小説「被買収」 (佐藤治夫) 本文へジャンプ
第四章


 

 翌週、近藤圭一取締役が業務部門の幹部たちを集めた。美和子もそこに含まれている。

 業務部門は実は一つの会社を形成している。二年半前に当時の根津部長が作り、彼が社長に納まった。それが去年からケートリにバトンタッチしている。実はそこには複雑な経緯があった。

 

 高橋会長が育てた世代は、吉田専務の年代に集中している。美和子が入社した十三年前、当時三十歳代前半だったその世代は、十名ぐらいが幹部候補生として会長から直接の指導を受けていた。そこから吉田専務が一歩抜け出ていた。

 美和子が入社した十三年前、課長資格だった吉田専務が、すぐに次長に昇格した。十名程度いた彼のライバルたちに一歩、差をつけたことになる。それから三年後、吉田次長は吉田部長となった。彼が部長に昇格するとき同時に、彼と同世代のライバルたちの中から二名が次長に昇格した。一人は現在の根津取締役であり、もう一人は現在の鶏内部長という人物だ。つまり、十名程度の幹部候補生から吉田部長が二歩抜け出たわけで、それを根津と鶏内が一歩の差で追いかけるという展開になった。

 吉田部長は営業部門で日増しに業績を上げ、重責を負っていった。一方、根津次長は参謀本部である営業企画部のGM補佐であると同時に、総務部門と業務部門を実質的に統括していた。「実質的に」とは、一応、古参の役員が責任者となっていたが、実際には根津次長が業務を回していたからである。また、鶏内次長も同じく営業企画部のGM補佐であると同時に、人事部門を実質的に統括していた。

 ブリッジの営業部門全体は、大きく事業ごとに分かれており、その中が地域ごとにわかれている。これに対して営業企画部は、事業ならびに地域を越えた存在であり、参謀本部という位置づけだ。たとえて言うなら陸軍と海軍があり、それぞれが方面ごとの体制をとっているとして、営業企画部はそれらを超えた参謀本部という位置づけとなっている。

 龍司が入社したころ、バブル崩壊で倒産寸前までいったブリッジは、組織をすっかり建て直し、現在に至る原型をそのとき作った。このときに営業企画部を創設し、そのGMを高橋会長が兼務した。つまり営業企画部はブリッジの中で特殊な位置づけであり、中心あるいは核と言っても良い。会長が営業企画部のGMであるから、営企のGM補佐というのは会長を補佐するポジションという意味になる。営企のGM補佐と総務部門、業務部門を兼務していたのが当時の根津であり、人事部門を兼務していたのが鶏内だった。また、吉田専務も当時、営企のGM補佐と首都圏営業本部長を兼務していたので、ある意味では三名を含む数名は、会長のすぐ下で同じ階層にいたと言える。

 

 三年前、事務派遣事業の首都圏営業本部長だった吉田取締役が、常務に昇格し、同時に営業企画部のGMとなった。高橋会長の跡を継いだこの人事は、吉田常務のライバルたちにはダメ押しあるいは最後通牒のような効果をもたらした。彼に続く根津と鶏内はまだ部長資格だったので、常務と部長で二段階の差が開いた。その他のライバルに至っては、三段階以上の差が開いたことになる。そして何より、参謀本部である営業企画部のGMに会長の後釜として就任したことが大きかった。

 

 このとき根津が動いた。

 おそらく強い危機感に動かされたのだろう。もし一般の大企業であれば、たまたまそのときの上司に評価されていなかったとしても、上司の方が定年は早く来るし、人事異動もある。いわゆる「我慢の数年間」を乗り切れば、次に機会があるだろう。ところが創業経営者が絶対君主となっているブリッジでは、会長からの評価は絶対だ。

 さらに、次の世代の筆頭である尾崎龍司が破竹の勢いで業績を伸ばし、ついに部長資格にまで上がってきた。部長資格なら、根津と並んだことになる。そして、吉田は自分の後継者として早くから龍司をかわいがってきた。根津にとっての選択肢は、あきらめの人生を送るか、自分の守備範囲を固めてそこだけは守るか、あるいは後に革命を起こすかの三つだろう。

 根津は二つ目をとった。

 会長の長男が吉田、次男が尾崎ならば、根津は腹違いと言われた。路線が異なるゆえのその表現ではあったが、そうであっても実子と言われた背景には、高橋会長とのむつまじい仲があった。根津は、ブリッジの百%子会社として業務部門を分離独立させ、株式会社ブリッジ・ビジネスサービスとする計画を会長に熱弁し、自分がその社長に納まる了解を取り付けた。ブリッジの人事制度では部長資格のままであったが、「社長」と呼ばれる身分になったわけであり、実際、美和子たち業務部門六百名にはそう呼ばせた。

 

 しかしこの会社が迷走を始めるのに長い時間はかからなかった。

 親会社であるブリッジの仕事をこなすだけでは、分離独立させた意味が小さい。根津は第一に、新規事業に手を出し、これが失敗に終わった。第二に、業務部門の拠点である事務センターを宮崎と八戸に同時に開設し、開設・採用・教育・業務移管で混乱を極め、多くの中間管理職が疲労ゆえに会社を去った。第三に、親会社からの業務委託に対して新たな見積もり方式を採用し、子会社としての収益確保すなわち親会社としてのコスト増をもたらした。第四に、それらの結果として、大幅な人員増とコスト増をもたらし、生産性が深刻なレベルにまで低下した。

 根津は子会社の社長であると同時に、親会社ブリッジの総務部門の統括を兼務していた。ブリッジ全体が福岡事件の影響で停滞を余儀なくされていたとき、総務部門統括として徹底的なコスト削減を営業部門など現場に強く要求しながら、同時に、子会社ではふんだんに金を使った。少なくとも営業部門はそう感じた。そのとき「根津不況」という隠語が使われた。

 

