小説「被買収」 (佐藤治夫) 本文へジャンプ
第二章


 

 翌朝、スッキリしない頭で美和子は会社に向かった。

 昨晩からずっと、会長が会社を売るということの意味、あるいは理由を自分なりに考えてきたものの、自分を納得させることはできない。

 会社は、昨日までと同じようでもあり、何か別物のようでもある。

 「美和子GM、昨日の受電件数です」

渡された件数表を手にしたが、数字の羅列を目にしながらも、思いはそこにはない。

 数ヶ月前、同業他社のオーナーがやはり会社を売った。しかしその会社は派遣法違反や派遣先での事故などが相次ぎ、それを週刊誌で叩かれ、オーナーは逃げるように会社を売ったという。ブリッジとは状況が違う。これと同じケースではないだろう。

 先月、ブリッジの地方支店が新聞で叩かれたことがあった。一定業務を一定期間継続した派遣スタッフに対しては、派遣先企業は本人が正社員雇用を望めば雇用する義務があり、そうせずに派遣契約をその後継続することはできない。新聞は、派遣先企業と結託したブリッジが、本人の希望をよそに正社員雇用の道を閉ざし、相変わらず派遣契約を続けていると報道した。ブリッジ以外の派遣会社にも同じ疑いがかけられたが、紙面に載ったのは派遣先企業の名前とブリッジの名だけだった。大手としての税金だろう。法は、同一の派遣先で同一の業務を一定期間続けた場合を規制するものであって、派遣期間中に業務の内容が変われば期間は改めて起算される。業務内容が変わったかどうかの判断にグレーな部分があり、労基署の判断待ちをしていたところを新聞がスッパ抜いた。これが原因か。美和子は考えた。乱暴だが、これぐらいのことで会長がすべてを捨て去る決断をしたとは思えない。

 二十六年以上、会長は人材派遣事業を続けてきた。後半の十三年間は美和子も一緒だ。三千億円にまで急成長したブリッジは、過酷な営業ノルマに耐えられずに社員が自殺した福岡事件で急ブレーキを踏んだ。ようやく出直し感を持ったのは事件後二年半が経った今から半年前、今期初だった。会長がもし辞めることを考えたとすれば、それは今ではなかったのではないか。

 一方で、美和子はブリッジに何となく閉塞感というか停滞感が漂っていると感じてもいた。福岡事件を機に、社員の過重労働を排する施策が講じられ、過去のサービス残業への残業代支払いが約束され、支店長など現場マネージャへの過度なプレッシャーを防止する管理手法が採用された。勢いはあるが粗野な面があったブリッジが、洗練度を高めたと同時に強みを失ったのかもしれない。高橋会長と吉田専務が作った最強軍団が最強ではなくなった、少なくとも「最強だ」と言うことが憚られるようになった。

 そうだとするならば、課題を抱えたブリッジを再び成長軌道に乗せるのは、会長にしかできないのではないか。それとも「この後は、吉田、おまえがやれ」ということなのか。

 終日、考えがまとまらないまま仕事に忙殺され続けた美和子は、いつもの終業時刻である夜七時半が近づくと「どこかで一人、考えてみよう」と思い立った。

 美和子は自宅に向かう地下鉄ではなく、南に向かって走る地下鉄に乗った。そうだ、昨晩のカウンターに今日は一人で座ってみよう。昨晩、龍司と美和子が座った長いカウンターには、男性の一人客も女性の一人客もいた。美和子は知らなかったが、バーのカウンターはカップルか一人客のためにあるようだった。ちょっと驚いたのは女性の一人客がカウンターで落ち着いていたことである。決して下品ではなく、バーテンダーに媚びるような雰囲気も全くない。いわゆる水商売のような女とは対極にあるような、堅い雰囲気すら感じたものだ。「誰かのお金で飲んでいるのではない」というのが美和子の推測だった。

 美和子は地下鉄の窓に映る自分の姿をチェックした。ダークグレイのジャケットとスカート。ジャケットはボルドーワインのボトルのような「いかり肩」だが、一方でウェストは思い切り絞ってある。「ふっ」と美和子は笑いそうになった。こういうスタイルは会長の好みだったからだ。

 高橋会長は着るものにうるさかった。派手なスーツやだらしない格好が大嫌いだった。「おまえはチンドン屋か?」と会議で叱責された幹部がいた。いきなりテーブルの上に財布をボンと置き、「服、買ってこい!」と怒鳴られた支店長もいた。女子社員本人に向かって言うことはなかったが、幹部会議などで女子の身だしなみについて苦言を呈することもあった。そんなとき最後に会長が言うセリフは「イングリッド・バーグマンみたいな格好がいい」だった。

 吉田専務の指示で龍司が映画のビデオを買いに行ったことがあった。「カサブランカ」というタイトルの映画で、イングリッド・バーグマンが主演だった。その映画を研修室で上映したのだ。営業の女子社員を集めた研修で、たしか「品格ある営業」といったテーマで映画の一部分を上映した。当時、吉田専務が東京地区を統括している次長クラスで、龍司が支店長だったが、龍司は映画を映す画面の横に鬼のような形相で立って、「このように品格ある雰囲気で女子は営業するように」と偉そうに言うと、専務が「龍!そんな怖い顔したらダメだ」と叱って、女子社員の方に向き「つまり、マリリン・モンローはダメで、イングリッド・バーグマンでやれ、ってことだ」と言った。そのとき美和子は噴き出しそうになるのをこらえるために下を向いたものだった。

