
6.月の恩寵を受ける者
烟るマンションの屋上は、暗闇を支配し始めた女王を一時的に煙月として穢す。
ヴァンパイア達が自由になる夜を、導いてくれる主として崇めるその姿が霞んだ事に不快と訴えるかのよう、ノスフェラトゥは片目を眇めた。
「流石は問題児様だ、まぁたどやされますよ。」
「止める役が遅いのが悪い。」
嘆息に混じる楽しさを隠さずにヴァンが冗談っぽく咎める視線を寄越すと、ばつの悪さからノスフェラトゥも、とてもとても遠回しの非を認める。
とば口から吹き飛ばされた哀れな一室と、そこに横たわる二体の亡骸さえなければ、二人の戯れはつい数分前に行なわれた処罰を微塵も感じさせない。
「愛満ちゃんとして普通の女学生らしく振舞っているノースは面白かったんですけど、ボロが多くて。」
「それだ。なんなんだあの、北月愛満という名前は?」
話題転換の矛先を見つけたという好機と、予々聞きたいと思っていた疑問とが混ざり合って、ノスフェラトゥは食い気味に飛びつく。
ヴァンは改まって問い返されると思っていなかったらしく、頬を掻きながらいやぁ実は、と切り出した。
「単純なりに趣向を凝らしたつもりだったんですが、逆にわかりづらかったですか? 月が満ちる事を愛でる、ヴァンパイアにぴったり!」
「……百歩譲って理解するとして、北はなんだ。」
「もち、愛称ノースからで。」
今回の調査に当たって使用した偽名へは呆れのため息を、そして本来の名に対しての件には青筋を立て、最早ノスフェラトゥには好奇心が旺盛でありながら何処か思慮深かった愛満の影は薄い。
「愛称、だと? お前以外に誰も呼ばないものをか? 大体、それを許可した覚えはない!」
「えー、だってノスフェラトゥって呼びづらいですし?」
呼びづらい。
声を引き攣らせ自ら鸚鵡返しをしてみれば更に癪だったのか、ノスフェラトゥは今や従容を捨て噴火寸前に顔を赤らめていた。
「誇りある我が名を侮辱するか! 大体貴様の名前はそのままで、ずるいだろう!」
「やー、僕寂しがりなんで名前呼ばれたいなーって。」
「私とてノスフェラトゥの方がよいわ!!」
語尾の端々は古めかしく、それでいて中身は子供っぽく。そのちぐはぐさが、仮初めである女学生の姿にミスマッチしていて、会話内容から察するに上下関係は定まっているだろうもののヴァンは同級生をからかうように、ノスフェラトゥの眼前に人差し指を突き立てちっちと振った。
「よしんばヴァンならば帰国子女で通じますが、ノスフェラトゥはナイですよ。ナイ。」
「ほう、貴様立て続けに愚弄するとは覚悟してだな?」
「やー、覚悟して欲しいのはノースへのラブアタックと言いますか、」
「安心しろ今直ぐお前も成行のところへ連れて行ってやる!」
再び獣のよう、凶暴さと野生味を全面に押し出した艶笑を携えるノスフェラトゥに、そろそろまずいかな、本能的な危険を察知しヴァンは気を逸らす何かを探し、そして都合よくその何かを発見した。
「ちょっ、抑えて抑えて、ほら協会の人来ましたって!」
鼻息荒く憤然とするノスフェラトゥだったが、一応言葉を確認しようと天空を振り仰いでみれば、宵闇と灼熱が混ざり合う、濃く深い藍色を背景に美少女の大群が押し寄せてくるところだった。
「ノスフェラトゥ様ー! またこんな騒動にして!!」
先頭を飛んでいたショートカットの少女は、未発達の幼い全身を使って怒りを表現してみせる。後続の軍団は天辺を吹き飛ばされたマンションの現状にあんぐり口を開けるなり後始末を思って渇いた笑い声を上げるなり、其々楽しそうに状況把握を堪能中。
ともすれば天使と呼びたくなる大勢を前に、非もあるのだが他の何かに気圧されたよう、ノスフェラトゥはヴァンに言及された時よりもややたじろいでいた。