 一年半前、決算の数字を見た会長が激怒した。「ブリッジ・ビジネスサービスって何だ」と叫び、「こんな会社は潰せ」と命令した。

 しかし、派遣スタッフへの給与支払い業務や、企業への請求業務を担当していた子会社を簡単に潰すわけにはいかない。地方に進出した際に、自治体から補助金まで頂戴している。ブリッジの幹部は困った。会社を潰さずに、会長の怒りを和らげる方策を考えねばならない、と。

 

 実際、根津自身の出身地である宮崎と、八戸への同時開設に無理があったものの、東京や大阪で業務要員が採用できなかったことは事実であり、事務センターを地方に開設すること自体は間違った選択ではなかった。また、ブリッジの大半を占める営業部門が、過酷なノルマ、好待遇、高い離職率といった性格を持つならば、一方の業務部門はできるだけ安定した職場とする必要があり、営業部門とは人事制度や風土に多少の違いがあってもよかったはずだ。従って、業務部門を別会社にする必要までがあったかどうかは別にしても、人事制度や雇用方式、組織文化の演出などにはある種の工夫が必要でもあったろう。

 営業企画部GM補佐と総務部門統括を兼務しながら十年以上もの間、業務部門を統括してきた根津にとって、そこは自分以外の有力者が誰もいない安全地帯であり、小さな王国でもあった。営業部門が業績を伸ばせば、請求業務などもそれに比例して増えるわけで、小王国の仕事は増加し、体制増強すなわちちょっとした領土拡張を達成できた。

 

ブリッジ帝国が急成長を続けていたとき、この小王国もそれにシンクロする達成感を共有してきた。皇帝と王の関係は良好であり、他のいくつかの王国とこの王国は皇帝との距離という点でも平等であった。ところが吉田王国が力を伸ばし、ついに皇帝は自分の跡を継ぐ者として吉田を指名した。さらに吉田の弟分、尾崎龍司が諸国を歴戦、連勝を続けており、皇帝の覚え愛でたく、王子でありながら根津王と同じ待遇を皇帝から許された。

 根津は高橋会長に謁見し、小王国に独自の統治方式を導入する許可を得た。戦闘部隊である吉田王国に対して兵站を提供する役割である根津王国は、この領土だけでは働き手が構造的に不足する旨を説明し、宮崎と八戸という二つの飛び地を王国に加える許可を得たわけだ。さらに、王国での成果物を帝国の外にも売ることによって外貨を稼ぎ、皇帝に上納すると言って、皇帝をくすぐったのであろう。

 

 しかし、このシナリオは即座に崩れた。宮崎と八戸では人がなかなか集まらず、それ以上に、集まった新人の教育に想定以上の苦労をした。冷静に考えれば想定内の苦労であったろうが、南と北での同時進行は、東京から南北に出張して教育するマネージャたちを疲弊させた。厳しく教育すれば即座に退職してしまう宮崎と八戸では、業務ノルマを持ちつつ教育ノルマをも同時に持たされるマネージャたちに休む暇はなかった。業務要員ひとりが辞めれば残った人数でカバーせねばならず、残った者に不満が募り新たな退職者を生むという連鎖反応が起こる。今から考えれば、地方拠点は一つずつ慎重に開設し、時間をかけて効果をねらえば、長期では正しい戦略であったものだが、ブリッジで育った根津の時間感覚は日本人の平均から大きくはずれている上に、吉田・尾崎の勢力拡大に対する焦りもあったろう。結局、宮崎と八戸では不足と判断し、あわてて福岡にも事務センターを追加で開設した。後に安定した業務体制となる各地の事務センターではあったが、開設当初の混乱は経験した者にしかわからない苦労があった。

 さらに帝国の外から外貨を稼ぐ目論見だった新規事業は、まさに画餅、絵に描いた餅だった。

 

 激怒した会長は、根津部長からあらゆる権力を剥奪した。子会社の社長は交代、総務部門の統括ならびに営業企画部のGM補佐からはずす。新設した秘書室という名の数名の部屋の室長に封じ、会長の直下に据えた。

 しかし同時に、会長は根津を取締役に格上げしたのである。権力剥奪と同時の昇進は周囲を驚かせ、疑問を抱かせた。このとき子会社などの事態収拾を任された橋本社長は会長にこの疑問をぶつけた。この一年ほど前に外から迎えた橋本社長は、「根津と同時に昇進させてきた鶏内は役員に上げなくていいのですか」と会長に訊いた。会長は、根津は六十勝四十敗だが、鶏内は七勝三敗だ、勝負してきた数が違うと答えたという。

 

 歴史ある大組織であれば減点法だったろう。新たに得るものよりも、失うものを心配する組織であれば、勝負した数が少なくても無敗で来た者が登用されるものだ。一方、ほんの二十数年前にゼロから生まれたブリッジは失うものを心配するよりも、新たに獲得するものを優先する必要があった。この意味では傷だらけであっても百選練磨の男の方が、無傷のプリンスよりも重用されるわけだ。

 

 営企GMという会長の後継職を吉田に奪われ、子会社を作って社長に納まり部下に「社長」と呼ばせてやりたい放題だった根津を厳しく叱った会長だったが、「根津を使えるのはやっぱりオレだけか」と笑って、会長直下に置き、役員に昇進させた。腹違いと言われたとしても、そこには親子のような情があったのかもしれない。

 

 会長はもう一つ、周囲を驚かせた。根津と同時に尾崎龍司を役員に抜擢したのである。根津から権力を剥奪したものの、意気消沈させないための役員就任であったならば、役員就任でいい気にさせないための龍司の同時昇進だったかもしれない。龍司はこの抜擢に驚いたが、吉田が喜んだ。吉田の後継として、龍司を首都圏営業本部長に据えたのである。つまり、常務である吉田は営企GMとして営業全般を統括するために首都圏営業本部長の役職からはずれ、それを尾崎へとバトンタッチしたのだ。

 

 吉田常務の営企GM就任が彼の世代のライバルたちへの最後通牒ならば、龍司の首都圏営業本部長就任は、龍司の世代のライバルたちへの「結論」となった。

 龍司本人は驚きを隠せなかったが、ブンゴは飛び上がって喜び、土佐は無理矢理出張を作って東京へ駆け付け、神埼が初めて酔っ払った。美和子は嬉し涙を隠さなかった。

 

