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付録U

ボルシェビキ革命のユダヤ陰謀論


ボルシェビキ革命は、"ユダヤ人の陰謀"の結果、より詳しく言えばユダヤ人の世界銀行家達による陰謀の結果であるというテーマを取り扱った、英語、フランス語、およびドイツ語の広範な文献が存在している。それらの文献において、一般に、世界の支配が究極の目的と見られている。すなわち、ボルシェビキ革命は、キリスト教と"暗黒の力"との間の太古からの宗教的争いを多分表しているより広いプログラムの単なる1フェイズであった。

そのようなテーマおよびその変形は、最も驚くべき場所において、また最も驚くべき人達から見出されうる。1920年2月、ウィンストン・チャーチルは、「シオニズム対ボルシェビズム」というタイトルの、今日ではほとんど引用されることのない記事をLondon Illustrated Sunday Herald に寄稿している。この記事の中でチャーチルは、それは"特に重要で、帰化した国に忠節なすべての国における愛国的ユダヤ人はすべての機会で表面に出てくるべきで、ボルシェビキ陰謀と闘うためあらゆる行動において目立った役割を演じるべき"と結論している。チャーチルは、愛国的ユダヤ人と彼が"国際的ユダヤ人"と呼ぶ者達の間に一線を画している。彼は、国際的で大抵は無神論者のユダヤ人がボルシェビズムの創生およびロシア革命の誕生において間違いなく非常に重要な役割を演じたと論じている。彼は(事実に反して)レーニンを除いて、革命における指導的人物の大多数がユダヤ人であったと断言し、また(これも事実に反するが)多くのケースにおいてユダヤ人の利権およびユダヤ人の礼拝所は差し押さえの方針からボルシェビキによって除外されたとも付け加えている。チャーチルは国際的ユダヤ人を、ユダヤ人が彼らの民族性のために迫害された国々の迫害された市民から出現した"邪悪な連合"と呼んだ。ウィンストン・チャーチルはこの動きをスパルタクス-ワイスハウプト(Spartacus-Weishaupt)まで遡って追跡し、トロツキー、ベラ・クン、ローザ・ルクセンブルグ、およびエマ・ゴールドマンの周りに彼の文学上のネットを投げ、"拘束された発達、妬み深い悪意、および不可能な平等性に基づく文明の打倒や社会の再構成のための世界規模の陰謀が絶え間なく成長してきている"と非難している。



p. 185


それからチャーチルは、この共謀するスパルタクス-ワイスハウプト集団は19世紀における全ての破壊的運動の推進力になってきたと議論している。シオニズムとボルシェビズムはユダヤ人の人々の魂にとって矛盾すると指摘しながら、チャーチルは(1920年に)ボルシェビキ革命におけるユダヤ人の役割と世界中に及ぶユダヤ人の陰謀の存在に偏見を抱いていた。

他の有名な1920年代の著作家ヘンリー・ウィクハム・スチードは、彼の「1892−1922年の30年間を通して」の第2巻(p. 302)において、彼がどのようにしてユダヤ陰謀概念をエドワード・M・ハウス大佐およびウッドロー・ウィルソン大統領に注目させようと努めたかを述べている。1919年3月のある日、ウィクハム・スチードはハウス大佐を訪問し、ボルシェビキを合衆国が承認したことについてのスチードの最近の批判によってハウス大佐が当惑していることを知った。スチードはハウスに、ウィルソンは欧州の多くの人々および国々の間で評判を落とすであろうと指摘し、"彼は知らないことであるが、首謀者はヤコブ・シッフ、ウォーバーグ、および他の国際金融家であり、彼らはロシアをドイツ人とユダヤ人のために開拓するための領域を確保できるようにユダヤ人ボルシェビキ主義者を鼓舞することを取り分け望んでいたと主張した。"
1 スチードによれば、ハウス大佐はソビエト連合との経済的な関係の樹立賛成論を唱えた。

ユダヤ人の陰謀について最も外見上のっぴきならない文書群は、多分、国務省十進法ファイル(861.00/5339)に集積されている。その中心的文書は、1918年11月13日付けで"ボルシェビキ主義とユダヤ主義"というタイトルの文書である。その本文はレポート形式であり、そこにはロシアにおけるその革命は"1916年2月に"企まれたということ、および"次の人物達と企業がこの破壊的な活動に従事したことが分かっている"と書かれている。

