

セブンイレブン・ジャパンでは「変化への対応」という言葉をよく使います。

その意味は、お客様は常に変化している。お客様の嗜好、お客様の考え、生活様式などは社会の変化や技術の進歩あるいは流行などで常に変化を続けている。

自分たちが変化を生み出すなどという大それた考えは持たない。お客様の自分たちに対する期待・要求が変化するのであって、自分たちはそれをいかに早く正しく発見し、対応するかが重要なのだ、ということです。

 

ある企業は「契約内容が命」という言葉を使っています。

契約内容をお客様と相談するとき、そのとき、お客様の本当の期待・要求が明確になるということです。

契約以前の営業段階で既に、お客様ご担当者から様々なニーズや懸案が示されることがありますが、実際に、提供するサービスや製品などがどのような方法で・どの程度のコストで提供されるのかを知ったときにはじめて、お客様の期待・要求とその強さが判明するということです。

当社で言えば、「開始詳細が命」といったことになるかも知れませんね。

 

言葉はときに人を感動させるものです。

言葉が人を戦争に駆り立てたり、戦争を終結させたりすることもありました。

 

ビジネスをやっている我々にとって、組織をある方向に進めるとき、あることを徹底して実行するとき、秀逸な言葉の表現が、長時間の説明や制度の構築に勝ることは、むしろよくあることかもしれません。

 

私が特に感心しているのは、「受注はアイスクリームだ」とか「クレームは説明のチャンスだ」といった表現は、最初に聞くと、「え?」と思いますよね。

これも1つのポイントではないでしょうか。

当社に所属する私たちだけが、その意味を十分に理解する、ある意味で暗号のような言語表現。実に秀逸です。

 

言語表現能力が弱い組織が、勝ちつづけたことは歴史上、なかったものと私は思います。

 

 

 

2007810日 ある青年コーチの反省

 

少年サッカーのコーチの話です。

 

私がコーチとして所属する少年サッカークラブは、小学生を対象とし、地域のボランティア活動として成り立っているものです。

コーチの職業は様々で、医療関係者、サラリーマン、自営業、警察官、銀行員などなど。

プロのコーチが高い利用料金で教えるクラブとは異なり、子供の保護者とボランティア・コーチが、夜は居酒屋チェーン店でコミュニケーションを取りながら運営しているクラブです(これ、冗談)。

そうはいうものの、このチーム、実はかなり「強い」。東京都の少年サッカー関係者の間では、少しずつ有名になりつつある存在といったところです。

 

コーチの多くは、自分の子供が入団したことをキッカケとしてコーチに就任する「おやじコーチ」であり、子供が卒業しても自分だけがコーチとして残るといったパターンが多い。私もその一人。

 

一方、20年以上の歴史を誇る我がクラブには、卒業生が大学生あるいは社会人となって、コーチとして戻ってくるパターンもある。鮭が戻ってくる川が力強くきれいなように、卒業生が戻ってくるクラブは強くかつ楽しい。

 

今回の話の主役は、こうして戻ってきた青年コーチ。

彼は小学生時代、このクラブのエースとして活躍し、卒業後、中学・高校・大学といずれもサッカーを続け、大学生のときにOBコーチとしてクラブに戻って来た。

現在は社会人で年齢も30歳手前であり、若いながらもコーチとしてはベテランの域に達する彼だが、数年前に担当したある学年のことについて、彼が話を始めた。

 

まだ、コーチとしての経験年数が浅かった頃、彼が「入れ込んだ」学年があった。

子供たち一人一人の特長をつかみ、懇切ていねいな指導を授け、ミーティングはしばしば長時間に及んだ。サッカーの技術だけでなく、挨拶の仕方から、言葉遣い、服装、戦う姿勢、試合前日の心構え、勝ったときの反省、負けたときの反省。子供たちは誉められ、叱られ、激励され、元気付けられた。

 

そんな彼に、あるベテランコーチが話をした。

「その指導は子供たちから考える姿勢を奪っている。コーチがプレステでサッカーゲームをしているようなものではないか」と。

そのときは「そんなことはない」と反論した彼であったが、その数年後、子供たちが高校生になった今、青年コーチながらベテランコーチの彼が、コーチ陣が揃ったミーティングの場で話を始めた。

 

子供たちが自分で考える機会を奪ったかもしれない。

子供たちは自分たちのために戦ったのではなく、コーチのために戦ったのかもしれなかった。

子供たちはそれぞれが自分のためにサッカーをやったのではなく、コーチのためにやっていたかもしれなかった。

 

クラブの夏合宿の夜、彼が始めた話は、私にも他のコーチにも強い印象を与えた。

 

第一に、みんなの前で、このように自分の反省を述べることができる勇気。

そして、「自分のやり方」を自分自身で否定するような、あるいは客観的に分析するような志(こころざし)。

 

ボランティアのコーチは全国にたくさんいるが、ボランティアゆえに「タダでやってあげているのに、何か文句ある?」と言わんばかりのコーチだっているのだ。そこまでいかなくとも、善意でやっていて文句をつけられたりしたら気分を害する人が多いのは事実だろう。善意でやっていながら、よりよい指導を追及しようという姿勢を維持するだけでも至難のワザだ。むしろ他人の指導の欠点を発見する方が気が楽ではないか。そんな中で、自分自身の指導方法を客観的に振り返り、他のコーチの参考にも供しようという姿勢には頭が下がる。

 

第二に、この青年コーチの話を受けたおやじコーチの話も素敵だった。

青年コーチの指導を受けた少年を息子に持つこのコーチは、いかに子供たちがコーチを信頼していたか、卒業後も全員がサッカーを続け、ことあるごとにコーチに連絡を取る関係の「濃さ」についても話を始めた。

そしてそこから他のコーチを含めて、みなが自分の考えを話し始めた。

 

私が言うのもナンだが、こういう組織は強い。そして発展する。

誰もが自分の考えの深いところから、何かを言おうとし、そしてそれが言える組織。聞く方もそれに応え、あるときは反論する。

こういう組織は決して「金太郎飴」ではなく、常に新たな課題に向かい、個々の成功体験と失敗体験を共有できる。

 

