Essay
wish you were here
物書きですから…

所詮物書きですから、オーバーな表現もあるかと思います。事実にも色がつくことは、ごく普通のことだと思っています。もちろんすべてではありませんが…
それをひとつひとつ取り上げて…
『そのような考え方はどうかと思う…』
『それで何を得て、何を考えたのか…』
『自分ばかりを正当化している。』
『それは違う!』
と、はっきり書いてくる方も一部にはいらっしゃいます。

『言論の自由』を掲げる前に…
所詮物書きですから、自分の表現方法がどうあってもいいんではないでしょうか?書く文章によっては、もちろん事実もありますよ、そしてまさかと思われることが真実であることも多いんです。
そう考えた時、新聞や雑誌などにエッセイやコラムを書かれている方々は、どんなにか多くの賛否両論の手紙が届くのだろうと思いました。
当たり前のことかもしれませんが、批判され、襟を正せと手紙を頂くよりは、
『感銘を受けました。』
『心に元気がわいて来ました。』
『同じ思いをしました。』
の方が書き手は嬉しいかと思います。もちろん中には反対意見を楽しみにしていらっしゃる方もおられるでしょうし、反対意見はあっていいものなのです。『言論の自由』がある国なのですから…

自分の気持ちや感情、恋心にも色をつけた表現になることも多々あります。

中島みゆきは、ひとつの恋愛で100曲の歌が書けると、どこかで聞いた事があります。

素人であっても物書きとしては、色々考えて書いております。
『エッセイ』となっておりますが、それは特にノンフィクションである定義はなく、事実を書きながらも話に弾みをつける為脚色されることだってあるのです。
読まれる方がお気に召さない事がある度に、ご指摘頂くほどのことはないかと思われます。
書いたことによって、それを読まれたからと言って、私の人生の指針にまで介入されることは些か疲れます。本当はかなり疲れます。
(このようなことがキャリアや人格を否定することなのかもしれませんね、相手のことを何も知らないネットの世界では特に慎重にあるべきですよね。)

私には好きなエッセイストの方がおります。新聞などで彼女の名前を拝見すると必ず目を通します。しかし、とても納得してうなずく時もあれば、すっ〜と読み終えるだけの時もあります。彼女はとても素敵な女性です。とても優しい、心のある文章をお書きになり、それなのに芯の強い部分も考え方も持ち合わせており、お逢いした事はもちろんありませんが私はずっと憧れておりました。
でも私は、彼女が大変な病気を患っていることまでは知りませんでした。
今でも素敵でおしゃれで、小粋な文章を読む事がありますが、ご病気のことを知ってからは少し違う思いと共に読むようになりました。

そのようなことからも分かるように…書かれていることだけを読むだけでは、その人のすべてが分かる訳ではないこと、むしろあるイメージを抱かれたくないからと自分の知られたくない、知らせる必要のないことまでは書いていない、隠している場合もある訳です。

ここに書かれている、書いている私がまるごと私だとは、ほとんどの方が思ってはいらっしゃらないと思いますが…(あたらずも遠からずくらいですか?)
読まれる方が私のプロフしか知らない人もいれば、顔を合わせて酒を飲む友達もいる訳でありますし、お逢いしたことがなくても写真を見たり、楽しいお喋りを別の場所でしている方では、まったく読む印象も違ってくるのだろうと思います。

そんな訳で、所詮物書きが自分勝手に書けるスペースを確保して書いている程度のものですから、揚げ足取りや、屁理屈やお説教じみた事がしたい方は、どうぞターゲットにはなさらずにいて下さい。もうお読みにならない方が正しい選択かと思われますよ、気分を害するだけですから…
(もしかしたら、心の片隅に常に何かを?私を?否定したい、嫌悪感があるのかと思いますし…)

あまりにたいした物ではございませんが、このようなものでも私にとっては作品なのですよ…その事を分かって頂けますでしょうか?

