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第8章 お金の誕生と死滅

不可解な誕生

ジャガイモはどこからやって来るのか?―農夫の畑から。小さな子牛はどこで生まれるのか?―牛舎で。スモモはどこからやって来るのか?―スモモの木から。

誰もがそれは知っているけれども、お金について同じ質問をしたらどうだろうか?

お金はどこから来るのだろうか? 私のポケットの中のドル紙幣はどこで誕生したのだろうか? 誰がどういう理由で、どういう状況で、お金を誕生させているのだろうか?

政府が戦争のために融資した何百万ドルものお金はどこで生まれたのだろうか? 戦争前の10年間においては、国には十分なお金がなく、政府は通常の公共事業に融資できなかったのに。

そして、ドルが最早見当たらなくなったとき、それはどこに行くのだろうか?1925年から1929年に国に融資された巨額のお金は、1930年から40年までの大恐慌の間にどこへ行ったのだろうか? 

お金はどこかで誕生して、どこかで死滅するのだろうか?

これらの質問を人々にしたら、果たして何人ぐらいが答えられるだろうか?

神や気温はドルを創造しない。ましてや、ドルがそれ自身を創造することもない。誰がそれらを創造するのだろうか? 戦費を支払うために、一体どれだけのドル紙幣が創造されたかを誰か知っていたのだろうか? そして、大恐慌を食い止めるためにお金を創造しなかったくせに、何故誰が、戦争を遂行するためにお金を創造したのであろうか?

2種類のお金

お金の起源と終焉を明確に理解するために、2種類のお金の存在を区別しなければならない。いずれも等しい価値があるが、一つは貨幣や紙幣であり、もう一つは帳簿上のお金である。

貨幣や紙幣は単なるポケット・マネーであり、通常の人々が毎日それらを使用する。

大実業家や大小売業者は、むしろ帳簿上のお金を正規に使う。帳簿上のお金を利用するためには、銀行口座を持っていさえすればよい。

私は銀行口座に2,000$持っていると想像しよう。私はシアーズ百貨店で電気洗濯機を買う。その価格は600ドルである。私は、その対価を銀行口座の600ドルの小切手で支払う。何が起こるだろうか?

私は洗濯機を受け取るだろう。シアーズ百貨店は私の小切手をその取引先銀行に預けるだろう。銀行家はシアーズ百貨店の口座の残高を600ドルだけ増加させるだろう。そのとき、シアーズの取引先銀行は、小切手を私の取引先銀行に送るだろう。銀行家は私の口座残高を600ドルだけ減少させるだろう。そしてそれが全てである。1ドルもポケットや引き出しから去らなかったであろう。小売業者の口座は増加し、もう一方の私の口座は減少した。私は帳簿上のお金で支払ったのである。

帳簿上のお金は、銀行口座内の信用である。

この種のお金が全ての商的取引の90%を占めている。我が国のような文明化された国においては、その種のお金が主要なお金である。

更に言うと、ポケットマネーが増加するのは帳簿上のお金が増えたときであり、ポケットマネーが減少するのは帳簿上のお金が減ったときである。帳簿上のお金が10ドル流通するとき、1$のポケットマネー(貨幣または紙幣)が流通する。帳簿上のお金10ドルが流通から消えたとき、1$のポケットマネーが流通から消える。それは少なくとも現在での比率である。

帳簿上のお金は管理されていて、その量が他の種類のお金(現金)の量を決めている。 


お金の源は銀行である

お金の起源と終焉を理解するためには、帳簿上のお金の起源と終焉を理解しなければならない。帳簿のお金は全てのものを支配するものであるが、銀行口座における信用である。

ある銀行口座の信用を増加し、一方で他の口座の信用を減少することは、単に帳簿上のお金の移動である。もし、信用が銀行に預金された金属製または紙製のお金に対応するならば、ポケットマネーから帳簿上のお金への変化である。しかし、もし、銀行口座の信用が増加し、他の口座での信用が減少しないならば、新しい帳簿上のお金が生成されたのであり、それは利用可能なお金の総額が増えたことになる。

私が100ドルを貯蓄し、銀行に預金するならば、銀行は私の口座に100ドルと記帳する。その結果、私は100$の帳簿上のお金を手に入れる。しかし、それは新しいお金ではない。それは、私のポケットから銀行に、あるいは私に小切手を発行した誰かの口座から私の口座に渡ったお金に過ぎない。それは新しいお金の誕生ではない。それは単に貯蓄である。

しかし、もし、私の貯蓄を銀行に持って行く代わりに、私の工場を拡大するための多額のお金、たとえば10万ドルを借りに銀行に行ったならば、実際に何が起こるだろうか?

