2007年9月3日 謝罪することのない立場?
最初に生保、生命保険会社のことを述べますが、
現在は必ずしも以下の状況とは限りません。また、生保なら、いかなる会社でも同じということでもありませんし、ある会社なら全員がそうだというわけでもありません。
誤解のないようにあらかじめ申し上げておきます。
生保の営業は、今なら営業員、昔なら外務員と呼ばれる女性たちが中心です。
「保険のおばちゃん」とか「保険のおねえさん」などと呼ばれることもあったかと思います。
保険商品の内容を個人顧客に説明するのはもっぱら彼女たちでしたし、契約を取ってくるのも、住所変更などに対応するのもそうなら、疾病(しっぺい)あるいは事故あるいは死亡など、保険金が支払われる局面においても、ほとんどの場合、活躍するのは彼女たちでした。「この場合、入院費用が出ないの!?」などといった、ある種クレームのケースであっても、対応するのは彼女たち。よほどのことがない限り、上司や専門の部署から人がやってくることはありませんでした。
各地の駅前にある生保の事業所には、部長とか所長といった男性社員が少数配置されていますが、ほとんどは女性の外務員あるいは営業員です。
一方、生保の本社は東京や大阪の一等地にあります。
ここでは、保険商品の開発や、審査・査定、集まった資金の運用、事務、そしていわゆる本社機能を担当しています。
いまから30年ぐらい昔の話ですが、私が就職活動をしていた頃、男性の知人に「生保に行きたい」という人がいました。理系でいわゆる偏差値の高い彼は、会社を「選べる」立場にあり、様々な業種・会社を比較した上で生保を選んだ理由が、給料が高い、残業が少ない、そして、頭を下げることがない、というものでした。
私ははじめ、「頭を下げることがない」ということの意味がわかりませんでしたが、よくよく聞いてみると、お客様に謝罪するのは外務員であり、監督官庁に申し開きするのはごく一部の官庁担当の文系出身者である。その他ほとんどの本社の社員は誰かに謝罪するとか、ご機嫌を伺うとかの必要は全くない。融資先や証券会社や不動産会社から感謝されたり接待されたりすることはあっても、何かのケースで自分たちが誰かに頭を下げることはない。
おそらく就職活動の際に、先輩社員に吹き込まれたのだろうと思います。
偏差値の高い大学4年生とは、それまでの短い人生において、多くの場合、チヤホヤされて育った若者です。そういった男子が、給料がよくて仕事がキツくなくて、その上、頭を下げることがないという職場を選ぶことは理解できます。
しかし、この、言わば「謝罪することのない立場」は人間を成長させない。むしろ、ダメにする怖れの方が強い。
たぶん、いつまでたっても「大人」になれないでしょう。
「謝罪することのない立場」というのは、ある職業なら必ずそうだとか、ある業種なら全員あてはまるというものではありません。いかなる業種、いかなる職業、いかなる会社においても、そういう人は存在するというか、そうなりたいと思っている人は存在していると思います。
ただ、ある職業にはそういう人が多いという法則性はあるかもしれません。
新聞記者。
新聞記者は滅多に謝罪しません。
新聞の記事で派手に誰かをやっつけた数日後、事実誤認があったとか、行き過ぎた表現だったということで、謝罪文が掲載されることがありますが、当初のド派手な記事に比較すると、謝罪文のなんと地味なことでしょう。というか、アレ、誰も「謝罪された」と思いませんよね。
新聞記者、特に社会部の記者は「正義の味方」です。
少年時代、仮面ライダーやアカレンジャーが悪者をやっつけるのが好きだった。
私のような「よこしま」な少年は、「今回のピンクレンジャーはかわいい」とか言ってましたが、「正義の味方」である少年はピンクや黄色や緑には目もくれない。
こういう少年が社会部の記者になると、「巨悪」と戦う路線を歩む。
もちろん、巨悪は本当に存在しますから、彼らの存在意義は大きく、庶民の味方であることに違いはありません。
しかし、記者の数だけ巨悪が存在するかどうかは別であり、○○新聞のアイツが巨悪××をやっつけたとすれば、「ボクが戦う巨悪はどこだ」という心理状態になっても無理はない。
誰しも新聞や雑誌、テレビなどに悪く書かれたり、悪く言われたくありませんから、そもそも記者はチヤホヤされる職業です。
政治家が記者たちを無視している様子がテレビで流れることはありますが、あんなことができるのは著名政治家ぐらいのもので、多くの人は記者に迫られたらドギマギします。
つまり、権力に立ち向かう記者ではありますが、同時に彼らもある種の権力者なのです。
私の勝手な想像ですが、記者たちの間の文化というか価値観には、
「悪を憎む動機によって書いているのだから、多少間違っても許される」
「書いたほどの悪ではないにしても、悪には変わりなく、結果OKだ」
「謝罪してしまうと矛先がにぶり、記者魂を失っていくので謝罪はしない」
といったようなものがあるものと想像します。勝手な想像です。
謝罪することのない立場、あるいは、そういう立場になろうとすることが、人間の成長を止めるものと、私は考えています。
2007年9月4日 難題は意識改革
リクエストを頂戴した地球温暖化テーマから、1つの切り口を述べます。
地球温暖化については、物理学、生物学の方角からのアプローチに加えて、先進国と発展途上国の主張の違いや、原油等の産出国と消費国の意見の違い、あるいは一国の中でも意識の問題など、社会学の観点からも様々な課題、教訓を得ることができます。
今回は、日本人の意識の問題を論点としたいと思います。
最初に、意識の問題に言及する前に、地球温暖化の構造的な側面について申し上げます。
自然の営みはサイクリック(cyclic)=周期的です。
「土に還る」と言いますが、土あるいは地表から得た物質は土に還ります。
大地から養分を得て育った樹木は、葉を落とすことによって毎年、土に「お釣り」を返し、生命を終えると樹木そのものが土に還ります。植物をエサとする虫や動物も、土に還るサイクルの中に位置付けることができます。
人間という生物も、木材で何かを作るとすれば、それは最終的には土に還ることになります。土から作ったレンガ、ガラスもしかり。鉄などの金属ですら、山の中の鉄鉱石から抽出したものですから、土に還ることになります。
このサイクル=周期を大きく乱したものが原油でした。
百万年、千万年、億年といった時間軸の中で、生物の遺骸から油分だけが集積されてできたものが原油です。地球上に分散されていれば、ある意味で良かったのですが、原油は液体ゆえに地中で流れ出し、ある場所に集積されていきました。
さらに、液体ゆえに発見されると比較的容易に汲み出すことができ、1億年分を100年以内に使い切るようなペースで消費してしまう。
また、原油からプラスチックなどの石油化学製品が発明されましたが、高度な技術を用いたこれら石油化学製品は、土に還ることがありません。金属スプーンは土に入れておけば百年たてば土になっているでしょうが、プラスチック製のスプーンは永久に土に還ることがないのです。
この、きわめて便利な原油が、自然のサイクルを狂わすことになりました。
サイクリックではない物質、プラスチック。
蓄積に要した時間と、消費する時間のあまりの違いによるサイクルの実質的破壊。
こうした自然サイクルの破壊が大気にも及び、我々に深刻な警告を発してくれているのが、地球温暖化という現象なのです。
循環して元に戻ることのない一方通行。地表の二酸化炭素は増える一方で、減らす力と増やす力の差、乖離(かいり)は大きくなるばかりです。
スコープを日本という国に設定して考えてみましょう。
日本の製造業を中心とする企業は、省エネという観点では世界の優等生です。
資源の乏しい国土、せまい平野部分、都市に人口集中するほかない地理的構造、自然の恵みを食してきた文化、工夫しあう国民性などが相乗効果をもたらし、いったんは公害などに苦しんだものの、その課題をも乗り越え、いまや日本の産業は、省エネ世界一でしょう。
しかしながら、便利さを究極までに求める国民性によって、結果として、日本が排出する二酸化炭素は今も増えつづけています。
つまり、1台のクルマを作る、あるいは走らせる結果として排出する二酸化炭素は世界一少ないものの、クルマを便利に使いすぎているのです。
あるいは、1本のペットボトルを作る省エネは世界一ですが、国民一人あたりのペットボトル本数も世界一なのです。
あるいは、家電製品の省エネも世界一ですが、国民一人あたりの家電製品の数も種類も世界一なのです。
国民性、あるいは国民の意識の問題がそこにあります。
日本同様の先進国かつ工業国ドイツのスーパー・マーケットに行くとわかりますが、牛乳もジュースも酢も、液体はみな同じガラス製ボトルで販売されています。ラベルが違うだけ。
リユース(re-use)、すなわち再び使うという文化が根付いていて、ボトルの製造本数を制限しています。
一方、日本では、容量も形も様々なペットボトルが並んでいます。
毎日、会社で1リットルの水を飲む人が、ペットボトルを1本か2本、購入します。家から水筒を持ってくるのは重いし、メンドクサイですものね。
