ハードルは幾つもある。その高さに目が眩む。その壁ごと、あなたがすき。
 街に流れる、そんなラブ・バラード。

「ブルーローズ最新曲、初登場堂々一位!」
 街頭テレビが、賑やかに伝える。
「今回も作詞作曲担当だってー。」
「ちょっと切ない、片思いの歌だね。」
 店頭で会話する女学生の手に、握られるニューシングル。
 それらを何処か他人事で聞く、張本人の私は、宣伝ポスターのブルーローズが自信に満ちた表情を、している百八十度反対の憂鬱なため息で。
「カリーナ? 何してんの、置いてくよ〜。」
「あ、うん。ごめんね。」
 止めていた歩みを動かし始める。
 止まったままの、恋とは裏腹に。





 TIGER & BUNNY fan-fiction
 1.虎児と兎






「ぬぁーんか、より一層面倒臭い事になってるわねぇ。」
 気だるげな感想と共に、ネイサンはイヤホンを外すと、やれやれといった面持ちで肩肘をついた。
「ブルーローズさんの新曲ですか?」
 イワンが応えて、話が広がるとトレーニングルームにいた宝鈴やキースもなんだなんだとその手を休めて集まり始める。

 大体こういう空気になると、集中して鍛える、という流れは撓んで雑談に花が咲くものだから、休憩がてら僕も参加した方がいいだろうか迷いながらも、話題の内容を思うと足が重たかった。
「もう露骨なまでにタイガーさんへの歌ですもんね、これ。」
「これで気づかないタイガーもタイガーだよ! 鈍チンなんだからさ〜。」
「そうだな。だがしかし、それが彼の持ち味でもある! そうだろう?」
「ねぇバーナビー、あんたパートナーの視点から見てあの二人、どうよ?」
 ややこしい水が向けられた瞬間に、端末からの福音が響く。
「すみません、ちょっと用事が入ってますので、失礼。」
 先約のアラームを解除して、何も疚しい事などない筈なのに、何処か後ろめたい気持ちで、そそくさと僕は部屋を出た。





 集合場所へ、既に待ち人は到着していた。
 親子だがルーズなところは似なくてよかったと、保護者の気持ちで笑みが零れてしまう。
「楓ちゃん。ごめんね、お待たせ。」
「とんでもない、お忙しいところすみません!」
 待たせた非を責めず、しっかり頭まで下げて、この礼儀正しいご令嬢が一体虎徹さんの何処を受け継いでいるのだろう、なんて訝しみながら、
「とんでもない。こんなレディとデートが出来るなら、いつ何処へでも喜んで。」
 恒例行事の為に手近なカフェへ彼女をエスコートすると、気恥ずかしそうに頬を染めるかわいらしさも、やっぱり虎徹さんからは想像出来なかった。

「これが今月分。まぁまぁ、少ない方かな?」
「バーナビーさんがフォローして、って事でしょ?」
 提出した書類に眉値を寄せる表情は、同じ報告書を受け取った際のロイズさんにそっくりで、その頭を抱えさせる問題児、破損報告書は、これでもお情けで何点か除いてるなんて、とても言えそうになかった。
「どうしてお父さんってこう、破壊魔なの!?」
「それはもう、正義の壊し屋・ワイルドタイガーだからね。」
 苦笑いで二つ名を口にすれば、じとっと睨めつけられるものだから、娘としては相当気が気でないらしい。
「そりゃあね、人命第一、救助優先、勿論ですよ。だけどねぇ。」
「壊さなくていいものまでわざわざ壊して回ってるみたいだ、って?」
 先月も先々月も聞いた台詞だ、すっかり諳んじられてしまう。
 先読みされた言葉に少し我を取り戻したのか、ため息一つ、お茶の一服で、彼女も冷静になった。

「昨日電話してる時、座り方とかがちょっとこう、変な角度つけてるって言うか、妙だったんですよね。多分あれ、腰を痛めてるわ。」
「本当? 気づかなかったなぁ。注意して見ておくね。」
「腰痛持ちのヒーローか。……ダサいね。」
「おじさん、だからね。」
 ふふっと、同時に笑う。
 顔を見合わせると、もっとおかしくなって、二人で声を押し殺しながら腹を抱えた。
 なんと言っても、そんなダサいおじさんを敬愛し、密に連絡を取り合って、月に一回はこうして報告会をしてしまう二人なのだから。
 一頻り笑いの波が収まると、あれもこれも教えたいと続々口から滑り出る。
 昨日は何をしていた、あの犯人にはこうだった、こんな阿呆な事をしていたと、メールや電話でだってそれなりに連絡し合っているというのに、どうしてこうも話題に事欠かないのだろうか。
 それだけ愛されている証拠は、本人には内緒である。

