
2.少年少女、想い交錯。
「この間数学の抜き打ちテストがあって、それもだいぶ捻くれたって言うか、性質が悪い陰湿〜なものだったんだけどね。それで満点叩き出してたから凄いなぁって。」
「それが東風君の印象?」
「うん、まぁ、そんなとこ。理数系は強いってイメージが……あ、あと運動神経も結構凄いよ。」
片手にメモ帳、片手にボールペン、如何にも聞き込みしていますの体で情報を記録していく愛満だったが、早くも二回目の『凄い』というフレーズの登場に、この女子生徒はあまり語彙が無いのかも知れない、なんて間違っても口に出せないような失礼な感想をいだく。
校庭の植え込みの近くで聞き込み中のその背に、別の女子から声がかけられた。
「あれ、貴女私にも聞いてきたよね?」
昇降口から吐き出された、体操服姿の一団の中から一人があぶれて此方へと向かってくる。凄いを二連発していた女子も同じ服装であるところを見ると、少なくともクラスメイト或いはそれ以上の関係なのだろう。
「えぇ、同じく東風君についての質問です。」
「ふーん……確か新聞部、だって。」
愛満の首肯に、訝しむ視線はいっそ睨めつけて、そのまま女生徒はなんだか眉間に皺を寄せた顔を愛満の眼前まで、鼻がくっつきそうな程押し出すと、重みを乗せた低音で呻いた。
「告白かすっぱ抜きかするつもりなら、はっきりいってそうやってこそこそしてるの、なんか気持ち悪い。」
「一応本人から取材許可も頂いてますよ?」
「それも疑わしいっていうか。」
所謂恋敵的な牽制のつもりなのだろうか、だとするとその勘違いは面倒を引き起こす可能性大の為取り消したいのに、中々上手い言葉が思いつかず口をついた愛満の返答は、逆に癇に障るもののようで殊更じっとり、視線が突き刺さる。
「母一人子一人の苦労人、なんて今更時代錯誤なんだから、そんなくだらないフレーズで貶めようとか、考えるんじゃないわよ。」
「滅相も無い。母子家庭だとさっき知ったくらいです。」
「ふーん……」
疑惑はちっとも解消してません、と言わんばかりの『ふーん』に、若しかしたら同じフレーズを繰り返し使うのが流行っているのかも知れないな、なんて的外れな見解に耽る愛満の横で、『凄い』の少女がこの火花さえ見え始める険悪なムードにどうしたものやら勝手に焦り出していた。
「あ、あの、じゃあもう、いいかな? 授業が……」
「えぇ、どうぞお戻り下さい。御協力感謝します。」
深々と頭を下げる様子に、鼻息を荒くしていた少女は毒気を抜かれてしまったよう、どう対応してよいのやらあぐねたよう、結局それ以上は何も言わずに、マリエちゃん早く行こうよと慌てる腕に引かれてクラスの輪の中へと帰っていった。
「んー、あんまり生徒と先生からの意見が変わらないってのは、いいのか悪いのか……?」
一枚下の頁には箇条書きでこれまで挙げ連ねられたポイントが列挙している。
理数系に通じている、体育の成績もよい、それから私生児という点で教師陣は母性本能に似た哀れみを感じるらしい。
「なんか、つまんない成績ね。」
「そうかな。概ね高評価だと思ったんだけど。」
後ろから好意的な解釈を吹き込んだのは、誰あろう調査対象である。いつからいたのやら、成行は愛満の真後ろにある窓で頬杖をついていた。
統計の乗ったメモを隠しもせずに、愛満は弁解とはまた違う体で今の言葉の真意を語る。
「人間味が無いと言うか、悪評なり失敗談なり出て来ないと、薄っぺらい。」
「要領のよい八方美人、が現代社会に求められている資質だと思うんだけどな。」
手厳しい意見に対し、少し弱々しくなった成行の声音は、苦笑いに似合って成る程母性本能を擽る中々の好青年っぷりを如何なく発揮している。
「人に哀れまれるのは、鬱陶しいし煩わしい。」