コンビニでも、パン屋でも、買うものはほとんどすべて個別に包装されています。石油化学製品で。キレイ好き、清潔好きな日本人ですからね。
夏場のパチンコ屋は、異常なほどに冷房が効いていないと許せない。
走る電車は、窓を開けて風を入れると、髪形が乱れるし、虫が入ってくるので許せない。冷房にしてくれないと窓を閉められない。
ケータイは、会社用と個人用は別々でないと許せない。
トイレはシャワー・トイレは当然として、音を消すための配慮がないと許せない。
これが日本人です。
そして、この意識を変えることが、恐らく、日本が取り組むべき温暖化対策での難題だと思います。
話は変わりますが、当社の業務部門を「サービス部門に転身する」という意識改革を進めようとしていますが、これも難題です。
仕事のやり方を変えるなら「来月からこうする」という命令やルールで実行することができますが、意識改革はそうはいきません。
地球温暖化を抑止するための日本人の意識改革も同じです。
「どうして私が、そんなメンドクサイことやらなきゃいけないの」
という意識を
「みんなでやらないと意味がないから、やりましょうよ」
に変えることは、会社でも、社会でも、世界でも、極めてむずかしい課題なのです。
2007年9月5日 ふたりの天才
ふたりの天才が共同し、相乗効果を生みつつ大きな付加価値を生んだ事例。
物理学のキューリー夫妻の話では面白くないので、ビートルズの話にします。
ジョン・レノンとポール・マッカートニー。
古今東西、人気・実力のある音楽グループには中心人物が一人います。
サザンにもミスチルにも、ストーンズにもクィーンにも中心人物が一人いる。
ビートルズのように二人の天才が併存している例は、ない。
あればすぐ解散する。
ビートルズは年長のジョンが作ったバンドです。ジョンが2才年下のポールと出会ったときが、ビートルズの始まりでした。
当初、メンバーの入替なども多少ありましたが、最終的にジョン、ポール、ジョージ、リンゴの四人になりました。リーダーはジョンです。
レコードが売れるというのは、少し後からの話ですので、最初はステージで演奏するのが彼らのもっぱらの仕事でした。そのステージの出演料は、ジョンが35%を取り、ポールが25%、ジョージとリンゴが20%ずつという不平等な分け方でした。
それもそのはず、ステージはジョンを中心に回っており、選曲や編曲、そして作詞作曲までも、中心人物はジョンだったのです。
他人の曲をアレンジして歌うことに飽きてきた彼らは、オリジナル曲中心に転換しますが、その作詞作曲を、ほとんど「レノン・マッカートニー」という人物が担当しています。
実はジョン・レノンとポール・マッカートニーが二人で作っていました。
ジョンが詩を作り、ポールが曲を作る、といった単純な役割分担ではありません。
ある曲は、二人が地下鉄に乗っている際、ほとんどフザケあうようにして、ジャレあうようにして作ったと言われています。
ジョンがほとんど一人で作った場合でも、ポールが一人で作った場合でも、レノン・マッカートニーの名を使いました。ジョンが作ればジョンが歌う、ポールが作ればポールが歌う、二人で作れば二人でハモるというのが基本形であり、曲を聴けば、どちらが作ったものかがわかるようになっています。
レコードが売れ出すと、作詞作曲をした彼らには多額の印税が入ります。
そんなこともあって、ステージ出演料はあるときから四等分されるようにもなりました。
ビートルズのデビューは1962年。
1964年に、最初の主演映画が封切りされますが、それが「ア・ハード・デイズ・ナイト」。白黒映画です。
映画の中で、ストーリーに関係なく彼らが歌ったり演奏したりしますが、それを見ればわかりますが、多くの曲はジョンが中心に歌っており、いくつか、「これはポールが作った曲だから」みたいなカンジで、ポールが歌う曲があります。
1965年の「ラバー・ソール」全14曲は、ジョンの曲とポールの曲が半々。
1966年の「リボルバー」は、曲数ならば半々だけど、ビートルズの音楽での中心がジョンからポールにシフトしてきたカンジがあり、
1967年の「サージェント・ペッパーズ」では、間違いなくポールが中心となっていることがわかります。
少し大人になった二人は、それぞれ自分で曲を作って持ちより、相手の意見を聞きながら修正していくといった形になっていきます。昔のように、二人でハシャギながら曲を作るといったことはなくなりました。
天才が二人、併存することによるメリットは計り知れません。
第一に、ダサい曲は、相手からダサイと言われるので、結局、レコーディングされない、あるいは発売されない。
サザンの桑田サンが作った曲には名曲も多いけど、ダサい曲も多い。誰も彼を止めることができませんから、しょうがない。中心人物が一人の普通のグループなら、当然の帰結です。
実はビートルズも、ジョンとポールが牽制し合って、良い曲だけを発売することに飽きてきたとき、「ホワイト・アルバム」と呼ばれる2枚組のアルバムで、ジョンとポール、ついでにジョージとリンゴまで、それぞれが作った曲は全部「入れちゃえ」で、2枚になることも気にせず、作りました。
音楽にもメッセージにも一貫性のないこのアルバムは、ジャケットの絵を考えることすらできなかったのか、真っ白であり、それゆえホワイト・アルバムと呼ばれています。このアルバムはファンの間で「カオス=混沌」と陰口をたたかれています。名曲とヘンな曲が共存したアルバムです。
その後、「アビー・ロード」で再び、一本芯の通ったアルバムを出すことになりますが、このアルバムには無駄な曲が一つもなく、天才が二人いることのメリットが最大限、生かされています。
天才が二人併存することのメリットの第一は、お互いに牽制し合うことによって、一方の横暴?を許さないことにあるというわけです。
そしてメリットの第二は、二人がそれぞれ相手を生かそうとしたとき、類まれなる相乗効果が出るのです。
これはもう、ビートルズを聴いてもらうしかありませんが、二人がハモるような曲こそが、その証となるでしょう。なお、注意して欲しいのは、結構、一人が二重録音してハモっている曲があるので、間違いないように。
ビートルズの話になるとどうしても長くなってしまいます。
ここでの教訓は、「力のある者ふたり」をどうするか、にあります。
ビートルズも結局は、ジョンとポールが「これ以上やってられない」という状態になり、解散することになりました。
ふつう、会社の組織においても、力のある二人に共同で何かをやってもらうことは決して容易ではありません。
むしろ二人を別々にし、競わせるほうがよいという場面の方が多いかもしれません。
しかしながら、力のある二人が互いに力を合わせ、時には相手を牽制しながら、他の誰もができないようなことを成し遂げることがあるのです。ほとんど「奇跡」と呼びたくなるようなレベルの仕事をやってのけるのです。
力のある二人を長期間にわたって一緒にすることには無理があるとは思いますが、極めて重要な案件、プロジェクト等であれば、やってみる価値は十分にあるものと考えます。
2007年9月6日 小さく見えて大きな違い
「あの人と仕事をすると、なぜだかやる気が出る」という人がいますよね。
もちろん、その逆の人もいます。
AとBという、二人がいるとします。
「この仕事を今日中にやってください」と依頼すれば、ほぼ同じスピードで完璧にこなします。持っている知識、経験も同等なら、こなせる仕事の幅も同様。
しかし、周囲の人に言わせれば、「一緒に仕事をしたいのはAさん」という違いがある。
この違い、小さく見えるかもしれませんが、実は大変に大きな違いなのです。
少し専門的になりますが、システム・エンジニアという職種があります。SEと称されることもあります。
実は私は「元SE」というか、「生涯一SE」というか、少なくとも若い頃はSEでした。
以前、在席していた会社にはSEが多数いました。
SEはある意味で技術職なので、その専門能力は、保有資格や知識、経験によって客観的に評価することが可能です。ですから、AさんとBさんは、ほぼ同程度の実力を持つ、といったことが客観的にわかるのです。
しかしながら、Aさんが担当すると「要件が決まる」のに、Bさんが担当すると「要件が決まらない」ということが多々あります。あるいは、Aさんが担当してきたプロジェクトでは大きな問題が発生しないけど、Bさんが担当してきたプロジェクトは「常に問題が発生」し、「その最大の原因は、要件が決まらないことにある」ということが、よくあるのです。
Bさんはよく「ユーザーが要件を決めてくれない」とボヤきます。
逆に言えば、ユーザーが要件を決めてくれれば、AさんでもBさんでも、ほぼ同じように仕事を進めることができる。しかし、Aさんなら決まる要件が、Bさんだと決まらない。
私はかつてSEだったころ、あるいは、SE会社の人事部だったころ、この違いに関心を持ちました。
結果を見れば、Aさんは顧客から信頼されており、要件は決まるし、顧客もプロジェクト・メンバーも、Aさん周辺にいた人間はみな「また、Aさんと仕事がしたい」と言う。
