Essay
wish you were here
EAGLES東京公演!

2004年10月31日いよいよ今日だ!
席はアリーナだと分かっていたが、到着して驚いた、ど真ん中の前から3列目!(東京ドームにいる気がしない、まるで渋谷公会堂みたいだと隣の人間は言った。)
喜び&耳鳴りの心配…?
後10分ほどで開演です。

昨日の公演を観た人の情報で会場内は冷えると聞き、ひざ掛けを準備、タートルネックでやって来た。ガセネタだった。暑い、暑い、暑過ぎるぞぉ〜
その情報源は1階席からのものだったからなのだろうか?
こんなにど真ん中の席ははじめて…ではなく…SMAPの公演でど真ん中の1番前を経験済み!
さて…もうすぐ開演です。
ギャー!!

感想文…
いきなりですがコンサートのラストは圧巻でした!じ〜ん…

コンサート全体の印象はロック色が強過ぎる!EAGLESにホーンセクションはいらない!
1曲目は
Long Runとにかく私はドン・ヘンリーの声が聞ければ、それで満足!
2曲目はナント!
New Kid in Town
そして…そして…
One of These Nightsで興奮のるつぼ!
ドラムを叩きながら歌って、ココまでカッコいい人って、ドン・ヘンリーかTOKIOの松岡くんくらいだよねぇ〜と隣の席の人間に話すと『フィルコリンズと高橋ユキヒロ』だって…ポカッ! (._+ )☆ヾ( ̄ヘ ̄; ) ォィォィ顔!顔!

今回は前回の来日公演のようにアルバムを出してのコンサートではなかったので、曲目が分からなすぎた。
ハードロック色が強過ぎて、カントリーだったり、泥臭いEAGLESっぽさがなくて、何故だかジョー・ウォルッシュをフューチャーしすぎ、被り物好きのような彼だが今回は改心したのかと思いきや、途中で可笑しなヘルメットを被って歌っていた。劈くような高音のヴォーカルは頭に蓋をしても同じ。(EAGLES出て来い!)

そして今回の来日にはドン・フェルダーが来ていなかった。ドン・フェルダーのいないEAGLESなんてと言っている人もいたらしいが、私にはドン・ヘンリーがいれば大丈夫よん!そうは思っていたものの、やっぱりドン・フェルダーがいなきゃ駄目!誰かジョー・ウォルッュを止めてくれ!

今や他人とは思えないベーシスト、ティモシー・B・シュミット…
彼はネイティブ・アメリカンの血をひくベーシスト、歌う声も甘くてせつなくていいのよねぇ〜
ティモシーはEAGLESの事実上最後のアルバムとなったロングランからの参加、そのアルバムの中でメンバーとしてソロ曲を歌っているけれど、前ベーシストのランディ・マイズナーのあとって事で苦労もあったであろう…
そのせいか今回ドン・フェルダーの代わりにサポートとして、あくまでもサポートとして入った若いギタリストにとても心配りをしていた。ステージの1番左から右まで移動して『一緒に演ろうぜ』のような優しい気づかい、でも若いギタリストは常に遠慮気味だった。

1部と2部の構成ではあったが、どちらにしてもEAGLESを待っている私にとってはホーンセクションや爪弾くハードロックギターでは耳の中がキーンキーンよ!ドン・ヘンリーが歌うのならハードロックも全然ありなんだけれどね…

Tequila Sunriseもしびれたなぁ〜 グレン・フライの声もやっぱりいいよねぇ〜 
でも私は、あの曲やあの曲をずっと待っていた。
待っているわよぉ〜ん…

やっと
Take it Easy会場は大盛り上がり\(◎o◎)/!
そしてアンプラグドではなく、ホーンセクションの音からはじまった
Hotel California
しかし私はまだ待っていた。
オーイッ!!L(゚□゚o)オーー(゚|□|゚)ーーイ!!(o゚□゚)」オーイッ!!
まだだぞぉ〜
あの曲を〜
私はグランドピアノがステージ上に置かれているのを見た。来るぞ!!と、ひとり興奮!
来た!待ちに待った
Desperadoのイントロ…
ギャー!ドン・ヘンリー!
しかしドン・ヘンリーはピアノの前ではなかった。スタンドマイクで歌っていたのだ。そして途中スタンドからマイクをはずし、あのしゃがれたセクシー・ヴォイスで歌いあげる。
You better let somebody love you
You better let somebody love you
Befor it's too late

