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| 【5月5日(土)】 | ||||
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| 朝、目が覚めると、テントにボツボツと雨が当たっている。あー、天気予報外れたな。面倒だな。寝ちゃおう。 8時過ぎに、ゴロゴロという音で、また、目が覚める。雷だが、結構、近いぞ。音が大きい。雨も土砂降りになってきて、外に出られない。登山なんて、とんでもない。携帯で天気予報を見ると、午前中は荒れ気味だが、午後は降水確率30%とある。雨雲レーダーを見ると、この辺りだけ雨が降っている感じ。わざわざ、雨のエリアを選んでテントを張っているよう。今日は、家に帰るだけだし、夜中に着いても構わない。明日はもう一日休みがあるし、今日は嫁さんもいないのだ。どうせ、東北道は渋滞もするだろう。やむまで、テントの中にいようっと。 でも、テントに当たる雨の音がうるさい。もう、寝ることもできず、結構、退屈。文庫本でも持ってくればよかったな。テントの天井を歩いている小さな羽虫を見ながら過ごす。でも、まぁ、こんなに無為な時間というのも滅多にないから、いいか。 しばらくすると、小降りになってきたようだ。外を覗くと、ほとんど、やんでいる。が、空は、黒雲の流れが速く、また、いつ降り出してもおかしくない。今のうちに、洗面とトイレを済ませよう。外に出ると、隣の車のキャンパーのテントがもうなかった。あの雨の中を撤収したのか。根性あるな。 用事を済ませてテントに戻って来る。牧場は、霧が流れて幻想的な雰囲気。緑が鮮やかで、目が気持ちいい。が、のんきに写真を撮っていると、ぼたぼたと降ってきた。テントの中に避難する。 また、雷が鳴っている。テントの中からも稲光が分かる。雨も、土砂降りになってきた。雷の音がだんだん大きくなってくる。と思っていたら、稲光と同時に空が割れるような凄い雷鳴。その直後に、ドドーンと地面を震わす重低音が響く。おー、怖えー。大丈夫か!?近くに木があるので、落ちてくる心配はないと思うけど、今のは近かった。こんな雷は久しぶり。走っていたら、もっと、怖かったろうな。停滞してよかった。 相変わらず、雨が激しい。テントを叩く雨の音がうるさくて、寝ることもできない。朝ご飯に、昨日買っておいたパンを食べるが、すぐ、終わってしまう。暇だー。でも、今使っているテントが登山用で、余計な心配をしなくて済むので、そう思えるんだろうな。 が、しばらくして、雷がやみ、雨も小降りになってきた。外を見ると、空も明るくなっている。今のうちに撤収だ。 |
![]() 土砂降りの雨も、ちょっと、小休止。霧が流れて幻想的
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結局、キャンプ場を出発したのは、11時半頃。時間は遅いが、このまま帰るのもつまらないので、遠野を経由するつもりだ。有名な観光地だが、まだ、行ったことがない。 もう、雨は降っていない。が、路面が濡れているので、カッパの下だけは履いている。小岩井牧場の前を通ると、入口を先頭にずっと渋滞が続いていた。1Km程だろうか。こんなところで、渋滞を見るとは思わなかった。 国道46号線に出て、盛岡市内に向かう。何度か走っている道路なので、途中で適当に道を変える。と、すぐのところで、路面が乾いていた。本当に、ピンポイントに、雨の中でテントを張っていたらしい。 しばらく走っていると、左側に見慣れない建造物が見えた。オートバイを停めて振り返ると、志波城古代公園と標識がある。せっかくなので、Uターンをして駐車場へ。 公園に近づこうとすると、受付から人が出てきてパンフレットを手渡してくれた。ここは、名前の通り、志波城の復元施設で、道路から見た見慣れない建造物は外郭の塀だった。当時は一辺が800m以上あったらしいので、もちろん、全てではないが、かなりの長さが復元されている。 門をくぐり、塀の内部に入ると、真っ直ぐの大路の先にも、門が復元されている。政庁の入口とのことで、よくここまで復元したなと思える程、規模が大きい。すぐ脇には、東北道が走っているのだが、今まで、全然、気がつかなかった。 志波城は、803年に築かれた律令政府の施設。当時の政府は東北に積極的に侵攻していて、ここは、その全線基地だった。また、加えて、大きな建造物で、朝廷の威力を見せつける意味もあっただろう。実際、今の自分が見ても、すごいなと思うのだから、当時の蝦夷たちは、さぞかし驚いたことだと思う。 