「受けられる温情は受けておくものだよ。ポジティブなネガティブさ。」
問いかけと感じたのか、少なくとも己の家庭環境に触れてだとは察知して、ひらりと躱す態度は確かに、要領がよい、という姿勢の一つだった。
「処世術、ね……なんだか及び腰のようですきになれない言葉。」
「そりゃ北月さんが逞しいって、事なんじゃないのかな。」
「おべんちゃらは結構。周囲の聞き込みはあまり発展性がなさそうという事がわかっただけでもよしとしておきます。」
同年代にしては随分と突っ慳貪なもの言いをする愛満のキャラクターにも慣れると、それはある意味ではポジティブとも取れる位置にあるのだと気づく事が出来る。彼女のポリシーを具体的には知らないまでも、所謂根が悪い人ではない、という認識を持ち始めていた成行は、苦笑しながら始業のベルを聞いた。
「っていうかさ、今の聞いた? 完璧授業遅刻だよ?」
「そんな事よりあなたの方が大事です。」
勿論、他意などないのだろう。まだささやかな付き合いながら、ストイックさと堅物さはひしひしと伝わってくる。
であっても中々熱烈なその言い回しに、成行は言葉を失いたじろいだ。
「第一そっちこそ遅れるのでは。」
「……あ、嗚呼、移動教室だから。もう、直ぐそこなんだ。」
動揺している事丸出し、一気に水分が蒸発し渇いた喉を露呈したのが気恥ずかしくて成行は大仰に校舎を振り返りながら、横目で盗み見た限り、愛満は怪訝そうにもしていないかった。
一体どんな意味合いの狼狽なのかは悟られていない様子に安堵と同時、つまりやはり意図した何かは無いという落胆が小さく腑に積もる。
「まぁこれまで、品行方正かは兎も角質実剛健くらいには過ごしてるから、少しは見逃して貰えると思うけど、昨日のあいつ、ヴァン。覚えてる?」
「嗚呼あの流行りにだまくらかされている軽薄な男。」
思い出す手間が勿体無いと愛満のまっさらだった眉間に寄った皺は、逆に言えば成行よりもしっかりとその印象が刻み込まれた証。
「転校翌日から遅刻なんだかさぼりなんだか、姿が見えないんだよね。君との相性は良さそうだったから、若しかしてストーカーでもしに行ったのかと心配したんだ。」
「冗談。殴り返してやりますよ。未だしも私はあなたの方がタイプです。」
賑やかし程度に選んだ話題のつもりがまたしても脳が心臓が勘違いしそうなワードに辿り着き、成行はたまらず頬を赤く染めた。愛満はその色彩を拝んでいるが、察していないところを見るとまだ差した朱はささやかなのだろうか、推し量る。
「そりゃ、喜ばしい事だ。密着取材のされ甲斐もあるよ。」
どう対処してよいのやら困ったよう成行はそそくさと、乗り出していた上半身を引っ込め分厚い壁の向こうに運んでいく。
「なぁんか、巻き込まれてるっていうか、妙なペースだな。」
昨日逢ったばかりの少女に振り回され、その上ときめいてしまうのは倫理的に如何なものか。
抜き足差し足忍び足ながら早足の歩と同じリズムで鼓動を送る左の胸元に手を当て、成行は案外惚れ易い己の性質に黙し難いと胸中で発散させる。
窓枠という額縁から足早に立ち去った成行を見送り、愛満は僅かに口の端を上げた。その微妙な角度が妙に艶めかしく、軽く抜かれた息がその妖艶さを助長しながら、一言。
「………かわいい。」
常闇に於いて、ヴァンパイアが絶対の支配者と呼ばれ崇められた日々。
凪ぐ草原を切り裂くように抜けて、そそり立つ岩壁をものともせず飛び越え、母と仰ぐ月の光を一身に受け止められた瞬間。
それらは総て、過去と呼ばれるもの。
そして未来に、蘇らせようとしているもの。
「その命運は、僕らにかかっている、と。」
瞑想から現代へ舞い戻る思考に瞼を開いたヴァンの視線の先には、病院の真白い壁と真白い扉。ナンバープレートと個人名が記された表札は、ターゲットを示す宝の地図。