 美和子が営業で企業を回っていた十年前、人材派遣は産業として見下されていただけでなく、派遣スタッフも派遣会社の営業マンも軽く見られていた。派遣会社の営業には女子社員が相当数いるが、「エロ受注」という隠語で呼ぶタイプのものがあった。若い娘がミニスカートで企業を訪問すると受注が取れるのである。ブリッジ・スタッフィングはスピードがウリであったので、受注をもらうとコーディネーターに電話をするために即座に顧客企業のもとを辞する挨拶をしようとするのだが、企業の担当者によっては、わざわざ応接室のソファに女子営業員を座らせる人がいる。「キミは何年やっているの?」とか「出身はどこ?」から始まって、「スタイルいいね」とか「キミを派遣してくれるといいんだけど」といったセクハラまがいは日常茶飯事だった。顧客企業のいわゆる中間管理職のさらに一つ下といった役職者にこの手の「エロ受注」が頻発した。ブリッジではこういったケースに対しては、「二時間以内に人選して候補者を出し、その職歴書を持ってもう一度すぐ来ますから」と言って、「笑顔で逃げろ」と当時の吉田次長が指示を出していた。そして二時間後に行くときは「支店長を連れて行け」という指示だった。当時、支店長は全員が男子社員であり、全員が体育会系だった。

 営業の男子は、全員、ほとんど真っ黒のダークスーツ。目立つストライプ柄ではいけないし、襟などが個性的であってもいけない。もちろんダブルはご法度だ。シャツは白と決まっていて、ネクタイの色も派手だと許されない。吉田専務はよく、派手なネクタイをつかまえて「おまえの成績もそのぐらい派手だといいよな」と言っていた。支店長だった龍司は抜群に派手な成績を毎月出していたが、一方で服装は地味だった。葬式スーツという呼び方は、恐らく龍司のような服装を皮肉って言われたものだと思うが、龍司の出世とシンクロナイズするように社内に葬式スーツが広まっていったものだ。

 その頃から美和子もほとんどスーツで過ごしている。決して、ミニスカートや、胸を開けたブラウスなど、エロ受注を誘発するような格好はしない。これから帝国ホテルのバーカウンターで一人飲む自分の姿を想像しながら、「うん、大丈夫ね」と自分に答えた。

 

 夜八時。この時刻に帝国ホテルの正面玄関に歩いてやって来る客は少ない。次々と入ってくる客を乗せたタクシーをよけるように、玄関前の細い歩道を美和子は歩いていた。ドアマンに「いらっしゃいませ」と丁重に挨拶されると、笑顔を返したものの、美和子は緊張してきた。中に入って「確か二階だった」と思いながらも、階段なのかエスカレータなのかエレベータなのか迷って周りを見渡したとき、「どちらへおいででしょうか」と問われて咄嗟に「あ、大丈夫です、その階段ですから」と言って、目の前の階段を登った。階段を上がると案内板があったのでホッとした。

 左手の奥の方のバーに入ろうとした瞬間、「えっ」と美和子は思った。「満員?」。

 昨晩も決してすいているというわけではなかったが、あちこちに空席があったのに、今日のこの賑わいはどうだろう。「え?なんで?」と思ったが、昨晩より今日は時刻が遅い。そして曜日も違う。

 蝶ネクタイをしているウェイターがすまなさそうな顔をして

 「カウンターに一席だけ空席がございますが・・」

と言うので美和子は

 「はい、構いません」

とできるだけ落ち着いた素振りをみせながら答えた。

 案内された席は長いカウンターの中央やや奥。その席の左側にカップル、右側に一人客の男性。ウェイターがイスを引いてくれたとき、カップルは会話に夢中だったが、男性客はちょっとこちらを見て腰を浮かす仕草をした。

 「あっ」

 美和子は口を押さえたが声になってしまった。

 「取締役?」

 「えっ、畑中さん?」

蝶ネクタイのウェイターが笑顔で「よろしいでしょうか?」と聞くので美和子はあわてて「はい」と答えてとにかく座った。

 ブリッジの近藤取締役だった。

 地下鉄に乗りながら言わば覚悟を決め、一人でバーのカウンターに座って、昨晩の龍司の話をかみしめてみる。会長は何を考えたのだろうか、会社はどこへ向かうのだろうか。そして自分は何を考えるべきなのだろうか。せっかく覚悟を決めたのに、どうしてこういうことになってしまうのだろう。さっき「よろしいでしょうか」と聞かれたときに、「連れが来るので」とか「携帯が鳴った」とか何とか言って引き返せばよかったのだ。こんなところで隣に座ったら「よく来るの?」「いつも一人?」とか聞かれるに決まっている。こう考えた美和子だったが同時に、「取締役はよく来るのかな」「いつも一人なのかな」という疑問が湧いてきた。そう思ったとき、

 「私は飲むときはいつも一人なんですよ」

とちょっと照れくさそうに取締役が言い、

 「もしなんだったら、私はこれで帰りますから」

と、残り少なくなったグラスを上げて見せたので、

 「いえ、そんな、どうぞ気にしないでというか、私こそ帰りますから」

 「いえいえ、せっかくここまで高いタクシー料金払って来たのでしょうから」

 「あ、地下鉄ですけど」

 「へぇ、私も地下鉄。日本のタクシー、窮屈だから」

 「え?」

と取締役の方を向こうとした美和子の正面にバーテンダーが笑顔で立っていた。

 「何かお作りしましょうか」

と言われて、「じゃ、」

 「ギムレット」

という声が合唱になった。美和子と取締役が同時に発した声だ。バーテンダーが笑顔のままで「ギムレットをお二つで」と二人の顔を見て、その場を辞した。美和子は取締役と顔を見合わせて笑った。

