![]() 工房 和香 ![]() |
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![]() ●木次線 3段式のスイッチバックと国内最大のループ橋と<砂の器>の亀嵩駅へ ・・宍道駅(島根県山陰本線)~備後落合(広島県芸備線) ● ![]() ●石川啄木・宮沢賢治のふるさとにふれ,遠野市の民話を聞き,・・・ |
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![]() be京都(町屋ギャラリ-)京都市上京区新町通上立売西入る上る安楽小路街429-1 TEL:075-417-1315 ■sola wood work(手作り家具) ■LET wood Be (木のおもちゃ) ■木工房 KAJI (木彩画) ■灯りと飾り |
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![]() ![]() ![]() ![]() 会場近くの御所内の紅葉 ギャラリ-be京都 灯りの展示 布切り絵の行灯 |
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![]() ![]() ![]() ![]() 木のおもちゃ<中山カズト> 木工房KAJI<梶谷宗司> Sola wood workshop<鈴木直彦> 飾りの展示 |
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![]() 岩木山(津軽富士) |
寝台特急日本海で青森県弘前で下車。天候が心配で有ったが,途中の車窓から天気が良すぎる位に感じていた が,大鰐駅から列車の運行状況が悪くなり約30分遅れで弘前に到着。しかし,五能線が前日の雪の為運休となり 代行バスで五所川原に向かいギリギリでスト-ブ列車に乗る事ができる。 津軽鉄道は津軽五所川原~津軽中里 間20.7。kmであるがスト-ブ列車には終点の津軽中里まで折り返し同じスト-ブ列車に乗り金木で下車。津軽三 味線会館と太宰治の斜陽館を見学後,帰りは金木駅から五所川原迄は,普通車に乗ることとする。往路の五所川 原でギリギリでスト-ブ列車に乗るとアテンダントの若い女性が乗車し,お客様へ奥津軽の観光案内、物産、食べ物 、お土産などの情報を紹介しています。我々も,スルメを買って焼いて貰いながらちよっと,ビ-ルを飲みながらア テンダムの案内を聞きながら奥津軽の車窓を楽しむ。スト-ブ列車は機関車を入れ四両編成で,牽引するのは DD35型機関車で新潟鉄工で製造された日本のディ-ぜル機関車としては初期の車両で軸配置B-B。貴重な ロッド駆動式機関車であるとのことで,DD351・DD352の中DD351号機は機械故障の為現在休車中との事。 普通車は,新潟鐵工所で21-101・102を新造された。新潟鐵工所が製作したNDCの軽快気動車シリーズの18m級 気動車。エンジンはDMF13HZ(330PS/2000rpm)を1基搭載している。愛称は「走れメロス号」(沿線出身の作家であ る太宰治の作品から)。その後、2000年2月に103・104・105の3両を増備し、現在は全部で5両在籍している。 冬の奥津は初めてで津軽中間駅功天気に恵まれ,雪に埋まった雪景色に見とれて車窓である。金木で津軽三味線 会館と太宰治の斜陽館を見学後,普通車に乗って五所川原に戻る。夜も,一昨年に行った五所川原の居酒屋、 <だだん>で津軽三味線の好きな友人と力強いバチさばきに聞き入る。(津軽鉄道のHPより一部参考。) |
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![]() ![]() ![]() 中間駅の金木駅の<走れメロス>とスト-ブ列車 スト-ブ列車の車内案内のアテンダント 1車両に二つのスト-ブが2両と走れメロスが1両の3両編成 |
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![]() ![]() ![]() 津軽平野の金木駅に入る<走れメロス> 終点の津軽中里駅のスト-ブ列車 私鉄最北の駅 終点の津軽中里 |
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大阪出発は寝台特急日本海で![]() 大阪駅を17時47分発の寝台特急日本海で青森迄向か う。元はトワイライトエクスプレスに乗る予定であったが, この時期一人での旅行では,無理でツア-でないと難し く,札幌迄日本海・白鳥・ス-パ-北斗を乗り継ぐことに する。途中,O4時項目が覚めると鳥海山薄暗い中で朝 焼けの鳥海山(出羽富士)をカメラに撮る事ができ少々 興奮。青森で特急白鳥に乗り換え青函トンネルを通過 ,函館で更に特急ス-パ-北斗に乗り換え札幌へ ⇒ |