銀行の支配人は私に何枚かの書類と誓約書にサインさせる。それから彼は私に割引小切手を手渡し、私はそれを現金出納係に預ける。現金出納係は、私の口座に10万ドルの預入を記帳するだけである。彼は私の通帳にも同じ額を記録する。

私は、現金を何も手にすることなく銀行を去るが、銀行に入ったときには持っていなかった10万ドルの帳簿上のお金を手に入れている。これによって、私は10万ドルまでならば、機械、資材、労働力に対する対価を小切手で払うことができる。

更にまた、これを為すため、銀行の他のどの口座における減少がなかった。引き出し、ポケット、口座のどこからも、1ペニーたりとも移動しなかった。私は10万ドルを得たが、それに伴って、誰も1ペニーたりとも失わなかった。

この10万ドルは1時間前には存在しなかったけれども、今、それは私の銀行口座に信用として入っている。

それなら、このお金はどこから来るのだろうか? これは、私が銀行内に歩いて入った時点で存在しておらず、誰のポケットや口座にも存在していなかった新しいお金であり、それは今私の口座に存在している。

銀行家は、信用の形で帳簿上のお金として10万ドルの新しいお金を実際に創造したのであり、そのお金は貨幣や紙幣と同等なのである。

銀行家はこれをすることを恐れない。受取人に渡った私の小切手によって、受取人は銀行家からお金を引き出す権利を手に入れるであろう。しかし、これらの小切手の額面の9/10だけが私の口座のお金を減少させ、他の人々の口座のお金を増加させる効果があることを、銀行家は非常に良く知っている。銀行準備金が預金の1/10あれば、ポケットマネーを要求する人々に十分応じることができることを、銀行家は非常に良く知っている。言い換えるならば、現金準備金として1万ドル持っているならば、帳簿上のお金として10万ドル(10倍)貸すことができるということを銀行家は非常に良く知っている。

ー編集者注記:この文章は1946年に書かれたもので、その後、この割合(10%という現金準備要求)は変わっている。1967年に、カナダ銀行法によって、公認銀行は銀行準備金の16倍(の帳簿上のお金)を創造できるようになった。1980年の初めに、現金(銀行券および貨幣)として要求される最小準備率は5%になり、それは、ポケットマネーを要求する人々に応じるため、20ドルのうち1ドルだけあれば良いということを意味する。もし、現金として1万ドル持っているならば、帳簿上のお金を20万ドル、すなわち準備金の20倍を貸すことが出来ることを、銀行家は非常に良く知っていた。

実際には、銀行家はそれ以上もっと貸し出すことができる。というのは、ペンで無から創造した帳簿上のお金で、中央銀行(カナダ銀行)から銀行券を買うだけで、意のままに現金準備金を増大させることができるからである。たとえば、1981年、カナダの公認銀行は総体として、それらの銀行の合計資産の32倍の貸し出しをしていたことが、1982年の国会における銀行利益調査委員会によって明らかにされている。中には、資本の40倍も貸し出している銀行もあった。 更にまた、1990年、アメリカ合衆国において、商業銀行における全預金額は約3兆ドルであったが、準備金は6千億ドルであった。これは、預金額が準備金の50倍であることを意味する。合衆国の銀行は、1ドルに対して約2セントしか預金者に払い戻せる現金を持っていなかった。

1991年12月13日に制定されたカナダ銀行法の最新版の条文457(1)は、1994年1月現在、公認銀行が維持すべき現金の形での一次準備金は無・ゼロであると決めている。よって、銀行は信用すなわち帳簿上のお金の創造において法的に最早規制されていない。 (そして、既に銀行によって計画されていることであるが、もし、全ての現金が、デビットまたはマイクロチップカードによって電子マネーに事実上置き換えられるならば、銀行はお金を創造することに対して実質的な制限さえ受けなく なるであろう。そしてその時、お金は紙切れや帳簿上の数値でさえなくなり、単にコンピュータの情報単位であるバイトになるであろう。)

通貨供給量の増加

銀行から借りるのが政府の場合でも、その手続きは同じである。ただし、国全体の富が関わるため、その額はとんでもなく大きくなる。その時、無担保債券の形であるものの、税に対する全権が銀行家への担保として使われる。