 根津社長が更迭され、ケートリ、近藤取締役がビジネスサービスの社長に就任した直後、美和子たち幹部に向かってケートリが話した内容を美和子はよく覚えている。始めたばかりの新規事業を撤収する方針を述べたものだった。

 

 「ある会社の一部分を分離独立させて別会社にすることは、よくあることだ。富士電機の通信機部門から生まれた富士通や、ヨーカ堂のコンビニ事業を別会社で生んだセブンなどがその事例であり、親孝行な息子と言える。これらは別事業を別会社にした事例だが、業務部門などいわゆる裏方の部門を別会社にして成功した事例は実は多くない。北見証券の調査部門と情報システム部門を母体とする北見総合研究所が一つの例だ。多くの子会社は、親会社の仕事をするだけに留まっており、外部からの仕事を獲得できないでいる。つまり市場での存在意義がない。もちろん、親会社から重要な仕事を受けており、人事制度の問題、採用の問題、高齢者へのポスト配分といった意味をも含めて、親会社グループにおける存在意義を否定するものではないが、市場から見れば、子会社として独立していようが、親会社の中の一部であろうが、違いはないわけだ」

 

 「私は詳しくないが、経済学に「範囲の経済性」という概念がある。ある目的で使われている設備や体制を利用して、別な収益源を確保できれば利益が出るといったことだと思う。もし我々が、我々の設備・体制・ノウハウを使って外部から仕事をもらうことができれば、ブリッジ全体にとって新たな収益源となる。それでは、一番考えやすい例として、他の人材派遣会社から請求業務や給与計算業務を受託することができるだろうか。冷静に考えて欲しい。ブリッジの急成長や頻繁な各種変更に対応しながら、他の派遣会社へサービスする。このサービスを専業とする事業会社が別に存在しているから、彼らと競争しながらその市場で勝っていけるかどうか、あるいは、他の派遣会社が我々に仕事を依頼するかどうか」

 

 「今の状況を直視してみよう。ある企業から給与計算業務を受託することができた。しかしながら実態は、その企業の人事部に常駐して、事務作業をしているに過ぎない。人材派遣サービスと大差ないというか、そのままズバリ人材派遣だ。もちろん常駐しているメンバーは給与計算業務に習熟しているわけだが、そのメンバーの人件費に相当する金額を頂戴できているわけではない。結局、安いから獲得できた案件だが、それでは、なぜ安いのか。その会社の社員よりも当社の社員のほうが給与が安いからか。もうしそうなら、この事業は社員の給与を上げることができない悲しい事業だ。もし違うならばこの事業は赤字だ」

 「ノウハウや経験を形にすることができ、相応の価格を設定することができて初めて、業務が事業になる。それができていない今、無理して新規事業をやる必要はない」と。

 美和子たちはこの話、方針を聞いて、正直、ホッとした。無理して始めた新規事業をこれでやめることができたのだ。

 

 

 根津社長が業務部門の幹部を集めることはしょっちゅうあったが、近藤取締役は月次の定例会以外で幹部を集めることはまれだった。就任直後の新規事業撤退のとき以来かもしれない。

 業務部門のGMは全部で九名、美和子以外は全員が男性である。取締役が話し出した。

 「今日は重要なことを二つ報告します。驚くようなことかもしれませんが、最後まで聞いた上で質問してください。一つ目は、会長が当社株式を第三者に売却し、経営から身を引くということです。現在、売買の交渉を進めているところですが、チャールトンに売却する可能性が高い」

 ここでケートリは一息ついた。美和子を除く八名の男子は驚いている。美和子も驚いた演技をした。

 

 「チャールトンが買えば、チャールトン・スタッフと合併するのかどうかといったことが訊きたいと想像するが、そういったことはこれからの話であって何も決まっていない。決まっているのは会長が会長でなくなるということと、株主がチャールトンなど他の会社になるということだけ。それ以外のことは何も決まっていない。ただし、暫くの間は、どこが買おうとも大きな変化はないと思う。様子を見るという期間はやっぱり必要だから」

 「さて、二つ目の話は、この売買交渉の過程で、会長がビジネスサービスの存在を思い出し、まだ潰していなかったのかと激怒モードになり、即座に会社を解散せよという指令が降りた」

 

 驚愕すべき一つ目の話に、二つ目も負けていない。

 「しかし、実はこれは不可能だ。というのは、売買交渉は年内には決着させようというスケジュールで進めているが、一方で、ビジネスサービスという会社を解散させるには二ヶ月間は短すぎる。請求書や給与明細の発行元である当社を、そう簡単に解散させることはできないし、宮崎や八戸からの補助金もある。せっかく取得したプライバシーマークをどうするかという問題もある。どんなに早くてもターゲットは三月末だろう。そうなると、当社の解散を決議するのは新経営陣だ。もはや会長ではない。しかし一方で現在の経営トップである会長から会社解散準備の指令が出ている」

 九名は固唾を呑んだ。

 「そこで、解散準備をゆっくり進めることにする」

 思わず「えっ」という声が漏れた。

 

 「このために実は鶏内部長が特命を帯びて、ビジネスサービス副社長に任命されることになっている。会長人事だ」

 今度は声は漏れなかったが九名の表情が「えーっ」と言っている。

 「ビジネスサービス解散準備特別プロジェクトを組む。各部のメンバーを入れるわけにはいかないから、GMとGM補佐だけで構成するプロジェクトとなる。リーダーは鶏内部長であり、彼から報告が橋本社長経由で会長に入る。ちょっとした茶番だが付き合って欲しい。そして新経営陣が登場する新年早々、私の方からこのプロジェクトをそのまま続けるかどうかを確認する。九十九%の確率で中止が決断され、ビジネスサービスはそのまま残ることになるだろう。従って、みなさんとGM補佐以外は誰も、このプロジェクトの存在を知らず、何事もなかったように見えねばならない」