第三のポイントが、実は今回、私が教訓としたいものである。

「成長させることこそが育成」ということ。

 

子供の成長は早い。

数年前に小学生だった子供たちが今や高校生になり、良くも悪くも「あのときあのような指導をしたからこうなった」かもしれないし、実は、昔の指導とは関係がないのかもしれない。いずれにせよ、過去の自分の指導結果を比較的容易に検証することができる。

 

どんなに入れ込んでも、子供たちは結局、そこから巣立っていく。

いや、自分自身の子供であったとしても巣立っていくことには変わらない。

手取り足取り教えてあげねばならない期間があるものの、いつかは一人立ちせねばならないときが来る。

 

当社においても、ベテランが若手に対して、手取り足取り教えてあげねばならない期間があることは事実だ。

あたかも常にコーチが判断を下すように、常に上司が判断を下す必要がある時期、期間があることも否定しない。

しかし、必ず、一人立ちさせねばならないときが来るのだ。

 

人は必ず成長する。

人はみな、成長したいと思っている。

人はみな、いつかは自分の力で課題を解決したい、そんな力量をつけたいと思っている。

そして、そんな人材の成長を横で支援するコーチ自身も、成長する・成長すべきだと思いました。

 

 

 

2007817日 紀尾井町倶楽部

 

今回の話は私の「独り言」です。

「私だったら、紀尾井町倶楽部をこのように運営する」という空想・妄想。

関係者の方には大変に申し訳ありませんが、参考になるようなものではありません。

 

本題に入る前ですが、「私だったら」という思考方式は、頭の訓練になります。

「もし私が、サッカー日本代表の監督だったら」

「もし私が、この喫茶店の経営者だったら」

「もし私が、先日の参院選でラッキー当選しちゃった民主党議員だったら」

といった空想・妄想は、「だったらどうする」と考えることによって、頭の訓練になります。

一方、

「私がセレブだったらいいのにー」とか、

「黒木瞳が奥さんだったらいいのにー」

といった方角の妄想では、頭は良くなりません。悪しからず。

 

紀尾井町倶楽部の運営方針の第一。

たいへん残念なことではありますが、岡野会長には来ていただかないようにする。

ハイ、コレで今回の話が「独り言」であり、「空想・妄想」であり、「参考にならない」ことがハッキリしましたね。

 

日本全国のあらゆる飲食店は、

  「会長が行くようなハイレベルな店」

  「新入社員が行くような格安な店」

  「私やキミが行くような中途半端な店」

の3つに大別されます。

紀尾井町倶楽部以外のどんな店であれ、会長も来るけど当社の新入社員も来るといった店は存在しません。ありえない。この「ありえない」ことを紀尾井町倶楽部という空間だけで実現すると、どうなるか。

 

会長のお口に合うような食材、調理法、お酒の品揃え、空間演出をしなければいけないが、同時に、新入社員に格安で大量カロリーを提供せねばならない。よく、そんなことできるねと言いたくなるぐらい難易度の高い「両極端同時実現必要条件」です。

これはいわゆる「構造的な問題」であり、関係者がどんなに頑張っても解決できるレベルのことではありません。

ですから断腸の思いで、会長には大変申し訳ありませんが、ご利用を控えていただきたいということになる(なお実は、運営方針の第五で解決策を提示します)。

 

運営方針の第二。

「何でもある、何でも揃える」からの脱却。

これは逆に言えば、「ある個性を追求する」ことを意味します。

 

紀尾井町倶楽部は、いわゆる「一軒目の店」か「二軒目の店」かと考えれば、一軒目でしょう。

世の中の飲食店で「一軒目も二軒目もへったくれも、ねぇ!」というレベルの店は、新入社員が格安で利用できる居酒屋チェーン店などであり、「長時間ねばれる」「飲み放題システムがある」「店員が放っておいてもいいようにピッチャーや大ジョッキ利用が中心」「揚げシウマイ、鶏の唐揚げなど、食中毒の心配の少ない揚げ物が豊富にある」「焼きそばやお好み焼きなど、調理の腕と味に相関関係が小さいメニューが多い」「食事メニューが男性向きになる傾向が強いので、突然ですがデザートメニューも豊富です」といった特長を持つ。

 

紀尾井町倶楽部は、食材は思い切って「那須の野菜」と「軽井沢の加工肉」だけに絞る。

野菜盛りだくさんのサラダ、野菜炒め、野菜の煮物。そしてハム、ソーセージ。

鮮魚ナシ、乾き物ナシ、炭水化物ナシ。

酒類についても思いっきり絞る。

スパーリングワイン(シャンパン、スプマンテ含む)と日本酒だけ。

ビールなし、焼酎なし、ワインなし、ウィスキーなし。

 

当社の若い人たちが普段なかなか摂れない野菜を中心とし、普段あまり飲まない酒類、あるいは軽井沢ジュースに絞る。

「明るく、健康に良く、短時間だけ滞在する一軒目の店」がコンセプト。

 

運営方針の第三は、「情報拠点」とする。

 

情報の第一は、紀尾井町周辺の「二軒目の店」の情報。

ホテル・ニューオータニのバー「カプリ」への行き方、楽しみ方、注文の仕方、料金とか。

新宿通りにあるJAL CITYホテルのバーの案内。

四谷三丁目の裏に位置する穴場の情報。あるいは神楽坂、新宿。

タクシーなら千円で行ける範囲の、2軒目の店の情報ブックを常備する。

 

情報の第二は、軽井沢と那須の情報。

当社施設はもちろんのこと、周辺施設の案内や、料金別・時間別プランとか。

 

情報の第三は「医食同源」情報。

身体によい野菜など、健康食情報。

 

運営方針の第四は「予約禁止」。

エライ人の予約などが入ってしまったら、他のお客様の相対的重要度が必ず下がってしまうものです。特に当社従業員が運営している当店ですから、エライ人への対応を優先してしまい、「お客様は平等である」という飲食店が持つべき姿勢が実行できない怖れがある。

 

運営方針の第五は「語る日」の設定。

 