大人になればなるほど、見て見ぬふりをする考え方も必要かもしれません、それは無関心ということではなく、大人としてすべては、その人それぞれの責任の人生だと分かってあげ、信じて任せてあげる大切さかもしれません…

所詮物書きですが、素人のお陰で頂くご意見は本当に少数で、大切にさせて頂きたいとは思っておりますが、少しご理解い願いたい部分もあることを心のすみにでも留めて頂ければと思っております。

つけたばかりのアクセスカウンターが、やたらと回っています。一晩に10回訪れる方がいらっしゃるのか?プロバイダーのアクセスカウンターがサービス週間か何かでくるくる回っているのでしょうか?HP開設後5日以上過ぎて設置したアクセスカウンターがくるくる、くるくる回って本当に驚いています。

壊れているのでしょう…♪♪多分♪恐らく♪perhaps♪maybe♪♪

2004.5.25


行くぜ!SMAP!

SMAP命!
バカヤロー!なことを早々と書いてしまう私であった。

そんな事ないよね?大丈夫だよね?SMAPいいよね?
駄目なのかぁ〜!


SMAP…心の支え、心のよりどころ、お楽しみ、Happy、笑顔、心の鏡?
SMAPのDVDを見れば、そんな気持ちになるのです。
大馬鹿のコンコンチキ?

毎年、年に一回チケットが取れればコンサートに行っています、ほとんどひとりで…
唯一の理解者、私の先輩SMAPファンの方が誘って下さる場合は4人くらいで出かける事もあるのですが…去年の横浜国際とか、アリーナだったし、凄かったなぁ〜

皆さんもありますよね?心のビタミンC(何か表現が古過ぎ?)
例えば気分が滅入ったりした時に必ず聴く音楽とか、奮発してお気に入りのレストランで食事をしたり、あんみつ食べたり、今川焼き食べたり?

昔々若い若い頃?(弥生時代?)気分転換に部屋に花をよく飾ったものです。私は黄色の花が大好きです。でも花の中では白のストックが一番好きです。

最近自分への投資、ご褒美あげていますか?とても大切なことだと思います。

あびるほど暴れるほどお酒を飲んで人に迷惑をかけてはいけないと思いますが、お風呂上りにビールを飲みながら、SMAPのDVDを見て、大きな声で歌って(近所迷惑?)笑顔になれる私はとても単純ですが…心はライブ会場に行ってしまうのです。

他に好きなアーティストもいます、じっくり、しっとり聴く音楽もいいものです。
(ちなみにこのサイトにかかる音楽は、必聴ですよ…私のお勧め!)

SMAPの目に見えないパワーはすべてを超越しているのです、このような行為をある意味、信者と表現する人もいるようです。最近はすっかり姿を消した感のあるアイドルの女の子を追いかける男の子の集団、彼らにとってアイドルの女の子はビーナスであり、拝むに値するのかもしれませんね。

何にしても、単純だとしても、好きな音楽、好きな俳優、好きな映画、好きなものがたくさんある人は幸せだと思います。趣味なども含めて…

暗い…暗い…何なのかモヤモヤするのよ、出口が見えない、辛い…辛い…どうしたらいいのぉ〜、じゃぁ〜とりあえずSMAP!(とりあえずビールに限りなく似ているかも…)
答えを出すのは後回し、答えは自ずと出て来るものなのかもしれない、本当は考える必要のないことかもしれない…
とにかく歌ってしまおう!
SMAPは『がんばりましょう』と歌う、『生まれつきの笑顔に戻れ』と歌うのだった。

?c(゚.゚*)エート。。。 、今月のSMAP論でした?

2004.5.25


上弦の月の夜に…(Love Letter)

あの日から…ずっと私は…
あなたに逢える日を夢見て、靴を買い、ブラウスを選び…
季節ばかりが過ぎて行くようで…
繰り返される、満月や新月…
そして私の大好きな上弦の月の夜には祈らずにはいられませんでした…

本当にどうしてだか分からないんです。
こんな気持ちになったことが今までなかったから…

自分でもどうしていいか分からないほど思いが溢れてくるのです…
だから逢いたい…
逢って確かめたい…
私自身の気持ちを…

あなたは私に自分のことをよく知らないからだと言うかもしれません…
それならばすべてを知ったら…
嫌いになることが出来るのでしょうか?

例えばあなたが犯罪者であったら…
あなたが汚れた過去を持っているとしたら…
それを試すことはきっと虚しいことでしょう?

