2007年10月12日 ありがとうの重み
あなたは「ありがとう」の重みを知っていますか?
「ありがとう」の重みを感じたことがありますか?
78歳になる私の母は、アルツハイマー病を患い、3月から認知症患者を専門とする老人医療施設に入所しています。
入所前、ケアマネージャから「安全のために施設入所すべきだ」と聞いた頃は、健脚だった母はあちこちを速足で歩きまわり、家族がよく探しまわったりしました。私は、仕事を早退させてもらって探しに行ったことも、対外的な懇親会を抜け出して探しに行ったこともありました。
そんな母でしたが、入所してから、病気の進行が身体にも及んだのか、あるいは単なる老化現象なのか、いまでは立ち上がることにも手を貸さねばならなくなりました。
そして、身体の衰弱が、脳への刺激を減少させているのでしょうか。脳の働きが急速に弱まってきています。
今では、毎週日曜日に来所する私を認知するにもある程度の時間がかかるようになりました。また、母との間で意味の通じる会話をすることがかなりむずかしくなりました。
そんなこともあり、私が母に掛ける声が、いわゆるワン・パターンになってきました。
つまり、同じことばかりを何度も何度も話しかける。
母が即座に、そして私の思ったとおりに反応してくれる言葉が、限られてきてしまいました。
3時間程度の逢瀬の中で、私が何度も何度も繰り返す言葉は、
「お母さん、昔はよく働いたよね」
です。
父が事業に失敗したことをキッカケに、母は、派遣で働き出しました。
「派遣法」ができる前のことです。もちろん、当社の設立以前のことです。
有限会社○○配膳所といった名前の派遣元から、主に結婚式場に派遣され、披露宴で料理を運んだりすることを主な役割としていました。
余談ですが、私は学生時代、同じ派遣元から、皿洗いや飯炊きとして派遣された実績?を持ちます。
「お母さん、昔はよく働いたね」の言葉に、母は即座に反応してくれます。
「お母さん、子供が三人いたよね」には「そうだっけ?」と返す母ですが、先の言葉には即座に「そうだねぇ」と応えてくれるのです。
私が「重いものを一人で運んだり」などと言えば、母は昔を思い出したような目をしてくれます。面白いことに、そのあとで「あのころ子供が三人いたでしょ?」には「そう、そう」と答えてくれるのです。
入所したばかりの春のころには、徒歩10分ぐらいの距離にある公園まで、ゆっくり15分ぐらいの時間をかけて一緒に歩いていき、そこで小さな子供たちが遊んでいるのをながめたりしたものです。
夏の暑さが厳しくなると、公園までクルマで行き、公園の中を一緒に歩きました。
ところが秋の涼しさが訪れると、涼しいよりも寒いと感じるのでしょうか、あまり外に行きたがらないようになりました。
そんなこともあり、最近では、施設の中を一緒に歩いたり、イスに座って話したりすることが多くなりました。
一昨日の日曜日、施設のロビーで時間を過ごし、まもなく夕食の時刻になるのでエレベータに向かって一緒に歩いていたとき、私が、
「どこか、行きたいね」
と言ったら、思いがけず母は即座に反応し、「そうだね」と答えてくれました。
私が「どこがいい?」と尋ねると、母は「どこだっていい」と答えました。
この「どこだっていい」を、「私と一緒ならどこだっていい」という意味と、「ここより楽しい場所ならどこだっていい」という意味の両方と理解した私は、涙を抑えることができませんでした。
間もなく別れの時間が来ることを意味するエレベータに一緒に乗ったとき、私は、母を抱き締めました。
ほんの10秒ぐらいでしたが、抱き締めずにいられなかった。
そのとき母が「ありがとう」と言ってくれたのです。
明るい声でした。
15年前、私の子供がまだ小さかったころ、孫を見せるために母のところに行った時の母の「ありがとう」が、そのまま蘇ってきたような、明るくしっかりした声でした。
私は心の中で「ぼくは百万倍のありがとうだよ」と言いました。
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