
嗚呼、遅かった。
ヴァンの嘆きは、己の不甲斐無さ、未来予想の甘さ、そうした数多の、叱責が占めていた。
額に手をやり落胆する目の前に広がる光景。それは、屋上の貯水槽さえ吹き飛ばされた無残なマンションの一室。
事態が飲み込めない。
そもそも、どうして彼女を此処に連れてこようと思ったのかさえ、詳細は不明。
ただ、こわかった。無遠慮に踏み入ってくる少女は、俺を吸血鬼だと思って近寄ってきた筈なのに、よもやそれを否定するなどとは、夢に思わなかった。
吸血鬼じゃないって?
それじゃこの渇きはなんだ。
人を襲いたい衝動は。
母さんが、死んでしまったのは。
俺が、吸血鬼だからだ。
そうだろう?
そうに決まっているだろう?
でなくちゃ俺は、
俺は、
俺は、
ぐるぐる、回る、廻る、思考回路は煩雑としている。
肺が押し潰されて酸素を取り込めずにいた気道へ、視界を覆う程立ち込める砂埃が侵入して、ようやく回復した吸気に紛れ躯の奥深くまで降り積もるものだから、途端に噎せ返ってしまった。
何が、あったんだろう。何が、どうしたんだろう。
事態が飲み込めない。
成行は愛満に圧し掛かろうと狂気のまま猛進していた。一人玄関口で立ち尽くしていた少女を、襲うのなんて容易い筈だと信じ、その根拠を彼女が否定する吸血鬼説に求めて。
こなした実績は、突発的な母への撲殺、深夜に一人きりの女性を狙う臆病、興奮に身を任せた背後からの切りつけ、あまりに頼りなかったけれど、
胎に入れた母が、お前ならいけると、内側からそう囁いた気がして。
それなのに全身に逃げ場無く鈍痛が敷き詰められて、背骨の破砕音を伴って叩きつけられた壁が、みしみしめきめき、罅割れ刻一刻欠けてゆく。
そうか、俺が、吹き飛ばされたんだ。
何より認め難い現実が、成行の目の前にいる少女だった。
夕闇さえ忍び始めた空を背景にして、奇妙にその全身が光沢を増し煌いて見える愛満は、特に瞳が、この数日間何度も焼きつけた滴る血よりもずっと、鮮やかに、痛ましく、毒々しい、灼熱の赫を滾らせ、爛々と輝いている。
家にさえ入ってこれず、死体も捕食も、ただ黙って眺めていた、愛満が。
「吸血鬼は、招かれなければ家に入れない。そう、これも掟だ。」
あくどく口元を綻ばせ、表情は、恍惚。もう一度成行に吸血鬼失格の烙印を突きつけると、うっとりと髪を掻き揚げ、
「それらに反するお前は吸血鬼ではない。故に断罪する。」
そう宣った。
それ自体が生きものであるかのよう長髪が大蛇宜しく蠢き、制服のスカートが突風に煽られ美しく波立っている。
「名を穢し、誇りを見間違い、であって旧時代の遺物(に縛られるなど、本当の吸血鬼であっても許されざる行為にして、」
成行に放った拳一閃、甲に浮き上がった筋肉は、細く柔な少女のものとは、もう思えない代物に変わっていた。それは殴り慣れた、猛者の武器そのもの。
「自らを吸血鬼であると自己催眠を掛ける為数々の引き起こされた事件はそれ以上の冒涜であり、延いては真なる吸血鬼への侮辱行為を働いたものと見做す。」
依って、裁くとそう断言する、それだけの権限があるのだと。自信に満ちた犬歯と、怜悧なもの言いが訴えていた。
「じゃあ、……愛満ちゃんが、」
苦しい息を無理に御して、なんとか言葉を紡いでみせてもあまりに儚い灯火である事は、声の弱々しさが伝えている。それでも成行はいっそ、降臨した神に平伏すかのよう、夢見心地だった。
「ホンモノの、ヴァンパイア……?」
敬いを鼻で笑い、愛満は瀕死の成行をひたと見据え、眉根を寄せた険しい顔つきで吼える。
「ふん、名乗るも烏滸がましく、お前が口にするも恐れ多いが、敢えて訂正するならばノスフェラトゥだ!」
