少年サッカー (佐藤治夫) 本文へジャンプ
少年サッカー



指導者として


脳の話

今回は、特に男の子を持つ母親に読んで欲しい。この主題は、男の子をサッカー好きにさせる、あるいは、させない大きな要因として、母親の応援のあり方がかかわる可能性が高い、というものである。

世界的なベストセラーに「話を聞かない男、地図が読めない女」という本がある。日本でも大ヒットした。心理学に詳しい夫婦が「男脳と女脳の違い」を、恋愛などを含めた様々な事例で紹介した愉快な読み物だ。その論旨をごく簡単に整理してみる。男女平等といった動きはここ数十年のものであるが、人類の脳の構造は、それ以前の有史以来数千年どころか、穴居人(=洞穴生活者、cave man)数百万年の間にほぼできあがったものであると考えられる。当時、男は狩猟に出かけ、女は洞穴の中や周辺で子供を育てながら果実収穫などを担当していた。つまり農耕生活が始まる以前の時代であり、狩猟時代の方がはるかに長いことから、この時代の男と女の役割分担に基づき、脳の構造の最適化が進んだという理論である。男は、鹿やウサギなど大きな獲物を求めて遠くへも出かけることが多かった。1頭あるいは1匹の獲物が取れるかどうかが、家族の生死に影響することもあり、男の脳は「1つのことに集中する」ことができるように最適化が進んだ。一方、何人もの子供を守り、育てていた女は、洞穴の中の様々な小さな危険、ヘビ、ネズミ、サソリそして病気などから子供達を守るために、同時に「多くのことに注意を払う」ことができるように最適化が進んだ。

男は1つのことに集中しているときは、何を言われても、聞かれても、脳がそれを雑音として処理することがある。一方、女はテレビを見ながら電話で話しつつ同時に子供を叱る芸当を難なくこなす。例えば、次のセリフを超早口で言ってみてほしい。女ならきっとできるはずだ。「ちょっとカズオちゃん、宿題やったの?先週も宿題忘れているんだから、2回続けたらみっともないでしょ。あらあら、お兄ちゃんまた制服を脱ぎ捨ててる。まったく誰に似たんだか。カズオちゃん、あんた!なに!またプレステやってんの?もう!そんなに近くに寄って!パパみたいにメガネになっちゃうわよ。お兄ちゃん!でかけるの?ちょっと制服!あ、それなら帰りに洗剤買ってきて!アタックよ!パ、パー!今頃起きたの?ちょっとその髪型、なんとかならない?カズオちゃん、宿題は!お兄ちゃん、アタック!パパ、ハゲが目立つわよ。」

三人の男たちはほとんど情報を処理しきれないだろう。ちなみにこういうときは母親のツッコミを横に流して、「ママ、今日は一段とキレイだね」などと応戦する方がいい。さて、女脳が子供の教育・育成に注意を振り向けるときも、その特長をいかんなく発揮する。関前に実際にあった例だが、関前サッカーだけでなく、バスケット、吹奏楽、公文の算数というように、すべての曜日が埋まるようなスケジュールを用意する。自分の関心が同時に多岐にわたる特性を持っているので、特に男の子ひとりの一人っ子で父親は相手にしてもしょうがないような状況の際は、男の子ひとりが母親の愛情の直撃を受ける。小学校3年生ぐらいになればすでに男脳の特性が存分に発揮され、例えば、虫博士、クルマ博士、TVヒーロー博士など、1つのことへの集中力を発揮できるものなのだが、母親の多方面同時進行型愛情機関銃がそれを許さない。サッカーへの没頭もかなわない。サッカーを好きになり、上手になればほめてもらえるが、水泳も英会話もピアノも犬の散歩も上手にならなければ母親が望む完璧な子にはほど遠い。父親が会社とパチンコだけな場合など、この傾向はより顕著となる。