 

 ブリッジ・スタッフィングの取締役、近藤圭一。

 ブリッジの重役陣はおよそ二つのタイプに分かれる。ブリッジが中小企業のころから高橋会長と苦楽を共にしてきた古参組と、会社が大きくなってから外部より招いた外様組である。ブリッジが大企業となったとき、広報や経営企画、あるいは多角化事業を担当してもらう目的で、紹介会社経由などで採用した幹部が後者にあたる。

 近藤取締役も外様組ではあったが、ちょっと事情が違った。

 ブリッジが一千億円企業になる直前、龍司が福岡支店長から京都支店長に異動となり、美和子がコーディ兼務をはずれてテレセンのGM補佐だったころ、急拡大を続ける首都圏営業本部のコーディネート機能を強化する目的で、情報システム導入を計画していた。

 それまでのブリッジは、徹底的に数字を追求する営業スタイルではあったが、コンピュータを自在に操るといったレベルにはなく、数字の集計は電話で情報を集め、表計算ソフトに叩き込み、毎回苦労してグラフを作るといった状況だった。

 このとき、当時の吉田部長が「コンピュータを駆使しないと限界が来る」と、高橋会長に進言したという。最初の対象業務はコーディ、求人と求職をマッチングするコーディネートだった。

 まだ中堅企業というレベルだったブリッジがつきあっていたソフト会社もやはり中規模であり、会長は「一流を使え」と指示を出した。そのとき、著名な北見総合研究所に声をかけたのだが、そのときの担当責任者が現在の近藤取締役だった。

 北見総研の近藤氏がブリッジの情報システム化を担当し、二年ぐらいが経った後だったと思うが、近藤さんが北見を辞めると聞いた会長が「来てもらえ」と言い、ブリッジの顧問となり、その後、取締役となった。現在、情報システム部門を統括しているが、一年ほど前から業務部門をも兼務で統括しており、美和子の直接の上司ともなっている。

 ブリッジでは上司は絶対であり、部下をアゴで使うことが平然と行われていたが、後から入ってきた外様組はそうではなく、特に近藤取締役は少し変わっていた。美和子たち各部署の責任者に自分で考えることを要求し、取締役が具体的な指示や命令を出すことがほとんどない。相談すれば様々なアイディアを出してくれるが、そうでなければ放任に近い。美和子のそれまでの上司とは真逆に見える。ブリッジの感覚でいうと、上司というよりも相談相手といった方がよいかもしれない。

 

 こんなところで上司に遭遇した運命を美和子は呪ったが、こうなってしまった以上、この現実を生かすしかない。下手に私生活のことでも聞かれたりするよりも、会社の将来の話を聞こう。思い切って、しかし遠慮がちに美和子は切り出した。

 「取締役、あの件は会長から・・・」

 取締役がちょっとピクンとしたかのように見えた。

 「畑中さん、もう聞いているの?」

 美和子は黙って頷いた。

 「なんだ、みんな口が軽いな。会長から口止めされているはずなのに」

 「あ、すみません・・・」

 「ま、誰に聞いたかは訊かないことにしよう。で、知っているんだね、あの件って、あの重大な話のことだよね?」

 「はい、ブリッジ始まって以来の最大の事件」

 「たしかにそうだね。会長が・・・」

というところでギムレットが二つ届けられ、会話は中断した。乾杯するようなめでたいことはなかったし、華奢なカクテルグラスをぶつけ合うのは気が引けたので、「じゃ」という取締役の言葉だけで、カクテルを口にした。

 美和子は、「今日は聞き役に回ろう」と戦略的に考えた。余計な方角に話がいかないように、合いの手を入れ、質問を投げかけ、とにかく今日は聞くことに専念しようと思った。外回りの営業のときも、あるいはコーディでもテレセンでも人間を相手にしてきた美和子は、聞き役に回る配役も、相手を聞き役にする演出にも多少は自信があった。しかし、

 「畑中さん、ショックだったでしょう」

と取締役が言い出したので、「そうだ、この人もコンサルタント出身だから甘く見てはいけない」と思い、

 「はい、頭が真っ白になりましたが、取締役はどうだったんですか?」

と切り返した。

 「私はね、もちろんショックではあったけど、少しそんな予感というか、そういう選択肢もあると前から考えていたので、頭が真っ白までは行かなかった」

 「そうなんですか」

 「ただね、悔しいと思った」

 「悔しい・・・たぶん私も、少し時間がたてばそういう感情になるのでしょうね」

 「そうかもしれないね」

 「でも、前からこういう可能性もあると考えていたわけですよね、それってどうしてですか? 私なんかは夢にも考えていなかったのに」

 「いや、私だって一年前なら全く想像もしなかったと思うよ。ようやく福岡事件から立ち直って、さぁ、これからだっていうときだったからね」

 「そうでしたよね」

 「しかしその後、同業他社で大きな問題が出て、一気に逆風になった」

 「Cグループとか、G社ですよね」

 「この逆風の中で、夏の新聞報道はこたえたと思う」

 「やっぱりそうですか」

 「ただ、それだけじゃないよね。昨日、会長からこの話を聞いて、私なりにその理由を考えてみた。第一に、潮時という言葉が示す限界説。会長の限界というよりも、会長と会社が一心同体となっている状態に限界が来たということ。第二に、今後の成長性。会長と専務が作った最強軍団は急成長過程で比類ない力を発揮したけれど、今後あまり成長が望めないとするならば、指導体制も変えるべきと考えたのではないか。そして第三に、このまま続ける人生と違う道を歩き出す人生を比較して、後者の方が面白いと考えたのではないか」