(1) ヤコブ・シッフ(Jacob Schiff)  ユダヤ人
(2) Kuhn, Loeb & Company      ユダヤ企業
  経営陣:  ヤコブ・シッフ(Jacob Schiff)  ユダヤ人
       フェリクス・ウォーブルグ(Felix Warburg)  ユダヤ人
       オットー・H・カーン(Otto H. Kahn)  ユダヤ人
       モルチマー・L・シッフ(Mortimer L. Schiff)  ユダヤ人
       ジェロム・J・ハナウアー(Jerome J. Hanauer) ユダヤ人
(3) グッゲンヘイム(Guggenheim) ユダヤ人
(4) マックス・ブレイタング(Max Breitung) ユダヤ人
(5) アイザック・セリグマン(Isaac Seligman) ユダヤ人


脚注
1 See Appendix 3 for Schiff's actual role.



p. 186


そのレポートは、この集団によって、1917年4月にロシア革命が始められ企まれたことに疑いがないと確信するに至っている。

事実、ヤコブ・シッフは公式の声明を出しており、ロシア革命が成功裡に終わったのは彼の融資の影響力によるものであって、1917年春、ヤコブ・シッフはロシアにおける社会主義革命を成し遂げるためにユダヤ人トロツキーへの融資を開始した。

レポートは、マックス・ウォーブルグのトロツキーへの融資、レイニシュ-ウエストファリアン(Rheinish-Westphalian)シンジケートや、ジボトヴスキ(Jivotovsky)とNya Banken(ストックホルム)のオロフ・アシュベルグの役割についての他の種々雑多な情報を含んでいる。匿名の著者(現実には合衆国戦争貿易委員会によって雇われた人物)2は、これらの組織とその組織によるボルシェビキ革命への融資との間の繋がりは、どのように"ユダヤ人の億万長者とユダヤ人の労働者階級との間の繋がりが結ばれた"かを示していると述べている。レポートには、ユダヤ人であった多数のボルシェビキの氏名がリストされていて、ポール・ウォーブルグ、ジュダス・マグネス、Kuhn, Loeb & Company、およびSpeyer & Companyの行動について記されている。

レポートは"国際的ユダヤ民族"というトゲノある言葉で終わっていて、シオンのプロトコル(Protocols of Zion)からの引用で裏付けられたキリスト教-ユダヤ教対立(Christian-Jewish conflict)の状況に議論を置いている。これらの文書とともに取られたステップに関するワシントンの国務省とロンドンのアメリカ大使館の間で交わされた電信文のシリーズが、レポートとともに残されている。3

5399 大英帝国、TEL. 3253 i pm
 1919年10月16日、機密ファイルにおいて
ライト(Wright)からウィンスロー(Winslow)への機密事項。ボルシェビキ主義とロシアのボルシェビキ革命への金融支援は、著名なアメリカのユダヤ人達、すなわちヤコブ・シッフ、フェリクス・ウォーブルグ、オットー・カーン、メンデル・シッフ、ジェローム・ハナウアー、マックス・ブレイタング、およびグッゲンヘイム一族の一人から。Document re- in possession of Brit. police authorities from French sources. Asks for any facts re-.


脚注
2 The anonymous author was a Russian employed by the U.S. War Trade Board. One of the three directors of the U.S. War Trade Board at this time was John Foster Dulles.

3 U.S. State Dept. Decimal File, 861.00/5399.


p. 187


*  *  *  *  *

10月17日 大英帝国 TEL.6084、正午 r c-h 5399 極秘。ウィンスローからライトへ。著名なアメリカのユダヤ人からロシアのボルシェビキ革命への金融支援。証拠はないが、調査中(No proof re- but investigating)。少なくとも省による文書の受け取りまで出版を延期するように英国のその筋を説得するよう頼む。

*  *  *  *  *

11月28日 大英帝国 TEL. 6223 R 5 pro. 5399
ライト宛。著名なアメリカのユダヤ人によるボルシェビキへの金融支援に関する文書(Document re financial aid)。レポートは。アメリカ等におけるロシア人市民によって元々英語で書かれた声明書のフランス語訳と確認された。宣伝の栄誉を与えることは最も愚かなように思える