十勝岳8合目凌雲閣の絶景露天風呂![]() 札幌から,深川・滝川を経て釧路本線で富良野へ普通電 車を乗り継ぎ本日の目的地富良野に到着。ビジネスホテ ルに到着後,調べておいた目的の居酒屋へ直行。明日 は,ふらのクリエ-タ-マ-ケット(上記掲載)を見学後, 上富良野からバスで50分位の十勝岳8合目の凌雲閣へ 向かう。昨夜の居酒屋でも聞いたが,噂さ通り以上の絶景 の露天風呂で,女性の露天風呂からも感激の声が聞こえ る。翌日,凌雲閣で露天風呂と湯上りの一杯を楽しんだ後 ,富良野線で美瑛等の天気も良好野中,車窓を ⇒ |
上富良野駅から旭川経由で![]() 楽しみながら石狩川を渡って旭川駅に到着。全 線高化工事中でJRも国鉄時代だったらあちこち で駅開発ができただろうか!と思われる。稚内 行きの列車の到着迄時間があるので駅構内で 昼食をとる。14時12分に札幌発の特急サロ ベツが到着。3両編成のヂ-デル車であるが, 馬力が有るのか,加速・速度共少々驚く。宗谷 本線の車窓を万傑。名寄を過ぎるとより一段と 牧場が増えやっぱり北海道という景色を楽し みな又,長く天塩川と仲良く進む4時間の列車 の旅を楽しむ。 ⇒ |
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稚内駅構内の特急サロベツ号![]() 稚内駅に到着。やっと北の果て迄来たなぁ~と思い駅周辺 を探索しながら明日の市内観光バスの案内を確認。ホテル ではちよっと休憩後,ブラブラしながら調べておいた居酒屋 へ入る。当然ながら,蛸しゃぶなどご当地推薦のメニュ- を選びちょい一杯飲んで温泉に入って一日が終わる。翌日 8時30分発の市内観光バスに乗車。稚内公園で 樺太で 亡くなった人々の慰霊と、異国になってしまった樺太への 望郷の念を込めて建立された。<氷雪の門>また,終戦 |
線路一本の稚内駅![]() 直後の昭和20年(1945年)8月20日、ソ連軍による 樺太真岡侵攻の最中、勤務する真岡郵便局の交換台を最 後まで守り、自らの命を絶った9人の若き女性交換手を慰 霊する為に建立され,慰霊碑には亡くなった9人の名前、 彼女達の最後の言葉となった「皆さん、これが最後です。 さようなら、さようなら・・」の文が刻まれてい.る<九人の乙女の碑>があり又,昭和43年、稚内をご訪問された昭和天皇・皇后両陛下のご来市の記念と、九人の乙女の悲話をお聞き |
日本最北端の地の碑![]() になった時、そのご感銘を詠んだ御歌・御製が刻 まれている<行幸啓記念碑>等を見学。その 後,ノシヤップ岬そして宗谷岬手前の広大な牧場 を経て日本最北端の地の碑でゆっくり休憩。市内 観光は初めてであるが,簡単に安く色々観光でき て良いものである。この後,利尻島へ行きたかっ たが,ひとり旅では宿が取れなかった為,再び, 特急サロベツで幌延駅へそこから沿岸バスで オロロンラインを通りしょさんべつ温泉迄行く事とする。 ↓↓ |
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深川駅での留萌からのワンマン車両![]() オロロンライン沿岸バスは,地域バスと思われ各駅に停車 し,天塩や遠別では,市街地グルッと回ったり,連絡が有っ たりすると寄って行くようでしょさんべつのホテルへも国道を 離れて寄ってくれる。噂で聞いてたいたが,列車もよいが, オロロンラインをバスで行くのも良いと聞いていたが牧場や 日本海の景色を見ながらもやっぱり良く1時間半程のバス の旅も景色に目を奪われるようである。しょさんべつ温泉で は,露天風呂から利尻島がうっすらした雲出で見えず残念。 翌日,しょさンべつからJR留萌駅迄同じ沿岸バスで2時間 のバスの旅で子供や老人・通学客など地域社会に溶け込 んだ交通手段と乗客とって大事なものと思われる。途中, 羽幌・苫前の港町を通り留萌本線留萌駅に到着。 ⇒ ここから一度乗って見たかったった留萌本線道内有数の |
寝台急行<あかつき>札幌~青森 札幌駅![]() 穀倉地帯で,どこまでも広がる美しい水田を見ることがで きる。恵比島から峠越えとなるが,勾配は緩い。峠下は山 間の小駅の趣で,無人化されている。留萌までは特に特徴 もない車窓が続く。留萌からは線路がガタガタになり,列車 のスピードがガクンと落ちる。増毛まで16kmの間に8つも駅 があるが,利用者は少なく,のんびりと車窓を楽しむことが できる。終点の深川からス-パ-カムイ34号に乗り札幌 へ・・・。札幌22時迄6時間程あるので時計台・大通り公園 など参院選の選挙運動なども聞きながら市内をブラブラ する。夜,大糸線に8時項に駅近くの居酒屋で時間を潰し 駅構内に入り寝台急行<はまなす>に乗車。車内の B寝台・カ-ぺットカ-等を見る。その後ドリ-ムカ-の |