 「反論はできませんが、そうかといってちょっと賛同もできない」

 「そうかもしれない。ただ、第三の理由は、私が七年前に北見総研を辞めたときの自分の経験から推測しているので、ちょっと説得力があると思うけどね」

 「七年前、ですか。二時間人選システムができた後でしたよね?」

 「畑中さん、私が最初にブリッジに出会ったときの話、してもいいかな?」

 「それは初耳です、聞かせてください」

 「北見総研で私は事業企画室長という役職だった。電子商取引のシンポジウムがアメリカのシカゴであって、それに参加して帰国したばかり、頭の中では、インターネットを活用した新規事業のアイディアが生まれては消え、消えては生まれるといった状況で、まだ時差ボケも直っていないときだった。そのとき電話が入った。今から考えるとそれが運命の電話だった」

 カクテルグラスを見つめながら取締役は話を続けた。

 「ブリッジから北見総研の代表番号にかかってきた。どの部署に回してよいか困った電話オペレータは、わりと「何でも屋」だった私のところに電話をつないだ。電話の主は、今はもういなくなっているけど、芳賀さんだった」

 「システム部門でしたっけ?」

 「そう。求人と求職のマッチング・システムを作りたいけど、来て話を聞いてくれっていう。私はまだ時差ボケだったし、ブリッジ・スタッフィングなんて聞いたこともなかったし、「いつですか?」って聞いたら、「今日か明日」って言ったかと思うと、明日までに来れないとアウトだとか言う」

 「アウト、ですか」

 「しょうがないから今から行きますって答え、その日の午後、紀尾井町にお邪魔した。北見総研から私と、人材マッチングの経験のあったベテランも連れて行った。で、ここからが面白い」

 取締役の表情に、既に笑みが浮かんでいる。

 「そのとき出てきたのがコーディだった八幡、営業企画の西川、システムの芳賀と川端だった。みんな三十歳前後だったと思う。ブリッジの競争力、スピードの重要性を語ろうとしているんだが、みんな話が下手でよくわからない。しかし全員、何故だか目が輝いている。ヘンなヤツらだった。私が連れて行った北見のベテランは、求人と求職のベスト・マッチングの経験を紹介しようとしたが、私が止めた」

 美和子も引き込まれている。

 「システム屋がマッチングを考えると、どうしてもベスト・マッチングとなる。あなたに最適な仕事はこれとか、あなたの職場に最適な人材はこの人とかを考える。つまり一つの求人、一人の求職者をミクロでとらえる。ところがブリッジが考えていたスピード人選はそうではなかった。ベスト・マッチングを追求するという考えでもない」

 人選部門を経験してきた美和子には、取締役の言いたいことが理解できる。

 「求人要件のほとんどは同じ、普通の仕事ができる普通の人を求めている、そして求職者の能力や経験も実はあまり差がない。ベストかどうかは職場の雰囲気や人間関係の要素が大きく、やってみなければわからない側面もある。しかし一方で、求人も求職もものすごい勢いで増えていて、コーディはてんてこ舞いだ。これは証券取引所みたいなものだな、とピンときた。とにかくスピードが命だ、と。つまり、ブリッジの人選部門を証券取引所の「板」のようなものととらえ、そこに次々に発生する求人と求職者を言わば流し込み、一定時間にいかに多くの商いを成立させるかが勝負だ、と想像した」

 一息入れて、取締役は話を続けた。

 「オーダーをもらった営業が外からコーディに電話をかけ、オーダー内容を伝える。そこからコーディネータは登録スタッフに電話をかけまくり、本人をつかまえ、その仕事にやる気を示す人を五名から十名探し出し、揃ったところで最適なスタッフを選び出し、そのスタッフの経歴書を企業に見せる。ここまでが二時間。信じられないスピードだね」

 「追われていたというか、お祭り騒ぎのようでした」

 「ほんとだよね。経歴書を見せてダメなら次の人、さらにダメならその次の人という具合でしょ。で、さらにビックリしたのが、登録会。登録に見えた方に七十分のセッションで、派遣とは何ぞやとか、セクハラに会ったらどうしなさいとか説明し、最後に希望の職種や場所を用紙に記入してもらう。そして、帰ろうとするスタッフを呼び止めて、こちらへどうぞとブースに案内し、そこで今ある仕事を紹介する。仕事は二時間以内に人選しているわけだから、二時間以内にもらったホヤホヤの受注ばかりを紹介され、よければ今から業務確認に行きましょう、だからね」

 「登録会に見えた方は、その足で他社にも登録に行きますからね」

 「そう、そのスピード感覚に、私はワクワクしてきたね。私は北見でいろいろな会社を見てきたけれど、コンビニのセブン・ワンダラーズの二十年前の姿を思い出していた。私が新人のころだったけど」