少なくともあなたの優しさや淋しさや謙虚さや人を思いやる心は、
すべて、すべて本物でしょう?
そして私にとってあなたは尊敬に値する人だって事も…

怖がらないで下さい…
私を見て下さい…
私のすべてを見て下さい…
今私はとても静かに深くあなたを思っています。

ほんの少しの時間でもいい、一緒に過ごす時間を下さい…
あなたの優しい心で私を包んで下さい…

逢いたい…
逢いたい…

I Love You だけでは言葉が足りない…
どうか私の気持ちが伝わりますように…
上弦の月の夜に祈りを込めて…


ラブレターの代行承っております。(笑)
デートご希望の方、受け付けております。(笑)

2004.5.27


『何の為に生きているのか?』

あるサイトで『何の為に生きているのか?』というテーマでコラムが書かれてあった。私も考えてみた。思えば今まで私はそのようなことを考えたことがなかったことに気がついた。(笑)
二十歳で独立し、ひとり暮らしをはじめていたので、とにかく生活して行くことで精一杯だった。学費を稼ぐ為に夜にバイトもしていたが、水商売は向かないので、証券会社で夜な夜な株券を数える安いバイトをしていた。本当に生活して行くこと、食べること、ある時期は学校に通うこと、バンド活動を楽しむこと、詞を書くこと、歌を歌うこと、恋をすれば恋の行方を考えること、そんな事ばかりで頭がいっぱいだった。

そんな中友人が『何の為に生きるのか?』とずっと、ずっと考え続けている、答えを探す為何冊もの本を読んでいると聞いたことがあった。彼女は本当に真剣に『何の為に生きているのか?』『私はどこから来たのか?』等々いつも考えているようだった。私にはよく分からない世界だと思っていた…

彼女はお金持ちのお嬢様で、高校在学中に長くアメリカ留学をしており、帰ってからも定職につかず、実家で暮らし、私達は音楽学校で知り合い、とても仲良くなった。
お金持ちのお嬢様だと知ったのは後になってからのことで、そんな気取りのない、同い年で楽しくて明るい女性だった。彼女は同じ音楽学校で知り合った彼と交際していて、20代前半で結婚をした。楽器科とVocal科のみんなで、確か六本木あたりの店を借り切って、ささやかなパーティーをしたことを今も記憶している。
それからは、彼女と逢うことより、電話で話す方が増えていったが、多分その頃から彼女は『何の為に生きているのか?』等…いつも様々なことに悩み、精神世界の本を随分読んでいると話を聞いたのだと思う。

何年かの月日が流れ、子供のいなかった仲良し夫婦は突然離婚をしてしまった。
今はどこでどんな暮らしをしているのか…いつの間にか私達の付き合いも終わってしまった、二人の生きて行くレベルがお互いに合わなくなっていたのだろう。

『何の為に生きているのか?』
その疑問は、よく言えば考えるべき価値のあるものなのかもしれないが、もしかしたら生活にゆとりがある人の贅沢な悩み?なのかもしれないと思ってしまうのは意地悪な考え方だろうか?

私は今も様々な考えなければならない悩みに直面し、答えも要求されており、そんな中でいかに楽しく豊に暮らすか、どうしたら旅行の計画が実現出来るのかで頭がいっぱいかもしれない。
『何の為…』ではなく、この世に生を受け、今ここに暮らし、辛いことも悲しいこともたくさんあるけれど、生きているからこそ楽しいこともまた多くある…

数年前、私はがんの告知を受けた、2回の手術を経験し、放射線治療にも長く通った、その頃は『今はまだ死にたくない!』それしか考えられなかった。その後完治はしたものの、いまだに年に一度の検査にずっと通い、がん体質の家系の為、他のがんになることをやはり怖れている。悩みや壁にぶつかっても考えて苦労してでも乗り越えて行けることは多い、しかし病気はすべて医者任せだ、せいぜい気力を強く持つくらいしか出来ない、だから自分で道が開けて行けるものならば、何としてでもやるしかない、先の目標に楽しいことを掲げ、へ〜こら、へ〜こら、文句たらたら…それでも生きて行く、何の為などと考えていられないのは今も同じ、余裕がない私なのである。

しかし死ぬ寸前に答えが見つかるとも決して思えない、『何の為に生きて来たのか?』その時に気づけてどうなるものだろうか?
結婚していれば、家族の為…親になれば子供の為と答えるのだろうか?
少なくともそれは自分の為であってほしい…