 

 ケートリは一息入れて九名を見渡した。質問の時間だ。

 「第一の件も第二の件同様に、内密ですか?」

 「GMとGM補佐だけにとどめてくれ。おそらく十二月に社内正式発表があり、そのとき全員に伝えることになる」

 「どうして、といった質問には答えていただけるんでしょうか?」

 「残念ながら答えられない。会長から私は直接聞いているが、実はまだ口止めされている。第二の件で解散準備をする必要があったので、やむなくみなさんに事実だけ伝えたものの、それ以上を伝えることはまだできない。社内発表の際に公式理由も発表されると思う。ただ、それがみなさんの「なぜ」に答える説明であるかどうかは疑問だ。実は会長から聞いた話をたとえそのまま伝えたとしても、みなさんの疑問に答えたものかどうかが私にはわからない。そういうことだ」

 「解散準備とは、具体的にどういうことになるのでしょうか?」

 「第一に人事の観点。当社プロパー採用の事務員を、ブリッジの人事制度に組み入れるにはどうしたらよいかを検討する。これはブリッジの人事部にやってもらう。第二に宮崎と八戸の自治体に対するもので補助金の返却必要性調査が中心、これはブリッジ法務部にやってもらう。第三が業務移管に関するもので、当社の名前で発行している請求書や給与明細をブリッジ名に戻す手間とコストを試算する。これはみんなに作文を書いてもらう。厳密に計算する必要はない。以上だ」

 「鶏内部長は全てを知った上で着任されるのですか?」

 「デューデリ、すなわち売却交渉が進んでいる事実は会長から聞いて知っている。解散準備については橋本社長から聞いているが、実は茶番劇にする脚本については知らない。茶番劇だということを彼が会長に言ってしまうリスクがあるからな。だからみんなは深刻な顔をして、業務移管の手間とコスト、課題などを作文して欲しい」

 「新経営陣に解散準備を中止する、つまりビジネスサービス存続の確認を取るのはいつごろがメドになりますか?」

 「年始早々、新経営陣に私が確認を取る」

 

 質問が尽きたとみると、ケートリが話し出した。

 「会長が何故会社を売るのかということは、考えてもしょうがない。もう決まったことだ。もし考えるなら、ではどうなるか、会社が良くなるチャンスはないのかと考えて欲しい。みんなも気づいているように、ここ数年間は、会長がやれと言ったことでも、そのとおりにしなかったこともあった。一年前、ビジネスサービスを潰せと会長は怒鳴ったけれど、潰さないほうが良いと橋本社長以下が考え、会長をなんとか説得し、この一年間コスト削減を進めてきた。あるいは開始率を上げろと会長が叫んだときは、そのとおりにするためには営業は受注を過少報告して分母を小さくするように動いてしまうので、見た目の開始率が上がるような哀しい工夫をしてきた。こんどの件は、経営が変わって事実が事実として報告でき、事実に基づいて判断が下されるような会社に変身するチャンスだと考えて欲しい。もちろん会長がいなくなるという不安は簡単に払拭できるものではないが、そうであれば今後は、どういった方法で意思決定されるかを考え、できるだけ正しい情報を上に上げることを実現せねばならない」

 

 話を聞いた九名の半分ぐらいが前向きな表情を見せたが、残りの半分はまだ不安に支配されているような面持ちだった。ケートリはさらに続けた。

 「ビジネスサービスという会社について、私の意見だが、ちょっと話したいと思う」

 みんなはもう一度、聞くことに集中した。

 「根津さんが別会社にするという案を会長にぶつけたとき、ブリッジは福岡事件の後遺症で成長が止まっており、積極的に外部から収益を得るという考えは決して悪くなかったし、魅力的にも感じたはずだ。そして会長はおそらく、根津が勝負に出たな、と受け止めただろう。会長はご存知のとおり、勝負に出る者に対しては寛容であり、むしろ勝負しない者には冷淡だ。たとえ結果が失敗に終わったとしても、失敗の経験の上にこそ成功があるという考えであり、挑戦することを大いに奨励してきた。だから根津さんの挑戦に対しても二つ返事で許可を出したわけだが、しかし結果が失敗に終わったときの判断が早いことも、みなさんの知っているとおり。会長から見れば、ビジネスサービスという会社は、根津が勝負に出るために作った組織であり、根津が勝負に負けたなら会社を潰し、元に戻せということなのだろう。いや、元に戻したはずなのに何故、まだあるのかと激怒したということだと私は推測する。たしかに業務部門にとって一つの勝負であった外部への展開をあきらめた今、ビジネスサービスが会社組織として存在しているか、あるいはブリッジの一部門となっているかに大きな違いはない。しかし同時に、今すでに会社組織となっているビジネスサービスを解散してまで元に戻すべきかどうかは別な問題だ。ここで、全く別な観点から考えてみたい。チャールトンがブリッジを買えば、チャールトン・スタッフとブリッジが合併するのは時間の問題だろう。しかし、両者のブランドイメージが異なり、営業スタイルが真逆であるならば、合併までの時間はそんなに短くない。簡単には合併できない。その中で最初に合併効果を出せるのは、おそらく業務部門の統合と情報システムの共有化ではないか。もし、チャールトン・スタッフとブリッジの二つの会社を当面そのままとしながら業務部門の統合を図るとなれば、ビジネスサービスという会社組織はもしかすると有効かもしれない。いや、有効だろう。つまり、高橋会長の観点からすれば会社として存在する意味がないビジネスサービスも、新経営陣の観点から見ると存在意義がある。少なくともその可能性がある。だったら、その決断は新経営陣に委ねたい。それゆえ、現経営陣からの指示に従い解散準備を進めるものの、本当に解散するかどうかは新経営陣に確認してからのこととする。この言わば作戦は、私の責任で行うので、みなさんは不安を感じることなく、先ほど申し上げたとおりに動いて欲しい」

 