毎週火曜日は「語る日」。

「佐藤勉社長と語る日」「田中良憲常務と語る日」「三田社長と語る日」「松原本部長と語る日」「柏本顧問と語る日」「佐藤治夫と語る日」そして、「岡野会長と語る日」。

運営方針の第一と矛盾するようですが、「語る日」は特別です。

 

語る日への参加ルールは、男子ネクタイ禁止、男子タバコ禁止。

ふだん会話できないような人と、ざっくばらんに語り合う日を演出する。

 

「もし自分が運営するとすれば」という考えは、結構楽しいものですよ。

様々なケースでやってみてください。

 

 

 

2007820日 リンゴの味

 

今回の話は、5月1日「誤算」と併せて読んでいただくと面白いかもしれません。

 

私事で恐縮ですが、私は小学生のころ、大変に地味な存在でした。

口数は少なく、家は生活保護を受けるぐらいに貧しく、足が速いわけでもなく、勉強ができたり、学習塾に通っていたわけでもない。「おとなしい」「地味」という印象だったと思います。

小学校2年のときの父兄参観日、国語の授業でしたが、せっかく予習をしていったものの、先生の「これ、わかる人」に対して、わかっていながら挙手することができないぐらい臆病でもありました。

 

私が小学校高学年のときに野球マンガ「巨人の星」が大流行しました。

星飛雄馬(ほし・ひゆうま)と伴宙太(ばん・ちゅうた)の、「ウサギ飛び競争」をマネする遊びがちょこっとだけ流行して、私と友人1名がそれにハマりました。

私と友人は毎日、学校の屋上でウサギ飛びをし、ヒザをガクガクいわせていました。

その結果、また、成長期と重なったということもあるかと思いますが、二人とも脚にスゴイ筋肉をつけ、走るのが急に速くなったのです。

そして、同時に、脚が伸びるのも止まったのでした。これは後で気づいたのですが。

本来ならば、おそらく、座高がいまのままで脚が今より10センチは長かったハズ。このことは私の人生最大の後悔です(冗談ですけど)。

 

以上は実は余談なのですが、何が言いたいかというと、小学校卒業時点の私は、足が速いだけのおとなしい男子だったということです。

 

そんな私でしたが、中学校に入学するとき、1つの大きな決断をしました。

「自分を変えよう」と。

 

大人しいだけの地味な存在から、クラスの中心人物になるような、派手な存在になりたい。

私が入学した地元の中学校は、4つの小学校から生徒を集めたマンモス校でした。

入学式のその日から、とにかく目立つように行動する。教室の中で大声で冗談を言い、みんなを笑わせる。ワザと不良っぽく振舞って注目を集める。単なるパーにはなりたくなかったので、特に数学と英語は勉強をシッカリやり、積極的に挙手をする。サッカー部に入り、目立つプレーをするように頑張る、などなど。

 

しかし本来がおとなしく臆病な自分でしたから、いつもドキドキしながら無理をしていました。クラスのみんなは面白がっていたけれど、実は自分はそれほど楽しんではいない。天性のお笑い芸人には程遠く、笑いを取るためには、周到に脚本を準備し、頭の中でシミュレーションしたうえで、ギャグを言う。

 

こんな私を、見抜いた先生がいました。

私の脚本、演出、演技を見抜いた先生がいたのです。

 

何のキッカケだったかおぼえていませんが、先生と私の二人で職員室の隣の小さな会議室に向かい合いました。

先生は私の演技を見破っていることを私に伝えながら、私に一篇の詩をくださいました。

先生の自作であったその詩は、ドーランで真っ白に顔を塗り、本当の表情を隠しているピエロのあなた、もう本当の顔を見せていいのですよ、幕が終わって久しいのだから、という内容でした。

 

私はポロポロと涙をこぼしました。

何も言葉が出てきませんでした。

悲しかったとか、悔しかったのではありません。そうかといってうれし泣きでもない。ただ、涙が出てどうしようもなかった。

 

何も言わずに、言えずに、下を向いて涙を流している中学1年生の私に、先生はリンゴをむいて持ってきてくれました。

 

そのリンゴの味を、今でも鮮明におぼえています。

甘いような酸っぱいような味でした。

 

このキッカケで、つまり、中学入学で環境が変わるこのキッカケで、「自分を変えよう」と決断したからこそ、今日の自分があると思っています。

同時に、それができたのは自分ひとりの力ではなかったことを、リンゴの味が教えてくれています。

 

 

 

2007821日 バイト禁止の校則

 

8月6日「社会を良くするチャンス」の続編です。

 

私事で恐縮ですが、私の息子はアイルランドの高校に留学中で、いま、夏休みで日本に帰ってきています。彼の毎日は、ファミレス(ファミリー・レストラン)でのバイト。

 

実は学年の終わり、5月末から「働く経験」という名の科目があり、どこでもよいのでアルバイトをするという校則があります。

ダブリンで皿洗いをするという選択肢もあったのですが、彼は日本に帰国し、ファミレスでのバイトを選びました。

単位がもらえるこの科目は、働いた経験をレポートに書いて提出する必要があります。

血筋のせいか自信過剰の息子は、「自分が経営者あるいは店長だったらこうする」という考えで頭が一杯のようで、そういった方角のレポートをまとめるかもしれません。

 

一方、彼の友人で私立高校に通う高校生のほとんどは、「バイト禁止」という校則に縛られています。

 

なぜ、こんなに違うのでしょう。

アルバイトをせねばならないアイルランドの高校生と、アルバイトをしてはいけない日本の高校生。

 

学生時代にアルバイトをした経験を持っている人ならわかると思いますが、下手な学習よりもよほど勉強になる。

ちょっと大人になったり、世の中や父母を見る目が変わったり。

 

「バイト禁止」の校則を作る日本人の大人の考えを想像してみましょう。

 

生徒の中には、ヤバいバイトに手を出す子がいるかもしれない。

あるいは、世の中には悪い大人がいて、バイト学生を悪の道に引きずり込むかもしれない。

あるいは、バイトで溜めたお金で学生らしくない消費行動を取るかもしれない。

あるいは、バイトで発生した何かの問題で被害者となった生徒の親が、バイトさせる学校が悪いと言って怒鳴り込んでくるかもしれない(コレ、ありそうでしょ)。

 