一方、Bさんは、顧客やメンバーが上手くいっているときにはAさんと変わらないのでしょうが、ちょっとしたことであっても問題が起きると、それが大きく波及し、プロジェクトの存続にかかわるような事態にさえなる。
結果は誰が見ても明らかなのですが、この違いの原因がどこにあるのかがわからない。
私はずいぶん考えました。
一つの仮説ですが、Bさんは「条件つき優秀」なのだろうと思います。
条件つき、すなわち、「要件を決める人がシッカリしていれば」「要件がスケジュールどおりに決まれば」「メンバーに優秀な人間がいれば」など、ある種の条件が満たされた場合には本来の力を発揮する。
一方、Aさんは、要件を決める人がシッカリしていない場合でも、イロイロあったとしても何とかしてしまう。2ヶ月もたてば、その人がシッカリし出したりする。1年後、その人が「Aさんと仕事をやると、なぜだかやる気がでる」などと言ったりする。Aさんと仕事をすると「楽しい」。Aさん自身が仕事を「楽しんでいる」。Aさんが入ると、「周囲が変わり始める」。こういった声をいくらでも聞くことになります。
Bさんの「条件つき優秀」は、ある種の条件が満たされた場合にのみ、力を発揮するというものですから、Bさんの行動パターンとして、できるだけ条件が満足されるように調整しようとします。あるいは、条件を満足する仕事を選ぶとか、条件が満足されていないと不平不満を述べるといった言動に発展していく怖れがあります。そして条件が満足されない理由を自分以外に求めますから、常に「誰か他人のせいにする」思考パターンに陥るのです。これでは、顔つきさえ変わってきますよね。
AさんとBさんの、小さく見えて大きな違いは、周囲は次第にわかってきますが、最後まで気が付かないのは本人たちです。
AさんはBさんを「よっぽど環境が悪いのだろう」と同情し、
BさんはAさんを「よっぽど環境が良いのだろう」とうらやみます。
環境、すなわち本人の周囲、本人以外の様々な要素。
これらが仕事によって違ってくるのは言わば当然です。
しかし、重要なことを一つ見落としています。
「自分自身が環境を変えることがある」という事実です。
Bさんと仕事をしたとき、全く要件を決めてくれなかったCさんが、Aさんとやっている今度のプロジェクトでは率先して要件を決めるために奔走してくれている。
Bさんから見れば「Cさん、人間が変わったのか」と見えるかもしれませんが、Aさんとの接点をキッカケとして、本当にCさんの人間が変わったのかもしれません。
「Cさんの人間性を変えよ」などということが仕事の役割に入っているハズがありません。
しかし、それを結果として実現し、プロジェクトを成功に導き、「Aさん、また何かやりたいね!」と言われる人が存在するのです。
Bさんはこの違いに一生気づかないことさえあるでしょう。
しかし、小さく見えて大きなこの違いに、できるだけ早く気づいてもらいたいものです。
2007年9月7日 イヤな先輩
地球温暖化からもう一つ、別な切り口で。
会社の先輩で、
「いやぁ、オレの昔の頃はな、そりゃあ無茶をしたもんだ。ガッハッハ。」
「ま、でも、今はそういうことは許されないから、オマエら、やるなよ。ガハハ。」
と、こういった先輩がたまに生息しているかと思いますが、イヤな先輩ですよね。
この先輩と後輩の関係が、地球温暖化における、先進国と発展途上国の関係なのです。
産業革命は19世紀の英国で起こり、それ以後、先進国に工業化の大きな波が訪れました。
産業革命以前の人類は、それこそ、大自然の営み=サイクリックな営みにシンクロナイズするがごとき存在であり、二酸化炭素の排出量などを気にする必要などなかったでしょう。
エネルギーと言えば、まず人力。それ以外でも、馬や牛の力を借りたり、あるいは風の力を借りたり。人間を含めた動物の力と、自然の力がエネルギー源でした。
産業革命は石炭が中心でした。
山から掘った石炭を釜で燃やし、水を熱することで水蒸気を得て、気体である水蒸気のエネルギーを変換して、動力源を動かす。これが汽車の車輪を回したり、工場の動力となる。
子供さえ投入されたという炭鉱での過酷な労働の悲劇は、英国北部から始まって、日本を含め世界中の炭鉱で広がっていきました。
ここに革命的な資源が発見されました。原油です。
石炭の場合、「ここに炭鉱があるぞ!」と分かってからも大変なのですが、原油の場合、油田に当たれば、あとは楽勝です。ポンプでくみ上げればよい。そしてパイプラインで港まで運び、タンカーで海を渡る。石炭を運ぶ場合に比較すると、まさに楽勝と言えるでしょう。
先進国は、原油で工業化を進めました。
20世紀の100年間で、先進国は様変わりしたのです。この間、今の途上国があまり変わらなかったことに比較すると、先進国の変化は劇的でした。
欧米先進国に比較すると、少し後を追う立場にあった日本の20世紀を振り返ってみても、この100年間が、過去の日本の歴史の中に位置付けても特異な期間だったことがわかります。それまで平安貴族の時代だろうが、戦国時代だろうが、幕藩体制だろうが、人々は自然の中で、自然と調和して暮らしていたハズですが、この100年間、日本は様変わりしました。
20世紀の日本は、欧米列強に追いつけ追い越せで、富国強兵がスローガン。日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と、工業化と武力強化を同時に進め、世界の列強、すなわち先進国の仲間入りを果たします。
第二次世界大戦に突入し、そして敗戦。
戦後になると、工業化はさらに加速したように思えます。工業化による経済発展以外に、日本にはやることがないかのような勢いでした。
私が子供の頃、小学校の社会の授業で、軽工業(繊維など)から重化学工業(機械あるいは石油化学)へシフトせねばならないという強い論調で先生が力説していました。
NHKの「みんなの歌」で、
「ボクらの町は川っぷち、煙突だらけの町なんだ」
といった、煙=公害を撒き散らす工業地帯を賛美するような歌が流れていました。
この後、日本中で公害問題が注目され、低公害、省エネの上で工業化をさらに進める、現在の日本に至るのです。
いま、上海や北京、ムンバイやデリーに行けばわかりますが、公害がヒドイ。
私たち先進国が、20世紀に通ってきた道、自然を破壊し、公害を撒き散らしながら工業化を進めた道を、いま、途上国が走っているのです。
私たち先進国は、20世紀=若い頃に無茶をし、地球環境を破壊しながら経済を発展させてきた。その対価にようやく気づき、これではいけないと思い始めている。
この価値観を、いま若い途上国にも共有してもらいたいのだが、彼らから見ると、先進国は「イヤな先輩」に見える。
若い頃に散々無茶をしたが、それによって現在の豊かな姿がある。
若い途上国だって同じ道を歩みたい。無茶をして豊かになって、公害や環境の問題は、その後で考えたい。そうでなければ成長スピードが落ちてしまって、環境問題などを考える余裕が生まれて来ることがない。
会社において、イヤな先輩が増えれば、世界が一体化できないように、会社も一体化できません。
世界が地球を守ることを最優先できないように、従業員全員が会社を守ることを最優先にできないのです。
地球が壊れてしまえば、ある国だけが栄えることはありえない。
同様に、会社が倒れてしまえば、ある人だけが栄えることはありえない。
しかし、「地球を守るのはイヤな先輩の仕事であり、オレの国は自分の発展が優先」と途上国が考えてしまうように、
「会社を守るのはイヤな先輩の仕事であり、オレたちは自分の発展が優先」と後輩は考えてしまう。
イヤな先輩になってはいけないのです。
いま、やってはいけないことを、昔やっていたといって自慢してはいけないのです。
「あの頃は空気が汚くてなぁ、川で泳ぐなんて夢のまた夢、東京湾は真っ黒だった。」
「でもなぁ、なんかみんな元気で勢いがあった。」
こういった感慨は、昔の仲間だけが集まったときにしてください。
空気が汚いことがいかに重大な問題だったのか、それを解決するのがいかに困難だったのか、空気を汚さずに経済を発展させるのが、いかに意義があり、かつ、重要なことなのか。
そういう経験を話して欲しい。
そして、一緒に、現在の課題に、先輩も後輩もなく、立ち向かって欲しい。
2007年9月10日 幅
あなたの「幅」を決めるのは、あなた自身です。
かといって身体の幅、すなわち体型の話ではありません。これ、冗談。
人間の幅、能力の幅、担当分野の幅、適応可能領域の幅。
新入社員だったころを思い出してください。
あなたは何も知らなかったし、何もできなかった。だから、どんな仕事を与えられても、まずはやってみようと思ったはずだ。
ところが今は違う。
「それは自分の仕事ではない」
「それは自分にはできない」
「あの人の方が得意なはずだ」
「だから配属替え、人事異動はしないでほしい」
「それをやれと言われるならば辞める」
いつからこうなったのでしょうか。
いつからか、あなたは自分で自分の幅を決めているのです。