「まぁ、なんだ、ほら、その、あれだ、若気の至り?」
「何処がお若いんですか! 私達よりずっとお歳を召していらっしゃるくせに!」
そりゃそうだろうと外面だけで頷きたくなる、己の背丈の半分くらいの幼女が腹部をぽこぽこ、柔らかい拳骨で叩くむず痒さにノスフェラトゥは更に居た堪れなさそうぎこちなく攻撃の手を制す。
「マンション爆発なんて、報道規制しきれませんよ!」
「幸いな事に隣近所が空いていて、ターゲット以外の死傷者は出ていないみたいです。」
資料と睨めっこする眼鏡っ子の確認を救いの手として、ノスフェラトゥは己のペースを取り戻さんと気丈に振舞ってみせる。一体何処からそんなに生まれ出でたというのかわらわら密集するおなごの群れが昼と夜が取って代わる瞬間の大空を埋め尽くし、手狭な屋上を占拠している方が、ニュースのネタとしては美味しそうにも思えるのだが。
「一応その辺の配慮もしたつもりだぞ。何やら欠陥住宅とかで、今はあまり住人がいないそうだ。」
「そもそも街中で暴れないで下さい! 支局に連れて来て頂ければもっと穏便に」「まーまー、いや本当すいませんねいつもいつも。一応反省はしているみたいなんで。」
悪戯好きの子供を持った保護者のよう手慣れたヴァンの声に、眉を顰めたのは小馬鹿にされたノスフェラトゥではなく、乱入された天使もどき達だった。
異臭を放つ汚物か、靴の裏に付いた砂利まみれのガムか、半年間冷蔵庫で眠り続けた野菜か、兎に角見たくも無いものを見るような目つきで、反吐が出そうなのをなんとかこらえている、だから称えて欲しい、そんな取り繕った声色で、協会員はかわいらしかったかんばせに嗤笑を乗せる。
「嗚呼、いらっしゃったんですか? 道理で獣臭いと……」
幼女の変わり身に叱咤もせず、どころかその野次に堂々と乗っかる少女は同じように、蔑みから来る醜悪な笑みを作った。
「しかし”雑種”如きがノスフェラトゥ様に変わって謝罪などとは烏滸がまし」「少なくとも貴様のような卑小な存在よりはましな男だ。」
中断は叩き割る破壊力を伴い、持て余していた少女達への対応が負の方向へ傾くと、逡巡さえあった顔つきを一変させ、眼光は冷淡さを増す。周囲の平均気温を下げるものが、成行の家から溢れる死体を腐敗させない為の配慮、以外にも増えてしまった。
見下されたと自覚したが故の羞恥か、少女は顔面をかっと赤らめ上気した肌から産毛を沸き立たせる。幼女も眼鏡っ子も、どうしたものやらと狼狽しながら、ヴァンに対し注がれる感情はどう足掻いても同意見らしくひたすらに取り持ちたいのはノスフェラトゥとの仲のようで、閑寂なマンションの屋上に並ぶ五人は、一対三にプラス一、という歪なヘキサゴンを画いていた。
「っお言葉ですがノスフェラトゥ様、この男は!」
憤怒から突きつけた指さえ穢れてしまうんじゃないかと怖けて震え、怯んだ一瞬を飲み下し、少女の激昂は続く。
「血族が他種族などと交わった証というだけでも恥じ入るべき混血児でありながら、あまつさえ人よりも尚薄汚れた血を保持しています!」
「その上で私が傍に置いているというのに不服を唱えるというのは即ち、私への反論と捉えてよいのだな?」
延々と、連綿と、繰り返されたやり取りなのだろう、煩瑣な討論だとノスフェラトゥはため息混じり、それでも手は抜かずに。
「誇り高き我々の血を垂らし込んだところで、浄化など出来やしない卑しき存在です!」
「貴様の物差し一つで他人の価値を決めるのはただの傲慢というものだ。」
「ダンピールは我々を淘汰する力を持つ忌み子ですよ!?」