アルバイトを経験した99%の生徒が何らかの成長をしたとしても、1%の生徒に何かの問題が起きれば、その対応がイヤだから全面禁止にする。

これが現在の日本です。

公園で中学生以上がボール遊びをすれば、何かの問題が起きる可能性がある。だから、禁止にする。全く同じ発想です。

問題を解決するのではなく回避する。

公園でボール遊びしていた中学生が何らかの問題を起こした場合、市役所は「禁止してある」と言うことで、その問題の責任を回避できるか、あるいは、少なくとも悪者扱いされない。

同じように、バイトしていた高校生が何らかの問題を起こした場合、学校は「禁止してある」と言うことで、その問題の責任を回避できるか、あるいは、少なくとも悪者扱いされない。

 

余談ですが、バイトしている息子の観察は面白い。

その1。ファミレスのすぐ近くにその会社の本社があり、本社の社員が客として来店するのだが、偉そうにしていて、一般客から見て「カンジが悪い」ハズであるとのこと。

その2。本社から「査察」と称して監査メンバーがやってくるが、「マニュアルどおりにやっているかどうか」だけの着眼点であり、「マニュアルが実態に合っているかどうか」という発想がない、とのこと。

 

こういった実態であってもやっていけるなら、「オレがやればもっと良い店を運営できる」と考えた息子17歳は、私に向かって「資本金、いくらなら出せる?」と聞くのであった。やれやれ。

 

 

 

2007822日 水戸黄門

 

実在の水戸光圀公ではなく、テレビの水戸黄門の話。長寿番組ですよね。

 

何も考えずに楽しむことができる番組ですが、私のような偏屈な男だと、次のように妄想しながら楽しんだりします。

もし、私が「悪の組織の元締め」だったら。

 

水戸黄門ご一行は、今週、陸奥(むつ)に入った。陸奥、すなわち東北地方の太平洋側であり、水戸から北上したことになる。

西日本の悪代官や悪徳商人に告ぐ、「好きなだけ暴れろ!」。

秋田県、山形県の悪者どもは、そろそろ証拠隠滅を図れ。数週間のうちにやってくる可能性がある。

 

悪の組織の元締めである私は、忍びの者を雇い、常にご一行の動向を探る。あまり近づきすぎると、由美かおるに発見される怖れがあるので、遠巻きに、どこにいるかだけを調べる。それで十分だ。じいさんの脚ゆえに、移動速度は小さい。近づいたら証拠隠滅を図り、いい子ぶってろ!

 

テレビや情報ネットワークがない時代ですから、ご一行がいかに悪者どもを成敗しても、他国には伝わらない。だからこそ、毎週毎週、新たな悪者が次々に出てくる。

このあたりは二年前にご一行が悪代官をやっつけたはずなのに、また、新たな悪代官がのさばっている。二年前のテレビ、見てないんか!オマエ!

 

さて、ここからいかなる教訓を引っ張り出すか。

「全国(あるいは全組織)に徹底するむずかしさ」です。

同時に、「全国(あるいは全組織)に徹底するためのヒント」でもあります。

 

たとえば、陸奥に、大変に親孝行な息子がいる(いい話)と同時に、大変に悪いヤツがいる(悪い話)。

この地でご一行がある種の問題解決をしたとしても、それは他国へは伝わらない。

ある地方のある組織で何かの問題解決を実現したとしても、それが他の組織に伝わらないことと同じ。

水戸黄門ご一行、あるいはCTCご一行がめざましい活躍をしてくれたとしても、該当するところ以外には伝わらない。

だから、近江の悪代官は横暴極まりなく、近江の孝行者は苦しんだままだ。ご一行が近江に着くには半年かかるかもしれない。

 

これに対するヒントはテレビである。

ご一行の活躍というよりも、悪代官の所業と孝行者の努力を、テレビで全国に放映してやればよい。

同じように、地方の組織の良い点・悪い点を、全国のみんなが共有できるようにすればよい。

テレビである必要はない。グループ・ポータルでも、フォワードでも、営業情報でも何でもよい。

 

ここからは余談。

黄門様だけでなく、助さん、格さんも役者が代わりました。何回も。

うっかり八兵衛がいなくなって寂しかったけど、今は誰も気にしない。

私の個人的見解ですが、もはや、水戸黄門役が誰に代わろうと、あの番組は大丈夫ですね。最大の問題は、明らかに由美かおるです。どーすんの?引退したら。

 

私の個人的予想ですが、3年後あたりに釈由美子に代わる。

視聴率は落ちません。

 

 

 

2007823日 トータル・バランス

 

このポータルのトップ記事として、8月17日に掲載されたSS首都圏コーディネート部の小嶋GMの話を読んで、気が付いたことを書きたいと思います。

 

営業に比較してコーディネート部隊が弱いというのが彼の問題意識であり、今後の人材不足傾向を考慮すればなおさら、強いコーディネート部に変身せねばならない、ということが主旨だと思います。

 

突然ですがサッカーで言えば、営業がフォワード、コーディが中盤、募集部門と業務部門・サービス部門がディフェンスであり、監査部門・管理部門がゴール・キーパー、そして、本社機構がチーム・スタッフなどの裏方といったところでしょうか。

フォワードが威張っていて、ただチャンス・ボールを待っているだけ。「オレにボールをよこしな」みたいなチームが強いハズがありません。フォワードに比較して中盤が弱ければ、チームとして、組織として意味がなく、トータル・バランスが重要です。

 

例えば、生産能力が高いが販売能力が弱い製造企業なら、売れない在庫が積みあがるばかりです。一方、販売能力は高いが生産能力が弱ければ、受注に生産が追いつかず、機会を失ったり、市場からの信用を失ったりするかもしれません。

やっぱり、バランスが重要です。

 

サッカーに話を戻しますが、2006年ワールドカップへの準備を進めていた日本代表がその前年に行った練習試合で、中田ヒデと中村シュンスケが興味深いシーンを演じていました。