もし、あなたが、「この幅の中で日本一、世界一を目指す」というのなら、まだ、理解できます。つまり、その幅の中を思い切り深く掘るために、幅を広げず深さを追及するということなら、まだ、わかりますが、たいていの場合はそうではありませんね。
ちょっと余談になりますが、「ある幅を極める人」は、実は、その幅に限定したりしていません。
イタリア料理の料理人として極めようと考える人が、フレンチあるいは和食その他の料理を全く無視しているはずがありません。
地球物理学を極めようと考える人が、数学はもちろんですが、化学や生物学を捨てるわけがありません。
システム・エンジニアを極めようとする人が、システムのユーザーである人間に関心を持たないというのはありえないことです。
本当に、ある幅の中で何かを極めようと挑戦する人は、必然的に、その幅の周囲にも対象を広めざるを得ないのです。
以上の余談は、「極める人」についてであり、そんな人は1%ぐらいしかいません。
残る99%の私を含むみなさんは、幅を広げることと、ある幅の中を深めることの両方のバランスを取りながら成長していくべき存在です。
そんな中で、私は、当社の若いみなさん、少なくとも私より若い=50歳未満のみなさんの中で、「幅を限定している」ように思える人が結構多いのではないかと感じている次第です。
たとえばAという組織あるいは役割で仕事をしていると仮定します。
Aは、他の組織あるいは役割であるBから連絡、依頼、要求などを受けて仕事をするものとしましょう。
Aの立場で仕事をしている人が、Bの役割に立ってみて物事を考えてみると、Aの仕事を遂行する上でも大いに役立つものなのです。もちろん、逆方向の、BがAでも同じです。
Aの立場で、
「どうして、Bはいつもあんなに慌てているのだろう」
「どうして、Bはこんなに連絡ミスが多いのだろう」
といった疑問がもしあれば、あなたの幅をちょっと広げて、Bを覗いてみて欲しいと思うのです。
同様に、Bの立場で、
「どうして、Aはいつもあんなに時間がかかるのだろう」
「どうして、Aは質問、確認せずにやってしまうのだろう」
といった疑問も、Aを覗いてみれば、その原因や改善策が思いつく可能性があります。
たとえばシステム部門。
ユーザー部門の誰かが、ユーザー部門を代表して意見をまとめてくれています。
もしあなたが、いつも、その代表者から事情を聞いているだけだとするならば、ちょっと幅を広げて、ユーザーの真っ只中に入ってみてはいかがでしょうか。
「要件や問題点をまとめてくれて、そこから解決策を考えるのが自分の仕事だ」
と思うかもしれませんが、幅を広げてみると、今まで見えていなかったことが見えてくるのです。あるいは、全く別な見方がしてくるものなのです。
もう、昔話と言うべきかもしれませんが、NCS、すなわちSS首都圏のコーディネート・システムを作ったときの話。
NCS以前は、スタッフさんの履歴書の写しを見ながら電話をかけているような状況でした。
コーディネート部門や営業企画部門のマネージャたちから話を聞いた私ですが、どうしても、実際のコーディネート部門の、電話のやりとりを見たいと思い、数時間、座って見せてもらいました。実はその後も、何度もお邪魔して、喫煙室の常連になっていたりもしたのですが、最初にお邪魔してコーディネータが電話に向かって話す内容あるいは話し方をこの耳で聞いて、非常に多くのことがわかりました。
もちろん実態についてのポイントは、事前にマネージャから聞いたとおりなのですが、「百聞は一見に如かず(しかず)」という諺のいうとおり、見れば目からウロコでした。
私は、ユリウス・カエサルの有名なセリフ「来た、見た、勝った」を、このとき想起したことを鮮明におぼえています。
このとき私は当社に入社しておらず、外部のシステム業者の責任者としてお邪魔していたわけですが、実態をこの目で見、コーディが話す内容を聞き、電話の向こうでスタッフさんがどんなことをしゃべっているのかを想像することによって、NCSが何を実現すべきか、何を優先すべきかが「見えた」と感じたのです。
「幅を限定する」という行動様式は、実はSEみたいな職業にとても多い。
技術職、専門職ですから、ある種のプライドもある。それまでに培った技術やノウハウを生かすことをやりたいから、逆に、それとは一見無縁に見えることに首を突っ込みたくはない。
システムを作るならば、何を作るべきか、何を優先すべきかは、SEではない=自分ではない誰かが、それをやるべきだ。これがよくあるSEの思考様式でしょう。
私も幅を限定し、あの人も幅を限定する。誰もが自分の幅を限定することによって、隙間ができても誰もそれを埋めようとしない。想定外の事態が発生しても、誰もが自分の幅の外側の出来事だと思ってしまう。
こんな組織が強いはずがありません。
そして、幅をせばめよう、せばめようとするひとが魅力的であるはずがありません。
2007年9月11日 人材育成に関する構造的な課題を探せ
日本サッカーにおける、構造的な課題は、中学生時代の普及と育成にあります。
これにならって、当社の人材育成における構造的な課題を考えてみたいと思います。
日本のサッカーはずいぶん強くなりました。
Jリーグ発足の効果は大きく、日本代表のレベルも上がりましたし、日本におけるサッカー人口も増えました。
「ドーハの悲劇」を覚えている方は多いかと思いますが、これは1994年ワールドカップの予選でのできごとです。その24年前、1970年ワールドカップの予選から日本代表を応援しつづけている私としては、4年に1回、7つもの悲劇を見てきましたが、日本代表の実力は間違いなくアップしてきました。
特に日本代表選手の技術の向上はめざましく、少なくともアジアではトップクラスにあります。
サッカー技術は、小さい頃からボールで遊ぶという習慣の強弱に左右されるものですが、少年サッカーの普及が、日本サッカーの技術力アップに大きく貢献しています。
東京都に限定しても、協会に加盟している団体は700もあります。
年に一回、各都道府県代表のクラブが全国一を競う大会がありますが、東京都代表に選出されるためには、700のクラブの中で優勝する必要があります。高校野球で甲子園に出場する以上に困難であるかもしれませんね。
小学生がサッカーをする環境は、これほど整備されましたが、一方、中学生がサッカーをやろうとすると、実は、あまり容易ではありません。
小学生向けクラブのほとんどはボランティア・コーチが教えてくれますが、中学生は学校のクラブ活動が中心です。残念ながら、サッカーに限らず、どのスポーツクラブも、中学校での活動は昔に比較して下火になってきてしまっています。
このことには様々な理由があると思いますが、ここでの主題ではないので割愛します。
いずれにせよ、小学生のときはサッカーをやっていたものの、中学生になってやめてしまう子供は多く、その逆である、中学校からサッカーを始める子供の数をはるかに上回っています。
つまり、せっかく入口である小学生サッカーが盛んになったにもかかわらず、それを引き継ぐべき、中学生サッカーの門がせまくなってしまっているのです。
このことは、サッカーを普及させたり、サッカー選手を育成する観点で見れば、構造的な課題となっています。
この課題が解決できない限り、日本代表が世界のベスト8の常連になるようなことは、ありえないと私は考えています。
さて、この種の構造的な課題が、当社の人材育成の局面に存在してはいないでしょうか。
昨日入社したばかりの人が、今日から営業に出かけていけるとすれば、少年サッカーのように、入口はOKかもしれません。
問題は、最初のハードルをクリアした後、この人が一歩一歩成長していく道が用意されているかどうか、にあります。
そのためには、入口から一人前までの道のり、一人前からチームを動かすレベルに至るまでの道のり、さらにそこから強いチームを作ったり、トラブルや苦境を乗り越えることができるチームを作ることができるレベルへの道のり。さらに、事業環境や競合条件などから、ある市場での作戦を考え、それを実行・検証できるレベルにいたる道のり。さらに、営業だけでなく幅を広げ、ある大きな組織や、事業の単位で周りを牽引していくだけのレベルに至る道のり。
どのステップに課題があるでしょうか。
特に、どのステップに、当社にとって構造的な課題と呼ぶべき問題があるのでしょうか。
逆に、どのステップを強化すれば、当社は最強軍団になれるのでしょうか。
みんなで考えていきたいと思います。
2007年9月12日 人間コンピュータ
コンピュータのような仕事のしかた、コンピュータのような生き方は面白くありませんよ、という話です。
コンピュータは言うまでもなく機械です。
この機械に情報をインプット(入力)すると、あらかじめ指示しておいた手順に従って、加工した情報をアウトプット(出力)します。
ただ、これだけの機械です。
インプットした情報以上のものを期待することはできませんし、あらかじめ指示しておいたこと以上のこともしてくれません。
たとえば、去年、何かの処理をした際に、100件のエラーが出たと仮定します。エラーが出たので、そのとき人間が再入力するなりの苦労をしたとします。今年、新しいデータで同じ処理を実行すれば、同じようにエラーが出てしまいます。