 取締役は全員をゆっくり見渡した。不安そうな表情も、質問もなさそうだ。

 「これで会議は終了です。畑中さん、別件です、ちょっと残ってもらえるかな」

と取締役に言われ、美和子だけが残った。八名の男子は早く自分たちでこの驚愕の件を話題にしたいといった風情で会議室から足早に消えていった。

 

 「畑中さん、いいかな。ちょっと頼みたいことがあるので、実はもっと話が進んでいる裏側の事実についても話そうと思う」

 美和子は緊張した。

 「デューデリはチャールトンでほぼ決まります」

 少しだけ間を置いたが、すぐに続けた。

 「株主と経営陣が変わる。会長はもちろんいなくなるが、いなくなるのは会長だけではない。推測が交じるが、第一に、会長と同世代の古参役員は全員退任となるだろう。早ければ会長と一緒の時期だし、遅くとも三月か六月。同時に高齢の参事や営業推進部長といった人たちもお役御免となる。第二に、吉田専務の世代だが、専務以外は残るが、専務はブリッジを去ることになるだろう」

 「えっ」

 美和子は絶句した。

 「それって・・・」

 「吉田専務はブリッジ営業の象徴だ。彼を残せば、新経営陣はブリッジを変えることはできない。だから礼を尽くしながらも、彼には辞任してもらう方角で演出をするはずだ」

 美和子は言葉を発することができなかった。

 「第三に、私を含めた外様の役員だが、新経営陣は個別に面接でもして、残す人と退任してもらう人に分けるだろう」

 「・・・」

 「第四に、これが本題だが、取締役首都圏営業本部長の尾崎龍司だ」

 「えっ」

 「年代的には残す年代だが、彼は不幸なことに出世が早すぎた。また、ブリッジ営業の象徴が吉田専務なら、営業の星が龍本だろう。新経営陣に対する反抗勢力の中心にでも彼が担ぎ上げられる空気が生まれれば、彼は退任に追い込まれる。彼以外の同世代は役員になっていないから、買収を理由に従業員を解雇できないこともあり、彼以外が残ることは間違いないのだが」

 美和子は頭の中がグラグラしてきた。

 「そしてもう一つやっかいなパラメータがある。根津取締役だ」

 

 取締役は一息入れて続けた。

 「デューデリのブリッジ側事務局長を務めた根津さんは、チャールトンから残ってくれと言われるだろうし、同時に、会長から着いて来いと言われる可能性が高い。こんな役目が出来たのは会長の教え子の中で根津さん一人だったし、さいわい株価はかなり高額になりそうで、これは彼の手柄だ。そうでなくてもかわいい息子の一人である根津さんを、会長は新会社に連れて行きたいはずだ。ところが根津さんは双方からの誘いを天秤にかけ、私の読みだと、彼は新生ブリッジに残る。そのほうが「得」だからだ」

 「それは何故ですか?」

 「会長と古参役員が一層され、そして最強のライバル吉田専務もいなくなる。旧勢力に彼が怖い者は皆無となる」

 「あっ」

 「ただ一人、彼にとって邪魔なのが尾崎龍司だ」

 「・・・」

 「人望のある尾崎がブリッジの若手をとりまとめることは、新経営陣にとっては良い面と悪い面がある両刃の剣だが、根津にとっては自分の相対的価値を下げる悪い面だけとなる。そうなれば根津は尾崎の価値を下げることに専心するはずだ」

 「そんなことはどうやって・・・」

 「彼は今までも何回もやってきた。高城や児島に聞けば、根津にやられたという話がいくらでも聞けるはずだ」

 美和子にも思い当たる節があった。

 「問題は龍本、尾崎だ。会長から吉田専務までの先輩諸氏が全員去り、根津さんだけが残り、さらに彼は新経営陣と太いパイプを持つことになる。尾崎は若く、権謀術数に長けた根津から見れば「チョロイ」と思われているだろう。それではもし社内に根津対尾崎という対立構造が生まれたらどうなるだろうか。尾崎に先を越されてきたライバルたちは、根津に着いて挽回をねらうだろうか。私はそうは思わない。尾崎は常にフェアにやってきた。スポーツマンだらけの営業部門にあって、フェアプレー精神で、誰よりも努力することで結果を出してきたし、負けたときですら誰かのせいにしたり言い訳したりはなかったはずだ。一方、尾崎のライバルだった高城や児島が、担当していた事業からはずされた裏に根津が動いていたことは誰もが知っていることだ。有能で敏腕だが、不気味で裏技を使い、邪魔者を次々に潰してきた根津には、スポーツマンたちは決して与しないと私は考える。むしろ尾崎を核に、営業部門は大同団結するのではないか。そしてその動きを察知したとき、根津はきっと巧妙な方法で邪魔をするだろう」

 「それではどうすれば・・・」

 「尾崎は自分から派閥を作るようなことをしない男だ。伝説の最強支店麹町だけでなく、新宿や福岡でも尾崎ファンをたくさん作ってきたわけだが、彼には派閥を作ろうといった雰囲気が全くない。ま、それが魅力なんだが。一方の根津はそうではない」

 根津派と呼ばれるグループがあることは事実だった。

 「尾崎は派閥を作らない。しかし他の者が尾崎派閥を作って、尾崎を神輿の上に担ごうとするかもしれない。彼はそんな神輿に乗ろうとはしないだろうが、もし周囲がそんな動きをしようとすれば、それは根津にとって攻撃のチャンスとなる」

 何となく美和子にも想像できた。

 「会長と専務がいなくなり、新経営陣という外様の集団がやってくる。パラシュートで降りてきたように、上からやってくるわけだ。そしてその案内人を根津が務める。過去、根津の策略に嵌められた有力者の姿を見てきた者たちはどういう行動に出るだろうか。雪崩を打って根津の軍門に下るか、あるいは、唯一、根津に負けなかった尾崎を大将と仰いで、営業部門がまとまろうとするか。私は後者だろうと推測する。畑中さんはどう思う?」