私はテレビで見ていたので、状況はよくわかりませんが、前半が終わり、選手がベンチに戻ってくる際に、ヒデがシュンスケの肩を突いたのです。「なんだ、オマエ」みたいなカンジで。撮影部隊は音声を拾ってはいなかったので、何を言ったのかはわかりませんでしたが、前半の内容を考えると、中盤の後ろの方を担当するヒデが、中盤の前の方を担当するシュンスケに、「もっと守備をやれ」と言ったのではないかと想像しました。

 

たしかに前半の日本代表は、攻撃と守備のバランスを考えた際に、やや攻撃寄りになっていて、相手の逆襲を許すような展開が多かった印象があります。特にシュンスケは「ボクは攻撃の人」みたいなプレーだったようで、先輩格のヒデが「オマエ、守備もやれよな!」と言ったように思いました。

 

トータル・バランスが崩れていれば、組織としては持つ力すべてを発揮することができません。たとえ強い攻撃力を持っていたとしても、それを生かすことができない結果となる。

 

当社で言えば、受注力が強くても、開始力が弱ければ意味がない。

 

このバランスは、単に人数バランスではありません。

それこそ小嶋GMの問題意識のとおりであり、「もっと営業にモノを言っていく」ということになるかもしれません。

 

組織全体の力を考え、どうバランスさせれば、トータルとして結果を出すことができるかを考えるべきなのです。

 

言われてみればアタリマエのことかもしれませんが、組織が大きくなると、実は決して容易なことではありません。

 

 

 

2007824日 社会を変えるという意気込み

 

こんな強い意気込みに、私自身、二回、遭遇した経験があります。

 

新しい方から説明すると、今から1年ぐらい前、ロンドンのヒースロー空港のラウンジで、搭乗待ちをしていたときのこと。

日本人のあまりいない航空会社のラウンジ。つまりJALでもANAでもない。

ここで、日本人に会って話し込んだ。

推定年齢で私より5歳上といったカンジのオジサマでした。彼、いわく、

  「パリ・ダカでディーゼル車が勝った!これで世の中が変わる」

ま、謎ですよね。

 

後から聞いてわかりましたが、彼はホンダ自動車に勤めていた技術者で、その後、独立して技術コンサルタントをフリーランスでやっていた。

自動車関連で独立した技術コンサルタント、それもエンジンまわりだということでしたから、まず、そのことにビックリ。そんな商売が成り立つのか!相当に高い技術力を持っているに違いない。

その彼が、フランスのパリとアフリカ大陸のダカールを結ぶロードレースである、パリ・ダカで、ディーゼル・エンジン搭載車が優勝したことに感動している様子でした。

 

ディーゼルもガソリンも、原油から採れる燃料。私から見たら大差ない。

1バレルの原油から、ガソリンよりもディーゼルの方がたくさん採れるから、ディーゼルすなわち軽油の方が価格が安い。

トラックやタクシーはディーゼルを使っているほうが多い。

ディーゼル車は、排気ガスの問題で、石原・東京都知事が東京から締め出すといったことを言っていた。

しかし、最近、技術が進んで、ディーゼルを燃料としながらも、排気ガスをおさえたクルマが出始めた。メルセデスなどが注力している。

で、パリ・ダカで優勝したクルマも、排気ガスを抑えたクルマであるのはもちろんということらしい。

 

でも、だからといって、世の中のどこがどう変わるのだろうか?

 

私にはサッパリわからなかった。

このオジサマも、私に説明してもしょうがないと即座に悟ったようで、話題を変えた。しかしながら、「これで世の中が変わる」と言ったときの彼の目は、「これで世の中を変える」という意思を持っていた。私は確信する。

 

なにがどうなるのかサッパリの私だったが、こういう人が本当に世の中を変えていくのだろうと感じた次第である。

 

もう一つの例は、2000年4月。こっちのほうが昔だ。

ハッキリおぼえている。

 

米国第三の大都市、シカゴで「電子商取引シンポジウム」が開催され、昔の会社に在席していた私は、これに出席するために出張していた。

インターネットを活用した電子商取引は、このとき、ブームになりつつあるといった状況であり、既に成功を収めて大富豪になった者が米国などにいる一方で、世界中で多数の若者たちが起業家になろうとしていた時代でもあった。

 

そのセッションは、学校の教室ぐらいの広さの部屋にたくさんの人が集まっていた。出身国も人種もバラバラだ。日本人あるいは韓国人、中国人に見える人は私一人だけだったように思う。

米国で起業し、小さな成功を納めつつある起業家が拍手喝采で迎えられ、スピーチをする。そして、明日の起業家たちが彼や彼女を質問攻めにする、といった展開だった。

 

企業と企業を結ぶ電子商取引を「B2B」と書いて、ビーツービーと読んでいた。ビジネスからビジネスへということで、英語の「to」を「2」でシャレたのだ。

企業と消費者(コンシューマ)なら、B2C。

企業と、ある企業の従業員なら、B2B2E。最後のEは従業員(エンプロイー)。

 

ある起業家の話を聞いた後、私も質問してみた。

「そのモデルは、B2B2Eですか?」と。

 

この質問を受けた発表者は、ものすごい勢いでしゃべり始めた。

「そんなことはどうでもいいんだ」

「そんな分類は、評論家の仕事だ」「おれたちは起業家なんだ」

「社会を変えようという気持ちでビジネスを考えているんだ」

「それを事後的に評論家が分類しているだけだ」

 

いやあ、アメリカ人に英語でまくしたてられると、焦ります。はい。

しかしそれより、その内容に私は大きなショックを受けました。

「オイラは評論家だったか。。。。やっぱり」みたいな。

 

社会がどう変わったかを観察・分析・洞察して、どうすれば儲かるかを考える。

この姿勢は、彼らから見ると評論家なんですよね。

「社会のここを変える」「ここがオカシイ」「もっと便利に」といった発想で、それこそ、社会を変える意気込みで事業やサービスを発想している彼ら。こういう人たちが本当に社会を変えていくんだろうなと思いました。

同時に、こういう人たちが、ビジネスでも成功するんだろうと考えました。

 

時流に乗って儲けるではなく、時流を作る。

「金や名声は後からついて来る」ということかもしれません。

 

 

 

2007827日 120%

 