ライトはドン・ヘンリーをドラマティックに照らして…コンサートは終わった。

お茶目なティモシーはステージ上から、会場をデジカメで撮りまくっていた。
コンサートスタッフの背中に
『EAGLES  FAREWELL  1 TOUR  2004』の文字…
1がついているのって、なんでなのぉ〜?(笑)
グレン・フライも笑っていたよね…1
また戻って来るよ、すぐに戻って来るよ、そう言っていたじゃない、グレン・フライ!

グレン・フライの歌った
Take It to the Limitも…
ティモシーの
I can't tell you whyも感動したなぁ〜
ドン・ヘンリーの
Desperadoにはかなわないけれどね…

もっと見たかった、聴いていたかったEAGLES…
お陰で帰り道
HELL FREEZES OVERのDVDを買ってしまったわよ…   

私がメンバー全員の名前を言えるバンドは少ないのだ、EAGLES・PINK FLOYD・QUEEN…
QUEENの来日は今やあり得ない…
FLOYD待っているぜ!
EAGLESもまた来てくれよ!

2004.11.5


変化…旅への思い

不思議な気持ちに近頃包まれている。
私の秘密の旅日記を読んでくださった方はどのくらいいらっしゃるのでしょう?
新たに次にその土地に行く為のポイントをまとめた文章を付け足そうと考えていたはずが…

帰国からもうすぐ2ヶ月、あんなにも熱していた思いが突然冷めてしまった。
格安で行く方法、お勧めのホテルや場所…そんな考えを地図と共にまとめあげるつもりでいたはずか、そんな気にもなれず、挙句の果てには買って来た写真や絵葉書を見ても可笑しな嫌悪感を覚えてしまう。(あれだけ悩んで選んだ写真を誰かにあげようと、今ここに持っていたくないと…)
まぁ別に義務で行く必要がある訳ではなく、これも何かの変化なのかもしれないが…
本当はあの土地から卒業してしまったのかもしれない?

あの土地を思い出す時に言いようのない息苦しさのようなものを感じたり、思い出が幸せ色では決してないことに気がついてしまった。

多分、帰国間もなく熱くなっていた中にはどこかで誰かに汚されてしまったような不満が多い私のあの土地への旅の思い出を私ひとりで作り直したい、あの土地の記憶を一掃させるほど楽しいものに幸せなものに変えたい一心だったのかもしれないと感じた。

海外に時間とお金をかけて、いくら格安でも行くくらいなら、道内の旅を二度、三度行く方がいいような気さえして…
そんな計算をし出してしまっては、もう駄目だと思う。

純粋に、導かれるままに、何かに取り付かれたかのように旅に出た私はもういない…

あの土地だから、きっと急ぐことはなく、何ヶ月、何年後と決めることもなく、もしもまた、あの土地に呼ばれる事があったのなら今度こそひとりで自由気ままな旅に出よう。
本当に私が呼ばれていることに気がついてから…

あの土地の新しい情報は今も気になる。
ただ、もうあの土地に縛られていたり、引きずっていたりするのはいやだと強く思う。
思い出話を誰にもする気になれない、それは日記にすべて吐き出したから…良い事も悪い事もすべて…