「ここのところまた食生活が危ないんだ。昨日は五目炒飯、一昨日はエビピラフ、一昨々日はバイソンさんと飲んでたみたいだし、」
「じゃあその前はオムライス?」
「いや、もっとゲテモノだ。なんと生卵をそのままご飯に乗っけて、しかも混ぜてた! Oh,my God! グロテスクの極みだね……」
 呆れ顔な彼女の問いかけを、更に上回る驚きの答えだと、やや大げさにおどけてみせたが、どうもその食べ方は彼らの人種ではそう珍しいものでもないらしく、僕の反応に恥ずかしそう俯いてしまった。





「あ、あの、ブルーローズさんの新曲、聴きました?」
 少し気まずい空気になってしまったから、話題転換には喜んで乗りたかった。
 しかしよりによってその地雷が来るのかと、僕の顔はさぞ引き攣っていた事だろう。
「なんっかもう、最高に切ないんですよ! 今までの曲で一番すきかも!」
 だが目の前の少女はそんな此方を露知らず、早く前の流れを断ち切りたいかのよう、急き気味に捲くし立てるから、方向を変えるのは話題ではなく心持ちの方だと、僕は潔く諦めた。

 その内容を渋るのは、別にブルーローズがきらいな訳でも、況して虎徹さんが奪られる、なんて幼稚な独占欲でもない。
 その渋る原因が自ら口を開くのだから、慎重に流れを読みながら、言葉を選ぶべく呼吸を一拍置いた。

「最近はどの音楽番組でも流しているからね。虎徹さんも、歌手として頑張ってる姿、応援してるみたいだ。」
「なんであれ聴いて、自分の事だってわっかんないのかなぁ。本当鈍感。」
「ドラゴンキットもそんな事、言ってたな。」
「女の子ならみんなわかります! ううん、そうでなくたって、だってバーナビーさん、わかるでしょう?」
 興奮気味に机から身を乗り出す彼女の迫力に、怖じ気づきながらフレーズを抜粋する。

 不器用なあなた。意地っ張りな私。
 逢えばいつも喧嘩腰。それでも逢える毎日が大切。
 ハードルは幾つもある。その高さに目が眩む。その壁ごと、あなたがすき。
 そういえる私に、なりたい。なれない。ならないまま、なれなかったと嘆く。

「ま、何処をどう取っても、だよね。」
 思い返してみれば、関係ない自分ですら赤面するくらい当てはまり過ぎる。
 だが恋愛に於いては普遍的なのか、ブルーローズの特殊な環境下を知らずとも、同年代には大受けらしい。
 考えてみれば、復讐に捧げた青春なのだ、相棒を鈍感と笑えないのではと気づいて、知らず少し背を正した。

「あんなお父さんが、一体全体どうしたらお母さんをゲット出来たのか、そこのところ詳しく知りたいわ。」
 嗚呼、ほらまた手榴弾。
 気持ちは既にさっきから、地雷源真っ直中を突っ切っているけれど、四方八方危険だと呻くレーダーを聞きながら、立ち尽くすのは心中穏やかではない。
 このまま受け身では、防戦もままならないと。
 思い切って、口火を切った。
「楓ちゃんから見て、どう? 彼女は。」
「カリーナさんは、とってもいい人よ。優しいし、きれいだし、この間一緒に買い物付き合ってくれたんだけど、すーーーっごい楽しかったなぁ!」
 心底明るく語るその表情に、偽りは一点も見当たらない。
「正直、お母さん、って風には見られないよ。……でも、お姉さんがいたらこんな感じなのかなって、うれしくなる。」
 素直で、複雑な、瑞々しく、生々しい、気持ち。
「それにやっぱり、心配なんだよね。ほら、お父さん、あんなだからさ? 誰かそばにいて、世話焼いてあげないとって。」
「嗚呼、その気持ちはすごく、分かる。」
 一度は遠退いたヒーローの世界に、帰ってきた理由は、

 何よりも、そこなのだから。

「カリーナさんなら、言うべき事はちゃんと指摘してくれそうだし、」
「文句言いながら内心笑顔で後始末してそうだよね。」
「そう! そうやってケンカップルで支え合うのが、一番お父さんらしいんじゃないかって……」
 勢いの衰えに、空気の流れを感じ取ってお互い喉を潤す為の小休止、着地点を探す。

「この歌。壁ごと愛すって、きっと私の事も、入ってるんだよね。」
 歳の差。婚歴。死に別れ。
 娘の有無に関わらずハードルは山とあり、それらを飲み込む為の度量は、どれ程大きければいいのだろう。
「私も、すきだって、受け入れてくれるんだって。」
 その理想に、足りない現実を自覚しているから苦しいと、今の自分がもどかしいと、この歌の真の意味を、僕は今初めて知った。
「カリーナさんなら、安心して、お父さんを任せられる。初めて会った時に、そう信じられたんだ。」

 それは、僕の知らない領域。
 僕だけが、知らない理。

「だからさ、バーナビーさん、ちょっと協力してくれないかな?」
 悪戯心に瞳を輝かせる楓に悟られないよう笑顔で頷きながら、心には少しだけ、乾いた風が吹いた。





































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