「120%の実力を出し切った」ってオカシイですよね。

「120%頑張る!」もオカシイ。

 

しかし、

「目標値の120%を、あえて個人的な目標値に設定する」と、

「事後的に考えると120%の実力を出し切ったように感じる」ことは、おかしくないような気がします。

 

第一の、目標値の120%を、あえて個人的な目標値に設定する、について考えてみたいと思います。

 

たとえば、目標値が50の場合、自分ではひそかに「60やろう!」と決める。

ただ単に精神論で「60だ!」というのではなく、60やるための具体的な行動計画を立てるのです。

もちろん何らかの阻害要因や撹乱要因が邪魔するのが世の常ですから、なかなか計画どおりには進まない。しかしながら、もともと60を目標とした計画ですから、多少の邪魔や想定外が発生しても、50を切ることは考えにくい。

 

私事ですが、私は高校生の頃、数学、英語、世界史などの試験に対して、この法則を適用していました。

習った部分を全部理解しておけば100点満点は言わば間違いナシですが、それではツマラナイと考え、120点というわけでもないけれど、習っていない部分を含めて120%やってやろうという気持ちで勉強したおぼえがあります。

例えば数学なら、教科書や指定問題集をクリアした後で、別な問題集に挑戦する。

英語なら、習った単語や熟語を使った他の例文などをも学習する。

世界史なら、教科書・参考書だけでなく、歴史読本や歴史小説を読む。

いずれも、言わば余計なことをするわけで、そのせいかテストで満点を逃すことはありましたが、この方が私にとっては楽しかった。

 

なぜ、楽しかったのか。

それは、普通にやれば減点法になってしまうところを、加点法でできたからかもしれません。

 

目標値50に対して行動計画を立て、進めていても、途中で風邪を引いたり、おなかをこわしたり、バガボンド26巻が発売されちゃったり、道でナンパされたりというように、想定外の阻害要因、撹乱要因が発生する。

何か想定外の事態が発生すれば、目標値に届かない怖れがある。つまり、何かが起これば、目標値から減点していって、1本足りない、2本足りないということになっていく。そう考えると、風邪を引けば焦るし、好きなマンガが発売されたら気が狂う。

 

120%を秘密の目標値にしておいて、行動計画を立てていれば、途中で何かが起きても、ゆとりでちょこっと寄り道ができたりもするのです。だから、楽しい。

 

さて次に、第二の、

「事後的に考えると120%の実力を出し切ったように感じる」

について考えてみましょう。

 

この現象は、事前にはコレが100%だろうと考えていた予想が、嬉しいことに裏切られ、実はもっとできたときに実感するものです。ただし、事前の読みが甘くてこうなったのではなく、目標を追及する過程で、個人が、あるいは組織が成長したゆえに実現できたときのもの。

 

個人で考えれば、「先月、アイツは化けた」ということがあります。

それまで、「アイツの限界はあそこらへん」と考えられていたものが、なぜか先月、急成長を遂げる。仕事でも、勉強でも、スポーツでも、こういうことがあります。

成長曲線はなだらかではなく、ある日突然のように急上昇することがあるのです。

 

組織にも当てはまります。

構成員一人一人が少しずつ化けた結果というよりも、組織の目標や課題が構成員に共有され、お互いが邪魔しあうような状況はどこかに消え、むしろお互いが相手の良さを尊重しあうような状況になったとき、突然、先月と今月で組織がガラッと変わることがあるのです。もちろん、その結果、構成員一人一人の実力というか、顔つきまでもが変わってきます。

 

個人にせよ、組織にせよ、毎月毎月、化けることはありえません。

しかしながら、何年もずうっと化けないということもない。化けないとするならば、何かが化けないように邪魔している可能性すらあるでしょう。

 

「事後的に考えて120%」ですから、事前にそれをアテにすることはできません。

しかしながら、良いマネージャ、良い指導者は、必ず、どこかで人や組織を化けさせるものなのです。

 

 

 

2007828日 ハンブルグ時代

 

ビートルズのハンブルグ時代の話です。

 

ビートルズは、英国のリバプールという港町から出てきた、ま、田舎者です。

「世界ではじめて鉄道が開通したのは?」という世界史クイズに答えることができる人は多いと思いますが、マンチェスターとリバプールの間です。

産業革命当時、鉄鋼が盛んだったマンチェスター、そして、そこに鉄鉱石や石炭を運び込んだり、逆に鉄鋼を運び出したりした港がリバプール。二つの都市が世界で最初に鉄道で結ばれたのは、いわば必然でした。

 

リバプールは小さな町であり、日本で言えば岩手県の釜石みたいなカンジだと私は思います。新日本製鉄の工場がある釜石。ラグビーが強い釜石。

一方、リバプールは、港とサッカーで有名です。サッカーチームは、港で働く男たちの、やや荒っぽいチームとして生まれました。

 

ビートルズのジョンが高校生のときにポールと出会い、ビートルズの前身だったバンドを結成します。ジョンの友人や、ポールの友人だったジョージもこれに加わることになる。

地元リバプールのクラブなどで演奏していた彼らは、リバプールという小さな町に限界を感じ始める。

しかし、そうかといって世界の大都市ロンドンに出て行くほどの実力も度胸も運もない。

 

そんな彼らにドイツのハンブルグからお呼びがかかりました。

港町でもあるハンブルグは、リバプールに比較すると大都市です。しかしながら、ロンドンに比較すればはるかに小さい。

彼らはハンブルグに行くことを決めるのです。

 

釜石から出てきたバンドが、東京には行くのは無理だから韓国のプサンに行くようなものかもしれません。

 

ハンブルグに「働きに」出かけた彼らですが、ジョージが18歳未満であることから入国が困難だったという逸話が残っています。年長のジョンでも21歳ぐらいでした。

 

こんな彼らがハンブルグのクラブで演奏を始めましたが、大変な苦労があったものと思われます。

最大の問題は、英語が通じないことです。

今でこそドイツ人の多くは英語を話しますが、1960年当時、ドイツのハンブルグの高級でないナイトクラブに来る客のほとんどは、英語を理解しません。

シャレたジョークで笑わすことが得意なジョンも困ったハズです。もちろん歌の歌詞、歌の意味が通じません。

それゆえに、ビートルズのハンブルグ時代は、音楽とステージ・パフォーマンスを進歩させる意味で、大変に大きな意義をもった期間でした。

雑な演奏を、おどけた歌詞でごまかすことができません。

表現したい感情は、顔の表情やジェスチャーでわかりやすく伝えなければいけません。

曲と曲の間を、トークで時間稼ぎするようなことも不可能です。

ビートルズの音楽とステージ・パフォーマンスが磨かれたのは必然だったのです。

 

ビートルズにとって、ハンブルグ時代がいわば「投資」になりました。

ハンブルグ時代は2回ありましたが、リバプールに戻った彼らがロンドンに、そして世界へ羽ばたくのは、このすぐ後のことになったのです。

 

ビートルズにとっての「ハンブルグ時代」。

あなたにとって、こういった期間がありますか?