何だろう?
本当にこの不思議な気持ちと可笑しな嫌悪感にここの所ずっと包まれたままだ。

もうすぐ新しい年を迎える。
きっと私はその新しい年への期待や希望の思いでいっぱいなのかもしれない、今年から逃げ出したい訳ではないけれど…

瞑想、エネルギー、パワーストーン、ボルテックス…
不思議な力、物事を現実化する力…
オープンなハートで受け止めてしまう様々な思い…

今、とても心や身体の中は何かがいっぱいつまっている感じ…
溢れるほどのエネルギーに満たされているとまでは言わないが…

さて、それを何に使っていこうかと、これから先…
その答えを急ぐ必要がないことも、きっと私は気がついているはずた。

2004.11.19(奇しくも今夜、上弦の月)


不安神経症

病気の話ばかりで大変恐縮だが、最近症状が悪化してしまったようだ。
まるで他人事みたいな言い方ですが、私のことです。

神経科に通いはじめてもうまる4年、4年前の12月ふたつの症状が発見され、病名を告げられた。
病院に通いはじめた頃はカウンセリングも毎週から隔週くらい続けて長く受けていた。症状がそれなりに少し落ち着き、薬だけの治療になり、その薬も一時期少し減ったが、頓服薬を飲むことが極端に増えてしまった。
私の抱えるふたつの症状から、うつの症状まで併発してしまっていたから…

おかしな体調が続き、症状がおきて、自分自身が完全に壊れてしまい、病院に行くまで病名など持っていなかったが、その症状は発症する何年も前からあったことには気がついていた。

今日担当医の先生から『不安症状が強くなっていますね。』と言われ、自分でも分かっていたつもりだったがショックだった、とても悲しかった。
薬が増えることはなかったが、自分ひとり、結局自分ひとりで抱えて行くしかないことなんだと思うと無性に辛くなった。

まわりの友人には軽く話してしまうこともあれば、見た目にも行動にも分かることは何もないので、まるで話していないこともある。
現代病だから…
その程度のものだから…

ただ、治癒する日が来るかどうかはわからない、一度治っても繰り返すとも言われている。

『いつまで何をやっているんだろう?』と自分に問うことがよくある。

今は誰かに頼りたい、寄りかかっていたい、そして眠りたい、ずっと、ずっと…

2004.12.7


某大病院での1日

昨日は年に一回の検査日だった。以前こちらにも書いたが、お茶目な執刀医に逢い、CTかMRIを選ぶ年末恒例の嫌な行事だ。

その日は毎年、市で受けた数々のがん検診の結果と基本健康診断の結果を持参する。今年は現在服用している薬の一覧表まで持って行った。

そして今年はもうひとつの重要事項の報告があったのだ。私の左足に脂肪の塊のようなものが出来ていたのだ。

母方の伯父は同じように脂肪の塊のようなものが身体に出来、近所の知り合いの病院で安易に切除してしまい、それが悪性腫瘍だった為、身体中にがんが蔓延してしまった。悪性リンパ腫となり、伯父は入院し、辛い治療の日々を送った。その後完治したものの数年後再発し、伯父は帰らぬ人となってしまった。

私のがん手術の執刀医であるお茶目な、しかし今は外科部長は私の足の脂肪の塊のようなものを見て、すぐに良性と判断し笑ったが、私がぶ〜たれた為、緊急外来手術となってしまった。間違いなく、限りなく、良性らしかったが、とりあえず切除して病理にまわすことになった。

CTの予約だけ済ませ、外来患者用のベッドに横になった。
『先生!傷跡が残らないようにして下さいねぇ〜』
『何針縫うんですか?』
『先生だけですからね、私の身体に何度もメスを入れているのは〜』

先生はとりあえず私の口から縫い合わせるように看護婦さんに言った。(笑)

私の減らず口は相変わらず長く続いていた。
そのうちに局部麻酔を打たれてしまっていた。

私のがんの手術は今や遠い昔話のようだ。
先生は立派な外科部長となった。先生のお茶目どはまるで変わりはなかったが…

『あの頃は、この人すごい美人だったんだよ、お互い年取ったねぇ〜』と先生は看護婦さんに話した。
『先生!私は年を取っていませぇ〜ん』と言い放った。
『先生、もう縫っているんですか?丁寧にお願いしますよ!』
『最近すっかり眼が悪くなってねぇ〜』
『(*゚ノO゚)<オオオオォォォォォォォーーーーーイ!!』