「去年、あんなに大変だったのに!」と人間が憤慨しても、コンピュータは反応ナシ。
去年のエラーを回避するために、今年、新たな指示命令をあらかじめコンピュータに与えておかないと、何度でも同じことを繰り返します。
つまり、コンピュータは入力されたもの以上のこと、指示された以上のことをやりません。
類推したり、想像したり、「本当にこれでいいのですか」と確認したりしてくれません。
コンピュータが発明されて50年以上が経ちますが、飛躍的に向上したその性能は、言われたことを早く実行するという方角への進歩であり、人間で言えば、電卓を早く叩けるようになったことに過ぎません。
「人間コンピュータ」になってはいけません。
指示されたことを指示されたとおりに実行できることは第一歩ではありますが、それは第一歩に過ぎないのです。
先月、同じことをやったとすれば、今月はもっとスピーディにやらねばなりません。これが第一段階。このレベルはコンピュータの性能向上と同じです。
第二段階は、先月あった特殊なケースや配慮を要するケースに対して、今月は、エラーやミスをなくし、スマートに業務を実行する必要があります。これができればコンピュータにはできない「学習」機能を持つことになります。
第三段階は、先月この業務をやったわけですから、今月も「あるはずだ」と考え、準備する。先月と今月の違いは何か、もっとスマートにやるためにはどうすればよいか。業務の開始時期をもっと早くできないかと考える。このように言われる前に「準備する」ことができれば、もはや人間をコンピュータと比較するのは言わば失礼にあたる。逆に言えば、このレベルに至らないと、人間であってもコンピュータと比較されてしまう。
第四段階は、「幅を広げる」ことにあります。
自分が行うこの業務の「前」には何があるのか、「後」には何があるのか。
「この業務」は、言わば、「シロウトにもできるように組み立てられている」のかもしれません。誰もができるように、ある部分だけを切り出しているのかもしれません。幅を広げることができるあなたであれば、前後の業務を考慮に入れて、最適な業務を設計し直すことができるかもしれません。
実は先ほどの第三段階は、コンピュータにはできないレベルではありますが、「熊」にはできるレベルです。
毎年の冬眠。はじめて冬眠する熊は、本能に従うだけでしょうが、何回も冬眠を経験しているベテラン熊は、もっとスマートに「準備する」ハズです。
しかし熊には第四段階は無理です。冬眠というイベントの幅を広げることはできません。一年間の生活の中に冬眠を位置付け、自分のテリトリーの最適化や季節ごとの活動場所を考えることは、たぶん、できません。少なくとも熊は「やってるよ」とは言っていない。
第五段階は、「意味を考える」ことにあります。
この業務をミスしたら、誰がいつどのように困るのでしょうか。この業務が遅れたら、誰にどのような迷惑がかかるのでしょうか。この業務を含む大きな幅で考えた1つのサービスは、どのように遂行されることをお客様や関係者は期待しており、どのようなレベルが競合他社より優れていたり、お客様に喜んでもらえるものなのでしょうか。
言うまでもなく、人間にのみ許されたレベルが第五段階です。熊にもサルにも無理です。
第五段階は、第一段階から一歩一歩レベルアップしていくものという見方もできますが、実は、第五段階に至る人は、最初から「意味を考えようとしている人」でもあります。
「これを元にして、これを作って」と指示されることは、入力と出力を支持されることと同じです。
「あの人に聞いて、あれをやって」も同じです。
このとき「本当に、その入力で十分か」と考える姿勢、「その出力をしさえすればよいのだろうか」と考える姿勢が、「意味を考える」方角に人間を成長させていくのです。
2007年9月13日 真価が問われる
あなたの真価が問われるのは、失敗の後、ミスの後、敗北の後。あるいは、苦境に立たされているとき、です。
何かの失敗があったとき、その原因がすべてあなた一人だけにあり、あなた以外のあらゆる人、あらゆることに一切問題がないということは、まず、ありえないと言ってもよいかもしれません。
上司も悪い、部下も悪い、同僚も悪い、この紙が悪い、あの電話が悪い、あのデータが悪い、あの情報のせいだ、風を引いたせいだ、空調のせいだ。
まず、あなた以外に原因を求める、別な表現をとれば「他人のせいにする」という思考パターンが染み付いていないかどうか、自分を省みることが重要です。
人間には「防衛本能」がありますから、自分を守るために「誰か他人のせい」にしたい気持ちが湧き上がってくることは、ある意味で自然でしょう。
ここで何か一言、口から出てしまう前に、一回、幽体離脱して、天井から自分の置かれた状況をながめてみてください。他人のせいにしようとしている自分を、天井から眺めてみてください。
私事で恐縮ですが、私は昔の会社に新入社員で入ったとき、灰皿の吸殻をゴミ箱に捨ててしまったことがありました。28年前の出来事です。
当然ですが、灰皿の吸殻は火災の原因になるので、どの会社でも同じだと思いますが、水の入ったバケツなど、吸殻専用のゴミ箱があります。もちろんその会社にもありました。
しかし当時、喫煙室などではなく一般席でタバコを吸っていた時代、水の入ったバケツはフロアの端っこにある給湯室にあり、そんなことは知らない新入社員であった私は、そこらへんにあるゴミ箱に、火が消えていることを確認した上ではありましたが、吸殻を捨ててしまったことがあります。
私はこの後、想像をはるかに越えた勢いで叱られました。ビックリ。
で、他人のせいにしました。「そんなこと教えてもらっていない」。
28年たった今でも、絶対に忘れられません。
他人のせいにしてしまったあのときの自分を忘れることができません。
「政治が悪い」「会社が悪い」「あの上司が悪い」「隣の家が悪い」「学校が悪い」「環境が悪い」。
どこか自分以外の人、自分の周囲のことに原因を求める思考パターンが染み付いてしまうと、他人のせいにしている自分が「フツー」になってしまいます。
そういう人生ってどういうものか、余裕のあるときに静かに考えてみて欲しいと思います。
何もかも「自分が悪い」と考えてしまうことが良くないように、すぐ「他人が悪い」と考えてしまう人生は、決して幸福ではないと思います。
2007年9月14日 エスカレーター
通勤途上、自宅の最寄駅のエスカレーターは一日中、10秒おきに次のメッセージを流しつづけています。
「ステップの中央に乗り、手すりにおつかまりください」
もちろん、誰一人として、そのとおりにする人はいません。
立つ人は左側に寄り(東京なので)、右側を急ぐ人が歩いて行きます。
誰かがステップの中央を陣取れば、後ろから昇ってくる人がそこで止まることになり、渋滞が発生するでしょう。
どうして、このような意味のない放送が垂れ流しされているのでしょうか。
駅長の立場で考えてみましょう。
何か事故が発生したとき、
「安全強化のための放送もやっていたのですが。。。」
と言うため。
私には、これ以外の理由が思い浮かびません。
日本には、本当にこの種のモノが多い。
公園の立て札、「中学生以上のボール遊び禁止」もそうですね。
誰も、この立て札によって行動が制限されたり抑止されたりするとは思っていません。
道路の制限速度ですら、教習車以外にこのルールを守るクルマがあるとは誰も思っていない。
日本では、何から何までと言いたくなるほど、アチコチで「子ども扱い」が横行しています。
駅のプラットフォームで電車を待っていれば、どこを歩いてはいけないかを何回も教えてもらえます。
バスに乗れば、何につかまっていなければいけないかを、停留所のたびに思い出させてもらえます。
みなさんもそうだと思いますが、私も、もはや、日本のこの文化、慣習と戦う気がありません。疲れるだけ。
ただ、日本は「どうしようもない」として、会社にこれを持ち込んではいけませんよね。
こんなことはないと思いますが、もし、本部の指示が「誰もそのようにやるとは思えない」ものになってしまってはいけません。
当社の場合、「指示の垂れ流し」などはもってのほかですから、エスカレーターの放送垂れ流しと異なり、キチンと回収します。つまり、「そのようにやっているかどうか」を定量的にチェックすることになります。
これで本部が満足してはいけませんよね。「みんなキチンとやっている」と。
「誰もそのようにやるとは思えない」ルールは、「しかし、本当にそのようにやらねばならない」場合をのぞき、ルール策定側の人間の自己満足に陥る危険性があります。
駅長の「安全強化目的で放送しています」と同じ。
しかし、ルール策定側の人間に聞いてみると、「いや、本当にそのようにやらねばいけないのですよ」と言うでしょう。そう言わなければ、そう思わなければ自己否定になってしまいますから。
ここで考えていただきたいのは、「本当にそのようにやらねばならない」のは、エスカレーターなら、ステップの中央に乗ることなのでしょうか、ということです。