 「私もそう思います」

 「しかしもしそういう動きが起こったとすれば、根津は新経営陣に対して、営業の動きがおかしい、新経営陣に対して反発しようとしているなどと解説するのではないか。尾崎が裏で操っているぐらい言う可能性は十分だ」

 「そんな・・・」

 「もちろんそんなことはないのだが。しかしこれによって尾崎を追い込み、退任あるいは左遷させることができれば、それこそ根津の天下となる。尾崎さえも根津に負けたということになれば、営業は総崩れになるだろう」

 「どうすればいいのでしょうか」

 「これは神崎の仕事になると私は考える。営業部門が下手に尾崎を担ぐようなことがないように、目を光らせる役目は神崎が適任だ。間違っても山田文吾あたりに、善意からではあっても、尾崎を中心にまとまろうといった動きをさせてはいけない。また、尾崎のかつてのライバルだった高城や児島、山崎、佐久井あたりが尾崎に接近しようという動きをしないように、クギを刺しておく必要もあるだろう」

 美和子は黙って頷いた。

 「社内発表はこれからだが、営業の有力者たちは既に会長から直接聞いていると思う。吉田専務が残るかどうかは新経営陣が決めることだが、残らない可能性を感じて、誰かが動き出すかもしれない。誰かが動き出せば、即座に動きが大きくなる。事前に動きを抑えるなんていう芸当は、神崎にしかできないだろう。そして、このことを神崎に上手に伝えることができるのは、畑中さん、あなただと思います、私は」

 美和子は力強く頷いた。取締役は笑顔を作り、最後に独り言のようにつぶやいた。

 「買収がチャールトンじゃなく外資だったら、吉田専務は残っただろうけど」

 

 美和子は神崎を呼び出し、取締役からの話をできるだけそのまま伝えた。神崎は一言も発さずに最後まで聞き入り、しばらくしてから口を開いた。

 「吉田専務がいなくなる可能性は実は考えていた。ブリッジの人材ビジネスは既に専務中心で回っているから、新しい株主、経営者から見れば、専務が邪魔になるかもしれない。また、この業界では吉田学といえば有名で、恐らく既にヘッドハンティングの話もいくつか来ているとも思う。ただ、根津取締役は会長の新会社に行くと予想していたので、もし残るとなればちょっと想定外だな。それがはっきりした瞬間に営業に動揺が走り、様々な動きが起こる。そしてそういった動きをすべて自分にとってよいように料理するのが根津さんという男だ。そして、彼にとってのよいことが何かと考えてみれば、確かに、最大の邪魔者である尾崎本部長の追い落としにある」

 

 ケートリと神崎は、考え方あるいは洞察力においてシンクロしているようだ。

 「わかった。これは私の仕事だ」

 神埼は拳に力を入れた。美和子は一つ疑問をぶつけてみた。

 「もし買収がチャールトンでなく外資だったら、吉田専務は残ったと思いますか?」

 神崎は三十秒ほど沈黙した。

 「それ、ケートリ?」

 「はい」

 「なるほど。外資だったら専務の上に来るような人物が日本人にはいないかもしれない。だったら、専務に任せるということも考えられるね」

 神崎は苦笑いのような表情を残して、去っていった。

 美和子は自席に戻るほかなかった。

 歩きながら美和子は考えた。残る人と残らない人。会長がいるからこそ存在意義のあった人、たとえば会長が気軽に相談できる高齢の役員などは、おそらく会長と一緒にブリッジを去ることになるだろう。あるいは古くから、それこそブリッジの創業当時から会長と一緒にやってきた古株の人たちも、やはり会長と一緒に新会社に行く可能性が大きい。新会社は、ブリッジの多角化目的の事業部門を移管するために作る会社であり、不動産事業や留学支援事業、外食支援事業などから構成されることになる。多角化事業そのものを推進してきた渡辺専務や、グループ全体の財務を担当してきた鈴木専務は、ブリッジ創業以来の古株でもあり、高橋会長と行動を共にすることはほぼ間違いがない。それでは吉田専務はどうだろうか。古株ではあるが鈴木専務などより一つ若い世代である吉田専務は、ブリッジの人材ビジネスを急成長させてきた象徴的な人物であり、同時に会長の教え子、長男とも呼ばれていた。人材ビジネスの象徴であるからこそブリッジに残るものと思っていたが、ケートリも神埼も、むしろ象徴であるゆえにブリッジ新経営陣から見て邪魔になるという。そうであるならば、吉田専務は会長の新会社に行くのか。人材ビジネスとは無縁の多角化事業を進めてきた新会社に行くのだろうか。それとも全く別の人材会社からのスカウトに応えるのだろうか。さらに根津取締役はどうなのだろうか。吉田専務と同世代であり、吉田が人材ビジネスの営業一筋であるならば、根津は人材ビジネスの裏方を担当するとともに、会長からの様々な案件をこなしてきた。今回のデューデリだってその一つだろう。会長から見て便利であり利用価値の高い根津取締役は、どう考えても会長の新会社に行くものだと思っていたのだが、しかしケートリはブリッジに残るだろうと言う。そしてその理由が、吉田専務が残らないからという。根津取締役がいなくなり、吉田専務が残ると思っていた美和子は、全く逆のケースを想定していなかった。吉田専務が残ると思っていたからこそ、吉田・尾崎のラインは不変であり、自分自身を含め、ブリッジが大きく変わることはないだろうと高をくくっていた美和子だったが、根津・尾崎であればそれはラインとは言えず、むしろケートリの言うように対立構造になる可能性すらある。そのとき龍司はどうするのか、どうなるのか。美和子たちはどうなるのか。

 

 美和子にとって、ブリッジで最も存在感の大きいのは龍司である。新人のときの支店長であり、その後の彼の活躍と出世を常に応援してきた。ブリッジにおける太陽である高橋会長の存在はもちろん最大ではあるが、万有引力が距離の二乗に反比例するように、会長から距離のある美和子にとっては、常に近くにいた龍司の存在の方が相対的に大きなものと感じてきた。

 