ノックの返事を待たず押し入った個室には、首元に処置を施されまだ少し青白い顔が痛々しさを醸し出す女性が主として存在した。
「ちょっとっ……何方ですか?」
見知らぬ男が許可もしていないのに侵入、という状況に当然憤慨する女性は、直ぐ様ナースコールに手を伸ばした。
「はーいちょっとたんまたんま。」
見舞いの品が生けられた半透明な硝子の花瓶に触れながら、予想通りか、予定通りか、驚きもせずのんびりした口調で応対するヴァンは、その瓶の淵を指先でなぞる。
瓶の中の水が波立って、その行為の結果とは思えない程に強い波紋が次々と生まれて、ほんの一瞬だけ、耳障りではない甲高い響きが生まれた。
「こわくないから、ちょっとお話しましょうよ?」
見えない余韻が部屋を満たし、延々聞こえない音が奏でられているような、部屋が奇妙な何かに支配される感覚。だが決して不快や恐怖ではなく、ともすれば恍惚に溢れているとでもいうよう、指示に従い女性は静かにすると、剰え助けを呼ぶ鍵さえもを手放す。
それをただ、想定の範囲内と言わんばかり眺めていたヴァンは、昨日愛満へ近づいたのと同じようにふらふら女性の元へ移動し、ベッドに腰かける。水瓶の中は温もりを失っても未だ反響を忘れず、ざわざわ震えていた。
「いい子だ。あなたが襲われた時、どんな感じだった?」
なめらかな動きでヴァンの指は女性の首を這い、サージカルテープを徐に剥がしてゆく。
治る環境を与えられて日も浅い傷跡は縫い合わされても尚じくじく、開きたがっていて、一般的に想像されうる吸血鬼的な牙の後が沢山、ではなく一筋の線が横断していた。裂傷自体は奥深くに達していないものの、その長さは首の半分と随分取られている。
患部を眺めるヴァンの行動など見えていないかのようされるがままの女性は、はっきりとした口調で質問に答えた。
「いきなり後ろから、口を押さえられてこわかった……でもその後、多分殴られたんだと思います、それで直ぐに意識が途絶えてしまいました。」
「へぇ、口を塞いで殴られた、ねぇ。どの辺?」
従順に衣服をたくし上げ、既に薬を塗布した腹を恥ずかしげも無く披露する。己が何をしているのか、判然としていないのかもしれないが、それにしても動作はてきぱき、意識の混濁は見られない。但し瞳には一面の、虚ろが澱んでいた。
「突然の襲撃に裂傷と殴打……吸血鬼ともとれるし、そうでないとも言えそうだけど……」
続きがあるかのような台詞の切り上げ方をしながら、ヴァンはちらりと時計を見遣る。丁度長針が傾いたところで、中々元に戻らないサージカルテープに苦戦しながらそろそろ時間切れだとベッドから降りた。
「君も警察やら何やらに沢山聴取されて疲れているだろうからね。患者さんに無理は禁物。」
押し入り強盗の割には思いやりの言葉を終わりの合図に、ヴァンが病室を出て行くと。
女性はさっきまでよりぼぅっとしながら、あれ誰か尋ねて来なかったかしらと暖気な独り言を口走っていた。
++以下言い訳
若さ爆発青春キュンキュン☆ を画くにはどうしようもない経験不足の隔たりがある訳ですが、精一杯生活感が出るよう学校パートは学生生活の殆どを過ごした某学び舎を思い浮かべながら。
折角なので体操服の下の肢体の細かい描写も入れたいところだったのですが途中でこれなんてエロゲというのか下手な官能小説みたいになったのでざっくりとカット。ちょいちょい求められていない色気を何故か入れてしまいたくなるのがこのお話です。多分吸血鬼の話なのにお耽美さに欠けているからと自己推測。
ナリユキがかわいかったりマナミが怪しかったりヴァンはもっと怪しかったりとそんなお話。
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