本当の目的は危険回避、安全強化です。
ステップとステップの隙間に、靴や裾やカサなどがはさまれて思わぬ事故にならないようにしたい、というのが本当にやりたいことであるはずです。
メンドクサイから「ステップの中央に乗れ」と言っているわけで、乗客の方もメンドクサイから「はいはい、わかりました」みたいな顔をしているだけでしょう。
私たちの組織も、そろそろ次の段階に進みたいと思います。
本当にやりたいことの意味をみんなで共有し、それを徹底する、追及する。
当社は若い人の集まりではありますが、「子供扱いしている限り、大人にはなれない」ことも真実であるはずです。
2007年9月18日 エレベーター
エレベーターの中でのマナー。やさしいようで、案外、むずかしいですよね。
東京・西新宿の高層ビル。
当社グループの事業所がある、とある高層ビルですが、このビルのエレベーターを使うとき、よく、マナーのことが気になります。
このビルには、とある某社が入っています。当社同様、若い人の多い会社で、同じエレベーターにたまたま居合わせたとき、ちょっとドキッとすることがあります。
わかりやすく言えば、傍若無人。傍らに(かたわらに)、人、無きが若し(ごとし)。
せまい箱の中に、自分たち5名、その他の人1名の場合、その他1名の存在が無視されてしまうのでしょうか、あたかも自分たちだけがそこに存在するがごとしで、自社の話を声高にしゃべっています。途中、大笑いアリ。
たまたま、私自身、こういったケースでの「その他1名」に数回なってしまった経験がありました。
こういったとき、いつも感じることですが、「当社は、こうではないはずだ」と。
東京・大手町でのできごと、その1。
これから昼食に向かうという時間帯、エレベーターの中もややリラックスした雰囲気が漂います。
「どこ行く?」
「1Fで降りる? それとも地下?」
といった会話が、私の右側の人と、私の左側の人の間で交わされました。私という障害物をよけながら、あるいは、障害物をものともせずに。私は思わず、
「地下2F!」
と言いそうになりました、左右に向かって。
ちなみに、地下2Fは駐車場があるだけです。
このときも「当社は、こうではないハズ」と思いました。
東京・大手町でのできごと、その2。
このビルの高層階に向かうエレベータは、とある銀行と当社が多数派を占めます。
つまり、高層階には他の会社もありますが、人数で言えば、某銀行と当社が多い。
あるとき、箱の中に、その銀行と当社が半々ぐらいで勢力をわけあっていたとき、ある階で当社の人がみな、降りました。私を除いて。
銀行の人から見て、私が「当社っぽくない」せいかどうか、すっかり当社がいなくなって銀行員だけになったと早合点してしまったのかもしれません、誰かが、
「やれやれ」
と嘆息をつきました、声に出して。
「落ち着けよ、オマエら、みたいな」
と、ここで爆笑ではないけど、みんなが笑いました。私を除いて。
スピード優先の当社ですから、「従業員はみな、いつも走っている」みたいな印象があるのかもしれませんね。
そのとき箱から降りていった当社のみなさんは、決してマナーが悪かったわけではありません。客観的に見ても。
私は、むしろ、箱に残った銀行員の方たちに「ご注意あそばせ」と言いたかった。
だって、その他1名がまだ箱にいたのですから。
転職して当社に入った私から見て、当社のマナーは悪くありません。
さすが、採用の際の「目」と、入社後の教育・指導が徹底しているのだなと感じることの方がむしろ多い。
一つだけ気になるのは、乗り降りの順番などに当社内の「序列を反映させる局面」です。
つまり、当社のエライ人が乗り合わせたとき、その人を先に降ろそう、乗せようとする。
箱の中が「当社だけ」の状態であれば、美しいこの情景も、たった一人でも「その他の人」がいれば、滑稽にさえ見えてしまうことがあります。特に、混み合った箱で、当社の序列を優先するあまり、乗り降りのイベント全体が明らかに非効率の場合。
たとえば、奥の方にいるエライ人を先に降ろすために、入口近くの数名が降りずに待っている。奥の方から降りるには少し時間がかかるので、箱の中の全員の神経が降りる一名に集中する。「降りた」「さぁドアを閉めよう」と思ったら、後からゾロゾロ数名が降りていく。先に降りてしまえば、もっとスムーズなのに。
これ、箱に残った人から見れば、ちょっとヘンではないでしょうか。
エレベーターや電車の中など、「社会の中」で優先すべき序列、あるいは価値観は、お年寄りなどを先に、ということだと思います。
小さな社会である、エレベーターの箱の中。
マナー良く、かつ、スマートでありたいものだと思います。
そして、颯爽としてスピーディな私たちは、ちょっと落ち着きがないなどと見られたとしても、気にすることは全くありません。
2007年9月19日 マネジメントとリーダーシップ
外来語の中には、日常的に使われるがゆえに、ニュアンスでは理解しているものの、その言葉本来の意味などを追求せずに使われるものが出てきます。
マネジメントmanagementは、動詞manageの名詞形です。
この言葉の本来の意味と、日本で使われているニュアンスにちょっとした違い、あるいは違和感があるかもしれません。
「マネジメントを日本語にすると?」
というクイズがあれば、
「管理」
と答える人が多いのではないでしょうか。
英語manageの意味というか、ニュアンスには「結果として何とかする」「やりくりしてやり遂げる」「帳尻を合わせる」といったものが強く込められています。
つまり、管理するというプロセスや行為を表現するよりも、結果に着目しています。
英語の学習になってしまいますが、
She tried to make a smile.
She managed a smile.
という2つの例文を考えてみると、よくわかります。
上の例文は、「微笑もうとした」という努力に着目しています。結果として、微笑を見せることができたかどうかは分かりませんし、この文章では問いません。「しようとした」ことに力点を置いている場合、この表現を使うことになるでしょう。
一方、下の例文は「何とか微笑した」「微笑をひねりだした」といったニュアンスであり、努力の大小は置いておいて、結果として微笑を見せたことに注目しています。
つまり、マネジメントとは結果を出すことなのです。
結果を出すために、やりくり算段し、数々の問題をクリアし、あるいは無視した問題点や先送りした問題点だってあるかもしれませんが、結果としてやりとげることを言います。
もちろん立場や役割によって、出すべき結果は違うでしょうし、やりくりの方角も異なるでしょう。しかし、結果を出すということは共通なのです。
もう一つの外来語、リーダーシップ。
こちらは英語の意味ではなく、学術用語としての意味、定義をちょこっとご紹介します。
リーダーシップという言葉の使い方として、
「小泉サンという人にはリーダーシップがある」
「安倍サンという人にはリーダーシップがない」
などと日常的に使われることが多いと想像しますが、学術的にはこの言葉、ある人物の属性とか特徴とか力量を述べるのではなく、ある状況に対して述べられるものだそうです。
つまり、
「今の自民党には強いリーダーシップが必要だ」
といった場合、強いリーダーの存在はもちろん必要ですが、そこに、リーダーのもとに挙党体制を築くだけの周囲の思考ならびに言動の状態が必要なのです。
敷衍(ふえん)すれば、つまりもっとわかりやすく言えば、リーダーとその他の人の間に、ある方角に向かって進む強い絆があり、それが機能している状況を、リーダーシップが発揮されている、と表現します。
小泉サンという人物が、いかなる状況においても、誰に対してもリーダーシップを持っているというワケではありません。
たとえば、「家庭ではリーダーシップを発揮できない」ということもあるでしょう。実は私もそうかもしれない。
ある組織のある状況において、リーダーシップが必要かどうか、強いリーダーシップが必要かどうかを、考えてみることには意味があると私は思います。
そして、リーダーシップの方角や表れ方についても、その組織や状況に応じて変わってくるべきではないかとも感じています。
いかなる組織においても、いかなる状況においても強いリーダーシップが必要である。それも、独裁者のごとき強さが必要である。
「本当ですか?」と私なら問います。
いかなる組織においても、いかなる状況においても、強いリーダーシップは独裁政治のような結果をもたらし、ないほうがよい。
これにも「本当ですか?」と言いたくなります。
あなたの属する組織の状況は、どんなリーダーシップが、どの程度あるのが理想なのでしょうか?
2007年9月20日 学びの段階
ちょっと頭を切り替えて、自分のこれまでの成長と、これからの成長について考えてみていただきたいと思います。
「一人前」という表現があります。
この言葉のニュアンスは、みんなが普通にできることをできるようになった。あるいは、みんなが常識として知っているようなことが身についた。こういったニュアンスですよね?