この資料を公表しないことで合意され、ファイルは"冷たい保管所の中に全体のものを我々が持っているように私は思う"と結論している。

"最重要機密"とマークされている別の文書が、この資料の束とともに含まれている。その文書の出自は不明であるが、多分FBIか軍諜報部であろう。それは、シオンの賢人会議のプロトコル(the Protocols of the Meetings of the Wise Men of Zion)の翻訳をレビューしたもので、次のように結論している。

この関係の中で、手紙がW氏に送られ、世界支配計画を企てている国際的ユダヤ人の様々な集団から英国のその筋が横取りした手紙を持っているという趣旨で、アメリカの大使館付き陸軍武官からのある情報に関しての我々からのメモが同封された。この資料のコピーは我々に非常に有益であろう。

この情報はどうやら拡散したようで、後の英国諜報部レポートはきっぱりとした非難をしている。

要約: ボルシェビズムがユダヤ人によって制御された国際的な運動であり、アメリカ、フランス、ロシア、およびイングランドの指導者達の間の連絡は一致団結した行為のようであったと見えるという明確な証拠がある。4

しかし、上記の言説はいずれも、強固な経験的証拠によって裏付けられえない。最も重大な情報は、英国のその筋が"世界支配計画を企てている国際的ユダヤ人の様々な集団から横取りした手紙"を所有しているという節に含まれている。もし、そのような手紙が実際に存在するならば、現在証拠立てられていない仮説、すなわちボルシェビキ革命および他の革命が世界中に及ぶユダヤ人の陰謀の仕業であるということを、それらの手紙は支持(or 非支持)することになるであろう。

脚注
4 Great Britain, Directorate of Intelligence, A Monthly Review of the Progress of Revolutionary Movements Abroad, no. 9, July 16, 1913 (861.99/5067).


p. 188


更に、言説および主張が強固な証拠で裏付けられていなく、強固な証拠を明るみに出すための試みが出発点に戻る輪に引き込まれ、特に皆がその他皆の言葉を引用するとき、我々はそのストーリーを偽物として排除しなければならない。ユダヤ人が、ユダヤ教徒であったために、ボルシェビキ革命に関与したという具体的な証拠はない。確かにより高い比率のユダヤ人が関与してきたかも知れないが、ユダヤ人に対する皇帝の取扱を考えれば、他に何を我々は予期するであろうか? アメリカ革命において赤服の英国兵と戦った多くの英国人および英国起源の人々が多分居ただろう。それで、どうだと言うのだ。その事実がアメリカ革命を英国の陰謀とするであろうか? ユダヤ人がボルシェビキ革命において"非常に重要な役割"を演じたというウィンストン・チャーチルの言明は、曲解された証拠だけによって裏付けられている。ボルシェビキ革命に関与したユダヤ人のリストは、革命に関与した非ユダヤ人のリストに対して、重みが大きいに違いない。この科学的な方法が採用されるならば、革命に関与した外国人ユダヤ人ボルシェビキの比率は革命家全人数の20%未満になり、これらのユダヤ人は、革命後の数年以内に、国外追放されたり、殺されたり、シベリアに送られた。事実、近代のロシアは帝政の反ユダヤ風を維持してきている。

ボルシェビキ革命のための資金源としてしばしば引用される投資銀行家ヤコブ・シッフが本当はボルシェビキ体制の支援に反対していた5ということを、国務省ファイルにおける文書が確証しているということは重要である。今に分かるように、このポジションはモルガン-ロックフェラーのボルシェビキ振興と対照的である。

ユダヤ陰謀神話が押し付けられてきた粘り強さは、多分、本当の問題と本当の根拠から注意をそらすための巧妙な策略であったろうことを示唆している。本書で提示された証拠は、ユダヤ人であったニューヨークの銀行家達はボルシェビキ支援において相対的にマイナーな役割を演じ、非ユダヤ人のニューヨーク銀行家達(モルガン、ロックフェラー、トンプソン)が主要な役割を演じたということを示唆している。

本当の策士から注意をそらすための方法として、反ユダヤの中世的お化けによる方法以上のものはあるだろうか?


脚注
5 See Appendix 3.



p. 189


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