レオナルド・ダ・ヴィンチは万能の天才と呼ばれた。アルキメデス、ゲーテ、森鴎外など多才な傑物も多い。関前のコーチだって、サッカーだけじゃなさそうだ。怪しいけど。でも、多才な人物であっても、少年時代や青年時代は、例えば数年単位で一つのことに没頭し、それを有るていど程度極めた上で、次のことに移行しているハズである。我々は、少年時代にサッカーに没頭することのメリットを知っている。だから、できるだけサッカー好きにさせようと努力している。学校の宿題をやらなくてよいというわけではないが、男の脳が一つのことに集中したとき、すごい集中力を生むことを知っているからである。1年生のときには泣いてばかりいたような子が、6年生になるとコーチよりも上手になり、コーチよりもサッカーを理解するような男子に成長することを、経験で知っているからである。


変身の話

変身といっても仮面ライダーとか、スーパーサイヤ人の話ではありません。実際に変身したと言えるほど成長してくれた二人の実在の男の子の話です。また、男の子の変身といっても成長期に見られる「男っぽさの発露」とかではなく、小学校3年生の男の子が、見た目は全く変わらずに、中身が大きく変わったという話です。

コーチである私が、MとSに初めて会ったのは3年生の1学期、4月か5月だったと思います。M君の自慢はヘリコプターに乗ったことがある、というものでした。「へえ、スゴイね」というと、「お父さんが警察官だからね」と自慢そうでした。「じゃ、それ、お父さんがスゴイんだ」「君ができる(サッカーの)ワザとかで、自慢は何?」と聞くと、「う〜ん」となっちゃいましたから、サッカーで自慢できる技術とかは持っていなかったはずです。

M君は謎の腹痛に悩まされていました。練習は休みがちで、また、練習の途中で必ずと言ってよいほど「おなかが痛い」と私に言ってきました。「休んでいいよ」と言うと、最初のうちは練習が終了するまで休みっぱなしでした。休んで見ている間に練習が楽しそうだったりすると、「直った」と言って復帰しました。7月頃だったかと思いますが、こちらからは何も聞いていなかったのですが、「おなか痛いけど、やる」とやや悲痛な面持ちで頑張っていました。9月頃だったかと思いますが、「おなか痛いけど、やる」と今度は半分笑顔でした。涼しくなってからは「おなか痛い」ということがなくなりました。コーチの話しを下を向いておなかを押さえながら聞いていたM君でしたが、11月頃には最も熱心に聞いていました。時折、ツッコミを入れてくれるので、コーチがボケたときに助かっています。

S君は5分おきに靴紐を結びなおしていました。1年上のお兄ちゃんと一緒に関前サッカーに入ったといったカンジのS君は、とてもじゃないけどサッカーが好きそうには見えませんでした。S君は練習の際に、だいたい平均3回はケンカしていました。ケンカといってもとっくみあいとかではなくて、何かイヤなことをした誰それに仕返しをしなければ腹の虫がおさまらんといった形相で、そいつをにらみつけているのです。私が何回か無理やりに仲直りをさせたのですが、彼の表情は許していないことを物語っていました。心は復讐の炎に燃え、そして足元では靴紐がゆるんでいる。これがS君であり、サッカー選手からはかけ離れた存在といえます。私が話しかけても私の顔を見ようともしなかったS君ですが、やはり夏から秋にかけて徐々に変身していったのです。たしか9月だったと思いますが、練習試合の際に私が「必ずボールを取りに行け。たとえ取れなくても邪魔されればイヤなものなんだ」と説明したとき、「わかった」とたいそう男らしく返事をしたのが印象的でした。

SもMも、技術はまだまだ未熟です。リフティングはおそらく10回できないんじゃないかな。しかし、3年生の中では立派なファイターと呼んでよいほどに変身したのです。

彼らがいつまでサッカーをやって、どのぐらいまで上手になるかはわかりません。しかし、もしかしたら、彼らの一生がこの3年生の時期に少しだけでも変わったのかもしれない。こんなことがあるからコーチを続けることができるのかもしれません。