以前外来手術した時にもこんな調子で手術は進んだものだった。
全身麻酔ではありえないことだ、当たり前…

思いがけず私は本日安静の患者になってしまった。
こんな思いまでしたのに、次は採血室に行くようにと…C= (-。- ) フゥー
血までたっぷり採られる、左腕にデカイ絆創膏、5分以上強くおさえていて下さいって…
ここまで痛い目にあいながら次はCTスキャンだ。
MRIの方が良かったのに、去年がMRIだから今年はCTって…CTでもまたぶっとい針を右腕に刺された。身体に嫌な造影剤を入れられた。今まで経験したことがないくらい身体中が熱くなった。ヤバいんじゃないかと思うほど…
とりあえずCTは終わり、聞き慣れたCTスキャンをした日の過ごし方と注意点を担当者は話してくれた。

放射線室の更衣室に戻った時、左右の腕に貼られた血を止める為の絆創膏を見て、足に貼られた大きなしかも頑丈な巨大な絆創膏を見て、気分はよれよれになった。

急に手術した足が、左足が痛み出してきた。
会計を済ませ、次の予約票をもらい、薬をもらい…
本当にどうしたらいいのよ私…
安静って、電車に乗って帰るのよ…と駅までの長い長い道を仕方なく歩き出した。

大観覧車にもうネオンが光っていた。
まだ暮れきっていない曇り空の下…
大観覧車は色を変えながら光っていた。

よれよれゆっくり歩く私を野良犬が顔を覗き込み去って行った。
元気な若者の団体がぬかして行った。

駅にたどり着き、ホームで列車を待ちながら、今日のこの日をネタにエッセイにしなければと思った。
自分の傷だらけまでネタにする気なのかいと、お笑い芸人並みの根性が笑えた。
しかし、お陰で今日一日の出来事を冷静に過ぎた事実を確認する事が出来た。
気丈な本当にしっかりした女だ。

抜糸は一週間後…
CTの結果も血液検査の結果も一週間後…
多分取り除いた脂肪の塊らしきものの病理検査の結果も…

その一週間後の方がよほど怖いと思い出してしまった。

とりあえず充実した、病院の一日だったと記しておこう。

2004.12.10


時計

我家は狭いマンションにもかかわらず、やたらと時計の数が多い。多分私の性分からだと思うが、最近重大な事実に気がついてしまった。

時を告げるはずの時計…
書斎の掛け時計は音がうるさいと家族の者が電池を抜いてしまい止まったまま壁にある。
リビングに新しく買った掛け時計は洒落ているのだが、時計の針が銀色系シルバーのくすんだような色の為、近眼のくせに裸眼で暮らしいる私にはほぼ見えない。
同じくテレビの上に置かれた何かの記念でもらった黒い小さい置き時計は近くに行かなければまるで時間が分からない。

寝室には目覚まし時計があるだけで側に行かなければ今の時間は分からず、時の止まった空間になっている。
洗面室に置かれたカラフルな置き時計は置いた場所が悪いのか?あまり見る事がなくなってしまった。
バスルームの防水用の時計は、ある日時間が遅れだし、電池を交換しても無駄だったのでそのままにしておいたら、今はいつも正確に動いているのだが、3時間ほど遅れたままの時を正確に刻み、直そうと何度か試みたが蓋が固くて開かないまま、いつも中途半端な時間で動き続けている。

台所の時計はかなり小さいながら何とか役にはたっている。しかし電子レンジについている大きなデジタル表示の時計ばかりを見ているような気もする。
家の中で唯一活躍しているのはトイレに置かれたチューリップ型の時計だけだろうと思う。朝に昼に夜に今を確実に教えてくれる。