1939年に戦争が始まったとき、その直前の10年間においてお金が不足していた政府は、銀行から2億ドルの最初の融資を受けた。銀行はその前日以上のお金を持っていた訳ではない。直前の10年間、住民にはお金がなかった。お金を欠いているとき、人は銀行へ行って余剰金を預けることはほとんど有り得ない。

それにもかかわらず、銀行は政府に2億ドル融資した。銀行は政府に帳簿上のお金として2億ドルの信用を貸与した。そして、お金が無いために数年間当ても無く放浪していた若い人々は直ちに政府に召集され、頭から爪先まで服を着せられ、宿や食料を与えられ、装備させられて、大殺戮に参加するために欧州に輸送された。

そして、これは世界中の全ての国で見られたことである。世界はお金の欠乏のため、10年間失業で苦しんでいた。この同じ世界が非常にお金の掛かる戦争をすることができたのは、銀行が戦費として必要な帳簿上のお金の全てを創造したからである。

このようにしてカナダの銀行は、全世界での殺戮のうちのカナダの担当分を融資するための新しいお金として少なくとも30億ドルを戦争期間中に創造した。

お金は創造するのが容易である。何故ならば、必要とされるのは銀行家のペンだけだからである。そうなのに、戦争の前においてはお金が欠乏し、世界は10年間苦行していて、どの政府も銀行家のペンを利用するよう指図しなかった。


お金の死滅

しかし、銀行家によって創造されるこの帳簿上のお金は、ある条件の下で創造される。それは、利子と言う形での他のお金と一緒に、決められた期限以内に返済されなければならない。

こういう事なので、20年という期限で5%の利子で100万ドルを政府が借りたならば、20年以内に200万ドル、すなわち100万ドルの元本と100万ドルの利子を返済する義務を負う。

政府はお金を創造できないことと、流通している以上のお金を国民から汲み上げることができないことで、銀行家が創造した以上のお金を銀行家に返済することは不可能である。政府が債務を果たそうと試みれば試みるほど、国内のお金は欠乏する。政府は銀行家によって創造された元本に対する利子を無限に払い続けることができるように更なる借金さえせざるを得ない。

そういう理由のため、公共の負債は必ず増加し、その負債に対する利子は増大し続け、利子費用を払うための税金が益々重荷となる。

銀行から同様に借金をした民間の個人の場合、利子を払うかあるいは破産しなければならない。もし、誰かが返済に成功するならば、費やした以上の高い価格で生産品を売って、消費者から搾り取ったということである。何人かが返済に成功したとしても、お金が利子付きの負債として始まるというシステムの下では、他の何人かは必ず破産するのである。

借金の返済として銀行に戻って来るお金の9/10は、信用の形で銀行に入り、単に相殺される。このお金は存在することを止める。銀行は、お金の揺りかごであるとともに墓場でもある。銀行はお金を創造する工場であり、かつそれを相殺する屠殺場でもある。

新しい融資がなされるよりも速く、返済が要求されるならば、それは屠殺場が工場よりも迅速に稼動することに相当する。その結果は不況である。そのようにして、1930−1940年の大恐慌は起こった。

融資が寛大で、返済よりも頻繁ならば、それは工場が屠殺場よりも迅速に稼動することに相当し、お金は豊富になる。これは戦争の間に起こったことで、お金は生産品の総価格以上であった。

流通するお金の総額が銀行の行動に依存することは、全く明らかである。そして、銀行の行動において、生産品や必需品は全然考慮されていない。


有害な独裁者

お金無しで生きることが出来ない世界において、このように民間の同業者―銀行―にお金の量を規制する権力を与えるシステムは、世界をお金の製造者と破壊者の慈悲に委ねているということなのだ。

お金と信用を支配する人々が、我々の生活の支配者となっている。彼らの許可なくして誰も呼吸さえ出来ない。これは、教皇ピウス11世が述べたことである。

重要な要点が強調されねばならない。

お金に価値を与えるのは生産である。生産品に対応しない札束は誰を生存させることも適わず、全く無価値である。生産品、商品、およびサービスを提供するのは、農民、生産業者、労働者、専門家、組織化された市民である。しかし、それらの生産品に基づくべきお金を創造するのは銀行家である。そして、銀行家が生産品からその価値が生じるはずのお金を独占し、生産品を作る人々に貸している。



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