 

「修行」の期間と言ってもいいし、あるいは、「投資」の期間と呼んでもいい。

この期間が「苦しい」のは、ある意味で当然かもしれませんね。

しかしここで熱中する、没頭することが、その後、たとえ違う方面に進んだとしても、大きな資産になることだけは間違いがありません。

 

 

 

2007829日 サスペンダー

 

本日の話から得る教訓は、かなり「無理矢理」です。ごめんなさい。

 

私事で恐縮ですが、私は、ベルトではなく、サスペンダーを使っています。

 

道具としてのサスペンダーは、ズボンを「吊る」ために存在しています。

英国ではズボンは、落ちないようにするために「吊るものだ」という考えが基本です。

一方、何でもかんでも英国に対抗した昔の米国は、ズボンは「締めるものだ」という意見を採用し、ベルトで締めてずり落ちを防いでいる。

 

いきなり余談ですが、昔の米国、特に英国の植民地時代の米国は、とにかく何でもかんでも英国に対抗したものでした。

英国が紅茶なら、米国はコーヒーだ。

英国がサッカー、ラグビーならば、米国はアメリカン・フットボールだ。

英国がホッケーならば、米国はアイスホッケーだ。

英国がクリケットならば、米国は野球だ。

英国がスリークッション(ビリヤード種目)ならば、米国はポケットだ。

英国がビートルズなら、米国はモンキーズだ(この件は別な日に詳しく)。

英国スーツがスリーピースなら、米国はツーピースだ。

英国スーツのボタンが3つならば、米国は2つだ(イタリアの3つボタンは英国とは別物)。

英国ネクタイ(レジメンタル)のストライプと、米国は逆向きにしてやれ。

という具合にキリがない。

 

さて、サスペンダー。

私は39歳のときに、ベルトからサスペンダーに全面的に変えました。

 

ベルトをしている男性はわかると思いますが、ズボンの中に押し込んだワイシャツが、だんだん上がってくる。ズボンの中のステテコはだんだん下がってくる。ベルトの欠点です。

私はベルト時代、2時間に一回、トイレに行ってシャツとズボンを直していました。

 

サスペンダーだと、これがない。

シャツが上がってきたり、ステテコが下がったりしない。

ファッションの観点でも、ネクタイの両側に、シャツやタイとのコーディネートを考えたサスペンダーのラインが2本、縦に流れる姿はなかなかよいものです。

 

さらに、サスペンダーは、パチンと金具でズボンの端をはさむタイプのものと、ズボンの内側に縫いつけた6コのボタンに留めるものの2種類があり、当然、後者が本格的。

ちなみに、ズボンを購入した際に、サスペンダー用のボタン6コを縫い付けてもらうサービスは普通、有料であり、バーバリーあたりで1500円から1800円も取られます。やれやれ。私は、39歳以降に購入した際はすべてボタンを縫い付けてもらいましたが、それ以前に持っていたズボンには、自分でボタンを縫い付けました。疲れました。

 

次に、サスペンダーの素材ですが、全体がゴムであるものと、ゴム部分は一部(背中の方)であり、絹などを使っているものに別れます。もちろん、後者が本格的。

 

米国が英国スタイルを嫌って、米国独自スタイルを作ろうとしたとき、つまり、サスペンダーをやめさせてベルトを普及させようとしたとき、一つの方法としてテレビを使いました。

これが「3バカ大将」という名前で日本でも大ヒットしたテレビ番組です。

3人の男がドタバタを繰り返すだけですが、抱腹絶倒タイプの番組。

この中で、ひとりの超おデブに、サスペンダーをさせたのです。つまり、ベルトのかっこよさを表現するのではなく、サスペンダーのかっこ悪さを表現しようとした。

「おデブはベルトで締めても、ズボンがずり落ちるので、サスペンダーに頼らざるを得ない」という演出をしたのです。

この番組のヒットで、米国というよりも、むしろ日本からサスペンダーが消えていきました。

 

いま、日本でも、クレリックと呼ばれるワイシャツが流行しています。

襟の部分と袖の部分が白で、その他の部分がストライプだったり、柄だったり、色だったり。

もともとは英国ビジネスマンの間で特に流行したものですが、青いストライプなどが主流であり、このとき、サスペンダーをしていないとちょっとマヌケに見えます。

オシャレなみなさん、サスペンダー、買いましょう。

 

ダンヒルなどは、日本ではサスペンダーが売れないと言って、数年前に日本では販売をやめてしまいました。悲しい。

 

さて、

この話から、どうやって教訓を得ましょうか。

 

その1。

「ある目的を遂行する手段は1つとは限らない」。

つまり、ズボンをズリ落ちないようにするには、ベルト(締める)だけでなくサスペンダー(吊る)という方法もある。

 

その2。

「ある行動様式を広めたいときには、他の方法を止めさせるという方法もある」。

ベルトを普及させたいとき、ベルトがいいですよという方法だけでなく、そうでないものはこんなにダメですよということを、例を使って示すなど。

 

その3。

「流行に乗るだけではダサイ」。

クレリック・シャツなど、流行しているアイテムそれだけを追いかけるのはダサイ。クレリック・シャツ自体は、サスペンダーをする英国ビジネスマンの間で流行したものであり、トータルのファッションを見ずに、流行アイテムだけを追いかけると結局ダサイ格好となる。

