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第27章 銀行口座からの学習

(ヴェル・ドゥマン誌の1956年4月12日号に最初に出版されたルイ・エバンの論文)

— 銀行口座、持ってる?

— そら、持ってるがな。へっへ、ちょっとしか入ってないけどな。2〜300ドルぐらいかな。

— 支払いするために、時々、銀行口座を使ってるか?

— うん、そやな〜、めっちゃんこ高い買い物をするときとか、遠くの店に注文するときに使ってるで。そういう場合、小切手を切るんや。あれは便利やな。

— 確かに便利やな。そやから、全ての商取引の90%以上で小切手が使われているんや。街角の店で買い物する場合と違うで。卸売業者、事業家、輸送業者の取引について言うてるんやで。今や、小切手が主要な支払い手段になっとって、そのお陰で、貨幣や紙幣はどっか隅っこに追いやられたも同然やな。
  
— うん、そやけど、人が小切手を切るたびに、銀行が代わりに支払いしとるんとちゃうか。小切手が切られたら、その額面に相当する硬貨または紙幣が存在してないと、銀行家は支払えないやろ。

— おいおい、何、言うてんや、お前さんは。全然、ちゃいまっせ。多額の小切手を処理するのに、ほんのちょっと、お金があったら済むんやで。お前さんが小切手を小売業者に渡したとしても、小売業者が銀行へ行って、小切手の額面に相当する現金を下ろすなんて、めったに無いやろ。小売業者はそれを彼の口座に入れるだけなのが普通とちゃうか。彼の口座の残高が小切手の額面分だけ増えて、その代わりお前さんの口座残高が減るだけやろ。

さて、小売業者が製造業者に商品を注文するとき、小切手で支払う。その製造業者は銀行でそれを預金口座に入れる。このとき、増加するのは製造業者の口座残高で、減少するのは小売業者口座残高であり、その増減分は小切手の額面に等しい。

これら全ての取引において、一つの口座から別の口座への移動しか起こらない。一方では借り方へ、もう一方では貸し方への記入となる。

概して言えば、100ドルの小切手の場合、銀行で金銭出納係の窓口を通るのは10ドル未満の貨幣または紙幣である。これは現在の実際のビジネス現場での平均的な実態であり、銀行家はこのことを非常に良く知っている。chèqueその結果、銀行は現実に持っているお金の10倍を貸すことができる。

— え〜、何言うとんじゃ? 銀行家は持ってないお金をどうやったら貸せると言うんや?

— 貸し出すお金を作っとるんや。それが銀行の通常業務なんやで。彼らは貸し出すお金を創造しとるんや。 銀行家という奴は、正真正銘のお金の創造主なんやで。

— そんなん信じられへんわ! さっぱり分からへんわ!

— お前さんは、小口やけど銀行口座を持っているって、言うたな。さて、その口座はお前さんの貯金で作られているってことやな?

— そらそやんけ。わしが銀行にお金を持っていって、預金したったんやぞ。

— それは、偉い偉い。そやけどな、1セントも持たんと銀行へ行って、お前さんよりもずっと大口の口座を開く奴らも居てるんやで。

— あかん、やっぱり分からへん。

—まだ分からんのか、困った奴やな。そんなら、この町に住んでいるジョーンズ氏という製造業者の場合を例として、具体的に説明したろ。そいつは自分の工場を拡張したかったんや。誰もがそれは良い考えだと賛同したんやで。そやけど、ジョーンズは原材料購入費、建設業者へ支払うべき経費、および機械類購入費を賄えるお金をお持ちでいらっしゃいませんでした。彼の見積もりでは、工場拡張に掛かる費用総額は10万ドルやけど、その拡張計画を実行したら、生産高と売上高が増加して、その10万ドルなんか直ぐに取り戻せるということでした。

ジョーンズはどうしたでしょうか? 彼は銀行に行ったんや。お金を持たず手ぶらで銀行に行ったけど、帰りには彼の口座には10万ドルありました。

— それは、彼がそれを借りたからやろ。

— 全く、その通りでござんす。ただし、銀行が融資するその仕方が驚くべきことなんやで。絶対そんなこと有り得へんけどな、もしやで、お前さんが金持ちで、ジョーンズがお前さんから10万ドル借りたとしたら、お前さんの懐から10万ドルだけ無くなるな。銀行の場合は、それと全然違うねんで。ジョーンズは必要とした10万ドルを手に入れ、それやのに銀行は1ペニーたりとも失なわへんのや。

— まさか! 純情なわしを騙す気とちゃうやろな?