 それでは吉田専務はどうだろうか。会長と龍司のいわば中間に位置する専務と、美和子の間はいかほどの距離だったろう。美和子と専務の間には常に、支店長だった龍司がいたり、コーディネートGMだった石橋がいた。ただし同時に、龍司や石橋を通じて、常に専務の存在を強く感じていたことも事実だ。

 美和子が専務の厳しい指導を、間接的ではあったが初めて受けたのは、入社一年目、麹町支店の最初の試練のときだった。

 

 美和子は弾丸、麹町支店の連勝記録、すなわち月間最高成績支店の栄誉を三ヶ月続けたところで入社し、その後も半年間連勝を続け、記録は九連勝という途方もないところまで到達した。しかし、辛勝であった九勝目と惨敗に終わった十ヶ月目に、美和子にとって忘れられないことがあった。

 

 ブリッジの営業成績は、積み上げと称する、稼働スタッフの純増数で評価する。月間の開始数をプラス、月間の終了数をマイナスとして計算する積み上げは、何もないところからスタートした麹町支店にとって、契約開始本数がほとんどそのまま積み上げ数となる状況が半年程度続いた。当時の大支店だった新宿支店などは、多くの開始があるものの同時に終了数も多く、下手をすれば積み上げがマイナスとなること、すなわち積み下げることすらあった。

 

 マイナス要因である終了をあまり経験することなく連勝記録を続けていた麹町支店だったが、支店開設半年ぐらいになると終了数が稼働者数の一定割合で発生するようになった。

 入社して半年程度が経っていた美和子は、多くの開始を実現すると同時に、多くの終了をも経験していた。終了の理由はいくつかある。第一に、そもそも業務の繁忙期だからこそ人材派遣を活用した企業が、繁忙期の終了と同時に契約延長を考えないということがある。第二に、契約期間満了の際に他社が良い条件などを企業に提示していて、ブリッジが契約更新できずに、他社にリプレースされることがある。逆の立場で他社のポストをひっくり返して行ったブリッジだったが、時間の経過とともに、あるいはシェアの拡大とともに、攻撃だけでなく守備の重要性が増したということだった。第三に、契約期間満了と同時に、スタッフの方から「ここでは継続したくない」という希望が出て、交代要員を紹介するものの、うまく双方の合意に至らず、企業の方が人材派遣活用をあきらめてしまうケースがある。

 

 人材派遣会社にとって、第一の理由は言わばしかたのないものだ。欠員や増員のニーズがあるからこそ受注が取れるのであって、そのニーズがなくなってしまったら継続は困難となる。一方、第二の理由や第三の理由は、営業努力によってある程度カバーできるものだろう。

 増えてきた終了数が麹町支店の営業成績の足を引っ張るようになってきたとき、美和子は終了数を減らすことが重要ではないかと感じ始めていた。

 第一の理由で契約終了となってしまったとき、顧客企業との関係を良好なまま保っていれば、いつかまた欠員や増員のニーズが出たときに、受注を頂戴しやすく、開始を実現しやすいのではないか。また、契約終了で言わば仕事を失ってしまったスタッフだが、本人にやる気があれば、受注はたくさん入っているわけだから、たとえ麹町支店外の仕事だとしても、別な職場で再び仕事につければ、スタッフも喜ぶし、ブリッジ全体としては積み下げることにはならない。

 

 第二の理由に対しても同様であり、たとえば競合他社が安い時給で攻勢をかけてきて、ブリッジとしてはそこまで安値にはできないと判断し、言わば撤退するようにして終了を迎えてしまった場合でも、スタッフ本人に働く意欲があれば、他支店で受注した仕事を紹介し、開始に至れば、ブリッジ全体の積み下げを回避できる。

 

 第三の理由による終了は言わばブリッジの自滅であるから、交代要員の人選スピードを上げて、せっかく人材派遣活用に慣れた顧客企業に空白期間を作らせず、継続顧客としなければならない。

 こう考えた美和子は、支店長だった龍司に提案をした。

 

 それまで終了は「阻止するもの」という考えがブリッジでは一般的であり、一ヶ月でも一週間でも契約更新してもらって時間を稼ぐという行動パターンが主流だったが、美和子は、第一の理由や第二の理由の終了に対しては、終了阻止にエネルギーを投下するのではなく、空いたスタッフに別な仕事を紹介することを優先し、顧客企業とは友好関係を維持するというように営業行動を変えようと考えた。もちろん第三の理由は理由にならない理由であり、これに対してはそれまでどおり人選スピードを上げることに変わりはない。

 終了数が増えてきていた麹町支店の状況を背景に、支店長だった龍司は美和子の提案に賛同した。龍司は、当時本部長だった吉田専務に許可を求めた。吉田本部長は、八連勝を続けていた麹町支店だったので龍司の提案を受諾した。ただし、新規受注や新規開始の本数を下げるなという条件つきで。つまり、終了に対する新たな行動が、開始の足を引っ張るようなことがあってはダメだということだ。

 

 美和子は麹町支店内の全契約について、期間満了が近づいているところを片っ端から訪問し、特にスタッフに職場が変わっても仕事を続ける意思があるかどうかを確認した。契約満了時期になって、更新の交渉が上手くいきそうにないとわかると、スタッフに他の仕事を紹介するため、麹町支店の受注を紹介し、それでもダメならコーディネーターにバトンタッチして、他支店の仕事も紹介するように依頼した。

 月末が近づくと、満了時期を迎えた契約がラッシュとなり、美和子一人では手が回らなくなり、支店長の龍司も同様な動きで顧客企業を回った。

 九連勝は達成できた。しかし辛勝だった。麹町支店で終了したスタッフが他支店で開始できた場合、麹町支店には終了だけがカウントされ、他支店には開始だけがカウントされる。当たり前のことではあったが、麹町支店の成績を保つためには、今まで以上の新規開始を作らねばならなかったのだ。

 

 十連勝をねらう麹町支店には重苦しい空気が漂っていた。美和子の提案を続けると、新規開始本数を驚異的に伸ばさねば、追い上げの激しい丸の内支店や赤坂支店に勝てない可能性があった。急成長を続けていたブリッジは、ようやく丸の内の著名企業や、赤坂エリアの外資系企業から受注を頂戴できるようになってきていた。