回りくどい言い方をしながらも、憤慨交じり明らかにそう呼べと申しつけるその偉そうな態度は、成行がこれまで見ていた愛満という少女が偶像であった事が証明されると共に、その片鱗は、成行が惹かれていたおかしな味わいを持つ部分は、きっと装ってみせても根底から滲んでしまったものだろうと窺える。
「ノ、ス……?」
聞き慣れない響きに、発音のしづらい単語。行き場を失った血液が成行の口から溢れ出し途中で遮らなくとも、何処かでつっかえていただろう。だが愛満だった少女は御丁寧に、ノ、ス、フェ、ラ、トゥ、一語一語で区切っては口を大袈裟に開閉し、発音の勉強まで施してくれた。
「通達を言い渡す。返答も質問も必要としていない故、ただ聞いていろ。あー……我々は吸血鬼教会から情報の収集、及び事件の調査に派遣された。その処理についても一任されている。」
「ノース、ちょっとたんま!!」
緊迫した場面ながら、唐突に挟まれたヴァンの声は何故か一服の安息を齎してくれる。勿論彼なりに焦った様子なのだが、豹変したノスフェラトゥに比べて、彼はあくまで彼のままだからだろうか。
「既に宣告は終わった。つまり、後はすきにしていい、という事だ。いや、待てよ理由は言ったが罪状を忘れたな……己を吸血鬼と偽装した罪、吸血鬼の名を騙り人間に危害を加えた罪、それから」
「待って待って、ちょ、ノース!!」
「この私に淡い期待を持たせ謀った罪だ。罰に抱かれておやすみ……!」
昂るノスフェラトゥを抑えようともがくヴァンの両腕は容易く弾き飛ばされ、悉く罪状を述べ終えると、ノスフェラトゥは成行を吹き飛ばした片腕を天に向かって伸ばし、そして振り下ろす。
それは、一瞬にして一閃。
またたきの間に終わる事。
刹那の緩やかな黙祷の時間に、成行はこの期に及んで笑ってみせた。
目の前に、あんなにもなりたかった真の吸血鬼がいる、出逢えたという僖び。
傷つけてしまった母の傍で、
だいすきだった母の元へ、
飛べる安堵に、膨大な走馬灯は心地好い子守唄。
ごめん、母さん。
俺、母さんを殺してしまったんだ。
でも、寂しくは無かったんだよ。
だってずっと胎(にいたから。
ごめん、母さん。
俺、母さんの期待に応えられなかったんだ。
育ててくれたのに返せない恩が苦しくて、
判っているのに責められると余計に苦しくて、
ごめん、母さん。
俺、母さんを殺したいと思ってしまったんだ。
でも、一人にはなれなかったから。
だからずっと胎(にいて欲しかった。
ごめん、母さん。
それは、一瞬にして一閃。
成行は、絶命した。
涅槃へ辿り着く為の永久の眠りに相応しい、健やかな表情で。
白杭はなかったが、心臓部にノスフェラトゥの掌大の穴が空いた。
5.なりたかったものにであえたしあわせ
++以下言い訳
ヴァンパイアではない者と、ヴァンパイアになりたい者の、ヴァンパイアに纏わるお話。
誰がヴァンパイアではなく、誰がヴァンパイアになりたくて、誰がヴァンパイアであるのかは、まだここまででは、全てはわからない。
ところでナリユキとマナミの間では吸血鬼、存在が忘れかけられてる0話ではヴァンパイアと表記しているのですが、若しナリユキが正体をばらす際、吸血鬼なんだ、ではなくヴァンパイアなんだ、といったらマナミが眉を顰めて即行正体がばれるエンドが見えたからなんですが、寧ろ結局ややこしい感じなのはどうしましょうww
それに彼にとっては行為を隠蔽してくれる存在が必要だったので、吸血鬼の方がより直接的で好ましかったのやも。
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