 

などと考えている私ですが、

なんと、本日、サスペンダーをしてくるのを忘れるという、私にとっては前代未聞のポカをやらかしてしまいました。

一日中、ズボンを持ちながら歩いています。やれやれ。

 

 

 

2007830日 親子の風景

 

自宅の近くの小さな公園で、親子を見ました。

 

年老いた父親は、全部、白髪になっている。

障がいを持つ娘の頭髪にも、白髪が少し見えている。

 

私と目が合った親子は、おだやかな微笑を送ってくれました。

私が返した微笑は、キチンと微笑として届いたかどうか不安になりました。

 

私は母を時折、公園に連れて行きます。

施設にいる母、認知症がかなり進んでしまった母。

そんな母の手を引きながら、天気の良い日に公園に出かけます。

すっかり白髪の母と、少し白髪が混じった私。

こんな親子を、多くの人が微笑で迎えてくださいます。

 

私は母のことが心配ですが、

さきほどの父親の心配は、いかばかりでしょうか。

私の頬を乾いた涙が流れても、

かの父親のような、胸が張り裂けるような思いとは違います。

自分の人生の残り時間と、娘の人生の残り時間を秤にかけたとき、

父親は言葉を失うでしょう。

 

人は生かしてもらっています。

どんな人でも、どんなに強い人でも、周りの人たちに、社会に生かしてもらっています。

 

父親が役目を終えたとき、

娘さんが「生かしてもらっている」と感じることができる社会を、

私たちは作る必要があるのです。

 

 

 

2007831日 多様性

 

20年ぐらい前のことですが、「英国病」と「日本病」という表現が流行したことがありました。

 

英国では、最も優秀な学生は教員になりたがる。

英国で最も優秀な学生とは、イートンなどの名門校を出て、オックスフォード大学やケンブリッジ大学へ進む学生であり、彼らの多くが自分の出身校の教員になりたいという希望を持っている。

つまり、実業界、ビジネスの世界へ出てこない。

だから、米国などに比較して、英国経済は相対的にどんどん衰退していっている。

英国人の多くは自分が幸福だと感じているが、英国の世界における相対的地位は次第に下がってきており、この原因は構造的であり、もはや逆戻りできない。

 

「英国病」と称された症状や原因にはもっと他にもありますが、今日の主題としては、以上のポイントを抑えていただきたい。

 

一方、日本では、最も優秀な学生は官僚になりたがる。

日本で最も優秀な(文系の)学生とは、東京大学・法学部を出て、中央官庁に進み、事務次官をめざし、政府系金融機関などへ天下りし、実業界の連中から最後まで尊敬される人生を歩みたいという希望を持っている。

やっぱり、英国同様に実業界、ビジネスの世界に出てこない。

大学入学時点の偏差値、大学卒業時点の偏差値によって就職先が一次元に決まり、

大蔵省>興銀>三菱銀>横浜銀行といった序列となって日本株式会社を形成する。

日本全体が一丸となって成長路線を走るわけだから、米国などに比較して、当時、日本経済は急激に強さを増していた。

そして同時に、日本人の多くはウサギ小屋みたいな劣悪な住環境に我慢しつつ、ちっとも幸福ではない。

 

「日本病」も同様に、もっとイロイロと書かねばならないのですが、今回の話としてはこれで十分でしょう。

 

いずれも、米国を「普通」と位置付けた場合の、両極端となっています。

 

米国が良いかどうか、米国人が幸福だったかどうかは別にして、このとき、英国・日本と比較して米国が持っていた最大の利点は「多様性」だと私は考えます。

 

米国で最も優秀な学生は何になりたがるか。

弁護士、起業家、金融機関、政府系その他、コンサルタント、学者。バラバラです。

弁護士は無理だから起業家を目指すという順序関係は存在しません。

日本のように東大・法学部が無理だから早稲田・政経で三菱銀行を目指すといった卑屈な方程式は存在しないのです。大蔵省が無理だから郵政省あたりで我慢しようといった、偏差値のみを価値観とする文化はないのです。

 

多様性を持つ組織は強い。

何かがあっても、それで倒れない強さを持っている。乗り越える力が湧き出てくる。

将来、何が起きるかわからないのが社会であり、経済であり、市場である。そのとき、それを乗り越える力も、何が効果を持つかはわからない。多様性を許さない組織、金太郎飴組織、みんなが同じことしか言わない組織は、意外にもろいのです。

 

余談ですがマージャン。

勝っているときは清一色(チンイーソー)や、全帯(チャンタ)をねらうとよい。守る局面にはデメリットのあるこれらの手役は、攻める局面では競争相手に対して大きな恐怖を与えることができる。私は最高に勝っているときは字一色(ツーイーソー)や国士無双(こくしむそう)や純全(ジュンチャン)や清一色をねらっているような演技をします。

しかし、「平時」は違います。

何が来るかわからないマージャンゲームでは、何が来ても使えるように平和(ピンフ)を基本とし、うまくいけば三色同順(さんしょくどうじゅん)をねらう。途中で方針を変えることはむしろ日常茶飯事であり、変えない方が珍しい。

後からツモっちゃったドラの西(シャー)1枚が捨てられないとき、234の三色がイケそうなのに、捨てられない六萬が来ちゃったとき、柔軟な考え、多様性を持つ手がマージャンでも強いのです。

一方、いっつも一色手やチャンタをねらっている人とか、とりあえず対対(トイトイ)ねらいという人、すなわち多様性のない人はマージャンでも弱い。

 

さて、当社の多様性はいかなるものか。どの程度か。

事業の多様性、価値観の多様性、文化の多様性、問題解決方法の多様性。

自分と違う考えを受け入れる度量があるか。

過去の成功体験と異なるアプローチを容認する風土があるか。

いつもと違う優先順位を検討する余裕はあるか。

 

「運だのみ」なら目をつぶってドラを捨てるもよし。

しかし、いかなる状況でも負けない、負けのサイクルに入らない打ち方は、多様性を容認する度量にあります。

めざすものが「自己満足」ではなく「勝利」であるならば。