 龍司は「続ける」と言った。麹町支店だけでなく、ブリッジ全体としても意義のある終了スタッフへの仕事紹介を強化すると言葉少なに語った。これをやりながらの十連勝こそ挑戦するに値するとも言った。

 しかし惨敗だった。

 

 三月、多くの企業が決算期を迎えるこの月、契約終了がラッシュとなって麹町支店を襲った。いや、正確にはブリッジ全体を襲った。一年前の三月とは稼働者数において二倍近いサイズに急成長していたブリッジは、守るべきポストが二倍になっていた。

 多くの支店が積み下げる結果となったが、麹町支店の積み下げ幅は予想を超えていた。そして、終了スタッフへの仕事紹介を強化しようとした美和子だったが、他支店は終了阻止に注力したので、新たな受注は少なく、美和子の努力の多くが無駄になった。

 また、他支店は更新あるいは延長できない場合は早めに諦め、同時に空くことになるスタッフにはお構いなしで、延長の可能性のある顧客企業との交渉を優先した。終了時期をたった一週間でも延ばせれば、三月の積み下げ幅を改善できるので、月次の成績の悪化を多少なりとも食い止めることができた。

 しかし龍司と美和子の麹町支店はそれができなかった。

 

 三月の月次成績がまとまった四月の最初に、支店長会議があった。九連勝で止まったことよりも、やろうとしたことができずに惨敗に終わったことがショックだった麹町支店のメンバーは、支店長から夜、恒例の反省会で話を聞いた。

 「吉田本部長から強く叱責を受けた点が三点ある」

 その日の反省会は乾杯ナシで、全員、支店長の言葉を追った。

 

 「第一に、受注と開始が足りなかった点。自分たちでやると言い出して新たなことをやるのは構わないが、それによってやるべきことができなくなるようなら失格だということだ。オレには返す言葉もなかった。さらに、メンバーの間に、従来どおりのやるべきことと、新たにやろうとしていることの力の配分についての迷いがあった、あるいは徹底がなかったのではないかと詰問された」

 美和子だけでなく、全員が言葉を失っていた。辛勝だった九連勝目のときに、メンバー間には「もう、元に戻そう」という空気があったからである。

 

 「第二に、三月という終了月を経験するのは、おまえ初めてかと怒鳴られた。契約満了が多くなり、同時に、新規受注が減る三月にとるべき戦略だったのかというわけだ。これは全くオレの責任だ」

 ブリッジでの三月を初めて迎えた美和子は、同時多発する終了に振り回された自分を思い出していた。

 

 「第三に、ブリッジの今の状況をわかっていないと叱責された。この三点目が重要なので、みんなに話しておきたい。このことは本部長の発言の後で、会長からも発言があったので、それも伝えておく」

 メンバーは居ずまいを正した。

 「ブリッジは後発で東京に乗り込み、急成長を続けているが、現時点ではまだまだピンキーやパープル、ラトゥール、ラフロイグのはるか後方だ。先行する他社に焦りを感じさせ、判断を狂わせるためにも今は攻撃を優先すべきであって、守備に大きな力を割くべきではない。今のブリッジの勢いは、支店間で猛烈な競争を演じているからだ。激しい競争の中で、新設支店である麹町が九連勝を記録し、他支店は必死で打倒麹町を掲げて突っ走っているときに、なんでおまえはブリッジ全体にとっていいことなんて考えるんだ。これで十連勝を逃しただけじゃなく、年間累計積み上げ最高支店という栄誉、年間最優秀支店も逃したんだ」

 九連勝の累計プラスは大きかったが、最後のマイナスも大きかった。一年間十二ヶ月のフル登板ではなく、新設ゆえに十ヶ月という時間で年間最優秀支店の栄誉をつかみかけていた麹町支店は、十連勝を逃したこと以上に、年間最優秀支店を逃したことがショックだった。

 「会長は言った。龍、おまえはブリッジ全体にとって最適なことを考えたように思っていたらそれは大間違いだ、と。おまえができたことでブリッジにとっての最適とは、十連勝をやってのけ、十ヶ月の数字で十二ヶ月の他支店をブッチ切りにすることだった。そんな奇跡を実現するチャンスであり、伝説を作る機会をおまえは逃した。こんな記録ができれば、このあと何年間も、新設支店がみな麹町の記録を破ろうと必死になり、ブリッジ全体がさらに活気付くはずだった。龍、おまえがブリッジ全体を考えるなんて百年がとこ早いんじゃないか」

 

 美和子はあの日の反省会を思い出していた。

 反省会の翌日、龍司は頭を坊主にし、神崎以下の男子がみなそれにならった。「麹町支店は寺になったのか」と揶揄されたりもした。美和子も髪をショートカットにした。

 

 あのときの吉田本部長、高橋会長の叱責に対して、未だに美和子には反論の余地がない。一方、攻撃を最優先にし、守備への力配分を下げるブリッジのやり方は、あの日を境に、ブリッジ全体になお一層強く徹底され、その結果、多くのスタッフからの離反を招くようにもなった。

 

 その数年後、新設されたコーディネート部のGM補佐として、支店長会議に出席するようになった美和子は、吉田本部長の発言を直接聞く機会を得た。

 「ウチはザルなんだ。いや、派遣会社はみなザルなんだ。ザルに水を溜めるには、流れ出る水よりも多くの水を流しこまなければいけない」

 

 そのときの支店長会議では、福岡支店の支店長となっていた龍司が、その月の月間優秀支店として、会長や本部長のすぐ近くに座っていて、無言で周りに威圧感を与えていた。ザルに水を流し込む量とスピードにおいて突出した成果をあげていた殊勲者として。

 

 会長が戦略を考え、専務がそれを戦術に落とし、龍司が想定以上の成果をあげる。この組み合わせを美和子が実感したのが、このときの支店長会議だった。