 「世界のセブン、ですか」

 「そう、米国発だけど、日本の方がスゴイ。私が北見の新入社員のとき、まだ全国で二百も店舗がなかったころのセブンを思い出していた。で、ブリッジのつたない話を聞いていたら、来週の火曜日までに提案してください、間に合わなかったらアウトだと言う。自慢じゃないけど、仕事のスピード、特に提案書の作成で締め切りに間に合わないなんてことは私の辞書にはない。もちろん間に合いますって答えた。そしたら今度は、納期が九月二十三日に間に合わなかったらアウトだと言う。さらに、コストが一億円を一円でも超えたらアウトだときた」

 「スリーアウト?」

 「はは、ほんだよね。私はたぶん、この野郎っていう顔でみんなを見返していたと思う。で、とにかく会社に戻って、提案書を作り、同時に、北見総研の内部向けに「この会社やるべし」というレポートを作った。このレポートは我ながら涙の大作だった。さて翌週、私は紀尾井町に乗り込んだ。先日のベテランは「あの会社はヘンだ」とか言って、もはや来ない。私一人だ。だから一人で提案をぶつけた。八幡たちの目がさらに輝いてきた。そこで説教をした」

 「説教?」

 「そう、説教。キミたちのスピード人選はよくわかった。これがブリッジの競争力の源泉だ、これで勝っている、よくわかった。それでは聞くが、このシステムが九月二十三日に完成せねばならず、二十四日だとアウトになる理由を私に説明してくれ。もし私が納得できなければアウトだ。さらに、一億円ならセーフで一円でも超えたらアウトになる理由も、私が納得できなかったらアウトだ、と詰め寄った。彼らは困った。理由が説明できない。そうしたら困った彼らが突然、「近藤さん、あなたにこの仕事をやってもらいたい」と言い出した」

 聞いている美和子は笑い出しそうになった。

 「その後が笑える。ボクたちはもう決めました、近藤さんにやってもらいたい。しかし、実は決める権限はボクたちになく、吉田部長という人が決めるんです、と。そのときホントに吹き出しそうになったよ。決めるのは吉田部長ですが、たぶん吉田部長も同じ意見だと思います。ですから近藤さん、お願いします、って。でね、北見に帰って、この会社は面白い、二十年前のセブンだ、絶対やるべしと言って回った。ところが私の上司が反対した」

 「え?」

 「上司は取締役と常務と専務の三人いたが、三人がタッグを組んで反対した。ブリッジ、やるべきじゃないと言う。ブリッジは当時、一千億円に届かず、業界で恐らく五位か六位だったと思う。でかい仕事はいくらでもある、近藤、そんな会社は北見がやる相手じゃないという。私は頭にきた。この、無能トリオめ、って内心思った。しょうがないから、北見総研のシステム事業部門で一番偉い副社長に直談判に行った。この会社、やるべし、もしやらないなら自分は辞めると言って、辞表を出した」

 「え?辞表?」

 「うん。「辞表」って書いただけの紙を副社長の机の上にバンと置いた。そしたら副社長が、辞表、手書きかよ、って笑った。結局、私が会社生命を賭して、っていうと大げさだけどやることにしたんだけど、今度はさっきのトリオが逆襲してきた。まず、この仕事を受けるのは北見総研ではなく、北見の子会社である北見オペレーションで受けろという。さらに、北見総研からは人は出さないから、近藤、おまえ一人でやれと来た。こうして二時間人選のシステム構築が始まったわけだ。 どうこの話?」

 「ありがとうございます。この話、最高ですね」

 「当時のブリッジってね、いや、今でもそうだと思うけど、長所も短所も派手なんだ。短所があるから、北見総研はやらないと言った。でも、私は、長所が面白いからやるべきだと思った。もし、あのとき、北見総研が会社としてブリッジに関心を示し、情報システムだけではなく、全面的にブリッジのブレーンとして支援してきたならば、その後のブリッジの成長過程は少しだけ違っていたように思えてしかたがない。そして、その少しの違いが、今回の結末のようなことを避けることができたんじゃないかと思えてしょうがない」

 「そうだったんですね」

 「だから悔しい」

 悔しいという言葉を聞いて、美和子も次第に悔しいという感情がこみ上げてきた。昨晩、龍司から話を聞いた美和子は頭が真っ白になるばかりで、何か一つの感情が心を占めることはなかった。おそらく龍司も同じだったのではないか。中小企業だったころのブリッジに入社し、会社とともに成長してきた龍司や美和子に比較すると、少し距離のあるところから大人の視線でブリッジを見てきたのが、近藤取締役なのだろう。

 「悔しい理由がもう一つある」

 「もう一つ?」

 「そう。日本の社会というか、日本経済といった方がいいかもしれないけど、ブリッジの出世物語が誰に語られることもなく、忘れ去られていくのが悔しい。後から出てきたブリッジが、既に全国区になっていたパープルやピンキーを追いかけ、遂には追い抜く。前を走る他社は、派遣のイメージを欧米女優を使って向上させたり、かわいいキャラクターで親身な印象を与えようとしたが、ブリッジはいわば全くその「逆張り」で、紹介できる仕事が多いことだけが付加価値であり、それ以外の余計なことはしないというスタイルでやってきた。企業に対しては、候補者が多いことと、紹介が早いことだけにエネルギーを投入し、接待などで受注をもらおうと考えたことはない。誤解を恐れずに言うならば、人材派遣業という業態を流通業、それも生鮮食品の流通業のようにとらえ、いかに迅速に求職者を求人企業に紹介できるかを追及してきた。そうだよね?」

