>

社会信用:社会主義ではなく、政党でもなく


社会主義ではない

“社会信用”という用語の中に含まれている社会という言葉のせいで、それが社会主義の一形態だと誤解して、自動的に拒絶する人々がいる。しかし、それどころか、社会信用は社会主義や共産主義と闘うため、および私有財産と個人の自由を守るための最善の方法である。社会信用提案を勉強したドミニカの神父は、“そして、もし、社会主義や共産主義を望まないならば、それらに反対するために社会信用を持ち込みなさい。社会信用は、それらの敵と戦うための強力な武器となるでしょう”とさえ、書いている。 

そして、1939年に、ケベック州の司祭によって召集された9人の神学者委員会は、社会信用が社会主義や共産主義に汚染されておらず、真剣に注視する価値があると結論している。実際、社会信用は社会の全ての人々を現実の資本家、すなわち国の富の共同所有者にすることを狙っている。もし、“社会”信用という表現が一部の人々を脅かすならば、ダグラスの金融上の提案を他の言葉で表しても良い。たとえば、公共信用、経済的民主化、あるいは新経済学と呼んでも良い。


政党ではない

政党の問題に関してであるが、過去に“社会信用”と呼ばれた政党があったのは本当であり、そのためある人々は困惑しているかも知れない。“社会信用”党は暫くカナダの国政において存在し、1935年から1971年まではカナダのアルバータ州で、1952年から1991年まで(1972年から1975年までの3年を除く)はブリティッシュ・コロンビア州で与党でさえあった。これらの州政党はどの党も社会信用を適用しなかった。(“社会信用”党の党首B.C.ベネットは、1952年州知事として公職に就いたまさにその日に、我が党は社会信用原理を適用するために何かするということは一切ないとさえ言った。実際、その政党あるいはその政策において、本当の社会信用と密接に関連するものは全く何もなく、その政党はより正確には“保守”党と呼ばれるべきものであった。) 

C.H.ダグラスの社会信用原理を実行するためのいわゆる“社会信用”党に対する必要性はないというのが事実である。これらの原理は、その名前が自由党や保守党などどんな名前であろうとも、現在政権にあるどんな政党によっても適用され得る。“社会信用”党を支持することが、社会信用を推進するための最善策だと考えた人々が居たかも知れないけれども、C.H.ダグラスおよびルイ・エバンの考えは全く反対であった。

ダグラスおよびルイ・エバンが指摘したように、“社会信用”党を結成することは迷惑なことでさえあったし、本当の社会信用の実現を妨げただけであった。たとえば、政党の呼び名として“社会信用”という言葉を使うならば、社会信用を勉強しようとさえしている他党の支持者の心を閉ざすことになる。というのは、彼らは闘うべき別の党と考えるであろうからである。

選ばれた代表者が国会に送られ、その代表者が正確に選挙民を代表し、彼らの意志を表明するのが、本当の民主主義である。そうなので、肝心な事は、新しい政党を作って、人々を更に分裂させることではなく、共通の目的のために人々を団結させ、それらの目的を実現するように政府に圧力を掛けることである。この政治に圧力を掛ける方法は、ミカエル誌で提唱されているものである。

1936年3月7日、社会信用論者に対して、ダグラスは次のように演説している。“もし、一団の男達を国会に送る込む目的があなた方の望むものを手に入れることであると、あなた方が同意するならば、一体全体何故、特別な一団すなわち特別な政党を選ぶのか? 国会にいる男達はあなた方のためにあなた方の望むものを手に入れるべきであり、それが彼らの仕事である。それをどのように手に入れるかを言うのは彼らの仕事ではない。どのように事を運ぶかは専門家の責任であり、専門家に任せるべきものである。”

同じ機会において、社会信用党が(どこかの国に)存在すべきとの考えは、“完全な誤解”であると、ダグラスは言っている。更に彼は次のように付け加えている。“もし、社会信用党が与党になったら、この国で社会信用党が選出されたことは起こり得る最大の惨事の一つと考えると、私は発言するかも知れない・・・・。非常に有能な専門家の一団に指図するために、一団のアマチュアを選出してしまったことになる。アマチュア達は為された全てのことに対して責任を取らされることを、専門家達は理解するだろうと、私はあなた方に言っていいだろう。” これは、正確に1930年代にアルバータで起こったことである。(ダグラスはその問題について“アルバータ実験”というタイトルの非常に興味深い本を書いている。次の記事はそこから引用したものである。)