忘れていたが愛犬の為のスペースにも生意気にも時計が置いてある。もちろん犬が見る訳ではなく、普段人間も見る機会は少ない、しかしこの時計は携帯用にコンパクトになる為、旅には必需品となる。

いったい家の中にはいくつ時計があり、どれがちゃんと今を教えてくれているのだろう?FAX兼用の電話にも大きなデジタル表示の時計…ビデオデッキにも地味に光っている時計…

実を言うと寝室の引き出しの中に、かなりの数の腕時計が入っている。10個以内だとは思うけれど(多分)昔私は腕時計を集めていたような気がする。安物ばかりだがデザインの変わったもの等々…
プレゼントに腕時計をもらったことも2回か3回か?あったはず…

いつだったか?ここに引越してくる前だと思うが、神経質に時計の音がうるさくて眠れないと言い、寝室の置時計を壊してしまった事があった。静けさの中で物音に異常なほど敏感に反応する私、大丈夫なのか?この家の中は?

2004.12.22


曼陀羅

先日セドナでお逢いした方から素敵な贈り物を頂きました。その方Nanaさんが描かれた曼陀羅です。
その色はとてもキレイで落ち着いた色のブルーで私の大好きな石ラピスラズリィの色によく似ていると思いました。

曼陀羅…
まだまだ勉強不足の私には、せっかく頂いた贈り物との接し方が分からず広辞苑で調べてみました。
曼陀羅…(曼荼羅・曼陀羅)
(仏)輪円具足・道場・壇・本質などと訳す。
諸尊の悟りの世界を象徴するものとして、一定の方式に基づいて、諸仏・菩薩および神々を網羅して描いた図。四種曼荼羅・両界曼荼羅など多くの種類がある。もともと密教のものであるが、浄土曼荼羅、日蓮宗の十界曼荼羅のように、他にも転用される。

少し難しいので違う辞典でも調べてみた。
曼陀羅…
(仏)大勢の仏や菩薩をたくさんならべて、模様のように描いた絵。
仏教の儀式の時に本堂にかけて拝む。
ちなみに曼陀羅華とは蓮の花のこと…

そして結局私はNanaさんに曼陀羅との接し方について(部屋に飾ったり、枕元に置いたり、願いを込めたり?)質問をしてみました。

Nanaさんから頂いたお答えは…
言葉の持つ霊力。
神=思い=想い
が言葉になったとき、そこでひとつの創造が起こります。

体験とはその創造を体感することなのです。

私達の現実で私たち自身が創造しなかったものはなにもない。
そのことを曼陀羅を見るときに思い出してください。

…とのことでした。
私は色の中で青があまり好きではないはずなのに、どうしてこうも惹かれてしまう青なのだろうと曼陀羅を見つめてしまいました。

今その美しい曼陀羅は枕元の引き出しに大切にしまってあり、時折眺めては幸せな何かを感じとっています。
気に入ったフレームを見つけたら、やっぱり部屋に飾りたいと思っています。

そう、以前このページで旅で購入して来た写真やカードに嫌悪感をおぼえ飾る気にもなっていないと綴ったはずですが、セドナの可笑しなパワーはある日私にその写真やカードを部屋に飾らせてしまったのです。
フレームに入れることもなく並べて立てかけただけなのですが…
すると…とても不思議な心の変化が起きました。
あまり詳しくは書けませんが…

セドナのエネルギーは今も私の中に沸々と存在していて、写真やカードを飾ったことで、まるで何かが共鳴したような気がしました。

Nanaさんの描いた曼陀羅…
セドナの写真やカード…
きっと私は近いうちに必死になって気に入ったフレームを探しはじめるような気がします。

12月にして、はじめてその土地の名前を明らかにしました。
旅の日記を読んで下さった方はもちろんご存知ですが…

アリゾナ州セドナ…
私の過去世が住んでいた場所、多くの気づきや涙を体験した場所、そして必ずもう一度帰る場所だと思います。

2004.12.23