一方、「一人前」になる前の段階を「ヒヨッ子」などと呼んだりもします。
ヒヨッ子が一人前になることを第一段階と呼んでみたいと思います。
第二段階は、その仕事で一人前になった人が、その仕事の前後の仕事を含め、一連の業務というスコープで物事を考えることができるレベルになることです。
表に出ている営業のメンバーなら裏方の業務を理解する。裏方の業務のメンバーなら営業の苦労やポイントが理解できる。
こうして、一連の業務、一連のサービス、あるいは一つの事業というスコープで物事を考えることができるようになります。
第三段階は、「自分たち以外」の視点を持つことができるレベルです。
このサービスを受けているお客様の視点に立つ。他の業態ならば仕入先の立場に立って考えることもこのレベルです。
第四段階は、「社会」や「経済」の視点を持つことができるレベルです。
私たちの産業は、何を付加価値として経済、社会に提供しているのでしょうか。付加価値の見返りが、当社が頂戴する利益であるわけで、付加価値がなくなってしまったら存在意義を失ってしまいます。
この視点で物事を考えることができれば、監督官庁の立場を理解することもできるでしょうし、法規制の意味や、自由競争の範囲を体感することもできます。
第五段階は、世界の中に自分たちを位置付けることができるレベルです。
私たちがなぜ、このようなやり方で事業を進めているのかを、日本の文化や制度、歴史に関連付けて説明することができることがこのレベルです。
たとえ、海外に進出しないとしても、このレベルに至ることができれば、日本市場を客観的に見ることができます。
私は、当社に入社された方は誰もが、一定期間で第三段階まで進んで欲しいと思いますし、それができるものとも考えています。
自分あるいは自分の部署と関連をもつ関係者全員に向けた関心を持つことによって、第三段階までは進むことができると考えるからです。
一方、第四段階と第五段階は、普通に仕事をしていても進むことができません。
これは当社に限ったことではありませんが。
常に外の世界に関心を持ち、外から中を見るような思考方式を身に付けないと、第四段階以上へ自分を持ち上げることができないと思います。
1つの会社の中がすべて第三段階以下の構成員で占められていたとすると、社会の変化、市場の変化で、船が丸ごと沈没してしまうようなことにもなりかねません。
第四段階より上に。
まずは、それを希望する人を発見するところから始めたいと思います。
2007年9月21日 勝ち馬に乗る
間もなく自民党総裁選。
福田さんか、麻生さんか。
ここで、どちらが勝つだろうかとか、どちらが勝つべきかを言うつもりはありません。
それよりも気になるのが、「勝ち馬に乗ろうとする」人たちの言動です。
つまり、勝つ方に味方する。
戦国時代であれば、どちらにも大して義理がない場合など、勝つ方につくか、負けそうな方につくかによっては、その後が大きく変わってきますから、「勝ち馬に乗る」ことは、「お家安泰」のためとか自己防衛目的では大切なことではあったでしょう。
あるいは、バクチの世界とかなら、「勝ち馬に乗る」ことはむしろアタリマエかもしれません。
しかしたとえば、政治の世界で「勝ち馬に乗る」という発想は、「そのほうが大臣のイスが回ってくる可能性が高い」といったレベルのように見えてしまいます。
私が以前いた会社で、勝ち馬に乗る名人がいました。
つまり、出世しそうな上司を選んで、特に仲良くするとか。
あるいは、出世が見込めないと思ったら、他に乗り換えるとか。
今回、ここで述べたいことは、「勝ち馬に乗る」ことと、自分が「勝つ」ことは違うということです。
そもそも、バクチの話ではありませんから、「勝つ」ということ自体の意味がむずかしい。出世することが本当に勝ちを意味するのかどうか、わかりませんよね。
そしてさらに、出世が勝ちを意味するとしたとしても、勝ち馬に乗るスタイルで当初、勝ちを納めていた人は、結局、最後の大勝負には勝てないだろうと思うのです。
そしてその理由は、「勝ち馬に乗ってきたから」だと私は思います。
もし私が、ある二人のどちらを登用するかを迷ったら、迷うほど実力が拮抗していたとしたら、勝ち馬に乗って来なかった方を選びます。
勝ち馬に乗らずにそこまで来た人のほうが、この後、何かをやってくれそうな気がしませんか?
2007年9月25日 投資、できますか?
株式投資とかの話ではありません。
自分の成長などを目的とした投資、自分に対する投資の話です。
高校生のときに習った世界史や日本史、物理学、化学などの内容をおぼえている人はあまりいないと思いますが、もし、高校生のときに学んだ知識や、理解した事柄をそのまま保持していれば、大人になった今、かなりの教養人として通用するはずではないでしょうか。
もちろん、高校生のときの学習内容を保持し続けるなどということは、容易ではないし、意味があるかどうかもわかりません。むしろ、それをキッカケとしてその後、より広くあるいはより深く学ぶということに意義があると言えるでしょう。
つまり高校生のときの学習内容は、そのとき試験に役立つということよりも、むしろ、将来のために役立つものであると考えられます。
将来のために今、あえて苦労する。あえてエネルギーを投入する。
自分に対する投資というのは、そういったものだと思います。
高校生のころ、将来のためと思って勉強していた人は少ないと想像します。
それどころではなかったのではないでしょうか。
それでは今も、「それどころではない」状態が続いていますか?
人間はある意味で弱いものであり、努力と、成果や効果の間に時間的ギャップがあると、なかなか努力を継続することができません。
たとえば、ダイエットなどでも、1週間とか2週間で効果が表れないと、やめてしまう人も多いのではないでしょうか。1年たったら効果が出始めるといった方法が注目されることはありませんね。
投資は、将来を見据えて、今やっておこうと考えて実践するものであり、多くの人や組織は、多くの場合「今はそれどころではない」という理由で投資することができません。
「将来は、ああなりたい」と考えても、そのために「それでは今、これをやっておこう」という行動にはなかなか結びつかないものなのです。
たとえば運動。
運動は食事療法に比較して、効果が認識できるまで時間がかかります。筋肉がつくということもありますから、体重計を見て実感できるまでには相当な時間を要します。
しかし、代謝が変わり、体型が変わるのは食事療法よりも運動のほうが効果が大きい場合が多い。効果を実感するまでには時間がかかるが、しかし、効果はホンモノであり持続する。
たとえば読書や新聞。
今日とか明日に使える材料を求めて本を読んでもなかなか効果はありませんが、日々の読書が蓄積されて、知識や人格すらも形成されていきます。
読書の習慣は将来に向けての大きな投資になりますが、多くの人は多くの場合、今はそれどころじゃないといった理由で読書ができません。
たとえば敢えて困難な仕事、役割に手を挙げる。
今、ヒマではないので、敢えて、困難な仕事を背負い込むことは普通やりませんよね。しかし一方で、少数ではありますが、「みんながいやがるから敢えてやる」という人がいます。あるいは「むずかしそうだから敢えてやる」、「自分を鍛えることになるから敢えてやる」、「今の自分にはできそうにないから敢えて挑戦する」といった考えの人がいます。
こういった人は、自然に、投資するという行動様式が身についている人です。
投資ができない人は、成長が見込めない人でもあります。
ボンヤリ生きていれば何となく成長するというのは、実は、仕事や生活にただ単に慣れてくるだけのことであって、時間の経過ほどには成長しないものです。
人生は一度だけ。
どんな人生を歩むかを決めるのは、自分自身です。
2007年9月26日 よこはいり
順番待ちをしていて最も不愉快なこと。横入りの話。
まず、昔話から。
私が小学生低学年のとき、よく肉屋にお使いにいきました。
シャイだった当時の私ですが、さらに買うものがちょっと恥ずかしいものだったので、なおさらシャイだった。
金持ちとは絶対に言えない家庭の状況から、私のお使いは「細ハム200グラム」が最も多く、次が「豚コマ200グラム」。
細ハム(コマハム)とは、ハムをスライスしたときに出る、端っこを細切れにしたもので、様々な種類のハムが混じっている。100グラム30円だったので、我が家にとっては貴重な動物性たんぱく質だった。なお、40年以上前の物価です。
一方、豚コマは、豚肉の中では最安値であり、バラ肉のうちで形の揃わない部分を中心に細切れにしたもので、100グラムが65円ぐらいであった。
「なかや」という名前の肉屋で順番待ちをしていたシャイな小学生は、必ずと言ってよいほど、オバサマたちから順番を抜かされた。
「次はボクの番だ」と思っているときに、横から「中肉200もらおうかしら」とか言いながら図々しいオバサマが横入りしてきたものだ。
ちなみに中肉(ちゅうにく)とは、豚肉の中で、豚コマ、バラ肉、カレー用の次に安い肉で、その上に、上肉、酢豚用、特上肉、特撰肉、銘柄肉とあったので、セレブっぽく「もらおうかしら」といったレベルにはないのだった。
