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病床日記…
「お知らせ…しばらく入院致します。でもよろしければ掲示板に足跡は残して行って下さいね。お願いします。」
そう告げて入院の予定だった。病床日記がどのくらい書けるのか考えていた。しかし入院はまぬがれた、まったく驚くほどこのエッセイは私の病気便りはがりで他にネタがないのかと淋しくなる。
読みたい本、興味の復活した精神世界の中で気づきでも記したいのに…
私は今深刻な「うつ病」患者なのです。
確か7月、8月と嘆いていた私の神経科通いの病状が日に日に悪化して行き、真夜中や明け方にひとり苦しみ、疲れ果てていました。担当医に「お薬をもっと強くして下さい。」と訴えました。しかし、これ以上薬局から強い薬を出すことは危険で、薬を強くするのなら入院して点滴で治療するしかないと言われたのです。入院はとにかく嫌いで、今まで外科の手術も外来でやって来たほどの私でしたが、今回ばかりは精神的に限界で入院したいと思っていました。
とにかく今の現実の痛みから解放されたかったのだと思います。しかし、愛犬と離れることを考えると辛すぎて、都合よく2日、3日の入院などと考えていました。一週間なのか、一ヶ月なのか、担当医から入院設備のある病院への紹介状を渡されて、迷いながらも初診の予約を入れました。その予約の日の前には鍼灸院で澤田先生の治療を受け、現在のうつの病状のこと、入院のことを相談してみました。それはその日のうちにメモ書きのような文章で記してあります。
8月31日(水曜日)
治療前、頭も首も肩も硬い1枚の板だったらしい、ガジンガジンだったのかな、そして身体がむくんでいることも知らされた。「自分を大切にしてあげる」「もっと自分を大切にしてあげなさい」と…去年千賀子さんとKavitaaに言われた言葉、ずっと分からなかったけれど、今日治療中、その言葉が何度もやって来た。またスピリチュアルなものに惹かれはじめているこの頃、Kavitaaの言葉とヒューマンデザインとこれから読もうとしている本は繋がっている。「もっと私を大切にするぞ」…
9月9日(金曜日)
9月7日の予約を体調不良により本日に変更してもらった。
8月31日…あの日から私は決心を固めつつあります。
先生に相談をしてみました。「うつ病も鍼治療で治せるかどうか…」答えはもちろん知っていた。身体と心は全部繋がっているのだから…先生に入院のことも色々と話してみた、身体があまりに辛かったので薬を強くしたいと願い、その為には入院治療が必要になるらしいことも、そしてしばらく生活から離れて静かに暮らしてみたらどうかと言われたこと。
澤田先生は一番にらぴすのことを心配してくれた、離れて暮らすことで辛くなってしまうかもしれないことを…私は先生にすがるように訴えた「先生のところに毎週1回、2回通って、うつ病が治るのなら、そのほうがずっといいんです。」と…先生は薬が強くなることもことも心配していたけれど、ほんの数日でもワンちゃんと離れない方がいいと言って下さった。「家事は出来ていますか?」の質問に「鳥が汚すのでササッとでも掃除機をかけています。」「料理はどうですか?」「食欲はあるので、自分が食べたいので何とか簡単な物を作っています。」すると先生は家のことが何も出来ないほど寝込んでしまうほどなら仕方ないけれど、何とか出来ているのなら無理しない程度に家の中で入院のような生活を送ってみたらどうですか?といつものように優しい声と言葉で言って下さった。何故だか涙が出そうな気がした。
「ただ身体が辛くて家族に当たり散らしている自分がとても嫌なんです、でも誰も私の身体が辛いことを分かってくれなくて、少し出来れば、すべて家事が出来ると思われてしまって…」澤田先生は時にヒーラーだったり、カウンセリングの先生だったりする。いつもの事ながら頭がかなり熱をもっているらしい、その熱がとれるとだいぶ違うと話して下さった。
治療後助手と受付をなさっている女性の方に私の目の中がキラキラしていると言われた。身体の回復を表しているらしい、先週も同じようなことがあった。
甲状腺がんの手術で肩や背中が異常なほど硬くなってしまうようになった私、そして2004年先生の元に通いはじめた私、子宮筋腫も悪さをしないように治療してもらっていた、そして何ヶ月か通い身体が楽になり9月頃通院をしなくなり、2005年、年明けにまた辛くなり、春先から通いはじめ、生活苦からまた6月中旬くらいで中断、7月、8月この2ヶ月通院しておらず、辛くなって予約を入れたのが8月31日だった。