 「そうですね。吉田専務は最初、受注も登録者も生鮮食品だ、モタモタしていると腐るだけだ、と言っていました。でも暫くして、生鮮食品じゃなくてアイスクリームになりましたけど」

 「すぐ溶けちゃう、溶けてなくなるという意味だよね。せっかくの受注も、時間が経てば、企業内の正社員の人事異動やみんなが残業で頑張って、跡形もなく消えてしまう。一方、登録者に対しても究極のスピードだったよね。登録に来た瞬間が最も仕事に対する意欲が高まっているから、そのコを帰す前に仕事を紹介しろ、と。考えてみると、ブリッジの競争戦略はスピードで他社を圧倒し、仕事が気に入らない、あるいは人材が気に入らないという顧客に対しては、いくらでも他の選択肢があるということを示すために、今度は量で他社を圧倒する。会長は、すごく冷静かつ客観的に市場原理をとらえ、いわば科学的に勝利する方法を徹底してきたように思う。そうだ、畑中さん、牛丼の話、おぼえている?」

 「幹部会で会長が話された牛丼の吉木家の話ですか?」

 「そうそう。米国産牛肉がBSEか何かで危ないと言われて、輸入禁止になったとき、吉木家の社長がテレビに出て、安全と安心は違うんだと熱弁を振るったときの話」

 「そうでした、安全は科学的な基準によって評価するものだけど、安心は心理的なものだとか」

 「それを見た会長が、バカか、オーストラリア産牛肉に切り替えて、値上げするチャンスじゃねぇか、って言った。あれはすごく印象に残っている。日本人ってすごく情緒的で、論理よりも感情で世論が作られるじゃない? アメリカ産牛肉が危険かもしれないって言ったら、全頭検査しない限り安心して食べられないから、そうしない限り輸入は全面禁止だという世論だった。ところがちょっと考えてみればわかるけど、全頭検査したって、全頭の全部位を検査しなければ本当の安心はできないし、全部位の検査だって、それこそすべての肉を検査でもしない限り、百%の安心なんてできやしない。そして全頭、全部位、全肉を検査なんかしたら、食べるところがなくなっちゃう。だから吉木家の社長は、安心を追及しても限度があり、百%の安心なんてありえないのだから、科学的な手法で、ある程度の安全が確認できたら輸入を再開すべきだ、と言った。それに対して、高橋会長は、そんな日本人の情緒を相手にしていても意味がないんだから、この機会にオーストラリア産に替えて、そして原料高ゆえの値上げなら、それこそ日本人の情緒の許容範囲だ、って。そうでなくても外食は安さを究極にまで追及せねばならない時期だったわけで、値上げに転じる千載一遇のチャンスにテレビでバカなこと言ってないで、経営者は値上げをやれ、と。そんなことはテレビに出たくてしょうがない連中にやらせておけばいい、と」

 「会長の話って、スパッと切るから面白いですよね」

 「そうだよね。あと、パンストの話もあったじゃない?」

 「戦略はパンストだ!ですよね」

 「そうそう。戦略だとか言って、カッコつけるのはアホだ、戦略なんて状況の変化で即座に変えるべきもので、破れたら即座に取り替えるパンストみたいなもんだ、っていう話。戦略に惚れて戦略と心中するのは、絶対にあがれない役満をねらい続けるアホで、それはビジネスじゃない、って」

 「あのときの幹部会は、女子社員はみんな下を向いて笑いをこらえていました」

 「そうだろうね」

 月に一回の幹部会は、午前中の一時間が会長の独演会で、午後の数時間が営業責任者を全国から集めたものだった。会長の話は独演会で楽しむことができた。

 「こんな面白い会社の出世物語が、誰にも語られることなく忘れ去られてしまうことが、悔しい」

 「なんだかそう言ってもらえると嬉しい気がします」

 「はは、そうだよね。私は前の会社で新入社員のとき、コンビニのセブンのシステムを担当したんだけど、とにかく面白い話がいっぱいあった。セブンから電話があってシステムを変更してくれっていうのが日常茶飯事だったが、金曜日に電話が来て今週中にやってくれとか、三時過ぎに電話が来て今日中にやってくれとか。ウチは二十四時間営業ですから、今日中っていっても二十四時までまだ八時間もありますよ、とか言われて。あと、我々が残業していると、セブンのそのとき係長だった碓井さんという人が差し入れをしてくれるんだけど、近くのセブンで買ったおにぎりやサンドイッチだった」

 「結構、おいしいですよね?」

 「いや、今でこそおいしいけれど、今から二十八年前だからね、はっきり言ってマズかった。だから、セブンの弁当とかを当時の鈴木社長とかが必ず試食するって聞いて、これはスゴイなって思ったよ。だって、北見証券から天下りで北見総研にやってきた部長クラスが、高級弁当を出前で取っているのを見ていたからね」