が、設置後、すぐ近くを流れる雫石川の氾濫を理由に、10年で放棄されたらしい。計画性ないよな。 空は、薄日がさしてきた。塀の内側の草地には、黄色いたんぽぽが、あちこちに咲いている。鳴いている鳥も楽しげだ。春ですなぁ。宛てもなく道を選んだけど、なかなか、いいところに来れた。 道路に戻り、盛岡市内を抜ける。なんだか、走ったことがあるようなところだなと思っていたら、一昨日の仙台市内と雰囲気が似ている。ツーリングに来ると、一日の密度が濃いので、2,3日前のことが遥か昔のことのように思える。 国道4号線を経由して396号線に入る。ここからは、しばらく、南下をすることになる。 空が、再び、どんよりしてきた。たまに、ポツポツと水滴が落ちてくる。 |
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| しばらくは、交通量の多い普通の道路だったが、平地を離れ山間部に入ると車の数も減り、道の雰囲気が変わった。なんとなく、信州の杖突街道に似ている気がする。 少し走って、集落に入ったと思ったら、ワイナリーの案内がある。こんなところでワインを造っているとは知らなかった。さっきから、道路脇に果物畑があると思っていたが、葡萄だったのかもしれない。工場見学のようなことも書いてあるが、なんだか、停まる気がしないので、そのまま、走り過ぎる。 遠野に近づくに連れて、空が明るくなってきた。と、道路脇に、馬肉料理の看板がある食堂を発見。盛岡市内から、ずっと、麺類の店が多いなと思っていて、昼ご飯は、遠野ででも、ラーメンを食べたい思っていた。が、ここもよさそう。駐車場にオートバイを停めてから、カッパを脱いで、店内へ。 中はそれ程広くないが、もう、1時半頃なので、空いている。メニューを見ると、確かに、馬肉料理が多い。馬刺もあるなぁ。でも、酒をのむわけにもいかないので、いいか。ということで、桜カルビ丼を頼む。 遠野ではどこに行こうかと地図を見ながら待っていると、きました、きました。ニンニクの芽と一緒に炒めた馬肉が、ご飯の上に乗っている。ひと口食べると、味付けがしっかりしているので、あまり、馬肉という感じはしない。なので、特にくせもなく、おいしく頂きました。 ここは、食堂の隣が、地元産物の販売所になっているので覗いていると、行者ニンニクが置いてあった。北海道では、アイヌネギとも呼ばれていて、これが、うまいらしい。その代わり、においがかなり強烈と聞いたことがある。自分はまだ食べたことがないので、買って帰ろうかと考える。でも、今夜は遅くなるだろうから食べられないな。とすると、明日の晩ご飯か。でも、その翌日は、会社なんだよなぁ。と、散々悩んで、結局、諦めた。 ここは、「サンQ」という名前の店で、結構、楽しめました。 少し走って遠野市内に入ると、車が多い。道の駅の入口は、駐車待ちで、車が並んでいる。 |
![]() 桜カルビ丼 |
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![]() 伝承園の曲り家。御蚕神堂と中でつながっている
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遠野は、想像以上の都会だった。国道の両側には、日本中、どこにでもある全国チェーンの店が並んでいる。大分、イメージと違う。 まづは、伝承園というところに向かっている。途中、道を間違えたりしながらも、近づくと、人が多い。敬遠したい気もするが、他に行く宛てもないので、駐車場にオートバイを停める。 入場料を払って、中に入る。パンフレットに目を通すと、ここは、遠野のかつての生活を伝えるために、家屋の移築・展示を行い、いろいろな体験もできるようだ。興味があるのは、おしらさまと佐々木喜善記念館かな。今回は、遠野に来る予定はなかったので、全く下調べはしていない。ツーリングマップルに大きな字で出ていたので来てみただけで、どういう施設かは知らなかった。そもそも、遠野物語も読んだことないし... 園内も人が多い。まづは、おしらさまを展示している御蚕神堂を目指す。と、思ったら、曲り家と繋がっているので、靴を脱いで曲り家の中を通らないといけない。ブーツは、脱ぐのが面倒なんだよな。 曲り家の中に入ると、いきなり、馬を飼うスペースがある。馬なので当り前だけど、意外と大きな空間だ。部屋に上がって、御蚕神堂に向かう。 ちなみに、おしらさまとは民俗信仰の神様で、その御神体は、先端に人や馬の顔を書いたり彫ったりした芯木に、布きれを何枚も重ねて着せたもので、二体一対が基本。東北一円に、同様の形式があるらしい。 