アルバータ実験

Aberhart

ウィリアム・アベルハルトはカルガリ高校の校長であるが、毎週日曜日に宗教的な放送で州の聴取者を魅了していた。彼は社会信用に関する本に出会い、その新しい光に非常に興奮したことで、社会信用の“福音”を伝道するとともに、それに対する支援者を募るために彼のラジオ番組を利用し始めた。間も無く、何百もの研究グループがその州を横断して出現し、アルバート州民の過半数は社会信用を支持するようになった。当時のアルバータの与党、農民連合もまた社会信用に対して寛大であったが、それは州単位では駄目で国単位で適用され得ると言った。アルベルハルトは納得せず、1935年の州議会選挙に社会信用候補者を立候補させることを決め、州議会の63議席のうち56議席を獲得した。彼らは全員が政治への参加は初めてでアマチュア集団であったので、とうてい金融家達の相手ではなかった。

たとえば、ダグラスの助言を聞かないで、アベルハルトが公職に就いたとき、彼はオタワに行き、金融問題に関する顧問を求め、ロバート・マゴー氏が顧問に付くことになった。このマゴー氏は唯一つの目的を持っていたことが明白である。すなわち、社会信用の評判を落とそうという目的を持っていた。社会信用とは正反対の手段が採用され、しかもそれはダグラスが“伝統的金融への降伏政策・・・・。アルバータにおいて為され得るであろう戦略上のほとんど全ての間違いが為された”と呼ぶところのものである。

また、次のことも言っておかねばならない。アルベルハルトは十分に誠実な人物であったけれども、社会信用についてほとんど知識がなく、その専門的な基礎を理解していなかった。その結果、ダグラスのアイデアを単純化しようと努力する中で、しばしば歪曲してしまったのである。次の数年間で、15の社会信用法案がアルバート州政府によって可決されたが、より権威ある当局によって拒否権を発動された(連邦政府によって却下されたか、あるいは最高裁判所によって憲法違反と裁決された)。

論点の一つは、明らかに、金融がカナダ憲法によれば連邦司法権の下にあるということである。ダグラスはアベルハルトに、州の信用システムを樹立することによって州自身の信用を利用するならば、アルバータはその障害を避けて通ることができると説明した。というのは、“州の比類なき信用に基づき貸し付けをする権利を憲法が州に認めているためである。1948年9月11日の「社会信用論者」の中で書いているように、“アベルハルト氏が(1935年に)選挙で最初の勝利を収めたとき、彼がした全ては(信用独占と戦うための)軍隊を募集したことである。その戦争は開戦すらされなかった。”

アベルハルトは在職中の最初の数年における失敗から学び、第二次世界大戦後に、再び戦いを始めようと準備していたが、不幸にも1943年5月に死去した。彼の継承者アーネスト・マニングは、戦いを再会する準備が出来ていないと直ぐに表明し、1947年に最終的に、彼の政府はアルバータで社会信用を実行するために最早何もしないと宣言した。(偶然にも、政界を引退したあと、アーネスト・マニングは銀行の取締役になった。)

こういう次第なので、“社会信用はアルバータで試みられたが失敗した可笑しなお金の施策である”と言う人々がいるけれども、とんでもない間違いである。社会信用がアルバータで失敗に終わったのは、それが試みられたのが初めてであったという単純な理由からである。社会信用政策を実行しようとする全ての試みは中央集権化された権力によって、反対され打ち負かされた。ダグラスが言ったように、もし、社会信用がこの時代の大恐慌に対して効果的な答えとして不合理で無価値ならば、それを証明する最善の策は、アルバータ州政府に社会信用政策を進めることを許すことであっただろう。信用創造の独占者達は、社会信用の部分的適用が非常に成功することを恐れ、その適用を妨げるためにあらゆる努力をした。

*    *    *

したがって、社会信用提案を政府に実行させるための唯一の効果的な方法は、いわゆる“社会信用”党を結成することではなく、社会信用提案を全住民に知らせることである。―我らがミカエルの小冊子を配布することによって、取り分け我らがミカエル誌の定期購読を懇願することによって―与党がどの政党であろうとも我が国の政府に、負債とならない国固有のお金を発行させ、ダグラスの社会信用原理を実行させるのに十分なだけ強い一般大衆の圧力を培うために。

社会信用原理が一度実行されたならば、(それが実行された国において)貧困を根絶するための非常に効果的な方法になるであろうと、我々は固く信じている。歴史上初めて、完全な経済的安心が各人、全ての個人に保証されるであろう。だから、親愛なる読者には、次のページに進み社会信用を勉強して貰いたい。我々の望みは、これを勉強することで、あなた方が社会信用という解決策を同じ国の仲間達に知らせる行動を取るということである。そのあなた方の行動によって、あなた方の国の政府に、負債とならない国固有のお金を発行させ、ダグラスの社会信用原理を実行させるのに十分なだけ強い一般大衆の圧力が培われることを願うものである。

編集者達

1996年3月1日、ルージェモンにて



トップページへ戻る