奇しくも「うつ病」が悪化し、日に日に病状が酷くなっていった頃と一致する。今気がついて怖くなった。3度目の通院はもっと本気で通ってみたい、週に1回か2回なら、らぴすも待っていてくれるでしょう!入院費用は聞くまでは分からないけれど何十万もかかるのなら鍼灸治療の費用にまわしたい。
出口の見えない神経症、そして併発して酷くなっていく「うつ病」…もうそろそろ自分を解放してあげよう、解放してあげたい!澤田先生の確かな技術と愛情と私の中でスピリチュアルに目覚めた新しい心で辛い辛い日々から解放してあげよう。
澤田先生がいつもらぴすのことを思って下さるのは、私が気がついていないほど、らぴすが私にとって大切な存在であることだからなんだと思う。らぴすと自然の中に行きたい、大好きな日光の湯滝や湯の湖にも行きたいし、キャンプにも行きたい!治療室を出て目が熱くなる思いだった。
助けてくれる人がいる、叫ばなくても助けてくれる人は近くにいたんだよね…
家の中での入院生活、いくつか考えて提案してみよう。洗濯も掃除も辛かったり、料理が出来ない日も多いものね。先生は自分がどんな病気でも治せるよなんて決して言わない、偉い先生なのに名医なのにちっとも偉ぶっていない先生だと紹介してくれた友人も言っていた。穏かで優しくて、きっと私の「うつ病」や心の中まで読めてしまうのだろうなと思う、辛いことも…
先生の目が見えないことで私の心の中がよく見えすぎているに違いないと思う、いい患者でいよう(笑)一生懸命にキレイにお化粧しても、お洒落しても先生には見えない…「先生患者さんは今日もとてもキレイですよ」そんなことをつぶやいてみた。
9月16日(金曜日)
そんなことがありながらも…
紹介状を持って私は家の者と共にはじめての病院の待合室にいた。散々待たされてやっと順番が来て呼ばれて、薬を強くしてほしいと望み、その為にこちらに入院することを勧められて来たと話した。
先生はとても風変わりな感じの面白い先生だった、病気の原因になっている家計のこと、ひとりで背負わされている家の中すべてのことの負担を話した。話は長く続いた、こんなに長く話を聞いてくれる先生ははじめてだ。話し合いは2時間弱にも及んだ。
結論からすると家の者の恐ろしいまでの危機感の欠如、危機感を共有することがすべての解決方法だった。
そして私の治療に関しては甲状腺がんをやっている為、肩や首や背中が異常なほどに硬くなる為鍼灸院に通っていることを話すと…「甲状腺機能低下症は?」と聞かれた。術後何年も経つが毎年検査を続けていて、数年前に甲状腺機能低下症が発症してしまったが、現在のところ薬を飲むほどではないと話した。しかし先生はホルモンバランスからのうつ症状の悪化も考えられると指摘した。その事はずっと通っている担当医に話して相談してみることになった。
入院は必要はない、つまりは起こっていることの現実をまるで気がついていない人間に対して何度も危機感を感じて行動するようにと話して下さった。患者である私ではなく、付き添いのはずの人間に先生はいくつかの質問もした、家庭の中の質問だった、答えられなかったり、口ごもる人間に先生は考え方の甘さまで指摘してくれた。
20代から「若いうちの苦労」と思い、人より多く苦労を経験して、夜間に学校に通う為に、ひとり暮らしをしながら会社勤めの他に別にバイトまでしていた、霞を食いながらも生活していた、若さだけで乗り越えて来た日々は決して無駄ではなかったが、そこから経験して得た強さとしっかりし過ぎてしまった私が憎いとも思った。常に相手が軟弱でバカに見え過ぎてしまうから…
病床日記は入院して書くことはなくなった。ただ私の病床記録はまだまだ続くのか?それとも最後の挑戦と本気を入れている澤田先生の治療にかける意気込みで、そっと静かに痛みから遠ざかって行くのだろうか?
いつかセドナに行けるその日…
健康でいたいから…
今日も六本木の喧騒の中、治療院までの道のりを目指す。
2005年9月17日
この日記を走り書きした数日後も鍼灸治療があった、今私の身体は軽い、やっと心から笑える体調に戻れる気がしている。 |
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