肝心の罵倒対象は、困ったようにどうしたものやら日和見宜しく場を読むに徹していた。開陳しないその態度が、また癪なのだとノスフェラトゥの声は苛立ちが色濃く主導する。
「そういう事例が多いのは事実だ。が、何を働くかは本人の意思であり、貴様らのように迫害し続ければ敵対されても仕方があるまい。」
「他種族と交わったなど、我々の歴史に残しておきたくはありません!」
「交わったのはこいつではなくこいつの親だ。大体、元を辿れば大半のヴァンパイアは嘗て人だったものだろう? 育て親(に見初められて血を与えられ始めてヴァンパイアになるのであって、その時期が生前であれ死後であれ至るまでは」
「元老院方の厳重な審査を通った者のみ、即ち選ばれし者のみです!」
先刻断ち切られた恨みのようにノスフェラトゥの言葉を分断する少女は、並列化されるのが我慢ならないと、矮小な優越感を手放したくはないのだと、必死の振る舞いは懇願にも似ていた。
「それもまた、貴様の価値観に過ぎない。」
「ノスフェラトゥ様のだいすきな、血に刻まれた掟だって、薄まってしまえば掻き消えてしまうのですよ?」
「ならば教えてやればいい。たったそれだけの事だ。」
「あ、報道陣。」
ディベートの最中加えられた掣肘に、思わず論者二人は高速で興奮に眉を吊り上げた顔を向けるが、大多数のざわめきなど聞こえず、それを確かめる為に二人の口は閉ざされた。
「というのは嘘ですが、じき本当になってしまいますから。目下優先課題は別にあるのでは?」
否定派の少女はそうしたまやかしを口にする事こそ血が穢れている象徴だと憤怨睨めつけ、一方ノスフェラトゥも水を差された事実か真意かに訝しげに眉を顰める。
「平行線を辿るにしてもだ、うやむやや煙に撒くのは賢くない。お前のそうした毅然としていない振る舞いが疑義を招くのではないか?」
「格別な御厚意を賜りまして恭悦至極、ですがね。彼女達はただあなたをすきなだけなんです、あんまり脅えさせないでやって下さいな。」
見下された本人が、見下した当人を、庇い立てするかのよう牽制するノスフェラトゥに乞うものだから、たまらず注がれていた睨みが困惑を宿していく。だが仇敵を改める機会など誰も望んではおらず、やっかんでいた短髪の少女は、今の内にと逃げ出しマンションへと吸い込まれていった。途方に暮れていた二人の乙女も後を追い、協会員を待っていた時のよう二人きりに戻ると、拳をまだ振り下ろせないとノスフェラトゥは援護対象であった筈のヴァンに噛みつき始める。
「お前も強気に振舞っていろ。そのように軟弱な物腰だから侮られるのだ!」
「んー、でも、別に言われ慣れてるっていうか、」
「私が気に喰わないと言っているんだ。あのように狭量が同志では困るからな。」
自分の代わりに怒ってくれる誰かがいる、という喜びを噛みしめるヴァンは、最早痛みなど消え去ったよう、それを伝えたくてノスフェラトゥを徐ら抱きしめる。
「みんなあなたがだいすきなんですよ。老人達が皆、あなたのそのお姿に近いよう、あなた一人がさみしくないよう、あのように若い女性の恰好を一様にとっている事からわかるでしょう? あなたの傍に僕がいるのが悔しいだけの嫉妬です。」
ノスフェラトゥはぬくもりに、驚きもたじろぎも、拒否もせずにしかし、応えもせずに。
「ほー、私が望んでいないというのにか? あの中身がじじいと思うと、寧ろ気持ち悪いだろ。」
続々集まるその、見た目はおなご中身は老人のヴァンパイア集団とはとても思えぬ同胞の姿を、窘める口調は先の余韻が残るのか少し刺々しい。
「否めませんねぇ。結局ただのブーム、っていうのも事実ですしね。」