寝台急行<あかつき>函館駅02時52分着 ![]() 6号車でゆっくり寝る準備をしているとゆっくりと発 車。この車両で8人が乗車。目を閉じていると南 千歳辺りで寝てしまい白老・長万部と夢うつつの 中で気がつくと函館に到着。30分の停車中機関 車交換で進行方向も逆 となる。この後3時過ぎ であるが,目がさえて青函トンネルを帰りも楽し み青森県に入ると雨で北津軽のボンヤリト楽しみ 5時39分青森に到着。ちよっと早いが駅外に出 て吉野家で朝食。この後弘前で弘前城と岩木 川を散策。南津軽の碇ヶ関温泉に宿泊。翌日 ,特急<かもしか>秋田で<いなほ>を乗り ついて゛新潟で一拍し,翌日特急<北越>で 糸魚川で大糸線に乗り換え,姫川駅のフオッサ マグマ温泉のホテル糸魚川に宿泊。最後の日の 温泉を楽しんで翌日大阪に10日振りに帰阪。 |
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夏油温泉の露天風呂めぐり (7つの湯) 11年23日~27日 夏油川渓流に臨む,源泉が異なる湯 東北新幹線の北上駅で迎えの車に乗る。私一人の為,乗用車で有る。約一時間 程との事で色々話を聞く事ができた。噂で湯治場として以前から有名であり一度は来たかった温泉 である。今回は,旅館部で事務所の真上の部屋である。建物は,昭和時代と言った感じでトイレは,共同である。 日本の秘湯を歩くパンフをスタンプを押して頂く。3年で秘湯の会 の旅館に10回入ると一回招待になるらしい。さっそく浴衣に着替えて四つの露天風呂めぐりをする。 |
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![]() ![]() ![]() ![]() 疝気の湯 女(目)の湯 大湯 真湯 |
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渓流沿いにひそやかに湧き出る湯。 ほう酸性が強い露天風呂 夏油を代表する湯 57度日によって温度が変わる。 眼下に見下ろす。露天風呂 | ||||||||||||||
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![]() 森宮野原駅 |
豪雪地帯を行くJR飯山線 2010年1月19日・・津南で296cm 09年年末の寒波で積雪の為運休で旅行の中止 となり,新年も早々の寒波の襲来で運休の為, 天気が良くなる。19日に出発となったが,除雪の ために戸狩野沢駅で運行停止。この駅で次の列 車迄2.30分程待って越後川口行きに乗車。 千曲川沿いを津南へ。途中,日本最高積雪駅の <森宮野原駅>を過ぎて間もなく長野県から新潟 県へ入ると川の名前も千曲川から信濃川に変わり 豪雪地帯を堪能。旅館に3時項に入る予定が,5 時半項となり雪の中千曲川露天風呂でつくりと思 ったが残念。翌朝8時初の電車であるが,十日町 駅で次の列車迄4時間半待ちとなるのでほくほく 線に乗り換えて六日町から長岡に出る事とする。 豪雪地域では,昼間は除雪が入るので列車の運 行は安定であるが朝晩は通勤通学の為運行停止 は減るとの事であり,雪を楽しめたが・・・・。 |
![]() 越後川口雪がで除雪の為途中,戸狩野沢駅で運行停止 |
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![]() ![]() ![]() 千曲川(長野県)から信濃川(新潟県)へ 千曲川から信濃川となって(津南で) 津南駅朝8時発で20人程の人が乗車 |
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![]() 岩木川より望む津軽富士の岩木山1625m |
青森県津軽に行き,津軽鉄道に乗り太宰治の斜陽館・津軽三味線会館で津軽三味線を聞き,岩木山の写真 を撮る目的で津軽まで来たが,天候が悪く山の写真は上部に雲が懸り1時間程岩木川の河原で待ったが残念する。JR五所川原で駅で津軽鉄道に乗り変え金木駅に向かう。五所川原の駅に最近見たことのない古いラッセル車を発見,最近のラッセルと違いまるで鉄の塊のようである。車両は走れメロスの看板を掲げ,殆どこの最新の車両で乗った車両は,全車両が幼稚園児の作った七夕の飾りであった。中には,仕事がほしいの短冊も。五所川原~金木駅間は,女性の観光アテンダ-が乗車し観光案内もしてくれる。案内によると金木のひと駅前のかたせに吉幾三が生まれたとの事。