御堂の手前には、その由来の説明があり、遠野物語から娘と馬の人獣相姦の物語が引用されている。入園券にも、以下の言葉がある。 「その昔、農家の娘が飼馬に恋をした、 怒った娘の父親が馬を殺したところが 馬と一緒に娘も天に昇り、オシラサマになった。 オシラサマは農業の神さま、馬の神さま、あるいは、 蚕の神さまだとも言われている。」 最後の蚕というのは、蚕の顔が馬と似ていることと、父親が馬を蚕のエサになる桑の木につり下げて殺したところから、推察がされているようだ。 ただ、この辺りの解釈はいろいろあるらしく、「日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る 実際の御堂の中には、所狭しと、おしらさまが並べられていた。さすがに、千体も並んでいると、ちょっと、不気味な気もする。が、それよりも、観光施設っぽい感じがして、イマイチなんだよな。有料で、願いを書いた布きれをおしらさまに巻き付けることもできるとある。 まぁ、それでも、本物を見ることができたのはよかった。一体一体を見ると、30cm程の長さの芯木に、人や馬の顔が削られている。へー、こういうものなんだ。 佐々木喜善記念館には、柳田国男に遠野物語の昔話を聞かせた佐々木喜善の情報がある。当時の関係者には、柳田国男に加えて、折口信夫や中山太郎、ネフスキーの名前がある。まさに、民俗学の黎明期。 伝承園の外に出ると、目の前の道路の反対側に人の流れができている。カッパ淵が近いらしい。何かは知らないが、名前だけは聞いたことがあるので、行ってみる。 歩いている途中、ホップの畑があった。キリンのロゴがある説明の標識には、遠野は、日本一のホップの生産地とある。知らなかった。 お寺を通り過ぎると、小川を渡る橋に出た。ちょっと先に人が群がっている。その辺りがカッパ淵らしい。こじんまりとした川で、どちらかというと小川という感じ。川辺には小さな祠があるだけ。人がいなければ、のんびりしてよさそうだが、これだけ人がいると、なんとも白ける。早々に引き返す。 来る時は通り過ぎるだけだったお寺は、常堅寺という名称。山門を見ると、大きな仁王像が二体立っていた。が、どこか、遠近感が変。妙に顔や手が大きい。あまり、強そうな気がしない。というか、弱そう。 「見仏記」(いとう せいこう・みうら じゅん、角川文庫)でも、東北の仏像に関して似たようなことが書いてあった。それを、みうらじゅんは、仏像を造るために京都に行って実物を見てきても、帰ってくる間に忘れてしまうからとおもしろおかしく分析しているが、東北はおおらかだよなぁ。 だけど、自分は、何故か、こういうものに、とても、魅かれてしまう。ここにこそ、リアルな事実がある気がする。この辺りは、自分が民俗学に興味があるのと、根が同じなのかもしれない。 |
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| さて、もう、3時半だ。最後に、ツーリングマップルに出ている北川のおしらさまを見て帰ろう。本物のおしらさまを見てみたい。 が、地図に印のある辺りに行っても見当たらない。道端の地図を見ても、それらしきものはない。時々、ツーリングマップルには間違いがあるので、仕方ないか。 ちなみに、自宅に戻ってから調べると、場所が間違っていたわけではなく、おしらさまがあるのは通常の民家で、訪れてくる人には公開をしているということで、案内がなかったようだ。 せっかくなので、遠野市街を経由すると、クランクだらけ。昔の街並が残っているということなのだろうか。 その後、国道107号線で、北上市内に向かう。市内に入る頃には空はどんよりとしてきて、時々、水滴が落ちてくる。また、カッパは着たくないなぁ。 結局、5時過ぎに北上金ヶ崎インターから東北道に入る。南下をすると、空が明るくなってきた。降られなくてすんだ。 あとは、車の多い中を、ひたすら、走り続ける。9時を過ぎても、まだ、宇都宮の手前で渋滞があったが、やり過ごし、駐車場に着いたのは、日付の変わった0時半頃。走行距離は、1,700Kmちょい。途中、安積PAを過ぎたところで、累積の走行距離が50,000Kmになった。ほぼ、まるまる7年かかったけど、まぁ、こんなものかな。結婚する前は、1年で10,000Km以上走っていたけどね。 翌日は、くたびれて、一日、ゴロゴロしてました。 |
![]() 遠野市内は川沿いに桜が咲いていた。満開のちょっと過ぎくらいか。 信号待ちの間にパチリ |
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