「そのような無用な変化に費やす時間があるのならば、もっとましなヴァンパイア情報を提供するよう文句を言っておけ!」
甘やかすのは、終わりだと。
告げるようヴァンの肩を力任せ引き離すと、気の所為かその頬には、赤い色が乗っているようにも思えるが、単なる落ちかけの太陽光にも思える。
「やだな、僕がそんな事言える立場じゃないの、判ってるくせに。」
卑下ではなく、立場の確認。
少しだけ、寂しいけれど。現実というものは得てしてそうだから。
言葉に変換出来ないもやもやが、苦しげな微笑に滲むのに、ノスフェラトゥはだからこそ、
「困難には、めげずに果敢に立ち向かうのが結局効くんだ。」
ただ、強く、勁く、つよく。
「……己に自信のあるあなただから、そのようにあれるんです。」
負け惜しみでも、泣き言でもない、といって有象無象の大衆達のような崇拝でもない、純粋な憧れが、声を痛ませて、結局弱音だなとヴァンが気づく頃には言葉は言い終えていた。
「いいか、ヴァン。私がお前と行動を共にしているのは他でもない、そうした偏見を変えてゆく為だ。」
「心得ています。人なのかヴァンパイアなのかはたまた……、覚束ない僕の、手を仲間として引いて下さる喜びは何にも変え難いものです。」
「私を祀り上げ偶像として盲信する、その態度も腹立たしいが、お前の所為ではない出生をとって優越感を持つなど、ヴァンパイアの風上にもおけん。」
「だから未だどのコミュニティにも属せない僕に魔術の手解きをし、ヴァンパイアとしての矜持を教え、お傍に置いて下さっているんですよね」
ちらつかせる境界線など、身に染みてわかっていると証明する為のヴァンの確認に、ノスフェラトゥは一呼吸置いてから、残酷な訂正を押しつける。
「より正確には、お前がお前の望む生を得るまでの手段、方法、なんなら楯でも構わん。だからお前の道が定まったのならば、私など気にせずさっさとゆけ。」
「ところがどっこい、未だ善き隣人としてありたい訳です。」
それは果たして満面の笑みで出す答えだろうか。
その答えが果たして、成長や進化を望めているのか。
しかしそれが、ヴァンという男でもあるのならば、ノスフェラトゥはそれ以上叱咤する事無く、ただ脅迫はする。
「怠けるようならば、斬り捨てるからな。」
「えぇ、僕だって成行のようにはなりたくありませんから。」
途端喉を詰まらせ鼓動が停止してしまったノスフェラトゥだったが、計算通りだったのか、それとも想像以上だったのか、ヴァンは慌ててノスフェラトゥの血に濡れた手を取る。東からの風に吹かれて、成行の血液はかさかさしていた。
「失礼。今回の対象、東風成行には同胞ではと思わせる素養が濃かった為、あなたががっかりするのもわかりますがね?」
「自分自身で強く思い込んでいた分、催眠状態で肉体の強化を行なうとは、筋金入りだな。」
「一方で必死にそうではない溝を埋めようと、吸血鬼事件と言わしめた偽装工作など、徹底ぶりは凄まじいです。」
「その上ひひじじいではなかったしな。」
一瞬何処かへ置き忘れてしまったものの瞬時声を取り戻したノスフェラトゥの皮肉は、忙しなく業務に勤しむ見目若い老頭児の耳に先から余さず入っているものだから、もう誰も二人の近くを通ろうとはせず敢えて迂回ルートを採っていた。
「じゃ、そのじーさまばーさまにしっかりとお願いしてきますんで、待っていて下さい。」
離れた手、温度、背。
名残惜しそうでも無く、ノスフェラトゥは自ら瓦礫にした壁の一部を踏み潰した。削り取られた断面に寄りかかると、破片が飛礫として降り注ぐ。
女学生として接した成行は、少し魅力的であったから。始まりかけた淡い、甘酸っぱい、愛くるしい、時間が返ってこない事が苦しくて、手放したのはノスフェラトゥの筈なのに、裏切られた痛みがまだ疼く。
