少年サッカー (佐藤治夫) TOP 本文へジャンプ
少年サッカー



指導者として


子供の成長

子供の発育は,神経系>筋力系>心肺系という順序で進むと言われています。運動神経/反射神経などと呼ばれる神経組織が最初に発達し、その後,筋力がついていき、最後に持久力の礎となる心肺系が発達するという順序です。

恐らくこの法則は、生物あるいは動物にとって、生存に適したものとして人類ならびに他の動物の,遺伝子にでも組み込まれたものではないかと考えられます。生まれたばかりの動物は,まず危険から逃れることを覚えるためにすばしっこくなり、次に、獲物をつかまえたり外敵と戦うための筋力がつき、そして最後に,長期戦になっても逃げ続け続けたり、戦い続けたりするための心肺系が発達するのではないでしょうか。

恐らく、人類は,自然の中で暮らしていたときには、生存のために神経系/筋力系/心肺系を最大限に発達させていたであろうと推測できます。また、ほんの数十年前の東京においてすら、子供には遊ぶ場所と追いかけるべき虫や動物が豊富に存在し,多くの子供は「ほうっておくだけで」成長の条件を満たしていたものと想像します。

サッカーは,それをするだけで楽しいものであり、何もこむずかしい理屈を並べる必要がないものです。町に豊富な遊び場所があり,子供達がいつでも自由に遊べる環境があれば、それでよいのかも知れません。しかしながら、そういった環境は,比較的に緑が豊かである武蔵野市においてさえ満足の行くレベルにはなく、また、子供の発育にとっての阻害要因とでも呼ぶべきテレビゲームなどの普及が、子供の自然な成長の邪魔をしています。そして,せっかくの機会である少年サッカーにおいて,もし、過度に勝負にこだわった方針や内容で子供達を指導すると,前述の自然の法則に逆らった発育を子供に強制することにも成りかねません。

子供は、10才ぐらいで神経組織の完成を見ます。すなわち、神経系は小学校高学年で既に大人と同じレベルにまで発達します。この年代までに、もし、体を動かすこと、体を反射的に動かすこと、様々な動きを自由自在に素早く行うことをサボッてしまうと、その子供の神経組織は,低いレベルのままで一生とどまってしまう恐れがあります。ですから、その年代において,子供に運動や遊びをさせることは,親や社会の義務・責任であろうと思います。一方、筋力系は小学校高学年から発育が顕著となり、中学生、高校生に至る時期に大きく発達します。心肺系についてはさらにそれより遅れ、中学生から高校生の年代で顕著な発達が始まります。もし、少年サッカーにおいて、「根性をつけるためのグラウンド10周!」といった心肺系の練習メニューを強化したり、大きく蹴り出した子供のプレーを「スゴーイ!」と親やコーチが喝采するなど、筋力プレイを絶賛してしまうと、自然の法則にそぐわないことになります

「ゴールデンエイジ(Golden Age)」という言葉があります。11才ぐらいから14才ぐらいまでの年代をこう呼びます。神経系がほぼ完璧に発達し、一方,筋力系は発達しきっておらずにやわらかい筋肉を持っている年代です。この年代はサッカーに限らず多くのスポーツにとって、是非とも最大限に活用したい年代であり、一生にただ一度しか訪れないために,この名がつきました。サッカーでは、「一度見ただけで、同じプレーができてしまう」年代として,指導者であれば、誰もが知っている言葉/概念です。

プロ選手のスゴイ技であっても、コーチから「これ,できる?」と聞かれた技であっても、やってみると簡単にこなしてしまうのがこの年代の子供達であり,周囲は驚きます。このゴールデンエイジを生かすには、まず第一に、この年代に突入する時点で、サッカーが好きである必要があります。サッカーが好きでなければ、スゴイ技を見ることもなく、それをマネしてみようとも思いません。第二に、サッカーを有る程度,知っている必要があります。「スゴイ」と考えるのは、単にその技がむずかしいだけではダメで、その技の効果が大きくなくてはいけません。
すなわち、「これができれば大きなチャンスになる」ということを理解していなければ、せっかくのゴールデンエイジに無意味な技ばかり練習することにもなりかねません。ですから、我々コーチは、ゴールデンエイジに至るまでの年代に、基礎技術を徹底して身につけさせ、また、戦う気持ちと,ゲームの中での判断力を重視したトレーニングを行います。

3年生や4年生が対外試合を行うと、キック力のあるチームにボロボロにされてしまうことがあります。基礎技術を最優先とし、戦術的なことを教えていない段階で、勝負を優先するチームと戦うと,よくこういう結果になってしまいます。しかし,たとえ大きな点差が開いたとしても、我々は戦術を変えませんし、トレーニングの方針、内容を変えません。それが我々指導者の使命であると考えるからです。

子供の個性

バスケットボールやバレーボールのトッププロあるいは世界の一流選手の中には、背が低い選手/手足の短い選手は,まず皆無ではないでしょうか。あるいはオリンピックなどを見ていると、水泳選手の体格、体操選手の体格、長距離陸上選手の体格など、スポーツの種類によって,どうも「最適な体型」というものがあるような気がしてしまいます。

ところが、サッカーはどうでしょうか。昔も今も、小さな名選手がたくさんいます。マラドーナ,アイマール、ロベルト・バッジョなどは関前のコーチの中に入ってさえ平均より小さい方かもしれません。ヨハン・クライフやフランツ・ベッケンバウアーなど、ひょろっと細長い名選手がいるかと思えば、ガスコイン,クビジャ,ボビー・ムーアのようなちょっとオデブな名選手もいます。アンリ、オーウェン、シェフチェンコなど「速い!」という印象の名選手がいるかと思えば、ジダン,ルイコスタ,小野伸二など決してそんなに速くない名選手もいる。ビエリ,ダービッツ、ソル・キャンベルのように「強い!」という印象の名選手がいるかと思えば、ジャンニ・リベラや中村俊輔のようによく倒される名選手もいる。ペレのようにインサイドとアウトサイドの両方を同じぐらいの頻度で使う名選手もいれば、ソクラテスのようにほとんどインサイドだけで仕事をする名選手もいる。 ボビー・チャールトンのように左右両足を自由に使う名選手がいるかと思えば、オフェラーツのようにほとんど左足だけでやってしまう名選手もいる。このように,キリがありません。「なんでだろう」と歌いたくなってしまいます。

恐らく一つの答えは、手が使えないからではないかと思います。その証拠というわけではありませんが,手が使えるゴールキーパーの名選手には,プレースタイルの違いはあまりありません。サッカーは自分の長所を極限まで生かせるスポーツなんだろうと思います。あるいは、自分の欠点を,長所を磨き抜くことで,ほとんどカバーできてしまうスポーツなんだろうと思います。

少年サッカーにおいても、スピードを生かす子供、アジリティを生かす子供、柔らかさを生かす子供、あるいは堅さすら生かす子供がいます。
頭脳を生かす子供、心配症が功を奏す子供、大胆不敵さが長所である子供、指導力のある子供、常に前に出る子供、常にカバーリングを考える子供。これもキリがありません。子供の持つ個性は、その子の宝物です。一人一人の子供達が、少年サッカーを通じて,自分の宝物を見つけていきます。そして、その宝物に磨きをかけるのです。このことだけでも、少年サッカーの指導者をやる意義があると思います。そして、ある日、子供達が仲間の宝物を意識し始めるのです。「アイツを走らそう」「後ろはアイツにまかせておけば大丈夫だ」「アイツのヘディングを生かせないか」と。こんなすてきなチームを作り続けたいと思います。