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第26章 銀行家になったゴールドスミスー本当にあった話

(社会信用カイエ誌の1936年10月号に最初に出版されたルイ・エバンの論文)

もし、あなたに幾分かの想像力があるならば、2〜3世紀前の旧い時代でまだ進歩していなかった欧州に戻ってみなさい。それらの日々においては、お金は毎日の商取引であまり使われていなかった。取引のほとんどは、単純な直接交換、すなわち物々交換であった。しかし、王、貴族、金持ち、大商人はゴールドを所有していて、それを彼らの軍隊の費用に充てるためや、外国の製品を購入するために使用していた。

しかし、貴族間の戦争、国家間の戦争、および武装強盗によって、お金持ちのゴールドやダイヤモンドが略奪されるということがあった。それで、非常に神経過敏になったゴールドの所有者は、彼らの宝物の保管を金細工師に委託する習慣が生まれた。金細工師は貴金属を扱っていたため、厳重に保護された金庫室を持っていた。金細工師はゴールドを受け取り、預入者には預り証を与え、ゴールドを保管して、そのサービスに対する料金を取った。勿論、所有者は好きなときにいつでも、彼のゴールドの全部あるいは一部を引き出すことができた。 

coffre orパリやマルセイユに向かったり、あるいはフランスのトロワからアムステルダムへ旅行する商人は、物を買うためにゴールドを用意した。しかし、この場合にも、路上で襲われる危険があった。そこで、彼はマルセイユやアムステルダムの売り手に、金属よりも署名した預り証―パリやトロワの金細工師に預けられた宝の一部に対する請求権を証明する預り証―を受け入れるように説得した。金細工師の預り証は資金の実在性の証拠であった

アムステルダムなどにおける供給者がフランスの買い手から受け取った署名入り預り証を輸送サービスの代償として受け取るロンドンやジュネーブの金細工師をうまく見つけるということもあった。手短に言えば、商人は少しずつ、ゴールドそのものよりもむしろそれらの預り証を互いに交換し始めるようになった。そうすることで、ゴールドを不必要に移動させることや、強盗襲撃という危険を冒すことを避けられるからである。換言するならば、買い手は取引先への返済のために金細工師から金メッキを手に入れるよりもむしろ、金庫室に保管されたゴールドに対する請求権を保障する金細工師の預り証で返済するようになった。

持ち主が変わるのは、ゴールドではなく金細工師の預り証になった。売り手と買い手が制限された人数である限りにおいては、それは悪くない制度であった。預り証の遍歴を追うことは容易であった。

ゴールド貸し

ところが、金細工師は間も無くある発見をした。それは、クリストファー・コロンブスの記念すべき旅行よりも遥かに人類に影響するものであった。彼は経験を通して、安全に保管しているゴールドの殆ど全てが金庫室に眠ったままであることに気付いた。商取引に預り証を使っているゴールド所有者の1/10以上が、貴金属を引き出しに来たことがなかった。

儲けることへの渇望、宝石職人の道具を手渡すことによってよりも早急に金持ちになりたいという願望が我らが男の心を研ぎ澄ませ、彼は大胆な身振りをした。「何でや」、彼は自分自身に言った。「わいは、何でゴールド貸しになろうとせんのや!」 とは言うものの、彼に属さないゴールドの貸し屋なのである。そして、彼は聖エリジオ(あるいは、7世紀におけるフランス国王クロテール2世とダゴベルト1世の造幣局長であった聖エロワ)のような高潔な魂を持っていなかったので、そのアイデアを考案し育んだ。 彼はそのアイデアをより洗練さえした。「わいのもんと違うゴールドを利子付きで貸すやなんて、正直に言う必要あらへんがな!もっとええことがあるがな、そうでしょうがな、我が親愛なる旦那様よ(彼は悪魔と話していたのだろうか?)。 ゴールドの代わりに預り証を貸したろ。そんでやな、利子はゴールドで取ったるんや。そうやって手に入れるゴールドは、わいのもんや。そんでやな、お客はんから預かったゴールドは、新しい融資をバックアップするために、わいの金庫室に残ったままと言うこっちゃがな。」

彼は、彼のその発見を秘匿して、妻にさえ話さなかったので、彼女は彼がしばしば嬉しそうに手を擦り合わせるのを不審に思った。彼は「グローブ・アンド・メイル紙」や「トロント・スター紙」に広告を掲載しなかったけれども、彼の計画を実行に移すのにそれほど待つ必要はなかった。

ある日、現実に、金細工師の友人が彼に会いに来て、頼みごとをした。この男は資産がない訳ではなく、家や耕作地のある農園を所有していたけれども、取引を成立させるためにゴールドを必要としていた。もし、彼がちゃんと返済してくれるならば、利子の分だけ儲かる。そしてもし、返済できないならば、金細工師は融資額の価値を遥かに上回る資産を手に入れることができる。

金細工師は彼に書類への記入をさせながら、ポケットに大金を持っているのは危険だと無欲な態度で説明した。「あんさんには預り証を渡したるわ。それ持ってたら、わいの金庫に保管してあるゴールドをあんさんに貸したんと同じ値打ちがあるんやで。この預り証を債権者に渡したり。そんで、そいつが預り証をわいのとこに持って来よったら、わいがそいつにゴールドを渡したるがな。あんさん、わいに感謝せんとあかんやろ。」