津軽三味線発祥の地金木駅に到着。津軽三味線会館へ 真っすぐ行き,会館内の三橋美智也と三味線の展示を鑑賞。その後,津軽三味線のライブを30分程楽しむ。 津軽三味線をちゃんとして聞いたのは始めてであり感激。この後,太宰治の斜陽館を見学。この太宰治も津軽鉄道を乗ろうと思ってから,この文学者のを東北の宮沢賢治・石川啄木と共に興味を持ち知ろうとするようになってきたが,これで,この3人の文学者の地を尋ねる事ができた。金木駅に戻り,終着駅の津軽中里へ再び列車に乗り込む。終点の津軽中里駅には,何もなく折り返し列車まで40分程駅周辺をうろうろする。 津軽鉄道は,全長20.7kmで乗車時間は37分である。冬は有名なスト-ブ列車があり,その他七夕列車・風鈴列車・鈴虫列車があって営業の努力が伺える。この沿線から見る岩木山(津軽富士)が壮麗で美しいのであるが・・・。また,津軽鉄道は,日本最北の私鉄でもある。 |
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![]() ![]() ![]() 五所川原駅構内の重厚な古いラッセル車 七夕の飾りの列車 終着駅の津軽中里とはしれメロス |
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![]() ![]() ![]() 太宰治の 斜陽館 津軽三味線会館のライブ 私鉄最北の駅の看板 |
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木次線は、宍道駅(島根県山陰本線)~備後落合(広島県芸備線)に至る81.9kmのローカル線である。かつては陰陽連絡線の一つとなっていて急行 |
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![]() 三段式スイッチバックは、現在の3路線 にしかありません。凡そ、1000mで25m以上 の勾配という狭い山間部に鉄路を引くための 苦肉の策といえるが、その分高い標高まで 登るため、登りきった場所での眺望は、 絶景であり,事実、この木次線の眺望も、 絶景と言える。事実、木次線の三井野原駅は JR西日本での最高地点(海抜726m)に ある駅であり、このスイッチバックの途中は ,道路橋の奥出雲おろちループ最大の 観光ポイントであるといえます。 木次線の 出雲坂根~三井野原 勾配30.0‰駅間距離6.4km駅間 時間17分 |
![]() 国内最大の奥出雲ル-プ橋 木次線の 出雲坂根~三井野原 三段式スイッチバックの車窓より 国道314号の坂根・三井野原間(区間長6㎞、標 高差167m)を11の橋と3つのトンネルを使い、二 重ループ方式で結ぶ道路昭和57年に着工され 平成4年(1992)4月に開通しました総事業費は 140億円ループ式の道路としては、日本一の規模 を誇りますループ全体が二重にとぐろを巻く八岐 大蛇(やまたのおろち)をイメージしている。 |
![]() 雄大なケールを誇る三井野原大橋 トラストアーチ橋としては日本一です。 おろちループの象徴として神話の炎たたら製鉄 の炎等 またループをとぐろを巻いたおろちの 胴体とすると橋は「頭・口」でありおろちの口 から火を噴くイメージとして赤色をしています |
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![]() ![]() ![]() ![]() 木次線起点の山陰本線宍道駅 奥出雲おろち号 小説<砂の器>の亀嵩駅 小説<砂の器>の石碑 |
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![]() JR日本最高積雪地点 昭和20年2月12日に7.85mの積雪を記録 |
![]() 飯山線は,新潟県越後川口から長野市豊野への96.7Km で,雪で2~3年前にも津南町の地域が,交通が遮断陸の孤島となって連日ニュ-スで流れ一度行って見たいと思っていたが,昨年は,途中で中越地震に合い断念。今年再チャレンジとなった。豪雪の山間と千曲川沿いを走る夢である。長野県内では千曲川に沿い、新潟県内に入ると千曲川から名を変えた信濃川に沿って日本有数の豪雪地域を通る。路線のほとんどが谷沿いの山間部を通るため、主に夏季は大雨による土砂災害、冬季は大雪による雪崩や除雪作業等によりしばしば運休することがある。出発駅の越後川口発8時57分発のジ-デル車キハ112-210の珍しく3両編成に乗り込む。当然ながら乗車した3両目車内は,私一人で全車で4人であった。27分で十日町に到着。ここで,10時57分発の戸狩野沢行きまで1時間半以上の乗り継ぎ時間待ちとなり,十日町市内を散歩。