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第24章 自由党党首マッケンジー・キングが1935年に言った

“国家がその通貨と信用の支配権を手放すならば、誰が国家お法律を作ろうとも構わない。高利貸しが一度支配したら、どんな国家でも破壊するであろう。通貨と信用の発行権が政府に戻り、その最も目立つ神聖な責任あるものと認められない限り、主権の場である国会での発言や民主主義的発言は何であろうとも無駄で虚しい。”

(ヴェル・ドゥマン誌の1958年3月1日号に最初に出版されたルイ・エバンの論文)

1935年の選挙

1935年秋、カナダは連邦選挙の最中であった。ベネット氏の保守政権は5年の任期に到達しようとしていた。1929年の秋に始まった大恐慌はまだ続いていた。

この危機は決して保守党だけの所為ではなかった。それは、政治体制や与党が何であろうとも、全ての西洋諸国に及んだ世界規模の危機であった。カナダでは、大恐慌はマッケンジー・キングの自由党政権時に始まった。有権者が1930年の選挙において自由党を見限って保守党を与党として選んだのは、この危機のためであった。

トーリー党に反対しての自由党演説者による非難がたとえどうであろうとも、マッケンジー・キングは大恐慌が決して彼の政党が政権を取ったためでないことを完璧に知っていた。彼は、大恐慌が流通するお金の欠乏を引き起こす銀行の信用制限に起因していることを非常に良く知っていた。彼は、全住民の利益のために信用を発行するための適切な方法を知っていて、そうすれば全住民の必要性に応えるに十分なだけのお金を供給できることに十分気付いていた。 

また、マッケンジー・キングは1918年に出版された産業と人間性という本を書いているが、彼がカナダの自由党の党首に選ばれたのはその1年後であった。彼は、その本の中で、数ある中で次のように書いている。“お金は、金属に刻まれる数字か、紙幣に印刷される数字か、あるいは銀行の帳簿に記入される数字かという違いはあるが、いずれにしても単なる数値から成っている。” だったら、 これらの数字を統制し損なって、何故、国家全体を不況に貶めるのであろうか?

Mackenzie Kingマッケンジー・キングはこの問題の全ての重要性を理解していた。だから、1935年の選挙キャンペーンの正に最初において、自由党の党首として次のような注目すべき発言をした。

“国家がその通貨と信用の支配権を手放すならば、誰が国家お法律を作ろうとも構わない。高利貸しが一度支配したら、どんな国家でも破壊するであろう。通貨と信用の発行権が政府に戻り、最も目立つ神聖な責任あるものと認められない限り、主権の場である国会での発言や民主主義的発言は何であろうとも無駄で虚しい。”

“自由党は、信用は銀行家だけの利益についての問題ではなく、全ての国民に直接関係する公共の問題だと信じている。自由党は、大衆の必要性の立場でお金の発行を統制するための正しく構成された国家銀行を即座に設立することに賛成すると宣言している。お金の流れは、カナダの人々の国内的社会的産業的必要性と関連していなければならない。”

お金の独占業者は、人々の幸福に全く反対している。マッケンジー・キングは、それを知っていただけではなく、この金融支配に公然と対決する決意をしていて、サスカチューンでの演説で、次のように断固として公言した。

“もし、我が党が政権に復帰するならば、カナダ人がかつて見た、金融権力と国民との最大の戦いにおいて、金融政策を成功させるであろう。”


選挙の後

1935年10月14日の投票の結果、自由党は下院において空前の大多数の議席を得た。この自由党が勝利した晩のラジオ放送において、次のように、マッケンジー・キングは金融独裁者を拘束するという彼の約束を繰り返した。

“この選挙によって、信用は公共の問題であり、銀行家の利益だけではなく、全ての国民に直接的に関わる問題であるという自由党の考え方が是認された。

“国家銀行の民間による所有・支配に反対し、国民の必要性の観点で通貨を発行するという統制力を持った正しく構成された国家銀行に賛成するという国民の判断が明らかになった。信用と通貨の発行権をカナダ政府に取り戻すべきとの要求があると理解して間違っていることは有り得ない。

“選挙運動が進むに連れて、国会の代表者を通しての、どのような権力によるのではなく国民による政府全機能の掌握の問題は益々明らかになった。組織化された金融および国際通貨権力ではなく、責任のある大臣が全ての国家の業務を掌握すべきであると、有権者は公然と認めたのである。”


何故、キング氏が?

これらの言葉は、選挙前だけではなく、選挙後も同じように明言され続けた。金融圧制は止められねばならない。国民は、本当に国民に属するような銀行から、我が国の生産能力を国内的・社会的・産業的必要性へ奉仕させるために必要な全てのお金を獲得しなければならない。

人は何故かと不思議に思うかも知れない。そのような計画と繰り返された声明があったのに、何故、自由党党首はその後何もしなかったのか? カナダ銀行の完全国有化も何故されなかったのか? 国民は手に入る物理的可能性を公共および民間の必要性に奉仕させるための完全な金融的手段を得ることが出来なかったし、今もまだ得ていない。何故、マッケンジー・キングは、財務大臣としてバークレイ・インターナショナル銀行頭取チャールズ・ダニング氏を直ちに任命したのであろうか? 彼は下院議員でさえなかったし、選挙で活動さえしていなかったのに。誰かがマッケンジー・キングにその選択を強いたのであろうか?...こういう次第で、我々は“カナダがかつて見た金融権力と国民との間の最大の戦い”なるものを今日まだ待ち続けている。

前の記事は1958年にルイ・エバンによって書かれた。1952年に彼が書いた別の記事において、この同じ問題についてエバン氏はある面白い情報を暴露している。その記事の結論を次に示す。

マッケンジー・キングの声明は、少なくともお金と信用の独裁に通じている一団にセンセーションを巻き起こした。2〜3年後、カナダを旅行していたオーストラリア人がマッケンジー・キング首相にインタビューする機会を得た。首相の愛想の良さに安心して、彼女は首相に“堅苦しいことは止めて、率直な質問をさせて頂いて宜しいでしょうか?”と訊いた。

マッケンジー・キング:“いいですとも、奥さん”

ビアーネ夫人:“首相、お金と信用の支配について、およびもし本当の民主主義を望むならばその支配権を国家に取り戻す必要性があることについての貴方の1935年の声明を知って、オーストラリア人の多くがわくわくしていて、他の国の人々も同様です。我々は、‘全ての文明化した世界に多大な害を為してきている独裁者を揺さぶるであろう首相が、英連邦に属する国に現れたのだ’と独り言を言っています。我々は貴方を現代における最大の政治家と既に喝采していました。何故、我々の希望がまだ叶っていないのでしょうか?”

マッケンジー・キング: “奥さん、わいらは、やれることをやるだけでんがな”


圧力に従って

マッケンジー・キングは知っていたが、“出来なかった”かあるいは“出来ないと思っていた”。お金の支配、およびそれに起因する権力を享受する人々以外に、反対はあったのだろうか?その変化を実現するために、彼ら自身を解放することを望む教養ある住民からの支持と圧力以外に、どのような支持と圧力をキング氏は欠いていたのであろうか?

“政府は加えられる圧力に従って振舞う”と、合衆国大統領フランクリン・D・ルーズベルトは言った。

有名人は知っているが、それに従って振舞っていないと、残念に思うかも知れない。しかし、民主的である振りをしている国民が彼らの役割をまだ果たしていないことも認めなければならない。このような経験的知識に基づいて、社会信用論者は“ミカエル”誌を通しての啓蒙活動をしている訳である。




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