 美和子は、ブリッジが、世界でも著名なコンビニのセブン・ワンダラーズと比較されるのが嬉しかった。

 「米国ハーバード大学のビジネス・スクールで、トヨタとセブンがケース・スタディとして取り上げられている。私は、ブリッジをハーバードのケースにしたかった」

 「それって・・・」

 「これも悔しいことの一つの理由かもしれない」

 「そうだったんですか。でも、どうして、こうなっちゃったというか、会長が身を引くことになってしまったんでしょうか」

 「いろいろな理由があるかもしれないけど、私は、逆風が長く続くと思ったんじゃないかなって、考えている」

 「逆風?」

 「日本人の情緒は、人材派遣に強い逆風を送っている。いまの世論は、規制を厳しくし、我々あるいは産業界から自由度を奪えと言っている。二重派遣がダメなことは昔からだけど、たとえば日雇い派遣もおそらく禁止になる。こうして、様々な自由度が奪われていく。派遣労働者のためだと世論は言うが、働く可能性がせばまるデメリットをどう考えるかという視点は弱く、極端に搾取されているケースが報道され、日本人の情緒が政治と経済を振り回す。たとえば引越しとかは週末に集中するけど、週末だけ人を増やすということが引越し会社にはなかなかできない。軽作業系の派遣会社の出番だ。ところがこれが禁止されるとどうなるかっていうと、引越し会社がアルバイトを増やすことになる。週末だけ。結局、週末しか仕事がないという人を救うことが目的ならば、この法改正には意味がない。バカらしいことだ。さらに、引越し会社はアルバイト採用のために大きなエネルギーとコストが必要になり、結果として、引越し料金を上げるか、アルバイト時給を下げることになる」

 取締役は一息入れて、続けた。

 「人材業界への逆風は長く続くと思う。規制強化の対象範囲もさらに広がるだろう。事業家である高橋会長は、自由度を奪われ、じっと我慢の数年間を過ごすのは面白くないと考えたのではないか。人生は一度きりだからね」

 「でも、面白くないで辞めちゃうんでしょうか?」

 「私はこの理由は結構大きいと思う。逆に、面白ければ辞めない、やりがいがあれば、多少の障害があっても辞めないと思う」

 「そう言われると何となくわかる気がします」

 「会長はもう、人材ビジネスの経営が、あまり面白くなくなってきたんだと思う。でね、ほとんどの日本人は、ある事業の経営者には、その事業一筋でその事業を心の底から愛しているような人物を期待してしまう。たとえば、牛丼なら、牛丼一筋で牛丼を心から愛し、牛丼と心中するような人が経営者をやるべきだって、何となく思っている。食卓ソースの会社が外資のファンドに買収されそうになったとき、創業家の社長が、ファンドの連中はソースを愛してないとか叫んでいたけど、こんな叫びがなんとなく受け入れられるのが日本なんだ」

 「ありましたね、それ。敵対的買収でしたよね」

 「そう。で、ソースを愛するかどうかが論点みたいになっちゃった。ところで会長だけど、会長を日本人だと思わなければ理解しやすい。事業経営を愛する外国人で、日本の人材派遣はこれから自由度が減り、経営力の差が結果に出るといった局面ではなくなる、だから、経営者としては面白くない。だったら、他の事業にシフトした方がよい、と。会長が好きなのは、人材派遣という分野なのか、あるいは事業経営なのか。後者だろう。もしそうなら、日本の人材派遣業界は有能な経営者を一人失うことになる」

 「・・・」

 「会長にとって日本の人材派遣業界という世界は、いまちょっと、向いていないってカンジかもしれない。そして霞ヶ関の偏差値の高い連中は、しばらく人材ビジネスは、ビジネスとしては面白くなくてよい、というか、面白くないほうがよいって考えているだろう。厚生労働省は、産業が発展すると、日本経済の発展を伴って、それが回ってきて日本人が豊かになるってことをなかなか考えてはくれない。そういう観点は経済産業省だからね。実は、経済産業省は何年か前、ITすなわち情報技術を活用して伸びているサービス業、経済産業省の管轄ではないサービス業に着目して、勉強会を開いた」

 「別な省庁管轄の業界を対象に?」

 「そう、たとえばタクシー会社なら国土交通省だし、人材派遣なら厚生労働省、食品会社なら農林水産省なのかな。実は、その勉強会のケース・スタディとして、当社も注目された」

 「えっ、知りませんでした。それ、スゴイですね」

 「うん、結構すごいよね。そのとき会長と一緒に勉強会に出たんだけど、著名な大学教授とかにいろいろ質問されて面白かった。慶應の領国先生とか早稲田の伊賀先生とか。実はね、さっきあそこのテーブルに慶應の領国先生がいた」

 「えっ」

 「まぁ、知り合いってわけじゃないので、知らん顔してたけど、結構、賑やかだったでしょ。あの先生、声が大きいから」

 「へぇ、私はここでは知り合いに出くわす危険が全くないと思っていたんですけど、ケートリはあるんですね、そういう危険というか、可能性」

 「ん? ケートリ?」

 「あ、しまった。ケートリって、圭一取締役の略称っていうか、愛称です。近藤さんっていうと古いほうの近藤さんを指すので、圭一取締役って呼んでいて、それがケートリになりました。陰口でのみ使っておりますが、ケートリの陰口って暗かったり、悪かったりするより、明るいほうが圧倒的に多いので安心してください」

