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第16章 価格調整


適正価格

生産品は消費者のために作られるのだから、その目的を達成するためには、生産品は消費者がそれらを買うことができる価格で提供されなければならない。

換言するならば、如何なるときにおいても、総合的価格と全ての消費者の総合的購買力の間に平衡関係が成立していなければならない。

小売価格を設定するために、生産業者あるいは小売業者は製造原価を計算し、それに取扱い、輸送、貯蔵原価、および異なる仲介業者に必要な利益を加算する。しかし、このようにして付けられた価格が消費者の購買力に一致しているという保証は何もない。 

付けられる価格は、製造業者から小売業者までの誰もが破産しないように、小売業者によって決められねばならない。更に、買い手によって支払われる価格は、消費者の手の中の購買力に一致するという風でもあらねばならない。そうでなければ、現実の必要性を前にして、生産品は売れ残るであろう。

それ故、価格調整が必要なのだ。

社会信用の通貨技巧がそれを提供する。

社会信用の用語としてであるが、正確に消費に一致する価格を“適正価格”と呼ぶ。

“適正価格”は、“正直な価格”や“公平な価格”という意味では決してない。小売業者によって付けられた価格が完璧に正直で完璧に公平であったとしても、それでも全く正確な価格になっていないかも知れない。

世界大恐慌の間、付けられた価格は正直で公平であったかも知れないけれども、正確ではなかった。すなわち、消費と一致していなかった。必要とされた物の全生産量が全消費量を超えているとき、これらの価格は間違いなく正確ではない。というのは、与えられた期間に亘っての消費量がその同じ期間における生産に費やされた本当の費用を結論的に示している。

正直な価格は倫理的なものであるのに対し、正確な、あるいは“適正な”価格は数学上の問題である。

社会信用システムにおける正確な価格、すなわち“適正価格”は算術上のルールに従って算出される。それ故、独断的な価格、天井値、制限値、報酬、懲罰の設定と言った問題はなく、単に算術的な問題である。

社会信用技巧では次の二つの数字を使うが、それらは国民自身によって作られるものであって、他人に自分達の意志を押し付けたがる人々によって決定されるものではない。

1. 価格の総額を表す数字(これは生産者自身によって決定される。)

2. 消費者の購買力を表す数字(これは自由裁量権を持っている小遣い銭に対しての消費者の願望によって決定される。)

< B> そして、これらの数字が等しくなるように、社会信用では1番目の数字を2番目の数字のレベルまで下げるのである。

先ず最初に、広範囲に及ぶ結論を与えてくれる少数の聞き慣れないアイデアを紹介することによって、説明しよう。


生産の本当の原価

物の正確な価格はその生産に費やされた費用の総額である。そして、ドル、erg、人・時間などの測定単位で計算するならば、それは本当のことである。

しかじかの労働は、時間として4時間、汗として10オンス、労働者の食事、および器具の磨耗が必要になる。もし、列挙した通り間違いないならば、この労働の正確な価格、すなわちその本当の原価は、時間4時間、汗10オンス、労働者の食事、および器具の磨耗であり、それ以上でもそれ以下でもない。 

カナダでは原価をドル単位で評価するのに慣れていて、労働を磨耗や他の費用発生源を含めてドルで評価することに慣れているので、ドル単位で両者の関係を設定することが可能である。

もし、原材料費、労働、エネルギー、および磨耗を一切合財した合計が100ドルならば、生産品の正確な価格、本当の原価は100ドルである。

しかし、経理上の価格、金融上の価格というものがある。工場で品物を生産している間に、原材料原価、加工原価、労賃、給料、資本原価などが計上される。これら全てが品物の金融上の生産原価になる。

経理上の価格と正確な価格は同じものか? それらがたとえある場合において偶然に一致することがあったとしても、全体として間違いなく同じでないと証明することは容易である。

1年間で1億ドルと評価される全生産高の資本財と消費財を供給する小さな国について考えよう。もし、その期間内の国民の全支出が8,000万ドルと評価されるならば、その年の国の生産高は正確には8,000ドルだったと認められる。というのは、生産をした国民によって全部で8,000万ドル消費されたからである。 生産品の金融上の原価は1億ドルと評価されたけれども、現実の支出においては8,000ドルに過ぎなかった。これは逃れられない事実である。両方の総計が存在する。

したがって、1億ドルという生産品の正確な価格は8,000ドルであった。

換言するならば、1億ドルの富が生産された一方、8,000ドルの富が消費された。生産の8,000ドルの価値での消費は、生産の1億ドルの価値の本当の価格である。

生産の本当の価格は消費である。

また、上述したように、生産が消費のために存在するならば、消費は生産の対価を支払うことが出来なければならない。

先の例において、その国はその生産を受ける価値がある。もし、8,000万ドルを使うことによって、その国が1億ドルの価値の商品およびサービスを生み出すならば、8,000ドルを使う一方でこれらの1億ドルの価値の生産品を手に入れることが出来なければならない。もし、そうでないならば、2,000万ドルの価値の生産品は、貧困で怒り狂っている人々を前にして、廃棄されるまでの間、眠ったままになるであろう。