雪国らしく商店街は屋根付きの廊下である。早い目に乗車していよいよ飯山線のメインル-トと思いカメラを準備。出発となるが,車両は先程乗ったのと同じでそのまま直通にすれば良いのにと思った。只見線とはちよっと違った信濃川・千曲川沿いの列車の旅である。十日町駅を過ぎると線路脇の島のような残雪も少しづつ増え,千曲川ともつかず離れずに走り,遠くの山々もまだ白く雪をかぶって新しい新芽の緑の木々と桜の花となんとも言えない季節と色彩の混合で飽きもせず窓の景色を見る事ができた。豪雪の津南町に続き,森宮野原駅では,昭和20年2月12日に7.85mの積雪を記録しており、それを示すメジャーが横倉方面のトンネル寄りのホーム端に立てられていたが、1990年1月、構内に新たにJR日本最高積雪地点を示す標柱が立てられた。千曲川沿いに走ると徐々に山間が広くなり戸狩野沢駅に到着。この駅で又,再度長野行きに乗り換える事となる。この飯山線は直通が越後川口から1本しかなく,十日町駅と戸狩野沢駅での2回の乗換えが時刻表では殆どである。 |
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![]() ![]() ![]() 十日町駅で3両編成のジ-デル車キハ112-210 千曲川沿いを走る・・新緑の木々も 千曲川沿いを走る・・遠く残雪残る山々 |
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![]() 渋民公園の啄木の歌碑と南部富士(岩手山) |
今回の旅で啄木のふるさと渋民村を訪れるのが,最大の目的であるので 渋民駅へ着いた時は,少々興奮気味であり,早速駅前の記念歌碑の前と 駅看板に岩手山をバックに撮影。その後,タクシ-で啄木記念館に向かう。 途中,姫神山がカラット晴れた青空にくっきりと映えており感激。 先に,渋民公園の歌碑に行く。歌碑と岩手山の写真そして北上川の流れの 写真を撮りやっと一息。遅い昼食を横の店で取る。映画の北上夜曲(エレジ -)では,若い男女が遊ぶシ-ンの場所であるが,最初,修学旅行(高校) で来た時には,北上川の川原に歌碑があった様に思っていたが,記憶間違 いかなぁ!兎に角この歌碑の詩が三橋美智也の歌の中で歌われていたの でよく口ずさむ。 歌碑と北上川に別れをおしんで次に,記念館まで歩くこと にした。記念館を見学。啄木の生誕から生涯をゆっくり見てふれる。横の旧 渋民小学校(移築)と子供との銅像を見ていると来て良かったと一人ふと つぶやく思いである。 やわらかに柳あおめる 北上の岸邊目にみゆ 泣けとごとくに |
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![]() ![]() ![]() 石川啄木記念館横の急渋民小学校(移築) 渋民駅と南部富士の岩手山 ふるさとの山 姫神山 |
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![]() 遠野駅横の観光組合にて・・ |
宮沢賢治記念館は,JR新花巻駅より,バスで2分程の所であるが,タクシ-で 行く。雨にもマケズ・・懐かしく思いながら入館。自筆の詩や日記・手紙を見ると 教師から貧困な農民の指導へと37歳の短い人生を童話作家・詩人・地質・ 宗教・科学・他幅広く活躍し。啄木の26歳での生涯と感慨にふける思であり, 学校で習った時の事を思い出し懐かしくなるものである。 記念館横のレストランで少々遅い昼食を取る。記念館より少し下った先にある 童話間を訪問。子供達が多くいて楽しんでいたが,先ほどの,記念館の資料と 多くの作品からまことの道イ-ハト-ブの世界(理想郷)を少しでも感じ取れれ ばと思う。 銀河ドリ-ム鉄道釜石線(憲治の銀河鉄道かなぁ)で新花巻から遠野~釜石 ~宮古へ向かう事とする。途中,遠野市で途中下車。さすらい地蔵を見に歩い て行く事とするが,少々歩き過ぎて時間がなくなり,駅で民話の語りを聞く。題名 は,豆とあがりとわらそして座敷童であるが,言葉が中々判りにくかった。 |
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![]() ![]() ![]() 宮沢賢治記念館 記念館 の外 童話館の入口と銀河鉄道かな! |
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工房和香 の~んびり工作室(灯り・飾り・木工・竹細工・他 ) 楽しみな旅へ(ロ-カル線・温泉・行って見たい所・神社仏閣・他) 新たな旅へ(ウォ-キング・健康・なつかしい童謡・唱歌・わらべ唄・詩・小話・他) メ-ル箱 ![]() ![]() |