大船田園都市構想

大船駅から旧松竹撮影所あたりまでを大田区田園調布と同じような同心円とマス目を組み合わせた住宅地にする計画がありました。 大船田園都市株式会社が大正11年から分譲開始しましたが、価格が高くて売れず、会社も昭和三年に倒産してしまいました。 おそらく、この生き残りだろうと思われる住宅が下記です。この計画がうまくいっていて、近代建築がもっとたくさん残っていたら、 どんな素敵な街になっていただろうと思います。



小池邸(鎌倉市大船二丁目)

常緑樹に覆われ、冬でもよく見えませんが、フランス瓦葺き、下見板張りです。鎌倉市景観重要建築物指定第14号。昭和二年築。


小池邸右隣の住宅(鎌倉市大船二丁目)



小池邸斜め向かいの住宅(鎌倉市大船二丁目)


<参考文献>いずれも藤谷陽悦氏の論文
「大船田園都市株式会社の設立の目的と住宅地「新鎌倉」について」
「大船田園都市株式会社の新鎌倉住宅地について」
「夢と消えた大船田園都市構想」


鎌倉編へもどる