 「なんか安心できないけど、ま、心配しても意味ないし」

 「そうですよ、私だって美和子GMって呼ばれることがありますけど、陰口では「ミワジー」ですよ、爺やみたいでイヤなんですけど」

 「はは、そりゃたしかにそうだ」

 「ところで結構、賑やかになってきましたね、このバーも」

 「そうだね、ムードがあるってかんじじゃないね。あそこのテーブルなんて結構ウルサイよね。 あっ!」

 「え?どうしました?またしても知っている人?」

 「はい、知っている人。やれやれ」

 「ケートリ、顔が広いですね」

 「あそこの男性二人、目崎さんと高山さんだと思うけど、ウチのシステム開発でお世話になっているCCKという会社だな。ほんとうるさいね、アイツら」

 「となりのカップルは迷惑でしょうね」

 「たしかに」

 「なんかいいことでもあったんでしょうかね、会社で」

 「どうだかね。そうだ、CCKっていうソフト会社は、ソフト会社として日本で最も歴史があり、創業者の大山さんという方が有名だった」

 「あ、聞いたことあります」

 「大山さんはもう亡くなって何年も経っている。今では北見証券から来た豪腕経営者が、大山さんの時代とは全く違う会社にしちゃったみたいだけど。ま、良い悪いの問題じゃないね」

 「やっぱり会社って変わるものなんですね」

 「そう。ただ、大山さんの愛弟子みたいな人がまだ残っているのと、今の経営者も創業者の大山さんが築いた基礎を尊重しているから、あの会社の大山イズムみたいなものは残っていると思う。でも、ウチってどうなるんだろう。高橋会長が会社を売るという形になるから、わからないね」

 「ブリッジのこれまでが否定されるということですか?」

 「誰がブリッジを買うかによるけど、誰が買うにせよ、すべてが否定されずにそのまま継続することはありえない。会社は環境変化に対応して進化すべきだから、過去の一部が否定されるというか改善されるのは必要なことだけど、ちょっとイヤなのは忘れられるっていうことだね。高橋会長や、同時に身を引くだろう何人かの幹部たちの名前が語られなくなり、ついには忘れられてしまう」

 「そんなこと・・・」

 

 会社は変わる。それは避けられないことだ。経営者に寿命があれば、株主だって永久に不変ということはない。しかし、株主であり経営者でありブリッジをゼロから作ってきた高橋会長が、すべてを第三者に売り渡すというのであれば、それは単に経営者が世代交代したということとは次元が違う。株式を上場させ、一般株主を募るということとも全く違う。ブリッジという名前が残ったとしても、ブリッジがブリッジでなくなることを意味するのではないか。

 昨晩、龍司から予想もしなかったこの件を突然聞いて頭が真っ白になった美和子だったが、今晩、近藤取締役の話を聞くと、頭の空白部分の一部が整理された気がするが、同時に、頭の空白全体の大きさが、より大きくなったような印象を持った。いや、この空白は頭というよりも心に近い部分だったかもしれない。

 

 それぞれ地下鉄を使って帰宅する二人は、「そろそろ帰ろうか」ということで、カウンターの席を立った。よろめくほどではなかったが、美和子の足取りは決して軽やかとはいえない。

 二人で出口に向かうとき、テーブル席の三人組の中の一人の男性の顔が、美和子の視界に、そして記憶に飛び込んできた。「えっ」という声を押し殺した美和子は、相手の視線が美和子の視線をとらえる寸前まで凝視し、誰であるかを確かめた。「間違いない」と思った美和子は、少し前を歩く近藤取締役に隠れるように、あるいは寄り添うように足を速めた。美和子の顔はおそらくこわばっている。取締役の腕を取るように、あるいは背を押すようにバーを出たところで、近藤取締役が小さく聞いた。

 「ヘビでも出ましたか?」

 「あ、いえ」

 「帝国ホテルのバーだから、ブリッジの誰かに会う恐れはほとんどないけれど、一方で、ブリッジ以外の色々な人に出くわす可能性がある」

 「はい」

と空返事をしながら美和子は「まさか」と考えていた。

 七年前、美和子がつきあっていた相手であり、結婚ではなく同棲を提案してきた恋人であり、そのほぼ直後に別れた男だった。「向こうは気づいただろうか」と考えてみたが、それはわからない。「気づかないほうがよい」という考えと、「気づいて欲しかった」という思いが交錯したが、前者の方が勝っていた。

 

 地下鉄を乗り換え、美和子の最寄り駅に到着する直前に、携帯電話が振動した。「気づいた」ことが判明した。彼からの電話だった。七年間という時間に、メールアドレスを変えたことは何度かあったように思うが、電話番号は変えずにいた。その電話が鳴っている。

 美和子は深呼吸をしたものの、電話には出なかった。電車が吉祥寺に着く。意味もなく早足で何かから逃げるように電車を降り、階段を下った。改札を抜け、駅前北口の広い空間に逃げ込んだ。

 雑踏、ネオン、バスを待つ長い列。横断歩道の向こうのサン・ロードはまだまだ人が多い。あそこを通ろう。かつて、彼が美和子の部屋を訪ねた後で、駅まで送った東急の裏の道でなく、また、いつも美和子が帰宅する際に使う東急の前の道でもなく、一番の雑踏であるサン・ロードを行こう。もし携帯電話が振動しても大丈夫なように。喧騒で振動に気づかないかもしれない。電話に出ることになっても、やはり喧騒が、聞きたくない話を大きな雑音で邪魔してくれるかもしれない。暗くて静かな道なら、美和子を一人きりに、美和子と彼を二人きりにしてしまうかもしれないが、明るい雑踏は美和子を守ってくれるような錯覚を与えてくれる。

 その夜、ベッドに入るまで電話が振動することはなかった。

 美和子には考えることが多すぎた。眠れない夜になるかと思ったが、ギムレットのおかげか、あっという間に眠りに落ちていた。そのため、二度目の携帯の振動に気づかずに休むことができた。