ところが「なかや」のイケメンおにいさんは大したもので、必ず、順番どおりにボクから注文を聞いてくれたのだった。「もらおうかしら」のオバサマには「ちょっと待ってください」と言って。
オバサマは「あら、ごめんなさーい」とか言うけれど、横入りは確信犯であり、「気が付かなかったわ」というのは「絶対にウソだ!」とボクは思っていた。
この、横入りを絶対に許さない「なかや」の姿勢は、小学生のボクに大きな感動を与え、その後、私を「絶対に横入りを許さない男」にしたのだった。
昨日、福岡出張の帰りで、夕方、羽田に着いた。
福岡での昼食に時間が割けなかったせいで、空腹で羽田に戻ってきた私は、空港のレストランで食事をしようと考えた。
最初に入ろうと思ったのがイタリアン。サラダとパスタでいいやと考え、入口で待っていたら、三人組のオバサマたちが、「やっぱりイタリアンかしらぁ」とか言ってズカズカ入っていこうとする。店員が「何名様ですか」と聞いたとき、私は店員を睨んだ。つまり「オレの方が先だ」という意味で睨んだ。しかし店員はオバサマ三名を優先させたので、私は「それならオレはこの店には入らない」という意味の視線を送って、その店を去った。
店員は順番を間違えたことに気づいたが、もう遅い。
というよりも、お客様をお迎えする順番を店員が間違えたので、その結果としてお客様を失ったという経験を、私は、どうしてもその店にさせたいのだった。
二軒目。中華。
チャーハンでいいかと思って入ろうと入口で待っていると、ここでもオバサマ3名が「小龍包かしらぁ」とか言ってズカズカ入ろうとする。
ここでも店員が「何名様ですか」をやったので、私は睨んだ。すぐに気づいたその店員は私に向かって「一名様ですか」と聞いたが、私は無言で「一名だが、順番を抜かされたので、それを理由にこの店には一生来ない」という意味をこめて店員を睨み、その店を去った。
中華も食べそこなった。やれやれ。
さて、店は反省するだろうか。
「あんたの配慮が足りなかったせいで、オレという客を失った」という顧客の明白な意思表示が、その店を少しでも変えるだろうか。
当社だったらどうだろう。
たとえば、登録に見えたスタッフさんに何か、不満足を来すようなことをしてしまって、そのせいでそのスタッフさんが当社から離反してしまったとき、私たちは反省することができるだろうか。あるいは稼働者に対して。
それとも「一定の割合でああゆうことはあるんだ、気にするな」と自分に言い聞かせて、次の日になったらすっかり忘れているようなレベルだろうか。
2007年9月27日 奈良公園の鹿に負けるな
と思ったわけでもないでしょうが、鹿で有名な奈良公園に生えるイラクサという植物、葉が鹿のエサになっている植物ですが、なんと、進化して葉にトゲを増やし、食べられないように頑張っている?という記事を新聞で読みました。
同じ奈良県の他の地域のイラクサの葉に比較して、50倍もの数のトゲトゲを持つ葉に進化した、ということです。
奈良公園の鹿は、1000年以上もあそこに生息しているということですので、長い時間をかけて進化してきたものだと推測されています。
さて、進化。
植物が、鹿に食べられないように「考える」ということは、考えにくいですよね。
どうして、トゲがたくさんある葉に進化したのかを推測してみたいと思います。
中学校の理科で習ったと思いますが、「突然変異」というものがあります。
「突然変異はなぜ起きるか」は極めて難しい問題で、なぜだかはわかりませんが突然に起こるものです。ただし、突然変異した個体が環境に合わなければ、その個体が強い子孫を残すことはなく、まさに突然あらわれて突然消えるといったことになるでしょう。
おそらく、奈良でまだ蹴鞠(けまり)が行われていたころに、普通よりちょっとだけトゲの多い葉が突然変異で現れたのでしょう。トゲトゲの葉は鹿が嫌がりますから、この葉は食べられることなく生き延びた、つまりこの葉を持つ株が生き残ったということになります。となりの株も生き残ったけれど、普通の葉を持つゆえにそのほとんどが食べられてしまった。葉を残した方の株は、秋に落とした葉が養分になり、次の季節にはまた元気良く成長する。葉を食べられてしまったほうの株は何となく弱弱しく冬を迎える。
こうして、トゲが多いほうが環境に合うという理由でたくましく育つのです。
鎌倉幕府が開かれた頃には、トゲが多い方が勢力を増していて、トゲが少ない方は青息吐息。
応仁の乱の頃までには、さらに次の突然変異が起き、トゲがより多いものが元気となっている。
このようにして、時間の経過とともに、トゲが増えていったものと想像できます。
もしかすると、他にも突然変異があったかもしれません。
たとえば、鹿にとって「マズイ味の葉」を持つ個体が現れたかもしれない。私の勝手な想像ですが、このマズイ味の葉は、実は栄養価の低いものであり、落ちた葉が肥料になったときに有効ではなく、つまり、この突然変異は、この環境に合わなかったので、子孫が栄えなかった。
たとえば、鹿が届く下のほうには葉を着けない個体が現れるという突然変異もあったかもしれないが、成長の過程で葉をつけない個体はありえないので、子孫は全滅した。
突然変異は、滅多にないことというよりも、しょっちゅう起こっていることと考えたほうが、実はよいのです。
ただし、環境に合ったものだけが生き残り、そうでないものはすぐに消えていってしまう。だから、我々が気づく突然変異は少なく、「なんで突然?」と疑問に思うのです。
生物にとって生きる環境は常に変化し続けているので、頻繁に突然変異が発生し、より環境に合ったものがより強く生き残るという方式の方が優れているということです。
従って、あるタイミングでその種を見れば、いくつもの突然変異が進行中だったり、あるいは消え行く寸前だったりするわけで、いかなるタイミングでも多様性を抱えているということになります。保持している多様性の中で、最も環境に合致したタイプがそのとき多くの強い子孫を残すことができ、繁栄する。
当社に入ってくる新入社員は、すべて突然変異だと思ったほうがよいでしょう。
というよりも、人間は組織の中で生み出す付加価値がすべて人によって異なるので、従業員全員が何かしらの突然変異だと思ったほうがよいぐらいです。
しかし、当社という環境に合わないと繁栄しない、あるいは去っていく。
こうして、当社に限らず、いかなる組織においても、ある文化なり価値観なりを共有する人間の集まりとなっていくのです。
しかし突然変異を許さない組織は、環境変化に対応ができずに滅んでいきます。
同様に、起きた突然変異である、あなた自身は、環境に負けてしまえば、「マズイ味の葉」を持つイラクサのように、「意味のない変異」ということで、子孫、いや、後継者あるいは賛同者を作ることができません。
変化できる組織、変化を継続できる組織というのは、実は、決して簡単に作れるものではないのです。
2007年9月28日 My work is done.
作家の城山三郎さんが、晩年、講演などで頻繁に引用されていたという話を読みました。
英国19世紀の経済学者と呼ぶべきか、哲学者と呼ぶべきかわかりませんが、有名な、ジョン・スチュアート・ミルの言葉、「My work is done.」。
いきなり余談ですが、私は若い頃、岩波文庫を読みまくりました。
赤い帯が外国文学、草色の帯が日本文学、黄色は日本の古典文学で私には無縁でしたが、白が経済学、法学、青が哲学だったと記憶しています。
J.S.ミルは私の記憶では白帯が目立ったようなので、経済学者と呼ぶべきなのかもしれませんね。
直訳すれば「私の仕事は為された」。
「私の仕事は終わった」と言ってしまうとニュアンスがちょっと違う。「もう自分の出番ではない」といった意味がちょっと入ってしまいますよね。
「私の仕事は完了した」でも違う。学者は「自分の理論は完璧だ」とは考えないハズですから、完了したとか完成したと訳したらいけないと思う。
従って「為された」といった表現が最も原文に近いニュアンスだと思いますが、「為された」などとは日本語ではあまり言わない。ここが翻訳のむずかしいところですね。これ余談。
ミルが「My work is done」と言ったときの表情を想像してみたいと思います。
また、城山三郎さんが「ミルのようなセリフを言いたい」と考えた心情をも併せて想像してみたいと思います。
「自分の仕事」あるいは「自分の役割」あるいは「何のために自分は生きているか、生きてきたか」について、明確な考えを持っていたに違いありません。
その考えを持っていたというだけでも、尊敬に値します。
そして、かなりな程度まで、それを実行し抜いたという確信を持てたからこそ、あのようなセリフが言えたのであり、あるいは、あのセリフを言いたいという気持ちになれたのでしょう。
私自身、ここ、スタッフサービス・グループでの「自分の仕事」がようやく見えてきたように思います。
私の専門はIT、すなわちコンピュータの方角ですが、私が考える自分の仕事は決して「システムを作ること」ではないと考えています。
私の仕事は、みなさん一人一人に、より広い視野で、より深く考えていただくこと、そのお手伝いをすることだと今、感じています。
私も城山三郎さんのように、いつか「My work is doneと言いたい」と考えています。
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