—それは、ほんまにほんまの事なんや。ジョーンズは何らかの担保を入れんとあかんな。お金を借りに来たぐらいやから、お金は持ってないってことなんで、担保物件を銀行に預けにゃならんってことになるな。彼は10万ドル以上の価値のある資産を担保にさせられるやろな。その担保物件あるいは保証物件を預けたら、彼は額面10万ドルの小切手を渡されて、次に出納係のところへ行ってそれを預けるやろな。

ジョーンズ氏は紙幣で10万ドルを借りて、それを持ち帰ろうとしなかった。彼は口座に額面10万ドルの小切手を預ける。(お金を預けたときと全く同じように)、彼の口座にその額が入金される。 ジョーンズ氏は、建設が進むにつれて発生するであろう請求に対して小切手を切ることができるだけの残高のある口座を得て、銀行をあとにする。 彼はこのようにお金を流通させる。しかし、彼は流通しているお金からそのお金を回収し、1年以内に全額返済することを誓約した。

— 銀行家の元々持っていたお金は全然少なくなってないと、仰せですかいな?

ほんまやと確信して貰うために、銀行の支配人の話を聞きに行こうやないか。 そいつは、わしの友人の一人やから、率直に話してくれるやろ。それに、わしがジョーンズの融資の詳細に精通していて、彼は職業上の秘密を侵害することにならへんと知ってるからな。

*       *       *

— 支配人さん、またわしの悪い癖やけど、銀行の仕事の話でお前さんを苛めに来たで。

— 信用について、まだ質問あるんかいな?

— はいな。ジョーンズへの10万ドルの融資について訊きたいねんや。ジョーンズ氏に融資したものについて正確に、ここにいるわしの友人に話したれや。

— 我々が毎日貸しているもの、それはお金ですな。

— まあ、ええわ。そんなら、ジョーンズが銀行に来る前に、そのお金はどこにあったんや?

— そんな馬鹿げた質問するなや。

— 馬鹿げてへんがな。ジョーンズはお金を持たずに来て、10万ドルを手に入れて帰った。ってことは、銀行さんはどっかからその10万ドルを手に入れたんやな? 銀行のお金は10万ドルだけ減ったんやろか?

— むむっ〜・・・!

— 出納係の引き出し、あるいは金庫において、10万ドル減ったかな?

— まいったな、彼は現金を手にしたのではなく、口座に数値が書き込まれただけやということを言わせたいんやな。

— それでええねん。そんなら、誰か他人の口座から10万ドル消えたのかな? 顧客の誰かの口座からやったりして。

— 滅茶苦茶、言いはりますな。顧客のお金に手を付けるなんて、絶対ありませんがな。自ら引き出さない限り、顧客の口座はそのままですがな。

— 何やて? 銀行が貸したのは預金者のお金と違うんか?

— そうでもあり、そうでもないと言うべきか。ある意味ではそうで、また別の意味ではそうでない。我々は預金者のお金には手を出しません。預金者のものやから。しかし、そのお金のお陰で、我々は借り手にお金を貸し出すことが許されているんや。

— そんなら、どんなお金を貸し出すんや?

— 銀行のお金や。

— そやけど、ついさっき、銀行のお金は1セントたりとも銀行から出て行ってないと仰せでしたよね。顧客のお金も同様やと言いなさったはずや。そんで、ジョーンズ氏は持ってきたわけではない10万ドルを持っていて、銀行に来る前はそのお金を持ってなかったんでしたな。

— 仰せの通りで。

— よっしゃ、そんなら訊くで。ジョーンズが銀行に来る前、そのお金はどこにあったんや?