ただの人であったなら、出逢う事もなかった。
しかし知らずヴァンパイアを穢した者として、裁く事も無く。
「彼の罪は、本来人の手で処理されるべきだった。」
そうヴァンに語るのは、辺りの平均年齢を思えば色香溢れる大人の女性の出で立ちをした、双丘の立派な現場の指揮官だった。
「しかしノスフェラトゥ様がこうして物言わぬ肉片にしてしまったものだから、我々で身柄を引き取らなければならなくなった。こりゃ、痛手だ。」
「勿論、最良ではないという御批判も分かりますが、」
ノスフェラトゥが恵みを齎してくれるように、己もまたノスフェラトゥに還元する、対等でありたいと願うヴァンの、ここが腕の見せ所であり。
「この結末で無ければ彼は異常殺人者としてある事ない事根掘り葉掘り騒ぎ立てられる破目になっていたでしょう。」
言葉巧みに同情を誘発しようと操作する手腕は、情に訴えようというのだから阿漕ではある。
「僅かでも思いを寄せたからこそ、被害者として哀れまれ、友や仲間の心の中に残してやりたいと、ノスフェラトゥ様お得意の矜持です。」
そしてそこまで言われてしまっては、これ以上文句を出すなんて野暮でしかないと、ムスクをむんむんと漂わせる指揮官は渋々引き下がり、再び現場を『なんとか人間同士で何かがありました』と思わせる為の復元作業に勤しむ。
「お前も大変だな。しょっちゅう尻拭い役で。」
その他大勢のヴァンパイアと違い、指揮官は甘い声でヴァンを労ってやるが、返されたのは、ただの片思い。
「あの方は長く生きているくせに、不器用でいらっしゃる。だからその翻訳者がいないといけないんですよ。」
ノスフェラトゥ。
それは、ヴァンパイアで在り、ヴァンパイアに非ず。
特別な名。とっておきの存在。それはつまり、孤独という事。
他の誰より長い時を生きながら、今も純粋と純潔を保ち、誇り高くあろうとする、その姿は傷つき易い。
まるで、ちいさな女の子のように。
遠くの空に、赤が押し込められた。即ち、ヴァンパイア達の支配権が再三巡ってきた、宵の口。
「ノース、次の行き先が決まりましたから、また駄目元で行ってみましょう?」
「全く、私の花婿探しは彼此四世紀近くニアミスもないままか。」
成行はギリギリの線でニアミスに含まれないらしい。それともまだ、生傷のよう、蠢くからだろうか。
「理想が高過ぎるんじゃないですかね。純血のヴァンパイアであり、掟を解し、その上若い。高望みは婚期をのがしますよー。」
「いーや条件は絶対に変えられん! ヴァン、お前も知っているだろう?」
「そうですね、その為に僕は苦しめられてますし。」
「私の尻拭いに、か?」
それ以外の意味であるならば、プロポーズである事を互い理解しているかは曖昧で、ノスフェラトゥは始まる夜が運ぶ冷たさに身を投じ、思い出の向こうへ瞼を閉じた。
「我が血族もまた、常に迫害されてきた。有能で、それ以上に醜かったからだ。そう、ノスフェラトゥとは本来、鼻をつまみながら相手をする、穢らわしいものという蔑称そのもの。」
握りしめる、拳は強張り、熱い血が、管を張り裂かんばかり脈打って。
「我が母も、我が父も、一様に目も当てられない程醜かった。故に疎まれ、それなのに優秀な事が許せないと、殺される。それは我が一族に課せられた、運命に他ならない。」
ヴァンは口を挟まず、ただじっと、去らない過ちに震えるノスフェラトゥを、独りにしないよう。
「遂に最後のひとりとなった私だけが、美しかった。誰もが平伏す圧倒的な、ものではないが少なくともヴァンパイアの軍勢にあって悟られすらせず、ともすれば求婚されるまでに、悪く言えば仲間外れ、血を裏切ったのだ。」