債権者が彼のところに現れることはめったに無かった。voûte 債権者は必要とするものの対価として、その預り証を他の誰かに渡すのが通常であった。暫くして、その金細工師の評判は広がった。人々が彼の元へやって来た。 金細工師による他の同様の融資のお陰で、金庫内の現実のゴールドよりも預り証が何倍もの速度で流通するようになるのに時間は掛からなかった。

金細工師その人が通貨の流通を本当に創造したのであるが、彼は大儲けをしたのである。彼は当初、預り証を持った多数の人々がゴールドへの交換を求めて同時に殺到することを懸念していたが、直ぐにその心配をしなくなった。 彼はある程度までであるが、全く安全にこのゲームを続けることができた。何とまあ、振ってきたような幸運であろうか。持っていないものを貸して、それで利益が得られる。人々の彼に対する信用、彼がそう仕向けたのであるが、その信用のお陰である。彼は経験的に把握していた最低限の量のゴールドを保有している限り、彼には何のリスクもなかった。 その一方で、借り手は義務を果たすことができないならば、すなわち期限までに返済できないならば、金細工師が担保資産を獲得した。金細工師の自制心は直ぐに曇った。当初のためらいが彼を悩ますことは最早なかった。 

信用創造

更にまた、金細工師は預り証の発行の仕方を変えるのが賢明だと考えた。融資をするときに、「ジョン・スミスの預り証」と書く代わりに、「私はこれの持参者に支払うことを約束する」と書くことにした。この約束状はゴールド通貨のように流通した。信じられないと言いはりますかか? そんなら、あんさんの持っている1ドル紙幣を見てもらいまひょか。そこに何て書いてますかいな。ドル紙幣も同じようなもんと違いませんかいな? そんでも、お金として流通してまっしゃろ。

豊かに実るイチジクの木 ―私有銀行制度、通貨の創造主にしてその主人― は、そのようにして金細工師の金庫から成長した。ゴールドを動かさない彼の融資は銀行家の信用創造となった。当初、預り証であったものが、要求があれば支払うという約束状に変わった。銀行家によって支払われる信用は預金と呼ばれ、銀行家は預金者の預金からその一部を融資していると一般大衆は信じさせられている。これらの信用は小切手として流通し、政府の法定通貨を量的および質的に凌駕し、政府通貨は単に二次的な役割となった。銀行家は政府が発行する紙幣通貨の10倍ものお金を創造した。

銀行家になった金細工師

金細工師は銀行家に転進し、また新たな発見をした。すなわち、沢山の預り証(信用)を流通させることによって、ビジネス、産業、および建設業を加速させることができることに彼は気付いた。一方、銀行内のゴールド不足に対する懸念から信用を制限した体験から、信用制限によってビジネスが停滞することを知った。後者の場合、生産過剰になるとともに、著しい窮乏が発生するように思われた。購買力の不足のために生産品が売れないからである。価格は低下し、破産が頻発し、銀行家の債務者は返済義務を遂行できず、貸し手たる銀行家は担保資産を刈り取った。銀行家は刈り時に対して先見の明があり、非常に巧みであり、彼にとっての素晴らしい好機を演出する。銀行家は彼自身の利益のために、他人の富に貨幣換算価値を与えることができた。寛大にして価格を上昇させたり、あるいは、ケチって価格を下げたりできた。そして、彼は望むように他人の富を操作することができ、インフレの時に買わせようとし、不況のときに売らせた。

銀行家、全般的支配者

このようにして、銀行家は全般的な支配者となり、世界は彼のお情けに頼るようになった。好景気と不景気の時期が交互に現れるようになった。人類は、自然に起こり避けようがないものと考えられている景気サイクルの前に平伏した。

一方、学者や技術者は自然の力に打ち勝ち、生産手段を発達させようと懸命に努力した。印刷機が発明され、教育は普及し、市街や、より快適な家屋が発展した。食料、衣類や、生活を快適にするものの資源は増大し、改善された。人類は自然の力を征服し、蒸気や電気の動力化を成し遂げた。変革、発展は至る所で起こった。しかし、その間、通貨制度は変わらないままである。

そして、銀行家は世界が彼に隷属させられたという自信を持ち、神秘性をまとった。彼がその財務を支配しているメディアを通して、銀行家が世界を未開状態から開放したのだとか、大陸を開化させ文明化したのだとかいう宣伝さえするほど、慎みを失った。学者や賃金労働者の貢献が認められはしたものの、進歩に対する貢献度は二次的と看做された。

一般大衆にとっては、苦痛と軽視があった。対照的に、搾取する金融家には富と名誉があった! たとえば、金融家のご立派な後継者ハーバート・ホルト(1936年当時におけるカナダの大銀行の頭取)は、栄誉を与えられ煽てられる存在であったが、彼が搾取した人々から尊敬されることを要求した。「お前らが貧困によって首を絞められ、生活保護という屈辱を受けているのに、わしが金持ちで支配力があることや、大恐慌のど真ん中でも毎年150%の利益を上げることができるのは、お前らがアホで、わしが賢明であることの結果なんやで。」




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