— う〜ん、どこにもなかったです。彼は存在しなかったものを借りにやって来たということですわ。

— 存在しなかったってか?

— はい、存在しなかった訳です。

— そやのに、今は存在しとるんやな!

— 間違いなく、彼の口座の中に。

— そやったら、ジョーンズが融資を受けた瞬間に、そのお金は出現した。すなわち、銀行が貸すためのお金を作ったんやな。

— う〜ん、私はそのような表現を使いたくないですけど。

—そやけどな、あんたらの仲間の重役達はそうやと明言しとるで。タワーズはカナダ銀行の頭取やったとき、そう言うとるがな。エクルズは合衆国の銀行制度のトップやったとき、そう言うとる。 50年前、イングランドの最大の商業銀行の頭取やったマッケンナーは数人の銀行家にそう話したんやで。そういうこっちゃから、お前さんがそんなに用心深くする理由はないんじゃ。銀行は貸し出すお金を作る。銀行以外にどこからお金がやってくるんや!政府関係者は皆、お金を作っているのは銀行ではないと言いくさる。奴らは税金を徴収することで、完璧に満足しとりやがる。労働者は汗を流すことで満足しとる。事業家は生産することで満足しとるけど、彼らの機械設備からお金が生まれる訳ではない。 お金は銀行家のペンによって生まれるんや。

わしらは支配人さんに腹立てとるんとちゃうねん。本当の話、現行の通貨が存在することで大いに助かっている。そやけど、気に食わんのは、兵士個人が戦争に対して責められるべきでないのと同じようなことなんや。銀行制度はそれが作り出すお金の所有者だと思っとるのが気に食わん。お金と言うものは、本来社会に所属すべきものなんや。

— そのように主張する理由は何ですかいな?

— 事実だけを考えてみんかい。生産力のある社会、組織化された経済生活が無かったとしたら、お金なんかあってもしゃーないやろな。国の富、天然資源、人々の労働、生産技術が大事なんちゃうか。それらが、ペンの一書きで融資した10万ドルに価値を与えているんや。

— 彼が融資を受ける前に優先担保を預けたということをお忘れじゃないですかな。その担保によって、10万ドルはその価値が保証されたんですよ。

— それはちゃいまっせ、支配人はん。ジョーンズ氏が預けた担保は彼が返済することの保証でんがな。もし、彼が返済せんかったら、あんたらがその担保をいただく。融資の担保とお金の価値を混同したらいけまへんな。たとえ、保証や担保があったとしても、生産能力、農場、工場、輸送手段、および経済生活がなかったならば、10万ドルには通貨としての価値はありまへん。ジョーンズ氏がどんだけ担保を差し出そうともや。

どんな団体、組織がお金を作り出そうとも、お金に価値を与えるのは、国全体、国の富、国民なんや。そやからな、その基本的な価値の起源あらして、お金というのは本来国民のものなんや。あんさんが、工場拡張のためにジョーンズ氏にお金を貸したかったら、貸したったらええがな。そやけど、その融資によって利益を得るべきは、国民全体であって、銀行だけが利益を得るというのはトンでもないことや。銀行家に利息を与えるんじゃなく、国の発展に応じて、全国民に配当を分配するのが正しいことなんや。

銀行が社会の信用を占有していることに対して、いくら強く非難しても非難し過ぎることはない。それはいつの時代においても最大の詐欺で、どの文明国においても強固に守られてしまっている。その広範に及ぶ権力は決してそれを正当化するものではなく、非常に嫌悪すべきものに過ぎない。

全ての公的な借金―市町村、州、連邦の借金―はこの巨大な詐欺の所為や! 国を作り上げたのが国民やのに、この制度は国民を借金地獄に追い込んだだけや!

ジョーンズがしたのと同じように、公共団体・政府は借金をする。その担保は、国債、我々の家の抵当権、国民から徴税するという約束である。

政府というものは金融権力と比較したら、"取るに足りないもの”や。

人類の幸福について関心を持っていないこの暴君から、個人、家族、公共団体を自由にできるのは、社会信用だけなんや。



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