「しかしあなたの容姿を決めたのは、あなたの血ではありません。」
「そうだとも。」
いつか慰めに出した救い舟を返されて、だが未だノスフェラトゥは決意を固めようとヴァンの方を見ずに生まれたての夜気を睨めつける。
「そうだとも。唯一のノスフェラトゥにして、大凡のヴァンパイアより麗しき我が身を、今度は掌返して同胞(として引き入れようとするのも、心の何処かでは喜んでいるのだ。呪いに打ち勝ったざまぁみろ、そんな風にな。」
凍えたみたいに吐息が微震し、夜を割る。
「だが判っている。利用か罪滅ぼしか、あざとい連中の手に落ちたりはしない。しかし最早私の仲間は無く、私が仲間であった過去さえ消そうとノスフェラトゥが全て醜いというのであれば、私は敢えてノスフェラトゥを名乗ろう。」
雲の中から、月はあまりに艶めかしい御身を曝した。
「それが、あなたの誇り、ですか。」
「いいや、ただの我儘さ。」
零されたのは、空に浮かび始めようとする黄金から落ちた涙のような微笑。クレーターの痛みと、月影という仮初めの、二つが折り重なった、儚さが満ちてゆく。
「じきに力は失せるというのに? 張り続ける意地は、ただ堪えるだけじゃありませんか。」
「私のみではないさ。血族の力が衰えているのだ。時を経過ぎ、月にも見捨てられる。」
「血族隠遁のきっかけである慢性的な力の退廃は、月の遠ざかりに起因すると専らの噂、その御神体が人による開拓という名のレイプに曝されたと思うが故、ヴァンパイア側からの確執は強まったのに。」
一説では。切り離された、この大地の一部と呼ばれるただの岩は、傷だらけの裏面さえ人の手により暴かれる。
「終焉が来るからといって、誰もが身を細らせなければならないというのは押しつけだ。夢を諦めさせる理由にはならないさ。」
神の喪失はヴァンパイアの誇りを奪い、絶滅の始まりだったのやも知れない。
「早く、良縁に巡り合えると好いですね。」
応援してみせたヴァンの顔は、先のノスフェラトゥと同じよう、悪戯にさみしさを浮かべていた。
大きな、傷跡ばかり目立つ、月を背に、月に向かい、月に見守られ、月に監視されながら、月の恩寵を受けし二人のはぐれ者は、純血のヴァンパイアという名の花婿を探す。
++以下言い訳
知っている者からすれば取り敢えず一段落なのですが、知らない方から見てもそつなく一纏まりくらいに放っているのでしょうか心配。
やはり一次創作は何処までが独り善がりなのか、よりラインが見えづらくて困難です。
例えばマナミはノースの偽名でありながらヴァンの名前は本名であるという設定のところも、元々の名づけが妙なのであれそこも意味ある偽名じゃないのかよ、と詰めの甘さにも見えますし、ヴァンパイアの掟は幾つかの諸説から完全なる独断と偏見にて誂えましたし、或いは逆にヴァンパイアのなり方やノスフェラトゥの処遇など、多少ヴァンパイア知識がある方ならば割とポピュラーなネタだとお分かり下さるやも知れませんが、普通ヴァンパイア知識なんて持っていない場合のが多い中で、育て親や血を注ぎ込むという字だけでは説明不足だったりもする訳ですが、過ぎれば蛇足なのも確かで、その見極めをする為に第三者というものが存在するのだとすれば、例え聞こえる噂がとんでもばかりであっても、編集というのはとても大切なお仕事なのでしょう。
そういう訳で一応の了です。続きが気になる方がいらっしゃいましたら発破をかけて下さいますれば、気分次第にて登場も相成るやも知れません故、愛の手を。
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