『何の為に生きているのか?』その事を考えて、答えを諦めた哲学者もいるらしいと聞いた。(笑)

『何の為に生きているのか?』私にとっては考える必要があることなのかさえ、少し疑問だったりする。
死にたくないもん…美味しいもの食べたいもん…ビール飲みたいし、新しいCDも欲しいし、お洒落もしたいし、キレイでいたいし、旅にも出たいし、笑っていたいもん…
私の頭の程度では、答えも実に低レベルである。そんな事より今日の生活、明日の生活…たっぷり余裕のある生活にいつかなれたとしても、きっと私は考えないで過ぎてしまいそうな気がする。

上記文章を書き終えて、本日新聞に目を通すと、コラムに哲学の文筆家の方のお酒にまつわるエピソードを偶然見つけた、いつものことだが、知りたいことはすぐにアンテナにピピっと来るらしい…

『答えのない問いを考え続ける一方で、一杯の酒がもたらす生の喜びに身を浸す。グラスを傾けるたびに、「人は何故生きるのか」を思い起こしているのだろう。』と…

さすがに洒落た言葉だ…
私も何となく理解出来た気がしている。

2004.5.31


魂の目的

私達が『今ここに生きている』理由は、人生のとても大きなテーマです。もしそれが分かれば、本当の意味での生きている実感と喜びが得られ、また未来への不安や恐れなどが無くなることでしょう。あなたの魂が肉体に宿る時に決めた、あなたの青写真はいったい何だったのでしょうか?

上記文章は、セラピスト、マニー・デューガンさんのパースビジョン(魂の目的)を知り、それに必要なすべての情報を呼び覚ます為のリーディングについて書かれた小冊子からの引用です。

ライフパーパス・リーディング、自分自身のもっとも深い部分への理解へと導かれたいと考えていらっしゃる方は、体験してみたら如何でしょうか?

2004.6.2


新聞チョキチョキ…

前頁、気になる言葉につながる行動なのですが、私は新聞をチョキチョキ切るのが好きです?切ることが出来ないもの、頭の中で考えたことなどは、すべてメモメモ…メモ魔でもある私!
新聞切りがいつからはじまったのかは謎であるが、そんなに隅々まで新聞を読んでいる訳でもなく、読書嫌い(自分の好きな本を除く)活字アレルギー気味の私が新聞だけは読んでは切っている?気になったコラムや人生相談、週刊誌の広告や税金の話、病気の特集、何でもチョキチョキしてしまうのだ…(バカとハサミって誰か言った?当りかも?)

チョキチョキ切られた紙片は、しばらく私のまわりに置かれている。人生相談などは、『なるほど、同じように悩んでいる人っているのよねぇ〜』と、相談に回答して下さっている先生の言葉にうなずいてみたり、その文章に色付きのペンで線を引いてみたり…

しかし、チョキチョキされた紙片の運命は明暗を分ける。(笑)
ある時大切にファイルされるものあり、時にはピックアップされた文章がワードに写しかえられたり、エッセイのネタにもなったりするのだが…
かなり面白いと思って、チョキチョキしたコラムも何度も読み返せば、それほどでもないかとゴミ箱へ…ならば紙面で読むだけでも切らなくてもいいようなものなのだが、やめられないのだ。とりあえず切ってしまうのだった。

悲しいかな、ファイルされたはずの紙片もどこにしまったか行方不明になることもしばしば…
これはメモ魔の私と一致する行動だと思うのだが、頭の中に留めて記憶しておくことが出来ないのだ。怖ろしくバカなのか、記憶力が限りなく欠如しているのか…
私の考えるところ、どうも私の頭の中の容量がとても小さく、もういっぱいいっぱいで、上手く整理したり、捨てるものが捨てられないような気がするのです。一度フォーマットをかけることも考えたのですが…
無駄な知識や記憶と無駄ではない大切な知識や恋の思い出がぎゅうぎゅうに詰まりすぎていて…まったくどうしようもないのでした。

誰か私の頭の外に、記憶容量が増やせる機械を取り付けて下さい、出来れば左耳の後ろあたりがいいかなと以前から思っているのですが、如何でしょう?どうかよろしくお願いします!

その日までメモメモ…チョキチョキは続くと思われます。

2004.6.3