富の増減

国は、生産手段、すなわち機器類、工場、輸送手段などを発達させたとき、物質的により豊かになる。それらは資本財と呼ばれる。

国は、消費される物、すなわち麦、肉、家具、衣類などを生産するときも、物質的により豊かになる。これらは消費財と呼ばれる。

国は、海外から富を手に入れるときもまた物質的に豊かになる。そのように、カナダはバナナ、ミカン、パイナップルを手に入れて、果実がより豊かになる。これは輸入と呼ばれる。

更にまた、生産手段の破損や磨耗、すなわち工場の焼失、機械の老朽化があれば、国の物質財は減少する。これは減価償却と呼ばれる。

国の物質財は消費されたときにも減少する。食べられた食料、擦り切れた衣類などは、もう利用できない。これは消費を通しての破壊である。

国の物質財は、それらが国を去るときにもまた減少する。たとえば、カナダにおいて、リンゴ、バター、ベーコンをイングランドに送るならば、それらが少なくなる。これは輸出と呼ばれる。


適正価格の計算

年間収支報告が次のようであったとしよう。

資本財の生産................................30億$
消費財の生産................................70億$
輸入................................................20億$

                                                         _____

全取得..........................................120億$

そして、

資本財の原価焼却..........................18億$
消費..................................................52億$
輸出..................................................20億$

                                                          _____

全減少..............................................90億$

結論:

その国は、120億$の生産でより豊かになった一方、90億$の生産を使うか、消費するか、輸出した。

120億ドルの生産の本当の原価は90億ドルである。もし、120億ドルの商品とサービスを生産するために現実として90億ドル掛かるのならば、その国は90億ドルだけ使って、120億ドルの価値の生産を享受できなければならない。

90億ドルで、12億ドルを支払うことができなければならない。12に対して9で支払う。そのためには価格調整が必要である。経理上の価格12を本当の価格9のレベルまで下げるため、誰を冒涜することなく、誰を害することもなく、そうすべきである。

この収支報告書を前にして、生産が消費のために存在する経済において、次のような結論が論理的に導かれる。

90億ドルの生産の消費は、機械類の磨耗を含み、120億ドルの生産を可能とし、改善も含まれているので、90億ドルが生産の本当の価格である。その国がその生産を使うことが出来るためには、それが望まれる限り、本当の価格90億ドルでそれを手に入れることが出来なければならない。そして、それは、小売業者が120億ドルの請求をせざるを得ないことを妨げない。

一方では、その国の消費者は9で12を買うことが出来なければならない。彼らは、市場価格の9/12だけを支払って、生産品を手に入れることが出来なければならない。

他方では、小売業者は全額12を回収しなければならない。そうしないと、彼は彼の奉仕に対する給料であるところの彼の原価、彼の利益を手に入れられない。


代償性割引

買い手は、12に対して3、すなわち25%の割引が認められるならば、市場価格の9/12だけを支払うであろう。

テーブルの原価が120ドルならば、90ドルで買い手に売られるであろう。ストッキングの原価が4ドルならば、3ドルで売られるだろう。

同じように同様の比率が全ての国内の品物の小売に適用される。なぜならば、国の信用事務所が設立されたその目的に到達するために、国の信用事務所が布告する国家的な割引だからである。

もし、国の消費財の全てがそのように市場価格の75%で売られるならば、国の消費者は消費のために使う90億ドルで12億ドルの価値がある生産品の全てを手に入れることができるであろう。

もし、彼らが市場で売られている幾つかの生産品を好まないならば、彼らはそれらを買わないであろう。そして、生産者はそれらの生産品を作るのを単に止めるであろう。なぜならば、それらは本当の富ではなく、消費者の必要性に応えていないからである。

このように、小売業者は彼らの価格の75%だけを手に入れる。彼らは買い手が支払わなかった25%をどこか他から手に入れないならば存続できないであろう。

このどこか他とは、国の信用事務所のことである。それは事実との関係でお金を投入する役割がある。売上高と国家的な割引を証明する適切な書類を提示すれば、小売業者は失われた25%に相当するクレジット・マネーを国の信用事務所から直ちに手に入れるであろう。

目的は達成されるであろう。国の全消費者は、必要に応える国の全生産品を手に入れることができるであろう。小売業者および彼らを通して生産者は、生産と流通の原価をカバーするだけのお金を手に入れるであろう。

必要性を前にしての生産品の欠乏がないので、インフレーションはないであろう。この新しいお金は、望まれ購買される生産品があるときだけ、現実的に創造される。

なお、このクレジット・マネーの発行は請求書の価格とは無関係である。というのは、それは労賃でも給料でも投資でもないからで、生産品が作られ、値付けされ、売られたあとの話だからである。

同じ結果に到達する別の方法は、買い手に全価格を支払わせることである。小売業者は買い手に購入額を証明する領収書を発行する。この領収書を国の信用事務所の支所に提示することで、買い手は購入額の25%に等しいクレジット・マネーを手に入れるという方法である。

最初の方法は、代償性の割引、小売業者に認められた割引で、国の信用事務所によってその割引分が小売業者に支払われる。

第二の方法は、買い手に対しての払い戻しである。その結果は正確に同じである。

とにかく、消費者によって支払われる価格は、市場価格に全消費と全生産の割合を乗じたものでなければならない。そうでなければ、消費者のために作られた生産品がその一部しか消費者に行き渡らないことになる。

適正価格=小売価格×(消費/生産)

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